月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回で一月の遊星sideは終了です。
残るは才華sideのみです。

三角関数様、じゅすへる様、Nekuron様、黒百合大好き様、烏瑠様、AYM様、獅子満月様、誤字報告ありがとうございました!
感想、お気に入り、評価をくれている方々も本当にありがとうございます!


一月下旬(遊星side)8

side遊星

 

 メリルさんのアトリエに通い始めてから十日が過ぎた。

 その結果、分かった事は。

 ……僕の服飾技術は地に落ちていたと言う事実だった!

 

「……まさか、此処まで腕が落ちていたとは。習い始めた頃のミナトンよりはマシでしょうけど」

 

「手を見た時から覚悟はしていましたけど。これは一度学び直さないと行けない状況ですね」

 

 背後から聞こえて来るりそなとメリルさんの言葉に、顔が下に俯いてしまう。

 自分でも覚悟はしていたけど、やっぱりショックだった。

 デザインも描いてみたけど、今の僕じゃ上手く描けずに断念。

 一番期待していた型紙や立体裁断に関しても、残念ながら全然上手く出来ない。縫製も綺麗に出来ずにいる。

 

「頑張ろうという意欲があるのは伝わって来ますが」

 

「根本的に学び直さないと行けない状態ですね。でも、今から受験出来る学校なんてありませんし」

 

 二人が背後で相談している。

 でも、元気が湧いて来なくて思わず、アトリエの端の方に移動して膝を抱えてしまう。

 

「やっぱり、私なんて」

 

「だから、すぐに暗くならないで下さい。全く、すぐに鬱になるんですから」

 

 りそなは慣れた動きで僕を立ち上がらせて、席に座らせた。

 

「……もうあの提案を受けて下さい。今は良いですけど、私やメリルさんも仕事に戻らないと行けなくなりますから」

 

「そうですね。此処のアトリエは自由に使っても構いませんけど、私もそろそろデザインを描き始めないと行けませんし」

 

「ですけど、りそな様。私が日本の学院に通うのは流石に」

 

「貴方は、大蔵衣遠の娘なんですから問題はありません」

 

 立場的な問題じゃなくて、身体的な問題なんだけど。

 確かに一から学ぶには学院に通うのが一番だ。だけど、当の昔に受験を受けられる期間は過ぎている。

 使用人として働いていたから勉強も全くしていない。それで受かる事が出来たら、奇跡だ。

 つまり、僕が服飾を少しでも早く学ぶチャンスがあるとしたら、りそなの提案に従って、日本のフィリア学院に調査員として入るしかない。

 りそなの提案は確かに良い提案に聞こえるが、僕自身に問題がある。

 

「りそな様……幾ら何でも……というよりも私の精神が耐えられません」

 

 もう一度女装しながら、女学生達の中に飛び込むなんて僕には無理だ。

 今度正体がバレたら、多分耐え切れずに自殺してしまう。

 

「完全にトラウマになってますね、コレは。と言うか、貴方がバレたのは学園じゃなくて屋敷の方じゃないですか。以前よりも完成している貴方なら、確実にバレませんよ」

 

「何の話ですか?」

 

 僕らの会話の内容が分からなかったメリルさんが質問して来た。

 だけど、素直に教えられる訳もなく、二人で誤魔化した。

 

「……もうコレしかありません。今の貴方には余り使いたくなかったんですけど」

 

「何でしょうか?」

 

「私の為にフィリア学院に入って下さい」

 

「えっ? りそな様の為ですか?」

 

「そうです。貴方の為じゃなくて、私の為です」

 

 いきなり何だろうか?

 というよりも、何で女装してフィリア学院に入学する事がりそなの為になるのだろうか?

 

「実は先日、お爺様からフィリア学院に信頼出来る調査員を必ず入れろって連絡が来たんです」

 

「それはまた、何故でしょうか?」

 

「……どうにもルミネさんが厄介な相手と接触している事が知られたみたいなんです」

 

「厄介な相手とおっしゃいますと」

 

「裏社会と繋がっている家の娘とルミネさんが懇意にしてる事が、気になったらしくて」

 

「裏社会? 何でそんな方とルミネ様が?」

 

「いや、こっちが聞きたいですよ。お爺様が言うには最近、ルミネさんがやたらと服飾部門の特別編成クラスに入りたがっている人と接触している事に気がついて、遂には実家が裏社会と繋がっている相手とも接触してしまったので心配になったみたいなんです」

 

 どうやら日懃お爺様は過保護な方らしい。

 だったら何故僕が大蔵の名を名乗る時は強硬に反対したのか謎だが、娘と孫の違いかも知れない。

 或いは本当にお父様の言う通り、男子と女子では扱いが違うのかも知れない。

 と言うよりも何故ルミネ様はそんなお方と接触したのだろうか?

 あの方は、少しの間一緒にいるだけでも規則を大事にする真面目なお方だと分かった。

 ……ふと思った。もしかして才華様の為なのでは?

 僕がりそなにルナ様という主を紹介して貰ったように、才華様もルミネ様を経由して主人と言うか雇用主を探しているのかも知れない。

 急に押し黙って考え込み出した僕に、りそなが不審の目を向けて来た。

 

「そう言えば、朝日。貴方何処でルミネさんと会ったんですか?」

 

「さ、桜屋敷に居た時にルミネ様が遊びに来てそれで」

 

「あぁ、あの甘ったれが呼んだ訳ですか……全く三年近くも碌に連絡も取っていなかったくせに、帰国した次の日にルミネさんを呼び…だ……ん? 呼び出した? 待って下さい。確かあの頃に上の兄がフィリア学院の男子部廃止に関して急に意見を変えたような」

 

 不味い!

 

「い、いえ、本当に遊びに来ていただけですよ!」

 

「……怪しい。貴方、何か隠していますね?」

 

「隠していません!! 本当にルミネ様は桜屋敷に遊びに来ていただけでした、りそな様!」

 

 このままだと才華様がやろうとしている事がバレてしまう!

 血の繋がった相手が女装してフィリア学院に入ろうとしているなんて言いたくない!

 確かに僕とりそなもやったけど、それを次の世代までやろうとしているなんてりそなも夢にも思って無いだろう。

 と言うか、その事実を僕の口から言うのは無理だ。精神的に辛い。

 何とか誤魔化さないと! と思っていると、在庫を確認していたメリルさんの声が聞こえて来る。

 

「う~ん。製図用紙が少なくなって来ましたね」

 

 チャンスだ!

 

「あっ! お世話になっていますから、私、買って来ますね!」

 

「待ちなさい、朝日! まだ、話が終わって!」

 

「行って来ます! りそな様!」

 

「早っ!?」

 

 素早く着替えを終えて、僕はメリルさんの仕立て屋から飛び出した。

 ごめん、りそな。幾ら何でも才華様のやろうとしている事は言えないよ。

 

 

 

 

 十日も住めばパリの街にも慣れた。

 移動は基本的に車だったが、自分でも生地や糸が欲しくなった時に店の場所は教えて貰っていたので製図用紙は買い終えた。

 だけど、僕はすぐに仕立て屋に戻る気にはなれなかった。

 パリの公園で今後に関して考えていた。

 

「……どうしよう」

 

 間違いなくりそなは、僕が何かを知っている事に気がついている。

 でも、それを言うのは心情的に辛い。

 

「でも、このままだと才華様が危ないよね」

 

 此処で僕がりそなの提案を拒否しても、既にフィリア学院に学生の身分を与えた調査員が送り込まれるのは確定事項になっているのは間違いない。

 その相手がどんな人物なのか分からないけれど、少なくとも僕よりも調査の方面で秀でた人物だろう。

 では、その相手が才華様の事に気がつけばどうなるか。

 ……確実に連絡がりそなに送られて、そのまま才華様は学院から追い出されるに違いない。

 才華様のじょ、女装の技量がどれほどなのかは分からないけれど、本職のサーシャさんに匹敵するほどの観察眼を持っている人がいたら正体がバレてしまう。

 と言うよりも、どう考えてもりそなの様子から見て、先ず第一の調査対象になりそうなのはルミネ様が接触したという裏社会に関わる家の娘さんになりそうだ。

 

「……ルミネ様。もう少し気を付けて下さい」

 

 恐らくルミネ様も焦ってしまったに違いない。

 僕の時はりそながルナ様を見つけて来てくれた。よくよく考えたら僕の時だって条件は厳しかった。

 と言うよりも、りそなはあの提案を出した時点で色々裏で準備をしていてくれたのだろう。

 ……本当にりそなには感謝しかない。

 今の現状だとかなり複雑なところもあるけれど。だけど、恐らくルミネ様にはりそなほどの警戒心がなかった。

 この時代では違うが、僕の知っているりそなは常に家族も含めて周囲を警戒して動いていた。

 だから、僕がフィリア女学院に入ろうとしている事をお兄様も気がつけなかった。

 そしてりそなほど家族に対して警戒心がなかったルミネ様は、中々才華様の雇用主となれる人が見つけられない事を焦り、相手の事を良く調べずに接触してしまったに違いない。

 

「……このままだと最悪な結果になっちゃうよね」

 

 この現状を止める方法は二つ。

 りそなに全てを話すか、りそなの提案に乗って学園に入るかのどちらか。

 前者だと即座にりそなは怒りに燃えて、才華様の企みを潰すだろう。その結果、才華様の目的であるフィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を取るのは不可能になってしまう。

 後者だと僕は自分に協力してくれるりそなを騙し、才華様を陰ながら護る役目を負う事になる。結構それはキツイ。と言うよりも、りそなを騙すのなんて今の僕には無理だ。多分やったら、途中で吐いて入院する事態になってしまう。そうなる自信が僕にはあった。

 

「本当にどうしよう!?」

 

「……どうしたんだい?」

 

「えっ?」

 

 僕が顔を上げてみると、見覚えがある黒いスーツを着た年配の男性が立っていた。

 

「……あ、貴方は……確かパリに来た時に声をかけてくれた方でしたよね?」

 

「覚えていてくれて嬉しいよ」

 

 男の人は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「でも、ちょっと驚いたな」

 

「な、何がでしょうか?」

 

 も、もしかしてこの人、僕の正体に気がついているんじゃ!?

 サーシャさんにも女にしか見えないって言われたけど、分かる人には分かってしまうのかも知れない!

 最近、朝日の姿が自然になっていたせいで忘れかけていたけど、男性が女装している時点で本来は変態だ。

 このまま会話をするのは危険かもしれないと思うが、男の人は別の事を指摘して来た。

 

「君の顔色だよ。最初に会った時は、暗かったのに、今は明るくなっているからね」

 

「あっ。それは……情けない話ですけど、妹に慰めて貰ったからです」

 

「妹さんが居るんだ?」

 

「はい。私の自慢の妹です」

 

 これだけはハッキリと言える。

 僕にとってりそなは自慢の妹だ。初めて会った時に天使のような子だと思っていた。

 日本で再会してからも、僕は一度もりそなを軽蔑した事は無い。りそなにはりそながそうなる事情があった事も分かっている。

 だから、僕にとってりそなは自慢の妹以外の何ものでもない。

 なのに。

 

「……でも、慰めてくれた妹に伝えられない事があるんです。伝えたら誰かが傷ついてしまうから……それが怖くて」

 

 本当に僕が優先すべきなのはきっとりそなだ。

 だけど、才華様のやろうとしている事を止める資格は僕には無い。

 それに、きっと才華様にも事情があるんだ。でなければ、女装してまでフィリア学院に通いたいとは思わないだろう。僕がフィリア女学院に入ったように。

 

「難しい問題だね」

 

「はい」

 

 見ず知らずの人に話しても仕方がない事だ。

 きっとこの人はこれ以上関わりたくないと、思って去ってしまうだろう。

 

「……要するに二つの問題を君は抱えている訳だね」

 

「えっ?」

 

 男の人は去らずに、考え込むような顔をして立っていた。

 

「違うのかい?」

 

「い、いえ、違いません」

 

「なら、その二つの問題を妹さんに話してみたらどうかな?」

 

「そ、それは……絶対に怒ると思います」

 

「怒るだろうね。だけど、さっき君は妹さんを自慢の妹だと言っていた。なら、誠心誠意話して説得するのも良いんじゃないかな?」

 

「……説得ですか」

 

 出来るだろうか?

 これまでの事からりそなが才華様に、複雑な感情を抱いてるのは間違いない。

 ふと気がついた。確かにりそなは複雑な気持ちを抱いているが、決して嫌っている訳では無い。

 実の父親である桜小路遊星では反発が出てしまうかも知れないけど、僕ならもしかしたら説得出来るかも知れない。

 無論、説得に失敗するかも知れないが、誠心誠意頼んでみよう。

 才華様達はりそなに隠しておくつもりのようだが、此処まで周囲の状況が悪くなって来てしまっている。

 お父様もりそなに仕事を押し付けられて、身動きが取れない筈だ。

 なら、僕が何とかしてみよう!

 

「ありがとうございます! 少し迷いが晴れました!」

 

「それは良かった……君にはやっぱり暗い顔よりもそっちの顔の方が似合っている」

 

「えっ?」

 

「じゃ、また何処かで」

 

 男の人は手を軽く上げて去って行ってしまった。

 ……親切にしてくれたのに、名前を聞くのを忘れてしまった。

 今度会ったらもう一度お礼を言って、名前を教えて貰おう。

 僕は公園から出て、メリルさんの仕立て屋への帰路についた。

 

「……本当にいやがった。大蔵遊星」

 

 

 

 

 夜。メリルさんの仕立て屋での勉強会が終わった後。

 僕とりそなは部屋へと戻り、夕食を取っていた。

 出来るだけりそなの機嫌を良くする為に、夕食は全てりそなの好物を振る舞った。

 あからさまに機嫌を取ろうとしている事を察したりそなは、不審の目を向けて来ていたが、それでも美味しかったのか喜んで食べてくれた。

 そして、遂に僕は……桜屋敷で起きた出来事を全て語った。

 

「あの甘ったれええええええっ!?」

 

 案の定、話を聞き終えたりそなは頭を抱えながら叫んだ。

 

「女装して学院に通う!? 何でそんな非常識な事を!?」

 

「いや、りそな。僕らが言えた事じゃないよ。一番最初に始めたの僕らだし」

 

「こっちとあっちじゃ全然違いますよ! 妹は妹一人で準備を頑張ったんですよ! なのに、あの甘ったれは選りにも選ってルミネさんをとんでもない事に巻き込んで! ああっ! こんな事実がお爺様にバレたら、桜小路家と大蔵家の間で争いが起きてしまう! せっかく、アメリカの下の兄が頑張って大蔵家を纏めたのに!? だから、現実を知らない甘ったれなんですよ!! 上の兄もなんて事に手を貸しているんですか!?」

 

「多分だけど、お父様はルミネさんが接触した相手の事までは知らないんじゃないのかな? 今、りそなが押し付けた仕事で忙しいだろうし」

 

「くぅっ! 下の兄との幸せな一か月の生活の為でしたけど、まさか、こんなどんでん返しが待っているなんて思ってもいませんでした……どうしてくれようか、あの甘ったれ」

 

「……その事だけど、りそな。才華様がやろうとしている事を見逃して欲しいんだけど」

 

「はぁっ? いや、このままだと本当にヤバいんですよ。早急にあの甘ったれの行動を止めさせないと、桜小路家が潰されます。幾らルナちょむでもお爺様には勝てませんよ」

 

「うん。分かってる。だけど、才華様はどうしてもフィリア学院に通いたがっていた。その理由までは聞く事が出来なかったけど、きっとルミネ様はその理由を聞いたんだと思う」

 

 ルミネ様は規則を大事にする方だ。

 それなのに規則に反するような事に手を貸そうとしている。

 何か納得出来るほどの理由を、才華様は示したのだろう。

 

「甘いですね、下の兄。どうせあの甘ったれの事だから、ルミネさんに甘えたに決まっています。自分の方が年上のくせに、年下のルミネさんに甘えるなんて……あぁ、頭がゴチャゴチャして来ます」

 

「りそなが怒るのは分かるよ。でも、その気持ちを蔑ろにするようになるかも知れないけど、才華様に一度だけチャンスを与えてくれないかな。それを叶えてくれるなら、僕はりそなの提案にも従うし、学院を卒業した後はりそなのパタンナーになっても構わない」

 

「……ずるいです」

 

「うん。ずるいよね。慰めてくれたのに、こんなりそなを裏切るような事を言う僕なんて」

 

「そういう意味じゃありません」

 

「えっ?」

 

 りそなは真剣な顔をしながら、僕の手を取って見つめて来た。

 

「先に言っておきます。私にとっての人生とは、貴方を、大蔵遊星を幸せにする事と同意義です。そしてアメリカの下の兄が幸せになった事で、私の人生はある意味で終わっていました」

 

「そんな事は無いんじゃないかな。りそなにはりそなの人生があるんだから」

 

「いえ……周りの人達は、私を『最も華やかな道を歩いている女性』と言いますが、妹はずっと空虚さを抱えていました。妹が本当に欲しかったのは、大蔵家の当主の座ではありません。下の兄と共に過ごす日々です」

 

「……りそな」

 

「私が貴方の頼みを断る事は出来ない。たとえ世界が違ったとしても、貴方がこの世界に来てしまうような出来事に導いた提案を出したのは、妹です。だから、貴方にもアメリカにいる下の兄同様に幸せになって欲しい。妹、その為ならどんな理不尽でも我慢します。複雑なあの甘ったれの行動も見逃しましょう」

 

「……ありがとう」

 

 本当に目の前の人は、僕には過ぎた妹だと思う。

 何時かこの妹に、僕は恩を返したいと心から思った。

 

「とは言っても、あの甘ったれは許しません。目的はショーに出る事らしいですから、そのショーで無様な結果を出したら、即刻アメリカに送り返してやります。まぁ、納得出来る成果が出た時は、そのまま通う事も一考して上げますよ」

 

「本当にありがとう、りそな」

 

 心から僕はお礼を言った。

 僕の顔を見たりそなは顔を真っ赤にして、急にソッポを向く。

 

「や、止めて下さい。お礼なんて……第一、貴方は良いんですか? 事前に私があの甘ったれのやろうとしている事を知っていたら、貴方が疑われますよ」

 

「構わないよ。才華様達に嫌われるのは確かに残念だけど。それよりも僕はりそなに嫌われたくないからね」

 

「……こ、これはもう我慢出来なくなりそうです……し、下の兄! 『なっつぁん』! 『なっつぁん』を買って来て下さい!」

 

「えっ? 良いの? 夜はあんまり出歩いたら駄目って言ってなかったっけ?」

 

「いやいや! 今ちょっと一人で冷静にならないと不味いので! 早く行ってください!」

 

「う、うん。分かったよ」

 

 りそなの指示に従い、僕はコートを着て夜のパリの街へと出て行った。

 

 

 

 

 パリの夜の街はやっぱり暗かった。

 この街に来てからは、ずっと夜は出歩かないようにりそなに言われていたので、尚更にそう感じるのかも知れない。

 暗い夜道はちょっと怖いから早めに買い物を終わらせて戻ろう。

 

「よし。ちゃんと買えた」

 

 この時間でもやっている店を見つけたので、目当ての『なっつぁん』を手に入れる事が出来た。

 もしも無かったら、自販機を探す羽目になっていたので見つけられて良かった。

 りそなが待っている部屋に戻ろうと夜道を進んで行く。

 

「……ん?」

 

 一瞬誰かに見られているような視線を感じた気がした。

 立ち止まって周囲を見回してみる。

 ……誰もいない。

 気のせいだったのだろうかと思いながら、足を前に進めようとする。

 一歩前に踏み出そうとした瞬間、何かが足に絡みついてきて、もつれてしまった。

 

「うわっ!」

 

 突然の出来事に僕は対処出来ず、地面に倒れてしまう。

 一体何がと思って足の方を見てみると、左右に重しのような袋が紐で結ばれた物が僕の足に絡まっていた。

 

「…な、何が?」

 

「……大蔵遊星」

 

「えっ?」

 

 背後の暗がりから、僕の名前が呼ばれた。

 小倉朝日ではなく、本当の名前である大蔵遊星の名を。

 一体誰が!?

 ……いや、違う。僕は今の声を知っているような気がする。

 

「言った筈。暗い夜道には気を付けろって。まぁ、お前が知っている私が言ったか知らないけれど」

 

 声の主は言い終わると同時に、暗がりから飛び出し僕の口や鼻に手早く濡れたハンカチを押し付けて来た。

 ハンカチから漂って来る匂いで意識が薄れていく中、僕はこの声に聞き覚えがある事を思い出した。

 ……まさか……この人は。

 

「本当は連れて行きたくないけど、お嬢様が探しているから連れて行く。まさか、見つけた初日でチャンスが来るとは思ってなかった」

 

 ……間違いない。

 ……この人は……な……。

 

 

 

 

「……本当にゆうちょだ」

 

「あぁ、朝日! また、貴方に会える日が来るなんて! この髪の毛はウィッグじゃなくて地毛なの!」

 

「お嬢様。余り弄られてはいけません」

 

「でも、北斗! この手触りは凄いわ!」

 

「うわっ! 本当だ! 凄いサラサラ! 私よりもサラサラかも。男でこの髪って、羨まし過ぎ」

 

「湊様に髪の毛を弄って貰えるなんて……やっぱり大蔵遊星は七愛(なない)の敵」

 

 ……聞き覚えのある声が聞こえた気がする。

 僕が知っている皆よりも声がちょっと変わっているけど、懐かしいと思える声が。

 

「おや、気がついたようですね」

 

 ゆっくりと目を開けてみると、最初に目に映ったのは天井の灯だった。

 急な眩しさに目が痛くなりながら体を起こす。

 

「……えっ? 嘘。ごめん。凄い起き方が綺麗に見えたんだけど」

 

「正直私も湊様に同意見です。聞いてはいましたが、此処まで腕を上げていたとは」

 

「あぁっ! 素敵よ! 朝日!」

 

「キモ。男のくせして」

 

 ……やっぱり聞き覚えのある声が耳に届いて来る。

 今だ覚醒し切らない頭に悩まされながら、声の聞こえた方に顔を向けてみる。

 其処には、僕が良く知っている四人に良く似ている人達が立っていた。

 

「……湊?」

 

「うん!」

 

 僕が知っている湊よりも歳を得ているが、あの元気な幼馴染である柳ヶ瀬湊。

 

「……瑞穂様?」

 

「そうよ! 朝日! あぁ、本当に会えるなんて!?」

 

 大和撫子然とした黒髪の女性は、間違いなく花乃宮瑞穂様。

 

「……北斗さん?」

 

「君には久しぶりと言うべきなのかな?」

 

 瑞穂様の付き人で緑色の髪をした女性、杉村北斗さん。

 今は男装を止めたのか、女性らしい服装を着ているが凛とした佇まいは変わっていない。

 

「……七愛さん?」

 

「出来れば会いたくなかった」

 

 不機嫌さに満ちた顔をして僕を見ているのは、湊の付き人をやっていた名波七愛さん。

 四人とも答えてくれた。

 どうやら本当に湊、瑞穂様、北斗さん、七愛さんらしい。

 ……って!?

 

「ええええええっ!?」

 

 何で皆が此処にいるの!?

 いや、それよりも此処は何処だろう!?

 僕は確かパリの夜道を歩いていたらいきなり襲われた筈。

 それで今、僕がいるのは何処かの高級ホテルの一室のようだ。

 

「いや~、ごめん。ゆうちょ。七愛が気絶させてたらしくて。いきなり気絶したゆうちょを背負って戻って来た時は、本当に驚いたよ」

 

 原因判明!

 やっぱり、あの時の声は七愛さんだった!

 つまり、僕を襲撃した犯人は七愛さんだ! そう言えば最初に会った時の自己紹介で夜道での投擲が得意とか言っていた気がする!

 当人はしれっとした顔で僕を見ているけど。

 

「あんなに警戒心もなく夜道を進んでいる事の危なさを、七愛は体で教えただけ」

 

 ……いきなり背後から物を投げつけられて地面に倒され、薬を染み込ませていたハンカチを押し付けられた記憶しかないんですけど。

 いや、それよりも問題は。

 

「……あ、あの?」

 

「何ゆうちょ?」

 

「……湊。僕の事を知っているの?」

 

「うん。ルナから聞いた」

 

 ルナ様からの刺客だ!

 りそなから聞いた時は冗談だと思っていたけれど、本当に刺客が来たよ!

 

「最初に聞いた時は、ルナが可笑しくなったんじゃないかと思ったんだけど、こうしてもう一人のゆうちょが本当にいるんだから驚きだよね」

 

「驚きじゃ済まないと思うけど」

 

 普通に物語の世界の話だ。

 それが現実に起こってしまっているのだから。寧ろ湊の最初の反応の方が正しい。

 

「私も最初は信じられなかったけど、ルナから見せて貰った写真で、もしかしたらと思って」

 

「写真?」

 

 何だろう?

 凄く嫌な予感がする。そう言えば何処かでその類で嫌な事があったような。

 思い出したくない事を思い出してしまいそうで頭を悩ませていると、瑞穂様が鞄から四角い額縁を取り出した。

 

「これよ。依頼を受ける時に暫らくの間、貸してってルナにお願いしたの」

 

「そん時のルナの顔は凄かったよね。断腸の思いだって伝わって来るぐらいに、苦しい顔をしていたし」

 

 瑞穂様と湊が何かを言っているが、僕はそれどころでは無かった。

 渡された額縁に飾られている写真。

 桜屋敷の木々を寂しげな顔で見上げているメイド服の黒髪の女性。

 小倉朝日としての僕の姿。

 ……思い出した。いや、思い出したくなかった!

 『晩餐会』でお父様が大蔵家の方々に見せた写真って、此れの事だ!

 

「でも、その写真って綺麗だよね。ちょっと悲しそうだけど」

 

「これはコレで良いと思うわ。朝日の魅力が出ているもの」

 

 湊と瑞穂様が何か言っているけど、気にしていられない。

 今何よりも僕が優先すべき事は、一つしかない。

 

「……北斗さん」

 

「何かな、朝日?」

 

「ライターとか、燃やせる物は何かありますか?」

 

「……何の為に必要なのかね?」

 

「……写真を燃やします」

 

「だ、駄目よ! 朝日!!」

 

 瑞穂様は僕の手から写真を取り戻そうと手を伸ばして来るが、僕は必死に胸に抱いて奪われないようにする。

 

「お願いですから、処分させて下さい! 瑞穂様! こんな恥ずかしい写真なんて消したいんです!!」

 

「恥ずかしくなんてないわ! こんなに綺麗だし。やっぱり、朝日は素敵だわ!」

 

「……全然、嬉しくないです」

 

「って言うかさ、その写真焼いても意味無いと思うよ。聞いた話だと、ゆうちょのお兄さん。壁一面に広がるほどの写真を大蔵家の人に見せたって話だから」

 

 ……今、湊は何と言っただろうか?

 壁一面に広がる僕の写真を見せた?

 つまり、今僕の腕の中にある写真よりも遥かに大きな写真に写った女装姿の僕を、大蔵家の方々に見られた?

 ……何の冗談なのだろうか?

 固まってしまった僕の腕の中から、瑞穂様が写真を引き抜く。

 取り返すという気力さえ湧かないほどの、事実が僕に圧し掛かって来た。

 

「……ウゥ……何でそんな事に……」

 

「いや、アメリカにいるゆうちょも倒れたそうだよ」

 

 それは倒れるよね!

 本当に桜小路遊星様に会ったら、先ず謝罪しないといけないよ!

 

「でも、良かったわ、朝日。もしも貴方がこの写真の朝日のままだったらって、心配もしていたから」

 

「確かに。瑞穂様と同じく心配していましたが、今の君は元気を取り戻せているようだ。本当に良かった。これも妹さんのおかげかな」

 

「は、はい……りそなのおかげで服飾に戻れる勇気が湧きました」

 

「あっ! 服飾に戻るんだ! 其処は結構心配していたんだよね。ルナから、朝日が服飾を捨てるほどに追いつめられているって聞いていたからさ」

 

「ルナ様が?」

 

 何故ルナ様が其処まで知っているんだろう?

 もしかして八十島さんが伝えたのだろうか?

 

「本人はサーシャさんから聞き出したって言っていたけど」

 

 瑞穂様の言葉で疑問が晴れた。

 僕と別れた後に、ルナ様達に捕まってしまったんだろう。

 今度会えた時にお礼と謝罪をしなければならない。

 とは言え、こんな形で皆と出会うとは思ってなかった。これで後、会っていないのはユルシュール様だけだ。

 でも、これ以上此処にいる訳には行かない。壁に掛かっている時計を見ると、大分時間が経っている。

 きっと帰って来ない僕を心配してりそなが動き出しているに違いない。急いで連絡を取らないと。

 コートの中に仕舞ってある携帯を取り出す為にポケットに手を伸ばしていると、七愛さんの声が聞こえて来る。

 

「はい。目標を確保しました……分かりました。すぐに代わります」

 

 七愛さんは持っていた携帯を僕に差し出して来た。

 ……これ、僕の携帯だよね?

 何で七愛さんが平然と使っているんだろう。

 

「電話」

 

「は、はい。誰からだろう。もしもし」

 

『やぁ、朝日』

 

「ッ!?」

 

 全身が固まった。

 分かっていた。此処に懐かしい桜屋敷の面々が揃っている時点で、この方が関わっている事は。

 

「……ル……ルナ様」

 

『そうだ。この場合、初めましてだろうか……いや、君と私との間で今の言い方は私が嫌だ。だからこう言わせて貰う。久しぶりだな、朝日』

 

「……お久しぶりです、ルナ様」

 

 覚悟はしていたけど、遂に訪れてしまった。

 僕が敬愛するルナ様と同じでありながら違う、この世界のルナ様と会話する時が。




今回の顛末は二月編で明らかになります。
真面目にある程度、ルナ様側も説得していないと朝日探しで抗争が始まってしまうので。

人物紹介

名称:柳ヶ瀬湊(やながせみなと)
詳細:『月に寄りそう乙女の作法』のヒロインの一人。大蔵遊星の幼馴染で桜屋敷で唯一朝日(遊星)の正体を知っていた桃色の髪の女性。明るい性格をしていて、桜屋敷ではムードメーカーを務めていた。実家は運送会社を営んでいる。遊星に恋して服飾学校にまで入学したが、残念ながら失恋に終わった。現在はルナの会社で営業部長をしている。朝日の存在を聞いた時は、ルナが可笑しくなったと思っていた。

名称:花乃宮瑞穂(はなのみやみずほ)
詳細:『月に寄りそう乙女の作法』のヒロインの一人。実家は華族で八百年の歴史を持つ花之宮家。大和撫子然とした黒髪の女性。温厚な性格だが芯は強く、やや天然なところがある。大の男嫌いで学生時代は、男に近づかれるだけで怯えて喋れなくなるほどだったが、『小倉朝日(桜小路遊星)』と接触を重ねて行く内に症状が緩和した。朝日の事は身分を超えた親友と思っている。ルナほどでは無いが、朝日の事が友人として好き。その為に、朝日の最新の写真を何とか手に出来ないかとルナと交渉中。現在は着物デザイナーとして活躍している。

名称:杉村北斗(すぎむらほくと)
詳細:瑞穂の付き人である緑色の髪の女性。学生時代は、瑞穂の男性嫌いを治す為に男装をしていたが、現在は普通に女性服を着ている。嘘をつかない部族であるブラックホーク族と大自然の中で暮らしていた事があるらしい。サーシャとは敵対関係にあったので、学生時代はレイピアやトマホークのぶつかりが日常的に起こっていた。

名称:名波七愛(ななみなない)
詳細:学生時代は湊のメイドをやっていた。元々は湊の同級生だったのだが、色々と悲惨な目にあっていたところを湊に救われ、間違った愛情を抱くほどになってしまった。
その為に湊が好きだった大蔵遊星に対しては、殺意を抱き、好かれていた朝日まで嫌っていた。だが、ルナと桜小路遊星が結ばれた後は殺意を抱く事は無かった。
しかし、まだ誰とも結ばれていない朝日に関しては別。もしも朝日が湊に手を出した場合は、夜道は背後を気を付けなければならなくなるだろう。

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