月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回から二月編です!
結構難産でした。
アフターアフターのルナ様で行こうか、それとも乙女理論の方のルナ様で行こうか悩み、こんな形にしてみました。

皆様、感想、お気に入り、評価ありがとうございます!

烏瑠様、獅子満月様、kcal様、誤字報告ありがとうございました!


二月編
二月上旬(遊星side)1


side遊星

 

 フランスのパリ。

 以前この地を離れる時は何の感慨も浮かばなかったのに、今は離れるのが寂しく感じる。

 僅か一か月だけど、パリでの生活は楽しかった。そう思えた事が、僕は嬉しかった。

 

「朝日さん」

 

 空港のロビーで、僕は一か月の間、アトリエを貸してくれたメリルさんと別れの挨拶をしていた。

 

「メリルさん。色々とありがとうございました。昨日までのメリルさんとの服飾の勉強は本当に楽しかったです」

 

「此方こそ楽しい毎日でした。また、パリに来た時は来て下さい」

 

「はい。パリに来た時は、必ずメリルさんのお店に寄らせて貰います」

 

 僕とメリルさんは再会の約束を交わした。

 必ずまたパリに来よう。その時に僕の服飾の腕を、もう一度この人に見て貰おう。

 互いに笑みを浮かべながら握手をしていると、湊と話をしていたりそながやって来た。

 

「朝日。アメリカでは気を付けて下さい」

 

「分かっています、りそな様」

 

「……いい加減、私に様付けは止めて欲しいんですけど。貴方はもう使用人じゃないんですから。大蔵家の一員ですよ」

 

「も、申し訳ありません。どうしても癖で思わず」

 

「メリルさんはさんづけなのに、何で私は様なのか」

 

 ごめん、りそな。

 朝日として話していると、目上の人相手だと思うと様がついちゃうんだよ。

 メリルさんには目上の人って感じがしないからさん付けで呼べるんだけど、りそなには使用人として仕えた事があったから。遊星なら呼び捨てに出来るんだけど、呼んじゃうと、そのまま口調が遊星になっちゃう気がするし。

 悪いけど僕が慣れるまで我慢して。

 

「ミナトンにも頼んでおきましたけど、本当に気を緩めないで下さいよ。正直信じ切れない部分がありますから」

 

「大丈夫ですよ、りそな……さん。ルナ様は私をそのまま屋敷に置いたりなんてしたりしませんよ」

 

「甘いんですよ、貴方は。ルナちょむの朝日への執着心を知らないから。あ~、何でしょうね。腹を空かせた虎の巣に何も知らない小鹿を送る気分です。ミナトンもそう思いますよね?」

 

「ハハハッ……ノ、ノーコメントでお願い」

 

 湊、それだけで不安になるよ。

 そんなにこの世界のルナ様の朝日への執着心は凄いのだろうか?

 でも、この前電話で話した時は、そんな感じは受けなかったんだけど。

 あの日、懐かしい人達と再会し、この世界のルナ様と、そして桜小路遊星様と会話した時の事を僕は脳裏に思い出す。

 

 

 

 

「……お久しぶりです、ルナ様」

 

 覚悟はしていたつもりだった。

 だけど、声が震えるのを隠す事は出来なかった。周りにいる湊達も、僕の様子に押し黙っている。

 もしかしたら声だけではなく、身体も震えているのかも知れない。

 

『怖がらなくて良い、朝日。私は君と会話がしたいだけだ』

 

「……はい、ルナ様」

 

『……君の事情はサーシャから聞き、壱与にも確認して把握している』

 

「ルナ様……八十島メイド長が私の事を隠していたのは、私が頼んだからです。ですから、どうかその件で八十島メイド長を責める事だけはお止め下さい。もしも罰が必要だと言うなら……私が罰を受けます」

 

『いや、罰を与えるつもりはない。確かに壱与が君の存在を隠していたのは驚いた……と言うよりも愕然としたが、君の精神状態が其処まで追い込まれていたからの判断だ。彼女に何らかの処分を下す予定はない』

 

「ありがとうございます、お優しいルナ様」

 

 あぁ、世界が変わってもこの方の優しさは変わっていない事に安堵を覚えた。

 実感が湧いて来る。今、僕は世界は違っても敬愛したルナ様と会話していると言う実感が。

 だけど、この実感に浸ったら駄目だ。電話の先のルナ様は、僕が敬愛したルナ様とは別人なんだから。

 

「それで……本日はどのような用件でお電話をなされたのでしょうか?」

 

『ふむ、では、率直に言わせて貰う。朝日、君と直接会って話がしたい。アメリカの屋敷に来て貰えないか?』

 

「話……ですか?」

 

『そうだ。サーシャや壱与から事情は聞いたが、やはり君と直接会って改めて話が聞きたい』

 

「……分かりました」

 

 僕自身一度ルナ様に、会わなければならないと思っていた。

 未だに理解出来ない部分もあるが、朝日を巡って大蔵家と桜小路家が争う可能性があるらしい。

 四月にはフィリア学院に入学しないと行けない。才華様の事もあるから、余り他の事に気を取られたくはない。

 ……と言うよりも、まかり間違って才華様が女装してフィリア学院に通っている事がルナ様や桜小路遊星様に知られるのは不味い。

 特に桜小路遊星様は僕の件でかなり精神的に辛い目にあった。この上で、息子が自分と同じように女装して学院に入学するなど知ったら、今度は気絶では済まないかも知れない。

 僕も聞いた時は涙が止まらなかったから、ある程度療養期間は必要だ。

 何よりも僕の件で迷惑を多大にかけただけに会ったら必ず謝罪しようと思っていたんだから、自分から会いに行くべきだろう。

 ……そう思えるようになっている事に、僕は驚いた。

 あれだけ会うのを怖がっていたのに、今は自分から会いに行きたいと思えるようになっていたんだから。

 電話の先にいるルナ様も、僅かに驚いたように声を上げた。

 

『ほう……なるほど、イギリスの時と違って私達から逃げる気はないという事か』

 

「……あの時は申し訳ありませんでした……ですが、あの時の私ではきっと貴女に会えば縋ってしまいそうでした。それは私の敬愛するルナ様と、貴女に対する侮辱だと思っていたんです」

 

『……確かに私も君の事情を知る前は、君と私の朝日を混同していた部分があった。だが、今は新たに関係を始めたいと思っている。その為にもアメリカに来て貰って話がしたい』

 

「……行くのは構いませんが、りそな様の休暇が終わるまでお待ち下さい」

 

『……そ、それは後どれぐらいだ?』

 

「後20日ほどになります」

 

『は、20日か……すぐに会いたいが……流石にそれは我儘か。うん、分かった。それまでに君を迎える準備をしておこう』

 

「ありがとうございます、ルナ様」

 

 心の底から貴女に感謝します。

 どのような形だとしても、貴女に会える機会があるのですから。

 そう言えば。

 

「あの……不躾なお願いですが、其方に桜小路遊星様はいらっしゃるでしょうか?」

 

『夫なら私のすぐ横で話を聞いている。八千代もだ』

 

「……では、遊星様と電話を代わって頂けないでしょうか?」

 

『分かった』

 

 電話越しから電話が渡される音が聞こえて来る。

 ……落ち着け。正直心臓がドキドキしているけど、向き合わないといけない相手なんだ。

 

『……え~と、初めましてで良いのかな?』

 

 イギリスでも聞いた声に、息が詰まりそうになった。

 今、電話先には間違いなく、僕が超えようと思った、この世界の僕である桜小路遊星様がいる。

 

「そ、そうですね……変な感じではありますが……初めまして桜小路遊星様……私は……いえ、僕は大蔵遊星。別の世界での貴方です」

 

『……君の事を聞いた時は驚いたけど、その君は?』

 

「はい。七月に正体がバレてしまい、僕は桜屋敷を追い出されました」

 

『……辛かった? いや違うよね。辛かったよね』

 

「はい。貴方にも分かるでしょうが、僕にとって桜屋敷での日々は幸せな毎日でした。あの日々がずっと続いてくれればと願ってもいました。だから、その日々を過ごし続け、ルナ様と結ばれた貴方の事を知った時は……嫉妬を覚えなかったかと聞かれれば……覚えました」

 

 最初に会話するのが電話で良かった。

 直接会っていたら、罪悪感できっと今から言う事を伝えられなかったと思うから。

 謝罪は直接会った時に。

 今は……。

 

「フィリア・クリスマス・コレクションでルナ様が着た衣装を見た時、僕は……貴方には勝てないと思っていました。僕にはあんな衣装は作れない。だから、服飾の夢も捨てて小倉朝日になることで逃げました。貴方と比べられたくないから」

 

『………』

 

「でも、先日りそなに貴方があの衣装を作った経緯を聞いて……悔しいと思いました。ただ逃げていた私と違って、貴方は希望を捨てずに前を向いて進んだ。本当に心の底から悔しいという気持ちで一杯でした……だから、僕は……貴方に挑んで超えようと思い、また服飾を始める事にしました」

 

 ……自分で言っておいて変な感じだと思う。

 だけど、此れが今の僕の偽りない気持ちだった。

 

『……良かった。また、服飾を始めるんだね? 本当に良かったよ』

 

 思わず苦笑が出てしまった。

 電話越しから聞こえて来た声には、心から安堵していると分かる声と嬉しさが溢れていた。

 何となく分かっていた。桜小路遊星様なら、いや、僕ならきっと同じ言葉を言うと思っていたから。

 

「やっぱり、変な感じですね」

 

『うん。確かに……でも、君は僕じゃない』

 

「はい、貴方は僕じゃない」

 

 同じ道を進みながらも、僕らは道が違った。

 その時点で桜小路遊星には僕は成れない。きっとこれからも時々彼に嫉妬を覚えてしまう時があるかも知れない。

 だけど、もう僕は逃げない。また、歩みを止めてしまうかも知れないけど、それでも今度は逃げない。

 必ず前を向いて歩いて見せる。

 

『会えるのを楽しみにしてるよ』

 

「その時は申し訳ありませんけど……小倉朝日として会う事になると思います。本当に申し訳ありませんけど」

 

 これだけは本当に申し訳なく思う。

 彼にとっては女装姿の自分は黒歴史の類だろう。でも、僕は小倉朝日を暫くは止める事は出来ない。

 ……本当に直接会った時は必ず謝罪しよう。それしか僕には出来ないけど。

 

『か、覚悟はしておくよ……後、聞きたいんだけど、『晩餐会』でお兄様がやった事を君は最初から知っていた?』

 

「知りませんでした……後から聞かされて、気絶しそうになりました」

 

『だ、だよね。お兄様も事前に教えてくれていたら良かったのに』

 

「あ、あの余り……お父様の事は怒らないで欲しいです。あの時の僕は、貴方に会う勇気がなかったんで……それを配慮してくれていたんだと思いますから……多分ですけど」

 

『お父様って……ああ、君はあの頃の七月頃までのお兄様しか知らないんだよね。それじゃ』

 

「はい、どうしても僕の知っているお兄様とあの人が同一人物だとは思えなくて。立場的な事もありますから、今後もお父様と呼ぶ事にしています」

 

『……何があったか聞きたい?』

 

「いいえ。それはお父様が僕自身を見てくれた時に教えてくれると約束してくれましたから。その時にお父様自身の口から聞きます」

 

 お父様が変わった件の直接の当事者である桜小路遊星様に聞けば、当時の事が分かる。

 だけど、僕はお父様の口から聞きたいと思っている。

 これもやり遂げたいと思っている事の一つだ。だから、彼の口からは聞くつもりはない。

 

『うん。分かったよ。お兄様は簡単に認めてくれないと思うから……頑張って』

 

「頑張ります。やる気マンゴスチンです!」

 

 僕達は互いに笑いあった。

 あんなに会話するのが怖かったのに、こうして電話越しとは言え、会話出来るのが楽しかった。

 こんな気持ちを抱けるようになったりそなには、感謝しかない。

 

『それじゃアメリカで』

 

「必ず会いましょう」

 

 桜小路遊星様との会話が終わり、またルナ様に代わった。

 

『では、朝日。私もアメリカで君に会えるのを楽しみにしているよ』

 

「はい、ルナ様。必ず参ります」

 

『うん。では』

 

 電話が切れた。同時に心地よい満足感が胸に湧いて来た。

 急な形だったけど、ルナ様と、そして桜小路遊星様と会話する事が出来たのが嬉しかった。

 少し前の僕だったらきっと無理だっただろう。でも、今はあの方達と向き合っていけると言う確信が湧いて来た。

 胸の内から湧いて来る気持ちに浸っていると、瑞穂様が僕の前にしゃがんで手を握ってくれた。

 

「瑞穂様?」

 

「ごめんなさい、朝日。私、貴方の事を何処かで、私が知っている朝日と同じように考えていた」

 

「あ、あの瑞穂様? 私に触っても大丈夫なのですか?」

 

「うん。もうあの頃と違って男の人に触れても大丈夫だよ」

 

「良かったです」

 

「それで朝日。私もこれからは貴方自身を見るように頑張る。だから、また初めからやりましょう。私とお友達になって」

 

「い、いえ、あの身分が違いますから」

 

「いいえ。今の貴方は使用人じゃないんだから。私とお友達になる事は最初から出来るわ」

 

「あ……」

 

 言われて気がついた。

 確かに僕はもう使用人じゃない。朝日としてもだ。大蔵衣遠の子という立場に、今の僕はいるんだから。

 花乃宮家の瑞穂様と友達になる事に、何の問題もない。

 

「ほら、これだけでも私の知る朝日とは違うでしょう。だから、朝日」

 

「……ありがとうございます、瑞穂様」

 

「様はいらないのに」

 

「な、慣れるまでは我慢して貰いたいです」

 

 流石に今すぐに瑞穂様を呼び捨てにするのは、僕には無理だ。

 ルナ様ほどではないが、僕には瑞穂お嬢様にも騙していたと言う罪悪感があるから。

 

「で、出来るだけ、早く呼べるようにしますから」

 

「うん!」

 

 瑞穂様は嬉しそうに微笑まれた。

 その微笑みに、やっぱりこの方が僕が知る瑞穂お嬢様の成長された姿なのだと感じられた。

 ゆっくりと瑞穂様に促されて、僕は床から立ち上がる。

 

「瑞穂様がお認めになられたのなら、私からは何も言う事はない」

 

「北斗さん」

 

「ただ、私は嘘が嫌いでね。事情があるとは言え、今後も性別を偽り続けなければならない君を友とは認められない」

 

「……はい」

 

 覚悟はしていた。

 僕の正体を知って受け入れてくれる人もいるだろう。そして受け入れてくれない人がいる事も。

 北斗さんは受け入れてくれない側だった。

 ……悲しくないと言えば嘘になるが、それでも僕の正体を明かさないでいてくれるように頼むしかない。

 そう、決意して口を開こうとする。

 

「北斗さん、図々しいのですが……」

 

「何せ君の今の立場は大蔵衣遠の娘という立場でもあるから、私如き従者が友でいるのも不味い」

 

「……えっ?」

 

「君があの穢れた文明人と同じ立場になってしまった事は残念だが、君も好きで偽りを述べている訳じゃないのだろう?」

 

「は、はい」

 

 戻れるんだったら、すぐにでも髪を切って男に、遊星に戻りたい。

 だけど、大蔵家の方々に朝日として大蔵家の一員として認められてしまっているだけに、遊星に戻る事は出来ない。

 居場所を作ってくれたお父様には感謝しかないけど、せめて男子として紹介して貰いたかった。

 

「君が思い悩んで女装をしていたという事実は認識出来ている。だから、私も君の今の立場で接した方が良いと思う」

 

「北斗は相変わらず真面目なんだから」

 

「いえ、嬉しいです」

 

 今の僕の立場を思って行動してくれる北斗さんには感謝しかなかった。

 ……ただその立場を思うと凄く悩んでしまう。

 余り考えないようにしていたけど、今の僕の立場ってお父様の娘なんだよね。

 今まで使用人としてしか人と接触してなかった僕に、ルナ様やりそなのようなお嬢様としての演技が出来るんだろうか?

 いや、それよりも何よりも僕は男なんだけど。

 急に思い悩み出した僕に、北斗さんが話を再開する。

 

「これからも悩むだろう君に、この言葉を捧げましょう。『怒りは力を生む。しかしその力ではバッファローは倒せない。許しは己の意思を曲げる。しかし、その力は大地をも揺るがせる』」

 

「良い言葉ですね」

 

「そしてこの踊りも捧げましょう。アワワワワワワ! ポゥ!」

 

「素敵な踊りですね」

 

 踊り出した北斗さんを僕と瑞穂様は、楽しく眺めていた。

 そんな僕の肩を、湊が叩いて来る。

 

「アハハハハッ、朝日……私はちょっと待っていてね。出来るだけ朝日とゆうちょを混同しないようにしたいんだけど」

 

「湊……」

 

 苦笑いをする湊の様子から、僕は察した。

 そうだ。湊は僕が好きだと言っていた。でも、桜小路遊星様はルナ様と結婚している。

 つまり、湊は……。

 

「あっ、その申し訳なさそうな目は止めてよね。ルナとゆうちょの事は、私もちゃんと納得しているし、今じゃ良い思い出になっているんだから」

 

「ご、ごめん!」

 

「まぁ、朝日も知っているからしょうがないよね……うん。私フラれちゃった。あ、だけど、その気持ちを朝日に向けたりはしないから。ゆうちょはゆうちょ。朝日は朝日って、考えられるようになるから……だから、はい」

 

 湊は僕に手を差し出して来た。

 

「これからまた始まり。宜しくね、朝日」

 

「ありがとう……湊」

 

 差し出された手を僕は握り返した。

 本当に桜屋敷にいた人達は、世界が違っても良い人ばかりだ。

 ……ん?

 

「湊様と手を握り合っている? やっぱり大蔵遊星は七愛の敵? いや、まだ分からない。でも、湊様に不純な行為を行なおうとしたら……覚悟は出来ているんだろうな? 今日は気絶させて運ぶだけで済ませたけど、次は気絶じゃ済まさないぞこのダボが!」

 

 この人だけは絶対に油断できない。

 パリに湊がいる間は、余り触れたりする接触は控えよう。

 湊からして来そうで怖いけど!

 

「そ、そう言えば皆さんはこれからどうするんですか? やっぱり私を見つけたから戻るのでしょうか?」

 

「いや、それがさ。まさか、こんなに早く見つけられるなんて思ってなかったから期間がまだ残っているんだよね。後でルナに確認してみるけど、多分朝日を連れて来いって言われるだろうから、こっちにまだ残ると思う」

 

「私も。今は落ち着いているから、パリに残って朝日との友情を深めるね」

 

「よっしゃ! じゃあ、明日は皆でパリを観光しようぜ!」

 

「楽しんで来て下さいね」

 

「朝日も行くの!」

 

「……すみません、湊様。本当に今の私には観光を楽しんでいる余裕なんかないんです」

 

「ふぇ、何かあったの?」

 

 急に暗くなった僕に、湊が質問して来た。

 僕は自分の現在の服飾の技量を説明した。部屋の中にいた全員が、信じられないと言う顔で僕を見つめて来た。

 

「……マ、マジで?」

 

「……はい。りそな様からも、フィリア学院に入学した頃の湊様よりはマシだと言われましたけど、自分から見ても酷くて情けなくなりました」

 

「朝日がそんな事になっていたなんて」

 

「仕方がありません瑞穂様。技術を会得するのは苦労しますが、逆に失われるのは早いものです。特に朝日は今は違いますが、弱っている時は本気で服飾を捨てるつもりだったのでしょう」

 

「代わりに上がったのが、女装の上手さとか。マジでキモイ」

 

 皆からの言葉を聞いた僕は、部屋の端の方に移動してそのまま膝を抱えて座り込んでしまう。

 

「やっぱり、私なんて……」

 

「暗ッ!? えっ? 本当にこれがゆうちょと話していた時の朝日? やる気マンゴスチンとか言ってたよね?」

 

「今だ精神が不安定な部分があるのでしょう。自信を付ければ回復出来ると思いますが」

 

「……そうだ! 朝日。明日から私も服飾の勉強を手伝ってあげる!」

 

 座り込んでいた僕を立ち上がらせながら、瑞穂様が笑顔を浮かべて言って来た。

 

「で、ですけど、瑞穂様。せっかく仕事が落ち着いているのですから、ゆっくり休暇を堪能された方が良いと思いますが?」

 

「友達が困っているのに、観光なんて出来ないわ。朝日には元気でいて貰いたいし」

 

「じゃあ、私も手伝うね。小物とかは得意だし」

 

 ……まさか、湊に服飾を教わる日が来るとは思ってなかった。

 だけど、二人の協力は助かる。メリルさんも教えてはくれるのだけど、どうにもメリルさんは自分のイメージを相手に伝えるのが苦手らしい。

 聞いたイメージとメリルさんが伝えたいイメージが違う事があって、困っていたところもあった。技術が衰える前の僕だったら、メリルさんのイメージを掴めたかも知れないけど、今の僕には無理だ。

 りそなはデザインが専門らしいので、型紙とかは基礎しか教えて貰えなかった。それに幾らゴスロリで自分のブランドを持っていても、りそなの本業は大蔵家の方だ。

 でも、目の前にいる二人は違う。瑞穂様は今は着物デザイナーとして活躍しているらしい。湊もルナ様の下で仕事をしている。瑞穂様は言うまでもなく、湊も少なからず服飾に今も関わっているのだろう。

 瑞穂様と湊も協力してくれれば、早く僕も服飾の腕を取り戻せるかも知れない。

 

「ありがとうございます、お二方。このお礼は必ずいたします」

 

「じゃあ、私は朝日の手料理と、私が描いたデザインのモデルをお願いしても良いかな?」

 

「りょ、料理はともかく……モデルですか?」

 

「うん。実は学生だった頃に、どうしても朝日に着て貰いたいと思って描いた作品があるの。だけど、ルナの事もあったから頼み難くて」

 

「あっ! あの作品だよね! 瑞穂、まだ大切に持っていたんだ!」

 

「うん! だって、アレは朝日に着て貰いたいと思っていた服だから!」

 

「……分かりました。ど、どのような服かは分かりませんが、瑞穂様がそれを望まれるなら……き、着てみます」

 

「本当!?」

 

 目を輝かせながら瑞穂様は僕の手を握り締めた。

 そんなに僕と言うか、朝日に着て欲しかったのだろうか?

 露出が少なくて、恥ずかしいと思えるような衣装でない事を願いたい。

 でも、瑞穂様って確か、アイドルが好きな方だったから。不安だな。

 

「あの、でも着るのは瑞穂様の前だけでお願いします。流石に大勢の前では……恥ずかしいので」

 

「勿論よ! 本当は大勢の人にも見て貰いたいけど、朝日にも事情があるのは分かるから。でも、写真だけは撮らせてね?」

 

「……はい」

 

「え~、私も見たいな。じゃあ、私へのお礼はそれと、瑞穂と同じで朝日の手料理でお願い」

 

 此処まで来たら覚悟を決めよう。

 これ以上見る人が増えない事を願うしかない。

 ふと何か重大な事を忘れているような気がした。本当に何か重大な事を。忘れたりしたら、それこそ大変な事態になりかねない程に大切な事が、僕にはあった筈なのだ。

 一体何なのかと考え出すと同時に、携帯が鳴った。

 

「……」

 

 表示された番号を見た僕は、何を忘れていたのか思い出した。

 恐る恐るボタンを押し、携帯を耳に当てる。

 

「も、もしもし?」

 

『……下の兄。覚悟は出来ていますよね?』

 

 僕の妹は、非常に怒っていた。

 

 

 

 

 あの後は大変だった。怒るりそなの機嫌を何とか直して、事情を説明し、アメリカ行きの説得をした。

 当初は、僕のアメリカ行きにりそなは強硬に反対していたが、日本に戻ったら一緒に暮らす事で認めて貰えた。

 大蔵本家の本邸に住む事になるかもと覚悟していたが、一緒に暮らせる事で上機嫌になったりそなが、フィリア学院近くのマンションで暮らす手配をしてくれる事になった。本邸はどうなのかと聞いて見ると、りそなが言うには、あそこは自分の家という感じがしないらしい。

 実際に、本家の本邸にはお爺様と新しい大奥様、そしてルミネさんも暮らしている。現当主とは言え、りそなからすれば他人の家に住んでいるように感じていたんだろう。

 それからの毎日も楽しかった。湊、瑞穂様、北斗さん、七愛さんも加えてのメリルさんのアトリエでの服飾の勉強は楽しかったし、途中からユルシュール様とサーシャさんが会いに来てくれた。

 どうやら瑞穂様が連絡したらしく、僕を見て大変驚いていた。

 サーシャさんから聞いていなかったのかと疑問に思ったけど、どうやら僕の事は隠していてくれていたらしい。

 本人は、ユルシュール様の驚く顔が見たくて黙っていたと言っていた。

 でも、やっぱり皆今の生活がある。瑞穂様と北斗様は一週間経ったら日本に帰国し、七愛さんもアメリカに戻って行った。

 ……帰る時に感情のない瞳で、『湊様に手を出したら殺す』と言われた時は本当に怖かった。

 湊だけは、ルナ様からの指示で僕をアメリカに連れて行く為に、パリに残った。

 

「まぁ、大丈夫だと思うよ、りそな。あっちの朝日を迎える為の準備は、八千代が取り仕切っているようだから」

 

「あの人がですか。まぁ、ルナちょむが取り仕切るよりは信頼出来ますね。朝日の下宿先も、アメリカにいる大蔵家の人間が住んでいるところにしましたし」

 

「アレ? 桜小路家ではないのですか?」

 

「だから、それこそ飢えた虎に小鹿を与えるようなものですよ。まぁ、あの人もあの人で心配な面があるんですが、朝日がアメリカに来るなら是非とも家に来て欲しいと言ってきました」

 

「どのような方なのですか?」

 

「昔は大蔵家内での上の兄のライバルでしたが、今は自由にやっている人です。少なくともルナちょむに朝日を渡さないという点では、私と同意見ですから信頼は出来ます」

 

「大蔵家内でのお父様の昔のライバル……」

 

 そんな人がいたんだ。どんな人なんだろう?

 そう言えば、僕は結局、今のところ大蔵家の人達で顔を知っているのはメリルさんとルミネ様だけだ。

 こんな事なら、りそなに頼んで大蔵家の人達の顔写真でも見せて貰っておくべきだった。

 後悔していると、飛行機の搭乗時間のアナウンスが流れた。

 僕は足元に置いておいた荷物を拾い上げ、メリルさんとりそなに向き直る。

 

「それではメリルさん、りそなさん。行って来ます」

 

「どうかお元気で。また会える日を楽しみにしています」

 

「本当に気を付けて下さい。私は日本で貴方を待っていますから。必ず帰って来て下さいね」

 

「はい。それでは湊様」

 

「うん。行こうか」

 

 僕と湊は並んで歩き、飛行機の搭乗口を目指す。

 搭乗口に入る前に、僕はメリルさんとりそなに向かって大きく手を振った。

 二人も振り返してくれた。胸の内が暖かいもので満たされる。

 この気持ちがあれば、僕はもうあの方から逃げる事はない。

 行こう。あの方が、この世界のルナ様が暮らしている国。アメリカへ。




次回は遂にあの人の正体(バレバレな)が判明!

『朝日との会話後のアメリカの桜小路家』

「ふぅ、どうやら小倉さんは元気を取り戻してくれたようですね。一時はどうなるかと思っていました」

「八千代さん。心配してましたからね」

「心配と言うか、心労と言うか……サーシャさんから話を聞いた時は本当に驚きました。私自身がやった事ではないのですけど、それでも小倉さんが自殺でもしたらと思うと、本当に気が気じゃなくて……本当に元気になってくれて良かったです」

「……」

「どうしたの、ルナ?」

「いや……少々複雑でな。あの朝日が元気になったのは、りそなのおかげだ。出来るなら、私が助けたかった」

「それは……」

「分かっている、夫。きっと私では無理だった。業腹だが、大蔵衣遠の手腕は認めざる得ないだろう」

「それじゃお兄様の養子入りを認めるんだね!」

「それとこれとは別だ」

「えっ?」

「朝日の名字が大蔵になるなど、やはり認め難い。今からでも桜小路朝日に成らないかと、説得しなければ。場合に寄っては、夫の隠し子として認めるのも考えて……」

「奥様。流石にそれは認められません。只でさえ大蔵家の方々の中には、容姿の件で小倉さんと旦那様の関係を疑う方も出るでしょう。桜小路家の名に傷が付くのは、この山吹八千代が赦しません!」

「しかし、八千代!」

「しかしじゃありません! 大蔵君に連絡して、今やっている仕事が落ち着き次第に小倉さんと旦那様とは一切無関係と大蔵家の方々にお伝えするように頼んでおきました!」

「そんな!? ……それでは朝日を当家に迎える事が出来ないじゃないか!?」

「はぁ~、やっぱりそんな事を考えていたんですね。小倉さんの滞在先も当家ではなく、大蔵家の方にして貰うように手配しておきます。後、小倉さんが来てもメイド服に着替えて貰えるように頼んでは行けませんからね」

「八千代! 私を何処まで悲しませるんだ! 朝日のメイド服姿が見られるのを、どれだけ私が楽しみにしていると思って……」

「八千代さん」

「夫! 一緒に頼んでくれ……」

「ありがとうございます! 僕も協力します!」

「えぇ、旦那様も本当にお願いします。頭が痛くなりますけど、小倉さんは大蔵家で確りとした身分が保証されていますから。そんな方にメイド服を着させて使用人として扱っているなんて知られたら、本当に大変な事になってしまいます。奥様の暴走を二人で止めましょう」

「はい!」

 固く八千代と桜小路遊星は誓い合った。
 そのすぐ傍で、桜小路ルナは膝を抱えて涙を流すのだった。

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