月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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kcal様、Layer様、烏瑠様、誤字報告ありがとうございました!


二月中旬(遊星side)2

side遊星

 

「いや~、漸く着いたね。私的には帰って来たって感じなんだけど」

 

「そう言えば、湊はルナ様の会社で働いているんだったね」

 

「うん、そうだよ。今は営業部長としてキャリアウーマンのナイスレデイとして働いているんだ。七愛も一緒に」

 

「……今更だけど部長なのに、20日以上も会社から離れて大丈夫なの?」

 

「いや、今回は社長のルナからの指示だし。七愛が先に戻って状況も報告してくれたけど、問題はなかったから。表向きはフランスで長期休暇していたりそなとの交渉をしてたって事になっているしさ」

 

「た、確かに嘘じゃないね」

 

 その交渉内容が、僕をアメリカに連れて来る事でなければ。

 湊と共に飛行機に乗ってアメリカに到着した僕らは、空港のロビーを目指して歩いていた。

 ロビーには、もう大蔵家の人が来ているのだろうか?

 りそなの話では、僕がホームステイする先の人は、大蔵家内でのお父様のライバルだった人らしいけど。

 流石に本人が迎えに来る事はないと思う。多分、会社の部下の人とか、屋敷に住んでいる使用人辺りが来ているのだろう。

 ……そう言えば。

 

「……湊」

 

「何、朝日?」

 

「あのさ、僕がこれから会う予定の人って、湊は知ってる?」

 

「うん。知ってるよ。アメリカで何度か会ってるし……あ、そう言えば、昔桜屋敷に来た事もあったよ。私達がフィリア学院を卒業する少し前ぐらいだったかな?」

 

「……えっ?」

 

 告げられた事実に、僕は固まってしまった。

 桜屋敷に来た事がある? しかも、湊達がフィリア学院を卒業する前に?

 ちょっと待って! その時期って確か、まだ桜小路遊星様は『小倉朝日』で居た頃だよね!?

 

「も、もしかして……その人って……『小倉朝日』の正体を知っているんじゃ?」

 

「うん。知ってる筈。確かあの時、最初はゆうちょが対応していたのに、途中で『朝日』になっていたから」

 

 背中から冷や汗がだらだらと流れるのを感じる。

 つ、つまり、これから会う事になる人は、僕の正体を知っているかも知れない。

 今更ながら、りそなにもっと詳しく話を聞いておくべきだったと後悔する。

 ……と言うよりも、何故大蔵家の人に僕と言うか、桜小路遊星が女装していた事が知られているのだろうか?

 『晩餐会』で何故か、僕と言うか朝日の写真を見せたら、大蔵家の人達が養子入りに納得したのか疑問だったけど、もしかして大蔵家内では僕が女装していた事が知れ渡っているのだろうか?

 ……深く考えるのは止めよう。軽く鬱になってしまいそうだ。

 でも、本当にどうしよう!?

 このままだと不味いんじゃ!

 

「やぁ」

 

「はっ?」

 

 聞き覚えのある声に顔を向けてみると、パリで二度ほど会った年配の男性が軽く手を上げながら歩いて来た。

 

「久しぶりだね」

 

「お、お久しぶりです」

 

「元気そうで良かったよ。今日はお友達と一緒なんだね」

 

「は、はい」

 

 どうしてこの人が此処にいるんだろう?

 パリにいるんじゃなかったのだろうか?

 僕が疑問に思うと同時に、湊が男の人に近づく。

 何だか親し気な様子だけど? 知り合いなのだろうか?

 

「お久しぶりです、駿我さん。朝日を連れて来ました」

 

「ご苦労様、柳ヶ瀬さん」

 

「えっ? ……あ、あの……も、もしかして貴方は?」

 

「自己紹介がまだだったね。俺の名前は大蔵駿我。これから宜しく、小倉朝日さん。いや、大蔵遊星君と呼ぶべきかな?」

 

「え? ええ? えええええええええええっ!?」

 

 僕は思わず周囲に人がいるにも関わらず、空港のロビーで大声で叫んでしまった。

 

 

 

 

 アレから何とか落ち着いた僕は、駿我さんが運転する車に湊と共に乗って桜小路家を目指しながら、事情の説明を受けていた。

 

「遊星君……いや、君の事情を考えて小倉さんと呼ばせて貰うとするよ」

 

「は、はぁ、構いませんけど」

 

「悪かったね。ただ俺も昔遊星君には驚かされた事があったから、今度は君に驚いて貰おうと思って正体を隠していたんだ」

 

「そ、そうだったんですか? それじゃパリで会ったのは偶然じゃないんですか?」

 

「いや、偶然だよ。最初に君に声をかけた時は、小倉さんの写真を見て懐かしくなってね。それでパリに行ってみたら、パリの街を歩く君を見つけたんだ」

 

「それじゃパリで会った日本人の女性って、もしかして?」

 

「うん。女装して『小倉朝日』を名乗っていた遊星君だ。尤も当時は遊星君だとは夢にも思ってなかったけどね」

 

 凄い偶然だ!

 まさか、僕と同じように桜小路遊星様も、『小倉朝日』の時に駿我さんに声を掛けられていたなんて。

 

「二度目の時は、パリに仕事で用があって行ったら、公園で悩む君の姿が見えてね。ただあの時は驚いたよ。一度目に会った時は、暗かった君が元気を取り戻していたからね。りそなさんに任せたのは正解だった」

 

「ははっ、其処まで知っていたんですか?」

 

「まぁ、今回ばかりは衣遠の奴の手腕を認めるよ。君を元気にするなら、りそなさんに任せた方が良いとあいつも分かっていたんだろう」

 

「……はい。兄としては情けないですけど」

 

「でも、りそなは本当に凄いと思うよ。私、あの写真の朝日に会ったら、どう元気にしたら良いかって悩んだから」

 

 兄という立場では複雑だが、りそなが褒められるのは嬉しい!

 ……その褒められる内容が、僕を元気にする事だったから、結構へこむけど。

 

「あ、あの駿我さん?」

 

「何かな?」

 

「……え~と、大蔵家の人で僕と言うか、朝日の正体を知っている人は駿我さん以外にいますか?」

 

「あぁ、気になるよね。君の正体を知っているのは、大蔵家では俺を除いて弟のアンソニーだけだ」

 

「アンソニーさんですか?」

 

「うん。ただ、アイツには君が別の世界と呼ぶべきなのか、其処から来た事までは話していない。細かい事を気にする奴じゃないから、とにかく昔の小倉さんにソックリな家族が出来たと説明したら納得したよ」

 

「そ、そうですか」

 

「他にはいないね。メリルさんとも遊星君は小倉さんとして会った事があるようだけど、数か月ぐらいだったから説明はしていなかったと思うよ」

 

 確かにメリルさんは、一度も僕を遊星とは呼ばなかった。

 彼女は僕と言うか、昔の小倉朝日の正体を知らなかったのだろう。と言うよりも、正体を知られている相手は少ない方が良い。

 もしも僕の事が知っている人が多かったら、正体がバレてしまう。そうなったら、大変な事になってしまうので正体を知る人は少ない方が助かる。

 

「あの駿我さん?」

 

「安心してくれ。君の事を喋るつもりはないさ。俺としても今の自由な生活が気に入っているし、何より君は大蔵の血を引く家族だ」

 

「家族ですか……ありがとうございます」

 

 また、一人受け入れてくれる人が出来て嬉しかった。

 優しそうな人だし、これから仲良くやっていけそうだ。

 

「それじゃ改めて自己紹介をさせて頂きます。私の名前は……小倉朝日です」

 

 本当の名前を言いたいけど、言える訳が無い。

 たとえ相手が事情を知っている人でも、小倉朝日として今後は振る舞って行くべきだ。

 結構……へこむな。早く本当の名前が言えるようになりたい。

 落ち込む僕と違って、駿我さんは満足そうに頷く。

 

「うん。それで良いと思うよ。少なくとも衣遠が言った通り、前当主が亡くなるまでは対外的にも、内側的にも小倉さんとしていた方が良い。今回ばかりは本気でアイツにやられた」

 

「あ、あの……駿我さんとお父様は仲が悪いのでしょうか?」

 

「そうだね。アイツとは未だに犬猿の仲だ。ただアイツが大蔵家の当主になる事は別に構わない。俺は今の生活が気に入っているからね。他の大蔵の人間を蹴落として当主になろうと言うつもりはないから、安心してくれ。」

 

「そうなんですか」

 

 良かった。

 家族で争うのは僕は嫌だ。複雑ではあるけど、桜小路遊星様は本当に大蔵家を纏められたんだ。

 一体どんな経緯で纏めたんだろう? 気にはなるけど、何時かお父様が話してくれる時まで我慢しよう。

 

「あぁ、そう言えば、小倉さんに言っておく事があった」

 

「何でしょうか?」

 

「これから桜小路家に行く訳だけど、着いて会ったとしてもいきなり謝罪とかはしないでくれよ」

 

「えっ?」

 

「今の君の立場はもう使用人じゃない。少々複雑ではあるけど、大蔵衣遠の娘という令嬢の立場に今の君はいる」

 

「れ、令嬢ですか……そうなんですよね」

 

 改めて指摘されると落ち込む。

 男なのに令嬢。今の僕は、世間的に言えば僕が知る桜屋敷にいたルナ様達と同じ身分だ。

 ……何となく駿我さんの言いたい事が分かって来た。つまり、身分にあった振る舞いを、今後は気を付けてしなければならないのだろう。

 出来るかな僕に? ずっと使用人としてしか、人と接触して来なかったのに?

 

「君のこれまでの経緯を考えれば、いきなりお嬢様らしく振る舞うのは難しいと思うけど。出来るだけ気を付けて欲しい」

 

「うわ~、結構それって朝日にはキツイんじゃ。ゆうちょだって、気がついたら自分でやっていて、結構八千代達を困らせたって、ルナが言っていましたよ」

 

「俺も実際に聞いたよ。遊星君は使用人泣かせだと言われているらしい」

 

 何だかその言い方だと不純に聞こえます。

 でも、本当に困った。僕は誰かに何かをして貰うのは苦手だ。それよりも自分でやって、相手に喜ばれるのを嬉しく感じる。

 正直僕にはルナ様やユルシュール様みたいに、誰かに命じたり頼み事したりする事が出来るとは思えない。

 

「この件はメリルさんでも悩まされた。彼女も自分でやってしまう方で、大蔵家の人間だと公表されてもパリ校を卒業するまでは、付き人をやっていたんだよ。相手がそれなりの名家だったから問題にはならなかったけど。今回の場合は違う。特に今日の訪問は、相手側からの要請となっているから、行動には注意した方が良い」

 

「え~と、具体的にはどうすれば良いですか?」

 

 このままでは、ルナ様達に迷惑を掛けてしまうかも知れない。

 そうならないようにする為にも到着する前に、駿我さんの意見を聞いておいた方が良さそうだ。

 

「うん。先ずは君がしたいだろう謝罪に関しては、事情を知っている者達以外がいる場では控えて欲しい。アメリカの桜小路家で雇われている使用人は、メイド長を除いて現地で雇った人達だからね」

 

 僕の事情を知っているのは、八千代さん、桜小路遊星様、そしてルナ様の三人だけ。

 この三人以外の場所で謝罪は駄目。

 

「それと、挨拶する時も様付けで相手を呼ぶのは駄目だ。君は大蔵家の令嬢という立場にいるからね」

 

 これは結構キツイ。

 僕にとってルナ様は、世界が違っているとは言え、呼び捨てにする事は出来ない方だ。

 うっかり、ルナ様と呼ばないように気を付けないと。

 

「そうだな……うん。桜小路家当主様と呼ぶのは問題はないよ。今回は顔見せ的な形だから、相手を敬う気持ちも持っていた方が良いだろう」

 

「なるほど……それだったら何とかなりそうです」

 

 馴れ馴れしく名前に様付けは駄目だけど、肩書なら様付けで呼んでも問題は無いんだ。

 良かった! 寂しくは感じるけど、これなら僕も呼べそうだ。

 これからの訪問に、光が見えて来たと僕は喜ぶ。

 だけど、隣に座っている湊は、何だか渋そうな顔をして考え込んでいた。

 

「あの~、駿我さん。それって……」

 

「何か俺のアドバイスに問題はあったかな?」

 

「……い、いや、間違ってはいないんですけど……ルナ、大丈夫かな?」

 

「どうしたの、湊?」

 

 何か今の相談に問題があったのだろうか?

 

「う~ん。確かに間違ってはいないよ……あぁ、でも……いや、朝日の立場を考えれば……ごめん。私の考えすぎだった」

 

 ? 何だか不安を感じるけど、問題は無いみたいだ。

 これからアメリカの桜小路家に向かう。

 緊張からか、胸がドキドキしている。僕は早く着かないかなと、車の窓から見えるニューヨークの街並みを見ながら思った。

 

 

 

 

 ニューヨークにある桜小路家の屋敷は、桜屋敷よりも広かった。

 会社を経営し、世界的なデザイナーとして活躍しているルナ様が住んでいるというだけに、立派な屋敷だった。

 僕と湊、そして駿我さんは屋敷内の駐車場に車を停めて、屋敷の入り口に向かって歩いて行く。

 ……やっぱり緊張する。覚悟してやって来たけど、これから僕はルナ様に会う事になるんだから。

 心の奥に残っている罪悪感で、胸に痛みを感じてしまう。

 

「朝日。大丈夫?」

 

「……は、はい。だ、大丈夫です」

 

 湊に出来るだけ、笑顔を浮かべながら僕は答えた。

 

「そんなに緊張していたら駄目だよ。駿我さんも言っていたけど、相手から朝日を呼んだんだから、緊張している方が失礼を起こしていると相手に勘違いされちゃうよ」

 

 流石はお嬢様だった湊だ。

 こういう場での対応にも慣れている。

 僕は深呼吸をして心を落ち着けて、前を向く。

 

「それじゃ、行こうか」

 

 駿我さんに促されて僕と湊は後をついて行く。

 大きなドアの前に辿り着き、備え付けられたインターホンを駿我さんが鳴らした。

 

『はい。桜小路家です』

 

「訪問の予定があった大蔵家ですが」

 

『少々お待ち下さい。今すぐにドアを開けますので』

 

 インターホンから返答があってから数十秒後、ドアが開いた。

 その先から出て来た人物に、思わず僕の体が反応してしまいそうになるが、何とか耐える。

 

「当家にようこそおいで下さいました、大蔵駿我様。そして小倉朝日様。私、当桜小路家にメイド長として仕えております、山吹八千代と申します」

 

 どうやら八千代さんは、初対面という形で対応する予定らしい。

 実際、僕の素性はお父様が作ったものでは、桜小路家とは関わりが無いようにしてある。

 もしも関わっていたとされた場合、僕と桜小路遊星様の関係を疑われかねないから初対面としておいた方が良い。

 

「は、初めまして! 大蔵衣遠の養子となりました小倉朝日と申します! こ、この度は桜小路家へのお招きありがとうございました!」

 

「そんなに緊張なさらないで下さい」

 

「は、はい!」

 

 緊張したくなくても、貴女に対する罪悪感で緊張してしまいますよ、八千代さん。

 

「湊さん。小倉さんの案内をありがとうございました。奥様が執務室でお待ちですよ」

 

「分かりました。それじゃ朝日。またね」

 

 湊は手を振って、執務室があると思われる方へと歩いて行く。

 後でまた会うだろうけど、今は報告が先のようだ。

 

「では、小倉さん。お荷物をお預かりいたします」

 

「はい」

 

 僕は八千代さんに持っていた鞄を渡す。

 あっ、渡す前にパリで買ったお土産だけは持っておいた方が良いよね。

 八千代さんにその旨を伝えて、鞄の中から手早くお土産だけを取り出した。

 同時に八千代さんが僕に顔を寄せて、小声で質問して来た。

 

「まさかと思いますけど、鞄の中に桜屋敷のメイド服が入ってませんよね?」

 

「……りそなに取り上げられました」

 

 パリで着ていたメイド服は、りそなにパリを出る前に取り上げられた。

 りそなが言うには。

 

『この服を持って行ったら小鹿に美味しいソースを振りかけるようなものです。この服は妹が没収します。返して欲しかったら、妹の下に帰って来て下さい』

 

 そう言われて、僕は泣く泣く桜屋敷のメイド服を手放した。

 ……アレがないと結構不安になるんだけど。確かに僕にとっては辛い思い出がある服だけど、それ以上に楽しい日々を思い出させてくれる服だから。

 八千代さんは僕の報告に、他に控えているメイド達に気がつかれないようにガッツポーズをして笑みを僕に向けて来た。

 

「それでは大蔵駿我様。小倉朝日様。応接室の方でお待ち下さい」

 

「はい」

 

 荷物を持った八千代さんとは別のメイドさんに応接室に案内される。

 

「……残念だ。小倉さんのメイド姿が見られると思っていたのに」

 

「えっ!?」

 

「冗談さ」

 

 駿我さんは微かに笑みを浮かべた。

 じょ、冗談だったんだ。良かった。

 そのまま僕らは応接室の中にあった椅子に座り、ルナ様達が来るのを待つ。

 ……部屋の中にいるメイドさん……名前を聞いたらナイチンゲールさんが、お茶を入れてくれる時に、思わず体が動いてしまいそうになった。

 視線で駿我さんが止めてくれたから良かったけど。大丈夫かな僕?

 気がついたら自分でやってしまっていそうで、本当に怖い。

 そのまま二人でお茶を飲みながら待っていると、八千代さんが戻って来た。

 

「奥様と旦那様の準備が出来ましたので、執務室の方にご案内いたします」

 

 遂に来た!

 覚悟していた時が訪れた。

 心臓が更にドキドキと音が聞こえてしまいそうになるぐらい高鳴る。

 前を進む八千代さんの後を、駿我さんと一緒について行く。

 

「此方の執務室の中に、当家の奥様と旦那様、それと報告した湊さんがおられます。それ以外の者は誰もおられませんし、中は防音となっています」

 

 この執務室の中なら問題なく謝罪が出来る。

 八千代さんの説明に心の中で感謝をしながら、開けられた執務室の中に足を踏み入れる。

 

「ようこそ、当家に。待っていた」

 

 執務室の扉が八千代さんに依って閉められると共に、部屋の奥に置かれていた椅子に座っている女性が告げた。

 綺麗な銀髪で、緋色の瞳の女性。間違いなく、イギリスで僕が見たこの世界のルナ様だ!

 その横には僕に似た男性である桜小路遊星様と、何故か不安そうにしている湊が立っていた。

 緊張で事前に頭の中で考えていた行動が、吹き飛んでしまった!

 ど、どうしよう!? 何て答えたら良いんだろう!?

 混乱して固まってしまっている僕に、駿我さんが小声で告げて来た。

 

「先ずは挨拶だよ」

 

「こ、この度はお招き頂きありがとうございました! 私は大蔵衣遠の娘として大蔵家の一員となりました! 小倉朝日と申します! 本日は本当にお招きありがとうございます! 桜小路家当主様!」

 

 ビキッと、僕の挨拶が終わると共に部屋が硬質化したように感じた。

 ……ア、アレ? 何か間違ってしまったのだろうか?

 混乱する僕に、椅子に悠然と座っていた筈のルナ様が、身体を震わせる。

 

「す、すまない……わ、私の耳が可笑しくなったのか? 今、朝日は何て私を呼んだ?」

 

「えっ? 桜小路家当主様と呼びましたけど。それが何か?」

 

「朝日が私を他人行儀で呼んだ!」

 

 突然、ルナ様は椅子から飛び出すと共に執務室の端の方に移動してさめざめと泣き出した。

 ……えっ? なにこれ? 僕はただルナ様に失礼のないように挨拶しただけなんだけど?

 

「ル、ルナ。落ち着いてよ。ただの挨拶なんだから」

 

「夫! 何の為に私が事情を知っている者達以外を、執務室から遠ざけたと思っている! 全ては朝日との会話を楽しむ為だ! な、なのに、あ、朝日が……わ、私を他人行儀で呼んだんだ! これでショックを受けないと思っているのか!?」

 

 あっ、そういう配慮だったんですね。

 気づけなくて申し訳ありません、ルナ様。

 

「あ~、やっぱりこうなった」

 

「湊! 朝日の挨拶を知っていたのか!?」

 

「うん。でも、間違ってないよね。一応朝日はルナとは初対面なんだし。最初の挨拶は他人行儀でやっておいた方が良いかなと思って」

 

「加えて言えば、これが小倉さんにとって大蔵家の一員となって、初めての他家への挨拶だからね。失礼があっては、今後の事で問題が出てしまいかねない」

 

「大蔵駿我……そうか。貴方の入れ知恵か。大蔵衣遠と言い……此処最近の大蔵家は、余程私を怒らせたいようだ」

 

「お、落ち着こう。ルナ!」

 

「そ、そうです! ルナ様! 落ち着いて下さい! 私の対応が間違っていたのなら、謝罪いたしますから!」

 

 桜小路遊星様と共に、僕もルナ様の説得に参加した。

 だけど、何故か桜小路遊星様は、僕の行動を見た瞬間、床に膝を突いてしまう。

 ……アレ?

 

「あ、あのいかがされました?」

 

「……ごめん。止めてくれようとしているのは分かるんだけど……客観的に朝日としての自分を見るのは、思っていたよりも辛くて……」

 

「……あっ」

 

 そう言えば、自然過ぎて忘れていたけど今も僕は女装している。

 桜小路遊星様からすれば、生きた黒歴史が目の前で動いているようなものだ。しかも、本職のサーシャさんからのお墨付きで、本当の女性にしか見えない朝日が。

 ……直後、僕も桜小路遊星様と同じように膝を突いてしまう。

 女装姿が何の違和感も感じなくなっているのは以前から感じていたが、こうして別世界の自分の行動で実感してしまった。

 

「……す、すぐに男性物の服に着替えます」

 

「駄目だ、朝日! メイド服の君を見られないんだ。代わりに今の姿を私は堪能したい」

 

「で、ですが、ルナ様? このままではまともに話なんて出来そうにありませんけど」

 

「あぁ、久々だ。その迷い子のような目をする朝日を見るのは。気持ちが高ぶって来る。新しいデザインが浮かびそうだ」

 

 ルナ様のデザインが浮かぶのは大変喜ばしいのですが、このままではまともに話も出来そうにないのですけど。

 

「何となくこんな形にはなるような気がしていましたが、こうして見ると……カオスですね」

 

 八千代さんの冷静な言葉に、僕は心の底から同意した。

 

 

 

 

 何とか立ち直った僕らは、改めて挨拶を交わし、今は対面するように執務室に置かれていたソファーに座っていた。

 そして漸く状況が赦されるようになった僕は、桜小路遊星様に対して全力で謝罪した。

 

「本当に色々とご迷惑をかけて申し訳ありませんでした!!」

 

「い、いや気にしないで……それは最初は驚いたけど……う、うん。実は今もちょっとショックが残っているけど、事情は分かっているから大丈夫だよ」

 

 彼の優しさが逆に心に突き刺さる。

 実際、僕が同じ事をやられたら彼と同じ行動をするだろう。それが分かるだけに尚更にキツイ。

 しかも、暫くは止められる予定はない。

 

「あ、あの~、これせめてものお詫びの品です」

 

 僕はパリで買ったお土産を差し出した。

 

「ありがとう。中身は何かな?」

 

「パリで限定発売していた入浴剤です」

 

「わぁ~!」

 

「さ、流石は同一人物。自分が買って貰って喜ぶのが何かなんて、簡単に分かるよね」

 

 お風呂が好きな僕は、入浴剤を買うのが好きだった。

 桜小路遊星様への謝罪の品としては、これ以外にないと思って買って来た。

 

「さて……朝日。君の経緯はサーシャと壱与から聞いているが、改めて君から説明して貰いたい」

 

「は、はい……僕は……」

 

 朝日としてではなく、遊星として僕は説明した。

 この世界に来る前に起きた出来事。お風呂場で居眠りをしてしまい、八千代さんに見つかって桜屋敷から追い出された。

 その後、夜の街を歩いていたら気を失い、気がつけばこの世界の桜屋敷で倒れていた。

 それからはずっと八十島さんと共に才華様やアトレ様がお戻りになる日まで、朝日として働いていた事までを説明した。

 

「……改めて事情を聞いても、信じられないという気持ちはありますが、実際に今此処に小倉さんはいます。そして私なら確かに同じ事をしたでしょう。遊星様と違い、小倉さんの正体を知ったのが自分一人なら、ルナ様への最善の行動と考えて小倉さんを追い出します」

 

 八千代さんの言葉が、僕に突き刺さる。

 当然の罰なので、甘んじて僕は受ける。寧ろあの時、警察に通報されなかっただけでも良かった。

 それがルナ様の為で、こんな事になっても僕にはあの八千代さんを恨む気持ちはない。寧ろ感謝しか彼女には抱いていない。

 

「しかし、風呂場で居眠りとは……馬鹿だろう、君」

 

「はぅっ!」

 

「いや、夫も正体がバレてからうっかり風呂場で八千代に見られた事があったが、君の場合、正体が知られる前にそんなミスをした訳だから」

 

「ル、ルナ。恥ずかしいから止めてよ」

 

 ……桜小路遊星様もやってしまったんですね。

 ですよね。お風呂に入っていると油断しますから。

 覚えちゃ行けないけど、ちょっとだけ親近感を覚えてしまった。

 でも……僕の方は致命的でした。

 

「でも、これはやはり悩んでしまいますね」

 

「な、何がでしょうか?」

 

 本当に悩んでいるという顔をしている八千代さんに、僕は不安を感じた。

 

「正直言って、小倉さんぐらいしかお嬢様には本当に男性の縁がなかったもので」

 

「……はっ?」

 

「優良物件だった小倉さんを、私自ら逃してしまうなんて考えただけで頭が本当に痛くて。でも、対応としては間違っていないのも分かりますから……あぁ、また頭痛が」

 

「よ、良く分からないんですけど……あの私にはルナ様に対して恋愛感情は一切ありませんよ。多分、今後もあの方にはそういった感情は抱けないと思います」

 

「朝日! 君からそんな言葉を聞きたくはない!」

 

 僕の心からの言葉に、ルナ様が涙を流した。

 その姿に心が痛むけど、今此処で伝えておいた方が良いかも知れない。

 

「ルナ様。電話でも言いましたが、私は貴女様と私が仕えたルナ様を一緒に考える事は出来ません。弱っている時なら、確かに貴女様に仕えていたかも知れません。ですが、それはお互いのルナ様に対する侮辱です。今日此処に来たのは、それをハッキリ伝える為です。私は、大蔵衣遠の養子として来年の『晩餐会』に参加し、正式に大蔵の名を名乗る事を許可して貰うつもりです」

 

「俺個人としては、今すぐに名乗って貰っても構わないんだけど……引退したとは言え、前当主殿の力は未だに強い。正攻法で許可を得られるのなら、そっちの方が良いだろう」

 

 駿我さんが嬉しい事を言ってくれた。

 

「……『大蔵朝日』……駄目だ。その名が浮かぶだけで、かなり辛い。せめて小倉のままで。いや、いっそのこと、桜小路朝日と」

 

「奥様。その話は駄目だと言いましたよ」

 

「後、衣遠兄様から連絡も来て、僕と朝日は無関係だって大蔵一族内に伝えられたそうだから、もう無理だよ」

 

「俺の方にも連絡が来た。気に入らないけど、衣遠の奴は良い仕事をしたよ」

 

 どうやらお父様は、りそなから押し付けられた仕事を全て終えたらしい。

 それで即座に遊星様のフォローを行なったようだ。

 最早、自分の味方は居ない事を悟ったのか、ルナ様は無念に満ちた顔をして項垂れた。

 

「……悔しいが負けを認めよう。ただ朝日」

 

「何でしょうか?」

 

「……電話でも言ったが、私自身も君と新しい関係を始めたいと思っている。その結果、君が私の下で働くという事はあるのか?」

 

「それは先の事なので分かりません。何より今は衰えた服飾技術を取り戻す事に専念したいですし。今のままではルナ様の下で働いても、お役には立てないと思います」

 

「七愛から報告は聞いていたが、其処まで酷いのか?」

 

「……はい。湊様から聞けば分かると思いますが、正直に皆さんのおかげで漸くちょっとマシになった程度です」

 

 瑞穂様、湊、北斗さん、七愛さんのおかげで服飾の勉強は捗ったが、やはり短い期間だった。

 残念ながら十数年分の知識の差を埋める事は出来なかった。加えて言えば、僕の技術も衰えていた。

 結果的に言えば、多少はマシになったが、それでも服飾を学び直す必要性を嫌と言うほどに感じた。

 僕の様子と言葉から事実だと悟ったのか、ルナ様は顎に手をやった。

 

「其処までか……なら、朝日。今、君にはどれだけ時間的に余裕がある?」

 

「余裕ですか? ……え~と、四月にはりそな……さんの伝手を頼って服飾学校に通う予定なので、準備とかしないと行けませんからアメリカにいられるのは一か月ぐらいです。あっ、勿論泊まる予定だった駿我さんが許可をしてくれればですけど」

 

「俺は構わないよ。小倉さんとは仲良くしたいからね」

 

「駿我さん。まさか?」

 

「桜小路さん。俺も同一視はしていないよ。小倉さんとは新しい関係を始めようと思っているだけだ」

 

 何だろう?

 急にルナ様はこめかみをひくつかせ、笑みを浮かべている駿我さんを睨んでいる。

 今の会話の何処かに可笑しいところがあったのだろうか?

 

「それで桜小路さん。話を続けたらどうだい?」

 

「……そうですね。此処でことを荒立てるのは、私の方が不利になるので……話は戻すが、朝日。その一か月間、夫と八千代に服飾を学ばないか?」

 

「えっ?」

 

「はっ?」

 

 いきなり話が振られた桜小路遊星様と、八千代さんが口をポカンと開けた。

 

「あ、あのルナ? どういう事?」

 

「そのままの意味だ。確か朝日は夫に挑むつもりなのだろう?」

 

「は、はい」

 

 正確に言えば、超える事が目的なんだけど。

 

「なら、今の夫の技術は見ておくべきだろう? 八千代も久々に服飾の教師が出来るし、問題は無い筈だ。良いか、八千代。それに夫?」

 

「……私は別に構いません。ただやるからには厳しくやらせて頂きますが」

 

「僕も良いよ。ただそろそろ新しい衣装の型紙をやらないといけないから、八千代さんほどは教えて上げられないかも知れないけど」

 

「それだけでも充分だ。この世界的デザイナーである私の型紙を務める夫を、朝日に見せたい」

 

 ……これは願ってもないチャンスだ。

 超えたいと思っている相手の現在の技術を見る事が出来る。

 問題は……僕の心が耐えられるかどうか。回復したとは言え、まだ僕には不安定な部分がある。

 桜小路遊星様の技量を見て、心が折れてしまうかも知れない。

 でも、もう決めた。彼からは逃げないと。

 

「……分かりました、ルナ様の提案をお受けいたします」

 

「うん。良い答えだ……ところで、七愛から聞いたが君は服飾をやる時に、メイド服を着るそうだが」

 

「奥様。小倉さんのメイド服は、大蔵家当主様が預かっているそうです。また、当家では絶対に貸しませんので、諦めて下さい」

 

「りそなっ!!」

 

「ありがとう、りそな。また、助けられたね」

 

 嘆くルナ様と、日本にいるりそなに感謝を捧げる桜小路遊星様に、僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。




当初のルナ様の計画では、威厳を見せて朝日に自分が主だと思い出させる予定でした。
しかし、駿我さんがそう来ると思って、ルナ様が一番ダメージを受ける策を朝日に与えていました。
おかげで朝日は、自分の敬愛するルナ様とこの世界のルナ様を同一視せずに済みました。
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