月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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二月の遊星sideは一先ず終了。
次回は才華sideになります。

感想、お気に入り、評価を皆様ありがとうございました!

烏瑠様、Nyan cat様、誤字報告ありがとうございました!


二月中旬(遊星side)3

side遊星

 

「あっ、そうだルナ。忘れる前にこれ返しておくね。瑞穂に貸してた朝日の写真」

 

「おおっ!」

 

 湊が渡した額縁に入っている僕の写真を、ルナ様は目を輝かせて受け取った。

 ……あの写真。結局処分出来なかった。

 パリで瑞穂様が居た時に、それとなく何度も処分してくれるように頼んだんだけど、ルナ様から借りた物だからと言って処分して貰えなかった。

 『晩餐会』の会場で、壁一面に広がるほどの僕の写真が出されたそうだけど、女装姿の写真なんて残しておきたくはない。

 僕と同じ気持ちなのか、桜小路遊星様も険しい視線をルナ様の手の中にある写真に向けている。

 とりあえず、ルナ様に頼んでみよう。

 

「あ、あのルナ様……どうかその写真を処分してくれないでしょうか?」

 

「嫌だ。貴重な朝日の写真だ。しかも此処まで悲し気な朝日の写真など、私が所持していた写真にもなかったんだ。大蔵衣遠への怒りは忘れていないが、この写真は大切に保管するつもりだ」

 

 ……今、ルナ様は何と言ったのだろうか?

 えっ? 写真が他にも在るの?

 僕と言うか、桜小路遊星様が『小倉朝日』だった頃の写真が?

 無言で僕が顔を向けてみると、申し訳なさそうな顔で彼は首を縦に振った。

 

「ごめん。僕も最近まで知らなかったんだけど……ルナが保管していたんだよ」

 

「一番のお気に入りは、朝日が寝ている時の写真だ。あどけない朝日の寝顔が写っている写真は、見る度に私の心を何時も癒してくれている」

 

「……ルナ様。どうか全て処分して下さい。正直、そんな物をご子息様やご息女様に見られたら、桜小路遊星様と私が辛いです」

 

「駄目に決まっている。大丈夫だ。朝日の写真は全てアルバムに収めて、特注の金庫の中に仕舞ってあるから、才華やアトレに見られる事はない」

 

 でも、ルナ様は見るんですよね?

 女装姿の写真なんて、残しておきたくはないんですけど。

 ……瑞穂様に何れ写真を撮られるのは、黙っておこう。僕と桜小路遊星様の精神の為に。

 

「しかし、瑞穂がやけにあっさり返したな? アレだけ譲って貰うと息巻いていたのに?」

 

「あぁ、それはね」

 

「湊様。どうか言わないで下さい」

 

 黙っておくつもりだったのに、報告しようとする湊に、僕は頭を下げた。

 だけど、僕の様子から何かあると察したルナ様が、首を振って湊を促す。

 どうか言わないで! 心の底から僕は湊に願ったが、湊は苦笑を浮かべて話してしまう。

 

「夏頃にね。朝日が瑞穂に会いに花乃宮家に行く事になってるんだ。その時に個人的なファッションショーをやる事になっているんだ。ルナも覚えているでしょう? 学生時代に瑞穂が、朝日をモデルにしようと考えていたデザインの事」

 

「まさか、あのデザインか!?」

 

「まぁ……瑞穂様。遂にあのデザインを使うんですね」

 

「えっ? 何の事?」

 

 覚えがあるのか驚くルナ様と八千代さんに対して、桜小路遊星様は困惑していた。

 

「夫が知らないのは当然だ。あのデザインは、1年の時に私のデザインをフィリア・クリスマス・コレクションで使うことを決めた後、瑞穂が密かに描いていたデザインだからな」

 

「懐かしいですね。私も桜屋敷にいた時に、意見を聞かれました。正直言って、ルナ様の描いたデザインに劣らないほどの出来でした」

 

「私も気に入っていた。瑞穂の描いたデザインは好みだったんだ」

 

「そんな衣装があったんだ。アレ? でも、僕は聞いた事がなかったよ。桜屋敷で過ごしていた時に、一度も瑞穂さんからそのデザインの話は出なかったし?」

 

 桜小路遊星様の疑問に、ルナ様と八千代さんは揃って困ったように顔を見合わせた。

 何か、そのデザインを使えない理由でもあるのだろうか?

 ルナ様が絶賛するほどだから、きっと凄い衣装に違いないんだろうけど。

 

「……実は瑞穂はそのデザインの衣装を、当時の夫。つまり、朝日に着て貰いたがっていたんだ。だが、夫が学院を退学になり、フィリア・クリスマス・コレクションの舞台に朝日として出れなくなった事で、瑞穂はその衣装を諦めた」

 

「そ、そうだったんだ」

 

 素直に喜べない気持ちが良く分かります。

 正直、フィリア・クリスマス・コレクションの舞台の上で、女装姿を見せる勇気は僕には無いです。

 でも、朝日の正体を知らなかった頃の瑞穂様は、朝日としての僕を表舞台に立たせたかった。

 その為にデザインを描いた。朝日を衣装のモデルとして。

 

「本人は2年目でも良いと思っていたが、朝日が退学になり正体も判明してからは、流石に着て貰うのは頼み難かったんだろう……私と夫が恋仲になった事もあったから」

 

「何だか……瑞穂さんに申し訳なく感じるよ」

 

「私は別に構わなかったんだが、瑞穂は私と夫に遠慮して、そのままデザインを使わずに保管してしまったんだ」

 

「懐かしいよね。私もあの衣装を着た朝日を見てみたかったよ。だって、想像するだけで似合っていそうだったから」

 

 其処まで絶賛される瑞穂様の衣装。

 一体どんな衣装なんだろう? 楽しみでワクワクする気持ちが湧いて来るけど……着るの僕なんだよね。

 それを考えると素直に喜べない。

 なるべく恥ずかしくない衣装でない事を願うしかない。

 

「……その衣装。正式に大蔵家で作って貰えるように依頼するのも良いかも知れないね」

 

「えっ?」

 

 突然の駿我さんの言葉に、僕は驚いた。

 他の面々も、驚いたように駿我さんを見つめる。

 

「小倉さんは来年の『晩餐会』には必ず出席する。その時の衣装に、秘匿されていた花乃宮瑞穂の衣装が使われたとなれば、前当主殿も驚くだろう。彼女は確か着物デザイナーとして有名な人物だ。加えて、世界的なデザイナーである桜小路さんも絶賛するほどの衣装。来年の『晩餐会』の主役は間違いなく小倉さんだ。その小倉さんが有名デザイナーの衣装を着て行けば、前当主殿の印象は良くなるだろう」

 

「……あ、あの~、それなりに高級なスーツを着て男装して行くのでは駄目なんですか?」

 

「駄目だろうね。少なくとも女装はしておかなければならないし……それに衣遠の奴が赦すとは思えない」

 

 そうでした!

 お父様が赦す筈が無いですよね! それどころか今年の『晩餐会』のように、任せたら何をやらかすか分かったものじゃない。

 もしかしたら瑞穂様の衣装以上に、恥ずかしい衣装を着させられるかも知れない。

 それなら駿我さんの言う通り、衣装だけでも自分で決めた方が良い。

 僕は確認の為に桜小路遊星様に顔を向ける。無言で頷いてくれた。

 

「……わ、分かりました。ただ瑞穂様に確認はしてみます」

 

 衣装の作製は瑞穂様が行なってくれる。

 元々、瑞穂様の個人的なファッションショーの為の衣装だ。勝手に決める訳には行かない。

 僕は携帯を取り出して、教えて貰った瑞穂様の電話番号に連絡をする。

 

「あっ、瑞穂様ですか? 朝日です。実は例の衣装の件なのですが……」

 

 僕は瑞穂様に事情を説明した。

 

「と言う訳で、例の衣装を大蔵家の『晩餐会』で着たいのですけど……駄目でしょうか?」

 

『任せて朝日! 私の衣装で、貴女を大蔵家のアイドルにして上げるわ!』

 

「いえ、大蔵家のアイドルになりたいんじゃないんですが」

 

『夏に必ず家に来てね! それじゃすぐに衣装の準備をしないと! じゃあまたね!』

 

 瑞穂様のやる気に満ち溢れた声と共に、電話が切れた。

 

「だ、大丈夫みたいです……瑞穂様はとてもやる気になっていました」

 

「くぅっ! あの衣装を着た朝日を見られるのは、とても嬉しいが。着るのは、朝日の名字が正式に大蔵になってしまう大蔵家の『晩餐会』! ……八千代。私達も夏に花乃宮家に……」

 

「奥様。残念ですが、日本の夏は日差しが強いので、お体に障ります」

 

「『晩餐会』まで待とう。ルナ」

 

「それでは朝日の名字が大蔵になってしまうではないか!? 一体どうすれば良いんだ!?」

 

「……来年の『晩餐会』が楽しみだ」

 

「いや~、まさか、こんな事になるなんて……ごめん、朝日」

 

「……湊のせいじゃないよ。お父様に任せるよりは、瑞穂様の方が多分大丈夫だと思うから」

 

 今年の『晩餐会』でやらかしたお父様に頼むぐらいなら……瑞穂様の衣装を着た方が良い。

 そう思う事で……僕は自分を納得させた。でも、瑞穂様。

 ……どうかフリルとかは付いていない衣装でお願いします。

 

 

 

 

 日が沈み、夜になった。

 僕が訪問するという事で、夕食は桜小路家の方で用意していてくれていた。

 ……ただ、その夕食を作ったのが桜小路遊星様というのは問題は無いのだろうか?

 

「小倉さんも知っていると思いますが、奥様は余り食事には興味がなかったお方です。その奥様が気に入っているのは、旦那様のお食事なので」

 

「私は夫の料理を最高の物だと思っている。他の来客なら、八千代の指示に従ってシェフを呼ぶが、朝日は別だ。夫の料理を堪能してくれ」

 

「は、はい」

 

 正直言って料理は美味しい。僕の好みの味付けがちゃんとされているし。

 ……一年、家事に熱中していたけど、今の僕では作れない味だ。

 やはり年月の差は大きい。これは服飾の方も覚悟しておいた方が良いかも知れない。

 彼の技術を、このアメリカにいる間に少しでも学んで糧にしないと。

 

「そう言えば……朝日」

 

「何でしょうか?」

 

「『晩餐会』の時に聞いたんだが……才華を叱ったそうだな?」

 

「は、はい! その件に関しては申し訳ありません!」

 

「いや、責めてはいない。寧ろ良く叱ってくれた」

 

「はっ?」

 

 どういう事だろうか?

 てっきり、才華様を叱った事を注意されると思っていたのに。

 

「私も夫も才華に対しては、少々過保護でな。正直な話、夫はこれまで才華に対して余り強く叱った事がないんだ。それどころか、今回フィリア学院に通えずに、日本に残ると才華から連絡があった時は、夫は自分も日本に行くと言ったぐらいだ」

 

「えっ?」

 

 僕は思わず、桜小路遊星様に顔を向けてしまった。

 ルナ様の言っている事が正しいのか。桜小路遊星様は困ったように笑っていた。

 流石に過保護過ぎないかと思ってしまう。でも、僕も自分に子供が出来たら大切にしてしまうと思う。

 特に才華様はルナ様と同じ体質の方だ。それを心配しているなら、気持ちは分かるかも知れない。

 

「朝日。君は才華とアトレに会ったが、二人にあってどうだった?」

 

「……りそなさんにも言いましたが、私には二人が自分の子供だとは思えません。確かに血筋で言えば親にあたりますけど、親戚の子供という感じでしょうか?」

 

「まぁ、それぐらいだろう。だから、才華に叱れた訳か」

 

「個人的に言わせて貰うけど、桜小路さんも遊星君もそろそろ子離れするべきだと思うよ。特に衣遠の奴は才華君とアトレさんを甘やかし過ぎている。先日も建てたばかりの高層マンションを譲渡したという話だ」

 

 お父様。流石にそれは与え過ぎなのでは?

 高層マンションという事は、かなりの金額がする筈。

 それを簡単に譲渡するなんて。

 ……もしかして才華様の入学の為なのだろうか?

 

「駿我さんの言う通り、私も才華様とアトレ様に対して大蔵君の行動には悩まされています。二人を大切に思っていてくれているのは分かりますけど。流石に度を越し過ぎている面はあると思っていますから。才華様の卒業祝いだと言って、世界に50台しかない車をプレゼントしたと聞いた時は、頭を抱えたくなりました」

 

 ……本当に何をやっているんですかお父様?

 甥姪コンが行き過ぎていると思います。

 

「私も甘やかし過ぎたとは思っている。だから、今回の才華とアトレの日本行きに納得したんだ」

 

「でも、やっぱり心配だよ。才華が無茶をしないか」

 

「夫。そういうところが反抗期の原因なんだ。もっと強く言うべきところは言うべきなんだ。現に朝日が叱ったら、才華は反省していたぞ。でだ、朝日?」

 

「はい」

 

「君は何故才華を叱った?」

 

 ルナ様の質問に僕は固まってしまった。

 ……い、言える訳が無い! 僕と同じように女装して付き人になってフィリア学院に通おうとしているなんて、この場では絶対に言えない!

 言ったら才華様のやろうとしている事を止めようとする筈。

 いや、ルナ様なら面白そうだと言うかも知れないけど、八千代さんは確実に怒るし、桜小路遊星様は気絶するに違いない。

 僕もあの時は本当に涙が止まらなかったから。

 

「さ、才華様のプライベートですのでお話は出来ません」

 

「才華様? 小倉さん。貴方は、才華様を名前で呼んでいるのですか?」

 

「えっ?」

 

 何か可笑しかったのだろうか?

 僕は才華様に名前を呼んでも良いって言われたんだけど、困惑している八千代さんの様子から見て、何か変な事があるのだろうか?

 

「は、はい。才華様に名前で呼んでって言われましたので」

 

「……驚きました。才華様は基本的に使用人には名前ではなく、若と呼ばせているのですけど」

 

「例外は八千代ぐらいだ。昔は確かに名前で呼ばせていたが、今ぐらいになってからは、家族である私達以外には若と呼ばせている」

 

「そうだったんですか……でも、多分それは私が桜小路遊星様に似ているからではないでしょうか?」

 

「……そうかも知れませんね。でも、小倉さんは女性にしか見えないのに、旦那様と勘違いなされるのでしょうか?」

 

 ……ちょっと胸に痛みが走りました。

 やっぱり、女性に見えていたんですね。それだけではなく、胸に走った痛みが弱くなっている事も落ち込む。

 もう女性扱いに慣れてしまって来ているのだろうか? それに慣れたら終わりのような気もするけど。

 

「まぁ、才華が朝日を気に入ったという事だろう。良かったな、夫。才華も朝日を気に入ったようだ」

 

「嬉しくないよ、ルナ」

 

 悲しそうな声を桜小路遊星様は上げた。

 そうですよね。嬉しくないですよね。

 実の息子が、女装している相手を気に入るなんて。ましてその相手が、過去の自分と同じ姿をしている相手なんて。

 ……本当に嬉しくないどころか、悲しくなって来ました。

 

「で、話は戻すが、何が原因で才華を叱ったんだ? 正直言って、君が他者を叱るなんてよっぽどの事があったと思っている」

 

「あ、僕もそれは気になる。才華には悪いけれど、話してくれないかな?」

 

 ど、どうしよう!?

 ルナ様と桜小路遊星様の顔は、子供を心配する親の顔だ。

 僕が叱った内容が、それほど気になるのだろう。

 他の面々も見回してみるが、全員僕の答えを待っている。八千代さんはきっと、才華様の事を心配して。

 駿我さんも気になるのか、僕を見ている。

 湊は……駄目だ。食事と共に出されたワインを飲んで、眠ってしまっている。

 どうすれば良いのかと考え込み、あの時の会話の中で本当の話題を逸らせる事がなかったかと考える。

 ……そうだ! これなら!

 

「え~と、話すのは構いませんけど、才華様を怒らないで貰えますか? わ、私が叱った事で反省しているようですから」

 

「分かった。君が桜屋敷を出たのは四か月も前だからな。今更その時の事をほじくり返すつもりはない」

 

「ただ、どんな理由で叱ったのか気になっているだけだから、才華を叱る気はないよ」

 

「では、お話しします……あ、あの時才華様は、フィリア学院の男子部廃止を止める為に、りそなさんの代わりに大蔵家の当主の座に就こうと考えて……ルミネ様に結婚を申し込もうとしました」

 

 ピキっと、八千代さんが固まってしまった。

 

「それは流石に……」

 

 駿我さんも困ったように視線を彷徨わせている。

 

「さ、才華……幾ら何でもそれは」

 

「ま、不味いよ」

 

 ルナ様は口元をひくつかせ、桜小路遊星様は頭を抱えてしまっている。

 良かった! りそなに話した時に、ルミネ様がお爺様からどれほど大切に思われてるか聞いていたから、これなら誤魔化せると思ったけど上手く行った!

 ……冷静に考えてみると、こっちもこっちで大変な事だったんだよね。

 あの時の僕は、ルミネ様に対するお爺様の過保護を良く知らなかったから、りそなの方でちょっと苛立ったけど、ルミネ様と結婚しようと言うだけでとんでもない事だ。

 才華様……もうちょっと危機意識を持って下さい。

 

「小倉さん」

 

「や、八千代さん?」

 

 固まっていた八千代さんが復活すると共に、僕の手を大切そうに両手で握った。

 

「貴方がいてくれて本当に良かったです。もしも才華様が止まらずにことを進めていたら、桜小路家は終わっていました」

 

「あ、あの。私が止めなくても、ルミネ様自身が呆れていましたから、最初から無理だったと思います」

 

「いいえ! たとえ止まったとしても、才華様はその件を反省はしなかったでしょう。貴方が叱ってくれた事で、才華様は過ちに気がつけたんです! 本当に感謝します!」

 

 ……真摯に僕に感謝の念を捧げる八千代さんに、凄く罪悪感を感じた。

 ごめんなさい、八千代さん! 本当はルミネ様への結婚の件じゃなくて、別の件で僕は才華様を叱ったんです!

 しかも、その件は今も進んでいます。本当にごめんなさい!

 

「朝日。私からも礼を言う。才華を止めてくれた事を感謝する」

 

「ル、ルナ様?」

 

 心から感謝していると言うように、ルナ様が僕に頭を下げた。

 止めて下さい! 貴女に頭を下げられるなんて、本当にキツイです!

 ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!

 心の中で僕は何度もルナ様に謝罪した。

 

「僕からも本当に礼を言うよ。才華を叱ってくれた事。本当にありがとうね」

 

 もうやめてーー!!

 罪悪感とか申し訳なさで、胸が張り裂けそうです!

 

「うん? どうした、朝日? 急に顔を押さえて」

 

「……ま、まさか、ルナ様に……こ、こんなに……さ、才華様を叱った事を……か、感謝されるとは……お、思ってなかったので……な、涙が……」

 

「いや、大げさな話じゃないよ、小倉さん。君は間違いなく、桜小路家を救ったんだ。正直才華君もなんて危険な手をやろうとしていたんだか。怖いもの知らずと言う他にないね」

 

「……そ、其処までですか?」

 

「悔しいが、引退しても尚、大蔵日懃の力は絶大だ。私も才華がやろうとしていた事が知られた場合、護りきれるか分からない。夫にもう一度『小倉朝日』になって奮い立たせて貰う必要があるだろう」

 

「こんな形でなりたくないよ。と言うよりも、なっても護りきれるか本当に分からないよ」

 

 涙を流す桜小路遊星様の姿に、僕は場違いながらも安堵した。

 良かった! 桜小路遊星様はルナ様の卒業後に、『小倉朝日』にはなっていないんだ!

 ……って、喜んでいる場合じゃないよ!?

 りそなも言っていたけど、才華様! 貴方は何てとんでもない事をしようとしていたんですか!?

 今更ながら才華様がやろうとしていた事に恐怖を感じる僕に、顔の前で両手を組んでいる駿我さんが冷静に分析する。

 

「知られた場合、先ず桜小路家の取引先全てに大蔵日懃から連絡が行き、取引を打ち切られるだろう。恐らくその時はアメリカの支部担当の俺が動かされる。俺としては遊星君一家を潰したくはないから、前当主の要請を跳ね除けるけど。それだったら別の手だと言わんばかりに、他の大蔵家の面々に連絡が行く。りそなさん、衣遠やアンソニーも聞かないと思うが、そうなったら最悪、前当主殿と俺達の間で戦いが始まってしまう」

 

「大事の騒ぎどころではありません。せっかく遊星様が纏めた大蔵家が崩壊してしまいます」

 

「その上で原因となった桜小路家は、大蔵家と繋がりのある家全てを敵に回してしまう。繋がりが一切いなくなれば、最早どうする事も出来ない。世界的デザイナーとしての私の名も地に落ちる」

 

「僕はもう桜小路の人間だし、お爺様も敵だと考えてしまうかも知れない。前の時のようにはもう行かないと思う」

 

 ……とんでもなく大事の事態になった!

 これで実は才華様の為に、ルミネ様が裏社会と繋がりがある家の娘と接触してしまったなんて明らかになったら、一体どうなるんだろう?

 ……深く考えないでおこう。もうこうなったら、フィリア学院に入学して女装して来るだろう才華様を全力で見守らないと行けない。才華様の正体がバレそうになったら、調査員の権限を使って恨まれてでも、秘密裏に学院から追放しよう。それぐらいの覚悟が必要に違いない。

 

「……朝日が叱って止めてくれて本当に助かった。ただ夫。今後は才華を叱るようにしよう。過保護にし過ぎた結果、危うく大惨事になるところだった」

 

「う、うん。そうするよ」

 

「本当にお願いします、奥様、旦那様」

 

 ……落ち込むルナ様、桜小路遊星様、八千代さんの姿に、僕はもう一度心の中で頭を下げた。

 本当の事を言えなくて、申し訳ありません!!

 

 

 

 

 疲れた。本当に色々あり過ぎて疲れたよ。

 夕食の出来事を終え、僕と駿我さんは桜小路家から出た。

 ルナ様はもう遅いから泊まって行けば良いって言ってくれたけど、駿我さんが今後アメリカで僕が暮らす場所になるから案内はしておくべきだと言ってくれて、桜小路家から出た。

 ……悔しがるルナ様と、それを宥める桜小路遊星様。そして笑顔で手を振ってくれていた八千代さんが、印象的だった。

 因みに湊は完全に寝入っていたので、そのまま桜小路家に泊まる事になった。疲れていたんだろうね、湊も。

 

「小倉さん。此処だ」

 

「えっ? 此処ですか?」

 

 車に乗って駿我さんが案内してくれた場所は、高級だと一目で分かるマンションだった。

 

「あ、あのお屋敷とかでは?」

 

「アメリカの屋敷は親父が住んでいる。親父は残念だけど、君を歓迎はしていないから、会ったら気まずくなると思う」

 

「……そうですか」

 

 やっぱり、大蔵家全体が僕を歓迎している訳じゃない。

 これまで会ったメリルさんや駿我さんが歓迎してくれているだけに、ちょっと寂しさを感じた。

 

「余り気に病まなくて良い。と言うよりも、あの親父に何かを言う資格は無いからね」

 

「どういう事ですか?」

 

「あの親父……妾に子供を産ませていたんだ」

 

「えっ?」

 

「名前は、『山県大瑛(やまがただいえい)』。今は日本のフィリア学院にピアノ科で通っている。親父は認知する気もなくて、母親の方も遊び回っているから、俺が引き取った。君と同じように真っ直ぐな子だから、りそなさんは気に入っているようだよ」

 

「……知りませんでした。りそなからそんな話は聞いてませんでしたから」

 

「多分、りそなさんは今の大蔵家の裏を見せたくなかったんだと思う。正直遊星君が頑張ってくれたのに、大蔵家には変わっていない部分も残念ながらある。ただ俺達の世代が君を歓迎している事だけは、確かだから安心して欲しい」

 

「ありがとうございます」

 

 優しく笑う駿我さんに、僕は頭を下げた。

 

「さぁ、部屋に案内するよ」

 

 駿我さんに案内されて、僕はマンションの中に足を踏み入れた。

 案内されたマンションの部屋は、広かった。りそなが借りていた部屋よりも広いかも知れない。

 置いてある家具も、質が良く高級な物だ。キッチンも備わっていて、調理器具も桜屋敷で使っていた物に劣らない器具が全て揃っていた。

 何よりも嬉しいのは、ミシンを始めとした服飾道具が揃っている。

 

「気に入ったかい?」

 

「はい! 私の為にこんな素晴らしい部屋を用意してくれて、感謝の言葉もありません」

 

「そうか。喜んで貰えて良かったよ。俺の部屋は隣だから、何かあったらすぐに呼んでくれ。明日からの桜小路家への送り迎えも俺がするから。ただ時間だけは守って欲しい」

 

「は、はい……あの?」

 

「何かな?」

 

「その……お仕事の方は大丈夫ですか? 桜小路家の場所は分かりましたから、私一人で直接向かっても大丈夫ですけど」

 

「構わないさ。りそなさんから君の事は頼まれてるし、暫らくは海外に行く予定もない」

 

「ですが……」

 

「もし気になるんだったら……そうだな。明日から朝食と昼の弁当を作って欲しい」

 

「えっ? 朝食とお弁当ですか?」

 

「あぁ。夕食は桜小路家で取る事になりそうだから、朝食と昼食だけで構わない」

 

「……分かりました。腕によりをかけて作らせて貰います!」

 

 こんな事でお礼になるか分からないけど、駿我さんの好意に報いるために頑張ろう!

 

「何かリクエストがあったら、前日に教えて下さい」

 

「明日は君に任せるよ。それじゃ、また明日の朝に」

 

「おやすみなさい、駿我さん」

 

「おやすみ」

 

 部屋から駿我さんは出て行った。

 それを見送った僕は、部屋の奥に置かれていたベッドに移動して倒れる。

 

「……つ、疲れた」

 

 本当に疲れた。

 こうして一人になると全身が疲れ切っているのを感じる。

 ……でも、嬉しかった。世界は違っても、ルナ様と八千代さんと話す事が出来た。もうあの二人とは直接会って話す機会はないと思っていたから。

 桜小路遊星様とも向き合えた。未だ申し訳なさを感じてはいるけど、弱っていた時に時折抱いた嫉妬の感情は無くなっていた。今は寧ろ早く彼の服飾の技術を見て学びたい。

 駿我さんのような優しい人とも出会えた。彼にはアメリカにいる間、お世話になるんだから食事以外にも何かお礼がしたい。何か良いのはないかな? 以前の僕だったら、シャツとか縫えたんだけど、今の僕じゃ無理だし。

 何か良いプレゼントを日本に帰国する前に考えて、駿我さんにプレゼントしよう。

 ただ……やっぱり才華様が女装してフィリア学院に通う事は、秘密にしておいた方が良さそうだ。

 パリでのりそなの慌てぶりから予想は出来ていたけど、ルミネ様はかなり大蔵家の中で重要な位置にいる。

 お爺様の娘だから当然だけど、その過保護ぶりを僕は甘く見ていた。

 ルナ様達の様子から考えて、もしもルミネ様に何かが起きればお爺様が動き出す。今のところ、りそなを信じて直接的に動いていないのが助かった。

 

「知られないようにしないと」

 

 りそなからもこれ以上、誰かに知られるのは不味いと注意されている。

 幸いにも僕が才華様を叱った件は、誤魔化す事が出来た。

 後は僕が口にしなければ、このまま隠しておける。

 

「そう言えば……どうして才華様は僕を桜小路遊星様だと勘違いしたんだろう?」

 

 今更ながらに気になった。

 今日の桜小路遊星様の言葉から考えて、間違いなくルナ様がご卒業されてからは『小倉朝日』にはなっていない筈だ。と言うよりも、僕と違ってなる必要性が無い。

 

「なのに、才華様は確かに僕を『お父様』って呼んだ。アトレ様や九千代さんは、違うって言っていたのに……何でだろう?」

 

 もしかしたら才華様は勘が鋭いのかも知れない。

 だとしたら、フィリア学院で会っても距離を取るべきかも知れない。

 僕のせいで、せっかく女装の事が知られていないのにバレたら、桜小路遊星様に申し訳が無い。

 ただでさえ『晩餐会』での出来事や、朝日の姿である僕のせいでかなり心労が重なっているだろうから、これから服飾を教えて貰う身だ。これ以上の心労を与えないように気を付けないと。

 

「よし! フィリア学院では才華様と距離を取ろう!」

 

 ちょっと寂しいけど、それがお互いの為に違いない!

 さぁ、明日からは桜小路家での服飾の勉強があるから、お風呂に入ったら寝ないと。

 明日からの一か月が楽しみだな。




因みに本編で言っている瑞穂の衣装とは、瑞穂ルートで瑞穂が着た衣装です。
あの衣装を着た朝日を、見たかったです。
後、この話では、料理では遊星が一歩リードしていますが、その他の家事では朝日の方が上です。


『ルナ様の野望』

「完全に後手に回ってしまっている」

 朝日が漸く来てくれたのに、私との仲を進める機会が少ない。

「それもこれも夫に八千代。そして大蔵家のせいだ。朝日のメイド服を姿をどれだけ私が楽しみにしていたと思っているんだ!」

 若い朝日のメイド姿なんて、見たいに決まっているのに!
 いや、夫の夜のメイド姿も最高ではあるが、あの女性らしさが増している朝日も最高だ!
 だからこそ、メイド姿を見たいのに! 勿論、今の女性姿もそれはそれで素敵だが。

「やはり朝日と言えばメイド服なんだ! なのに、そのメイド服姿が見られないなんて! ……こうなったら、仕方が無い」

 私は執務室の本棚の前に移動して、一冊の本を取る。
 その奥に仕込んで在ったスイッチを押す。
 同時に本棚が動き、隠し金庫が現れた。

「……大切な思い出だったが、あの朝日になら」

 金庫の中にあるのは、夫にも内緒で撮っていた朝日の写真が納められたアルバム。
 おおっ! やっぱり、このアルバムを見ると心が震える。今夜にでも夫を可愛たがりたくなってきてしまうではないか!
 いや、今はそんな時ではない。重要なのはアルバムではなく、金庫の中にアルバムと共に入ってるトランクの方だ。

「……良し。手入れはしておいたから傷んではいない」

 夫も八千代も、コレの事は知らない筈だ。

「七愛の報告通りなら、あの朝日はメイド服を着ていないと服飾の時に落ち着けない筈だ。なら、コレを渡せば」

 ようは、私が朝日に着せようとするから問題なんだ。
 なら、逆に朝日自身が自分から着れば問題は無くなる。
 最愛の夫と、最愛の恋人が両方一度に手に入るかも知れないんだ。
 このチャンスを絶対に逃しはしない!

「朝日は誰にも渡さない。必ず私のものにしてみせる」

 狙っている相手は多い。
 少なくともりそなと大蔵駿我は間違いなく狙っている。
 他にも狙う者は出て来るだろう。何せ朝日は天然の人たらしだ。
 たらされた私が誰よりも知っている。

「その為にも、コレを着て貰う。喜んでくれ、朝日」

 コレを着る朝日を頭の中に浮かべながら、私はトランクの中身を見つめる。
 夫が『小倉朝日』として着ていた、桜屋敷のメイド服を。

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