月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回も原作通りです。
次話で才華達にも大きな出来事が起きます。

Nekuron様、烏瑠様、獅子満月様、誤字報告ありがとうございます!


二月上旬(才華side)5

side才華

 

「助けてくれてありがとう。ただいま戻りました」

 

 エントランスで待っていた僕に、病院から帰って来た僕の主人(予定)であるエスト・ギャラッハ・アーノッツが挨拶してくれた。

 

「おかえりなさいませ、検査の結果はいかがでしたか?」

 

「大丈夫、異常はないみたい。外傷もないし、傷が残る事もないの。だけど、頭部を強く打っているから、来週になったらまた病院に来なさいって」

 

「それを聞いて安心しました。後遺症の残るような事がなくて良かったです」

 

「心の傷は残ったけどね」

 

「その現場を見たのは私だけです。お互いに全てを忘れましょう。思い出す機会が無ければ、心の傷はゆっくり癒えていく事でしょう」

 

 寧ろそのまま忘れて欲しい。

 フィリア・クリスマス・コレクションの後には、彼女に僕の正体を教える事になるんだから。

 もしも覚えていたら、本当に来年の僕は海の底か、墓の中にいそうだ。

 迂闊にこの事実を思い出させないようにする為に、誰にも話さずにおこう。

 で、彼女に何があったのかと言うと、彼女曰く、シャワーを浴びている最中にインターホンが鳴ったので応対したとのことだ。その帰り道にすっ転んだらしい。つまり、僕との会話を終えてから20分以上も全裸で倒れてたことになる。笑い話に出来ない状況だ。

 病院の手配を壱与に任せて、彼女が検査を受けている間に、部屋の方は僕が整えていた。

 慌てて彼女を着替えさせた為に、ちょっと散らかしてしまったし、部屋も濡れていたので掃除ぐらいはしておこうと思ったからだ。

 壱与に任せるという方法もあったけど、もう他にも入居者達も入って来てるし、忙しい彼女に任せる訳には行かない。何よりもこの面接が僕にとって、最後の希望だ。今の内に少しでも得点を稼ぎたかった。

 病院での検査は時間がかかるのが分かっていたので、掃除の後はエントランスで彼女が帰って来るのを本を読みながら待っていた。

 やがて戻って来た彼女は、『ただいま』の前に、助けた事への感謝を述べてくれた。

 ちゃんとお礼が言える良い人だ。この分なら、雇用にも希望が持てそうだ。

 彼女が部屋に戻って面接を始めようと言ってくれたので、僕達は事件があったフロアに戻って来た。

 これから始まる面接で、僕の命運が決まる。……フィリア・クリスマス・コレクション後の未来は考えないようにしよう。

 

「それでは改めて挨拶をしましょう。エスト・ギャラッハ・アーノッツです」

 

 部屋着に着替え直して対面する彼女は、僕に挨拶をした。

 

「小倉朝陽と申します。朝陽とお呼び下さい。本日はどうぞ宜しくお願いします」

 

 此処まで来て弱点となってしまった名字呼びをされる訳には行かないので、予防線を張っておく。

 

「恥ずかしいところをお見せしてごめんなさい」

 

「いえ先ほども申しました通り、その出来事はお互いに忘れてしまいましょう」

 

 主に僕の命の安全の為に。

 

「恥ずかしいものをお見せしてごめんなさい」

 

「いえ」

 

 其方の方は忘れたいけど、忘れられないかも知れない。

 僕は彼女の体を拭き、服まで着せた。その時に見た彼女の非常に細く、美しいスタイルに感動に近い感心を覚えた。

 その肌の色も、僕やお母様ほどではないけど白く、毛穴が見えない程にきめ細かい。普段見えないところまで、手入れが行き届いていた。

 そして顔。これほど綺麗な人だとは思っていなかった。鮮やかな蒼眼が映える均整なバランスが整った顔立ちは、彼女を美人と呼ぶのに何の抵抗もない。総じて彼女の外見的な評価は『美しい』に尽きる。

 外見の印象ほど好意の条件として簡単なものはない。これまでが彼女に対して好感触だったこともあって、僕は彼女とデザインの勉強をしたいという気持ちが強くなって来た。

 だと言うのに、目の前の人はまだ落ち込んでいた。

 

「雇うのが執事じゃなくてメイドで良かった……見られたのが男性だったら死んでた」

 

 あ、ごめん。やっぱりそのまま落ち込んでいても良いかも知れない。

 僕の正体は男性だけど、どうか死なないで。

 ……来年に関してはもう考えないようにしよう。

 

「それに、女性が救いだと言っても、こんな美人に見られたのは……」

 

「美人?」

 

「ん? ああ、美人に見られて落ち込む理由? 自分の体の粗を見つけられてそうな気がしたの」

 

「いえ、そうではなく、私が美人ですか?」

 

「そう、美人」

 

「ですが私は、この外見です。髪も特別な色をしていますし、肌の色も貴女と違い健全な白さではありません」

 

「その美しさも神秘的に見えるの。大丈夫、肌の色も髪の色も、貴女に良く似合っていて美しいから」

 

「私の髪を」

 

 目の前の人は僕の髪を、お母様から与えられた髪を美しいと言ってくれた。

 人が人として生きる限り、己の誇りを認められる以上の喜びがあるだろうか?

 特に僕はこの髪に関して劣等感を抱いていた。彼女からすれば何気ない一言だったかも知れないけど、この一言で彼女に対する僕の意識は大幅に変わった。

 侮りは元々なかったけど、改めて彼女に対して何かを残そうという気持ちが抱けた。

 仕事以外の面でも、彼女に何かを残したい。

 

「私は、この髪を褒められる事に何よりも喜びを感じます」

 

「そうだったの?」

 

「はい。三年間を貴女の傍で過ごしたい気持ちが強く固まりました。どうか私を付き人としてお使いください。心よりお願い申し上げます」

 

 正確に言えば、今年のフィリア・クリスマス・コレクションまでだけど、その事を話して違和感を持たれる訳にはいかない。

 騙すような形になってしまうけど、こればかりは話す時に謝罪するしかない。

 

「此方もお願いするつもりでいるの。此処までの会話で、貴女を気に入ったのも理由の一つだし。助けて貰ったお礼もあるから。でも大丈夫? 貴女は務まるの?」

 

「その為に務めます。不自由の多い私ですけど、三年後もこの髪を美しいと言って頂けるように、仕事に対して誠意をもって挑む事を誓います」

 

 正体だけは欺きつづける事になるけど、それも何時か、僕が必要な場所で力になることで謝罪の代わりとしたい。

 

「それじゃ面接は此処まで。次に条件を詰めましょう」

 

「こく……じゃなくて朝陽さんは」

 

 あ、危なかった!?

 思わず名字で呼ばれかけて、身体が反応仕掛けたよ!

 面接が終わって気が抜けかけた事もあったけど、彼女と一緒にいる間は気を抜いたら不味そうだ。注意は続けよう。

 

「今近くのフロアで部屋を借りているの? 通いのつもりでいたのなら申し訳ないけど、このフロアで住み込みでお願いしたいの」

 

「このフロアに、ですか?」

 

 さて、さっそく困った。地下から学院に通うという条件がある以上、僕もこのマンションで暮らす。

 その為の準備も既に、2階の方で終えてしまっている。本来の生活スタイルでは、時々最上階(アトレの部屋)や64階(ルミねえの部屋)へ顔を出しつつ、登下校やデザインの相談の時だけこの部屋に訪れると言う形だ。

 何より共同生活となれば、性別がバレる危険性が増す。桜屋敷ほどの広さがあれば別だろうけど、この部屋の広さでは、玄関のドアを開けるのも気づかれるし、他のフロアへの移動もし辛くなる。

 期待されているようだけど、残念ながら応える事は出来ない。

 

「この肌の事情でご迷惑をお掛けする事があると思います。私自身の本音としましても、胸や背中などの、普段隠している範囲の肌を見られる事に抵抗があります。部屋が別とは言え共同生活となれば、入浴の後やクリームの後にお嬢様に肌を晒す場面が度々起こると思います。私にはそれが辛く思えるので、どうかご容赦下さい」

 

「そう。それなら仕方がないね」

 

「ご希望に添えず申し訳ありません。それでも同じ建物の中にいますので、用事があれば内線でお申し付け下さい。すぐに駆け付けます。大蔵ルミネお嬢様のご厚意により、2階に格安で部屋を借りています」

 

「そこにはもう住んでいるの?」

 

「はい。既に荷物や家具などは運び終えています」

 

「そうなんだ。引っ越しが終わってなかったら、手伝おうと思っていたのに」

 

 薄々気がついていたけど、彼女は親切な人のようだ。

 主人が使用人の引っ越しの手伝いをしようとするなど、お人好しのレベルだ。

 僕としては好感を覚えるけど。

 

「別の部屋なのは残念だけど仕方がないよね。同じ部屋にいて貰えれば心強かったんだけど、事情があるんだから仕方がないよね。私は本当に生活がだらしないから、少し心配なんだけど」

 

 ……何だか不穏な言葉が聞こえたような気がする。

 本人が其処まで言うだらしないとは、どの程度なのだろうか?

 

「だらしないと言うのはどのような部分ですか? 朝、起きるのが苦手だったりとか……」

 

「朝は絶対に遠慮しないで。頬が張り裂けそうなほどの平手打ちじゃないと起きないから……」

 

 ……そんなに酷いの?

 僕も体質のせいで朝は苦手だけど、流石に其処までは酷くない。

 

「隙あらば二度寝するから、トイレに入って長時間出て来なければ、ドアを破壊してでも起こしに来てね。酷い時は歯を磨きながらでも寝てるから」

 

 ……フォロー出来る言葉が出ないぐらい、酷いですね。

 

「深夜まで夜更かしして過ごす事も多々あるから、何時までも起きているのに気がついたら、鳩尾に抉り込むような拳を叩き込んででも寝かしつけて欲しいの」

 

「頑張ります。今日から毎日、殺すつもりでサンドバッグを百回叩きます」

 

「湯船で何度も寝ていて、過去に溺死し仕掛けていたところを妹に救われているから、同じ部屋で暮らして欲しい気持ちが本当はあったのだけど……」

 

「バスルームにスイッチを付けて、お嬢様が入浴されたらランプが私の部屋に付くようにしましょう」

 

 オープンしたての『桜の園』で、溺死事件なんて引き起こされたら大変迷惑だ。

 この面接が終わったら、すぐに壱与に依頼して業者に来て貰おう。先ほどの事件の件もあるんだから、すぐに壱与なら納得してくれる筈だ。

 

「他にお嬢様が生活上で気を付けている点はありますか?」

 

「一人で部屋にいる時は、基本的に全裸なの」

 

「原始人ですか? 服を着て下さいませ」

 

「窮屈なのが苦手なので。ノー全裸。ノーライフ」

 

「重ねてお願いいたします。服を着やがれ下さいませ」

 

 本当にだらしない人だ。大げさに言っているだけだと思いたい。

 そうじゃないと、フィリア・クリスマス・コレクション後に真実を話した時の僕の命が本当に危ない。

 その後、家事などの件も話し合った。出来る事は僕がやり、出来ない事はコンシェルジュに依頼してやって貰うという事になった。

 驚くべき事に、彼女が使用人を雇うのは僕が初めてだと言う。アーノッツ家は子爵という家柄だが、最近は家が傾いている影響もあるのか、使用人の類は雇っていなかったらしい。

 

「それじゃ最後に一番大切な確認をしましょう。貴女の服飾の実力を見せて。これは面接じゃなくて試験」

 

「はい」

 

 遂に来た。

 この試験こそが何よりも僕にとって重要な試験だ。

 

「条件のひとつとして大蔵のお嬢様から聞いているけど、貴女は自分のデザインを使って12月のショーに参加したいのでしょう?」

 

「はい。『フィリア・クリスマス・コレクション』で最優秀賞を飾る事が、私の夢です」

 

「参加方法に制限はないのだし、私と別れて参加する事は構わないの。面と向かって競う訳でもないのだから、私を差し置いて最優秀賞に選ばれて……なんて言う事は無いから」

 

 これまでの彼女の言動から見て事実だろう。前言を翻す人だとは思えないし。

 

「だけど私のフォローで学院に通うのだから、此方が手を必要としている時は、貴女の製作の手を止めてでも協力して貰わなければ困る」

 

「はい」

 

 どうやら彼女も最優秀賞には拘りがあるらしい。

 つまり、僕と同じだ。この人の良いところをまた一つ見つけた。

 

「たとえ貴女が、最後の最後まで自分の作品に拘りを尽くして、私達にとって最も貴重な、最後の追い込みの時間を奪われても、私の作品を優先出来る?」

 

 それは製作者側の人間にとって、何よりも恐ろしい事だ。

 僕も彼女も、曲がりなりにも認められた事がある人間だから知っている。一度世に出した物を見直したとき、『あの時、手を加えておけば』は必ず生まれる。

 それがどんなに完成度が高いものであったとしても、最後の一針を加える事が出来なかった苦しさは、時にベッドで思い出し、取り返す事の出来ない評価に身悶えする。とてもつらい事だ。

 だけど、今の僕には選択肢はない。

 

「はい、お嬢様の作品を優先します。悔いの残らないように、自分の作品は仕上げる事を第一にします」

 

「いざとなって泣き言を並べられても困るけど、良いの?」

 

「そのような無様を私が晒せば、この誇りとする髪を全て刈りあげるという誓約を交わしましょう。お嬢様の作品を何より優先する事を誓います」

 

「そこまで大げさな話にしなくて良いの。でも、其処まで言うなら信じる。では試験を始めましょう。先ずはデザイン画、それと型紙をどの程度引けるか見せて」

 

 此処が何よりも重要だ。僕達は服飾生。

 服飾の実力が認められれば……彼女に自分が役に立つと思って貰えれば、他に不利な条件があっても大抵の事はひっくり返せる。

 だけど彼女は僕のデザインを知っている。出来るだけタッチを変えてみるつもりだけど、桜小路才華のデザインじゃないかと聞かれれば『yes』としか言えない。

 

「用紙は何枚でもご自由に。鉛筆もシャープペンシルもあるから、好きな方を使って」

 

「はい。では始めます」

 

 用意された席に着き、震える手で鉛筆を握った。

 これまでの人生で此処まで緊張してデザインを描くのは初めてだ。

 だけど、僕が描いたものを彼女は雑誌でしか見た事がない。『何処かで見た事があるような……』という違和感を覚えるにしても、先の事だ。

 と言うよりも、そうあって欲しい。

 

「アレ? この絵、見た事ある」

 

 一目見ただけで一発でバレた。

 まさか5分ちょっとで、しかも1枚目を描いている途中で見抜かれてしまうとは。どれだけ僕のデザイン画に注目していたんだ?

 

「別人? え、でもこのセンス……タッチも似てるし、線の描き方がまるでそのものような?」

 

「恐れ入りました。全て告白いたします。私は桜小路才華様のゴーストを務めていた人間です」

 

「え゛っ!?」

 

 『ゴースト』と言う言葉を聞いた時点で、目の前の彼女は明らかに怒りの表情を示した。

 此処で同情を誘わなければ、不味い!

 

「お待ち下さい。私はこの事実を世に出したり、桜小路才華様を訴えたりしたくはないのです。私はこの体です。あまり目立つ事を好まず、それでも自分のデザインが世に出れば嬉しいと、才華様の厚意に甘え、彼の名義で数々のデザインを世に発表しました。それが賞を授かるほどにまでなり、才華様は、やはり私自身の名で栄光を掴むべきだと言って下さいました。自分は今後、一人でデザインを続けていく。私は私自身で栄光を掴むべきだと……」

 

 出来るだけ同情を誘うように、言葉を並べていく。

 必死に弁解の言葉を重ねるけど、彼女の表情は変わらずに固まってしまっている。

 もっと、言葉を重ねよう。

 

「私のデザインが世に出れば、才華様が疑われる恐れがあります。そして才華様のデザインが全く変わる事になります。だから才華様は、これから三年間は実力を身に付ける潜伏期間として、私を妹君に預けて日本に送り届けてくれたのです。私は、日本のフィリア学院でどうしても『フィリア・クリスマス・コレクション』で最優秀賞を取りたいのです。ある人の事を知る為に。その方の居所は、才華様のお力をもってしても見つける事は出来ませんでした。唯一の手掛かりは、『フィリア・クリスマス・コレクション』だけ」

 

 嘘ではない。

 小倉さんの居所は、僕には分からない。

 伯父様に小倉さんは護られている。その証拠にお母様やお父様でさえ、小倉さんの居所を見つけられずにいる。

 本当に現状で、小倉さんに繋がる唯一の手掛かりは、伯父様が出した『フィリア・クリスマス・コレクション』で最優秀賞を得るという手段しか僕にはないんだから。

 

「どうかお嬢様お願いいたします。この件を黙っていて欲しいのです。私は才華様を訴える気はありません。才華様の応援のおかげで、自信を得る事が出来ました。彼の名前でデザインを描いた事を誇りに思っています。私は桜小路才華様に感謝しています!!」

 

 此処まで主張したのだから、桜小路才華は悪役にはならないと思う。

 ゴーストを使っていたという罪は消えないけど、全ては小倉朝陽の未来の為だと主張したい。

 頼む、エスト・ギャラッハ・アーノッツ。僕の目を見て欲しい。ほら、元の主人を慕う健気な従者の目をしているだろう?

 君なら分かってくれる! どうか桜小路才華の気持ちを汲んで頂きたぁい!

 

「マイガ!! チキン!! ルゥーザァァ!!!」

 

 雷が落ちたと思えるような衝撃を感じた。

 僕の主張は彼女には届く事無く、桜小路才華への怒りは頂点に達してしまった。最早どんな弁解も通じないだろう。

 この人、実家がマフィア紛いと聞くわりに、お嬢様らしい喋り方をするなあ、でも何処か庶民然としていると思っていたけれど、地元の言葉のままだとチンピラだ。

 アイルランドのスラング語なんて知らないけれど、そう言えば彼女はアメリカで賞を取っている。アメリカで暮らしていた時期もあったんだろう。其処でどんな人と交わっていたんだろう? 少し残念だ。

 

「フ〇ック! ファ〇ク! ファ〇アアーーーック!!!」

 

 その言葉は流石に止めましょう。品が無さ過ぎる。

 だけど困った事……。

 

「朝陽さん、貴女の気持ちは理解したつもり。分かった。貴女の意思を尊重して、桜小路さんの非を世に訴えたりしない。それに今年のショーの参加が目標だって言うなら、悔いが残らないように全力を尽くして。貴女を利用した桜小路才華に、目にもの見せて上げて。そして探している人の事を必ず見つけてね」

 

 彼女の行動、言動には、一般的な正義に基づく善意が溢れている。

 彼女は今騙している相手なんだから、桜小路才華が嫌われることについて、言い訳出来る道理がない。これは彼女の下で学院に通う以上、呑まなければならない痛みだ。

 ……今更ながら理解した。してしまった。あの人は、小倉さんは、これと近しい痛みを感じていたに違いない。

 いや、彼女の痛みは僕以上だった筈だ。あの人は本当に奉公していた屋敷の主人を大切に思っていた。誰かを騙している痛みは、時と共に大きくなってしまう。

 そして真実が明らかになってしまった時の痛みに、小倉さんは呑み込まれてしまった。

 それなのに僕は……あの人の傷を踏み躙るような行為をしてしまった。

 謝罪しても許されるか分からない。何よりも今、僕は小倉さんと同じ行為をしている。

 今なら引き返す事が出来るかも知れないけど。僕には目の前の彼女と一緒に、学院に通いたい理由が出来てしまった。

 

「あの馬鹿人。何度か競って悔しいと思いもしたけど、その時は決まって、私が選ばれなくても仕方がないと思えるほどの良いデザインを描いていたのに。私のライバルだと思っていたのに……私が日本で成長した三年後に、向こうも違う形で実力を伸ばして、お互いが新しい感性を交えて競い合おうと思っていたのに! それが全部人任せだったなんて! あの卑怯者の馬鹿!」

 

 其処まで桜小路才華のデザインを認めてくれるのは、素直に嬉しい。

 本人が目の前にいると知らないからこその好意の吐露に、僕は感動を覚えた。

 僕自身も彼女のデザインは認めている。お互いに才能を認め、ライバル視し、尊敬していたと分かったからだ。

 そんな人と机を並べてデザインを学べる。僕の才能を伸ばしてくれる。豊かな発想を与えてくれると確信出来る。創造を志す人間にとって、魅力を覚えずにはいられない。

 それが小倉朝陽としての姿でしか関われないのであれば、僕は卑怯者と言われても構わない。

 真実を告げるフィリア・クリスマス・コレクションまでだけど、僕はこの人が良いと思えた。この人とならきっと楽しい日々を送れる。僕が選んだこの人に選ばれたい。

 

「ただ、桜小路さんを許せない気持ちはあるけど、それ以上に嬉しい気持ちもある」

 

「嬉しいですか?」

 

「そう。今打ち明けた通り、私は貴女のデザインを認めていたから。同世代のデザイナーとしても、好敵手としても好ましい相手が、これからすぐ傍で共に学ぶ事が出来るなんて、良い刺激を受けそう」

 

 彼女も僕と同じ事を考えていたらしい。

 

「それは私も同じです。以前から貴女のデザインを素晴らしいと感じ、同時に超えなければいけない目標だと感じていました」

 

「ますます嬉しい。貴女は私の目標。貴女は私のライバル。そして生活を共にする対等な主従関係」

 

 大げさかも知れないけど、彼女が口にした物語の登場人物のような関係に、僕の胸は高鳴った。

 良いと思った。僕の本当の立場上、心から尽くす事は出来ないけど、僕の外見と才能を認めてくれた人なら尽くす事は出来る。

 大変気分が良い! 僕は彼女との出会いを全肯定する。

 ……フィリア・クリスマス・コレクション後の事は考えないようにしよう。うん。

 

「これで服飾の試験は終わり。私が貴女を雇う為の条件は全て満たしたと思っていい。今から正式にお願いする」

 

「はい。主従の契りを交わしましょう」

 

 特別な何かではないけれど。僕と彼女は向かい合った。

 

「これから三年間、私の掛け替えのない人になって」

 

 それを叶えられるかは分からない。

 フィリア・クリスマス・コレクション後に話す真実を、彼女が受け入れてくれるかどうかで決まるのだから。

 でも、今は彼女の誠意に応える為に、自分が言える事を伝えよう。

 

「貴女の為に、今よりこの身を尽くしましょう。共に進みましょう。誇り高きエスト」

 

 僕達は微笑みを浮かべて契約を交わした。

 この人は本当に、表情や仕草には高貴な雰囲気を纏っている。それだけにだらしなさや言葉遣いが残念だ。

 彼女に相応しい気品、美しさを纏って貰いたい。それを身に付けさせるのが、僕の役割なのかも知れない。

 その辺りをきっちりと教育してあげますよ、エストお嬢様。

 

「それじゃあさっそく初仕事をお願いしても良い? 二人で食事にしましょう。日本の料理が食べたいの」

 

「分かりました。料理には自信がありますので、腕によりをかけて作ります」

 

「本当! 楽しみ!」

 

「では、すぐに準備しますので、少々お待ち下さい」

 

 体の事情で使用人として出来ない事もある僕だけど、だからこそ出来る事は全力でやろう!

 漸く僕は夢の舞台となるフィリア学院に通う事が出来る。

 その嬉しさもあって、何時もよりも力が入った料理をエストは喜んでくれた。

 これからの日々が楽しみだ! 大変気分が良い!

 

 だけど、僕は知らなかった。

 自分達がやっている事が上手く行き過ぎて気がついていなかった。

 事態が僕達の知らない所で動いてしまっている事に。




つり乙において順調に事が進むのは、後の波乱の幕開け。
そろそろ才華達にも波乱が起きます。

『とある兄妹の会話』

「上の兄。やってくれましたね」

「ククッ、その様子ではやはり奴は教えてしまったようだな」

「白々しい事を……下の兄が私に隠し事を出来ないのは知っている筈です……利用しましたね、あの甘ったれの為に下の兄を」

「まさか。流石の俺とてあそこまで弱っている奴を利用する気はない。才華の件はこの俺も予想外の事だ。まさか、ルミネ殿がデータ上でしか相手を確認しないなどと言うミスを犯すとは思ってなかった。少々その件に関しては、俺も反省している。奴を俺の養子として認めさせる為に、其方の方に力を入れていたからな」

「……良いでしょう。下の兄からも頼まれましたから、『晩餐会』の件は許しますし、あの甘ったれの行動も見逃して上げます。アメリカの下の兄やルナちょむに被害が及ぶのは、私も望みませんから」

「ククッ、これは才華達も知れば喜ぶだろう。一番の敵だと思っていた総裁殿が味方をしてくれるのだから」

「勘違いしないで下さい、上の兄。私は下の兄の味方です。やらかしてくれたあの甘ったれを赦す気も認める気もありません……まぁ、納得出来るだけの結果を出せたら別ですけど」

「なるほど。で、奴は何処に居る?」

「今はアメリカにいます。連絡も来て、一か月ほど滞在する事になったそうです……ハァ~、ルナちょむは危険だと言っているのに、あの下の兄は理解してくれなくて困ります」

「仕方あるまい。桜小路がああなったのは、七月以降の事だ。その前までしか知らない奴には理解し切れないのだろう」

「……帰って来ますかね?」

「帰って来るだろう。伴侶がいる相手に恋慕を抱くとは思えんしな。第一、お前との約束を破るとは思えん」

「……分かりました。下の兄を信じましょう。で、話は変わりますが、上の兄。あの甘ったれに釘を刺しておいて下さい」

「ほう」

「どうせ面接が旨く行ったら浮かれるに決まっています。私が下の兄の頼みを聞いて見逃しているのも、内緒にしておいて下さい。あの甘ったれには、自分が仕出かし掛けた事を教えておかないと行けません」

「……分かった。才華には調査員の件は伝えておく。その経緯も伝える。肝心の調査員が誰なのかは秘密としてな。ククッ」

「当然です」
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