月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回で二月の才華sideは終了です。
後は遊星sideを一、二話やったら三月編です。

三角関数様、獅子満月様、烏瑠様、kcal様、誤字報告ありがとうございました!


二月中旬(才華side)8

side才華

 

「入居を拒否した方がいいんじゃない?」

 

 今日の昼間に起きた出来事を聞いたルミねえは、八日堂朔莉を全否定だった。

 

「才華さんが気に入られた時点で距離を置くべきだったと思う。今の生活の害にしかならない」

 

「そ、其処まで言う必要は無いと思うよ。彼女を受け入れるのには大きな利もあるし」

 

「例えば?」

 

「フィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を狙うなら、彼女の知名度は大きな武器なる。手を組むだけのメリットはあるよ」

 

「同じマンションに住む必要性が感じられない。用がある時に学院内で接触すれば良いだけ」

 

 ご尤もな言い分だ。

 だけど、僕としては安全な場所で八日堂朔莉と接触したい。

 ……あの人は間違いなく、僕が周囲を警戒している事を見抜いていた。あの言動から諜報員だとは思えないが、それでも近くに置いて警戒しておきたい。

 それに……上手くすれば、彼女に諜報員が誰なのかを見抜いて貰えるかも知れない。

 アトレやルミねえにお願いした事で、ある程度は絞れるかもしれないが、その後は同じ教室にいる僕が諜報員が誰なのかを見抜かなければならない。

 世界的な女優として活躍している八日堂朔莉ならば、学生に扮した諜報員を早期に発見出来るだろう。

 同じマンションに住むよしみとして、僕が特別編成クラスのクラスメイト達を紹介するという形で接触させる事が出来るんだから。

 でも、その事は言えないからやっぱり誤魔化す。

 

「少し難解そうな相手なんだ。彼女を理解するには生活を共にするのが一番だと思う」

 

「それが彼女を入居させる上で一番のネックだと言ってるの。アトレさんや山吹さんの話を聞く限り、許容出来る範囲を超えた変な人にしか思えない」

 

 アトレと九千代が同意するように頷いた。

 

「一度入居させてしまったら簡単には追い出せない。いま三人から聞いた会話の内容を考えれば、行動に問題のある人間だと判断した上で、入居をお断りすることが出来る。社会の規則を守れない人間は迎え入れる必要がない」

 

「後半は完全にルミねえの個人的な感想だよ……それに、正直言って彼女は油断出来ないから、僕は傍に居て貰いたいと思ってる」

 

「どういう事?」

 

「……彼女に僕が演技している事を、こっそり指摘された」

 

 ルミねえ、アトレ、九千代は驚いたように目を見張った。

 

「アトレと九千代は覚えていると思うけど、彼女は最後に僕の傍に近寄って来たんだ。その時に『警戒し過ぎてる』って言われたんだ」

 

「それって」

 

「まさか」

 

「バレているんでしょうか? 若の性別が彼女に?」

 

 正確には忠告に近い形だったんだけど、八日堂朔莉の入居に納得して貰う為にあえて真実を告げずに進める。

 

「其処までは分からない。でも、入居を拒否して逆恨みでもされて、僕の事を調べられたら尚更困るよ。彼女は僕に夢中だったからね」

 

「……そう。分かった。それなら才華さんが責任を取ってくれればいい。私が口を出せるのは此処まで。それじゃ帰るね」

 

「お兄様を説得しないのですか?」

 

「この生活に対して、私は協力者であって当事者じゃない。アドバイスはするけど、決めるのは才華さん。その才華さんが、危険分子を入居させると決めたのだから、今後はその前提の下に協力するしかないと思う」

 

「では真面目な話が終わったのなら、お茶とお菓子でも口にしながら、少しゆっくりしていきませんか?」

 

「ありがとう。でも、話が終わって結果は出たと言っても、やっぱり少しだけ納得がいかないから。今日は帰るね」

 

 口調はあくまで穏やかなまま、ルミねえは部屋を出ていってしまった。

 

「……怒らせてしまいました」

 

「うん、怒ってたね。僕達の誘いを断って帰るなんて、ルミねえにしては珍しい」

 

『……』

 

「ん? 二人ともどうしたの?」

 

 急に黙った二人に、僕は首を傾げて質問した。

 何か変なところでもあっただろうか? 何時もの桜小路才華なら、間違いなく今の発言をするのに?

 

「……あ、あの若? 何か私達に隠していませんか?」

 

 胸が跳ねたように鼓動の音が聞こえた気がした。

 何か……失敗したのだろうか?

 

「隠す? 僕が? 皆に何を?」

 

「……本当に気がついていないのですね、お兄様。九千代」

 

「はい」

 

 アトレの指示に従い、九千代が手鏡を運んで来た。

 そのまま僕を鏡に映す。

 ……なるほど。バレても仕方が無かった。数日前の僕とは違い、今の僕の顔は窶れて精細さが無くなっていた。

 

「こんな顔になっている事も気がついていなかったんですよ、若は」

 

「一体何があったのですか、お兄様? 伯父様に呼ばれた日から、私達と接触するのも控えているようでしたし」

 

「若! 悩んでいる事があるんだったら、言って下さい! このままだと若が参ってしまいます!」

 

「……部屋に帰るね」

 

「お兄様!」

 

「若!」

 

 背後から二人の声が聞こえたけど、僕は黙ったまま部屋から出た。

 そのままエレベーターに急いで乗り込み、階下に移動する。

 エレベーターの壁に背を預けて、僕は顔を両手で覆った。

 何て二人に言ったら良いのか分からなかった。だって、言える訳が無い。僕らのしている事が、ひい祖父様に僅かながらも知られて、その結果、エストの実家が潰されてしまうかも知れないなんて言える訳が無い。

 それだけじゃなくて、桜小路家と大蔵家が争い合う事態になってしまうかも知れないんだ。その事実を協力してくれる皆に言う事が出来る訳が無い。

 事態を回避する手段は一つだけ。僕自身の力でフィリア学院に潜入して来る調査員を見つけ、説得する以外に方法がない。だけど……このまま協力してくれる皆に隠しているのも辛い。

 どうしたら良いのだろうと、思わず両手を覆いながらエレベーターの中に座り込んでしまった。

 その瞬間……エレベーターが止まった?

 まだ、僕の部屋がある二階に着くには早すぎるのに。

 表示板を見てみると、64階で止まっていた。

 まさかと思った瞬間、エレベーターの扉が開き、腕を組んで立っているルミねえを目にする。

 

「……ル、ルミねえ」

 

「部屋に来て。話をしましょう」

 

 有無を言わさずにルミねえは僕の手を引っ張り、立ち上がらせた。

 そのまま扉が開いていたルミねえの部屋の中に入れられ、扉が閉じた。

 ルミねえは手早く施錠して、僕を部屋の奥に連れて行く。

 

「さて……その様子だとアトレさんと九千代さんには、何も話していないね?」

 

「……」

 

「黙り込んでも話すまで帰さない。エストさんには悪いと思ったけど、さっき連絡も入れておいた。彼女も心配していてくれたから喜んで受け入れてくれた」

 

 どうやら手筈は整っていたらしい。

 でも、何も言えない僕は顔を俯かせてしまう。

 

「才華さ……んん、今の才華くん。まるであの時みたいだね」

 

 あの時……それがどの時を指しているのか、すぐに僕には分かった。

 まだ渡米する前。日本で両親と共に過ごしていたあの頃の事だ。

 思えば、ルミねえが僕の身体に対して過保護になったのは、あの出来事があったためだ。

 桜屋敷を住居としていた幼少の時期。僕は月に何度か訪れるルミねえと会える日を心待ちにしていた。

 あの頃の僕は今ほど世界を愛せず。桜屋敷のみを己の天地としていた。

 初めて両親を伴わずに触れた外の世界に、この髪の色を理由に溶け込めなかった事で、踏み出した一歩目で彼らの世界から弾かれた僕は、その後で完全に孤立する事を恐れた。

 己の主張を殺した僕は、自分の天地となる桜屋敷の中でのみ自分を出す事が出来た。だけど、それは理性的な範囲に留まった。

 両親に対しては、ウィッグで髪を隠し始めた頃から強い言葉をぶつけられなくなった。大好きなお母様の髪の色を否定した。その一事が、せめて他の部分では良い息子でありたいと僕に願わせた。

 妹や桜屋敷に勤める人達は、僕に明るく、優しく接してくれたけど、彼らに我儘を言うのが苦手だった。

 兄は妹を導くものだと思っていたし、使用人たちに対する自分の取るべき態度も、お母様を見て知った。僕のお母様は尊大ではあっても、自分が上の立場の人間である事をよく心得て、自分が守るべき存在を大切に扱っていた。

 だから僕も、自らの意思で彼らを困らせるような事があってはいけないと受け止めた。自分が望む事でも、我が儘だと思えば口にするのは控えた。

 そうしている内に、妹も使用人達も僕を慕ってくれた。お父様やお母様も、そんな僕を温かく見守ってくれた。

 でも当時の僕はやっぱり子供だった。甘えたい。我儘を言いたい。己を曝け出したい。

 誰もが抱えるその気持ちを曝け出せた相手が、ルミねえだった。

 彼女は自分よりも数か月だけ年下だったけれど、付き添いの人間や、他の親戚から丁重に扱われていて、僕の『大叔母』だと教えられた。

 

『お邪魔します。先週も来たばかりなのに、用事もなく訪れてごめんなさい』

 

『るみね叔母様。よくいらっしゃいました。毎日のお稽古でお忙しい中、当家に寛ぎ覚えていただいたようで何よりです。先日は私ばかりお相手していただきました。本日は応接室へお通ししましょうか?』

 

『いいえ。先週お会いした時に、才華さんが私の為の服をデザインしてくれると約束したでしょう? 貴方の部屋へ行きたいです』

 

 ルミねえは僕の部屋に必ず来てくれた。二人っきりで話す事を特に好んでくれた。

 でも、それは、求めても我儘を言わない。いや、言おうとしなかった僕の様子を見て、両親がルミねえに依頼したのだと後年に知った。

 だけどその要請に対してルミねえは事務的に応えていた訳では無い。

 ルミねえは寧ろ望んで僕の部屋に訪れてくれた。ルミねえに対して、僕は自信を持って愛されていたと言える。

 何よりルミねえは、僕に対して素の自分を見せてくれた。

 彼女は僕以上に我儘を言えない人だった。

 ルミねえの言葉は何でも通る。父親がそれだけ甘い人でもあったし、ルミねえも良く主張する人だった。積極性があり、行動力もあり、とても頭の良い子供だった。

 その彼女が、初めて世の中にはどうあっても通らないものがある事を知ったのは、僕の身体に関わる事だった。

 

『この子は昼間に外へ出る事が出来ないんです』

 

 お父様に言われて自由に外を出歩けない僕を知り、彼女は世の中に守らなければいけない身体上の規則がある事を知った。

 個人の意思や社会の通念とは別の、絶対に守らなければいけない規則。この件が今のルミねえの『規則至上主義』の考えの根幹になっている。

 交流を重ねていく僕らは、自然と歳の関係ない姉と弟のような関係になっていった。元からルミねえには庇護欲や保護欲が強まり、それを隠すことなくよく遊びに来てくれた。

 そんな日々を過ごしながら、日に日に親しさが増して行く中、僕はある日に重大なミスを犯してしまった。

 いや、重大ではなかった。ミス自体は、ルミねえが『特別に見せてあげる』と言っていた楽譜に紅茶を零しただけだ。

 だけど、僕はルミねえの強調する言葉に勘違いをして、『特別』なものを汚した事に脅えた。

 謝れば優しい姉は許してくれる筈なのに、その失態が取り返しのつかない恐るべきものになることを想像して、目の前の現実から逃げるように窓を開けてベランダに隠れた。

 時間は夜だったので、僕が隠れる事に問題は無かった。戻って来たルミねえの反応が優しければ顔を出そうと思い、月の隠れた曇り空の下で、身を小さくして僕は震えた。

 

『あっ!』

 

 だけど戻って来たルミねえが上げた声は、僕を脅えさせるだけの鋭いものだった。

 大変だ。ルミねえが怒っている。自分は許されない事をした。このままでは唯一の自分が甘えられる相手を失ってしまう。

 でも、彼女に叱られる恐怖に勝てなかった僕は、ルミねえに謝る事も出来ずに隠れ続けた。やがてルミねえが部屋を出た後、僕は此処にいたら見つかると思って、屋敷の外へ逃げ出した。

 それでも敷地内を出る勇気が持てなかった僕は、勝手知ったる裏庭の隅で蹲って隠れた。

 耐え切れないほど心細い時間が長く過ぎ、やがて屋敷の方が騒がしくなった。居なくなった僕を探し始めたのだとすぐに気がついた。

 罪を重ねてしまったと思った。これまで正しい御曹司でいた筈なのに、屋敷に居る人間が総出で動くほどの迷惑を掛けた。その原因は紅茶を零して楽譜を汚した失態。罪の意識ばかり大きくなり、ほどなく涙が零れだした。

 それでも見つかる恐怖から声を潜め、心細さと、両親や姉に縋りたい思いが一つとなり、抱えた膝を噛みながら、暗闇の中で一人で啜り泣いた。

 

『そこにいるの!?』

 

 啜り泣く声が聞こえたのか、僕を見つけたのは姉だった。

 限界だった僕は、心細さから彼女の名前を呼ぼうとした。優しい姉なら許してくれると期待した。

 

『どうして私から逃げたりしたの!?』

 

 だけど、救いを求めた相手から発された鋭い怒りの声に絶望し、大きく目蓋を開いて彼女が居る筈の方角を見つめた。

 次の瞬間、鮮烈なまでの白光が僕を襲った。

 夜空の下で目蓋を閉じて、暗闇に慣れ切っていた僕の目に突然浴びせられた懐中電灯の光は、文字通り僕の目を焼いて一部を傷つけた。

 

『あっ!』

 

『えっ?』

 

 ルミねえは知らなかった。僕や両親も、そんな機会はないだろうと思っていたから話していなかった。

 僕の瞳が赤いのは、虹彩の色素が薄いからだ。そのため、光を遮る虹彩が充分に働きを発揮出来ず、通常の光でさえ眩しく感じてしまう。

 最悪の条件下で、その瞳が強烈な光を浴びせられた。とても耐える事が出来ず、僕は目蓋を押さえてその場でのた打ち回った。

 

『目が……目が!』

 

『才華くん!? 目!? 目がどうしたの? あ……』

 

 ルミねえは慌てて懐中電灯を捨てたのか、そのまま痛みで苦しんでいる僕を抱き締めてくれた。

 

『私が? 私がした事なの? ごめんなさい、私……こんな事をするつもりじゃなくて、才華くんの為に……叱ってあげなくちゃと思って……だれかっ! 誰か来て下さい! 早く、病院に……お願い!』

 

 その後僕は病院に運ばれ、適切な治療を受けた。

 後遺症が残ったり、視力の低下を招く事もなく、僕は回復する事が出来た。

 事件の翌日は目にずっと包帯を巻いていたけど、寂しくはなかった。面会時間が許される間、ずっとルミねえが僕の手を握っていてくれたからだ。

 

『ルミねえ、楽譜を汚してごめんなさい』

 

『良い。そんなの、最初から怒ってない。物を汚した程度なんて、謝ってくれればそれで良いよ』

 

『それに、私も謝らなくちゃいけない。私がお姉さんだから、才華くんが間違った事をしたら、叱ってあげなくちゃいけないと思ってたの。それが才華くんの為になると思ってたの。私なんて何も知らずに、大人にもなってないのに……怪我をさせてごめんなさい』

 

『ルミねえは悪くないよ。謝らないで。僕の事を嫌いにならないで。ルミねえしか僕にはいないから。僕が好きな遊びを出来るのはルミねえだけだから。僕が好きな事を言えるのはルミねえといる時だけだから。『お願い』。僕の事を嫌いにならないで』

 

『大好き。絶対に嫌いになんてならない。ごめんなさい、ごめんなさい』

 

 この一件以降、ルミねえは僕の健康に対して過剰なほど敏感になった。

 後、ひい祖父様には余り好かれなくなった。ルミねえに対して過過過過過保護で有名なひい祖父様は、僕から離れなかったルミねえを強引に連れて帰ろうとした。

 だけどルミねえは、父親相手に初めて激怒を見せた。愛娘の抵抗にあったひい祖父様は、本気でルミねえから嫌われかかり、しょんぼりしながら帰ったらしい。

 

 ……ルミねえの言う通りだ。今の僕はあの頃と何も変わっていない。

 体は大きくなったけど、昔の僕と何も変わっていなかった。自分のやった事で他人に迷惑を。

 しかも、取り返しのつかない行為をしてしまった。その事実に遂に耐え切れなくなり、涙が零れ落ちそうになった瞬間、暖かなものに僕の頭が包まれた。

 

「才華くん」

 

「ルミねえ」

 

 両腕で僕の頭を包んでくれたのはルミねえだった。

 ルミねえはスキンシップを好まない人だ。なのに、今ルミねえや本当の血の繋がった姉のように、僕を優しく抱き締めてくれた。

 駄目だ。堪えないといけない。

 ……この優しさに縋ったら、僕は駄目なんだ。それだけの事態になっているんだから。

 だけどルミねえは……。

 

「衣遠さんから口止めされているだろうから、私は何も聞いていない。聞いても私が何もしなければ、衣遠さんには分からない……だから、才華くん……話して」

 

 限界だった。優しい姉の言葉が、僕の心を包んだ。

 

「うわあああああああッ!! ルミねえ! ルミねえぇぇぇ! 伯父様に言われたんだ! 僕達のしている事が、ひい祖父様に知られかけているんだ! 僕は今の大蔵家しか知らないって!」

 

 涙を流して泣きながら、僕はあの日に伯父様に言われた事を伝えた。

 エストの実家の危機。調査員の派遣に。僕に甘かった伯父様の豹変。

 その全てを僕は語った。ルミねえは何も言わずに、僕を優しく抱き締めていてくれた。

 

「……恥ずかしい」

 

「フフッ、才華くん、本当に可愛かったよ」

 

「止めて、ルミねえ。今すぐにでも記憶から消したい」

 

 溜め込んでいたものが吐き出せたおかげか、少しスッキリした僕は冷静になって自分のした事が恥ずかしかった。

 年下の女性相手に大泣きして縋るなんて。本当に今すぐに記憶から消したい事だ。

 僕の男の子としての尊厳は、もうルミねえの前では無いに等しいかもしれない。

 

「それにしても、お父様に知られていたなんて……ごめん、才華くん。その件は完全に私のミス」

 

「いや、ルミねえのせいじゃないよ。僕が甘え過ぎていたのは事実なんだ。ルミねえなら、そして大蔵家なら大丈夫だと思っていたんだ」

 

「……私も今日、才華くんと同じ事を受験が終わった後に言われた」

 

「えっ? 誰に?」

 

「総裁殿」

 

「総裁殿が!?」

 

 何でルミねえが総裁殿と!

 ……あっ、僕だ。昨日総裁殿の様子を見てくれるように、ルミねえにお願いしていたんだった。

 忘れてた。また、恥ずかしい気持ちが湧いて来た。

 

「『貴女は今の大蔵家しか知らない』って、注意された。それと才華くんに伝言も頼まれた」

 

「な、何かな?」

 

 僕に愛憎を抱いている総裁殿だから、きっとキツイ言葉が伝言なんだろうけど。

 

「『年内までに結果を出せないんだったら、アメリカに送り返す』だって」

 

「……そ、それって……まさか?」

 

「うん。ハッキリ言われなかったけど……間違いなく私達がやっている事が知られてる。昨日本家で会った時には、受験の後で会いたいって言われて、ちょっと覚悟していたけど、言われた時は驚いた」

 

 選りにも選って総裁殿に知られるなんて!?

 あ、あれ? でも、それだったら何で今すぐに止めさせないんだろう?

 

「才華くんも疑問に思ったと思うけど、総裁殿は今のところ才華くんを止める気はないみたい」

 

「ど、どうしてかな? 言ったら何だけど、あの人の事だから、こんな事をしている僕を絶対に赦さないと思うよ。それこそ嫌がらせを……」

 

 待てよ?

 そう言えばあの総裁殿は、『晩餐会』の時に確か。

 

『甘ったれなお坊ちゃん気質も厳しい現実を味わえば、少しは変わるでしょうし』

 

 何てことを言っていた筈だ。

 その事と今のルミねえの報告を合わせると。

 

「もしかして、あの伯父様の行動の裏には」

 

「総裁殿の指示があったと思う」

 

 あの人は!?

 ……怒っても仕方が無い。と言うよりも、現実的に取り返しのつかない事態に追い込んだのは、僕自身だ。

 その事を分からせる為に、伯父様に指示を出して面接が受かって浮かれていた僕に釘を刺したに違いない。

 そして今後も何らかの嫌がらせと言うか、僕に対するアプローチが来ると思って間違いないだろう。憂鬱になりそうだ。

 

「でも、総裁殿が僕の行動の味方になってくれるという事で良いのか?」

 

「それは違うと思う。と言うよりも、才華くんの話をする時、苦虫を噛み潰したような顔をして、今すぐ叩き潰したいと言わんばかりの顔をしてた。正直、見ていて怖かった」

 

「そ、其処まで……じゃあ、何で今すぐに僕をそうしないんだろう?」

 

「誰かが総裁殿を説得してくれた。そして総裁殿は才華くんの味方じゃなくて、その人の味方だから、内心ではどう思っていても我慢しているって感じだった」

 

「あの総裁殿を説得した!? 一体誰が!?」

 

 一瞬、お父様かお母様かなと思ったが、あの二人が今僕がしている事を知っている筈が無いし。

 何よりバレたら、真っ先に連絡が来る筈。なら、伯父様かなと考えたけど、一か月間総裁殿から離れていた伯父様が説得出来るとは思えない。

 じゃあ、他に誰があの僕に対して愛憎を抱いている総裁殿を説得出来たんだろう?

 その答えをルミねえが教えてくれる。

 

「一人いる。私達のやっている事を知っていて、私達から離れてしまい、それで大蔵家に接点がある人が」

 

「まさか……小倉さん!?」

 

 何であの人が総裁殿を!?

 

「才華くんに頼まれて、小倉さんの事を総裁殿に聞いて見た。そしたら小倉さん。どうにもパリで総裁殿と一緒に過ごしていたみたい」

 

「パリに小倉さんはいたの!? しかも総裁殿と一緒に!?」

 

 あっ、でも。良く考えてみれば時期は合うかも知れない。

 『晩餐会』の後に小倉さんを探しに行った両親からは、その次の日に小倉さんは別の国に逃亡したと言っていた。

 丁度その頃に総裁殿は長期休暇に入っている。

 ……伯父様が一か月も総裁殿の仕事を肩代わりしていたのは、パリで小倉さんと過ごさせる為だったのかも知れない。

 

「経緯は分からないけど、小倉さんは総裁殿経由で私達の事を知って、危機的状況を知り、総裁殿の説得に尽力してくれた。もしくは大蔵家への復讐に利用できるかも知れないと考えて、この件を総裁殿に暴露したか」

 

 ……出来れば前者であって欲しいな。

 状況的に前者の可能性が高いけど、今の僕の状況を利用すればルミねえの言う小倉さん復讐説が叶うし。

 

「状況的に考えれば私も前者だと思うけど……あの才華くんに対して複雑な気持ちを抱いている総裁殿を説得出来るなんて……小倉さんと総裁殿ってどういう関係なのかな?」

 

「あっ、それだったら」

 

 僕は伯父様から教えて貰った『小倉朝日』さんと総裁殿の関係を説明した。

 聞き終えたルミねえは、伯父様がやった事に顔を引き攣らせた。うん、僕もその気持ちは良く分かるよ。

 

「昔の衣遠さんって、今とは別人と思えるぐらい苛烈な人だったんだ。正直私達が今の大蔵家しか知らないって言われても可笑しくない」

 

「その結果がこの状況なんだから、笑えないけど……小倉さんが協力していてくれていたんだ」

 

 嬉しかった。アレだけの事をしてしまったのに、あの人は僕の為に動いてくれていた。

 その事実だけで胸が暖かくなりそうだ。

 

「となると、諜報員の人は説得出来る相手という事なのかな?」

 

「早合点はしない方が良いと思う。相手は総裁殿。どんな相手が来るか分からないけど、そう簡単に説得出来る相手が来るとは思えない」

 

 尤もだ。それに調査員として来る誰かが僕の事情を知っているとは限らない。

 寧ろルミねえ並みに真面目な人が来る事を覚悟しておいた方が良い。多少気は楽になったけど、今だ僕らの状況は楽観出来る状況ではない。

 ……そう言えば。

 

「あの、ルミねえ? 今日の試験の結果の方は?」

 

「結果? 結果は三日後になるまで分からない」

 

「受かるかどうかじゃなくて、ルミねえ的にはどうだったか」

 

 これは何よりも重要だ。

 ルミねえが受験に落ちたりでもしたら、その時点で終わってしまう。

 僕の質問に対してルミねえは笑みを浮かべた。

 

「問題なく普段通りの演奏が出来たと思う。あれで私が落とされるなら、今年の合格者は余程レベルが高いんじゃない。楽典、ソルフェージュ、学科はケアレスミスさえなければ、自己採点で満点」

 

「そう、良かった」

 

「今日の受験はいつも以上に緊張していたけどね」

 

「えっ?」

 

「才華くんが悩みを話せないのは、私の受験に影響が出ないようにする為だと思ったから。でも、そのおかげでいつも以上に集中も出来たし。多分、アトレさんや九千代さんが昨日聞かなかったのもその為」

 

 昨日のチョコレートを渡された時点で、皆には気がつかれていたらしい。

 自分では演技しているつもりだったけど、皆にはバレバレだったとは。ショックだ。

 

「まさか、他にも面倒を抱えて来るとは思ってなかったけど」

 

「……ありがとう、ルミねえ。後ごめんなさい」

 

「謝るんだったら先に言って欲しかった……何て流石に言えない。正直受験前に今の話を聞かされたら、私も動揺は隠せなかったと思うから」

 

 だよね。こうして相談出来るから少し気が楽になったけど、僕らの現状は何も変わっていない。

 一歩間違えば、全てが破滅する崖っぷちに立っている事だけは間違いないんだから。

 

「調査員に関しては、衣遠さんが言った通り、服飾部門に関わる才華くんが捜索するしかないと思う」

 

「うん」

 

 これだけは自分の力でやるしかない。

 何とか学生に扮してやって来る調査員を見つけ、説得する。簡単にはいかないと思うけど、それ以外に僕が選べる手段はない。

 その為にも世界的女優である八日堂朔莉の力が必要になるかも知れない。利用するみたいでいやな部分もあるけど、それ以外にも僕自身としては彼女に好意を抱いている。この髪を誉めてくれたんだから。

 

「ルミねえ。僕はやってみるよ。調査員を説得して、必ずフィリア・クリスマス・コレクションに参加して最優秀賞を取る。そうすれば、総裁殿も認めてくれるらしいから」

 

「そうね。後、もしも衣遠さんが警告した事態になったら、私も衣遠さん達側に協力する。そうすれば、流石のお父様も手を出し難くなると思う」

 

「そ、それは!?」

 

 両親を大切に思っているルミねえに、流石にそんな事をさせられないと思って僕は声を荒げた。

 だけど、ルミねえは真剣な顔で僕を見つめて来た。

 

「今回のエストさんの実家の件は、私にも責任がある。確かに裏社会に繋がって詐欺紛いの事に手を出しているのは許せないけど、それとこれとは別。私なりの責任の取り方。だからもしもの時は頼りにして」

 

「ルミねえ」

 

 アトレと同じく、ルミねえも僕から頼りにされると幸せを感じるという不憫な体質を根っこに抱えてしまっている。過保護なのは大蔵家の血なのかも知れない。

 

「……大丈夫。そんな事には絶対にさせないよ。まぁ、甘え過ぎた僕が言っても信用はないかも知れないけど、頑張ってみるから」

 

「そう。なら、そんな才華くんに朗報。近い内に小倉さんは日本に戻って来るかも知れない」

 

「えっ! 本当!?」

 

 思わず僕は嬉しくなって声を上げてしまった。

 ルミねえは呆れたように目を細めているけど。

 

「嬉しいのは分かるけど、会いに行くんだったら覚悟が必要。多分、小倉さん。総裁殿と一緒に暮らすと思うから」

 

「……えっ?」

 

「昨日本家に戻ったら、本家にあった総裁殿の荷物が殆ど無くなっていた。一応重要な人物と会う時は本家に戻るみたいだけど、それ以外の時は別のところで暮らすって言っていた。お父様は最初は反対していたけど、私が居なくなったから夫婦水入らずで暮らしてくれって言われたらしくて。しかも何だったら弟や妹でもつくったらなんて怖い発言を言ったようなの」

 

「そ、それは確かに怖いね。前にその件でルミねえ悩んでいたし」

 

「しかもお父様は乗り気だった。話は戻すけど、総裁殿はこの件に関してはとても嬉しそうに話してた。あんなに嬉しそうな総裁殿は見た事がなかった」

 

 ……小倉さんが日本に戻って来てくれるのは嬉しいけど、選りにも選って僕が唯一苦手な総裁殿と暮らすなんて!

 しかも、ルミねえの話だと総裁殿はかなり小倉さんを大切に思っているようだ。現に絶対に説得は出来ないと思っていた総裁殿を、小倉さんは何らかの方法で説得したみたいだし。

 そんな小倉さんを傷つけて、悲しませた事を知られたら、僕はすぐにでもアメリカに強制送還される。

 と言うよりも、今、あの人は何処にいるんだろう? ルミねえの話だと総裁殿が休暇中は一緒にいたみたいだけど。

 出来ればフィリア学院の入学式が始まる前に会って、今までの事を全部謝りたい。

 ……八日堂朔莉の件は忘れよう。彼女と小倉さんが会う事は、ないだろうから。

 

「それじゃあ、才華さん。アトレさんや九千代さんにも状況を説明しておきましょう」

 

 あっ、くん呼びが終わってしまった。

 ちょっと残念な気持ちになった。

 

「あんまり話さない方が良いと思うんだけど。伯父様からも言われてるし、九千代なんて知ったら倒れるんじゃないかな?」

 

「駄目。みんな才華さんを心配していたんだから。罪状、みんなを心配させた。判決、アトレさんや九千代さんに話すの刑」

 

「謹んで受けさせて貰います」




因みに才華達は朝日が服飾をやっている事をまだ知りません。
才華達の傍では唯一壱与だけが知っていますけど、朝日に服飾を捨てさせる切っ掛けを作ってしまったので話していません。また、朝日が服飾に戻る気になっているのも壱与は知らないです。
次回は二月の遊星sideです。それが終わったら漸く三月。入学式が近づいて来ました。
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