月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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後一話で二月が終わり、三月編です。
此処まで応援してくれた皆様、本当にありがとうございました。

烏瑠様、ちよ祖父様、獅子満月様、誤字報告ありがとうございました!


二月下旬(遊星side)9

side遊星

 

「そんな事があったんですか」

 

「ええ、あの件があってから元々過保護だった面はありましたが、旦那様の過保護ぶりはもう目に見えて増してしまった訳です」

 

 アメリカの桜小路家にやって来てから一週間ほど経ったある日。

 服飾の勉強を八千代さんに教えて貰える最中の休憩中に、僕は桜小路本家とルナ様の分家の関係を教えて貰った。

 このアメリカでの一週間は、パリでの日々に劣らない程に楽しい毎日だった。

 もう二度と服飾の勉強を教えて貰えないと思っていた八千代さんから教わるのは言葉に出来ない程に嬉しくて、初日の勉強の時には思わず涙を零してしまうほどだった。

 急に泣いた僕に八千代さんは慌ててしまったけど、僕にとってはそれほどに嬉しい事だ。仕出かした事が仕出かした事だけに、もう二度と八千代さんから勉強を教えて貰える事はないと思っていたんだから。

 急な事ではあったけど、この提案をしてくれたルナ様には感謝の念しかない。と言うよりも、その場にルナ様もいたので、僕は膝を突いて感謝の念をルナ様に捧げてしまった。

 直後に八千代さんから、仮にも大蔵家の令嬢が使用人のように膝を突くなんてと怒られたけど。

 ただルナ様は僕の言葉に嬉しそうに笑ってくれた。

 後は、言うまでもなく桜小路遊星様の技術を見た時は言葉も出せなかった。

 一つ一つの作業が丁寧で早く、それでいて型紙も素晴らしかった。ルナ様のデザインをこれ以上に無いほどに引き立てる技術には嫉妬を抱く事も出来なかった。

 ……今の技術が落ち切った僕との差には、彼の作業が終わった直後に部屋の隅で膝を抱えてしまった。

 初めて見る僕の暗い姿にルナ様達は言葉を失っていたけど、赦して欲しい。正直まだ自信が戻り切れていないし、パリでも何度も情けなさでやってしまっていたから。

 ただ落ち込む事ばかりではなかった。桜小路遊星様の技術を直で見る事によって、僕の技術も一日ごとに伸びていた。

 ……初日に自分だけでやった時には、本当に酷くて三人の顔が引き攣っていたのを良く覚えている。

 でも確かにパリでの勉強の時よりも上手くなっていく技術に、自分だけじゃなくて、桜小路遊星様、八千代さん、そしてルナ様も驚いていた。

 一体何故と思ったけど、すぐに答えが分かった。桜小路遊星様の技術は、僕の完成形に近いものだ。それを直で見た事によって、自分にとって最適なやり方を体が覚えようとしている。

 尤も技術は向上しても、知識面は全く追いついていないので、何でそうした方が良いのかと理解出来ない面があるという危うい状態に僕は陥りかけた。

 それからは八千代さんも勉強に力を更に入れてくれて、今はその合間の休憩中。

 その時に僕は気になっていた事を思わず質問してしまった。

 この世界での桜小路本家との関係である。

 僕の世界でも桜小路本家と言うか、ルナ様のお父様はクワルツ賞を阻んだ。この世界では同じ事が起きただけじゃなくてりそなから、フィリア・クリスマス・コレクションの時にお父様を通じて邪魔をして来たという話も聞いていた。

 その後にルナ様が着たあの素晴らしい衣装でお父様と桜小路遊星様は和解したらしいが、桜小路本家がどうなったのか気になった。

 出来る事ならばお父様と同じように桜小路家本家の方々にもルナ様を認めてくれている事を願っていたが、残念ながらいまだに桜小路本家とルナ様が当主のこの桜小路分家との関係は悪いようだ。表面上は和解しているらしいけど。

 

「日本に居る時は旦那様も何とかしようと、才華様とアトレ様を連れて辛抱強く桜小路本家で行なわれる『観桜会』に参加していました。小倉さんなら分かるでしょうけど、旦那様は奥様を直接悪く言われない限り、どんなに嫌味を言われても、当て擦りのような事をされても笑顔を浮かべる方ですから」

 

 はい、その通りです。

 僕だってルナ様やりそなが、と言うよりも友人や家族が関わらない限り、嫌味を言われても耐えられる。

 

「それに……これも小倉さんなら分かると思いますけど、歓迎されていない場に旦那様が参加していたのは、二度と家族に会えなくなってからでは遅いからと考えていたからです」

 

「あっ……」

 

 誰の事を察しているのか、すぐに分かった。

 お母様の事だ。まだマンチェスターの屋敷で生活していた頃、僕とお母様は離れ離れにされてしまった。

 子供心に何時でも会えると当時の僕は思っていた。

 ……お母様の訃報が届いたあの日までは。

 だから、歓迎されていなくても才華様とアトレ様を連れて行ったのだろう。何時かは分かり合える事を願って。

 だけど、その気持ちは……最悪な形で裏切られてしまった。

 桜小路遊星様が目を離した隙に、誰とも知らない相手が、才華様に心のない言葉を言ったらしい。らしいと言うのは、現場を目撃出来ず、当事者の才華様もその件を詳しく話してはいないからだ。

 でも、才華様が急に走り去った事から何かがあった事だけは分かった。それからは桜小路遊星様の過保護ぶりが上がったらしい。気持ちは分かる。

 自分の考えで居心地の悪い場所に連れて行ったのに、護りきれず知らないところで才華様を傷つけてしまった事は、彼にとって深い後悔を抱いたに違いない。

 ……それでもあの年齢に至っても、アメリカから日本にまで会いに行くのはどうかなと思わないでもないけど。

 僕も同じ事があったら、確かに過保護になってしまう自信が有る。

 

「小倉さんも気を付けて下さいね。あんまり過保護過ぎると、子供は反抗期になってしまいますから」

 

「は、はい!」

 

 とは言っても、僕が誰かと付き合えるイメージは今のところない。

 ルナ様には桜小路遊星様がいるし、何よりも罪悪感が残っているのでやっぱり恋愛感情は間違いなく抱けない。

 りそなは迫って来るけど、僕は近親婚に反対なのでやっぱり無理。

 何よりも、今の僕は女装して小倉朝日を名乗っている。男性と付き合うなんて想像もしたくないし、女性にしてもこんな変態的な行為を平然とやっている相手はお断りだろう。

 ……早く男に戻りたい。

 因みに、今の僕の恰好はやっぱり女装だけど、桜小路遊星様の技術を見せて貰う時は男物の服を着ている。女装した過去の自分に見られるのは、大変辛いので、彼の作業の邪魔になると思って男性物の服を用意した。

 事情を知らない屋敷のメイドの方々は、女性なのに男性物の服を着ている僕に困惑していたけど、八千代さんが説明してくれて事なきを得た。

 ……女性だと完全に思われていたのは、もう諦めよう。寧ろまたフィリア学院に通う為の練習になっていると思う事で、僕は耐えた。内心では泣きたくなったし、男物の服を着る時に着慣れなかったけど。

 

「そう言えば小倉さん? 貴方はどうして才華様が旦那様に対して反抗期だと知っているんですか?」

 

「実は……才華様とアトレ様がお帰りになった日に、地下のアトリエにいた才華様とお父様を呼びに行って……その才華様がお父様に抱き着く光景を目にしてしまい、思わず驚いて隠れてしまって……そのまま立ち聞きをしてしまいました」

 

 これは怒られると思った。

 あの時の僕は八十島さんに仕える部下のメイドという立場だった。本来使用人が主の話を隠れて立ち聞きするなど、許される事では無い。

 大蔵家での教育でも、八千代さんからの教育でもしてはならない事だと教えられていたのに。

 ……でも聞いていたら、痛烈な言葉をお父様から頂いたんだけどね。絶対にあの時お父様は僕が隠れていたことに気がついていたと思う。

 お叱りの言葉を受けるのを覚悟して僕は待つが、予想に反して八千代さんからのお叱りの言葉は無く、困ったように額に手を当てていた。

 

「はぁ~」

 

「あ、あの八千代さん?」

 

「すみません、小倉さん。正直言って大蔵君には困っているんです。才華様とアトレ様、特に才華様への甘やかしには困らされてばかりで……旦那様の過保護の件もありましたから、大蔵君に期待していた部分もあったのに……蓋を開けてみたら旦那様と奥様以上に甘やかしてくれているんです。この屋敷の駐車場を見ましたか?」

 

「はい。毎日駿我さんに送り迎えしていただいていますから。そう言えば、ずっと止まっている高級車がありましたね」

 

「ええ、そうです。あの車が大蔵君から才華様の卒業祝いだと言われて送られた世界に50台しかない車です。それに合わせて、今回の駿我様が言われていた550億円の高層マンション。小倉さんがおっしゃっていたルミネ様の件も合わせると、あの方の将来が本当に心配になってしまいます。御付きとして送り出した九千代は流されやすい子ですから、尚更に心配で。何かとんでもない事をしないかと心配で心配で」

 

「ハハハッ、ま、まさか、そんな事はありませんよ」

 

「あの方は女装して女学院に通おうとした旦那様と、あの奥様の血を引いているんですよ」

 

「……その件に関しては、どうか私には聞かないで下さい」

 

 真顔になった八千代さんに、僕は安心させる言葉を言えなかった。

 僕もやっているので言っても説得力はない。何よりも八千代さんの勘は当たっている。

 流石にその事は言えないので、曖昧に笑うしかなかった。

 

「気になると言えば……不気味なんですよね」

 

「何がですか?」

 

「奥様の事です」

 

「えっ? ルナ様が?」

 

 何でルナ様の事を八千代さんは不気味だと思っているんだろう?

 確かに初日の行動には驚いたけど、あれはきっとルナ様の配慮を汲めなかった僕のミスだ。ルナ様からすれば、今の僕の朝日としての姿が懐かしく、桜小路遊星様が『小倉朝日』だった時の事を思い出してしまうんだろう。

 だけど、僕は朝日ではあるけど、ルナ様とフィリア女学院を過ごした『小倉朝日』ではない。

 ルナ様は朝日は恋人だと言っていたけど、残念ながらその想いには応えられない。

 その事に気づいてくれたのか、初日の後のルナ様は僕と普通に接してくれていた。桜屋敷の頃のような使用人と主人という関係ではないけど、ルナ様と話すのは嬉しかった。

 ……事情を知らないメイドの方がいる時に、当主様と呼んだ時のルナ様の引き攣った顔は忘れよう。そのすぐ後に離れて、ルナ様と呼んだ時は嬉しそうに笑ってくれたから、大丈夫だと思う。

 

「皆ルナ様は危ないって言いますけど、大丈夫だと思います。現に一週間の間、何もルナ様は私にして来てませんから」

 

「小倉さん。貴方は知らないからそんな事が言えるんです。旦那様が小倉さんだった時に、私がどれだけ悩まされたと思っているんですか! 最初の頃、まだ小倉さんの正体を知らなかった時に、ルナ様と小倉さんの主従と性別を超えた恋愛なんて噂が流れた時、私がどれだけ悩まされた事か! その後に大蔵君に正体を教えられた後のルナ様の憔悴されたお姿や、遊星様として一度荷物を取りに戻られた時の私の苦悩! 更にその全てを乗り越えたと思った後にも、小倉さんとして過ごす旦那様のお姿! 本当に大変な毎日だったんですよ!」

 

 ……申し訳ありません。

 そうですよね。八千代さんからすれば、楽しくても苦悩する日々だったと思います。

 この様子だと……僕の世界の八千代さんも辛い日々を過ごしていそうだ。

 ……悪いのは僕なのに。居なくなっても八千代さんに迷惑を掛けるなんて。

 

「……やっぱり、私なんて」

 

「ハッ! ……またやってしまいました」

 

 何時の間にか部屋の隅で暗くなっていた僕に、八千代さんは気がついた。

 八千代さんもこの光景には、もう慣れたのかも知れない。アメリカの桜小路家に来てから、僕は何度かこの状態になってしまっている。

 最初になった時は、初日に自分の今の服飾技術をルナ様達に見せた時。次は八千代さんに勉強を習っている時に、不意に八千代さんへの罪悪感が溢れた時。ルナ様が昔のフィリア女学院の日々を楽しく語った時。その他にも何度か僕はこの状態になってしまっている。

 

「小倉さん。大丈夫ですよ。貴方の世界の私ならきっと元気にやっていますから」

 

「……そうでしょうか? 今の八千代さんの話を聞くと、そうは思えないんですけど」

 

「確かに悩むとは思いますけど、ルナ様の為に最善の行動は間違いなく取るでしょうから、安心して下さい」

 

「やっぱり八千代さんは苦しむんですよね! ごめんなさい! 八千代さん!」

 

「私に謝られても……」

 

 土下座をする僕に、八千代さんは困ったように頬に手を当てた。

 目の前の八千代さんと、僕が知っている八千代さんが別人だとは分かっている。だけど、謝られずにいられない。

 それだけの事をしてしまったし、僕を追い出した後も迷惑をかけてしまっていると思うと罪悪感が湧いて来る。僕の事はどれだけ悪く言っても構いませんから、どうかあの八千代さんが倒れていない事だけを願う。

 再会出来る可能性は無いけど、もしも再会出来たら土下座をして頭を踏まれても構いません。

 どうかご健康でお過ごしください。

 

「朝日はいるか?」

 

 勉強部屋として使っている部屋の扉が開き、ルナ様が入って来た。

 部屋を見回したルナ様は、八千代さんに土下座をしている僕を目にして、口元をひくつかせる。

 

「……また、鬱日になっているのか。朝日、何度も言うが、私なら君の正体を知っても受け入れてくれる。7月頃なら、君をもう大切な使用人と思っていたからな」

 

「ルナ様!」

 

 嬉しい言葉に僕は目を輝かせて、顔を上げた。

 僕の姿に気分良さそうにルナ様は笑ってくれた。

 

「うん。今も大切に君を思っている。だから朝日。名字を桜小路に……」

 

「それは出来ません」

 

「奥様。それはなりません」

 

「……そうか。まぁ、私も言ってみただけだ」

 

「随分と諦めが早いですね」

 

「八千代。流石の私も此処まで否定されたら諦めがつく」

 

「本当ですか? 何か企んでいるのではないのですか?」

 

「や、八千代さん。流石に疑い過ぎだと思います。ルナ様も分かってくれたに違いありません」

 

 ルナ様を疑う八千代さんに、思わず口を挟んでしまった。

 初日の後にもルナ様はそれとなく、大蔵以外の名字を名乗って欲しいと頼まれたが、僕は拒否した。

 拒否した理由はお父様への恩だけではない。恐れている事があるからだ。

 僕が自分の存在を知られる事で最も恐れていたのは、桜小路遊星様に対する中傷。

 桜小路遊星様と僕の容姿は、似すぎている。同一人物なのだから当たり前だが、誰も彼もが納得してくれるわけではない。僕の身に起きた事は、説明する事が不可能な出来事だ。

 そして何も知らない人が僕と桜小路遊星様を見れば、どう思うか。間違いなく親子関係を先ず疑う。

 大蔵家の方はお父様が手配してくれていたようだけど、他の家は違う。特に桜小路本家のルナ様のお父様が知れば、どう思うか?

 決まっている。ルナ様の容姿が理由で、桜小路遊星様が不貞を働いたと考えるだろう。

 先ほど聞いた八千代さんの話を聞いても、どうにも桜小路遊星様を大蔵家の一員と認識し切れていない家があるようだ。それは他の大蔵家の方々と違って、桜小路遊星様が為さっている事が表に出ない事が原因なのかも知れない。

 服飾をやっていないでもない限り、パタンナーの重要性を理解し切れないのは分かる。

 だからこそ、言葉で中傷されてしまう。そして中傷はルナ様にまで及ぶかも知れない。

 お母様のような事はもう嫌だ。だから、僕は今回の勉強会が終わった後には、アメリカの桜小路家には余り近寄らないようにするつもりだ。幸せな家庭が僕のせいで壊れるなんて耐え切れない。

 僕も桜小路遊星様と同じ型紙の道を進むつもりだ。

 その道が好きなのもあるけど、表立って目立つ気に僕自身がなれないのもある。

 

「それでルナ様。どのような御用で此方にいらしたのですか?」

 

 今の時間は、普段ならデザインを描いている時間の筈なのに?

 

「あぁ、その事だが、朝日。すまない。夫に急な用事が入ってな」

 

「入れたの間違いでは?」

 

「八千代。本当に疑り深いぞ。幾ら私でも朝日が楽しみにしている夫の型紙の授業時間を奪ったりはしない。本当に会社の方で急な用事が入ったんだ。何だったら湊に確認しても構わない」

 

「……分かりました。此処は奥様を信じましょう。とは言え、どうしましょうか? 私もこれから他の仕事が入ってますし」

 

「あ、あの、それだったらアトリエを少し借りて良いですか? 実は今日桜小路遊星様にお会いしたら頼むつもりだったんですけど」

 

「何を夫に頼むつもりだったんだ、朝日?」

 

「お世話になっている駿我さんにプレゼントを作ろうと思っていまして」

 

「何? 大蔵駿我に?」

 

 あれ? 何だか急にルナ様の機嫌が悪くなったような?

 気のせいかな?

 

「朝日。大蔵駿我には気を付けろ。あの男は君にとって危険だ」

 

「……はっ?」

 

 いきなり訳が分からない事を言われた。

 駿我さんが僕にとって危険? いや、もしかして……

 

「ルナ様。幾ら何でも酷いと思います。私の件で大蔵家に怒りを覚えているのは分かりますが、それで桜小路家にも良くしてくれている駿我さんを悪く言うのは……」

 

「違う! 信じられないのは分かるが、あの男だけは君にとって本当に危ないんだ! 二人っきりで食事なんてしたら!」

 

「あっ、そう言えば毎日作っている朝食や昼食を喜んでくれていました」

 

「既に手遅れだと言うのか!」

 

 ルナ様が両手を床に突いた。

 こういうルナ様は見た事がない。本当に僕が知っているルナ様とは、別人なんだと分かる。

 僕がそう思っていると、ルナ様が立ち上がって真剣な顔を向けて来た。

 

「朝日が作った食事なんて羨ましい。私にも作って欲しい」

 

「私が作ったものよりも、桜小路遊星様が作った物の方が美味しいですから、其方で満足して下さい」

 

「それに奥様。仮にも大蔵家のご令嬢である小倉さんに食事を作らせるのは、他のメイド達に奇異の視線が向けられてしまいます」

 

 確かにルナ様に食事を作って上げたい気持ちはある。僕が作った食事を食べて、喜ばれるルナ様のお姿は今でも嬉しい思い出として残っている。

 だけど今の僕の立場では気軽に作れない。何よりもルナ様には桜小路遊星様という僕よりも料理の腕が良いお方が傍にいるんだ。

 残念ではあるけど、彼の作った食事は僕よりも美味しいし、それよりも劣る僕の料理をお出しする事は出来ない。

 何時までも幸せに過ごして下さい、桜小路ルナ様、桜小路遊星様。

 僕はそれを願っています。

 

「……分かった。アトリエにある道具は好きに使って構わない。君なら壊す事は無いだろうから」

 

「ありがとうございます、お優しいルナ様!」

 

「じゃあ、私は部屋に戻ってデザインを描いてくる。朝日、興味があるんだったら見に来ても構わないが」

 

「いえ。ルナ様のデザインを描く邪魔は出来ませんから」

 

「昔の朝日だったら、私がデザインを描くと言ったら喜んで傍にいてくれたのに……」

 

 残念そうな顔をしてルナ様は部屋から出て行った。

 ルナ様のデザインには興味はあるけど、今の僕の立場で見る訳にはいかない。

 残念な気持ちはあるけど、ルナ様にも僕と『小倉朝日』は別人なのだと分かって貰う為だ。

 ……でも、ルナ様のデザイン……見たかったなあ。

 

「小倉さん。それで良いんですよ」

 

「八千代さん」

 

「これは奥様の小倉さん病を治す良い機会でもあります。心を鬼にしてこのままの距離を取って下さい」

 

「はい」

 

 正直に言えば、ルナ様と距離を取るのは辛い部分もある。

 僕にとってルナ様は今でも敬愛するお方なのだから。だけど、その気持ちのままでいる訳にも行かない。

 このアメリカへの訪問は、その為でもあるんだから。

 

「それでは小倉さん。行きましょうか」

 

 八千代さんの言葉に僕は頷いた。

 そのまま二人揃って、アトリエへと向かって行く。

 まだ慣れない部分は多いけど、アトリエは服飾に関わる者にとって何よりも重要な場所だ。勝手に入るなんて言語道断。八千代さんか桜小路遊星様の案内があって初めて入れる場所。

 其処に入れて貰えるだけで僕は嬉しい。ただルナ様と桜小路遊星様の大切なアトリエに、僕が入ってしまう事に申し訳なさは感じている。

 パリのメリルさんのアトリエは、大勢の人達が出入りしている気配があったので、気にならなかったけど、やっぱりルナ様と桜小路遊星様のアトリエは違う。

 こうして案内があるからこそ入れるけど、それがなかったら入る気にはなれなかった。

 

「それでは鍵は閉めておきます。何か急用がありましたら、中の内線で連絡を」

 

「はい。ありがとうございました」

 

 僕は八千代さんに頭を下げて礼を言った。

 他の人がいる時は出来ないけど、今は八千代さんと二人だけだし、良いよね?

 八千代さんは困った顔をしたけど、何も言わずに扉を閉めた。

 

「さてと」

 

 お世話になっている駿我さんへのプレゼントは決まった。

 本音を言えばシャツとかを作って上げたかったけど、今の僕じゃ時間的に無理だ。

 でも、作れる物を思いついたのでソレをプレゼントにしようと思ったんだ。材料も自分で買った。

 案内をしてくれた駿我さんは、何故桜小路家に頼まないのかって顔をされたけど、これは僕の個人的な物だから。

 何よりも親切にしてくれて僕を家族だと言ってくれた、あの人にするプレゼントは自分で材料から選びたかった。

 後、りそなからも連絡が来て、『良い部屋を見つけたんで、必ず帰って来て下さい』って言われた。

 りそなにも日本に帰ったら何かプレゼントしたいな。

 

「あれ?」

 

 作業を始めようとしたところで、アトリエの中にあるミシンのすぐそばに見覚えのないトランクケースが置いてあるのに気がついた。

 こんなの昨日までなかったのに? もしかして僕が帰った後に、桜小路遊星様が置いたんだろうか?

 疑問に思いながら近づいて見ると、トランクケースには白い紙が貼られていた。

 紙には、『朝日へ』と書かれている。

 

「何だろう?」

 

 『朝日へ』と書いてあるという事は、僕への贈り物かも知れない。

 でも、勝手に開けて良いのかな? 

 悩むけど、トランクを退かさないと作業の邪魔になるし。

 

「……とりあえず退かそう」

 

 僕はトランクの取っ手を持って持ち上げる。

 すると、鍵が掛かっていなかったのか、トランクが開き、中に入っていた物が僕の視界に入った。

 

「これって? ……桜小路家のメイド服」

 

 入っていたのはりそなに持っていかれた桜小路家のメイド服と同じ物だった。

 トランクの中から取り出して、広げて確かめてみる。間違いなく桜小路家のメイド服だ。

 僕も同じ物を持っているし、一年以上着ている物だから良く分かる。

 

「でも、このメイド服は」

 

 かなり古い物だ。

 手入れはきっちりされているけど、生地を触るだけで分かる。

 でも、その割には傷みは無い。大切に扱われて着られていた物なのだと感じられる。

 

「……メイド服か」

 

 こうして改めて見てみると、やっぱり素晴らしいデザインだ。

 最初に桜屋敷で渡された時は、着るのに葛藤してしまったけど、何時の間にか慣れてしまった。

 男としてはどうなのかなと思わないでもないけど、僕にとって桜小路家のメイド服は今では着ていて可笑しくないものになってしまっている。

 その点で言えば、桜小路遊星様は良くメイド服を着るのを止められたと思う。あの方はフィリア女学院に男子部が設立されてからは、其方に移ったからかも知れないけど。

 ……何時かは僕も、りそなに預けているメイド服から離れないといけないとは考えてはいる。

 でも、今はまだ無理だ。確固たる自信がない僕には、まだあの服が必要なんだ。

 

「……どうしようかな?」

 

 一週間ぶりに見た桜小路家のメイド服に心が惹かれてしまった。

 サイズも丁度僕に合っているようだし。それに……どうにも男物服で服飾をやるのは、違和感を感じると言うか。

 い、いや! 僕は男なんだから、男物の服を着てやる方が正しい!

 これはいけない! 何年後の事になるか分からないけど、僕も何時かは男に戻るんだから!

 その時に違和感を覚えない為にも、桜小路家では男性物の服で服飾をやらないと!

 

「でも……」

 

 着たい。男として思考が可笑しくなっているのを感じるけど、一週間ぶりに桜小路家のメイド服を着て服飾をやってみたい。

 桜小路遊星様もいないし……ちょっとぐらいだったら良いかな?

 

「う~ん?」




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