月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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前回は一度後書き部分中途半端に投稿してしまい申し訳ありませんでした。
今回から三月編。三月編はサクサク進みたいと思います。

烏瑠様、誤字報告ありがとうございます!


三月編
三月中旬(遊星side)1


side遊星

 

 時が経つのは早いものだと感じる。

 三月中盤に差し掛かる今日は、アメリカの桜小路家から僕が去る日だった。

 

「色々とありがとうございました」

 

 時間帯は朝頃。

 昨日で最後の授業を終えた僕は、帰国する前に桜小路家に訪れてお世話になった八千代さん、桜小路遊星様、そしてルナ様に頭を下げた。

 本当は湊や七愛さんとも別れの挨拶をしたかったけど、仕事があるので今日は来れず残念がっていた。七愛さんは二度とアメリカに来るななんて、僕を脅して来たけど。

 ただ夏には必ず湊は日本に行くからと言っていた。……瑞穂様が用意した衣装を着た僕を見に来るために。

 

「いいえ、此方も久々の授業は楽しかったですから。まさか、小倉さんが私の最後の生徒になるとは思ってもみませんでした」

 

「はい。私も八千代さんに教えて貰えて嬉しかったです」

 

 これは本心からの言葉だ。

 泣いたり、暗くなったりしたけど、それでも八千代さんとの授業は楽しかった。

 この一か月の日々は、パリでの日々に負けないぐらいに本当に楽しかったと心の底から思えた。

 僕と八千代さんが笑いあっていると、不機嫌そうなルナ様が近づいて来る。

 その手の中にある『小倉朝日』のアルバムから目を逸らそう。主に僕の精神の為に。

 

「八千代。何だったら、りそなに頼んで日本のフィリア学院にもう一度講師として雇って貰えるようにするが」

 

「全力でお断りさせて頂きます」

 

「あ、あの何かあったんですか?」

 

 急に嫌そうな顔になった八千代さんに、僕は思わず質問してしまった。

 こんなに嫌悪感を感じている八千代さんを見た事がない。よっぽど嫌な事でも過去にあったのだろうか?

 僕の質問に答えるのも嫌なのか、八千代さんはそっぽを向いてしまう。

 ルナ様は八千代さんの様子に、笑みを浮かべて説明する。

 

「今のフィリア学院日本校の総学院長は、八千代が苦手としている男なんだ。その男の名は『ラフォーレ』」

 

「関わりたくない。関わりたくない。名前を聞いただけで、此処までげんなりさせられる相手は、あの男だけ。才華様が日本に向かうと聞いた時に、九千代に傍仕えを任せたのもあの男に関わりたく無いからです」

 

 あっ、そういう事だったんですね。

 道理で才華様とアトレ様が帰国した時、九千代さんしか使用人がいなかったんだ。

 でも、才華様としては助かったと思う。八千代さんが一緒だったら、絶対に止めていたと思うから。

 

「まさか、そのせいで才華様がとんでもない事を為さろうとしたと聞かされた時は、九千代に任せたのは失敗だったのかと心から思いました。小倉さんが止めてくれて本当に良かったです」

 

 ……ごめんなさい、八千代さん。

 実は才華様達は止まっていません。

 ……来年、僕は確実に八千代さんに怒られると思う。僕は舞台には立たないけど、才華様は舞台に立つ事が目的だから。二度と八千代さんを怒らせないと誓ったのに、怒られる未来に暗くなりそうだ。

 

「うん? どうした、朝日? 若干鬱日になり掛けているぞ?」

 

「す、すみません。ちょっと八千代さんに怒られた時の事を思い出してしまって……私もあの八千代さんには思い出したくもない相手と認識されているんじゃないかと思って」

 

「小倉さんの場合は、大丈夫です。仕事ぶり自体は問題ありませんでしたから。あの男だけが例外なだけです」

 

 其処まで嫌われるラフォーレという人物に興味が出てしまう。

 日本のフィリア学院の総学院長らしいから、僕も顔を見る機会はあるだろうからちょっと楽しみだ。

 

「朝日」

 

「ルナ様?」

 

「残念ではあるが、一先ずは君を手放そう。だが、私は諦めない。必ず君を私の傍に置くつもりだから、覚悟しておいてくれ」

 

「……分かりました。覚悟はしておきます」

 

 ルナ様の願いに応えられるとは思えない。

 でも、此処まで僕の事を思っていてくれているルナ様のお気持ちを蔑ろにも出来ない。だから、今出せる返事だけは精一杯返した。

 残念そうではあるけど、ルナ様は僕の返事に笑みを返してくれた。

 

「そう言えば、君は日本に戻って通う予定の学院が始まるまでどうするつもりなんだ?」

 

「時間があれば、桜屋敷にいる八十島さんにお世話になったお礼を言いに行くつもりです」

 

 桜屋敷を出るのは急な事だっただけに、八十島さんにはちゃんとした挨拶が出来なかったのが心残りだった。

 だから改めて挨拶をしたい。そして……服飾に戻る事を伝えたかった。

 

「壱与にか。そうだな。壱与も君に服飾を捨てる切っ掛けを作ってしまった事を後悔していた。彼女には私も世話になっているから、安心させてやってくれ」

 

「はい」

 

 やっぱり八十島さんも心配してくれていたんだ。

 あの件は彼女のせいじゃない。僕の心の弱さが原因だ。やはり学院に通う前に、八十島さんに会わないといけない。

 

「彼女なら、今は衣遠から才華君達に譲られた『桜の園』という高層マンションのコンシェルジュをしているよ」

 

 話を聞いていた駿我さんが、八十島さんの現状を教えてくれた。

 

「コンシェルジュをですか?」

 

「うん。部下を何名か雇っているけど、まだ忙しい時期だからね。会えるとしたら、桜屋敷よりもそっちの方に行くのが良いと思う」

 

「壱与には本当に助けられている。此処まで私達に忠義を尽くしているのだから。桜屋敷の管理の方もあるだろう。八千代、後で壱与と相談して雇用について見直そう。無論、優遇の方でな」

 

「かしこまりました」

 

 本当に八十島さんは凄い人だな。

 一年だけだったけど、あの人の下で働けたのは良い思い出だ。

 ……あの頃の僕は暗かったから、八十島さんにはかなり心配をかけていたと思う。

 やっぱり、帰国したらりそなには悪いけれど、八十島さんに会いに行こう。

 才華様達にも会う事になるかも知れないけど、その時はその時だ。学院では距離を取るつもりだから。

 そう言えば僕……型紙を専攻したいんだけど、最初の一年目はデザイナー科に入る事になりそうだって、りそなからメールが送られて来た。

 調査対象の優先目標の人がデザイナー科を専攻するらしいから、僕もそのクラスに入るしかないらしい。

 デザインに関しては……殆ど自信がない。このアメリカでの一か月の授業のおかげで、ある程度は実力を取り戻せた。今なら一か月ぐらいでシャツを作製出来ると思う。

 ……以前の僕だったら、もっと早く作製出来た事は忘れよう。今持っている実力で挑むしかないんだから。

 でも、デザイナー科か。クラスで一番成績が悪くなりそうで、かなり落ち込む。

 勿論デザイナー科とは言え、他の服飾の授業はあるから、そっちで成績は何とか出来るかも知れないけど。

 ……デザインだけは本当に自信がない。お兄様から才能が無いと言われて、服飾の勉強を取り上げられた記憶がああああ!

 

「やっぱり、私なんて……」

 

「いや待て。何で急に鬱日になった? 一体何が君に起きた?」

 

 突然部屋の隅で暗くなった僕に、ルナ様が疑問を述べた。

 

「す、すみません。来月から通う学院での生活に不安を感じてしまって」

 

「君の実力なら問題は無い。どうせ君の通うのは型紙関係だろう」

 

 いえ、デザイナー科です。

 何て言える訳が無い。デザインに関しての勉強は全くしていないし、元々才能が無いと言われていただけに、才能がある型紙の方を優先していた。

 ……もっと早く調査対象が通うクラスを知りたかったと心から思う。そうすれば……無理だよね?

 皆、僕にデザインの才能が無いのは知っているし、桜小路遊星様も今は気が向いた時にしかデザインを描かないらしいから、デザインの勉強をしたら怪しまれるに違いない。

 ただでさえ技術が衰えているのに、才能がある型紙の方じゃなくて、才能が無いデザインの方を勉強していたら何かあると思われて、才華様達の事を知られてしまうかも知れない。

 正直言って、隠しているのはかなり辛かった。才華様を止めてくれた事を感謝される度に、心が悲鳴を上げていたよ。

 

「と、とにかく頑張ってみます」

 

「うん。頑張って自信をつけてくれ。そうすれば、私も君を大手を振って勧誘できるからな。それまでは……断腸の思いだが、君が『大蔵朝日』を名乗る事を認めよう。うん、本当に遺憾で断腸の思いだが。何時か、必ず『桜小路朝日』と名乗って貰うが」

 

「それは見過ごせないな。小倉さんは、大蔵家の一員なんだから。何時までも『大蔵朝日』を名乗って欲しい」

 

「大蔵の名を捨てたがっていた貴方の発言とは思えないが?」

 

「それはそれ。これはこれさ」

 

 何だかルナ様と駿我さんの間で火花が散っているように思える。

 お二人の仲はそんなに悪くないと思うんだけど、何でだろう?

 疑問には思うけど、尋ねる事でもないと思って、僕は桜小路遊星様と向き合う。

 

「頑張ってね」

 

「はい。その……覚悟だけはしておいて下さい」

 

 色々と覚悟だけはして貰いたいと思う。

 特に年末のフィリア・クリスマス・コレクションに関しては。今もルナ様や桜小路遊星様は、日本のフィリア・クリスマス・コレクションを見ているようだから、その時に女装した才華様が舞台に立つのを見るかも知れないんだ。

 その時に感じる衝撃を思い浮かべると、彼の目を真っ直ぐに見られない。

 ……僕も泣いたからね。でも、彼の場合は泣くじゃ済まないかも知れない。親子二代で何をやっているんだと、心から思うだろうから……覚悟は必要だ。

 因みに僕はもう諦めの極致に達しているので、多分女装した才華様を見ても驚かないと思う。

 もう男としてどうかと思うけど……慣れてしまった。と言うよりも、再び女装してフィリア学院に通うんだから、もう覚悟は決まっている。

 

「うん。君が作る作品を楽しみにしているよ!」

 

 何も知らない桜小路遊星様の笑顔が、心に痛い。

 このままだと隠し切れないかも知れない。早く離れよう。

 

「そ、それじゃもう行かせて貰います」

 

「朝日。また当家に来てくれ」

 

「遊びに来てくれるのは大歓迎だから」

 

「お元気で、小倉さん」

 

 ルナ様、桜小路遊星様、八千代さんの笑顔が胸に突き刺さる。

 僕は出来るだけ笑顔を浮かべて、三人に頭を下げて桜小路家から出た。

 内心で、三人に対して本当に申し訳ないと思いながら。

 本当の事を言えなくて、ごめんなさい!!

 

 

 

 

 駿我さんが運転する車で空港に辿り着いた。

 今日で駿我さんとお別れか。寂しいという気持ちを感じる。

 色々とこの人にはお世話になったから。

 

「今日でお別れだね」

 

「はい。あの……良いんですか? 部屋にあった服飾道具を全部貰ってしまって?」

 

 泊まっていたマンションの部屋に用意されていた服飾道具の数々を、駿我さんは僕にプレゼントしてくれていた。

 今は乗る予定の飛行機に運ばれている。

 

「構わないよ。俺自身が使う物ではないから、小倉さんの役に立てるなら持って行ってくれ」

 

「本当に色々とありがとうございました。お礼と言っては何ですけど……コレを受け取って下さい」

 

 僕は胸ポケットの中からラッピングされてリボンが巻かれた小さな箱を取り出して、駿我さんに差し出した。

 

「これは?」

 

「プレゼントです。中身は私が作ったハンカチです」

 

「君が……作ったハンカチ?」

 

「はい。本当はシャツとかを作りたかったんですけど、時間がなくて……つまらないものですけど、受け取ってくれたら嬉しいです」

 

「……つまらなくなんてないよ」

 

 駿我さんは差し出したプレゼントを、大切そうに受け取ってくれた。

 

「これは君がこっちに来てから初めて作ったものなんだろう?」

 

「はい。だから、あんまり自信がないんですけど。こんなものしか渡せなくてすみません」

 

「いや、充分に記念になる物だ。大切にさせて貰う。それと……」

 

 胸ポケットから駿我さんは紙を僕に差し出して来た。

 書かれているのは、駿我さんのアドレスかな?

 

「何か困った事があったら連絡をくれ。相談には乗るから」

 

「ありがとうございます」

 

 本当に良い人だ。

 この人と出会えたことに感謝したい。メリルさんと同じで僕を家族として受け入れてくれた人だから。

 

「才華君の事は大変だろうけど、頑張って」

 

 ……えっ?

 

「あ、あの、す、駿我さん? ま、まさか?」

 

「うん。知ってるよ。才華君が何をやろうとしているのか、そして君が通おうとしている学院が何処なのかもね」

 

「ええええええっ!?」

 

 また空港で叫んでしまった。

 この人には何度も驚かされてしまう。それよりも、駿我さんも知っていたの!?

 

「ハハハハハッ、驚かせてすまない。安心していい。遊星君達には知らせるつもりはないよ。フィリア・クリスマス・コレクションの時に才華君の衣装が出て、驚く遊星君達の姿を見たいからね」

 

「そ、そうですか」

 

「とは言え、俺としても今の大蔵家が荒れるのは困るから、何かあった時は力になるよ。大瑛にフィリア学院で会ったら宜しく言っておいてくれ」

 

「は、はい」

 

 まさか、駿我さんにもバレているとは思ってもみなかった。

 でも、よくよく考えてみれば駿我さんは『小倉朝日』の正体を知っている人だ。過去に起きた出来事を知っているなら、才華様が為さろうとしている事に気がついても可笑しくない。

 ……やっぱり僕が原因? 過去にりそなの提案に乗ってしまった事が原因としか思えない。

 恥ずかしい。顔が真っ赤になって行くのを感じて、自然と俯いてしまう。

 

「夏には俺も日本に行く予定だから」

 

「えっ? 何故でしょうか?」

 

「例の衣装の件さ。発案者としては、やっぱり直に見てみたい」

 

 あんまり見られたくはないんですけど、駿我さんの提案は尤もだと思える。

 後で瑞穂様に連絡をして、許可を貰わないと。何よりもお父様にも連絡しないと不味い。

 『晩餐会』でやらかしてくれたあの人の事だ。既に来年の『晩餐会』に向けて、何か準備をしているかも知れない。衣装は此方で決めましたと伝えて、干渉は控えて貰わないと。

 ……何で初めての本格的な反抗が、女装案件なんだろう? もっと違う形で反抗出来なかったのかと悲しくなってしまう。お兄様に逆らうなんて、今でも畏怖と恐怖が湧いて来て竦んでしまうけど。

 

「分かりました。正式な日が決まったら、連絡をします」

 

「楽しみにしているよ。それじゃ時間だ」

 

「はい」

 

 会話をしていたら搭乗時間が近づいていた。

 最後に駿我さんと握手を交わして、僕は搭乗口に向かって歩いて行く。

 パリの時のように振り返ってみると、駿我さんが手を振っていてくれていた。あの時と同じように僕は手を振り返し、駿我さんとの別れを終えて日本へと帰国する為に飛行機に乗り込んだ。

 

 

 

 

 ニューヨークから日本までの移動時間は約14時間。

 彼方を朝方に出たから、今日本は昼間だ。時差の関係でちょっと辛いけど日本に帰国した僕は、空港のロビーでりそなと電話で会話をしていた。

 メールでのやり取りはアメリカでもしていたけど、こうして会話をするのは久しぶりだから嬉しい気分になる!

 

「今空港に着いたよ、りそな」

 

『無事に戻って来てくれて良かったです。ルナちょむにお尻チョメチョメされていませんよね?』

 

「そんな事されていないから安心して。と言うよりも、そんな事が僕の人生にある訳ないよ」

 

 姿は朝日で女装しているけど、僕は男性だ。

 りそなが言うような事が起こる筈が無い。有ったら、逆に怖いよ。

 

「あんまりルナ様を悪く言わないで。確かにアメリカでは驚かされた事もあったけど、最終的には僕の大蔵家入りも納得してくれたんだから」

 

『一時的な話でしょう。ルナちょむが貴方を諦める筈がありません』

 

 うん、同じ事を言っていたよ。

 とは言え、その件を持ち出すとりそなとルナ様の仲が悪くなりそうだから黙っていよう。

 

「それでりそな。僕はこれからどうすれば良いの?」

 

 住む場所は見つけてくれているようだけど、その場所の住所を聞いていない。

 教えて貰えるなら、直接行けるんだけど。

 

『実は妹、今ちょっと仕事で遠出をしているので、今日は会えません。明日には其方に戻るので、今日は何処かのホテルにでも泊まって下さい。あ、ホテルが決まったらメールで報告だけはして下さい』

 

「えっ? 住所を教えて貰えば、其処に行くけど?」

 

『これから二人で一緒に暮らす場所なんですから、最初に部屋に入る時は一緒に入りたいんです。妹の乙女心を察して下さい』

 

「……そうだね。確かに僕もそっちの方が良いかな」

 

 りそなと一緒に本格的に生活するなら、確かに最初は一緒に部屋に入りたい。

 その気持ちが理解出来た僕は、りそなの提案に賛成する。

 

『と言うよりも、貴方。妹が渡したカードを全然使っていないようですけど?』

 

「うん。アメリカでは必要な物は駿我さんが用意してくれていたから。夕食も桜小路家でご馳走になっていたし」

 

 アメリカで買った物があるとすれば、駿我さんへのプレゼントとファッション雑誌ぐらいだ。

 才華様のデザインが賞を取ったという雑誌は、桜小路遊星様が渡してくれたから見る事が出来た。個人的には良いデザインだと思った。僕に比べれば才能は間違いなくあると思える作品だった。

 流石はルナ様と桜小路遊星様のご子息だと感じられた。

 ただ……あの作品からは何かが、僕が初めてジャンの作品やルナ様のデザインを見た時に感じた何かが足りないと感じた。デザインに関して才能が無いと言われた僕が言える事じゃない。

 それこそ何百枚、何千枚描いても、僕は才華様のデザインに勝てない。だから、才華様の作品を評価するなんて僕には出来ない。

 ルナ様と共に歩んで来た桜小路遊星様の方が的確なアドバイスが出来ると思う。

 

『下の兄? 聞いていますか?』

 

「あっ、ごめん。ちょっと考え事をしていた」

 

『全く。取り敢えず今日は自由にしていて下さい。久しぶりの日本で行きたい所もあるでしょうから』

 

「う、うん」

 

 行きたい所は確かにある。

 八十島さんがいるという『桜の園』という名前の高層マンション。

 でも、それ以外にもう一か所。僕には行きたい所があった。改めてあの場所を見に行こう。

 来月から僕が通う事になる学院。『フィリア学院』に。

 

 

 

 

 去年まで僕はこの場所に近づかなかった。

 近くにありながらも、僕は此処に訪れるのを恐れていた。

 だって、そうだ。此処に憧れて、僕は女装までして通っていたのに、自分のミスで僕は全てを失ってしまった。

 此処に来れば懐かしい思い出が蘇り、服飾に戻りたいという気持ちが湧いてしまう事を恐れていた。

 でも、僕は今、此処にいる。懐かしい『フィリア学院』が建つ場所に。

 

「……」

 

 涙が零れてしまう。

 二度と此処に近づかないと決めていたのに、それを止めてこうしてやって来てしまった事に罪悪感を感じる。

 それだけじゃない。罪悪感は感じるけど、もう一度だけフィリア学院に通える事を僕は心の何処かで喜んでいた。

 

「……喜ぶなんて、本当は駄目なのに」

 

 フィリア学院の外見は僕が知っている頃と変わらないけど、きっと中は変わっているだろう。

 十数年も経過しているから当然だけど、その事にショックは受けないようにしないと。

 ……余り眺めていると怪しまれるかも知れない。涙も流しちゃったし、そろそろ此処から離れよう。

 ハンカチで涙を拭い、足を踏み出した瞬間。

 

「ああぁぁあああああぁぁああああ!!!」

 

「えっ?」

 

 いきなり背後から大声が響いた。

 一体何事かと思って振り向いて見ると茶色の髪色で、左側にリボンを二つ付けた女性が僕を見ていた。

 ……誰だろうか?

 

「あ、あのこんにちは!」

 

「こ、こんにちは」

 

 女の人は急に僕に詰め寄り、挨拶をして来た。

 

「初めまして、私、銀条春心です!」

 

「は、春心さんですか?」

 

「はい!」

 

 凄く元気一杯な人だ。

 どう対応したら良いのか思わず悩んでいると。

 

「うぉら!」

 

「でゅうっふ!」

 

 銀条さんが背後から首を刈り取られた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 強烈な一撃だと分かった僕は、慌てて首を擦っている銀条さんが心配で膝を折った。

 

「心から痛いです」

 

「凄い一撃でしたから……痣とかにはなっていませんね。でも、念の為に病院に行った方が良いかも知れません」

 

「い、いや、大丈夫です! 何時もの事ですから!」

 

「何時もの事?」

 

 えっ? 今の一撃を何時もこの人は受けているのだろうか?

 かなり鋭くて強烈な一撃だったんだけど?

 

「うわ~、こんな反応されたの初めてでちょっと混乱する」

 

 ん? 聞こえて来た声に顔を向けてみると、銀条さんを介抱している僕を見ている金髪の女性が立っていた。

 先ほど、銀条さんに一撃を与えたのは、この人に違いない。

 僕は銀条さんを護るように女性との間に立った。

 

「貴女が銀条さんに暴力を振るったんですね?」

 

「い、いや、暴力と言うか、その何時ものノリで」

 

「何時ものノリで人に暴力を振るうのは、どうかと思います。先ずはどういった経緯で銀条さんを襲ったのでしょうか?」

 

「その……パル子が来月から通う学院を見に行こって言って」

 

「パル子?」

 

「あっ、その子のあだ名です。それで……気がついたら居なくなっていて、貴女と話しているパル子を見て思わず手を出してしまいました」

 

「そうですか」

 

 経緯は分かった。

 勝手に行動した銀条さんにも問題はある。

 僕は銀条さんを立ち上がらせながら、注意する。

 

「銀条さん。お友達に黙って勝手に離れたりしたらいけません。親しいから先ほどのような事が何度も起きるのでしょうけど、私のように何も知らない人からすれば、暴力を振るっているようにしか見えません。もしも警察の方とかに見られたら、其方の方が質問されるでしょうから。離れる時は、一言述べてから離れた方が良いと思います」

 

「は、はい。ごめん、きゅうたろう」

 

「えっ? 何この人? 何だか後光っぽいのが見えるんだけど? 聖人?」

 

 銀条さんを注意する僕を見つめながら、金髪の女性が信じられないものを見たと言うような顔をした。

 なんか変な事でもしたのだろうか?

 そう言えば……。

 

「そう言えば、銀条さんの名前を聞いていたのに、私の名前を教えていませんでしたね。私の名前は小倉朝日と申します」

 

「えっ? 朝日?」

 

 うん? どうしたんだろう?

 急に僕の名前を聞いて困惑しているように顔を二人は見合わせた。

 

「こんな偶然ってあるんだね。きゅうたろう」

 

「うん。あっちも綺麗だったけど、こっちの人も綺麗だし……あっ、私、一丸弓です。そのさっきはすいませんでした。何時もの癖で思わず」

 

「一丸さんですか。いえ、此方こそ初対面なのに注意するような事を言って申し訳ありません」

 

「うわ~、何この人? マジで聖人? あっちも凄い綺麗だったけど、こっちの人はもう内面が凄い」

 

「あの、先ほどから誰と一緒にされているのでしょうか?」

 

「あっ、すいません。前に貴女と同じ名前の人と出会った事があって」

 

「同じ名前ですか?」

 

 いても可笑しくはない。

 日本人で同姓同名の人はいるし、偶然にも目の前の二人は僕と同じ朝日の名前を持つ人と会った事があるんだろう。

 ……僕は男で、本当の名前も別にあるから、二人を騙しているんだけど。

 

「あのところで銀条さんは、どうして私に声を掛けられたのでしょうか?」

 

「綺麗な人だったんで、思わず声を掛けてしまいました!」

 

「そうでしたか」

 

 ……とうとう初対面の人に綺麗と言われても何も感じなくなってしまった。

 その事に内心で悲しみを感じる。遊星に戻る為に、りそなに早く会いたくなった。

 

「この子がすいません。興味があることに夢中になる子なんで」

 

「いいえ。別に気にしていませんから」

 

 本当は凄く気にしているけどね!

 

「それにお二人は来月からフィリア学院に通うんですよね?」

 

 銀条さんと一丸さんは頷いた。

 やっぱり、そうなのか。こんな偶然もあるんだ。

 

「実は私もなんです」

 

「えっ? フィリア学院に?」

 

「はい、服飾部門の特別編成クラスに入学する予定です」

 

「特別編成クラスって、確かお金持ちとかが入るクラスだよね。えっ? もしかしてお嬢様とか?」

 

「お嬢様とかではありません。私は養子の身分ですから。先日までは一般人でした」

 

 生まれ的にも妾の子なので、僕はお父様やりそなのような偉い立場の人間ではない。

 現在の立場的にも、お父様の養子という立場なので偉ぶるのは無理だ。と言うよりも、お父様が養子にしてくれなければ、桜屋敷から出た僕は戸籍も無い根無し草で生活するしかなかった。

 だから、お父様の名を使って偉ぶるとかは本当に無理。寧ろやったら、お父様に殺されるかも知れない。

 一丸さんは僕の説明に、困ったように複雑な表情を浮かべた。

 

「すいません。不躾な質問をしてしまいました」

 

「構いません。寧ろクラスは違いますけど、一緒の学院に通えるお二人と出会えて嬉しいです」

 

「うわ、もう眩し過ぎて直視出来ない」

 

「あ、あの! 私はデザイナー科一般クラスです!」

 

「デザイナー科! それじゃ銀条さんはデザインを描くんですね! 今度見せて貰って良いですか!?」

 

「はい! 是非見て下さい!」

 

「あっさり仲良くなってるし」

 

 日本に帰国した初日に、こんなに楽しい出会いがあるなんて思ってなかった。

 このままお二人と話をしていたいけど……時計を見ると結構時間が経っていた。そろそろ行かないといけない。

 

「申し訳ありません。私はこれから行くところがありますから。失礼します」

 

「何処に行くんですか?」

 

「お二人は『桜の園』というマンションを知っていますか?」

 

「はい! あそこの地下にあるカフェのコーヒーゼリーは有名ですから!」

 

「それは良い事を教えて貰いました。では、フィリア学院で会える日を楽しみにしています」

 

 僕は二人に背を向けて、『桜の園』がある場所を目指して歩き出した。

 

「あんな人がいるなんて」

 

「あっ! パル子ってあだ名で呼んで良いって言うのを忘れてた! きゅうたろうも今度会ったら、あだ名を教えなよ」

 

「無理。あの人にあだ名で呼んで貰うのは、何か凄くキツイから」




と言う訳でアメリカ桜小路家編は終わりです。
駿我さんや遊星は再登場の可能性がありますが、ルナ様は身体上の都合で日本に来れないので来年までは電話とかでとかしか登場はしません。
何時か書けなかったパリ編とアメリカ編を番外と言う形で書きたいですね。

『朝日が去った後の桜小路家』

「……行ってしまいましたね」

「……朝日」

「ルナ。我慢と言うか、もう諦めなよ」

「嫌だ! 夢だったんだ。夫と恋人と一緒に生活するのは! その夢を叶えられるかも知れないなら、私は諦めない!」

「旦那様だけで我慢して下さい、奥様……ところで、何か忘れているような気がするのですが?」

「八千代さんもですか? 僕も何かあったような気がするんです」

「ええ、何でしょうか? 小倉さんの事で重要な何かを忘れている気がするんです。直接じゃなくて間接的に」

「思い出せないのなら、気にする事はないだろう。それよりも朝日が壱与に会いに行くなら連絡しておこう。朝日の件は壱与も気に病んでいたから、報告すれば喜んでくれる筈だ。特にこの一か月はメールでのやり取りもしていなかったから、あっちも心配……」

『それです(だ)!』

「何?」

「うっかり忘れていました。才華様が小倉さんの事を気にしていた事を」

「……そ、そう言えば、そんな事を『晩餐会』で言っていたな」

「ま、不味いよ。今更才華に伝えたら」

「反抗期中ですから、旦那様は嫌われるかも知れませんね」

「ル、ルナ」

「泣くな夫。後で私が連絡をしておく」

「あ、ありがとう、ルナ」
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