月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回でつり乙2のヒロインと二名と会います。
誰なのかは本編で。

エーテルはりねずみ様、lukoa様、烏瑠様、獅子満月様、誤字報告ありがとうございました。


三月中旬(遊星side)2

side遊星

 

 教えられていた『桜の園』の住所にやって来た僕は、聳え立つマンションを前にポカンと口を思わず開けてしまった。

 66階高層マンション。『桜の園』。話には聞いていたけど……こんなに立派な建物だったの?

 それをポンッと才華様達に与えてしまったお父様。もう確実だ。

 話を聞いていただけで感じていたけど、あの人は重度の甥姪コンだ。

 

「……才華様。期待に応えられなかったら、本当にどんな目に遭わされるか。凄く心配です」

 

 お兄様の期待に応えられず、服飾の授業を全て辞めさせられたあの日のトラウマが蘇って来る。

 冗談抜きで此処まで期待されているのに、それを裏切った日には、お父様がお兄様に戻ってしまうかも知れない。

 お兄様に叩き込まれた畏怖と恐怖で身体が震える。まだ、僕はあの人への感情を振り払えていないので、どうか才華様が結果を出してくれる事を願うしかない。

 

「……行きましょう」

 

 覚悟を決めて、僕は『桜の園』に足を踏み入れた。

 建築されたばかりと言うだけに、マンションの中は清潔だった。外観も綺麗だったけど、中はもっと綺麗だった。流石は最初は、お父様が関わっていただけの事はあると思えた。

 それを才華様とアトレ様に与えてしまったのは、頭が痛いけど。

 エントランスの方にいる受付の方に話しかける。

 

「すみません」

 

「はい、ご用はなんでしょうか?」

 

「コンシェルジュの八十島壱与さんはおりますでしょうか?」

 

「大変申し訳ありません。今、八十島上司は、オーナーの桜小路アトレ様と重要な会議をしておりますので」

 

「そうですか……」

 

 失敗した。

 会いに行けば会えると思っていたけど、今の八十島さんはこの『桜の園』のコンシェルジュでもあるんだから、桜屋敷の時のようにはいかない。

 事前に連絡を取るべきだったと反省しながら、腕時計で時間を確認する。

 今はもう夕方を過ぎている。ホテルの方は予約して来たから問題無いけど、どうしようか?

 明日からはりそなとの生活があるから、その準備で忙しくなると思う。出来れば今日会いたいけど、八十島さんにも都合があるだろうから。

 

「それでは小倉朝日が来たとだけ伝えておいて貰って良いでしょうか?」

 

「小倉朝日様ですね。分かりました。お伝えしておきます」

 

 日本にいる事だけは伝えよう。

 その気持ちを込めて受付の人に頼み、僕はエントランスから離れる。

 ……そう言えば、銀条さんが此処の地下カフェのコーヒーゼリーは美味しいって言っていた。

 少しお茶をして行こう。もしかしたらその間に、会議が終わって戻って来た八十島さんに会えるかも知れないから。

 

 

 

 

 コーヒーゼリーは美味しかった。

 銀条さんが言っていた事に間違いは無かったと思う。

 こうして自分が作った物だけじゃなくて、外の飲食店で食事を取るのは悪くない。

 味の研究にもなるし、これを機会にりそなにコーヒーゼリーを作るのも良い。ファッション雑誌をみながら、食後のコーヒーを僕は楽しむ。

 あっ! この衣装良いな! 型紙はどう引かれているんだろう?

 やっぱり、こうして雑誌でも衣装を眺めるのは好きだな。夢中になって読み進めていくと、何時の間にかやって来てから一時間以上経っていた。

 そろそろもう一度エントランスに行ってみようと思い立ちあがる。

 

「うぅ、どうしよう」

 

 隣の席に座っていた金髪の女性が、頭を抱えていた。

 どうしたんだろう?

 

「あの……どうされました?」

 

 気になったので質問してみた。

 僕の声に女性は顔を向けて来た。第一印象は綺麗な人だと思った。

 瞳の色は鮮やかな蒼眼で、それが映える均整なバランスが整った顔立ち。服の上からでもスタイルの良さが分かる。美人と表せるその人は、困ったように僕に顔を向けて来た。

 

「何かお困りのようでしたけど?」

 

「え~と、貴女は?」

 

「あっ、すみません。急に声を掛けてしまって。私は小倉朝日と言います」

 

「小倉朝日!?」

 

 僕の名前を聞いて女性は驚いた。

 何だろう? こんなやり取りを銀条さんと一丸さんの時にもした記憶がある。

 もしかして、この近くにアサヒという名前の人物がいるのだろうか?

 

「一応聞くけど、今の名前って、本名?」

 

「は、はい」

 

 疑わしそうに女性は僕を見て来た。

 一応小倉朝日の名前は、僕の本名の一つだ。本当の名前は大蔵遊星だけど、その名前を名乗る訳にはいかない。

 不味いとは思うけど、遊星としての僕を出せるのはりそなかお父様の前だけだ。

 だから、小倉朝日として彼女に対応する。

 

「こんな偶然ってあるのかな?」

 

「あ、あの~」

 

「あ、ごめんなさい。貴女と同じ名前の人を知っていたから」

 

「そうでしたか」

 

 やはり、アサヒの名前を持つ人物が近くにいるらしい。

 実際に小倉という名字は日本にあるし、アサヒという名前を持つ人物もいる。

 ……ちょっと心苦しい。コクラアサヒさんという人物に対して、申し訳なさを感じてしまう。

 だって、女装している僕と同じ名前なんて、相手の人が知ったら、悲しむだろうから。

 そのコクラアサヒさんに内心で謝りながら、僕は話を再開する。

 

「それで何を困っているのですか?」

 

「……ルームキーを部屋に置いて来ちゃった」

 

「えっ?」

 

 言われた意味が分からなかった。

 何故部屋の鍵を忘れたのを、喫茶店で困っているのだろうか?

 僕が疑問の声を上げたので、女性が説明してくれる。

 

「この地下カフェね。『桜の園』の60階以上の住人には無料サービスでメニューを提供してくれるの」

 

「なるほど」

 

「だけど、部屋で注文しないで此処で食べる時は、会計時にルームキーを見せないといけないの」

 

「そ、それは……つまり」

 

 知らされた事に、僕は女性の前のテーブルを見てみる。

 複数のケーキのお皿に、僕も食べたコーヒーゼリーの器もある。

 ……こんなに食べて彼女の体重は大丈夫なのだろうか? 後日彼女が体重計に乗った時に悲鳴を上げない事を願う。

 でも、今はそれよりもこのままでは彼女は会計が出来ないという事になる。

 彼女は『桜の園』の住人で、恐らく何度かこの地下カフェに訪れていたんだろうけど、肝心の無料サービスを受ける為に必要なルームキーを部屋に忘れてしまった。

 ……それ不味いよね!

 という事は、彼女の部屋の鍵が開けっ放しになっているという事になる。

 幾らセキュリティが確りしているマンションでも、鍵が開いたままなら人に入られてしまう。

 流石に窃盗とかはないと思うけど、知り合いがやって来て、鍵が開いたままの彼女の部屋に入ってしまうかも知れない。

 親しき中にも礼儀はあるけど、許可なく部屋の中を見られるのはかなり嫌だ。

 そして何よりも、無料で食べるつもりで来た彼女は財布を持っていない。

 

「お一人で暮らしているのですか?」

 

「うん。ただこのマンションに雇っている使用人と言うか、従者が別の階の部屋で暮らしてる」

 

「でしたら、お店の電話をお借りして従者の方を呼ぶのはどうでしょうか?」

 

「最近、甘い物を食べ過ぎだって怒られているから、知られたら注意されちゃう。それで次のお茶会の時に、私の分のお菓子を食べられちゃうかもしれない」

 

 それは本当に従者なのだろうか?

 正直、そんな事を桜屋敷に居た時やりそなの使用人の時に僕がやっていたら、八千代さんに叱られるし、最悪その場でクビだ。お兄様からも怒られる。

 どうやら、彼女の従者の人はかなり自由な人のようだ。個人的な印象としては残念だけど良くない。

 

「最悪、体罰もあるかも。今日は無断で来ているし。手を抓られるだけじゃ済まないから連絡するのが怖い」

 

 ……この時点で僕の彼女の従者への印象は最悪になった。

 流石に体罰は酷い。僕自身ミスを犯したら、ルナ様に罰を強請った事はあるけど、アレはあくまでルナ様が主人で僕が従者だったからだ。

 彼女と従者の関係は直接見てないから何とも言えないけど、少なくともその方が大蔵家や桜小路家で使用人として働くのは間違いなく無理だろう。桜小路家のメイドが主人やお客様に体罰なんてしているって知ったら、八千代さんが気絶するかも知れない。

 ……その後に気絶から回復した八千代さんが、烈火の如く怒るのを想像するのは止めよう。トラウマになっているのは自覚するけど。

 今はそれよりも、彼女の問題の方を解決しよう。

 

「分かりました。一応確認しますが、貴女はこのマンションに住んでいるんですよね?」

 

「うん。65階に住んでる」

 

「そうですか。でしたら、此処は私が立て替えましょう」

 

「それは流石に……」

 

「いいえ。この高層マンションは富層な方々が住むマンションですから、このような醜聞が広がるのは不味いです。それに……実はこのマンション。元々は私の父が建築していたマンションなんです」

 

「えっ? お父さんって事は、貴女は桜小路家の関係者なの?」

 

「いえ、桜小路家ではなく、大蔵家の方の関係者です」

 

「大蔵家って……もしかしてルミネさんのお知り合い?」

 

「はい。一応ルミネ様とは親戚関係にあります。事情があって、大蔵の名を名乗れませんが、もし不埒な事をしたら私はお父様とルミネ様に叱られてしまいます。ですから、どうか此処は私に任せて下さい」

 

 僕は彼女のテーブルに置かれていた伝票を持って、会計に向かい自分のものと合わせて清算した。

 

「助けてくれてありがとう。自己紹介がまだだったから名乗るね。エスト・ギャラッハ・アーノッツです」

 

「小倉朝日です。宜しくお願いします、アーノッツさん」

 

「エストで良いよ」

 

「では、エストさんと呼ばせて頂きます」

 

「今回は本当に失敗した。危うく閉店時まで困って、従者を呼ぶ羽目になるところだった。隠れて食べに来ていたのに、こんな失敗したのがバレたらどれだけ怒られていたか」

 

「気を付けた方が良いですよ。慣れて来ると、それだけ油断してしまいますから」

 

 僕とエストさんは並んで歩き、エレベーターに乗り込む。

 エレベーターの扉が閉まる直前に、丁度到着した隣のエレベーターから慌ただしい足音が聞こえた気がしたような? 気のせいかな?

 そのまま65階に辿り着いた僕は、エストさんの部屋の前で待っていた。

 

「はい。コレ立て替えてくれた分のお金と、私の気持ち」

 

 部屋から出て来たエストさんは、僕が立て替えた分より多めのお金を渡してくれた。

 でも、僕は立て替えた分だけのお金を受け取り、多い分をエストさんに返した。

 

「えっ? 良いの?」

 

「はい。お金には困っていませんから」

 

「う~ん。でも私も何かお礼がしたいけど、今部屋にあるのと言ったら、デザインぐらいしか」

 

「デザイン! エストさんも服飾をやっているんですか!?」

 

「その反応? もしかして小倉さんも?」

 

「はい! 来月からフィリア学院の服飾部門の特別編成クラスに通う事になっています!」

 

「凄い偶然。今日会って助けてくれた人が、フィリア学院に通う人で、服飾部門の特別編成クラスに入って、しかも名前が朝陽さんと一緒だなんて」

 

「本当ですね」

 

 しかし、このままだと服飾部門に僕とコクラアサヒさんがいる事になってしまう。

 どうか専門科目だけは違う事を願いたい。正直女装している僕が、女性のコクラアサヒさんと一緒に授業を受けるのは申し訳ない気持ちになってしまう。

 

「それじゃあ、良かったら私のデザインを見てみる?」

 

「是非見せて下さい!」

 

 僕はエストさんの案内で部屋に入れて貰った。

 

「わあ~!!」

 

 エストさんが見せてくれたデザインは素晴らしかった。

 同年代の人と比べても、間違いなく彼女には才能がある。思わずどんな風に型紙を敷いてしまうか考えてしまう。

 

「このデザインだと、ああすれば良いかな。でも、こうした方が良いかも。う~ん、悩む」

 

「小倉さん?」

 

「あっ! すみません。ちょっと夢中になっちゃって」

 

「別に構わないけど、小倉さんは型紙が得意なの?」

 

「はい!」

 

「じゃあ、ちょっとだけ見せて貰って良い? 時間があればだけど」

 

「時間ですか? あっ」

 

 腕時計を見てみると、もう九時過ぎだ。

 流石にそろそろホテルに戻らないと不味い。

 

「すみません。そろそろ帰らないと行けませんから」

 

「残念。それじゃ今度会う時に見せて貰って良い」

 

「はい。このデザインを見せて貰ったお礼に、必ずお見せします」

 

 返事を返した僕はエストさんの部屋から出て行った。

 彼女はエレベーターに乗り込むまで見送ってくれた。本当はエントランスまで送るって言われたんだけど、今日はもう遅いから僕の方で拒否させて貰った。

 彼女は良い人だ。そんな人と同じフィリア学院で通う事になると思うと嬉しい。

 さあ、予約したホテルに帰らないと……。

 

「あっ!」

 

「ん?」

 

 エントランスから出る直前に聞こえた声に振り向いて見ると、ルミネ様が立っていた。

 懐かしい人に思いがけない場所で会えた事に、思わず笑顔が浮かんでしまう。

 

「ルミネ様! お久しぶりです!」

 

「……えっ?」

 

 あれ? 何だろう?

 急にルミネ様が困惑したように僕を見つめて来た。何か変な所でもあっただろうか?

 ゴミでも服についているんじゃないかと心配になって、自分の身体を見回す。大丈夫、ゴミとかは付いていない。

 だったら何でルミネ様は困惑したのかと思っていると、そのルミネ様が僕に近寄って来た。

 

「え~と、小倉さんよね?」

 

「はい。どうされましたか、ルミネ様?」

 

「正直、今かなり困惑してる」

 

「何故でしょうか?」

 

「いや、だって……全然私が知っている小倉さんと印象が違っているんだもの。前は笑顔なんて浮かべなかったし」

 

「その節は本当に申し訳ありませんでした。ですが、りそなさんのおかげで元気を取り戻せました」

 

「そうなんだ……今、ちょっと時間はある?」

 

 質問という形だけど、ルミネ様は険しい視線を僕に向けて来た。

 本当は時間は無いけど、此処で拒否するのは不味いと感じてルミネ様に僕は頷いた。

 案内された場所は64階のルミネ様の部屋だった。部屋にはピアノが置かれている。

 そう言えば、りそながルミネ様はピアノを弾くって言っていたっけ。

 

「それで小倉さん。今までどうしていたの?」

 

「桜屋敷を出てから年始まではイギリスで過ごしていました。その後は二月の中盤頃までパリでりそなさんとメリルさんと一緒に過ごして、今日帰国するまではアメリカの方で過ごしていました」

 

「……そう」

 

「そう言えば、ルミネ様は私の養子入りに協力してくれたそうですね。本当にありがとうございました」

 

 内心では男性である僕を女性として大蔵家の一員に入れる事に協力させてしまった事に、申し訳なさを感じるけど、その事は黙って頭を下げた。

 

「その件は別に良い。貴女が大蔵家の血を引いている事には驚いたけど、実際に貴女が大蔵の血を引いているのは鑑定して結果が出ているから……ただそれとは別に聞きたい事がある」

 

「何でしょうか? 私に答えられる事なら、お答えします」

 

 僕の本当の性別の件以外は。

 

「……率直に聞かせて貰うけど……貴女、大蔵家を憎んでいる?」

 

「……えっ?」

 

 憎む? 大蔵家を? 僕が?

 

「あの~、大蔵家を憎むというのはどういう意味でしょうか?」

 

「意味も何も、貴女の昔の家庭環境を大まかにだけど衣遠さんから教えて貰ったけど、正直酷いと思える環境だった」

 

「酷い?」

 

 そんな環境だっただろうか?

 確かに子供の頃は毎日勉強付けで、マンチェスターの屋敷からまともに外に出た事もなかった。そのせいでフィリア女学院に入るまでは、学校には通った事は無かったけど。

 でも、その代わりに優秀な家庭教師を付けて貰えたから、色々な分野への理解を得る事が出来た。

 体罰や叱責を辛いとは感じたのは事実だけど、それのおかげで今の僕がある。

 子供の頃の事で唯一心に残っているのは……お母様に対してしてしまった絶対の禁忌だけだ。

 アレだけはどうしても忘れる事が出来ない。だから、お母様のお墓に行った時に、言いたかった言葉があったのに……それを僕は言う事が出来なかった。

 

「ルミネ様。何か勘違いを為されているようですが、私は大蔵家を憎んではいません」

 

「……本当?」

 

「本当です。確かに厳しい毎日でしたが、良い事も沢山ありました。例えば他の国の言葉を私は多く話す事が出来ます。英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語など日常的に会話するのに問題がないレベルで話せるのは、あの厳しい毎日があったからです」

 

 普通の一般家庭なら其処までの勉強は出来ない。

 だから、大蔵家に生まれたのは本当に良かった。

 

「何よりも服飾の勉強が出来ました。普通の一般家庭では難しかった服飾の勉強も……は、母から教えられる機会はありましたから」

 

 あ、危ない! よくよく考えてみると、僕の服飾の知識は十数年前のものが主だ。

 八千代さんから最新の知識を教えて貰ったけど、今はまだ穴がある部分があるから凄いとは言い切れない。

 怪しまれないかなと思っていると、ルミネ様は考え込むような表情で僕を見ていた。

 

「本当に服飾をやっていたんだ」

 

「はい、やっていました。ですが、その事をどうして知っておられるのですか?」

 

「さっき、才華さん達と会議している時にアメリカにいる才華さんのお母様から連絡が来て、小倉さんが日本に帰っているって知らされた。その時に小倉さんが服飾をやっていた事も教えて貰った」

 

「そうでしたか」

 

 受付の人が言っていた会議の内容は、才華様の女装に関してだったらしい。

 公私混同じゃ無いかなと思うけど、僕の時と違って大勢の人が協力しているから仕方が無いのかも知れない。

 

「それで話は戻すけど、総裁殿に元気にして貰ってから、貴女は一番最初に何をやったの?」

 

「一番最初にですか? りそなさんに本屋に連れて行って貰いましたが」

 

「……何の本を買ったの?」

 

「ファッション雑誌ですけど、それが何か?」

 

「……はっ?」

 

 ルミネ様は僕の発言に、目が点になった。

 この方もこんな顔をするんだ。

 

「とても素晴らしい衣装の数々に感激しました。その後はメリルさんのアトリエで服飾の勉強をパリにいる間、ずっとしていました。その間に母の昔の友人の方々もパリにやって来られて、本当に楽しい毎日を過ごさせて貰っていました。その後はアメリカの桜小路家で服飾の勉強を帰国するまでやって、本当に此処二か月は楽しくて充実した日々でした」

 

「えっ? 嘘? ちょっと待って……本当に大蔵家に恨みとかは無いの?」

 

「ありません」

 

 どうしたんだろう?

 ルミネ様の顔が理解出来ないものを目にしたかのような顔になっている。

 

「ごめん。本当に待って。今頭の中を整理するから」

 

「はい」

 

 やがて頭の中で整理がついたのか、ルミネ様は真剣な顔を僕に向けて来た。

 

「確か、貴女のお母様、『小倉朝日』さんは衣遠さんがフィリア学院を退学にしたのよね」

 

「はい。そう聞いています」

 

「だったら、衣遠さんをお父様なんて呼ぶのは可笑しいとは思わないの! 貴女からすれば、親子二代で苦しめられて……」

 

「あの、ルミネ様。確かに私の母、『小倉朝日』はフィリア女学院を退学になりましたけど、その後も桜小路ルナ様がご卒業されるまで、桜屋敷には勤めていましたよ」

 

 音が聞こえるほどに、ルミネ様は固まった。

 これはチャンスだと思い、此処でアメリカで桜小路遊星様と考えた『小倉朝日』のカバーストーリーを説明する。

 

「お父様に退学をフィリア女学院で言い渡された母は、りそなさんの下に連れ戻されましたが、遊星様のご協力があって桜小路ルナ様の衣装を作製して渡しました。その時の評価によって母は桜屋敷に勤める事だけは許されました。ただ一度退学を言い渡しただけに、学院に戻るのはお父様の評価に傷がつくと考えて母の方で辞退しました」

 

 本当の事を言えば桜小路遊星様が、ルナ様が参加されたフィリア・クリスマス・コレクションの場にやって来て、誰かに見られたかもしれないと考えて、正体がバレるのを恐れて朝日として復学出来なかったらしい。

 それに次の年から男子部が設立されたから、朝日としてフィリア女学院に通い続ける理由も薄れたのもあった。お屋敷の方では、男性嫌いだった瑞穂様に対する謝罪として過ごしていたようだけど。

 

「桜屋敷を辞めた後は、大蔵家に戻って使用人に戻ったそうですが」

 

「そう! 其処! 其処が重要! 戻って誰とも知らない大蔵家の父親が貴女を産ませたのよね。そして使用人として貴女を教育した。それで用済みになったから、貴女を放逐した。しかも、認知もされないどころか、産まれた事さえなかった事にされた貴女には戸籍もなかった。ほら、これだけの事があれば、大蔵家に怒りを持っても可笑しくないでしょう?」

 

「あ、あの、ルミネ様? 何か可笑しくなっていませんか? まるで私が大蔵家を憎んでいるのは当然だと言うように聞こえますけど」

 

「うん……正直言って、今私は混乱している。このままだと私の中にある一般論が崩壊してしまいそう」

 

「意味が分かりませんけど、何度も言いますが恨みとかはありません」

 

「何で!?」

 

 いきなりルミネ様が詰め寄られて来た。

 何でと言われても、本当に困る。寧ろこの世界の大蔵家の方々には、感謝しかない。

 居場所がなかった僕に、自分が破滅するかも知れないのに居場所を作ってくれた衣遠お父様。

 僕に元気を取り戻させてくれて、偶然目にしただけで心配して探していてくれていたりそな。

 パリでお世話になって、僕を家族と呼んでくれたメリルさん。

 アメリカで僕を家族として迎え入れてくれて、服飾道具などを用意してくれた駿我さん。

 そして、僕が大蔵家の血を引いているから、お父様と一緒に養子に協力してくれたルミネ様。

 恨むなんてとんでもない。感謝する以外に何があるのだろうか?

 

「大蔵家の方々は私を助けてくれました。ルミネ様も私の養子入りに協力されたと聞いています」

 

「でも、貴女。最初に会った時に、あんなに悲しそうにしていた。それは大蔵家のせいじゃないの?」

 

「いいえ。大蔵家のせいではありません。私自身の罪です。私は、決して赦されない事をしてしまいました」

 

「それは何?」

 

「……騙したのです。仕えていた敬愛するお方を」

 

 静かにルミネ様は僕から離れて、警戒するように見て来た。

 本当の事は言えないけど、出来るだけ事実を話そう。

 

「桜屋敷を出る前に、私には才華様を非難する資格はないと言ったのを覚えていますか?」

 

「覚えてる」

 

「私も最初は才華様と同じでした。自分の夢の為に、あの御方に近づきました。ですが、仕えて行く内に本当にあの御方の為になりたいと願うようになりました。本気で私は『小倉朝日』になりたいと願うほどに、あの御方の礎になれればと思っていたんです。ですが、私のしていた事が優しくても厳しかったメイド長に知られてしまい、私は追い出されました」

 

「主人を利用しようとする使用人なんて、屋敷に置いておける訳がない。正しい判断だと思う。そのメイド長がした事は」

 

「はい。私もそう思います。では、ルミネ様。今の話の何処に恨むという感情を持てる部分がありますか?」

 

「それは……」

 

「ありません。何故なら悪いのは全て私だからです」

 

 あの件に関して恨みを持つ事こそお門違いだ。

 逆恨みを抱く事さえ許されない。そんなつもりは無いけど。

 

「『二度と当家に関わるな』と言われました。当然の事です。その結果、行く当てを失った私は、街を彷徨い、偶然辿り着いた場所が、母が語っていた桜屋敷だったんです。母に似ている私を八十島さんは温かく迎え入れてくれました。だから、今日はその感謝を改めて伝えに来ただけです」

 

「……本当に大蔵家に復讐する気なんてない訳か。ごめんなさい、小倉さん。貴女の事を疑っていた。その事は謝罪する」

 

「謝罪なんて必要ありません。寧ろ心配をおかけしていたようで、申し訳ありませんでした」

 

「謝られても……本当にこの人、何なの? 此処まで純粋で清い人がいるなんて、こういう人を聖人って言うのかな? ……才華さんが夢中になるのもちょっと分かるかも」

 

「はっ?」

 

 才華様が夢中になる?

 一体どういう事だろうか?

 ……いや、もしかして。

 

「もしかして才華様は、私が叱った事を気にしているのでしょうか?」

 

 だったら、不味いかも知れない。

 もうすぐフィリア学院の入学式が始まる。その前に不安があるんだとしたら、学院に通うのに影響が出てしまう。

 そうなったら、才華様だけじゃなくて、仕えている主の方にも迷惑が掛かるかも知れない。

 僕が過去のルナ様に仕出かした事を考えれば、失態を犯すのは見過ごせない。

 

「ルミネ様。才華様もこのマンションに住んでいるのですよね。でしたら、会わせて貰えないでしょうか? 不安があるのならば、今すぐに解消しておくべきです」

 

「きょ、今日はもう夜も遅いから、明日にして貰いたいかな」

 

「いいえ、明日も来れるかは分かりません。明日からはりそなさんと暮らす準備をしなければなりませんから」

 

「そ、そうなんだ」

 

 急にルミネ様のご様子が変わったように感じる。

 先ほどまでは真剣に僕に問いかけて来たのに、今は困り果てたように頭を手で押さえている。

 

「……弱った……まさか、今更才華さんが………なんて……言えない」

 

「やっぱり、才華様に何か起きているんですね」

 

「こ、小倉さん」

 

「ルミネ様。先に言っておきますが、私は才華様の為さろうとしている事に賛成はしていません。止める資格が無いから、止めないだけです。そして言う資格はありませんが、もしも才華様が仕えているお方を蔑ろにしているなら……」

 

「そんな事はないから安心して。寧ろ仲良く過ごしているから」

 

「そうですか。安心しました。でしたら、会うのに問題はありませんね。才華様のお部屋は何処でしょうか?」

 

「さ、才華さんの部屋は……」

 

 ルミネ様が才華様の部屋の場所を教えてくれようとした瞬間、僕の胸ポケットの中に入っていた携帯電話が鳴った。

 誰だろうと画面を見てみると、お父様の電話番号が表示されていた。

 嫌な予感を感じながら、僕は通話ボタンを押して耳に当てる。

 

「は、はい、朝日です」

 

『貴様は今何処で遊んでいる!!』

 

「も、申し訳ありません、お父様!!」

 

 電話先のお父様は怒っていた。

 

『仕事が早く終わり、貴様が泊まる予定のホテルに来てみれば、まだ戻っていないと言う! もう十時近くだ! 今すぐ帰って来い!』

 

「お、お父様。今私は『桜の園』にいます」

 

『才華達の下だと? そうか。八十島に挨拶に向かったのか』

 

「は、はい。ですが、八十島さんに挨拶はまだ出来ていません。偶然会ったルミネ様にはご挨拶をしましたけど」

 

『ならば、今日はもう戻れ。例の件で話し合う事がある。八十島には後日会いにいけ』

 

「……分かりました」

 

 例の件という事は、お父様も僕が調査員としてフィリア学院に入る事は知っているようだ。

 才華様の事は気になるけど、お父様を待たせたら後が怖い。何とか時間を作って、後日会いに来よう。

 すぐに戻る旨をお父様に伝えて、僕は携帯を切った。

 

「ルミネ様。急用が入りましたので、今日は帰らせて頂きます」

 

「そ、それは良かった」

 

「ですが、後日必ず来ます。その時に才華様がこれまで何を為されていたのか、全て聞かせて貰いますから。その旨はお伝えください」

 

「う、うん。分かった。伝えておく」

 

「失礼いたします」

 

 別れの挨拶を告げると、僕はルミネ様の部屋から出て帰路についた。

 一応途中でエントランスによって見たけど、八十島さんはやっぱり居なかった。

 何でも、急に用事が入って『桜の園』から出て行ったらしい。せめて挨拶だけはと思ったのに残念だ。

 だけど、もう時間がない。これ以上お父様を待たせる訳には行かない。

 僕は、最後に『桜の園』を見上げ、去った。




遊星側の舞台裏で何が起こっているのかは、才華sideで明らかになります。
ルミネの心境としては、丁度良い機会だと思って挑んだら、相手が常識外れの聖人だったのでどうしようと悩んでいます。
常識の枠に入れたいけど、朝日だけは入れ難い存在ですから。ただ一つ言えるのは、今回の件でルミネは朝日に意識を覚えました。
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