月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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これにて三月の遊星sideは終了です。
残るは才華sideのみ。こっちがちょっと話数が多くなりそうですが。
そして今回、遂に朝日の付き人が判明します!
栄えある朝日の付き人になったのは……あの人です!

烏瑠様、MAXIM様、誤字報告ありがとうございました!


三月中旬(遊星side)3

side遊星

 

 『桜の園』から出た僕は、タクシーを拾って予約したホテルに帰って来た。

 アメリカに居た時に駿我さんに、立場が立場だから泊まるとしたら格式の高いホテルでないと駄目だと言われたので一応一番高いホテルにした。

 予約する時に差し出したりそなのカードを見て、すぐにVIP待遇にされた時は驚いたけど。

 やっぱり、りそなのカードは簡単に使えないと分かった。

 当たり前だよね。今のりそなの立場は大蔵家の家長なんだから。

 

「お帰りなさいませ、小倉様。お父様がお待ちです」

 

 フロントの受付の人に挨拶をすると、すぐにお父様が居る場所に案内された。

 直接会うのは五か月ぶり。電話での会話も、一月にしただけだから緊張する。

 

「漸く戻って来たか」

 

「ご心配をおかけして申し訳ありません、お父様」

 

 案内された部屋で僕はお父様と対面した。

 用意されていた席に座り、お父様を見つめる。

 一瞬、お父様に対して朝日として接するべきか、遊星として接するべきか考えた。

 ……遊星として接させて貰おう。怒られたらその時は朝日として接すれば良い。

 

「お父様。桜小路遊星様の技術を見て来ました」

 

「ほう。それでどうだった。我が弟の磨かれた才能は」

 

「……言葉も出せない程に感動しました」

 

 今でも脳裏に浮かぶ彼の動作一つ一つ。

 其処に込められた意志や想いの強さ。

 嫉妬を覚える事も出来ない程に感動した。それに触発されるように一日ごとに取り戻せていく自分の技術に、喜びを覚えた。

 だけど、アメリカでルナ様に言ったように、あのまま桜小路家に留まる訳には行かなかった。

 

「貴様がもしもアメリカに残りたいなどと連絡して来た時は、無理やりにでも連れ戻す準備はしていたが、どうやら無用だったようだ。今後も短期間なら滞在は認める。だが、長期は駄目だ。我が弟の劣化が世にあるなど虫唾が走る」

 

 やっぱりお父様も、僕と同じ事に気づいていた。

 当たり前だ。この人は僕や桜小路遊星様よりも長く服飾の世界に関わっているんだから。

 それだけ大勢の服飾に関わる人達と関わって来ている。

 僕が気がつく危険性に、この人が気付けない筈が無い。

 

「それでどの程度取り戻せた? 我が妹が嘆くほどに落ちぶれた貴様など、フィリア学院に調査員として入れるつもりは無い。りそなは文句を言うだろうが、調査員は別の者を派遣する」

 

「……これを見て下さい」

 

 恐怖で手が震える。

 緊張じゃない。今僕が震えているのは恐怖からだ。

 だってそうだ。僕はお兄様に才能が無いと言われて、服飾の勉強を全て取り上げられた。

 目の前のお父様はお兄様とは違うと分かっていても、コレを差し出すのは勇気が必要だった。

 リボンが巻かれてラッピングされた小さな箱。駿我さんに渡したプレゼントとは違い、お父様に今の自分の力を見て欲しいと思って作ったハンカチだ。

 正直コレを作るのは、駿我さんのプレゼントを作っている時よりも辛かった。

 作っている最中に何度も吐きそうになって、八千代さんや桜小路遊星様を心配させてしまっていた。

 ……僕にとっては、それほどの事だった。未だ乗り越えられないお兄様の恐怖と畏怖が、お父様に自分の作った物を見せるのに脅えていたからだ

 渡されたお父様は丁寧にリボンとラッピングを解いて、箱からハンカチを取り出した。

 

「……」

 

「本当はドレスシャツを作りたかったです。ですが、今の僕の技術では作製には時間が足りなくて……申し訳ありません」

 

「……悪くはない」

 

「えっ?」

 

「確かにハンカチなど簡単に作れる物だ。だが、我が妹から聞いていた貴様の実力では、此処まで丁寧な造りは出来ず解れなどが目立っている筈だ。だが、このハンカチには解れなど見えず、縫製も丁寧だ。なるほど、確かにある程度は実力を取り戻せたようだ」

 

「……あっ」

 

 気がついたら、頬を涙が伝っていた。

 ……認めてくれた。この人が……僕の作った物を。

 嬉しかった。もしも否定されたらと作っている時に、ずっと不安だった。

 桜小路遊星様は大丈夫だと言ってくれていたけど、その言葉を心から信じれる事は出来なかった。

 でも、今、確かにこの人は。お父様は僕が作った物を、小さな物でも認めてくれたんだ。

 お父様は、僕の作ったハンカチを丁寧に畳んで箱に戻して懐に入れた。

 ……使ってくれるのかな? だったら嬉しい。

 

「これならば、将来性を鑑みてフィリア学院に入るのを認めよう」

 

「……ありがとう……ございます」

 

「だが、貴様が入るのはデザイナー科だ。其方の方面の才能が無い貴様が本来デザイナー科に入るのは、成長を遅らせる行為だ」

 

「……はい」

 

 そうだ。あくまでお父様が認めたのは、縫製の部分だけだ。

 肝心の型紙はまだ見て貰っていない。何よりも、僕にはデザインの才能が無い。

 しかも一年以上も服飾から離れていたんだから、優先して勉強するべきなのは才能がある型紙だ。

 だけど、調査員としてフィリア学院に入るなら優先調査対象が居るデザイナー科に入るしかない。

 りそなもその件はメールで申し訳ないと伝えて来てくれた。

 

「故にお前には俺から特別課題を出す」

 

「特別課題ですか?」

 

「そうだ。今後一月ごとに俺が指定する物を作れ。無論粗雑な物を作れば、容赦なく貴様を調査員から外して学院を退学させる。りそなが何と言おうと、貴様はこの俺の子だ。親である俺ならば退学にさせる事は可能だ」

 

 ……お父様の出した条件は厳しかった。

 今の僕の技術では、シャツ一枚を作るのに一か月かかる。どんな物を作らされるか分からないけど、学業と調査員としての仕事をしながらお父様が指定した物を作らなければならない。かなり厳しいかも知れない。

 桜屋敷の頃と違って、メイドとしての仕事は無いけど、それでも厳しい。

 授業の復習や提出物。それに学業での衣装作製や、フィリア・クリスマス・コレクションに出る為に作る衣装の作製。僕自身は舞台には出ないにしても、班員として協力する事になると思う。

 それを考えれば、一月ごとのお父様の特別課題は辛くて厳しい。

 

「……一つだけお聞きしたい事があります」

 

「言って見ろ」

 

「……班員としてフィリア・クリスマス・コレクションに参加する場合、或いはクラスメイトと協力して作製しなければならない物がある場合だけは、其方を優先して構わないでしょうか?」

 

 これだけはどうしても確認しておきたい。

 お父様の課題を受けるのは、寧ろ望むところだ。少しでも早く技術を取り戻して、先に僕は進みたい。

 だけど、その為に周りに居るクラスメイトに迷惑が掛かるのだけは見過ごせない。この条件だけは飲んで貰いたいと言う気持ちで、お父様を見つめる。

 

「……良いだろう。お前の学院での評価が下なのは、俺への評価にも繋がってしまう。事前に知らせれば、特別課題をその月は免除するとしよう。その分、他の月の特別課題は難易度が上がるが」

 

「それで構いません。ありがとうございます、お優しいお父様」

 

「フン……では、次に調査員となる貴様に紹介する相手がいる。入って来い」

 

「失礼します」

 

 お父様の呼びかけと共に、部屋の扉が開き手に荷物を持っている小柄な女性が入って来た。

 薄い金髪で理知的な顔立ちをしている。背はルナ様と同じで147㎝ぐらいだろうか?

 この女性は一体?

 

「紹介する、貴様がフィリア学院特別編成クラスに入る時に付き人として共に入学する者だ」

 

「『カリン・ボニリン・クロンメリン』です。まさか、この歳で学院に入るとは思ってませんでしたが、宜しくお願いします」

 

「えっ、付き人? それに歳って?」

 

 カリンさんの見た目は、十代後半から二十代前半ぐらいに見えるけど。

 

「ククッ、ソイツはそう見えて四十代だ」

 

「え? え? ええええええええええ!?」

 

「余り歳の事と見た目に関しては言わないで下さい。良く勘違いされて難儀していますので」

 

「は、はい」

 

 歳はともかく、見た目に関しては気持ちが良く分かるので、今後この話題は彼女とはしないと決めた。

 本当に見た目で苦労される気持ちは良く分かる。

 ……僕ももうちょっと男らしくなりたかった。なったら、朝日になれなくて、ルナ様のメイドにはなれなかっただろうから、かなり悩んでしまうけど。

 

「話は戻すが、最初の予定ではお前には付き人は付けない予定だった。お前に付き人など付けたら、其方を気にして何時の間にか主従が逆転している危険性があったからな」

 

 その件はアメリカで駿我さんと湊に言われた。

 どうしても僕は自分でやりたいと思ってしまうので、気がついたら進んでやってしまっている。

 桜小路家に居た時も、八千代さんが目を光らせてくれていなければ、屋敷の掃除やお茶入れに手を伸ばしてしまいそうだった。

 その反動なのか、借りていたマンションの掃除は毎日朝早く起きてやって部屋を綺麗にしていたし、駿我さんに毎日作っていた朝食とお昼のお弁当は美味しいと言ってもらえて嬉しかった。

 自分でも分かっているけど、僕は誰かに付き従われるのは苦手だ。

 

「だが、貴様も知っているだろうが才華達がしくじった事に依って、状況は我々にとって危うい事態になった。故に調査員としての実績もある程度上げて、ルミネ殿が通うフィリア学院は正常だと。或いはなろうとしている事を示さねばならない。その為の補佐役に態々りそなが駿我からソイツを借りた」

 

「えっ? 駿我さんの部下の方なのですか?」

 

「はい。直属の上司はそうなります。ですが、今後は小倉朝日様の付き人です。汚れ役の仕事は任せて下さい」

 

「よ、汚れ役?」

 

「そいつには服飾部門以外の部門の調査をやらせろ」

 

「服飾に関しては完全に素人ですので、頼りになさらないようにお願いします」

 

「はあ」

 

「その代わりに、準備は出来ているか?」

 

「はい、此方にご用意してあります」

 

 カリンさんは持っていた荷物をテーブルの上に置いて開いた。

 もしかして、才華様の主になった例の裏社会に関わっているという方の資料なのかと覗いて見て、僕は固まった。

 ……これって、メイク道具?

 荷物に入っていたのは、一目見て高級な物だと分かるメイク道具の数々だった。

 嫌な予感を感じて、僕はお父様を見る。

 

「クククッ」

 

 お父様は笑っていた。

 これから起きる事が楽しみで仕方がないと言わんばかりの笑みを浮かべて。

 

「あ、あの……お父様? これは一体何でしょうか?」

 

「ククッ、知りたいか?」

 

「……出来れば知りたくありません」

 

「なら、教えよう」

 

 うん。最初からその答えしかないと思っていました。

 忘れていたけど、この人は『晩餐会』でやらかしてくれた人だった。

 

「遊星」

 

 あえて、朝日じゃなくて本当の名を呼ぶ時点で僕の心が警鐘を鳴らす。

 此処に居たら不味いと感じて、座っていた席から立ち上がろうとする。だけど、カリンさんが何時の間にか背後に立っていた僕の両肩を押さえていた。

 逃げられない体勢にされた事に気がつくけど、もう遅かった。

 

「才華の女装は中々のものだったぞ。桜小路と我が弟の娘だと言えるほどに、女に見えた。アレならば、入学式の時にはさぞ視線を集める事だろう」

 

「そ、そうですか」

 

 ……聞きたくありませんでした。

 

「我が甥として称賛するが……その入学式には才華、アトレ、ルミネ殿の他にもう一人、この俺にとって重要な者がいる。表舞台に初めて立つ娘がな」

 

 ……もう嫌な予感しかしない。

 

「その晴れ舞台での視線が、何処の誰なのかも分からない付き人(・・・)に集まり、娘の晴れ舞台が潰されるなどあってはこの俺の父としての沽券に関わる。故にお前も更に上に上がって貰わねばならん」

 

「……お、お父様。どうかお許しください!」

 

「ククッ、何を謝っている。俺は行先の連絡を何一つせず、それどころか近況を報告もしなかった娘の為に一肌脱ごうとしているだけだ」

 

「連絡もせずにアメリカに滞在するのを決めたのは謝ります! 今後は必ず近況も報告します! ですから、お許しください!」

 

 何をされるのか分かった。

 この人は。お父様は。僕の女装を更に磨くつもりなんだ。

 僕は朝日でいる時は、薄くメイクをしている。あくまで薄くだ。本格的なメイクなんてやり方も知らない。

 ただでさえ出会う人達に、女性にしか見えないと言われ、更には『小倉朝日』よりも上と言われ続け、男性にはナンパをされていた僕が、この上女装に磨きが掛かるなど冗談でも嫌だ。

 ……いや、冗談ではなく、この人はやるつもりだ。

 

「許す? 何を言っている。娘の晴れ舞台を輝かせたいと思わない親が何処に居る? ククッ、俺も爺の気持ちが今ならば少しは分かる。娘にはやはり誰よりも輝いて貰わなければな」

 

「お父様! 私はもう充分に綺麗です!」

 

 自分で言った言葉に心が悲鳴を上げる。

 だけど、もうこれ以上は本当に無理だ! 何度も言われ続け、女性にしか見えないのも納得した。

 それなのに更に上の女装を磨くとか、本当に無理!

 心の底からの願いに対してお父様は……。

 

「やれ」

 

「了解しました。小倉様、我慢して下さい……難儀ですね」

 

「……はい、難儀しています」

 

 涙を流しながら、僕はカリンさんに返答した。

 

 

 

 

 

「うわ~……」

 

 翌日の昼頃、ホテルにやって来たりそなは、僕を見て言葉もないと言うような顔をした。

 お父様は朝には仕事があるからとホテルから出て行った。もう二度とあの人に事前に何かをする時は、必ず連絡を取る事を忘れないようにしようと誓った。

 ……因みに僕はまだ自分の顔を鏡で見ていない。見たら心が折れると分かっているからだ。

 

「……下の兄」

 

「何?」

 

「アメリカには服飾を学ぶ為に滞在したんですよね?」

 

「うん」

 

「それなのに何で……一か月離れただけで、更に女装の腕が上がっているんですか? まさか、アメリカの下の兄から女装のやり方を聞いたんですか? え? アレでまだ成長期終わってなかったのかと、妹、本気で言葉を失っています」

 

「……好きで……上げた訳じゃないよ」

 

 僕はりそなに昨晩に起きた事を涙ながらに語った。

 

「えっ? 一か月じゃなくて、一晩でこれ?」

 

 聞き終えたりそなは、先ず最初に突っ込まれたくなかった事を突っ込んで来た。

 

「取り敢えず、そのままだと話し難いので、メイクを落として来て下さい」

 

「……悪いんだけど目を瞑るから、洗面所まで連れて行って貰って良い? 今の自分の顔を見たくないから」

 

「分かりました……こんな形で下の兄と手を繋ぎたくなかった」

 

 うん。心から同意するよ。

 りそなに手を引かれて洗面所に移動した僕は、そのまま顔を洗ってカリンさんがしてくれたメイクを落とした。

 ……一瞬チラっと見えた自分の顔は忘れよう。

 できれば二度と見たくないんだけど……入学式で大勢の人に見せる事になるんだよね。鬱になってしまいそう。鬱日じゃなくて鬱に。

 

「取り敢えずさっきの事は忘れて真面目な話をしましょう」

 

 妹の優しさが心の傷に染みる。

 ごめんね。情けない兄で。

 りそなの事を頼まれた桜小路遊星様に謝りたい気持ちで一杯だよ。

 メイクを落とし終えた僕は、部屋の中にあったソファーに座る。りそなはその隣に座って、僕に抱き着いて来た。

 一か月ぶりの再会だから、甘えたいんだろうと思って好きにさせる事にした。

 因みにカリンさんは僕とりそなに気を使ってくれたのか、りそなが来ると共に部屋から出て行った。あの人は余り喋らない人のようだ。でも、悪い人ではない事は分かるので、これから付き合って行く内に仲良く出来ると思う。

 

「先ずは、これが例の甘ったれの主となった人物に関するプロフィールです」

 

「えっ?」

 

 差し出された資料に載っている顔写真を見て驚いた。

 見覚えのある顔立ちに、ブロンドの髪の毛。何よりも特徴的な鮮やかな蒼眼。

 この人は……間違いない。エストさんだ!

 

「エストさんが才華様の主人!?」

 

「えっ? どういう事ですか? 知り合いなんですか?」

 

「うん。実は」

 

 僕はりそなに昨日『桜の園』で会ったエストさんの事を説明した。

 

「……あの甘ったれ。真面目に従者をやる気はあるんですか? よくクビになりませんね」

 

 りそなもやっぱり僕と同じ意見だった。

 直接見ていないから何とも言えないけど、才華様の従者のやり方は少なくとも桜屋敷や大蔵家でやったら間違いなくクビになる。

 もしかしたら主人を思っての行動かも知れないから、何とも言えないけど印象としては残念だけど悪い。

 ルミネ様は仲良くやっていると言っていたけど。

 ……そう言えば。

 

「そうだ。りそな」

 

「何ですか?」

 

「ルミネ様に何か僕の事を言った?」

 

「はぁ? 何も言っていませんよ。まぁ、下の兄が近い内に日本に帰って来る事だけは、この前会った時に話しましたが、それだけです。何か言われたんですか?」

 

「うん。何だか僕が大蔵家を恨むとか憎んでいないかって聞かれたんだけど」

 

「……あぁ、なるほど。妹、今ので分かりました」

 

「えっ? 分かったの?」

 

「はい。でも、貴方に説明するのは無理なので忘れて良いです。どうせルミネさんも、最後には困惑して頭を抱えながら納得したでしょうから」

 

「うん。そんな感じだったけど、本当に良いの?」

 

「良いんです。正直それを説明して貴方に納得させるのは、妹でも不可能です。と言うよりも、この世に生きる誰にも不可能なので、考えるだけ時間の無駄でしょう」

 

「其処まで!?」

 

 思わず叫んでしまった。

 だけど、りそなはやっぱり僕の疑問には答えずに話を進める。

 ……本当何でルミネさんはあんな質問を僕にしたんだろうか?

 

「それで取り敢えず、このエスト・ギャラッハ・アーノッツの実家についてですが」

 

 りそなの説明によると、エストさんの実家は確かに裏社会と繋がっているが、暴力や麻薬の類の犯罪には手を染めていないらしい。ただ詐欺まがいの行為には手を貸してしまっているので、裏社会と繋がりがあるのは事実。

 ただアーノッツ家の人々は、善良の部類に入る人達らしい。勿論、詐欺まがいの行為をしている事は事実なので問題はあるけど、少なくとも僕らが想像していたような裏社会そのもののような家ではなかったようだ。

 これは嬉しい報告だと思ったんだけど。

 

「少なくとも詐欺紛いの行為をしている家と、ルミネさんが関わったのをお爺様は良い顔しないでしょう。一応、妹の方でそれとなく、ルミネさんがその家に接触したのは、アメリカであの甘ったれとそのライバルさんがデザインのライバル関係に在ったから気になったのかも知れないと言っておきました」

 

 驚いた事に、エストさんは才華様がアメリカにいた頃のデザインのライバルだった。

 確かに良いデザインだと思っていたけど、才華様とそんな関係にあったとは思ってなかった。

 でも、確かに理想的な状況ではある。互いにライバル心を抱いている相手が傍に居て、切磋琢磨出来る。競い合いを望む人達からすれば歓迎すべき状況だ

 ……片方が女装していて、ライバルの従者になっていなければだけど。

 ただりそなのフォローのおかげで、取り敢えずお爺様はある程度納得してくれたそうだ。でも、代わりに才華様に嫉妬したらしい。

 

「お爺様はルミネの気が自分以外に向かうのが嫌いですからね。まぁ、元々あの甘ったれはお爺様から好かれていなかったので、それがもう絶対に好かれなくなったに変わっただけですから問題はありません」

 

「それ良いのかな?」

 

「勿論、やっている事が知られたら終わりなのは変わりませんが、時間は得られました。あの甘ったれに対するお爺様の評価が代償ですけど、安いものです」

 

 怒っているよね。これ怒っているよね、りそな。

 才華様。どうやら貴方は、妹を完全に敵に回したようです。

 この分だと、僕がいない時に何か仕掛けていそうだけど、その事を聞く勇気は僕には無かった。

 

「それよりも、問題は他にもあります」

 

「その問題って?」

 

「……ルミネさんが何かやらかさないか正直心配です」

 

「ルミネ様が?」

 

 何でルミネ様の事が心配なんだろう?

 あの方は真面目な方だから、早々に問題なんて起こさないと思うんだけど?

 だけど、りそなは。学校でこれ以上に無いほどに苦しめられたりそなは、ルミネ様を危ぶんでいた。

 

「これまでは問題ありませんでした。ですが、ルミネさんはきっと苦しむ事になるでしょう」

 

「どうして?」

 

「……下の兄は、上の従兄弟から聞きましたか? 下の従兄弟である大瑛の話を?」

 

「うん。聞いたよ。駿我さんから聞いた。山県大瑛さんの話は」

 

「あの子は良い子です。下の兄に似て真っ直ぐな性格をしていて、妹は気に入っています。大蔵家に入らないかって言った時、あの子は『諸手を上げて結構です』と言いました」

 

「……良い人だね……僕とは大違いだ」

 

「下の兄は仕方ありません。貴方には居場所が必要だったんですから。話は戻しますが、お爺様は下の従兄弟を疎んでいます。だから、フィリア学院の教師などに裏でお金を支払って、『自分の目に映る範囲で活躍させない』ようにしています」

 

「それは……」

 

「妹はこの事を貴方に言いたくありませんでした。大蔵家は確かにあの頃に比べれば大きく変わりました。でも、変わっていない部分もあります」

 

 その事は駿我さんも言っていた。

 大蔵家は変わったけど、変わっていない部分もあるって。それが山県さんのような事なのかも知れない。

 僕も一歩間違えば、いやお父様が頑張ってくれなければ大蔵家の一員にさえ認められなかったに違いない。

 実際に、僕はこの世界に来る前の世界ではお爺様に認められていなかった。

 小倉朝日としての僕は認められたけど、大蔵遊星として僕はきっと認められないだろう。

 

「でも、確かルミネさんはお爺様がしているような行為は」

 

「はい。嫌いです。でも、そんな事をしているとルミネさんは考えてもいないでしょう。規則正しく生活しているから、周りがどんな目で見ていたり、誹謗中傷の言葉を陰で言われてもルミネさんは気にしないでしょう。妹、言っていてちょっと気分が悪くなりました。慰めて下さい」

 

 僕は無言でりそなの頭を優しく撫でた。

 嬉しそうにりそなは笑ってくれた。

 ……僕より年上になっている事は、気にしないでおこう。

 

「それでですが、ルミネさんはこれまで本格的に挫折らしい挫折を味わった事がありません。しかも本人はこれまで女学院にしか通っていなかったので、共学の学校にはフィリア学院に通うのが初めてです」

 

「つまり?」

 

「女学院にしか通った事がなかったルミネさんですから、確実に何かやらかします。そうなったら、どうなるか……学校に脅えていた妹には手に取るように分かります。元々大蔵関係で悪い噂が流れているピアノ科の生徒達から孤立し、徐々に周りの目に脅えていき、最後には……引き篭もります」

 

「ま、まさか……ルミネ様が?」

 

「冗談じゃないですよ。妹、人を見る目には自信があります。ルミネさんはああ見えて挫折した事がないですから、一度崩れると脆いです。あの甘ったれと同じで満足に叱って貰った事もありませんし、本格的な悪意を彼女は知りません。そうなったら、もう最悪です。お爺様の怒りはフィリア学院を襲うでしょう。なので、下の兄は学院ではルミネさんをそれとなく気にかけて下さい」

 

「うん。分かった」

 

「……失敗すると、ルミネさんがライバルになりそうですけど」

 

「何か言った?」

 

 急に小声になったりそなに質問した。

 りそなは何も答えずに首を振り、僕は首を傾げた。

 

「そう言えば……下の兄? 何かお土産はありませんか?」

 

「勿論あるよ。りそなが喜びそうなのをお土産に持って帰って来たから」

 

「嬉しいですね! 何でしょうか? 上の兄はメールで、ハンカチを貰ったと送って来ましたから、妹にはドレス。そうウェディングドレスが良いですね。いや、下の兄の服飾の技術は分かっていますから、高望みし過ぎだとは分かっていますけど、やっぱり夢は見たいです。でも、此処は上の兄と同じように手作りのハンカチでも我慢します。ウェディングドレスの方は、何時か妹が描いたデザインを下の兄が型紙を引いて作製してくれれば……」

 

「はい。桜小路遊星様から教えて貰ったりそなが好きなアメリカで有名なお店のお菓子とお酒」

 

 僕は荷物の中に仕舞っておいたお菓子とお酒を取り出して差し出した。

 本当は駿我さんとお父様のように、手作りで作った物をプレゼントしようと思っていたんだけど、お父様の方で時間が掛かってしまったので、りそなが好きなお菓子とお酒を買って来た。

 ちゃんと桜小路遊星様に確認したし、ルナ様も喜ぶと言ってくれていたので間違いない。

 だけど、りそなは僕が差し出したお土産を受け取らず、何処かに電話を掛ける。

 

「あっ、上の兄ですか。フィリア学院の入学式の時は、徹底的に朝日をメイクアップしましょう。あの甘ったれの女装よりも、上の女装で学院中の目を釘付けにする勢いで。ルミネさんの会社の化粧品もどんどん新居に送って下さい。徹底的に妹とカリンさんで、この乙女心が分からない下の兄を仕上げてやりますから」

 

「止めてよ!!」

 

 

 

 

 アレから何とかりそなの機嫌を直すのを必死に頑張った。

 兄の威厳とかかなぐり捨てて頑張り、何とか機嫌を直して貰えた。

 ……入学式の時は、今は考えない。カリンさんがルミネ様が社長をしている世界的にも名高い化粧品会社の本社に向かったのも、今だけは忘れよう。

 だって、これからりそなと住む事になるマンションの部屋の前にいるんだから。

 

「此処が?」

 

「そうです。フィリア学院には車で15分ぐらい掛かりますけど、妹が選んだ最高の場所です。それじゃ、入りますよ」

 

「うん」

 

 部屋の入口の扉を開け、りそなと一緒に部屋の中に入る。

 

「……」

 

 部屋を見渡して驚いた。

 差異はあるけど、似ている。僕とりそなが一緒に暮らしていたあの部屋に。

 まだ、最低限の家具しか置かれていないけど、これは僕と一緒に決める為の配慮だろう。

 

「どうですか?」

 

「……うん。ちょっと懐かしく思ったよ」

 

「ただ似ているだけじゃありません。こっちに来て下さい」

 

 りそなの案内に従って、部屋の奥の方にある扉の前に移動した。

 その扉を開けると。

 

「うわ~!!」

 

 中はアトリエになっていた。

 広さもそれなりで、きちんと整理されている。

 

「一応此処が妹の仕事場です」

 

「えっ? じゃあ此処に他に人が来るの?」

 

「いえ、来ませんよ。あくまでデザインを描く時は此処を使うだけです」

 

「デザイン!!」

 

「目が思いっきり輝きましたね。残念ですけど、妹。ルナちょむと違って手が早いタイプじゃありませんから、今はありませんよ」

 

 残念。でも、これからはりそなが描いたデザインを見る事が出来る。

 これは凄い嬉しい! 何時かはそのデザインの型紙を任されるパタンナーになりたい!

 ……今は無理だけど。何時かきっとなってみたいな。

 

「妹も何時か下の兄に任せたいです」

 

「……ありがとう、りそな。僕……頑張るから」

 

「ええ。頑張って下さい。そして何時か必ず、ルナちょむとアメリカの下の兄に挑みましょう」

 

「うん!」

 

 応援してくれる人がいる。その有り難さを感じる。

 此処から始まる。僕の本格的な服飾への再起の道が。

 先は見えないけど、一歩一歩踏み締めて進んで行こう。

 

「あの偏屈な人は、このマンションの別の階に部屋を用意してあります」

 

 偏屈な人と言うのは、カリンさんの事だ。

 相変わらずりそなは人の事を本名で呼ぶのが苦手らしい。叔母であるルミネ様も、最初の頃は叔母さんと呼んでいて、ルミネ様を困らせていたのだろう。

 

「これから下の兄の付き人になる人ですから、夕食ぐらいは誘って交流を深めて下さい」

 

 それでも確かに成長したと分かるところがあった。

 あの人との関わりを拒絶していたりそなが、人との関わりを気にしている。

 ……桜小路遊星様に対して一つだけ嫉妬があった。この妹の成長を見られた事だけは、どうしても嫉妬を抱いてしまいそうだ。

 

「明日は休みなので家具や必要な物を買いに行って、二人で部屋を整えましょう。今日から此処が」

 

「僕達の家だね……ありがとう、りそな……それと……ただいま」

 

「お帰りなさい、下の兄」

 

 僕達は笑いあった。同時に実感した。

 小倉朝日は、大蔵遊星は、あの日から彷徨っていた道の先で漸く帰りたかった場所に辿り着けた。

 これからの日々がどうなるかは分からない。先に不安を感じてはいる。

 それでも前を向いて少しずつでも進んで行こう。今度こそ大切な人を支えられる大人を目指して、僕は前に進もう。




と言う訳で、朝日の付き人は『乙女理論とその後の周辺』で登場した難儀さんことカリンさんに決定しました!
当初は朝日の性質を考えて無しの方向で考えましたが、原作『つり乙2』をやり直してみると、結構学院内で明確ではないけど悪意が出ていたので、そっちの方面の対処者としてカリンさんにしました。年齢や容姿に関しては、樅山紅葉と同じで医学の問題の突入したキャラだと思って頂ければ幸いです。

後、朝日のプレゼントに関しては駿我さんのが一番最初に作製。
二番目に自分の実力を見て貰うつもりで衣遠父様。但しトラウマの影響で作る度に吐きそうになって何度もやり直し、結果りそなの方まで作製に手が回りませんでした。
つまり、一番最初に朝日がこの世界で作った物を渡された栄光は、駿我さんの物です。知ったら、衣遠お父様は不機嫌になる事でしょう。

因みにパーフェクトを超えたアルティメット朝日の登場は入学式で。まだ、メイクは薄くだったのです(邪笑)。


人物紹介

名称:カリン・ボニリン・クロンメリン
詳細:『乙女理論とその後の周辺』に出て来る大蔵駿我の部下。出身はベルギーで薄い金髪で小柄な体格の女性。本来の年齢は確実に四十代以上だが、この作品では『樅山紅葉』と同じで医学の問題に触れてしまった為に、見た目の年齢は十代後半から二十代前半ぐらいにしか見えない。駿我の信頼も厚く、駿我曰く汚れ役の仕事を数多くこなしている実績があるので、この作品では調査員方面での朝日のサポート役。服飾に関しては完全な素人なのでサポートは不可能。口癖は『難儀ですね』。後ワッフル作りが得意。
本来の直属の上司から、密命(学院内での朝日の写真撮り)を高額の報酬で受けているが朝日はその事を知らない。因みにりそなと衣遠からも同じ依頼を受けているので、朝日がフィリア学院を卒業する頃には、とんでもない金額が彼女の預金通帳に入っている事だろう。

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