月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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三月中旬(才華side)4

side才華

 

 うららかな陽気が外に広がる三月半ば。

 『桜の園』へ新しい住人が入居し、挨拶にやって来た。

 

「久しぶりね。この一か月、あなたと会う事ばかりを考えていたわ」

 

 変態的な言動で僕を悩まし、演技を見抜いた八日堂朔莉。

 ……実際には皆に僕の演技がバレバレだったのは置いといて、遂に来てしまったのかと思う。

 先月から徐々に入居者が増えて、今月の頭頃からは共同施設を利用する者も増えた。

 特に屋上は人気のスポットという事もあって、今も幾つかのグループが、僕、エスト、アトレ、九千代の四人とは別の場所でお茶を楽しんでいる。

 そんな中、見覚えのあるマネージャーの方と共に八日堂朔莉がやって来た。

 

「今日はどうしても会っておきたかったの。明日から遠征のロケがあってしばらく東京から離れるから。もっとも出会ってからあなたの事を考えない日はないんだけど。特に夜の盛り上がりは以前よりも凄い」

 

 止めてくれ。それだけは本当に止めてくれ!

 本気で朝陽の名前で、その行為をやっていないと信じたい。

 

「おかげで高いモチベーションを保って本番に挑む事が出来たの。最高のパフォーマンスが出来たと思っているわ。想像力ってどうすれば鍛えられるんでしょうね。夢にまであなたの髪を見たけど、私の能力では空想の中ですら色が再現できないみたい。本物の方が遥かに素敵よ」

 

 この髪を誉めてくれるのは、大変に気分が良い!

 さっきの君の発言も忘れて……いや、無理だ。思い出すだけで罪悪感が込み上げて来る。

 

「でも自分では気づいてないだけで、再現の限界にストッパーをかけているかも知れないわね。今もそうだけど、本物の美しさを目の前にすると、感動で身体が震えてしまうもの。私の頭の中で何時でも再現出来てしまうと、感動で震えが止まらなくなった私を見て、気を利かせたマネージャーが部屋の冷房を消してしまうわ」

 

「お久しぶりです、八日堂朔莉様。こちらに入居したという事は、フィリア学院には無事合格したのですね。おめでとうございます」

 

「ありがとう。私達は何時でも成功した時に『おめでとう』と言ってくれる存在を必要としていると思うの」

 

「以前お会いした時と比べて、少し雰囲気が変わりましたね」

 

 エストの言う通り、今の八日堂朔莉の雰囲気は以前と少し変わっている。

 ……変態的な言動はそのままだけど。

 

「ダイエットに成功したんじゃないかしら? おめでとうはいらないわ」

 

「どうして喋る時に指を絡めたり、手を開いたりするんですか? 以前お会いした時はそんな露骨な仕草はしていなかったように思うんです」

 

「ワオ。そんな細かいところまで見られてるの? でもそういう意識は必要よね。日本ではどんな発言も大きく取り上げられてしまうから、声のボリュームを上げ下げする場所の見極め……取捨選択は必要よね」

 

「その喋り方は疲れませんか?」

 

「そういう批判は成長する為に欠かせないと思う。大切なのは情報をコントロールする事。どんな雑誌に目を通して、どんなウェッブサイトを閲覧するかの取捨選択は、予めしておかないといけない。マネージャーに見られたら恥ずかしいようなウェッブサイトは、コントロール出来ずについ見てしまうんだけどね。やっぱり大切なのは、取捨選択なのよ」

 

 『取捨選択』という言葉が気に入ったらしい。

 その単語を口にする度に、彼女はドヤ顔で僕に視線を向けて来た。

 

「それに……雰囲気が変わったって言うなら、そっちもでしょう」

 

 ……やはり油断できない人だ。

 以前の会った時の僕と今の僕の雰囲気の違いを見抜いている。

 

「その節は私の従者を心配してくれていたようで、ありがとうございました」

 

「ご忠告のおかげで、私も助かりました。もう直ぐ入学式が近づいて来ていたので、少し焦っていました。私がお嬢様の従者として相応しいのか心配で」

 

「別にお礼は良いわよ。私が気に入った人がこのマンションからいなくなったら、入居する意味がなくなっていたし。そう言えば、朝陽さんの名字って何なのかしら?」

 

「小倉と申します」

 

「そう。小倉朝陽さんね。朝陽さんって呼んだままで構わないかしら?」

 

「はい。構いません」

 

 名字呼びは本当に困る。

 この弱点だけは、今のところ治す手段が無い。この人の前で動揺したら、正体を見破られてしまうかも知れない。それだったら、このまま名前で呼ばれていた方が良い。

 ……但し自慰行為でだけは、お願いだから名前でも名字でも呼ばないで。

 

「あ、そう言えば此処は自分でカップを用意しないといけなかったんだ」

 

「予備のものを持って来ているのでお使いください。私がお注ぎします」

 

 八日堂朔莉はお礼を言って微笑んだ。

 一緒にいるマネージャーさんの反応は特にない。この事からマネージャーさんは使用人ではなく、八日堂朔莉の仕事上のパートナーだという事が分かる。

 八日堂家と言えばそれなりの家だけど、どうやら彼女は人に身の回りの事をさせていなかった様子。それなりに我儘も言える立場なのに、マネージャーさんを便利屋みたいに扱わないところに好感が持てた。

 

「これは小倉さんが使用した経験のあるもの? だとすれば、舐め回したらどんな味がするのか楽しみフフフ」

 

「そのカップ、差し上げます。と言うよりも、返さないで下さい」

 

「それと、隠し味に小倉さんの髪の毛が入っていたら。紅茶の味に濃厚な深みが出る気がする」

 

 好感を持った途端にその感情を打ち消してくれる人も珍しい。

 ただ、僕の髪を好きでいてくれるのは嬉しい。其処だけは彼女の評価の中でこれからも変わらなそうだ。

 

「ところで皆さんは仲が良いみたいだけど、此処で良く集まったりするの?」

 

「はい、お姉様とお話をしたいので、私からよく誘います」

 

「私は元々アトレお嬢様のお家に仕えていたので、今でも仲良くしていただいています」

 

「どういう縁で今の雇用主の下へ移ったの?」

 

「小倉さんは主従制度を利用してフィリア学院で学ぶ為に、私はフィリア学院日本校で学ぶ為に、お互いのサポートを求めていて、共通の知人に紹介して貰ったんです。その知人もこのマンションの住人で、一緒にお茶を飲んだりする仲です」

 

「ふぅん。仲良くできると良いけど」

 

 この時点で八日堂朔莉は、今後も僕達の集まりに交ざる気満々だった。

 だけど正直言ってこの人の言動にルミねえが耐えられるかどうか心配だ。いや、ルミねえは耐えられない。

 言いたい事があればズバッと言う人だ。僕を除いてだけど。

 僕が二人の間に入って、緩衝材になれるといいのだけど。

 まぁ、僕は八日堂朔莉に気に入られてるし、ルミねえはそれが心配で此処へ来るだろう。状況さえ良ければ、入学前に友達が沢山出来た事を喜べたけど、生憎今の僕には喜んでいられる状況じゃない。

 現にアトレはともかく、九千代は僅かに警戒するように八日堂朔莉を見ている。

 ……あの日、僕が伯父様から聞いた事をアトレと九千代にも話した。

 二人は僕らの現状に言葉を失った。特に九千代は、やっぱり止めていればと心の底から悔やんで泣いてしまった。何とかルミねえと僕、そしてアトレも加えて慰めた。壱与にも話したけど、最初から壱与は分かっていたのか、これまで以上に全力でサポートすると言ってくれた。

 僕らの中で一番状況が分かっていたのは、壱与なのかも知れない。彼女には桜屋敷の管理に加え、『桜の園』のコンシェルジュも任せている。その激務の中で、僕らのしている事にも協力してくれる壱与には感謝するしかない。何時か彼女にも愛を……いや、恩を返したいと僕は心から思った。

 その為にも難関を乗り越えないといけない。僕らの未来を掴む為に。何よりも大切な主人であるエストや、その家族と将来を護る。

 

「それで、朝陽さんの雇用主はどんな方? 名前は朝陽さんが言っていたから覚えているんだけど、自己紹介をしてくれると助かる」

 

「ん、ごめんなさい。私はエスト・ギャラッハ・アーノッツ。アイルランドの貴族、アーノッツ家の生まれです」

 

「アイリッシュ……」

 

 八日堂朔莉は、エストの外見をジッと良く確かめた。

 

「アイルランドの貴族と言っても、日本へ来るまではニューヨークで暮らしていたの」

 

「綺麗な方だけど、何処か芸能関係の事務所に所属してる?」

 

「芸能関係者と思われるのは嬉しいですけど、そんな事はありませんよ。良かったらこのクッキー……ぁいた。朝陽さん、八日堂さんにお菓子をお分けしてあげて」

 

 クッキーを手掴みで渡そうとしたエストの手を、しっぺで制した。

 どうやらエストは浮かれているようだ。女優やモデルと間違われて嬉しかったのだろう。確かに、エストは間違われるだけの外見をしている。

 

「それでエストさんは服飾部門の志望だっけ? 職種はデザイナー?」

 

「はい。お嬢様には、確かな実力があります」

 

「へぇ、本当に素敵な人」

 

「全然、そんなことないんです。朝陽さん、八日堂さんの紅茶に、貴女の髪をお入れしてあげて」

 

「嫌です」

 

「実績があって私の気に入る系統の服なら、次のドラマの衣装として使ってみる? 実際に見て。生理的に合わなければ着ないけど」

 

 八日堂朔莉の提案に僕とエストは目を丸くした。

 この提案が事実なら大抜擢だ。映画やドラマで俳優が使う衣装は、良いものならアクセサリー一つでも問い合わせがある事は想像できる。八日堂朔莉ほどの注目度の高い女優なら尚更。

 作った衣装が多くの人の目に触れる時点で価値はあるし、プロの現場で何らかの反応があれば。手応えありという事だ。

 一瞬、罠かと考えたけど、既に僕の中で八日堂朔莉が調査員説は殆ど無くなっているので、恐らくは本心からの善意なのかも知れない。

 エストには自信もあるし、遠慮も無い。これは良い縁になりましたねと勧めてみる事を考えた。

 

「いまスランプ気味なんです」

 

 僕が勧める前にエストは断った。こんなチャンス二度と無いかも知れないのに。

 エストと出会ってからデザインの交換を二か月続けているから僕には分かる。一時不安などで、デザインに影響を受けて僕と違って、君のデザインは良いものじゃないかと言いたい。

 だけど、この手の機会は一瞬だ。僕が食い下がる間もなく、八日堂朔莉は慣れた表情で頷いた。

 

「服には好みがあるし、今後も仲良くする事を考えれば、仕事とプライベートは分けた方が賢明かもね。一般的な謝罪をするから許してね。図々しい事を言ってごめんなさい。もし私が貴女のデザインを気に入れば、その時は改めてお願いする」

 

 機会は時として、一瞬を掴めなかっただけで失われる。八日堂朔莉に謝られて、この話はなくなってしまった。

 でも、八日堂朔莉は本気で提案していたんだと思う。彼女が話す時に、日本語が少し変になっていた。

 ……いや、この人は何時も変だけど、今のは本気で残念に思ったから、日本語が変になったに違いない。

 

「紅茶美味しい。あの花綺麗。この屋上の天井ってどうなっているの? 私、岡山県出身なの。これは地元の名産品のままかりの酢漬けどうぞ」

 

 場の重くなり掛けた空気が沈滞しないように、矢継ぎ早に話題を繰り出して来た。

 どれでも良いから拾って頂戴と言う彼女の意思が伝わって来た。

 これはチャンスかも知れない。此処で彼女に話題を振って、僕が聞きたい事を聞ければ。

 

「どうしてフィリア学院を受験したんですか?」

 

 話題を振る前に、僕の主人が八日堂朔莉に質問した。

 ……確かに世界的女優である八日堂朔莉が、何故日本のフィリア学院演劇部門を受験したのは謎だ。現在のフィリア学院演劇部門の評価は、残念ながら高くは無かった筈だ。

 気になる話題ではあるけど……僕の聞きたい事が終わってから聞いて欲しかった。

 

「気になる?」

 

「はい」

 

「……滅多に話したりはしないけど、貴女達だから少しだけ特別にね。私、演劇を始めた当初は舞台女優志望で。でも、子供の頃の私って、演技が出来れば舞台も映画もドラマもアニメも同じだと考えていて、気軽に受けた映画のオーディションで拾って貰ってから、映画の演技の事ばかり考えてたのね。だけどある程度成功してからそれまでの自分を振り返ってみれば、映画に関わる以外の物事を考えていた時間が殆どなかったの。その時ふと初心を思い出して、幼い頃の夢を叶えようと思ったのだけど、今更映画を捨てる事も出来ないし、それなら学生として、一から勉強をするのもいいかなと思って、フィリア学院を受験したの」

 

「それなら日本校よりも、フィリア学院ニューヨーク校を選んだ方が、知り合いも多いだろうし良かったんじゃない? 有名になり過ぎて目立つと言うのなら、パリ校やローマ校もあるのに」

 

 おや、エストが敬語を忘れている。まだ日本語に慣れきっていないのかな。

 入学式も近いから、後で教えてあげよう。

 

「私が舞台を志す理由となったのが、日本で経験した初恋を切っ掛けにしているから」

 

「ワオ」

 

 少女漫画のような思い出語りに、エストは素で感心の声を上げた。

 僕も含めて、出だしは適当に聞いていた九千代も、良い話の種だと思ったのか、今はアトレと共に耳を傾けている。

 どうやら八日堂朔莉は変態だけど純情な面も持っているようだ。だけどその初恋の相手も、まさか自分を好いてくれた人が。同性愛者。しかも白髪フェチになっているとは思いも寄らないだろう。

 

「実はこの話をするのにも理由があって、私の初恋に、桜小路家も少し絡んで来るの」

 

「はっ!?」

 

 アトレが声を出したけど、僕も内心ではかなり驚いた。

 彼女の初恋に桜小路家が? どういう事だろう?

 

「大げさな話ではなく、初恋をした舞台が桜小路本家の『観桜会』だったと言うだけ」

 

「『観桜会』? あ、毎年本家で行なっている。あの集まりですか」

 

「そう。恐らく今、貴女が考えている通り。貴女のご両親の桜小路は分家で、本家とは余り仲が良くないんでしょう? 私が回りくどい前置きをおいたのは、初恋なんて子供じみた理由でもない限り、本家の事を尋ねても、余り良い顔されないと思ったから。純粋な話をしたいのに、余計な勘繰りが入ると残念じゃない? 八日堂家も桜小路の本家とは仲が良くないからね」

 

 過去に僕が耳にした情報では、仲が良くないと言うよりも、どちらの当主もプライドが高いせいで、同程度の資産と歴史を持つお互いの家が鼻につく。と言う感じらしい。

 

「ただ、教育という同じ事業をしている関わりで、桜小路家で催し物をする際は、うちにも形式的な誘いが毎回来てるみたい。桜小路の本家は東京、八日堂家は岡山なのもあって、基本的に参加する事はないけど。だけど私が日本に居た頃、パパの東京への出張と『観桜会』の日程が重なって、それなら一度くらいは顔を出すかという話になったの。そのパパと一緒に東京見物に行った私も、桜小路家の『観桜会』に参加する事になって。その時の話」

 

 『観桜会』には僕も何度か参加しているから、その時の光景が目に浮かぶ。

 会が開催される時間帯は夜だから、太陽光が苦手な僕でも参加する事が出来た。ただ、お母様は八日堂朔莉の言う通り本家と相性が悪く、僕達兄妹の手を引いていくのは、何時もお父様だった。

 お父様は優しい人だったから、お母様が直接悪くでも言われない限り、どんな嫌味を言われても、当て擦りの様な真似をされても、いつも笑顔でいた。

 『観桜会』で僕達が歓迎されていない空気は、子供心に感じ取れた。大切なお父様を丁重に扱わないあのお屋敷が僕は嫌いで、居心地が悪かったのを覚えている。

 それでもお父様が辛抱強く参加したのは、たとえ歓迎されていなくても、僕やアトレを祖父や祖母に会わせるべきだと考えていたからだろう。

 お父様は良くお母様に語っていた。

 

『家族とは会える時に会っておくべきだと思う。二度と会えなくなってからでは遅いから』

 

 そんな事を言える人だったから、優しくて、そして偉かったのだと思う。

 だけど、どうしても僕には許せなくて、悔しい思いを『観桜会』でした事があった。

 それが『観桜会』へ参加した最後の記憶……。

 

「私が出席した『観桜会』は、その後に八日堂家の人間が一度も参加してない事から分かる通り、私達にとって居心地の悪いものだった。その時に、同じように居心地の悪そうな同年代の男の子を見つけたの。彼は一人で、とても悔しそうに肩を震わせていて、今にも泣き出してしまいそうだった」

 

 ……ん? 今の話に覚えがあるような?

 

「華やかな一面の桜の中で周りが楽しんでいる中、私は、私と同じく心細そうにしている人を見て、漸く自分の居場所を見つけた気がしたの。そういうのない? 其処にいるのが嫌で仕方がない時に、誰とも話さずにぽつんと立っている人を見かけると、無条件で仲良く出来るんじゃないかと錯覚してしまうこと。だから私は彼に声をかけようとしたのだけど、声を掛けようとした瞬間に、彼は早足で歩き始めて、真っ暗なお屋敷の方へ向かっていってしまったの」

 

 そう言えば僕もそんな行動を、『観桜会』でした事があった。

 『観桜会』の最中で耐え切れない事があって、僕は人がいない場所へ向かった。桜小路本家の使用人が扉に鍵をかけないで出て行くのが見えたから、桜小路のお屋敷の中へ入ったんだ。

 僕が耐え切れなかったのは、『観桜会』の途中で誰ともしれない人間が、お母様を罵ったからだ。

 

『桜小路の末女が来ていないのは、あの白い髪を晒さない為だ』

 

 僕は怒った、大好きなお母様の髪を侮辱されたのは許せない。

 だけど、その時僕が一番憤怒していたのは僕自身だ。その時の僕は黒いウィッグを着けていて、お母様と同じ色の髪を隠していた事だ。僕がしている事は、お母様を罵った彼らと同じじゃないか。

 そう捉えた僕は、屋敷の中を駆け上がった。鏡を見たかったからだ。できることなら美しい月明かりのある部屋で、お母様から譲り受けたこの髪は、あの輝く月に照らされれば、何よりも美しいのだと証明したかった。

 

「階段を駆け上がる彼の背中を追いかけて行くと、やがて扉の開いている部屋を見つけ、彼はその中へ入って行った。その意図は今でも分からないけど、彼は鏡を前にして窓を開け放った。其処で私は美しいものを見たの。暗闇同然だった黒い髪を脱ぎ捨てて……髪を脱ぎ捨てるなんて可笑しな言葉だと思うだろうけど、本当に彼の頭にあった黒い髪は床へ落ちて、その下から、何よりも美しい白銀の髪が現れた」

 

 ……覚えがあり過ぎる。

 えっ? それじゃもしかして八日堂朔莉の初恋の相手って。

 

「月明かりに照らされた銀色は、幻想的で、非現実的で、だけど明らかにこの世の中のもので、私がそれまで見てきた全ての色の中で一番美しかった。暫く呆然とした後に、私は話しかけようとしたのだけど……背後から聞こえた足跡が響いて、その場から逃げ出してしまったの。結局、その後も彼に会えないまま……だけど、その時の光景は今でも夢に見るほどで、一度きりの幻想との邂逅に、私は興奮と情熱を抱えて、それから数週間は夜も眠れない日々を過ごしたのを覚えてる。それが私の初恋」

 

 ……不味い。動揺で身体が震えて来ている。

 落ち着け。落ち着くんだ僕! 此処で動揺している事がバレたら、怪しまれてしまう!

 もしかしなくても彼女が白髪フェチになった元凶は……。

 

「私はあの白銀の美しさが忘れられなくて、あの感動を表現する為に役者を目指した。無駄な事だと分かっているのに、憧れて、こうして髪の色まで近づけようとしてる。それは映像作品ではなく、其処にある一瞬の感動……舞台劇でしか私の理想とする『白銀の君』に出会えない。そう思ったから舞台女優を目指して、でも今は別の道を歩んでいるから、学生としていられる最後の時間を初心の夢を叶える為に使おうとフィリア学院へ進学したの。本音を言えば、私の初恋の人が『白銀の君』の相手役を務めてくれれば、何も言う事はないのだけどね」

 

 僕だ。

 言い訳の利かないレベルで、八日堂朔莉の初恋の相手はこの僕だ。

 アトレと九千代も察してしまったのか、額に浮かんだ大量の汗を拭ったり、蒼褪めた顔で俯いたりしてる。

 え。どうしよう? 八日堂朔莉の初恋の相手は、この僕。桜小路才華であり、今は小倉朝陽の僕だ。困った事に悪い気はしないけど……正直言って、この話を聞いた後で頼もうとしていた事を頼める気がしない。

 彼女には服飾部門に演技して入って来る筈の調査員を見極めるのを、手助けして貰うつもりだった。

 でも今の話を聞いて、僕の髪を此処まで誉めてくれた人を利用する気にはなれない。状況の悪さは分かっている。だけど、それを理由にして頼んだりしたら、僕はエストにした事と同じ事を八日堂朔莉にまでしてしまう。

 ……諦めよう。彼女を僕の都合だけで一方的に利用する事だけは、絶対にしてはならない事だ。僕自身で調査員は見つける。

 それにしてもあの日に、誰かが見ていたなんて気づかなかった。八日堂朔莉が逃げ出した頃に、僕も同じ足音を聞いてタンスの中に隠れた。その足音の正体は、物音を不審に思って見回りに来た桜小路本家の使用人のものだった。

 使用人をやり過ごした後は、ウィッグを付け直して、大人しくお父様と帰った。

 ……その時のお父様の顔は、酷く悲し気で申し訳なさに溢れていた。そのせいか、八日堂朔莉が見ていたなんて気づく事も無かった。思えば、あの時から元々過保護だったけど、お父様は僕に対して更に過保護になったような気がする。

 

「感動的な話ですね。話に熱中するあまり、無意識の内にクッキーを食べ尽くしてしまいました」

 

 つまり、こたつの中でミカンを食べながらテレビを見る感覚で話を聞いていたと。

 僕とアトレと九千代が衝撃を受けている中で、君は一体何をしているんだ? いや、僕らの事情を知らないエストからすればそんな感覚でしかないのだろうけど。

 

「ですがそんな素敵な恋をしたのなら、浮気をしてはいけないんじゃないですか? 当家の小倉に熱を上げている場合ではありませんよ」

 

「まさか、初恋を実らせようとまでは思ってない。白銀の彼が、今どうしているかもわからないし、自分の変態的な性格を考えれば、相性が良いとは思えない」

 

 意外と良いよ。恋愛は別として、調査員の疑いが晴れた今では、此方は君と仲良くするつもりでいる。

 その前に、僕がフィリア学院に通い続けられるかどうかの問題はあるけど。

 

「と言うよりも、その方は男性なんですか? 貴女は同性愛者ではなかったんですか?」

 

「同性愛者だなんて言ってない。私は両性愛者。屈服させがいのある白髪の似合う美しい人なら、性別なんて気にしない」

 

 まあ僕、肉体的には男性だから、性別の問題はないのだけれど。

 残念ながら彼女に今寄せている感情は、親愛の方で恋愛感情は無い。

 

「でもその時の感動を今でも大切にして、実力を高めるための力としていることは素敵だと思います。人間の想いはいかほど強いか……貴女は私に教えてくれました」

 

「世界なんて思い込み一つで変えられるものだから。私は台本を通してその表現をしているだけ」

 

 何故かエストと八日堂朔莉はお互いの理解を深めていた。

 ……正直、今の話を聞いて僕は今後の八日堂朔莉との付き合い方の方針が決まっていないのだけど。少なくとも僕の都合だけでの協力を頼むのは、止めておこう。

 調査員の問題が解決してフィリア学院に残れたら……彼女とは仲良くしたい。そう思えた。

 

「さて此処まで私が初恋に関して話したのは……桜小路さん」

 

「ひゃい!」

 

「エストさんにも言ったけど、私は『白銀の君』と会うのを躊躇っている。自分に彼と見合うだけの美しさがない。実力がない、感性が合うかも分からない。今まで探さなかったのはそういうこと。だけど、偶然の出会いの中に情報があるなら、無理に無視しようとは思わない。情報があるなら得たい。その為に心の内を明かして、長い話を聞いて貰ったの。貴女は知らない? 桜小路家に縁のある、黒いウィッグを付けた白銀の髪の持ち主」

 

「知らないっす。全然心当たりがないっす」

 

 ……アトレ。

 言葉遣いが変になっているし、目が明らかに泳いでいるよ。

 そんな演技が八日堂朔莉に通じる筈が無い。

 

「本当? 正直に答えてね? 私の目を見て言ってね?」

 

「そうだ九千代。せっかくままかりを頂いたのだから、八日堂さんにもお出ししましょう。紅茶に良く合うと思います」

 

 絶対に合わないよ。光り物と紅茶だよ? それも酢漬け。

 このままアトレに任せていたら危ないけど……きっと八日堂朔莉は僕の反応も見ている。

 此処でアトレを庇う事をしたら、確実に僕を怪しむ。彼女には僕の演技を見抜いたという実績がある。

 ……だけど、このまま放置も出来ない。主人であるエストは、先ほどの話で心情的に八日堂朔莉の味方になっていると見て間違いない。

 何せ僕も同じような事を言って、エストの同情を誘ったんだから。

 

「アトレさん。知っているなら、八日堂さんに教えて上げて欲しい。朝陽さんも同じ気持ちでしょう? 同じように探している人がいるんだから」

 

 ほらね。僕の主人は優しいから。

 ……どうしよう? 本当に困った! まさか、こんな事態になるなんて!

 と言うよりも、その事を言わないで! ほら、八日堂朔莉が僕に目を向けて来た。

 

「えっ? 朝陽さんも探している人がいるの?」

 

「ええ……何処に居るかも分からないんですけど、その人を探す手掛かりがフィリア学院にあるらしいので」

 

「へえ。気になるわね。朝陽さんの探し人がどんな人なのか? もし良かったら教えて貰えると嬉しい」

 

「あっ、私もちょっと気になるかも。少し聞いただけだったし、もしかしたら力になれるかも知れないから教えて朝陽さん」

 

 ……状況悪化!?

 八日堂朔莉は分からないけど、エストは純粋な気持ちで質問して来たに違いないから困る。

 アトレと九千代も顔を蒼褪めさせて震えている。

 どうしたら良いのかと内心で頭を抱え、冷や汗が背中を伝う。

 

「わ、私が探している人は……」

 

「お話し中失礼します。朔莉。残念だけど、そろそろインタビューに向かわないと」

 

 ……助かった。

 僕が話す前に八日堂朔莉のマネージャーである畠山さんが、八日堂朔莉に話しかけてくれた。

 

「もうそんな時間?」

 

「はい。移動を始めましょう。キャラもインタビュー用に変えてね」

 

「そうね。全く、私の口は締まりがなくて困ったものね。桜小路さん、情報が得られなかったのは残念だけど、聞きたかった事が聞けて満足したわ。また遠征から帰って来た来週に。じゃ」

 

 最後にはインタビュー用のキャラに切り替えて、八日堂朔莉はマネージャーと共に去って行った。

 

「意外と純情な人だったね」

 

 エストは満足げに紅茶を飲んでいる。

 その周りで、僕は真顔で背中から冷や汗を流し、アトレと九千代は俯きながら、一言も発せなくなっていた。

 大丈夫だとは……残念ながら思えない。彼女には一度演技を見破られている。

 ただ、まだ僕が彼女が見た『白銀の君』と同一人物だとは確信していないと思う。少なくとも彼女は友好的だ。

 そう、友好的。この点だけでも、僕にはもう彼女を利用する気にはなれなくなった。もしも調査員を発見する為に、僕が彼女を連れ立って服飾部門を歩いたら、調査員は彼女も協力者と見るかも知れない。

 世界的女優とは言え、僕に協力した時点で非は此方側にある。

 ……彼女の夢を潰す事だけはしてはいけない。何も知らずに、このままの関係を続けるのが今のところ彼女と僕の関係では最良だ。

 とは言え、どちらにしても今の話は一大事だ。今夜はアトレの部屋で密会しなくてはいけない。ルミねえにも後で連絡しなくては。

 

「それで朝陽さん。朝陽さんが探している人は、どんな人なの?」

 

 ……まだ、問題は残っていた。

 

「申し訳ありません、エストお嬢様。その方に関しては、私個人のプライベートの話ですので、どうか聞かないで頂けると助かります」

 

「……一時期、デザインが酷くなったのもその人が関係しているの?」

 

「いえ、違います」

 

「そう……分かった。これ以上は聞かないでおく。クッキーがなくなったから買って来るね。せっかくだからパイやケーキも食べたい」

 

「甘い物ばかり食べてはいけません」

 

 エストの貴族教育だけは、どれだけ動揺していても忘れずにいたい。




八日堂朔莉は演技している時は難しいけど、素の時は非常に良いキャラなんですよね。
それなのに才華は何であんな形でファーストキスを。
この作品で結ばれるとしたら、違う形にしたいです。
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