月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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連続更新三日目です。

Nekuron様、烏瑠様、エーテルはりねずみ様、dist様、秋ウサギ様、誤字報告ありがとうございました!


三月中旬(才華side)6

side才華

 

 余りの事実に僕は叫ばずにはいられなかった。

 行方が分からなかった小倉さんが、まさかアメリカの僕の実家にいて、しかもその報告を帰国するまでお母様が報告を忘れていたという事実。

 えっ? 本当にどうなっているの?

 

『本当にすまない、才華。何せ私は多数の妨害を受けていて、他に気を回す余裕がなかった』

 

「妨害!? 一体誰にですか!?」

 

 その人達のせいで小倉さんの報告が遅れた事に僕は怒りを覚える。

 外人部隊に依頼を出して、その連中を酷い目に遭わせたいとさえ考えてしまうほどだ。

 

『夫に八千代、それに大蔵駿我だ』

 

 思いっきり知っている方々だ!

 その上、どうやっても僕が手を出せない人達だし。

 しかもあのお母様に何時も従っているお父様まで敵になっているって、どんな状況!?

 

『邪魔さえなければ、朝日を桜小路家に留められた! しかも私が大切にしていた写真までコピーされてしまった。わ、私だけの宝物だったのに……』

 

 ……何時もの完璧なお母様とは思えないほどに弱々しい声が電話越しに聞こえて来る。

 『晩餐会』の時も思ったけど、やっぱりお母様は小倉さんが関わると冷静さを保てないようだ。

 本当にあの人は何者なのだろうか?

 

『それで話は戻すが、朝日は日本に帰国した。其方の昼頃には到着している筈だ』

 

「そ、そうですか。それで今日本の何処にいるのか分かりますか?」

 

 流石に今日はもう遅いから会いに行けないけど、後日会いに行こう。

 

『壱与に会いに行くと言ってたから、もしかしたら今日中にでも、お前達が大蔵衣遠から与えられたマンションを訪ねるだろう』

 

 嬉しい報告だ! 小倉さんが此処に来てくれるかも知れないなんて、夢のようだ!

 ……僕に会いに来るんじゃなくて、壱与に会いに来るのがちょっと残念だけど。

 

『ああ、そうだ。壱与に伝えておいてくれ。朝日は元気を取り戻した。服飾に戻る決意も固めていると』

 

 ……ん?

 今、何てお母様は言ったのだろうか?

 服飾に戻る? 小倉さんが?

 

「あ、あのお母様、小倉さんが服飾に戻る決意というのはどういう事でしょうか?」

 

『ん? ……ああ、そうか。お前達が会った時の朝日は服飾を止めていたんだったな。それでは仕方が無いか……才華、朝日は服飾をやっているぞ』

 

「えっ?」

 

『しかもその才能は、昔、お前にも話した私に仕えていた『小倉朝日』と同等のものを秘めている。成長すれば夫に匹敵するだろう』

 

「お父様に匹敵!?」

 

 あの小倉さんが服飾においてお父様に匹敵するほどの才能を!?

 世界的なデザイナーであるお母様を陰で支えているお父様。それと同等という事は、小倉さんは服飾において凄い才能を秘めているという事になる。

 衝撃の事実に僕は固まってしまう。

 

『とは言え、その才能を支える精神の方はいまだに不安定だ。今の朝日は何時お前達が知っている朝日、いや鬱日に戻りかねない危うさがある……余り周りに知られたくはないが、またお前が朝日を怒らせて追い込んでしまうのは危険だ。私が許可するから、壱与に何故朝日が服飾を捨てるほどに追いつめられたのか、その経緯を聞け』

 

「は、はい」

 

 驚くべき事実を知らされたけど、多少なりとも壱与に小倉さんの話を聞ける。

 迂闊にあの人の心の傷を刺激する事の恐ろしさは嫌と言うほどに味わった。

 同じミスをしない為にも、壱与から話を聞こう。伝える事を伝え終えたお母様は電話を切り、そのまま僕は電話の内容を皆に告げた。

 

「うああああああああっ!!! よかった! ほんとうによかった!! 小倉さんが! あああああ! 服飾に戻ってくれるなんて! あああああああっ!」

 

 お母様の伝言を聞いた壱与は、大泣きした。

 何時も僕を助けて頼りにしていた壱与。そんな彼女が、大泣きする姿に、彼女もまた胸の内に抱えていたものがあったんだと僕は知った。

 涙を流す壱与が落ち着くまで僕らは待った。

 

「……すみません。お見苦しいお姿をお見せしてしまいました」

 

「見苦しくなんてないよ」

 

 そうだ。壱与の体格のせいで男性に勘違いされているけど、女性なんだ。

 胸の内に秘めていたものがある事を、考えるべきだったのかも知れない。

 

「奥様からご許可が出されたので、私が知る事を少し話します。ですが、その前に、何故私が若のご計画に反対しなかったか語りましょう……私も若と同じだったのです」

 

「えっ? 僕と同じって?」

 

「私も若と同じように小倉さんの心の傷に不用意に触れてしまったのです。そのせいで小倉さんは……服飾を自ら捨ててしまったのです。何よりも……人生の全てを捧げて……か、構わないと……小倉さんが……思っていた服飾を……わ、私が捨てさせてしまいました」

 

 壱与は涙を流して、まるで懺悔するかのように僕らに語った。

 小倉さんがそれだけ服飾を好きだった事も驚いたけど、それほどまで人生を賭けていた服飾を捨てていた事も驚いた。

 僕はどうだろうか? 確かにこの道を進みたいとずっと願っている。それを賭ける決意はしているけど、捨てる決意は出来ない。其処にある苦悩を考えるだけで、身体が震えてしまう。

 涙を拭って、壱与は話を再開してくれた。

 

「最初にあの方が桜屋敷にやって来た時、私は私が知っている小倉先輩とは違う、余りにも弱々しいあの方の姿を見て、何とか元気付ける手段は無いかと考えました。そして思いついたのが、小倉先輩が作った衣装の写真を見せる事でした」

 

 『小倉朝日』さんが作った衣装の写真。

 それはきっと、僕が憧れたあのお母様を輝かせた衣装の写真に違いない。

 僕はあの写真を見て、デザイナーの道を志した。壱与が見せようと考えるのも可笑しくはない。

 だって、あの衣装を着たお母様は素晴らしいんだから!

 だけど、壱与の顔は暗く沈んでいる。どうしてそんな顔を?

 ……待った。僕らが会った時の小倉さんは、どうだった? あの悲し気な表情しか浮かべてなかった。

 まさかという考えが脳裏に過ぎると同時に、壱与が口を開いた。

 

「若はあの写真を見て憧れを抱いたと言っていましたね……ですが、小倉さんが抱いたのは真逆です」

 

「真逆? それは何?」

 

「……絶望です」

 

『……』

 

 皆、言葉を失った。

 それほどまでに理解出来ない事を告げられた。

 あの衣装を見て絶望を抱いた? あり得ない。あってはいけない。だって、あの衣装を知る人達全員が素晴らしい衣装だって評価している。

 不要な言葉が何一つ付けようが無いほどに、綺麗で素晴らしい衣装だったじゃないか。

 僕の原点と言えるあの衣装の写真を見て、小倉さんは絶望した。一体何に?

 

「今でもあの時の事は忘れません。写真を見た小倉さんの顔から、表情が抜け落ち俯いて力を失った時の事を。そして次に小倉さんが顔を上げた時には、もう其処に私が知っている小倉さんの笑顔はありませんでした。もみもみを除いたこの場にいる全員が知る、寂しげな笑みしか浮かべなくなってしまったんです」

 

 壱与の両手が震えている。

 その時の事を後悔しているんだろう。

 

「私はその顔を見て間違ってしまったと思いました。ですが、何を間違ってしまったのか当時の私には分からず途方にくれて、小倉さんに触れるのを恐れて仕事に没頭するままにさせていました……その転機が訪れたのは、小倉さんがやって来てから半年後に衣遠様が訪れた時です」

 

 やっぱり伯父様は、早い内に小倉さんを見つけていたんだ。

 僕とアトレ、九千代が帰国した時、小倉さんが桜屋敷にやって来てから一年経っていると言っていた。そして総裁殿が小倉さんを探し始めたのは半年前。

 捜索開始してからすぐに小倉さんを見つけていたのに、伯父様は総裁殿に報告せずに桜屋敷に小倉さんを隠して見つけていないと報告していたに違いない。

 

「今の話をした時、衣遠様は私にこう言いました。『見せるべきものを間違った』と」

 

「あのお母様の衣装じゃ、小倉さんを元気づけられなかったという事?」

 

「はい。小倉さんにとって、小倉先輩は複雑な相手だと私は認識し切れていなかったのです」

 

「小倉さんのお母様なのにですか?」

 

「アトレお嬢様……小倉さんが桜屋敷に来た経緯を思い出して下さい……似たような経緯でありながら、小倉さんは小倉先輩と違って……仕えていた屋敷から追い出されてしまったのです」

 

「あっ!」

 

 アトレは気がついたようだ。

 僕も気がついた。小倉さんと『小倉朝日』さんは、似たような経緯で道を進みながらも、片方は成功してもう片方は失敗したという違いがある。

 お母様の為に素晴らしい衣装を作るという行為を成し遂げた『小倉朝日』さん。

 それに対して小倉さんは、仕えていた人の人生に傷を残しかねない行為をするだけで終わってしまった。

 ……正直言って、僕には小倉さんがその時に受けた衝撃を想像する事も出来ない。

 でも、大好きだったという服飾を捨てるほどの決意を抱かせるほどの出来事だったという事は分かる。

 そしてその小倉さんが服飾に戻る事を決意したという事は……。

 

「元気を取り戻せたに違いありません! 若達もきっと驚きます。小倉さんの本当の笑顔は、見る人を明るくする笑顔なんです! 私もいよいよ会えるのが楽しみで仕方ありません!」

 

「……そう、元気を取り戻したんだ……小倉さん」

 

 ルミねえの顔に僅かに警戒心が浮かんだ。

 仕方がない。ルミねえは小倉さんが大蔵家を憎んでいないか心配しているんだから。

 それにしても小倉さんが元気を取り戻せたのか。

 ……幾ら思い出そうとしても、僕が思い出せるのは小倉さんの怒りと悲しみに満ちた泣き顔だけ。

 一度確かに見た笑顔がどうやっても思い出せない。それに今やっている事が知られたら、僕に良い感情を抱いてくれるのだろうか?

 ……難しいかも知れない。と言うよりも、既に僕の行動で迷惑を受けて、総裁殿を説得してくれたかも知れないし。それを踏まえて考えるとどうやってもプラスのイメージが湧かない。嫌われていたらどうしよう?

 

「いよいよ。さっきから言っている小倉さんって、一体誰なの?」

 

「此処では話せないから、後で説明するわ、もみもみ」

 

 落ち込んでいる間に、壱与と紅葉がまた内緒話をしていた。

 そう言えば、紅葉だけ小倉さんに会っていなかったのを思い出す。

 ……上手くすれば、『小倉朝日』さんの話を聞く事は出来るかも知れない。紅葉は小倉さんに関する事情を知らないんだから。

 何とか壱与を引き離せないかと考えていると、九千代が恐る恐る手を上げた。

 

「あの~、若?」

 

「何、九千代」

 

「その……小倉さんって、今日本にいるんですよね?」

 

「うん。お母様が言うのには、今日の昼頃には到着しているらしいよ」

 

「……もしかしたら何ですけど……もう此処にやって来ているんじゃないでしょうか?」

 

 九千代の発言に部屋が静まった。

 恐る恐る僕はアトレの部屋にある時計に目を向けてみる。

 現在の時刻は午後9時。僕がエストの部屋での仕事を終えたのが8時。一時間経っている事になる。

 会議中なので、壱与に用事があっても緊急でない限り取り次ぎはエントランスの受付の人にはしないように頼んである。

 つまり、小倉さんがこの一時間の間に来ても、壱与への連絡は来ない。

 その事実に壱与も気がついたのか、すぐに内線に駆け寄った。

 

「あっ! 私よ! この一時間の間に、小倉朝日さんという方が……えっ!? 来た!」

 

「ッ!?」

 

 息を呑んでしまった。

 もしかしたらと思っていた可能性が当たっていた。

 あの人が。小倉さんが今、『桜の園』に来ている!

 

「それで今は何処に? えっ? 地下の方に向かった?」

 

「あっ! お兄様!」

 

 会話を聞いていた僕は、背後から呼ぶアトレの声に構わずに部屋を飛び出した。

 急がないといけない! 此処を逃したらもう次はないかも知れないと思って、僕はエレベーターのボタンを押して到着を待つ。

 

「才華さん! 落ち着いて!」

 

「そうですよ、若!」

 

 エレベーターを待っている間に、ルミねえと九千代が追い付いて来た。

 だけど、僕は構わずに到着したエレベーターに乗り込み、ルミねえと九千代も入って来た。

 扉が閉じて、エレベーターが動き出すと、ルミねえが両手で僕の両肩を掴んだ。

 

「良いから落ち着いて!」

 

「でも、あの人が! 小倉さんが!」

 

「落ち着いて下さい、若! 此処では桜小路才華様ではなく、小倉朝陽様なんですよ、若は!」

 

「……あっ」

 

 何故二人が僕を止めようとしていたのか、分かった。

 そうだ。今の僕は桜小路才華じゃなくて、女性の小倉朝陽だ。

 なのに、桜小路才華として動いてしまったら、今までの事が全部無駄になってしまう。

 落ち着こう。深呼吸をして落ち着かないと。

 

「……申し訳ありませんでした。もう大丈夫です」

 

「良かった」

 

「落ち着かれて良かったです。それでは、若。先ずは私とルミネお嬢様が地下で小倉さんを捜索します」

 

「えっ? 何故でしょうか?」

 

 三人で探した方が良いのに?

 何でルミねえと九千代だけで?

 

「あのね。今の自分の姿を思い出して」

 

「女装しているんですよ、今の若は? その事を見つけた小倉さんに教えて上げないと、会った瞬間に小倉さん、泣いてしまうかも知れません」

 

「才華さんが女装するって話した時、大泣きしていたから事前に知らせておかないと、また泣かれるかも知れない」

 

 ……そう言えば、そうだった。

 小倉さん。僕が女装するって言った時に、大泣きしていた。

 話すだけでアレだったんだから、実物を見たらその場で泣かれてしまうかも知れない。

 此処はルミねえと九千代が言うように、二人に任せて僕は……ん?

 改めて、自分の姿を見回してみる。

 

「どうしたの?」

 

「若?」

 

 僕の行動に二人は首を傾げるが、構わずに身体を見回す。

 着ている女性服を押し上げる胸(中身はパット付きのブラ)。

 肌を晒さないようにする為に長いスカートに覆われている膨らんだお尻(お父様譲り)。

 桜小路才華の時はまとめていたけど、今は広げているお母様譲りの白い髪。

 うん、間違いなく小倉朝陽としての僕だ。

 ……つまり、女装している。

 

「えっ?」

 

「あ、あの若? ま、まさか?」

 

 ルミねえと九千代が、僕を見て慌てだしている。

 な、何か……ま、不味い。顔が熱くなってきているのを感じる。

 ま、まさか。えっ? う、嘘だ。

 だ、だって、今まで何とも。そ、そう何とも無かったじゃないか!

 落ち込んだりしたことはあったけど……ま、まさか、そんな!?

 自分でも信じれない事実に行きついた瞬間、エレベーターが地下に到着した。

 

「さ、さあ! い、行きましょう!」

 

「ちょっと待った!」

 

「本当に駄目です!」

 

 事前の取り決めも忘れてエレベーターから飛び出した僕を、慌ててルミねえと九千代が止めた。

 背後から九千代に羽交い絞めにされて、ルミねえは信じられないと言うように僕の顔を覗いて来る。

 

「この顔は……ねえ、朝陽さん」

 

「は、はい! な、何でしょうか!? ルミネお嬢様! こ、小倉朝陽は、小倉さんを探すのに、や、やる気、ま、マンゴスチンチンです!」

 

「動揺し過ぎ」

 

「あの、ルミネお嬢様? もしかしてなくても小倉様は?」

 

「うん……間違いなく……恥ずかしがってる。自分の姿を見られるのを」

 

「ま、まさか! そ、そんな筈はありません! 私は何時もの私です!」

 

「そんな顔をしていて何を言ってるの?」

 

「凄く真っ赤で、目がグルグルになってますよ」

 

 えっ!?

 告げられた事実に、僕は固まってしまった。

 その隙に九千代が、服のポケットの中から手鏡を取り出して僕に見せた。

 ……鏡に映った僕の顔は……真っ赤だった。

 お母様譲りの白い肌が、耳まで真っ赤になっている。良く見れば目もグルグルになっている気がする。

 ……どう見ても、今の僕は恥ずかしくて顔が真っ赤に染まっているようにしか見えない。

 

「……嘘?」

 

 自分でも信じられなかった。

 い、いやだって! 今まで何ともなかったのに! 寧ろこのお母様譲りの美しい髪を見られて誉められるのを喜んでいた!

 な、なのに、何で今更僕は恥ずかしがっているの!?

 

「もう間違いない」

 

「以前からその傾向は見えていましたけど……決定的です」

 

「……な、何が?」

 

「朝陽さん……貴方、小倉さんを女性として意識しているでしょう?」

 

 ドクンっと心臓が跳ねたように感じた。

 ぼ、僕が……小倉さんを女性として意識している?

 ち、違う! 二人には言えないけど、僕が小倉さんを意識しているのは、あの日の夜のお父様にあの人が似ているからだ!

 そ、それだけだ。断じてあの人を女性として見ている訳じゃない。

 ……で、でもよく考えてみよう。もしあの日の夜のお父様に、今の僕の姿を見られても平気でいられるのだろうか?

 

「こ、小倉様の顔が! 更に顔が真っ赤に!?」

 

 無理だ! あの日のお父様に今の僕を見られるのはもっと無理!

 そもそも最近平然としていたけど、僕が女装しないとデザインを上手く描けない事は、家族にも秘密にしていた事だ。

 最高の環境で描ける事に心が躍り、その後に起きた出来事の数々で恥ずかしさなんて消し飛んでいた。

 だけど、小倉さんの存在によって僕の心の奥底に眠っていた羞恥心が目覚めてしまった。

 

「こ、九千代さん。地下の捜索をお願いします」

 

「小倉様は?」

 

「……へ、部屋に戻って着替えて来ます」

 

 今、小倉さんに会うのは無理だ。

 せめて桜小路才華の姿で会わないと、羞恥心で謝るどころか満足に話す事も出来そうにない。

 地下駅での捜索を九千代に任せて、僕は自分の部屋にルミねえと向かった。

 

 

 

 

「……僕の馬鹿」

 

 部屋の中に置いてある衣服を確認した僕は、その場で膝を突いて項垂れてしまった。

 忘れていたけど、『桜の園』に居る時は、徹底的に小倉朝陽で過ごそうと考えて男性物の服は一切部屋に置いておかなかった。うっかり自分の主人が部屋に遊びに来るという危険性もあったから、当然の処置だけど。

 まさか、こんな事態になるとは思っても見なかった。

 

「しょうがない。八十島さんにお願いして、急いで桜屋敷から一着だけ服を取って来て貰おう」

 

「ありがとう、ルミねえ」

 

「そのセリフ。本気でこんな形で聞きたくなかった」

 

 ご尤もです。

 ルミねえは部屋から出て行った。多分エントランスで壱与に連絡をするんだろう。

 ……小倉さんに会うだけで、こんな難関に遭う羽目になるとは思ってなかった。

 九千代が見つけてくれれば良いんだけど。

 

「小倉さんは見つかりませんでした。ただそれらしい人が、地下カフェでエストさんと思われる人と一緒に出て行ったと、店員が言っていました」

 

「お嬢様……後でお仕置きが必要なようですね」

 

 エストめ。アレだけ甘い物を食べ過ぎだと注意しておいたのに。

 僕に隠れて食べに行っていたようだ。これは後で注意しておかないと。

 

「あの若。以前から思っていたのですが、若とエストお嬢様の関係は普通の使用人と主人の関係とは違うので。子供の頃から使用人として教育されて来た小倉さんには印象が悪いかも知れません」

 

「これからは心を入れ替えてエストお嬢様に優しくします!」

 

 そうだよね。僕とエストの関係は、普通の使用人と主人の関係とは違うよね。

 アメリカにいる九千代の叔母の八千代が知ったら、絶対に怒るだろうし。それと同じ価値観を小倉さんが持っていたら、僕の印象が下がるだけだ。

 どうかエストが悪いように、僕を小倉さんに言っていない事を願うしかない。

 そのまま九千代と二人で部屋で、壱与に連絡しに行ったルミねえを待つ。

 ……やけに遅い。ルミねえに何かあったのだろうか?

 そう思っていると、何だか疲れた顔をしたルミねえが戻って来た。

 

「小倉さんと話をして来た」

 

「やっぱり居たの!?」

 

 ルミねえの報告に僕は立ち上がり、傍に近寄った。

 あれ? 何だか本当に疲れているような顔をしている?

 一体、小倉さんと何の話をって。

 ……ルミねえが小倉さんにする話なんて一つしかない。小倉さん大蔵家復讐説の話をして来たんだろう。

 僕は今でも信じていないけど、一般的な考えで小倉さんを見ている、ルミねえは警戒していたから。

 

「先ず才華さん……貴方の言っていた事は正しかった。小倉さん。大蔵家への復讐なんて全然考えていなかった」

 

「ほらね! ルミねえの考え過ぎだったんだよ! 僕が言った通り、小倉さんは復讐なんて考える人じゃなかっただろう」

 

「うん。そうだった」

 

 ……随分と素直にルミねえは頷いている。

 一体、小倉さんとどんな会話をしたんだろう?

 

「何なのあの人? 純粋過ぎて、質問したこっちが罪悪感を感じてしまいそう。あんな人がこの世にいたなんて」

 

「あのルミネお嬢様? それで小倉さんは?」

 

「ああ、ごめん。衣遠さんに呼ばれたみたいだから、帰ったよ」

 

「帰ったの!?」

 

 そんな! 漸く会えると思っていたのに!

 

「それと才華さんに小倉さんから伝言」

 

「な、何かな?」

 

「後日必ず来るって。その時に才華さんがこれまで何をしていたのか全部聞かせて貰うって言われた。ごめん、私の失言で小倉さん、才華さんにかなり厳しい目を向けそう」

 

 ……聞きたくなかった。

 元気になったから、もしかしたら僕が忘れてしまった笑顔を見せてくれるかと期待していたのに。

 会った時に最初に向けられるのは、厳しい顔だと思うと落ち込んでしまう。

 

「後、小倉さんの笑顔は壱与さんが言っていたように素敵に思えた。心の底から今を喜んでいるっていう印象を感じられて、こっちも何だか暖かくなりそう」

 

 そしてルミねえは、僕が見たかった小倉さんの笑顔を見られたらしい。

 メラメラと燃えるような嫉妬を覚えた。僕は厳しい目を会った時に向けられるかも知れないのに、ルミねえは小倉さんの笑顔を見たと思うと、言い表す事が出来ない感情が渦巻く。

 

「さ、才華さん……」

 

「ごめん……ちょっとジェラシーを感じて……ルミねえ達には話してなかったけど、僕は一度だけ小倉さんの笑顔を見た事があるんだ」

 

「えっ? 何時?」

 

「帰国して桜屋敷に帰って来たその日の夜……皆が眠った後、僕は夜遅くに食堂で小倉さんと話をしたんだよ。何だか酷く小倉さんは弱っていた。今思えばだけど……多分小倉さんは伯父様の言葉を聞いていたからだったのかも知れない」

 

「……どんな言葉?」

 

「……伯父様がこう言っていたのを思い出した。『惰弱こそ、この世で最も嫌悪すべきものだ。ただ眩しき日々を懐かしみ、其処から出ようともせずに留まるなど惰弱以外の何ものでもない』って」

 

「それは……」

 

「酷いです。もしもその言葉を小倉さんが聞いていたら」

 

「うん。だから、小倉さんは僕とその日の夜に会った時に酷く弱っていたんだと思う」

 

 僕やアトレに対して甘いけど、伯父様は本来は厳しい人だ。

 小倉さんに対しては、伯父様は厳しさでしか接せられないのかも知れない。でも、小倉さんを大切に思っているのは間違いないと思う。

 現に伯父様は小倉さんを早い段階で発見していたのに、無理やり桜屋敷から連れ出そうとはしていなかった。弱っていた小倉さんが少しでも回復する事を願って、桜屋敷に住まわせていた。それが出来なくなったのは、僕とアトレが日本に帰国したからだ。

 そう言えば、あの帰国した日に伯父様は確か……

 

「……思い出した。あの日、伯父様は僕とアトレに自分が住む予定のマンションに一緒に住まないかって言って来たんだよ。それは多分、僕とアトレと関わって小倉さんが傷つくのを恐れていたのかも知れない。ルミねえも最初に心配していたよね? 小倉さんがお父様の子じゃないかって」

 

「うん。でも、アレは完全に私の勘違いだった。後から衣遠さんにも言われた」

 

「その事で一番悩んでいたのは、もしかしたら小倉さんなのかも知れない。もしも何も知らない人が小倉さんとお父様が一緒にいるところを見たら」

 

「間違いなく疑われます。私も『晩餐会』でお会いした時に、事前に若から教えて貰わなかったら、厳しい視線を向けていたかも知れません」

 

「そして小倉さんは大蔵家の妾の誰かの子だ。僕やルミねえ、九千代よりもそっち側の苦しみを知っていると思う」

 

「なるほどね。で、話は戻すけど、どういった経緯で小倉さんの笑顔を見たの?」

 

「弱っていたあの人を放っておけなくて慰めたんだよ。僕はその時に、小倉さんの笑顔を見た。後、小倉さんの事情も教えて貰った」

 

「……つまり、才華さん。貴方、小倉さんが悲しんでいる理由を知っていたのに、それと似たような事を小倉さんの前で提案してしまった訳なの」

 

 ルミねえの指摘に、僕は改めて自分がしてしまった事を理解し、顔を下に俯けてしまう。

 

「流石にこれは……フォローできませんよ、若」

 

「……分かってる。自分が一番馬鹿な事をしてしまった事は」

 

「……まぁ、多分だけど、小倉さんその事は気にしてないかも知れない。と言うよりも、あの人。本当に何なの? 私の一般論が崩壊させられて本気で困った」

 

 此処まで悩まされるルミねえを見るのは、初めてかも知れない。

 一体小倉さんとどんな会話をしたんだろうか? 気にはなるけど、この様子だと教えてくれそうにないな。

 

「とにかく、今日は会えなくて良かったかも。もしも才華さんが今更小倉さん限定だけど、女装を恥ずかしがっているなんて知ったら」

 

「遊びでやってるのかと思われて、総裁殿に報告されるかも知れませんね。小倉さんは総裁殿のお気に入りらしいですから」

 

「うん。後日会う時は、小倉朝陽じゃなくて桜小路才華としてあの人に会うよ。そしてちゃんと謝罪する」

 

 許されるかどうか分からないけど、謝罪だけは絶対にしないといけない。

 ルミねえとの最初の約束なのもあるけど、何よりも僕はあの人に謝って、あの人だけに話せなかったフィリア・クリスマス・コレクションに参加したい理由を話したい。

 納得して貰えるかどうかは分からない。だって、僕が今しているのは、やった事で苦しんだ行為と似たような事なんだから。寧ろ嫌われるのを覚悟しておくべきだろう。

 ……あの人に嫌われるのは、お父様に嫌われるのと同じぐらいキツイかも知れないけど。

 いや、お父様が僕を嫌うなんてことは天地がひっくり返っても無いだろうから、比喩的な表現で。

 調査員の説得の方もあるし、出来れば今月中に来てくれる事を願いたい。今度は急じゃなくて事前連絡してくれれば、もっと助かる。

 

「それじゃ、一先ずはアトレさんの部屋に戻りましょう。服の方は八十島さんと樅山さんが取りに行ってくれてるから。ただ、やっぱり男性物の服はアトレさんの部屋に置いておいた方が良いかも知れない」

 

「うん。そうだね」

 

 ルミねえの提案に僕は頷き、九千代を伴ってアトレの部屋に戻った。

 其処には……。

 

「フフッ、許すまじ小倉朝日。私の凛々しいお姉様を誑かせているなんて……次にこのマンションにやって来た時は、このお母様の銃で追い払って上げます」

 

 目からハイライトが消えて、お母様の銃を手入れしているアトレがいた。

 即座に僕とルミねえ、九千代は頷き合い、アトレから銃を取り上げた。

 発射されるのはスポンジだけど、当たったら痛いからね。

 ……アメリカのお父様、お母様、女装姿の僕の事が好きすぎる妹に付ける薬は無いのでしょうか?




原作では男性物の服を所持していた才華ですが、この作品では覚悟の違いで全部桜屋敷の方に置いていました。


『才華の衣服を桜屋敷に取りに行った最中の車の中での、いよいよともみもみの会話』

「ええええっ!?」

「驚くだろうけど、全て事実なのよ、もみもみ」

「で、でも!? そ、そんなゲームや物語みたいな話がある訳」

「私も最初は信じられなかったけど……確かに今、この世界には小倉さん……いいえ、大蔵遊星さんがいるの」

「………夢? もしかして私、夢を見てるの?」

「夢じゃなくて現実よ。そして私は……大蔵遊星さんに服飾を捨てさせてしまったの」

「……いよいよ」

「でも、遊星さんはやっぱり遊星さんね。若の為に遠いところに居ても力を貸してくれていた。フフ、いよいよ会えるのが楽しみだわ!」

「そ、そうだね……まだ、ちょっと混乱しているけど……わ、私も会えるのが楽しみかな……うん?」

「あら、電話みたいね、もみもみ」

「はい、紅葉です。あっ! ケメ子先生! こんな時間にどうしたんですか? えっ? 私が渡された書類に不備があった! 私が受け持つ予定のクラスに後一組、付き人と生徒が入るんですか!?」

「ッ!?」

「は、はい、それで名前の方は……えっ? どうしてその名前が? と、とにかく、わ、分かりました。失礼します」

「……もみもみ。もしかしてこれは」

「……うん。多分そうだと思う。でも……どうしよう。この事を若達に伝えて方が良いのかな?」

「何かあったの?」

「……追加で加わった付き人の人の名前は、『カリン・ボニリン・クロンメリン』さん。そして生徒の名前は……『朝日』。『小倉朝日』なの」

 車の中の空気は重くなり、二人の会話は桜屋敷に着くまで途切れたのだった。

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