月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
後一話で三月が終わり、遂に入学式です!
dist様、lukoa様、烏瑠様、秋ウサギ様、誤字報告ありがとうございました!
side才華
「懺悔します」
早朝、何時ものようにエストの部屋に訪れた僕の前で、部屋の主であり僕の主人であるエストが祈るように両手を合わせていきなり懺悔して来た。
「お、お嬢様? い、一体どうされました?」
珍しく僕が起こさなくても起きていた事に、内心で動揺しながらも質問してみた。
「私、エスト・ギャラッハ・アーノッツは、朝陽さんの注意を無視して内緒で地下カフェに行って甘い物を食べていました。どうかこの罪深き私を御赦し下さい」
「お、お嬢様? 本当にどうされたのですか? 頭でも打ってしまわれましたか?」
本当にどうしたエスト?
何時もの君はだらしないけど、こんな事をする子じゃないだろう?
「……此処最近、朝陽さんが急に優しくなって、私は怖い」
「……はっ?」
「前はお菓子に手を伸ばしたりしたらしっぺをして来たり、ファ〇クって言ったら抓ったりして来たのに、此処最近は優しく声を掛けてくれたり、言っちゃ駄目な言葉を言ったらやんわりと笑顔で注意するだけ……私はこれをイタリアンマフィアの挨拶じゃないかと思って怖くなりました」
イタリアンマフィアは標的と認識した相手に、先ず友好の証として何かを送ると言う。
なるほど、エストは此処最近の僕の優しい対応を、その類だと勘違いしているようだ。実際のところは、九千代に注意されたので自分の行動を改めただけなんだけどね。
「お嬢様。ご安心下さい。イタリアンマフィア流の挨拶ではなく、もうすぐ入学式ですから、校内で体罰をしないようにする為に自分を戒めていただけです。私はあくまでお嬢様の従者なのですからね」
「怖い怖い怖い! その笑顔が何か企んでいるようで、本当に怖い! 私が許可をするから、以前までの朝陽さんに戻って!」
「宜しいのですか?」
「良いの! 主人である私が良いって言うんだから、他の人が何か言って来たら私が説明する!」
「……分かりました。ところで早速なのですが、あの言葉を言いましたね。罰です」
「ピクニック!!」
最早憂いはなくなったと思った僕は、此処最近のエストの行動に対しての注意も込めて思いっきり手を抓った。
「うぅ……私、何時の間にか朝陽さんに調教されていた。もうこの対応でないと、安心出来ない」
「それは良かったです。それと私の注意を無視して地下カフェに食べに行った罰として、今日のおやつは抜きです」
「オーマイガー!!」
うん。久々のエストとのやり取りに僕も充実感を感じた。
やっぱり、この関係が僕とエストとの主従関係なんだ。きっと小倉さんもエストの話を聞いて納得してくれると思う。
……してくれるよね?
「ところでお嬢様?」
「うぅ……何?」
「つい先日九千代さんが言っていたのですが、何でも地下カフェで私がお会いした事がない黒髪女性と話していたとお聞きしましたが?」
「あぁ、あの人ね。フフッ、その人の事が知りたい?」
「えぇ、お嬢様の交友関係は従者として気になりますから。もし仲が良かった方なのなら、お会いした時に失礼のないようにいたしませんと」
よし。上手く誘導出来た。
どうやってエストから小倉さんの話を聞こうかと悩んでいたけど、これで聞く事が出来る。
エストがして来た懺悔は僕にとって渡り船だ。さぁ、エスト!
小倉さんの事を教えてくれ!
「その人はね。困っていた私を助けてくれたの。見ず知らずの人に話しかけられて最初は警戒したけど、真摯に私の事を心配してくれていた」
「そのような方が。それでその方の名前は何というのですか? 従者としてお会いした時にお礼を言わないと行けません」
「聞いて驚きなさい、その人の名前は……『小倉朝日』さんよ!」
「……はっ?」
「フフッ、驚いた? 驚いたわよね。だって朝陽さんと同名なんだから」
上機嫌に笑うエストを見ながら、僕は内心でやっぱりと思った。
九千代が言っていた通り、エストは小倉さんと会っていた。このまま行けば、更に詳しく話を聞けるだろう。
「どのような方だったのですか?」
「気になる? 気になる?」
「えぇ、まぁ。私と同じ名前なのですから、きっと素敵な女性だとは思いますけど」
「正解。本当に素敵で綺麗な人だった。優しくて、親身になって私が困っていた事を助けてくれたの」
「その困っていた事とは?」
「……怒らない?」
「内容にも依ります。もしも内容をお聞かせ頂けないのなら、優しい私に戻って」
「ルームキーを部屋に忘れて支払いが出来なくて困っていたところを助けて貰いました!」
「三日間おやつ抜きです」
「オーノーー!!」
何を考えているんだ、この主人は?
あれほど部屋から出る時は、ルームキーだけは忘れないようにって注意していておいたのに。
もしも小倉さんが助けてくれなかったら、地下カフェで大恥を晒して、もうあの店に行けなくなるところだったじゃないか。
この事だけでも小倉さんには感謝だよ。
「うぅ……どうか少しだけでも甘い物を」
「そうですか。では、優しい私が優しく口元にお運びすると言うのはいかかでしょう? 優しく食べさせてあげます」
「いやあぁぁぁぁぁぁ!!!」
うん。なるほど、こういう形で教育するのもありのようだ。
こんな形でエストの教育のやり方を学べるとは思ってなかった。今度からは時々優しくしてあげよう。
きっとエストは泣いて喜んでくれる筈だ。今みたいに。
「それでその方にちゃんとお礼をしたのですか?」
自分の主人の恥を晒さずに済んだんだから、今度会った時にその事もお礼を言わないといけない。
……一週間経っても、いまだに小倉さんは『桜の園』に来てくれないけど。
ルミねえが言うには、総裁殿と一緒に暮らす準備で忙しいらしいからもしかしたら今月には来れないかも知れない。或いは総裁殿が邪魔をしているのか。
あの人、どうにも小倉さんの事が大のお気に入りらしい。大蔵本家から出て、二人で一緒に暮らす為の準備までしているんだからよっぽどだ。そしてそれを小倉さんも受け入れている。
……再会した時に、総裁殿の悪口だけは絶対に言わないようにしよう。
「それがね。立て替えてくれた分のお金よりも多めに渡したんだけど、お金には困ってないからって返されてしまったの」
「ではなんのお礼も出来ていないと?」
「ううん。お礼に私のデザインを見せたら、とっても喜んでくれた! その時のあの人の目は輝いていて、本当に服飾が好きなんだって一目で分かるほどに」
「お嬢様のデザインを見せたのですか?」
……ちょっと嫉妬を覚えた。
そう言えば小倉さんが屋敷に居た時、僕がデザインの話をした時に顔を曇らせた事があったような気がする。
僕のデザインでは見る事もなく顔を曇らせたのに、エストのデザインでは顔を輝かせたとか、結構複雑だ。
「それであの人は型紙が得意らしいよ」
「……そうですか」
あの衣装を作った『小倉朝日』さんの娘なら、小倉さんが型紙が得意なのも納得出来る。
……しかし、僕よりも会っている時間が短い筈なのに、エストが小倉さんの事を語るのはやっぱり複雑だ。
「どうしたの朝陽さん? 何だか目が怖いよ」
「いえ……お嬢様が楽しげに語っているので」
「嫉妬してる? 同じ名前の人に嫉妬してるの? フフッ」
何だか楽しげにエストが笑みを浮かべ始めた。
恐らくは僕が小倉さんに嫉妬していると思っているんだろう。だけど、僕が嫉妬を覚えているのは君の方だよ。
こっちはどうやって仲直りしようかと悩んでいるのに、あっさりと仲良くなって。いや、エストを通じて仲直りを……その時の僕は女装している。
本当にどうしよう?
「フフッ、これは内緒にしておいた方が面白そう……甘い物の恨み、少しは晴らさないと」
「何かおっしゃいましたかお嬢様?」
「何にも言ってないよ。それじゃ今日のデザインの練習を始めましょう」
「はい」
僕とエストは椅子に座り、それぞれデザインを描き始めた。
さて、どうしたものか? 今日は梅宮家の長女が来る日だったので、上手くエストを誘導してエントランスに行く予定だったけど、先ほどのやり取りでおやつ抜きの刑を与えてしまった。
今更撤回する訳にもいかないし、だけど事前に確認しなければならない事だ。
何か手段はないだろうか?
「うぅ……やっぱり、甘い物抜き三日は辛い」
……どうやら何とか出来そうだ。
そのまま僕とエストはデザインを描いて、梅宮家の長女が到着する時間近くまで過ごした。
……そろそろだ。アトレからメールも来ている。
「お嬢様。本気で反省していますか?」
「してるしてる!」
「でしたら反省として皆様にお菓子を買いに行きませんか? 勿論お嬢様の分も含めて」
「えっ! 良いの!?」
「はい」
「あ、でも、朝陽さんは外を歩けないんじゃ?」
「大丈夫です。窓に遮光フィルムの貼ってある車を借りられないか、出かける際にコンシェルジュに尋ねましょう。運転手は用意して貰います」
「あ、それなら一緒に行けるね。朝陽さんと一緒に買い物なんて楽しそう」
本当だ。自分で言っておいてなんだけど、エストと一緒に買い物だなんて、どれほど楽しい時間が過ごせるだろう。
それにこれで梅宮の長女が来る時間にエントランスで待機出来る。仲が良い人とのタルト選びは楽しみだ。
ただ、エストの支度に思ったより時間が掛かったのは想定外だった。
僕はメイド服だから良いけれど、エストは『少しとは言え出掛けるのだから』と言って、髪を弄ってアクセサリーを選び始めた。
普段部屋で全裸で過ごしている時に比べて、格段に成長した。身嗜みに気を遣うのは良い事だ。
此処はエストを誉めよう。好きなタルトを選ばせても良い。
「あれ? あそこで桜小路さんが誰かと話して……新しく入居する人かな?」
アトレは既にエントランスに到着していた。傍には中くらいの背をした女の子に、背の高い美人がいて会話していた。
背の高い美人の人は、デザインは違うけど僕と同じメイド服。となると、普段着を着ている背が中くらいの方が梅宮家の長女か。アトレと並んでも、一目で親戚と分かるほど似ているように思えない。
僕とアトレはお父様似だからなのかも知れないけど。
ただ僕の知ってる桜小路の血を引く全員に言える共通点と言っていい『気の強さ』が顔に出てる。
「梅宮さん、初めまして、このマンションへお越し頂いた事に感謝します。事前に連絡していたとは思いますが、大家の桜小路アトレです」
「桜小路!? それもアトレって聞いた事がある……え、アメリカの叔母様の? え、え!?」
「はい、伊瀬也さんの従兄妹に当たる者です。初対面の挨拶がこのような形になってしまいましたが、以後宜しくお見知り置きを」
「どういう事!? え、どういうこと……どういうこと!? え、全く聞いてないけど……どういうこと!?」
『どういうこと』を四回も言ったよ。
それほど動揺しているって事なんだろうけど、言い過ぎだ。
想像していたよりも賑やかな女性だ。お母様とも僕ともアトレともタイプが違う。
「大津賀さん、どういうこと?」
大津賀さんというメイドの人に尋ねたけど、事前に知らせなかったという事は、きっと彼女も知らなかったと思う。
「どういうことなのよ」
六回も『どういう事』を言うのはどういうことだろう?
彼女は僕の中で面白い人という認識になった。深入りすべきではないけど、個人的には会話をしてみたい欲が湧いて来た。
「書面にて梅宮家にご連絡しましたが、どうやら伊瀬也さんまで伝わっていなかったようですね。このマンションの所有者は私です。桜小路家とは関係なく、私個人の所有物です」
「ええ? ええ、ああそう……え、おかしくない? どうしてそれほど……ああ、そういえば、其方の桜小路の家は、海外で成功して、とても裕福なのだっけ」
「いいえ、このマンションは故あって、大蔵家の衣遠伯父様から譲り受けたものです」
「大蔵家って、あの『華麗なる一族』大蔵家!? 桜小路のお祖父様がお世話になっている大富豪じゃない……どういうことなの……さっぱりわかんない」
彼女が分からないのも無理はないと思う。
僕とアトレだって、この『桜の園』を譲られた時は驚いたから。あの人の重度の甥姪コンを知らないと訳が分からないだろう。
それに彼女のタイプも分かって来た。一度慌てると、思考する事が出来ずに、疑問のみが頭の中でグルグル回ってしまうタイプと見た。
理由もなく突然頬を叩いたら、反撃もせずに『どうして? どうして?』と叩いた相手に泣かされるまで尋ねているのだろう。
気の強い顔と性格をしているのに、責められると屈服するまで反撃しないタイプ。余りに虐め甲斐のある素材に、久々に自分の中にあるサドっ気が疼いた。僕なら二秒で可愛いトロ顔にさせる自信がある。
「ええ、じゃあどうしよう。まだよく状況もわからないし……」
「あー、うん。伊瀬也お嬢様が入居すると知って、当てつけの為に、大蔵家に依頼してこのマンションを譲り受けた──」
「え、そうなの!?」
「ち、違います! それは本当に偶然で、私は伊瀬也さんとも、梅宮の伯母様とも仲良くさせていただきたいと思います。此方に他意は全くありません」
「あー、お嬢様が、分家の桜小路が所有するマンションで暮らす事を知れば……奥様が承知されるはずがない……と思うな」
「う、うん。そうだね」
分かってはいるけれど、梅宮の伯母様は僕の家が大嫌いみたいだ。もし梅宮伊瀬也がこのマンションを出て行くとなれば、梅宮の伯母様に知られて、今後アトレとの関係は険悪になるだろう。
僕達の主従は、梅宮伊瀬也と同じ教室で勉強する事になる。尚且つ、エストは海外の人間で、日本には味方がまだ居ない。梅宮の家はそれなりに大きく、富裕層の子女とも交流がある筈だ。僕は来年まで通えるか分からないけど、エストは三年間通う。
その事を考えればアトレから紹介を受ければ、エストまで嫌われる恐れがある。
梅宮伊瀬也との感情的な問題を前に、アトレ一人をこの場に残すのは申し訳ない。だけどそれは、桜小路の家に生まれた兄妹として、僕も抱えている避けられない問題だ。
その問題には小倉朝陽ではなく桜小路才華として、アトレと二人で向き合っていこう。無関係のエストを巻き込むべきじゃない。
険悪な雰囲気になる前に、一先ず部屋に戻って……。
「このマンションに桜小路の叔母様の家族がいると知れば、お母様は嫌がると思う。でも、私は此処が気に入ったよ。学院も近いし、雰囲気も凄く良い」
ん?
僕がエストに声を掛ける前に、梅宮伊瀬也は従者に残留の意思のような言葉を口にした。
「それに私、叔母様の様に桜小路家に敵対心がある訳じゃないって、何時も言っているじゃない? 此処より住みにくいところへ引っ越すなんて嫌だよ」
「お嬢様がそう仰るなら、良いんじゃないですかねー」
「そうする。狭い部屋と不便な生活はイヤ」
「ありがとうございます。暮らしやすいと言って頂けるだけの環境は整えますので。とは言っても、マンション内での事は、管理会社に任せきりなのですが」
「ふぅん、これからお世話になるから宜しく。あ、私の改めての自己紹介はいらないよね? こっちは使用人の大津賀かぐや。私の生活と、勉強のサポートをする付き人。私、フィリア学院のデザイナー科に進学するから」
「あー、よろしく……お願いします」
主人の梅宮さんと違い、メイドの方の大津賀さんは桜小路分家に思うところがあるのか、その挨拶はやや煮え切らないものだった。
……思い出した。互いの家で仲が悪いのは当主同士だけじゃなくて、メイド同士の仲が悪いと八千代が言っていた。しかし、見方によっては失礼だ。
あの態度で良くメイドが務まる……いや、僕が言えた事じゃないかも知れないけど。
「私はアトレです。付き人は此方の山吹九千代」
「山吹? あー、元本家のメイドの……」
「はい。八千代伯母様は、母の姉に当たります」
九千代の伯母の八千代は分家のメイド長として、桜小路本家では良く思われていなかった。
尤も八千代も、桜小路本家には良い感情は抱いていなかったけど。
「もしお疲れでなければ、ご一緒にお茶でもいかがですか? 伊瀬也さんとは良い親戚付き合いが出来ればと思うんです」
「それはいいです」
梅宮伊瀬也は、アトレの誘いを断った。
「まだ着いたばかりで、部屋の準備もあるからいいです」
「そうですか、ではまたの機会に」
「またの機会と言うか……ああうん、はっきり言っちゃうと、貴女達に敵対心はないけど、本家に対して態度が宜しくないとか、言いたい事はあるわけなのね。直接会ってなかったのが良かったのか、私個人が嫌いとかは全然ないけど、梅宮の家として仲良く出来る事がないのは分かるじゃない? そうでなければ良いなとは思うけど、大津賀さんの言った当てつけという言葉も、思い当たるだけの材料はあるし。ああごめんなさい、これは貴女に言うべきじゃないね。とにかくお世話にはなるけど、仲良く出来る感じじゃないよ。ごめんね!!」
本人を前に其処まで言えるという事は、大津賀かぐやというメイドほどではないけれど、彼女自身も僕達桜小路分家に思うところがあるみたいだ。
残念ながら個人としてはともかく家としては、僕達桜小路家と梅宮家が、過去の出来事で和解出来る地点は今のところないという事だ。
彼女と仲良くしたいなら、過去ではなく、これから先の未来において信頼を築くしかなさそうだ。良いじゃないか。そうしよう。兄妹共々宜しく頼みたい。
ただそれはそれとして、親切な対応に終始した僕の妹に、きつい言葉を浴びせた借りだけは返しておきたい。
「お嬢様、あそこでアトレお嬢様と話している女性は、『フィリア学院のデザイナー科』に進学すると聞こえました。隣に人を従えている点を考えても、同じ特別編成クラスに入る事は間違いないでしょう。入学前に知り合いが出来れば、教室でも心強い筈です。挨拶をしに行きませんか?」
「私も同じ事を考えてた。行こう」
エストが確り支度していて良かった。
この人は美人だ。誇り高きエスト。今はまだ成長過程の中にあるけど、堂々とした彼女は、相対する人間に息を呑ませるだけの貴族の品格を有している。
「少しお邪魔してもいいでしょうか。ごめんなさい、話が聞こえてしまって」
「えっ」
「私はエスト・ギャラッハ・アーノッツ。来月からフィリア学院の服飾部門のデザイナー科へ通う新入生です。貴女も同じクラスへ進学すると聞こえたので、せっかくなので挨拶をしたいと思い声を掛けました」
「えっ、海外の人? え、あ、はい、よろしく、梅宮伊瀬也です。よろしくね」
動揺すると同じ言葉を繰り返すのが彼女の癖のようだ。
ただ流石は上流階級に属する人間。動揺をすぐに治めて、自分を取り戻した。
……僕も小倉さんと会った時に、小倉朝陽の姿でも動揺しないように気を付けないと。
「ウメミヤさん。日本にはまだ友人が少ないので、仲良くして貰えると嬉しいです。私はこの従者の紹介をしていただいた縁で、桜小路さんと仲良くしています」
「従者? あっ……」
梅宮伊瀬也は、エストの背後に立っていた僕を見て、明らかにエストに声を掛けられた時よりも動揺した。
どうやら母親である梅宮の伯母様から聞いた事があるのだろう。或いは同じ体質の人を見た事があるのか。自分で話を聞いて調べたのかも知れない。
少なくとも、今の時点で想像もしていなかっただろう髪の色をした人間を前に、梅宮伊瀬也は目を離せなくなった。
動揺は与えた。もちろんそれだけで済ませるつもりなんてない。僕の妹に強い言葉をぶつけた借りは、君の本性を暴いて上げる事で返す。
初対面の相手にストレスを与えない距離に近づき、其処から大きく一歩踏み込み、驚いて大きく開いたままの彼女の目の中に、この緋色の瞳を思いきりぶつけた。
その瞬間、自然と下ろしていた梅宮伊瀬也の指がピンと真っ直ぐに伸びた。
止めにニッコリとエスト以上に美人な僕は微笑んだ。
「朝陽です。誇り高きエストお嬢様の従者です。教室だけではなく、このマンションへ入居されるとか。同じ学院、一つ屋根の下で暮らす者同士『良い関係』を築ければと思います」
「は、はい、宜しく」
とても他家の従者に対する返事じゃない。
此処最近色々あって忘れかけていたけど、僕はやっぱりドSだ。
そして彼女は……。
「梅宮様はお綺麗な方ですね」
「ひゃい!」
誉められると、彼女は頬を赤らめて素晴らしいトロ顔になって堕ちた。
梅宮伊瀬也。彼女の本性は……ドMだ。僕とは相性が良すぎる。
これはいけないと思ったのか、大津賀かぐやという従者が慌てて僕と彼女の間に割って入った。
とは言えすでに遅い。既に君の主人は制した。そして君は主人の梅宮さんよりも妹を攻撃した。お礼をしなければならない。
「大津賀さん。これから学院で共に過ごす事になりますね。愛する主人に仕える『従者として』仲良くいたしましょう?」
「あ、あ、あ……本物の、天上天下唯我独尊、傍若無人傲岸不遜、傲慢尊大増上慢の圧倒的ご主人様……足の指ぃ……舐めたい。なめなめ、なめたい」
……このメイド、主人以上のドMだ。
淡々とした態度でいるから近くで見るまで気づかなかった。
しかも、八日堂朔莉のようなネタと違って、彼女は靴を舐めろと命じたら、主人の居ない場所でさえあれば喜んで舐め尽くすだろう。
これは危険かもしれない。僕が『本来は従者の立場にある人間じゃない』と教えているようなものだ。
あくまで僕は従者だと示すように、エストの背後に位置を戻した。
大津賀かぐやは、今にも泣き出しそうに顔で僕に縋る目をしていた。すぐに僕は待てと言う意思を示すように目に力を込め、彼女は大人しくなった。
その間に正気に戻った梅宮伊瀬也は、耳まで顔を赤くした。
……分かるよ。今の君の気持ちが少しだけ。恥ずかしいんだよね。
「え、ええと! 引っ越し業者を待たせてしまっているじゃない! は、早く部屋の準備をしないと……私達の部屋は何階?」
「伊瀬也さんの部屋は22階です。部屋の前までは、私と山吹が案内します」
「エストお嬢様、せっかくですから私達も同行しましょうか?」
「いえっ、あのっ、まだ片付いてないお部屋を見せるのもなんですからお構いなく! アトレさん、案内をお願いします!」
「エストお嬢様、朝陽さん、これからの時間を末永く……仲良くしてください」
顔を赤くした梅宮伊瀬也と、とても幸せそうな顔をした彼女の従者は、先にエレベーターへ乗り込んで、開くボタンを押しながらアトレを待っていた。
とても純真で可愛らしい人だ。今後は仲良く出来ると思う。
……僕の正体がバレなければの話だけど。
「では、私達は伊瀬也さんの部屋に行きましょう」
『あまり虐めてはいけませんよ』と言いたげな視線を向けながら、アトレは九千代と共にエレベーターに乗り込んだ。
今回の事は見逃してほしい。大切な妹を助けたいという兄心なんだから。
……ただ小倉さんの場合は別だ。アトレは小倉さんに対してシャレにならないレベルで敵愾心を抱いているから。朝陽としての僕に対してだけだけど。
「それではタルトを買いに行きましょう」
「はい、行きましょう」
取り敢えず本来の目的だった、梅宮伊瀬也が僕を『桜小路才華として認識するか』の問題は達成された。
今の会話の結果を考えれば、事なきを得たと見て間違いない。
これで入学式での問題を一通り解決した。でも、此処からが本番だ。
調査員を説得出来なければ、全てが無駄になってしまう。助けてくれた皆の為にも、頑張らないといけない。
因みに現在才華sideで朝日の入学を知っているのは、壱与と紅葉、そしてエストだけです。パル子とマルキューも知っていますけど、彼女達は『桜の園』に居ないので除外。
壱与と紅葉は最終的に悪い結果にならないと判断して才華達に報告はせず、エストは今回書いた通り入学式での楽しみの為に黙っています(邪笑)。
人物紹介
名称:
詳細:母親が才華の母である桜小路ルナの姉であり、桜小路ルナのことを嫌って一切の交流を絶っていた。才華とアトレの従兄妹にあたるが、二人とは一度も面識がない。と言うよりも二人が帰国した事さえ知らなかった。ただ母親と違って桜小路分家そのものには敵愾心は持っていないが、思うところはあるのでアトレとは距離は取っている。気が強そうに見えるが、実は気が弱く、相手に強く出られると引いてしまう、その本質はMで才華にとっては格好の得物だった。
名称:
詳細:伊瀬也のメイドでスタイルはかなり良い。梅宮家のメイドという事で、桜小路分家のメイドに思うところがある。ただしこれはどちらとも同じである。表情を変えないまま気怠い喋り方をしていることもあってとっつき難く、伊瀬也に対してはドS口調。だけど、実際はドMで才華に理想の主人を見た。