月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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四月編はやっぱり長くなりそうです。

lukoa様、烏瑠様、笹ノ葉様、dist様、獅子満月様、響提督様、誤字報告ありがとうございました!


四月上旬2

side遊星

 

 一体何が起きたんだろうか?

 状況が良く分からない。これまでの僕の行動を思い出してみよう。

 先ずはお父様とりそなと一緒に、車に乗ってフィリア学院にやって来た。うん、問題ない。

 やって来て駐車場で車を降りた。うん、問題ない。

 学院の理事と元天才ファッションデザイナーである二人と一緒に車から降りた事で、駐車場内に居た他の特別編成クラスの人達から視線が集まった。うん、泣きそうになった。女装姿の朝日として僕にいきなり注目が集まって。

 ピアノ科の入学式の挨拶があるからやって来た教員の人に呼ばれたりそなとは其処で別れた。

 ……去る時に見えたいやらしい笑みは忘れよう。

 その後、お父様とカリンさんと一緒にフィリア学院内に移動した。うん、問題は無かった筈。何故か皆僕とお父様に視線を向け続けていたけど、きっとお父様に向いていたと思う。だって、お父様は元天才ファッションデザイナーであの大蔵衣遠なんだから。だから、無名の僕に視線が向く筈が無い。

 フィリア学院内に入って、保護者であるお父様とは其処で別れた。内心では置いて行かないでと泣いていたけど、お父様は笑みを浮かべて去って行った。

 ……うん。酷いよね。入学式に参加するなら、途中まで一緒に行けるのに、僕を平然と置いて行くんだもん。

 しかもわざとらしく娘と言って去って行ったから、ますます周りから注目が集まった。

 おかげで泣きそうになった。メイクが崩れるから泣けなかったけど。

 カリンさんは『難儀ですね』って言って、僕も『難儀なんです』って答えたよ。

 ……何だか、今後もこのやり取りがカリンさんと僕との間で定着しそうで、かなり悲しくなった。

 因みにカリンさんは大蔵家のメイド服を着用している。見た目で考えればフィリア学院の制服を着ても問題なさそうだけど、本人が拒否した。実年齢を考えると、学生の制服は拒否しますよね。

 僕も出来れば男子制服を着たかったけど……着てるのは懐かしきフィリア学院の僕にとっては新しき女子制服。

 うん……泣きそう。泣けないけど。

 その後、緊張しながらもカリンさんを背後に従えて学院内を歩いた。この時点で、僕の中でルナ様への偉大さが更に増した。ルナ様。やはり貴女は偉大で素晴らしきお方です。

 正直言って都合があるとは言え、誰かを従えて歩くのは緊張した。心臓がバクバク言っていたし、女装がバレないかと脅えてもいた。

 どれだけ嘗てのフィリア女学院の中で僕にとってルナ様が、心の拠り所になっていたのか僅かな時間で思い知らされた。今度アメリカに行ったら、ルナ様の頼みを聞いて桜小路家のメイド服を着用しても良いかなと思う。

 そして緊張と不安に包まれながらフィリア学院に入ってからは……地獄だった。

 何でか分からないけど周りの生徒の方々は僕を見てから、固まり何も言葉を発さずにジッと見て来る。

 もしかして女装がバレているのかと不安に思い、下に俯いてしまいそうになる顔を上げているのが辛かった。

 そんな中で、知り合いの人。エストさんに声を掛けられたのは、とても嬉しかった!

 思わず笑顔が浮かんでしまうほどに喜んで、再会を喜び合った。

 その背後に立って、背を向けているフィリア学院の女子制服に身を纏っている相手。間違いなく才華様だとすぐに気がついた。だって、ルナ様と同じ綺麗な白い髪が背に広がっているんだから。

 後ろ姿だけで才華様だとすぐに分かった。

 当然、正体がバレる訳には行かないので、初対面を装って挨拶をしたんだけど。

 その才華様が。

 

「キュ~……」

 

 立ったまま顔を赤くして、目をグルグルにしながら目の前で気絶している。

 ……立ったまま気絶するなんて本当に在ったんだ。じゃなくて!?

 何で気絶しているんですか!? えっ? もしかして今の僕の顔って、気絶するほどに酷いの!?

 だから、さっきまで周りの人達は声も出せずに皆僕を見ていたの!?

 ……は、恥ずかしい! 顔が赤くなってくるのを感じる。何だか周りの人達が騒めいているけど、それも気にならない程に恥ずかしさが込み上げて来た。

 

「あ、あれ? あ、朝陽さん? おーい」

 

 異常に気がついたエストさんが声を掛けているけど、才華様は気絶したままだ。

 ……と言うよりも、朝陽さん?

 まさか……。

 

「あ、あの~、エストさん? 此方の方のお名前は?」

 

「ああ、ごめんなさい。小倉さんは驚くと思うけど、私の従者の名前も、『小倉朝陽』さんって言うの」

 

 選りにも選って、才華様が女装する時に選んだ名前はその名前!?

 じゃあ、銀条さん達が言っていたコクラアサヒさんも、才華様だったの!?

 ……気が遠くなりそう。ただでさえ親子二代で同じ事をして、名前まで同じ『小倉朝陽』。

 覚悟はしていたけど……かなり効いた。アメリカにいる桜小路遊星様が知ったら、僕以上に衝撃を受けると思う。

 ……入学式前でこんな事態になるなんて。

 

「朝陽さん! 朝陽さん!」

 

 エストさんが才華様の両肩を掴んで揺らしている。

 このままだと正体がバレてしまうかも知れない。それは防がなければ。

 

「エストさん。駄目です。どうやら完全に気絶しています」

 

「え~、何で? さっきまで笑顔で周りの人達の歓声を聞いていたのに」

 

 訳が分からないのは僕も同じだ。

 だけど、このまま放置していたら保健室に運ばれて才華様の正体がバレてしまう。

 まさか、入学式が始まる前にこんな事になるなんて!

 

「外傷はありません。本当に気絶しているだけのようですね。何故なのかは分かりませんが」

 

「え~と、貴女は?」

 

「紹介が遅れました。小倉朝日様の付き人のカリン・ボニリン・クロンメリンです。仕事柄軽い診察の類は出来ますので」

 

「カリンさんは、大蔵家に仕えているメイドなんです」

 

 正確に言えば違うんだけど、此処はそうしていた方が良い。

 僕とカリンさんの説明にエストさんは悩んだ顔をした。

 

「でも、どうしよう。もうすぐ入学式が始まるのに、こんな事になるなんて……医務室の場所は分からないし」

 

「でしたら、会場まで運びましょう。会場にはこの学院の教員の方々もいる筈ですから」

 

「えっ? 運ぶって、朝陽さんを?」

 

 カリンさんの提案に、エストさんは顔を曇らせた。

 それは仕方がない。才華様の身長は僕と同じ164㎝。体重もそれなりにあるだろうから、女性が運ぶのはキツイだろう。

 

「だったら、僕が手伝いましょうか?」

 

「俺も手を貸すぜ!」

 

 黒いシャツを着た男性と白いシャツを着崩して着ている金髪碧眼の男性が声を掛けて来た。

 両方とも見覚えがある。事前にりそなから写真を見せて貰っていたので、顔は知っている。

 一人は駿我さんの弟の山県大瑛さんに、大蔵次男家の次男のアンソニーさん(僕はまだ会った事が無い)の息子の大蔵アンソニーJrさんだ。

 

「相手が女性とは言え、入学式の会場まで運ぶのは辛いでしょうから手を貸します」

 

「困っている時はお互い様だ。それにハニーの髪に汚れでも付いたら、我慢出来ないからな!」

 

 二人は善意から提案をしてくれたのだろう。

 だけど、才華様の身体を触られて正体がバレるのだけは防がなければならない。

 

「いいえ。この方が潔癖な方でしたら、後で男性に触られたと知って悲鳴を上げてしまうかも知れません……ですから、私が……運びます!」

 

「運ぶって!?」

 

「ワオッ!」

 

「マジかよ……」

 

 肩に手を回し、両膝の後ろに手を回して僕は才華様を抱き上げた。

 ……思っていたよりも軽い。余り筋肉がついていないのかも知れない。

 ……いや、違う。才華様の身体が軽い原因は其処じゃない。

 良く顔を見てみれば、以前お会いした時よりも明らかにやつれている。この様子だと食事が必要最小限しか取れていなかったのかも知れない。体重が軽いのはそれが原因だ。

 何があったのか分からないけど、もしかしたらかなり心労が溜まっているのかも知れない。

 ……やっぱり、早く『桜の園』に行っておくべきだったと後悔する。

 

「……さあ、行きましょう」

 

「大丈夫なの、小倉さん? そ、その重くない? 朝陽さんに悪いけど、こっちの二人に任せたらどうかな?」

 

「羽みたいに軽いから大丈夫です」

 

「そうなんだ……うん、分かった。二人とも助けようとしてくれてありがとう。だけど、此処は小倉さんの好意に甘えさせて貰うから。それじゃ行きましょう」

 

「はい」

 

「難儀ですね」

 

 驚いている二人を置いて、僕とエストさん、そして才華様の鞄を拾ったカリンさんは入学式の会場に向かって歩き出した。

 

「……素敵」

 

「……こんな光景を見られるなんて……今日は最高の日だわ」

 

「黒い髪の女神が、優しく白い妖精を抱き上げて運ぶなんて……私、この光景を忘れない」

 

「ああ……私、あの黒髪の方に恋をしてしまった」

 

「今年の人気ナンバー1はどちらになるのかしら……お姉様と呼びたい」

 

 何だか背後で色々と言われている声が聞こえているけど、僕は気にしてはいられない。

 だって、才華様の正体がバレるのだけは、何をおいても防がないといけないんだから。

 

「小倉さん。ありがとうね」

 

「気にしないで下さい。前にも言いましたけど、困った時はお互い様ですから」

 

「うぅ、主従揃って小倉さんに助けられるなんて……恥ずかしい」

 

 その件に関しては本当にどうなっているんだろうか?

 エストさんの時は本当に偶然だったけど、才華様は僕の顔を見て気絶した。

 確かに今日フィリア学院で会った事は、事前に此処に僕が来る事を知らなかった才華様からすれば驚きだろう。エストさんもわざわざ僕の事を、才華様に話す事でも無いから黙っていたんだろう。

 

「でも、本当にどうしたんだろう、朝陽さん? 小倉さんの顔を見て気絶するなんて……もしかして小倉さん、何処かで朝陽さんに会った事があるの?」

 

「いえ、初対面です」

 

 嘘ではない。僕が会ったのは桜小路才華様で、小倉朝陽さんとは初対面だ。

 本当に何で気絶なんてしたのか? 

 もしかしたら僕の顔なんて、見たくなかったのかも知れない。

 ちょっと落ち込むけど、これで気が晴れた。やっぱり教室内では、距離を取った方が良さそうだ。

 入学式の会場に入り、空いている席に気絶している才華様を座らせて、改めてカリンさんに診察してもらう。

 会場内にいた生徒の方々から注目されたけど、許して欲しい。

 気絶した才華様が保健室に運ばれて、正体がバレるのだけは防がなければならないんだから。

 だから、お父様。そんなに怖い視線を向けないで下さい。

 離れたところにある保護者席に座っている筈なのに、お父様の力強い視線がヒシヒシと感じられる。状況が許せば、すぐにでもやって来て詰問していたと思う。

 ……入学式前で本当に助かった。

 

「大丈夫です。意識の回復の兆候が出ています。これならば、後数分で目覚めるでしょう」

 

「良かった」

 

「良かったですね、エストさん」

 

「うん……やっぱり、名字で呼ばれるのは辛かったのかな?」

 

「はっ?」

 

「朝陽さんってね。名字で呼ばれると慌てちゃうの。だから、呼ばないように言われていたのに、さっき小倉さんの事を呼ぶのに名字で呼んだから」

 

「それは……困りましたね」

 

 何でそうなっているのか分からないけど、これは困った。

 小倉朝日は今では僕のもう一つの本名だ。大蔵遊星の方は絶対に名乗れないし、大蔵朝日を名乗ろうにも、まだ前当主様からご許可を頂いて無いから名乗るなんて不可能だ。

 この件だけは才華様と後で話すしかなさそうだ。会う度に気絶されたり、名字の方で呼ばれたりして慌てられるのは困る。

 取り敢えず、今は才華様が目覚めるまで隣の席に座って待っていよう。

 エストさんも座りながら心配そうに才華様を見ている。

 ……ちょっと不安だったけど、エストさんと才華様の間にはちゃんと信頼関係が出来ているようだ。

 性別を偽っての関係だけど……やっぱり胸が痛む。

 もしもエストさんが才華様の正体を知った時に、どんな反応するのか考えるだけで胸が痛んだ。

 エストさんがあの八千代さんのように怒りを才華様に向けた時の事を考えると、心が苦しくなる。

 自分の子供じゃないのは分かってる。だけど、この方は。桜小路才華様は、桜小路ルナ様と桜小路遊星様の子供なんだ。

 あの二人の子供が不幸になるなんて、やっぱり辛い。この先どうなるか分からない。

 だけど、どうか桜小路ルナ様と桜小路遊星様のお子である才華様と、その主人であるエスト・ギャラッハ・アーノッツさんに、幸多き学院生活が有らん事を僕は願った。

 

 

 

 

side才華

 

「ハッ!?」

 

 此処は何処!? 僕は誰じゃなくて!?

 な、何が起きた! 気がついたら沢山の椅子が並べられている会場に僕は座っている。

 い、一体何が!? 直前までの記憶が思い出せない!

 

「あっ、気がついた、朝陽さん」

 

「お、お嬢様……あ、あの此処は?」

 

「入学式の会場。朝陽さん、会場に向かう廊下で、急に意識が無くなって立ったまま気絶したんだよ」

 

「……えっ?」

 

 僕が立ったまま気絶した?

 それはまた稀有な事態に見舞われて。いや、そんな事態に僕自身が陥った経緯が思い出せない。

 何かとても嬉しい事と恥ずかしい事が同時に起きたような。

 ……待て、気絶した僕が何故入学式の椅子に座っている? まさか、エストが運んでくれたのだろうか?

 男の僕を?

 

「お、お嬢様!? 一体誰が私を此処に!?」

 

「誰にって……隣に座っている人だから、お礼を言わないと駄目だよ」

 

「と、隣ですか」

 

 だ、誰だろうか?

 今僕が座っている席の位置は、ホール内の前の方で特別編成クラスの席がある前の方。

 つまり、僕の隣に座っている人も特別編成クラスの誰かだ。しかも、気絶した僕を此処に運んでくれたという事は、僕の正体に気がついているかも知れない。

 ……どうしよう? まさか、初日から正体が誰かにバレてしまうなんて! ルミねえ達になんて言ったら!

 いや、それよりも生徒に紛れている調査員に見つけられたかも知れない!

 内心で頭を抱えながらも、僕は隣に顔を向ける。

 其処には。

 

「こんにちは」

 

 ……会いたくて仕方がなかった人がいた。

 ……お、思い出した。

 隣に座っていた人。小倉さんの姿を見た僕は、何があったのか全てを思い出した。

 僕は小倉さんを見て、何があったのか全てを思い出し……恥ずかしさで顔が赤くなって俯いてしまう。

 

「どうされました。まだ、調子が悪いのでしょうか?」

 

「い……いいえ……だ、大丈夫です……た、助けてくれたそうで……あ、ありがとうございました」

 

「気にしないで下さい。困った時はお互い様ですから」

 

「小倉さん。私からも改めてお礼を言います。私の従者を助けてくれてありがとうございました」

 

「エストさんも気にしないで下さい。それに本当なら、調子が悪いのだったら保健室に運ぶべきだったんですけど」

 

「この学院の保健室の場所は残念ながら分かりません。それに保険医も入学式に参列する筈ですから、此方に運んだ方が会えると思いましたので。尤もその必要はありませんでしたが」

 

 小倉さんの席の更に一つ隣に座っているメイド服を着用した小柄な金髪の女性が、説明をしてくれた。

 あのメイド服……大蔵家で使用されているメイド服だった筈だ。という事は彼女は大蔵家の関係者。しかも、メイド服を着ているという事は、特別編成クラスの付き人かも知れない。

 

「あっ、そう言えばまだ自己紹介をしていませんでしたね。此方は私の付き人をしていてくれている」

 

「カリン・ボニリン・クロンメリンです、初日から難儀させられました」

 

 素っ気ない声でカリンという人物は、自己紹介をした。

 ……聞いた事が無い名前だ。少なくとも大蔵本家で彼女を見た事が無い。

 総裁殿が小倉さんの為に用意した付き人かも知れない。

 ……って! それよりも何で小倉さんが此処に!?

 しかも付き人がいるって事は、特別編成クラスに入るって事だよね!? でも、小倉さんの名前は事前の調査の名簿には載っていなかった! なのに、何で!?

 ……いや。僕は知っている。事前調査で調べても意味がない相手が特別編成クラスにいるかも知れない事を。

 まさか……小倉さんは!?

 

「と、ところで……朝陽さん」

 

「な、何でしょうか、お嬢様?」

 

「……私、ちょっと……お、おしっこ」

 

「アイルランド子爵の子女たるお嬢様が、低俗な言葉を使うのはお止め下さい」

 

 目立つのだから発言には気を付けよう。君には誇り高き人物でいて貰わなくてはいけない。

 特に今は小倉さんが隣にいるんだから。この人には僕の主人も立派な人物だと思って貰いたい。

 エストは恥ずかしそうにしながら、会場を出て行った。

 ……待った。僕も一緒に行くべきだったかもしれない。だって、今僕の隣に座っている人は!

 

「お久しぶりです」

 

 小声だけど固い声だった。さっきまでの初対面を装った声ではなく、今この人は僕を……桜小路才華として見ている。

 何と答えたら良いのか分からず、僕はスカートに覆われている膝の上に両手をのせて顔を俯けてしまう。

 

「エストさんと一緒にいるのは何時までですか?」

 

「……ご、午後……8時です」

 

「分かりました。では、その後にお話をしましょう。私の事情もその時にお話ししますので、それまではエストさんの従者としてお願いします」

 

「……は、はい」

 

 ……最悪だ。まさか、こんな事になるなんて。

 いや、小倉さんには会いたかったけど、こんな形で、しかも小倉朝陽としての姿で会いたくなかった。

 恥ずかしく顔が上げられないよ。と言うよりも既に小倉さんに助けて貰った。

 気絶した僕を此処まで運んで……待ってどうやって運んだのだろうか?

 

「あ、あの~」

 

「何でしょうか?」

 

「……ど、どうやって私を……此処まで運んだのでしょうか?」

 

「小倉様が気絶したあなたの肩と膝に手を入れて抱き上げて、此処まで運びました」

 

 それってお姫様抱っこおぉぉぉぉぉっ!?

 は、恥ずかし過ぎる!! 男の僕が女性の小倉さんにお姫様抱っこで運ばれるなんて……僕がしたかった。

 じゃなくて! ウワ~、何をやっているんだ僕は!?

 正体がバレずに済んだのは何よりだけど、これでこの学院内の最初の僕の評価は気絶して入学式会場に運ばれて来た人物という事になった。

 ……最悪だ。せめて身内に見られずに済んだのが何より……。

 

「言い忘れましたが保護者席に大蔵衣遠様が座っています。先ほどから怖い視線を向けているので、何か良い言い訳を考えておいた方が宜しいかと」

 

 ……終わった。

 もうこれで伯父様の中での僕の評価は、かなり悪いものになったと思う。

 ……と言うよりも、このカリンというメイド。僕の正体に気がついているよね。

 いや、下手に誰かに診察されたらその時点で終わっていたから助かったと思うべきだけど。

 もう間違いない。僕が捜そうとしていた調査員は隣にいる小倉さんとカリンに違いない。

 そして伯父様はその事を知っていたのに、今日まで黙っていたと考えた方が良い。かと言って、その件で伯父様を責めるのは無理だ。

 僕の苦手な総裁殿の意向かも知れないし。

 ……思いっきり効きました。これ以上に無いほどに効いて、人生で初めて恥ずかしさと嬉しさで気絶するなんて体験を得られた。

 本気で恥ずかしい! しかも小倉さんにお姫様抱っこされる僕を、多数の人に見られた。

 これからその話も流れるだろうから……入学式初日から僕のフィリア学院生活は、かなりハードなものになった。

 やってくれましたね、総裁殿。このお礼は必ず何時か返して……無理だ。

 小倉さんが総裁殿の側に付いている時点で、僕にはどうやっても勝ち目が無さそう。

 いや、それよりも今は伯父様の方だ。入学式が終わった後に、伯父様はやって来る。小倉朝陽としての僕と伯父様は関係ないけど、きっと教室に来る前に何気なくを装って廊下ですれ違うぐらいはありそうだ。

 と言うよりも伯父様は服飾界で有名な方だから、エストが気がつくかも知れない。

 ……暗くなりそう。

 先日、桜屋敷で伯父様と会った時もかなりきつかった。伯父様のもう一つの顔を知っただけに、何時豹変するかと思って、緊張させられた。

 

 

 

 

「……『伝説の七人』ですか?」

 

「そうだ」

 

 多忙にも関わらず、伯父様は僕を再び桜屋敷に呼び出した。

 連絡があった時は、また何かしてしまったのかとアトレ達と一緒に慌てたけど、どうやら今日は僕への今後の学院生活における注意を伝えに来たらしい。

 

「耳にした事はあります。フィリア学院の創設者のジャン・ピエール・スタンレー氏の下で働いていた天才的な技術職人集団だとか。ただ、その呼び方が……痛々しいですね」

 

「尤もだ。しかしどれだけ呼び名が痛かろうと、彼らの能力は抜群に優れていて、スタンレー……ジャンがデザイナーとして成功しているのもスタッフの力があってこそだ。だが、そのスタッフも今は引退し、現在では現役として活躍している人物は一人しかいない」

 

「その一人がフィリア学院日本校の現総学院長という事ですか?」

 

「その通りだ」

 

 お母様と同じ世界的デザイナーの一人であるジャン・ピエール・スタンレーの開業を支えた『伝説の七人』。

 痛々しい呼び方だが、もうその彼らがジャン・ピエール・スタンレーの下に居たのは、二十年以上昔の話だ。

 その人物を伯父様が知っているという事は……。

 

「奴とは学生時代に机を並べて学んだ仲だ。共に衣装を作り、電光石火の時間を駆け抜け、栄光を手にした喜びを分かちあった。盟友と言っていい。その才能は学生の頃から並ならぬものがあった。デザインは革新的で、色彩の組み合わせの時は緻密な理論の下に計算を行なっていた。自ら引いた型紙は正確無比であり、新しい知識を常に吸収する貪欲さがあった。単純な成績で言えば、当時の我々の中で頭一つ抜けていた」

 

「伯父様が其処まで言う方ですか。それでその方のお名前は?」

 

「奴の名は『ラフォーレ』。嘗て欧州で幾つもの賞を取り、ジャンと共にブランドを立ち上げ、『伝説の七人』筆頭と呼ばれた男だ」

 

「筆頭……ですか」

 

 やっぱり何処か痛い気がする。だけどそんな事に構わず伯父様は話を続けた。

 

「その技術やデザインはさることながら、ラフォーレは現場の指揮を取らせれば、欧州でもトップ5に入る才能を持っていた。デザイナーとして優れていると言えど、衣装制作の流れを把握し、全体に的確な指示を出せる人間は限られる。特に技術者を仕切る上では、使う相手が有能なほど、指示する側にも技術と知識が求められる。それが出来る人間は、ジャンのスタッフの中でも、ラフォーレともう一人しかいなかった。そのもう一人の片割れが引退してからは、ラフォーレが実質的に会社を仕切り、今では副社長を務めている」

 

 日本のフィリア学院の総学院長を務めているだけじゃなくて、世界的デザイナー会社の副社長。

 服飾世界では充分な立ち位置だ。ただ気になるのは……。

 

「任せなければいけないのは分かりますが、経営と現場を一手に握る人物の存在は、トップへ立つ人間にとっては危険とも言えます」

 

「その通り。だがラフォーレがジャンを裏切る可能性は万が一にも無いと言っていい。何故なら奴は、ジャンの下へ付く事でしか、己の心の平穏を保つ事が出来ない為だ」

 

「心の平穏?」

 

 どうやらただの学院生活に関わる話ではなさそうだ。

 最終的には僕の学院生活に関わる事なんだろうけど、それとは別の部分で興味が少し引かれた。

 

「先ほど『単純な成績で言えば我々の中で頭一つ抜けていた』と言ったが、それは主に感覚的な部分に判断基準が置かれる分野の話だ。ラフォーレのデザインの才能は、確かに優れていた。だが我々と同じ学年には、やがて世界で認められるジャンが居り、その才能が描く世界は、数字や計算で作るデザインと比較しえるものでない事は、奴も認めるところだった。衣装全体の完成度は勝り、コンクールでラフォーレが我々の上を行く事はあった。だがデザインという分野においてだけは、奴は卒業するまでジャンの風下の地位に甘んじた。しかし、ジャンの非凡な才能は、ラフォーレ自身も認めているものであって、それ故にジャンと共にブランドを立ち上げる際も、奴は裏方に徹して己の友人をメインデザイナーに据えた」

 

「それだけ聞くと、友情に篤く、出しゃばりもせず、会社全体の事を考えられる立派な人間じゃありませんか?」

 

「その通り。だがそれが奴の不幸の始まりでもあった」

 

 伯父様は足を組み替えた。動作を一つ入れたという事は、此処からが僕にとって本題の話になるという事だろう。

 

「ジャンのブランドと言えど、コレクションに衣装がどうしても間に合わない場面が来れば、メインのデザイナーが口頭でイメージを伝え、サブデザイナーが衣装を描く事もある」

 

「はい。私の両親もブランドを経営していますから、それは良く分かります。未だに全てのデザインを一人でこなしている、私のお母様が超人なだけです」

 

 お母様は一度もサブデザイナーを頼った事が無い。

 全て自分一人でデザインを描いている。それを見てきたから、僕はお母様を尊敬しているんだ。

 

「お前の母親、桜小路は手が早い部類のデザイナーだからだ。尤もそれだけではないがな、ククッ」

 

 何故か伯父様は楽し気だった。

 僕の知らない何かがあるのだろうか?

 だけど、伯父様は話の続きを始めた。

 

「ジャンは才能はずば抜けているものの、発想が浮かぶまで多大な時間を要する事がままある。そんな時にデザインをするのはラフォーレだ。奴はジャンの意思を最もよく理解したと言っていい。限りなく本物に近い作品を、それだけでも並ならぬ才能で描き上げてきた。だが買い手である客には、デザイナーの苦労など関係ないものだ。本当に一見すれば差はないと言っていい。良く出来た服ではある。だが何故か売れるのは、ジャンのデザインした服ばかりだ。何故だか分かるか?」

 

「……いえ、分かりません」

 

 分からない。何故一見すれば差が無いというのに、買い手の人達はラフォーレの作品ではなく、ジャン・ピエール・スタンレーの作品ばかりを選んだのだろう?

 

「答えは作品に込められた意志だ。結局のところ、ジャンの意思を表現出来るのはジャン本人しかいない。ラフォーレはそれでもジャンのデザインに近づこうと弛まぬ努力をし続けた。しかし、内部のスタッフも、顧客も、デザインした服が売れなければその対応は冷えていく。やがて心無い社員や、デザインの見る目の利く人間から、奴の作る服はこう呼ばれるようになった。『あれは劣化したスタンレーのデザインだ』と」

 

 ……この話は、学院生活だけではなく今後、服飾に関わる僕の将来にも関わる話だと理解した。

 何時の間にか膝を強く握っていて、スカートが汗で色を変えていた。

 

「それ以降のラフォーレは『如何にしてジャンの想像する服を生みだすか』でしかデザインを考えられなくなった。それらは決して悪い出来ではなかった。だがジャンの作品ではない以上、そのデザインはどれだけ本物へ近づけても99点にしかならない。それでも奴はひたすらに自分がジャン・ピエール・スタンレーになろうとし続けた……そんな事は不可能だ。ほんの些細な違いが起きるだけで……全てが終わってしまう事もあるのだから」

 

「えっ?」

 

 何だろう?

 今まで、伯父様はラフォーレについて話していた筈だ。なのに、急に他の誰かを意識したように見えた気がした。気のせいかな?

 

「ラフォーレは最初からジャンを意識すべきではなかった。奴自身の才能を持ち得て、ジャンのイメージから己の色を出す事が出来れば、本物を超えたかも知れない。しかしあの男は『敵わない男のデザインの再現』に拘り、それは『天才に限りなく近いデザインを描けるのは己のみ』という歪んだ自負に繋がり、完成する事のない研究に人生を没頭させ……いや、今もしている。超越を放棄し、可能性を放棄し、独創性を放棄し、勝利を放棄し、勝負そのものを放棄し、己すらも放棄した。対等になれた男に自分を重ねる事で、何時までも劣化した本物で在り続けている……その点で言えば、本来の在り方とは違ったとしても、奴が出した答えはまだマシな部類だ」

 

 まただ。伯父様はラフォーレ以外の誰かを意識している。

 つまり、居るんだ。伯父様が関わっている誰かの中に、ラフォーレと似たような悩みを抱えている人物が。

 気にはなるけど、伯父様は多分答えてはくれないと思う。

 恐らく伯父様はその相手を心配しているんだ。ラフォーレと同じようになってしまう事を。

 だから、思わず漏らしてしまっている。やっぱり、伯父様は僕に甘いと感じた。

 

「『本物』は何の救いの手も出さなかったのですか? 友人なのでしょう?」

 

「どうすれば救える? 友情では会社経営は成り立たない。奴がデザインしなければ、時に必要な衣装を完成させられずに、その会社に関わる全ての人間が不幸となる。何よりも今の居場所にいる事を選んだのはラフォーレ自身の意思だ。己の意思は己で選ぶ。それが出来ない男に差し伸べられる救いの手などない。その差し伸べられた手を握るのも、己の意思だからだ」

 

 思わず自分が歩んでいる道を確かめた。

 尊敬する僕のお母様。僕はあの人を超える為。失った足りないものを取り戻す為に日本に戻って来た。

 ……だけど、今の僕の現状を考えたら、本当にお母様を超えられるのかと聞かれたら……自信がない。

 あった筈の自信は、既に紙くず同然になっている。僕はそれだけの事をしてしまったんだから。

 でも、本当にもう少し。あと一歩で何かが掴める気がする。だから、逃げたくはない。

 もう幼い頃のように逃げて目を逸らすのだけは、絶対にしたくなかった。

 

「才華。己の意思ではない足で歩くな。ましてや、己ではない人間になどなるべきではない」

 

 伯父様の忠告は胸に響いた。

 元からそのつもりはないけど、今抱えている不安から逃れる為なら楽な道に逃げたいと思ってしまう。

 だって他人が歩いた道は楽だ。人の通った後なら躓く石も無いから、安全が保障されている。

 だけどその先にある筈の夢も無い。己の道ではないんだから、立ち往生するしかない。

 この忠告をくれた伯父様には感謝したい。もしも忠告がなかったら、今の僕じゃ逃げてしまいそうだったから。

 ……或いは僕を逃がさない為なのかも知れないけど。

 

「ラフォーレは才能を求めている」

 

「えっ?」

 

「奴は心の奥底で、己がジャンになれない事を理解している。だがそれでは己の足で立つ事も叶わない為、優れた才能を育て、第二のジャン、いやそれ以上の天才を人工的に造り上げる夢想をし続けている」

 

 その対象に僕が入るかも知れないという事か。

 困った。ただでさえ悩みが多いというのに、此処に来て総学院長にまで目を付けられる可能性が高いなんて。

 

「今の俺は現総学院長を牽制するだけの発言力を持たない。奴自身、如何に己の足で歩く事を止めたとは言え、俺に匹敵するだけの才能と、業界内での発言力を有している。以前にも言ったが、ラフォーレはあの総裁殿さえ嫌味を言う事しか出来ない程の相手だ」

 

 そう言えばそうでした。

 更に頭が痛くなって来た。最近ストレスのせいなのか、食事が余り取れなくなって来ているのに。

 大切なお母様譲りの髪だけはストレスで痛まないように、ケアだけは何時もより気を使っているけど。

 

「『伝説の七人』には、それぞれの持つ技術や性格を良く表した呼び名が付けられている。奴の呼び名は、『狂信者』。己がジャンを造るという理想の為なら、何をして来るか分からないぞ」

 

「……ありがとうございます、伯父様。忠告を胸に刻んで、学院生活を送って見せます」

 

「そうか。ではな」

 

 伯父様は立ち上がり、応接室から出て行った。

 

「……プハー!」

 

 安堵の息をおもいっきり吐き出した。

 良かった! 今回は伯父様が豹変する事は無かった!

 本当に何時、あの伯父様に変わらないかと怖かったよ! ルミねえ、アトレ、九千代!

 僕一人で頑張ったよ! 『桜の園』に戻ったら誉めて!

 

「そう言えば、聞き忘れていたが」

 

「は、はい! な、なんでしょう!?」

 

 安心したらと思っていたら、伯父様が戻って来た。心臓に悪い。

 

「何故桜屋敷の中までメイド服を着ている?」

 

「このままマンションへ帰りますので」

 

 誉めてくれてもいいですよ、伯父様。

 ……無理だと思いますけど。




因みに才華はりそなの事を疑っていますけど、本人もまさか気絶するほどに驚くとは夢にも思っていませんでした。
話を聞いたら『ハァッ!?』って驚くでしょう。

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