月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
エーテルはりねずみ様、Nekuron様、烏瑠様、lukoa様、笹ノ葉様、秋ウサギ様、誤字報告ありがとうございました!
side才華
改めて式次第の項目を見てみると『総学院長挨拶』の項目があるのを見て、伯父様から受けた注意や、学院の方針なども聞かせて貰ったのを思い出した。
伯父様が言うにはラフォーレ・ハンデルスバンケンは自分すら見失っているらしい。なのに生徒の成績を上げる為に対立を煽って競わせようとは大した発想だ。どんな顔なのか見るのが楽しみだ。
「あれ。何だか小倉さん嬉しそうだけど、どうしたの?」
「実は私、ジャン・ピエール・スタンレーのファンなんです。今日の入学式の挨拶をする総学院長が、その方の関係者だと聞いてどんな言葉が聞けるのか楽しみで」
何時の間にか戻って来たエストが、僕越しに小倉さんと会話をしていた。
嬉しそうな小倉さんの様子に、胸がちょっとムカムカする。下げていた頭を上げて、小倉さんとエストの間に身体を入れた。
「あ、朝陽さん。元気戻った」
「はい。お嬢様。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした、小倉朝陽、復活しました」
エストに伝え終えると、僕はゆっくりと小倉さんに顔を向ける。
良し。見ていても恥ずかしさが込み上げて来ない。ショックが強過ぎたのと、伯父様を思い出せた事で僕は恥ずかしさを克服出来た。
「改めて名乗らせて頂きます。私の名前は小倉朝陽。アイルランドの子爵家の四女。エスト・ギャラッハ・アーノッツ様の付き人です」
「丁寧な自己紹介ありがとうございます。改めて私の方も自己紹介します。私の名前は小倉朝日。こうして同姓同名の方と出会えるなんて、思ってもみませんでした」
「こ、此方こそ……貴女のような綺麗な方と同じ名前だなんて、そ、その……大変嬉しいです!」
「綺麗だなんて……正直自信が無くて。私が歩くと他の方々は黙って遠巻きに見るだけでしたし、エストさん以外に声を掛けてくれる方はいなかったので、私、この学院でやっていけるか心配で仕方がないんです」
……それは貴女が綺麗過ぎて、誰も声を掛けられなかっただけです。
理由が分かっている僕とエストは言葉も出せずに落ち込んでいる小倉さんを見つめた。ただ以前と違って、綺麗だと言われても変な反応をする事はなくなったようだ。
離れてからの数か月で小倉さんの自分に対する意識も変わったのかも知れない。
ただ先ほどの僕に声を掛けて来た二人の男性の事を考えると、小倉さんにもこの先、男の人に声を掛けられるかも知れない。
……ちょっとイラってきた。お父様に似ているこの人が、男性に声を掛けられるのを目にしたくはない。
まぁ、小倉さんが通うのは男性がいない服飾部門だから、目にする機会はないと思うけど。
……待て、そう言えば、小倉さんは何科に通うのだろうか?
僕と同じ事を疑問に思ったのか、エストが小倉さんに質問する。
「そう言えば、小倉さん。貴女は何科に通うんですか? 以前聞いた時は、服飾部門に通うとしか聞いていなかったので」
「あっ、私が通うのはデザイナー科です」
……今の発言で確定だ。
小倉さんとその付き人のカリンが、僕が捜していた調査員。
だけど、小倉さんは味方とは限らない。限りなく味方に近いとしても、この人は今僕がやっている事を心から賛同してはいないと思う。
この人は誰よりも知っている筈なんだから。僕がしている事の失敗してしまった結末を。
何よりも僕はこの人の心の傷を踏み躙ってしまった。本当なら今すぐにでも謝るべきだ。
でも出来ない。今の僕は桜小路家の長男ではなく、エスト・ギャラッハ・アーノッツの付き人の小倉朝陽なんだから。謝罪するのも説明するのも、エストと別れた後だ。
「デザイナー科? 小倉さんは確か型紙が得意だった筈なんじゃ?」
「最初はデザイナーに憧れていたんです。それでお父様に頼んで最後のチャンスと言う形でデザイナー科に」
「そうだったんですか」
違う。この人がデザイナー科に入るのは、エストと僕を調査するという名目があるからだ。
……やっぱり迷惑をかけているのかも知れない。本当はこの人はデザインじゃなくて、型紙の方を専攻したかったのではないのだろうか?
「そろそろ式が始まりますから、静かにしておいた方が宜しいかと」
カリンの忠告に、僕ら三人は黙って席に座り舞台上を見つめる。
式が進んでいくに連れてエストが眠そうにしていたけど、眠る直前に肩を揺すって起こした。
何時もなら抓ったりするけど、流石に式の途中で悲鳴を上げられるのは不味い。ただでさえ僕の件でかなり目立っているんだから。
「それでは次に、日本校総学院長のラフォーレ・ハンデルスバンケン氏より式辞を述べさせて頂きます」
あ、来た!
そう思った瞬間、背後の座席に座っている辺りから、色めきだった鳴き声が聞こえて来た。
まるで小倉さんに会う前に廊下を歩いていた僕に向けられていた時みたいな声だ。
女性しかいない服飾部門でこれだけの声が上がるという事は、それなりに美形という事だろうか? ネット上で画像が無いか調べて見たけど、件の人物の顔は見つからなかった。さて、どんな人物が出て来るのやら。
「こんにちは、日本人」
歳幾つ?
舞台袖から出て来たどう見ても20代相当の男性の姿に驚いた。
伯父様も実年齢に比べたら若く……いや、そう言えば紅葉の例も在るし、お父様とお母様も実年齢を考えると若く見える。僕の知っている人は皆大半実年齢より若く見える。その最大の例が紅葉だから、今更気にする事も無かった。
見たところ、北欧の血が混じってそうだ。僕ほどではないけど、それなりに美形と言っていい。女生徒が騒ぐのも頷ける。そう言えば隣の小倉さんはどうなんだろう?
「あの人が……ジャンの」
真剣な顔をして総学院長の顔を見ていた。
どうやら小倉さんは、彼に他の女性生徒のような感情は持っていないらしい。
内心で安堵感を抱きながら、改めて総学院長に顔を向けてみる。
周りの騒がしい声に不快な様子も見せず、スラリとした長身の総学院長は、笑いながら舞台の先端に立った。
「諸君、入学おめでとう。緊張しているかな? 私は緊張している。昨年はあまり日本へ来られなくてね。日本語を使う機会もそれほどなかったから、今も単語を間違えてないか、皆の表情を見ながら喋ってる。しかし、久しぶりに来たこの国は素晴らしい! 昨日、美味しい和食の店へ行ったんだ。それだけでも日本へ来た甲斐があったと思うよ。さて」
人の事は言えないけど、明らかに外国籍の外見をした学院長は、流暢な日本語ですらすらと喋る。
見た目は鋭く、厳しそうな印象だけど、話の内容はとても親しげだ。思ったよりも良い人なのかも知れない。
「食事は実に素晴らしかったが、残念だったのは日本人の服装だ。歩いている君達の同胞を見て、私はとてもファッショナブルな民族だと感じた。この国に居ては気がつかないかも知れないが、日本人は世界的に見て、とても良い服を着ている。本当だ。海外へ行ってみれば良い。殆どの国の人間が安い生地のシンプルな服を着ているよ。日本人は服装に気を使っている。高い服を何種類も買い、組み合わせのセンスも良い。20年前は十人一色の服を着ていたこの国が、今では一人十色、いや、二十色の服を楽しんでいる。この文化レベルの高さは日本人が誇るべきものだと考えている。だからこそ残念に思ったんだ」
総学院長は蒼い眼と首を動かして、まるで生徒の一人一人と目を合わせるかのように、ホール内のあらゆるものに視線を向けた。
その視線が保護者席の方に移った瞬間、総学院長の顔に明らかな動揺が浮かんだ。
表情が彼の内心を物語っていた。何故此処にと言う感じで、保護者席に悠然と座っている伯父様を見ている。
一瞬だけ険しい視線を伯父様に向けたけど、総学院長はすぐに動揺を治めた。上手くすれば本性が見られるかも知れないと思ったけど、冷静さを取り戻している様子から見て無理だろう。残念だ。
「君達は、初めから平均点を得られるだけの実力を有している。それだけに、あえて0か10かの勝負をしなくても、充分に認められて良いものを生みだす事が出来る。だがその成熟期を迎えた為に、この国のファッション文化の停滞期が訪れてしまっているのかも知れない。そして、それは、今から服飾を学ぶ人間にとっては喜ばしい事なんだ。君達は幸福だ。停滞した流行の中で生まれた天才は、己の時代を築けるのだから」
落ち着いた口調でありながら、夢を語る子供のように単語の一つずつが輝いていた。
これは……なんだろう? 少し暑苦しく感じるけど、はっきり言って総学院長は良い奴じゃないか。
伯父様から聞いた人物像と総裁殿が手を焼いているという事前情報との相違に、軽く戸惑ってしまうほどだ。
もっと分かりやすく頭のおかしな、研究結果しか語らない科学者のような人物かと思っていた。
隣にいるエストは感心したように何度も頷いている。なら隣の小倉さんはどうかなと横目で見てみる。
「良い人だ」
……何だか楽しそうにしていた。
……この人。もしかして人を疑うとか出来ない人なんじゃ? 大丈夫なのかな、調査員の仕事の方。
とは言え、僕も伯父様の情報と忠告が無ければ、易々と良い人に出会ったと考えただろう。
「普段着が好きで、オンリーワンではなく、多くの人が着てくれるというファッションを好む人もいるだろう。それも良いんだ。この国はレベルが高い。数多くの良いデザインを生みだして欲しい。それでも我こそはと思う者は、新しい時代を築くチャレンジをして欲しい。その源にあるのは君達の意思だ。君達に時代を創ろうと思う意思があれば、何時だってそれは簡単な事なんだ」
ん? 今の言葉。何処かで?
「意思だよ、意思。自分でこうだと願う意思。世界だって、時代だって、何時だって変えるのは君達の意思なんだ。意思が希望を生んで、希望が夢を育てる。そして生まれた夢が世界を変えるんだ」
その言葉を美しい笑顔と共に彼が口にした瞬間、多くの生徒が共感を覚えて、誰もが吸い込まれるように学院長へ視線を向けた。
この瞬間に勇気づけられた生徒がいただろう。何となくの気持ちで入学し、奮起を促された生徒がいるかも知れない。何よりも、言った本人はこの上ない愉悦の中にいる筈だ。
僕はハッキリと確信した。総学院長であるあの男、ラフォーレ・ハンデルスバンケンはクロだ。
まだ幼い頃に、同じ言葉を僕はお父様から聞いた事がある。
お父様は『大好きな人の言葉なんだ』と嬉しそうに語り、僕の成長を心から願ってくれた。
僕のお父様の大好きな人は、『ジャン・ピエール・スタンレー』。狂信者と呼ばれる総学院長の信仰対象を考えれば、元は誰が口にした言葉なのか、確かめるまでもなく僕には分かる。
あの日のお父様は、息子の為になればと願い、僕とお父様の大好きな人を間接的に出会わせてくれた。
だけど今壇上に立っている人は、己が己の信仰対象になりきりたいが為だけに、お父様と同じ言葉を口にしている。この場にいる生徒の事なんて、恐らく一人も気にかけていない。自分が良い気分になりたい為だけに、あの言葉を口にしたと僕は思った。
「……違う」
どうやら小倉さんも気がついたようだ。
横目で確認すると、小倉さんは先ほどまでと変わって真剣な表情で総学院長を見ていた。
彼女がどう感じているか分からないけど、少なくとも総学院長には小倉さんも思うところがあったようだ。
彼は式辞を終えるともう一度ホール内を見回し、一瞬だけ僕と目が合った。
それは本当に僅かな時間だったけど、彼は少し目を丸くした後で浮かべた。僅かな温度の上がった攻撃的な笑みを。だけど、すぐに表情を戻して壇上から去って行った。
「目を付けられたようです、難儀ですね」
小倉さんの付き人のメイドのカリンが、小倉さんに忠告している声が聞こえた。
いや、小倉さんを通して僕に忠告したのかも知れない。どうやらこのカリンというメイド。只者ではないようだ。
もしかしたら調査員としての本命は小倉さんじゃなくて、このカリンという人物なのかも知れない。
「ずっと座ってるからお尻痛い」
隣ではエストがお尻の位置をずらしていた。相変わらず度胸のある人だ。
面白くて見逃してしまいそうになるけど結局、もぞもぞするのは貴族らしくありませんと小声で注意した。
これで残るは新入生代表と講師の紹介だけ……いや、僕にとってはもっと恐ろしいイベントが待っている。
やって来るだろう、伯父様との邂逅。
一気に気が滅入って来た。もしかしたら総裁殿も来そうだけど、あの人はピアノ科の入学式の挨拶があるから、教室に行けば大丈夫だと思う。
……ん?
壇上に目を戻してみると、見た事のある顔の女性が立っていた。
制服は改造しているけど、あそこに立っているという事は、彼女はフィリア学院服飾部門の生徒という事で……何であの人が?
「あれ? あそこに立っているのはハルコさんじゃない?」
「そう、ですね。私の見間違いかと思いましたが、お嬢様の目にもそう見えるということは、間違いないでしょう」
「あ、お二人ともやっぱり銀条さんとお知り合いだったんですね」
「小倉さんも彼女の事を?」
「はい。偶然フィリア学院の校舎を見に来た時に出会いまして。その時に銀条さんが言っていた小倉朝陽さんが、まさか朝陽さんだとは思っていませんでしたけど」
「ハハッ」
乾いた笑い声が少し漏れてしまった。
すいません、小倉さん。目立ちたくない貴女からすれば、名前が広がるのは嫌ですよね。
申し訳ない気持ちで一杯だけど、もう名前を変えるのは無理です。本当にすいません。
「新入生代表、宣誓」
僕らが小声で会話をしている間に、紅葉が式を進行させた。
新入生代表という事は、入試で最も成績が良かった生徒が銀条春心さん?
「はい!」
銀条さんは手を上げて勢いで返事をすると、カーディガンのポケットをごそごそと探った。
次にスカートのポケットの中を探った。セーターの胸の中も覗いてみた。しまいにはお尻をパンパンした。
明らかに用意した原稿用紙を忘れていた。彼女が笑いながら顔を青くしたまま数秒が過ぎた。この上なく居たたまれなくなる数秒間だった。見ている此方の胸が痛くなるほどだった。
やがて舞台脇から『何か! 言って!』と促す紅葉の熱い声援を受けて、銀条さんは意を決したように前を見た。明らかに汗をかいていると分かる手の平で、マイクをぎゅっと強く握った。
「歌います! 入学おめでとぉーう 負けーないーわーたしたちーいっぱい服を作るからぁー 学院長先生、かっこ良かったでぇーすねぇー! わたしたちーはー、三年間服を作り続ける事をちかいまあーすぅー! 原稿用紙席にわすれてえーえー、ごーめんなーさーいー」
side遊星
銀条さんの歌が終わり、講師の紹介も終わり、入学式は終わった。
式が終わると僕とカリンさんは席から立ち上がり、隣に座っていた才華様とエストさんと一緒に会場の外に出た。
急いで二人から離れないといけない。だって、僕が一緒に居たら……。
「ククッ、初日から中々愉快な事をしたようだな、我が娘」
……来てしまった。絶対に来るとは思っていたけど、やっぱり来ましたね、お父様。
「小倉さんのお父様ですか?」
「その通り。小倉朝日の父親、大蔵衣遠だ」
「大蔵衣遠!? あの有名な!?」
エストさんもお父様の事は知っているらしい。当たり前と言えば、当たり前だ。
お父様はあの大蔵家の一員としても有名な方だし、服飾界で元天才デザイナーのお父様の事を知らない人はいない。
「アレ? でも、名字が?」
「家庭の事情で、娘はまだ大蔵の名字を名乗れないだけの事。だが、既に大蔵家の大半に認められているので大蔵を名乗るのはそう遠くはない」
お父様は悠然と語るようにエストさんに説明した。
……出来れば、もう少し声を小さくしてほしい。まだ、周りには教室に向かう生徒がいるから注目を集めてしまう。とことんまで僕に平穏な学院生活を送らせる気はないんですね、お父様。
「あ、失礼しました。私はエスト・ギャラッハ・アーノッツ。アイルランドの子爵家の娘です。それで此方が、私の従者の」
「こ、小倉朝陽と申します。ご、ご息女様には恥ずかしい思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした!」
「私からも謝罪とお礼を述べさせて貰います。大事な入学式だというのに、ご迷惑をおかけしてすいませんでした。そして助けて頂きありがとうございます」
「確かに最初は何事かと思ったが、これはこれで我が娘に注目が集まるので見逃すとしよう。どうにもこの俺の娘でありながら、余り目立とうとしなくて困っていた。それがこのような形でとは言え晴れやかな始まりを得られて喜んでいる」
頭を下げるエストさんと才華さんを、お父様は上から見下ろすようにしながら謝罪を受け入れた。
事情を知っているのに、この人はと思わないでもないけど、これが僕の知っているお父様だと安堵に似た気持ちも得てしまうから困る。
「それで娘。一体どのような経緯で、あのような事態になった?」
「はい。私がエストさんの従者の方とお会いした時に、急に気絶されてしまったので」
「何? 会ったら気絶しただと?」
「本当です。私も見ていました。小倉さんは何もしていません」
「……何故、そのような事になった?」
お父様は顔を赤くしている才華様を睨むように質問した。
ルナ様と同じ白い肌だから、恥ずかしがっているのがすぐに分かる。才華様はお父様を尊敬しているから、醜態を晒してしまった事を恥じているのかも知れない。
「そ、その……緊張で思わず」
「えっ? 緊張? 直前まであれだけちやほやされて喜んでいたのに」
首を傾げているエストさんの姿に、僕は疑問を抱いた。
才華様が気絶したのは緊張じゃない? じゃあ、一体何だったのだろうか?
てっきり身体を抱き上げた時の軽さから、ストレスから来る緊張で気絶したのだと思っていたんだけど。
お父様は才華様の言葉と様子を吟味するようにしながら、才華様を見つめる。
「……まぁ、良い。初日から我が娘に縁が出来たと考えれば良い事だ。では、時間もあるだろうからこれで失礼する」
お父様は僕らの前から去って行った。
今の才華様の説明で納得したとは思えないから、後でまた僕に尋ねられそうだ。とは言っても、僕にはさっきまでの説明しか出来ないんだけど。
……とにかく、今は僕にも急がないといけない事がある。
「あっ、私、ちょっと行くところがあるので」
「えっ? 教室が一緒なんだから、一緒に行かないの?」
「行く前にどうしても会いたい人がいますから。申し訳ありませんが、失礼します」
僕はカリンさんを伴って、エストさんと才華様と別れた。
名残惜しそうに二人は僕を見ているけど、どうしても教室に行く前に会わないと行けない人がいる。
廊下を行き交う人の間を抜けながら、僕は入学式の会場で見たあの人を探す。
本当なら教室にエストさんと才華様に一緒に向かって、これから一年間共に学ぶ人達の顔が見たかったけど、今は何よりも優先しないといけない事がある。
……居た。あの人がりそなが言っていた人に違いない。
急いで挨拶をしておかないと。
「こんにちは」
「ひゃっ!」
僕の探していた人、樅山紅葉さんは驚いた。
この様子から見て、間違いなくこの人は『小倉朝日』の事を知っているようだ。
「初めまして樅山先生。小倉朝日と申します」
「こ、此方こそ初めまして……え~と、その貴方は……本当に?」
どうやら僕の事情を彼女は知っているようだ。
頷いた僕に、樅山さんは廊下では話せないと考えて誰もいないサロンに案内してくれた。
そのまま鍵をかけて、誰も入って来れないようにしてくれる。
「事情はご存知のようですが、改めて名乗らせて頂きます。僕の名前は大蔵遊星です」
「ほ、本当にだ、旦那様」
「其方は桜小路遊星様の方です。僕はあの方とは別人です」
「そ、それは分かります。旦那様がこんなに若い訳がありませんから。いよいよから聞いた時は驚きましたけど……いえ、こうして本人を前にしても信じられない気持ちはまだ残っています」
「混乱させてすいません。教室で会えば、動揺すると思っていましたから、先にこうして会いに来させて貰いました。それと紹介します。僕の付き人兼」
「調査員の一人、カリン・ボニリン・クロンメリンです。早速ですが、一つ確認させて頂きます。桜小路才華様方に、特別編成クラスの名簿を流しましたね?」
「す、すみません!!」
「……やはりですか。本来なら貴女が桜小路のご子息の方々に流した情報の件も調査対象となりますが」
「カ、カリンさん! 脅かさないであげて下さい」
脅える樅山さんの姿に、僕は庇うように口を出してしまった。
だけど、カリンさんは真剣な顔をして樅山さんと僕を見つめる。
「彼女を庇いたい気持ちは分かりますが、本来なら情報漏洩は重い罪になります。確かに彼女が渡した情報は調べれば分かる事だとしても、桜小路才華様が為されている事は犯罪行為に繋がりますから、彼女は共犯という立場に置かれます」
「そ、それは……その通りですけど」
其処を言われると何も言う事が出来ない。
才華様がやっている事は、間違いなく犯罪行為なのだから。樅山さんがした事は間違いなく共犯となる行為だ。
同じ事をした僕には何も言えないけど、カリンさんは言う事が出来るので樅山さんに注意する。
「元の仕えていた屋敷のご子息だとしても、本来は見過ごす事は出来ません。今回は理事長も事前に知っていて御咎めは無しと決定が出ています。なので罰はありませんが、今後は注意して下さい」
「ご、ごめんなさい」
樅山さんは泣きそうな声を上げて、床に膝を突いた。
……この人。一体本当の年齢は何歳なんだろう? どう見ても十代にしか見えないんだけど。
でも、『小倉朝日』がいた頃に仕えていたんだから、最低でも三十代は行っていると思う。
女性に年齢を聞くのはいけない事だから、聞かないけどね。
「そ、それで、え~と」
「名前を呼ぶ時は、小倉朝日の方でお願いします。僕の戸籍は今のところそうなっていますから」
「……分かりました。それで小倉さんはどうしてこの学院に? いえ、調査員の事は若達から聞いて知っていましたけど」
「はい、実は」
僕は樅山さんに手短に学院に通う経緯を説明した。
余り時間は無いから、本当に経緯だけだったんだけど、聞き終えた樅山さんは僕の手を握った。
「いよいよが言った通りでした。やっぱり小倉さんは、世界が違っても変わらない優しい方ですね」
「いえ、違います。僕は桜小路遊星様とは違うんです。あの方は成し遂げられた。僕は何も成し遂げられなかった」
それだけは確かなんだ。僕はあの方じゃない。
あの方として見て欲しくない。まだ駄目なんだ。僕を通してあの方が見られる視線は……やっぱり辛い。
察してくれたのか、樅山さんは申し訳なさそうな顔をした。
「……すみません。いよいよに言われていたのに、貴方と旦那様を同じように見てしまって」
「……この話は止めましょう。とにかく、僕とカリンさんは今のところ才華様の正体を明かそうとは思っていません」
「明かせば、その被害は他のところにまで及んでしまう難儀な状況ですからね。理事長もその件を考えて見逃しています」
「……あの、もしも状況が最悪に変わった場合は、若はどうなるんですか?」
「才華様の学院の追放も僕とカリンさんは考えています」
樅山さんは僕の発言に息を呑んだ。
あくまでこの手段は最悪の事態になったらだけど、たとえ恨まれても最悪の事態になったのならば僕は才華様を学院から追放する。
才華様を大切に思っている桜小路遊星様には恩を仇で返すようで心苦しいけど、やらざるを得ない状況になったら僕はやる覚悟を決めている。
「勿論、この手段は使いたくはありません。ですが、これだけは納得して貰いたいんです。才華様を樅山さんが大切に思っている事は分かりますけど、事はもう個人レベルの問題では済まない程になっています」
「現在のところ、理事長の説得で前当主様はご納得されています。このまま調査員として実績も上げて、エスト・ギャラッハ・アーノッツ様には何の問題も無いという判断が、完全に信用されれば危機は回避出来るでしょう。その後に桜小路才華様がミスを犯さず、理事長が納得される結果を出せば、来年以降も女装してですが、通わせる事を許可されるそうです」
「本当ですか!?」
「ええ、本当です……女装してですけど」
「あっ……」
落ち込んでいる僕の姿に、察してくれたのか樅山さんは申し訳なさそうな声を出した。
調査の結果次第では、共学化の可能性もあるけどこれはかなり望み薄だと思う。あれだけの女生徒の中に、男子が入るのはかなり勇気がいる。
僕と才華様は女装して入って来たけど、男子として入るんだったら別の勇気は確実に必要だ。
「そう言えば、小倉さんはどうなるんですか? 若は分かりますけど、小倉さんもその……」
樅山さんの言いたい事は良く分かる。
才華様と同じように僕も女装してフィリア学院に来ている。だけど、僕と才華様では決定的に違う点がある。
受け入れたくなかったけど、受け入れざるを得ない名分が僕にはある。
「……僕、スイス国籍を得ていて、あっちでは女性として認知されているんです。その……『小倉朝日』がいた頃に桜屋敷に居たのならば知っていると思いますけど、サーシャさんと私は今同じ立場に居ます。つまり男性だとバレても、あっちの事情を話せば法的には何の問題もないらしいです」
「……ああ、そういう事ですか」
サーシャさんの事情を知っているのか樅山さんは引き攣った笑みを浮かべた。
気持ちは分かります。桜小路遊星様にもその件を話したら、凄く落ち込んでいたから。もう後戻りは出来ないので、僕は諦めに近い状態だけど。
「とにかく、これでこの教師との話は終わりました」
冷静なカリンさんが羨ましい。
確かにそろそろ教室に行かないと不味い。急いで向かわないと、才華様とエストさんが心配するかも知れない。
樅山さんも教室に向かわないといけないだろう。
「それでは樅山先生。今日から宜しくお願いします」
「はい。変な感じですけど、此方こそ宜しくお願いします」
僕と樅山さんは握手を交わした。
これでりそなが言っていた方の問題は解決した。後は一般クラスの方の人だけど、今日はもう時間がない。
また後日会おうと考えて、樅山さんと別れて僕はカリンさんと一緒に教室に急いで向かった。
「ねえ、其処の黒髪の日本人。貴女、特別編成クラスのデザイナー科の教室を知らない?」
最後に出て来たのは、何処のフランス人なんでしょうかね。
因みに朝日が入学式を楽しんでいたのは、何処かのお兄様がやった公開処刑がトラウマになっているので、普通の入学式が嬉しかったからです。ラフォーレの言葉を聞いて、ジャンが言った時の印象の違いとかは感じてます。
後才華は恥ずかしさを克服出来ていません。一時的に嫉妬で忘れているだけなので、冷静になったり朝日と別れた後に再会するとぶり返します。