月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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一日が長いです。
しかもまだまだ続きそうで、このまま行くと一日で十話行きそうですけど、どうかお付き合い下さい。

後一部分変なルビが振られている箇所がありますが、これは原作の形を表現しているので誤りではありません。

秋ウサギ様、笹ノ葉様、Nekuron様、烏瑠様、獅子満月様、にょんギツネ様、dist様、誤字報告ありがとうございました!


四月上旬4

side才華

 

「ねぇ、見てあの方……素敵ね」

 

「やっぱり、私達と同じ、特別編成クラスの方だったんだ……じゃあ、もしかしてあの黒い髪の方もこのクラスにいらっしゃるのかしら?」

 

「私、あの場面を見ちゃったの。意識を失ったあの方を、颯爽と力強く入学式会場まで運んだ黒髪のお姉様」

 

「噂ではあの大蔵衣遠の娘らしいわよ」

 

「あの華麗なる一族の!? ……だから、あんなに華麗だったのね。私も抱かれて運ばれてみたい」

 

「しっかり噂になってるね」

 

「のようですね」

 

 まだ担任の紅葉が来ていない教室で、僕とエストはちらちらと遠くから視線を浴びせられていた。

 予想通り、僕が気絶して運ばれた事実はフィリア学院中に知られているようだ。何せ別の科に居るアトレとルミねえから、メールで心配の声が届いて来たから。

 取り敢えず、『調査員発見』とだけ送っておいた。まさか、小倉さんと再会して嬉しさと恥ずかしさで気絶したなんて言いたくない。いや、結局言わないといけないんだけど、もう少し心が落ち着いてから言いたい。

 でも、少なくともクラスの中で奇異の視線を向けて来る人は今のところいないようだ。

 それだけは助かった。これでエストにまで奇異の視線を向けられたらと思うと、申し訳なさで罪悪感が更に募る。

 今のところ、僕らに声を掛けないのは、海外の人間だと思われているからのようだ。

 実際、エストはアイルランド人だし、遠巻きにいる女生徒の間から僕に視線を向けつつ『ロシア?』と言う声が聞こえて来る。

 日本人だよ。クォーターなんだ。声を掛けたいけれど、エストの許可なしで勝手に僕が動くのはいけない。ただでさえ醜態を晒して迷惑をかけているんだから。

 当のエストは、小倉さんの事を隠していたのを反省したのか、申し訳なさそうな顔をしている。

 君が悪い訳じゃない。こんな事だったら、『桜の園』で小倉さんの話をした時に、僕が捜している人かも知れないと言っておくべきだった。それだったらエストもこんな悪戯をしなかっただろうし。

 しかし、このまま放っておくわけにはいかない。既にクラス内でグループのようなものが出来始めている。

 ある程度の富裕層にある家同士、顔を合わせた事のある相手が見付かれば、その子達はすぐに仲良くなっている。だけど、僕達は二人ともアメリカに居たから、今は教室に居ない小倉さん以外は初対面と言っていい。

 他に誰か一度でも話した事がある人は……居た。

 梅宮伊瀬也とメイドの大津賀かぐやのメイド主従。入学式の会場でも、確か周囲の生徒と話していたのを少し見た気がする。見渡す限り、どうやら彼女はこの教室の中で、ヒエラルキーの上の方にいる存在のようだ。

 

「噂には聞いていたけど、ラフォーレ総学院長のカッコ良さはすこぶる尋常じゃなかったねえ……まるでモデル……うぅん、すこぶる映画俳優みたい」

 

「そう? 温井さんって海外の人が好きなの? 私は余りタイプじゃない。やっぱり日本人が良いじゃない? 遊佐さんはどう?」

 

「ええー、あの美形でも駄目なの? 流石梅宮さん、贅沢なんだから! だったら後でこっそり別の棟へ行ってみる? 恐らくカッコ良い男子がいるかも」

 

「でも梅宮さんと一緒に行ったら、男の子達もすこぶる梅宮さんに釘付けになっちゃうかもね?」

 

「梅宮さんは美人だもん、恐らく人気になると思う」

 

 梅宮伊瀬也を中心に数人が集まっている。何故中心が彼女なのかと言うと、梅宮伊瀬也は席に座っていて、他の同級生達は立ったまま話をしてるからだ。

 

「お嬢様。あそこに梅宮のお嬢様がいらっしゃいます」

 

「本当だ。お友達が沢山いるね。私達の周りにはいないね」

 

「では此方から飛び込みましょう。周りに人がいないのだから、自分達から声を掛けるしかありません」

 

「……大丈夫なの?」

 

「はい、もう大丈夫です」

 

 小倉さんが来る前に、少しでもエストの交友関係を広げておきたい。

 ……どうやら、僕は勘違いしていたみたいだ。僕はまだ羞恥心を克服出来ていない。入学式の時は、羞恥心が限界を超えていたから感じなかっただけで、落ち着いて来た今だと小倉さんに会ったらまた恥ずかしさが込み上げて来そうだ。

 そうなる前に、何とかしたい。

 僕の様子に考え込むような表情をエストはしたが、意を決したのか椅子から立ち上がった。

 

「少し心細かったし、良いかも知れない。うん、そうしよう。ただ、梅宮さんの席は窓際の方にあるけど、太陽の光は大丈夫?」

 

「はい、陰になっている場所を歩くようにします。ありがとうございます、お優しきエスト」

 

 僕もエストに次いで席を立つと、遠巻きに見ていた同級生達が『きゃあ』と声を上げた。

 可愛らしかったので、手を小さく振った。また、きゃあと歓声が聞こえた気がする。

 こんな感じは居心地良いんだけど……小倉さんが来ると恥ずかしくて委縮してしまう気がする。

 

「あ、紹介しておくね、このメイドが私の付き人、四つも歳が上なんだけど」

 

「は、初めまして梅宮様。お初にお目にかかります」

 

「こっちのメイドが私の付き人ね。ちょっと鈍いところがあるけど許してね」

 

「宜しくお願いいたします、梅宮様。どうか仲良くして下さい」

 

「二人とも宜しくね。別に、そんな緊張しなくて良いから。私、割と自分がフランクな方だと思ってるんだ。ねえ、大津賀さん」

 

「そうですねー……え、そう?」

 

「あの、大津賀さん。姉小路と申します。宜しくお願いいたします」

 

「三木です。メイドとしてはまだ日が浅いので、失礼な対応があればご容赦いただければと……」

 

「失礼な対応がないようにすればー……良いんじゃないでしょうかー」

 

「は、はい! ごめんなさい!」

 

「もう、大津賀さん。背が高い上に表情を変えないから怖がられていない? ごめんね、この人、少しとっつき難いかも知れないけど、根は良い人だから。仲良くしてね」

 

「メイドにまで優しいなんて、流石梅宮さん。キリっとして、はきはき喋って、すこぶる家柄もいいし。すこぶるたよりになる!」

 

「クラスの委員長も梅宮さんに任せればバッチリだね! 私も頼りにしちゃう!」

 

「頼りになる事なんてないよ。そんな、それほどでも……」

 

「お話し中すみません。ご挨拶しても良いでしょうか?」

 

「ひゃうっ!」

 

 背後から声を掛けると、梅宮伊瀬也は飛び上がるように悲鳴を上げた。少し驚き過ぎだ。

 

「あ、小倉、朝陽さん」

 

 大津賀かぐやは僕の姿を見て、目を輝かせている。

 他の梅宮伊瀬也の周りに居た女生徒達も、漸く僕の存在に気がついた。

 

「え、このすこぶる美人。今朝見かけた髪の白い」

 

「恐らくそうだと思う。同じ教室にいたんだ。ずっと梅宮さんと話していたから気付かなかった」

 

「もしかしたら、もう一人の黒い髪のすこぶる美人もいるんじゃ!」

 

「あの人ね! 私も見たけど、白い髪の子を颯爽と連れて来た姿は凛々しかったわ。でも、居ないみたいね」

 

「すこぶる残念」

 

 僕が気絶して運ばれたのを知っているのか、梅宮伊瀬也の周りに居た女生徒達は小倉さんが教室内に居ないか見回している。

 あの人もデザイナー科だから後で会えるよ。でも、やっぱり印象の強さは僕よりも小倉さんの方が強いようだ。

 ……ちょっと複雑だけど、その辺りは今後の僕の行動次第で変わる筈だ。余りに注目され過ぎて性別がバレるのは不味いし、八日堂朔莉みたいなストーカーが現れるのも困るので今のところは我慢しよう。

 

「お、驚いた。おはよう。突然背後から声を掛けないで、驚いちゃうでしょ」

 

 驚いたのか、驚いちゃうのかどっちなんだ。

 何故か梅宮伊瀬也は僕に向かって両手を構えながら後退りした。もしかして僕、彼女に怖がられてる?

 この前『桜の園』で会った時に虐めすぎたかな。

 でも、彼女もアトレに嫌味に近い事を言っていたし。何よりそんな態度を取られると、つい相手を追い詰めたくなってしまうが僕の悪癖だ。小倉さんも居ない今の内にと思い、太陽光が当たらない付近まで前へ出た。

 

「きゃっ!」

 

「せっかく同じ教室なので、ご挨拶だけでもしておこうかと」

 

「わ、分かったから、余り距離をつめないで。貴女に顔を近づけられると、何だか恥ずかしいから!」

 

「私も宜しくね、梅宮さん、大津賀さんも」

 

「はい、よろしくーお願いします。それと出来れば朝陽さんには犬と呼んでいただくのもー宜しくお願いします」

 

 主人の梅宮伊瀬也は怯えて、従者の大津賀かぐやは屈服してる。面白いな、このドM主従。

 

「あ、そう言えば、思い出したけど、貴女大丈夫なの? 入学式の時に気絶して運ばれて来たけど」

 

 見られてたのか。いや、無理も無いけど。

 

「ええ、大丈夫です。少々貧血だったみたいで」

 

「貧血?」

 

 エストが僕の発言に首を傾げている。

 現場見ている君には違うと分かるだろうけど、此処は貧血という事にしておいてくれ。

 

「運んで来た黒髪の人も、保健室に運んであげれば良かったのに。もしも何か体に問題があったら、危なかったかもしれないのに」

 

「いえ、あの方は保健室の場所が分からなかったので、講師の方々がいる入学式会場に連れて来てくれたのです」

 

「そうなの?」

 

「はい。私もその件は納得しました。実際、私も保健室の場所なんて分かりませんし、ウッカリ男性に運ばれている時に、朝陽さんが目を覚ましたら驚くでしょうから、運んでくれたあの人には感謝しています」

 

「……まぁ、そうかも。私も目が覚めていきなり男性に運ばれていたら驚いて暴れちゃうかも」

 

 エストの説明に、梅宮伊瀬也は納得したように頷いた。

 良かった。小倉さんが保健室に運ばなかったのは、僕の正体をバレないようにする為だったから。その件は本当に感謝しかない。

 ……気絶した原因が小倉さんにある事は置いておくとして。

 少なくともこれで梅宮伊瀬也にあった小倉さんへの不信感は消えたと思う。

 

「梅宮さん。彼女達はご友人なのですか?」

 

「友達って言うか、同じマンションに住んでて。話した事は一度しか無いよ」

 

「私は海外から来たばかりで、知り合いなんて殆ど居ないの。あの人以外に一度でも話した事のある人がいてくれて良かった。ありがとう」

 

 エストは時々敬語が抜ける時がある。気安い関係だったらこのままの喋り方の方が良いけど、この特別編成クラスの教室だと敬語を徹底させた方が良いだろうか?

 

「まあ海外から来て、日本人の中に一人だけだと不安になるかな? なるかもね。まあ、なるよ……アレ? 私以外にも居るの、貴女が知っている人?」

 

「はい。まだ教室に来ていませんけど、朝陽さんを助けてくれた人もこの教室の生徒です」

 

「まぁ、それって!?」

 

「あの黒い髪のすこぶる美人も同じ教室って事!?」

 

「素敵! 白と黒のお姉様が同じ教室に居るなんて!」

 

 告げられた事実に、梅宮伊瀬也の周りに居た女生徒だけではなく、聞き耳を立てていた他の女生徒達も騒ぎ出した。

 梅宮伊瀬也も驚いたように目を丸くしている。

 

「……確かその人って、あの大蔵家の関係者なのよね。入学式が終わった後に何かそんな話が聞こえたし……後で挨拶だけはしておかないと」

 

 桜小路本家と伯父様には繋がりがあるから、分家の梅宮家も無関係とは言えない。

 小倉さん本人は伯父様の実の娘じゃないけど、大蔵家の血を引いているのは確かだから。

 ……大変そうだな、小倉さん。あの人、見た目は確かにお嬢様だけど、この前まで使用人をやっていたから環境の変化で疲れそうだ。

 もしかしたら、それが嫌でギリギリまで来ないつもりなのかも知れない。

 

「このクラスって、何だか凄そう。確か小耳に挟んだ情報によると、この教室にはもう一人外国人がいるって話だし」

 

「そうなんですか!?」

 

 あれ、エストが嬉しそうだ。普段からニコニコしているけれど、此処まで嬉しそうなのは珍しいかも知れない。

 この反応を見る限り、やっぱり朝から普通に喋っているように見えたけど、留学生として不安を微妙に感じていたのかも知れない。良く思い出してみれば、エストは僕と違って『桜の園』で親しくなったルミねえ達とも会っていないし。

 小倉さんを探していたのも、僕を驚かすだけじゃなくて、知っている相手が同じ服飾部門にいる事を確認したかったのもあるのかも知れない。ちょっと反省だ。もう少しエストの気持ちにも気を付けておくべきだった。

 

「何処の国の方だか分かりますか?」

 

「それがフランスとかなんとか? 結構な大物みたい。向こうでは幾つかのコンクールで賞を取っている、実績のある人だって」

 

「大物ですか。気になるのは、彼女がフランス人だとすれば、フィリア学院にはパリ本校がある筈なのに、どうして日本校を選んだのでしょうね? 幾つかの賞を取っているほどなら、パリでも充分通じるでしょうし」

 

 アメリカで賞を取っていながら、日本校を選んだ僕が言えた事じゃないけど。

 もしかしたらその相手も、僕のように事情があるかも知れない。

 

「さあ、其処までは私も分からないよ。でもまだ教室内には来てない……」

 

「皆さん、席に着いて下さい。それでは最初のHRを始めます」

 

 話の途中で担任こと紅葉が来てしまった。仕方がないので、僕達は解散して自分の席に着く。

 それにしても、こうして担任としての紅葉を見ても小さくて若い。周りの同級生達が『担任?』、『生徒じゃなくて?』と口々に囁いている。

 紅葉は僕の身体の事情を知っているので『この従者さんは健康上の理由で直射日光に当てられません』と説明して、陰になっている席へ移動させてくれた。

 暗い席に付き合わせてしまうエストには申し訳ない。小声で謝罪をすると、彼女らしく『謝る必要なんてないよ』と言ってくれた。ありがとう、誇り高きエスト。君の優しさを得られて嬉しいよ。

 ……本当は僕には、そんな資格なんて無いのに。

 そして安全な席に座った僕は、改めて紅葉が立つ教壇の方を見てみる。

 あれ? 何だか紅葉の顔が少し青くなっているような。

 

「あ、それじゃあお互いの事を良く知る為に、自己紹介から始めましょう。あれ、でもまだ全員揃っていない?」

 

 あ、そう言えば小倉さんとその付き人のカリンがまだ来ていない。

 梅宮伊瀬也が言っていた留学生もいない。一体何処にと思ったら、教室の扉が開いた。

 

「す、すみません! 遅れました!」

 

「黒い子。私の教室は此処なの?」

 

 開いた扉から慌てた様子の小倉さんと、紅葉よりも背の低い少女が教室内に入って来た。

 ……あの人は一体何をしていたんだろう?

 

 

 

 

side遊星

 

 ち、沈黙が辛い。思いっきり目立ってしまった事を自覚する。

 教室内に入ったと同時に向けられた同級生達の視線に、内心で怯えながら僕は教壇に立つ樅山さんに頭を下げる。 

 

「樅山先生。遅れてすみません」

 

「小倉さんに、もしかしてジャスティーヌさん? ちょうど今からHRを始めるところだよ」

 

 ああ、やっぱり遅くなっていた。

 時間が無いのは分かっていたけど、教室に向かう途中で会った『ジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェ』さんの離れてしまった付き人を探していたら時間が思ったよりも掛かってしまった。もう時間が無いと思ってカリンさんに捜索の方は任せて、僕はジャスティーヌさんと教室にやって来た。

 マイペースなジャスティーヌさんにはちょっと困らせられたけど。同じ気分屋のりそなを知っているから、何とか対応出来た。

 とにかく遅れてしまったのは事実なので、僕は樅山さんに頭を下げる。調査員と言う立場は持っているけど、普段の僕は生徒なので、学院内での上下関係では樅山さんの方が上だから頭を下げた。

 だけど、ジャスティーヌさんは……。

 

「小っちゃ! 貴女生徒? 私と同じ制服を着なくて良いの?」

 

 樅山さんの容姿を見て、生徒と勘違いしていた。

 ……気持ちは分かるけど、此処は否定しておこう。

 

「ジャスティーヌさん。此方の方はこの学院の講師の方です」

 

「そうです! 私はこのクラスを受けもつ講師の樅山です。貴女の担任でもあります」

 

「貴女先生? 小っちゃ! 日本人って大人になると背が縮むの? おもしろーい!!」

 

 ケラケラとジャスティーヌさんは笑った。

 ……気持ちは少し分かるけど、樅山さんが講師なのは事実なのだから注意しておかないと。

 付き人の時には主人の立場を考えて思っても出来なかったけど、今の僕の立場なら言う事が出来る。

 

「ジャスティーヌさん。笑ったらいけません」

 

「だって、面白いんだもん! ね! 皆も面白いよね!」

 

 同意を求めるようにジャスティーヌさんは、教室内の同級生の方々に同意を求めた。

 それと共に教室内でクスクスと小さな笑い声が聞こえて来た。この笑いは、不味い。

 笑っている人達の顔は、樅山さんじゃなくてジャスティーヌさんに向いている。

 

「なにあの子。身長140㎝ないんじゃない? すこぶる小学生みたい」

 

「は?」

 

「え? なに?」

 

 これは不味い。彼女はりそなと同じ気分屋だけど、りそなと決定的に違うところがある。

 自分の話題に関わる事を聞き逃さなかったジャスティーヌさんは、軽い足取りの小走りで、自分を笑った同級生の下へすぐさま向かった。

 そしてポケットから油性のフェルトペンを取り出したところで、僕が背後から取り上げた。

 

「……何?」

 

「何ではありません。何を書こうとしたんですか?」

 

「淫乱肉便器」

 

「えっ!?」

 

 ジャスティーヌさんの口から出た言葉に、書かれかけた女生徒は声を漏らした。

 流石にその文字を書かれるのは、女性には酷過ぎる。だけど、侮辱された気持ちになっているジャスティーヌさんの気持ちも分かる。

 

「そんな文字を書いては可哀そうです」

 

「じゃあ、貴女に書いても良い?」

 

「構いません」

 

 僕は取り上げたフェルトペンをジャスティーヌさんに返し、そのまま右腕の制服の袖を巻くって書けるように彼女に差し出した。

 受け取ったフェルトペンをジャスティーヌさんは不機嫌そうに弄り、そのまま僕の横を通り過ぎて教壇の方に歩いて行く。

 

「ごめんなさい。これでいい?」

 

「え、あっ、はい」

 

 ジャスティーヌさんは樅山さんに謝ると、教卓の上へ体重を感じさせない軽さで腰掛けた。

 

「私は『ジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェ』。パリの貴族。ラグランジェ家の旧伯爵家。この中に伯爵家以上の家柄の人が、其処の黒い子以外にいる?」

 

 教室内が静まり返った。伯爵家となれば相当の身分だ。

 万が一、此方の過失で骨折でもさせれば、国際問題に発展するレベルだ。先ほどジャスティーヌさんを笑った同級生達の息を呑む声が聞こえる。彼女達の家柄がどの程度なのか分からないけど、残念ながら伯爵家を相手に出来るほどの家柄では無いのだろう。

 僕の場合は、背後にあるのが大蔵家なので伯爵家相手でも相手に出来る。正式に認められている訳じゃないから、余り表立って言えないけど。

 

「後私の叔父さん、今の駐日フランス大使の書記官。超偉いよ」

 

 書記官ともなれば、大使館勤めの外交官の中でも相当な身分。

 教室内にいる殆どの同級生にとっては絶望的な宣告だろう。それなりの身分の保護者なら、真っ当な感覚を持って……いや、良く考えてみると僕の周りには真っ当な感覚と言い難い人ばかりのような気がする。

 お父様は才華様とアトレ様に甘くて高層マンションをプレゼントするし。りそなはりそなで、僕に再び女装してフィリア学院に転入する事を勧めた。桜小路遊星様も才華様達に甘い。

 お爺様は考えるまでもなくルミネ様を大切に思っている。

 ジャスティーヌさんの叔父さんがどんな人かは分からないけど、過保護な方だったらフェルトペンで落書きする程度は『悪戯』で済ませるかも知れない。

 落書きされそうになった同級生の方々は、自分達が笑った相手の背後関係に顔が青ざめている。

 樅山さんも困っているようだ。

 

「私ね、日本人が大嫌い。デザインだって私の方が絶対良いものを描くから、私の好きなペースでやるね。邪魔だけは絶対にしないでねー。其処の黒い子も、今回は案内してくれたから見逃すけど、次に邪魔したら……」

 

 ジャスティーヌさんはフェルトペンをひらひらと僕に向かって振った。

 教室中の誰もが、ジャスティーヌさんの暴君ぶりに何も言えない。だけど、残念ながら次に同じような事があっても、僕は同じように止めるつもりだ。

 だって、今更落書きされる程度が何なのだろうか? りそななんて、怒ったら自分の下着を僕に着せて写真を撮って来たし。初めて女装して外に出た時は、何時もは部屋に引き篭もっているのに、ニヤニヤしながら僕の後をついて来て笑っていた。他にも無理難題をやるように言われて、困っている僕を見て楽しんでいた。

 最近だと嫌がっている僕に化粧品を使って、綺麗にしようとまでしている。と言うか、実際にやった。

 だから、今更落書き程度では何の苦でもない。

 平然としている僕の様子に、ジャスティーヌさんは気がつき睨んで来るけど、僕は見返した。

 怯まない僕の様子にジャスティーヌさんは遂に折れたのか、視線を移し、驚いたように目を丸くした。

 何故と思って僕も見てみると、ジャスティーヌさんの視線の先には才華様の姿があった。

 

「何あの子! 白い! しかも凄く美人!」

 

 ジャスティーヌさんは先ほどとは変わって、上機嫌になって教卓から降りると才華様の方へと移動した。

 

「インスピレーション湧いて来た。ねえねえ、ちょっと髪の毛触らせて……」

 

「彼女に触らないで」

 

 才華様の下に辿り着く前に、エストさんが両手を広げて立ちはだかった。

 突然のエストさんの行動に、背後に居る才華様が呆然としている。

 ……少し様子を見よう。もしかしたらエストさんと才華様の関係が分かるかも知れない。

 

「あ、貴女も美人さんだね。何処の国の人? 私、綺麗な人は好き……」

 

「私の従者は……朝陽さんは、肌も、髪も。とてもデリケートなの」

 

「えっ?」

 

「だから貴女が興味を持っただけで気軽に手を出して良い身体じゃない。落書きなんてしたら、その頬を叩いても許さない」

 

 凛としたエストさんの言葉には、才華様を大切に思っている気迫が込められていた。

 ……良かった。二人の間には、確かな絆がある。僕とルナ様のような関係じゃないけど、これが二人の関係なのかも知れない。

 ただ、エストさんは勘違いをしている。ジャスティーヌさんの今の行動は……。

 

「え……私、そんなつもりなくて、まだ何もしてない」

 

 その言葉にエストさんと才華様はハッとなった。最初からジャスティーヌさんは才華様に危害を加えるつもりはなかった。

 さっきの生徒の人達にしようとした事も、侮辱されたから侮辱し返そうとしただけ。才華様に近づいたのは、その神秘的な容姿に触れてみたいという好奇心から。才華様の身体の事情を考えて、無理に触れようとしたら僕も止めるつもりだったけど。

 勘違いに気がついたエストさんは、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい。その、小倉さんが止める前に他の生徒さんにしようとした行為に驚いて、言い過ぎたみたい」

 

「貴女何処の国の人? 名前は!?」

 

「アイルランドの貴族、エスト・ギャラッハ・アーノッツ」

 

 エストさんは相手がパリでそれなりの地位がある元貴族なのにも関わらず、自らの名前を名乗った。強い人だと僕は感じた。

 

「アイルランドの貴族……アーノッツ? 子爵家の? ……アーノッツ家って、詐欺とか恐喝までして生き残っている家じゃないの? あのアーノッツ?」

 

 エストさんの身体が小さく震えた。どうやら、その辺りは触れられたくない部分のようだ。

 今までのエストさんとの触れ合いで分かったけど、あの人は優しくて親切な人だ。実家の行いに胸を痛めているのかも知れない。

 

ジャスティーヌ様(連れて来ました)!」

 

 教室内が険悪な空気に流されかけた瞬間、外国人だと一目で分かる素朴で真面目そうな人とカリンさんが教室内に入って来た。

 ……カリンさんは、優秀な人なんだけど、声が小さいのが難点だ。他の人が大声を出していても、自分の声の大きさを変えないから、カリンさんの声が聞こえ難い時がある。

 

「カトリーヌ、遅いよ」

 

「すみません! お嬢様を見失って……この人に案内して貰いました……あ、あのこれ、これは?」

 

「私、日本人以外にも嫌われちゃったみたい」

 

 頬をぷうと膨らませて、ジャスティーヌさんはエストさんと改めて向き直った。

 

「ご・め・ん・な・さ・い。これでいい?」

 

 表情は納得していないけど、ジャスティーヌさんは素直に謝った。

 

「あ、ううん。今回は私も悪かったから」

 

「そ。じゃあ次からは仲良くね! 私、今日は帰るから」

 

「あ! 駄目ですよジャスティーヌさん。まだ教材や授業の説明がありますよ」

 

「カトリーヌが全部聞くから! それと黒い子と金髪の小さい子! 案内とカトリーヌを見つけてくれてありがと!」

 

 不満げな声と僕とカリンさんへの礼の言葉を残して、ジャスティーヌさんは帰ってしまった。

 残されたカトリーヌさんが、樅山先生と教室内の同級生の方々に『ごめんなさい』と何度も謝っている。

 

「ごめんなさい、ジャスティーヌさんとは先生が後で話しておきます。だから、気持ちを切り替えて、自己紹介の続きをしましょう。あ、でも、その前に小倉さん」

 

「はい。何でしょうか?」

 

「……先生として頼み難いんですけど、小倉さんの席はジャスティーヌさんの傍でお願いします。その……本当に申し訳ないですけど」

 

 樅山さんの言いたい事が分かった。

 この教室内でジャスティーヌさんの立場に対抗出来るのは、大蔵家と関わりのある僕だけだ。

 さっきまでの様子から考えて、僕ならジャスティーヌさんを止められると思ったんだろう。僕としても、ジャスティーヌさんと他の同級生の方々が険悪になるのは嫌だし、せっかく同じ教室で学ぶんだから仲良くして貰いたい。

 

「分かりました。ジャスティーヌさんの隣の席に座ります」

 

「本当にごめんなさい」

 

 謝りながら案内された席の場所は、僕としては嬉しかった。

 席の場所は才華様とエストさんが座っている席から、丁度反対側の位置にある。教室内では距離を取る方針だったから、この配置は助かった。

 カリンさんと共に指定された席に座り、隣の席にカトリーヌさんが座った。

 一人で不安そうなカトリーヌさんの姿を見た僕は、小声で話しかける。

 

「これから宜しくお願いします」

 

「ッ!?」

 

 カトリーヌさんはフランス語で話しかけられた事に驚いて、僕に顔を向けた。

 僕は無言で頷き、安心して貰う為に笑顔を向ける。不安そうにしていたカトリーヌさんの顔に僅かな安堵が浮かびぎこちないながらも笑ってくれた。

 その笑顔に内心で嬉しさを感じながら、離れた席に座っている才華様とエストさんに視線を向ける。

 才華様とエストさんは、小声で何らかのやり取りを行なっているようだ。残念ながら、僕には読唇術の心得は無いので、内容は分からない。でも、きっとさっき護って貰ったお礼を言っているに違いない。

 エストさんはさっきのジャスティーヌさんの言葉に傷ついているかも知れないから、出来れば元気を取り戻して欲しいと僕は願いながら、自分の自己紹介の番が来るまで待った。




順調に学院内と教室内での評価を上げていく朝日。
原作においては隣にカリスマのある主人がいて学院内では目立ってなかったけど、解放されるとカリスマとは違う影響力が凄い。因みに衣遠父様とりそなはその辺りを分かっているので、寧ろやって名を広めろと考えて放置する考えです。
2で何故か大蔵家の次男である桜小路遊星が、桜小路本家で嫌味を言われているので、その反省を下に朝日の影響力を放置しています。朝日本人は自分がしている事を自覚していません。

人物紹介

名称:ジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェ
詳細:フィリア学院服飾部門デザイナー科特別編成クラス1年生で、背が低く小学生に見えてしまう。しかし、容姿は整っていて何もしなければ天使のように見える。だが、本質は気分屋で我儘な小悪魔。フランス至上の国粋主義者であり、叔母は『乙女理論とその周辺』で出て来て、現在はパリの名門服飾学校で講師を務めている『リリアーヌ・セリア・ラグランジェ 』。デザインの腕は天才的で、ヨーロッパの学生デザイナーの登竜門である数々の賞でほとんど入賞している。現在は容姿が綺麗な朝陽と朝日に興味を覚えているが、大蔵家と関わりがある朝日に対しては強気に出られない。これに関しては叔母に影響を及ぼしたのが大蔵りそなで在る為に下手に手を出せば、叔母に怒られるからである。もしも叔母が朝日の存在を知れば、何が何でもパタンナーとして受け入れると指示を出すかも知れない。

名称:カトリーヌ・コレット
詳細:『乙女理論とその周辺』のヒロインであるメリル・リンチが暮らしていた修道院で共に暮らしていた家族。メリルに憧れて服飾の道を進んだが、才能に恵まれず、メリルが経営していたブランドを辞めて、ラグランジェ家の使用人になった。日本語が不慣れで日本で生活に不安を持っていたが、フランス語を話せる朝日とカリンがすぐ傍に居るので安堵している。朝日の事は知らないが、メリルから新しく家族になった相手の事は知っている。
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