月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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次回からは才華sideです。
その後に合流して、遂にりそなと対面です。
そして今話で、才華のこの作品でのラストミッションが発覚します。

烏瑠様、エーテルはりねずみ様、笹ノ葉様、獅子満月様、dist様、秋ウサギ様、誤字報告ありがとうございました!


四月上旬(遊星side)7

side遊星

 

 八日堂さんに入れて貰えた彼女の部屋の中は……白かった。

 比喩ではなく、部屋の中にある全てが白に染まっていた。此処に辿り着くまでの廊下や天井だけじゃなくて、ドアの内側や家具だけではなく造花などの装飾品に至るまでも全てが白。或いは良くて銀色だ。

 余りの内装に僕だけじゃなくてりそなまで唖然としている。

 えっ? 本当になんなのこの部屋の白さは?

 

「驚かせてしまったかしら?」

 

「……正直言ってかなりドン引いてます。何ですか、この部屋の内装は? 頭が可笑しくならないんですか?」

 

「ならないわね。私、自分でもどうかって思うぐらいに白が、正確に言えば白髪が好きなの」

 

「白髪?」

 

 という事は、彼女は、八日堂さんはルナ様や才華様のような白い髪の人が好きなのか。

 偏見と言う訳ではないのだろう。本当に白い髪が好きみたいだ。

 ……この部屋の内装には思うところがない訳じゃないけど、ルナ様や才華様の髪の色を侮辱する人よりは、遥かに八日堂さんは好感が持てる。

 用意して貰った白い椅子に僕とりそなは座り、カリンさんは僕らの背後に立った。カリンさんの分も用意されているんだけど、真面目な人だから仕事中は従者としての立場を崩す気はないらしい。

 僕が許可しても、『このままで構いません』と言われてしまった。これから話す内容が重大な内容だからかも知れないけど。

 

「先ず最初にお礼を言っておきます。八十島さんにエストさんと才華様の危機を知らせてくれてありがとうございました」

 

「あら、貴女、才華さんの事を様付けで呼ぶの? 学院で噂になっているわよ。あの大蔵衣遠の娘、小倉朝日の事は」

 

「私は元々使用人の立場にいたものです。一時期は桜小路家が所有している桜屋敷で働いていた事もあります。それに才華様のご両親は私にとって尊敬出来る方々ですから。暫くは気安くは名前を呼べないと思います」

 

「何だか複雑そう。詳しく聞いてみたい気持ちもなくはないけど……大蔵家を敵に回したくはないから止めとくわ」

 

「……ご存知なのですね?」

 

「ええ、此処まで来て隠し事をする気はないわ。私は、あの人の事を、小倉朝陽さんが桜小路才華さんである事を知ってる」

 

 ……才華様の正体がこの人にバレていた。

 無理もないかも知れない。この人はりそなが言うには、世界的な女優として活躍している人らしい。演技の本場で活躍している人なんだから、演技を見抜くのは簡単だ。

 もしかしたら僕の正体も……。

 

「ところで小倉さん? 貴女がもしかして才華さんの探し人かしら?」

 

「探し人?」

 

「そっ、前に屋上の茶会の時に話をしたの。エストさんが才華さんには探している人がいるって。正直言って、貴女じゃない事を願ってる」

 

「それに関しては分かりませんけど、多分私ではないと思います。私が才華様と一緒に居たのは、一日もありませんでしたから」

 

 それに才華様が僕を探していたら、アメリカの桜小路家に居た時にルナ様達から何か言われていたと思う。

 

「良かった。貴女みたいな綺麗な人が相手だったら、ライバルとしてハードルが高すぎるもの」

 

 ……気がついてない。

 目の前の八日堂さんは、僕を女性だと思っているようだ。世界的な女優にまで、女子として見られる僕って……一体?

 いや! 違う! もしかしたら才華様と同じように僕の性別を隠してくれて……八日堂さんと僕には何の接点も無いからそれはないよね。

 ……落ち込む。いや正体がバレたら不味いんだけど……やっぱり落ち込む。

 

「えっ? なに? 急に暗くなって? 私変な質問したかしら?」

 

「ああ、気にしないで下さい。この子。最近まで精神が不安定だったので、その時の名残で時たま暗くなったり鬱になったりするんですよ。それで話は戻しますけど、どうしてあの甘ったれの正体に気がついていたのに黙っていたんですか?」

 

「初恋の人だから」

 

「はあっ!?」

 

 八日堂さんが告げた事実にりそなは驚いた。

 僕も驚いている。え? 才華様が八日堂さんの初恋の相手? 嘘!?

 

「そ、それは何かの冗談ですか?」

 

「冗談じゃなくて事実。私、才華さんが初恋の人なの」

 

 それから八日堂さんが語ってくれた事に、僕とりそなは言葉を失った。

 聞けば、子供の頃、八日堂さんは桜小路本家で催される『観桜会』に出席した時に、ウィッグを外して本当の白い髪を一人で晒しているところを目撃し、恋に落ちたらしい。

 ……何処かで聞いた話だ。アメリカで八千代さんから聞いた話と内容が一致している。

 まさか、八日堂さんがその話の現場にいたなんて。しかも、フィリア学院に才華様が通う時に八日堂さんが『桜の園』にやって来るなんて。

 ……奇跡的な偶然だ。まるで僕と湊のような出来事だ。

 

「まあ、最初は内心では驚いたわよ。長らく思っていた人が、女装姿で現れるなんて。でも、私、両性愛者だから気にしないけど。寧ろこれから初恋の人と暮らせるって、テンション上がってた……だけど、すぐに心配になってテンションが下がった。ねえ、大蔵家の総裁さん」

 

「何ですか?」

 

「率直に聞くけど、貴女才華さんに何をしたの? 私が最初に会った時の才華さん。周囲を警戒……いえ、周囲に対して脅えてたわよ。初めて会う私にも恐怖を抱いていたみたいだし。何をしたのか、話して貰いたい」

 

「大した事はしていません。上の兄に頼んで、自分の現状を教えて上げただけです。昔の上の兄として」

 

「えっ!?」

 

 思わず大きな声を出してしまった。

 昔のお父様? それってつまり……僕にとってのお兄様として。

 ……それは怯えるじゃ済まない! 今のお父様だから普通に接する事が出来るけど、お兄様の相手は……無理だ。

 今でこそ落ち着いているけど、昔のあの人は苛烈で容赦がない人だった。これまで優しかったお父様が、容赦なく才華様を責めたとすれば……その時の恐怖はどれほどだったか。

 

「りそなさん。流石にそれはやりすぎでは……」

 

「現状を教えるのに、これ以上にない方法です。因みに上の兄は、その時点で貴方が調査員である事を知っていました」

 

 ああ、つまり才華様はお父様の餌食になったという事か。

 ……本当にあの人はと、嘆きたくなる。きっと内心では笑って楽しんでいたのかも知れない。

 あの人がりそなと兄妹だと分かる。りそなも親しい相手が困るのを、楽しんでしまう困った性格をしているし。

 

「何だか話は分からないけど、現状って、どう言う事かしら?」

 

「あの甥の秘密を隠していてくれたから、貴女には話しましょう。身内の恥を晒す事になりますが、実は……」

 

 今度はりそなが現状に関して八日堂さんに話し出した。

 八日堂さんは真剣な顔で聞いてくれていたけど、話が進むに連れて困惑したように表情が変わり、最後には呆れた顔をして目を伏せてしまった。

 

「……一言、言っていいかしら?」

 

「どうぞ」

 

「めんどくさくない大蔵家」

 

「心から私も同意します」

 

「いや、だって、ルミネさんって会社の社長もやっているんでしょう? 学生の身分ではあるけど、それならもう一端の社会人でもある訳だから、交友関係なんて自由で良いじゃない。友達いない私が言えた事じゃないけど」

 

「それを許さないのが、家のお爺様なんです。本当にもう、頭が痛くなりそうなんですが、お爺様にとってルミネさんの人生は輝かしいものにしかならないという前提が既に出来上がっているんです」

 

「……それってつまり」

 

「お爺様の中では、ルミネさんはフィリア学院に合格した時点で、フィリア・クリスマス・コレクションでピアノのソロを弾く事が決まっています」

 

 部屋が沈黙に包まれた。

 八日堂さんは渋い顔をし、僕も言葉を出せなかった。

 僕はルミネさんのピアノを聞いた事が無いから実力は分からない。だけど、一般試験を合格して学院に入学したんだからきっと高い実力は持っているに違いない。

 それだけの努力をルミネさんならして来たと思う。実力でフィリア・クリスマス・コレクションに参加出来るのかも知れない。でも、今、りそなは既に決まっていると言った。

 お爺様の中では前提が既に違っている。ルミネさんがフィリア・クリスマス・コレクションに参加する事が、絶対となっている。他にピアノ科の生徒がいるのだとしても。

 

「……ルミネさん。ピアノを止めるかも知れないわね。実力はあっても、これじゃ続けて行く気を失うかも。入学前に屋上の庭園で、ソロ参加を頑張るって言っていたんだけど」

 

 ……八日堂さんの言いたい事は分かる。

 自分の実力で参加したいのに、実力以外の事柄で参加が決まっていると知ったら……正直言って続けて行く自信を失う。それだけ重い事実だ。

 

「りそなさん。お爺様を止めるのは無理なのでしょうか?」

 

「止めても遅いですよ。ピアノ科は残念ながら、かなり雰囲気が悪かったです。実はピアノ科の新入生代表に選ばれていたのは、ルミネさんだったんですけど、代表の挨拶をした時の空気はそれはもう」

 

「止めて! 聞くだけで気が滅入りそうになる。コミュ障だから聞きたくもない」

 

 悲鳴を上げる八日堂さんの様子を見ながら、りそなが言っていたのはこの事だったのかと僕は理解した。

 ……明日登校したら、カリンさんに頼んでピアノ科を優先的に見て貰おう。二日目から従者が離れるのは印象が悪くなるかも知れないけど、これ以上ルミネさんのピアノ科での印象を悪くするのは避けた方が良い。

 難しいかも知れないけど、せっかくの学院生活なんだから、ルミネさんにも楽しく過ごして貰いたい。

 

「気分を変えたいから話は戻させて貰う。それで大蔵家の総裁殿は、才華さんをどうするの? 今日の出来事でエストさんに正体はバレたかもしれない。個人的には、このまま学院で過ごして欲しいのだけど」

 

「その件でしたら、さっき八十島さんから連絡が来て、エストさんは才華様の正体には気がついていないそうです」

 

「あら、嬉しい。エストさんが無事だった事も、才華さんの正体がバレていない事も両方嬉しい。で、総裁殿はどうするのかしら?」

 

 それは僕も気になる。りそなは叱ると言っていた。

 でも、その後は? 八日堂さんと一緒にりそなの答えを待つ。

 

「……続けさせます。勿論、正体は隠したままですけど」

 

「良い報告が聞けた。エストさんに今のところは一歩リードされているけど、まだ挽回出来る機会があるのね」

 

「あの甘ったれと付き合いたいなら、今年中にアプローチした方が良いですよ。失敗すれば、来年にはいませんからね」

 

「それはつまり」

 

「あの甘ったれの目標はフィリア・クリスマス・コレクションです。其処で最優秀賞を……二つ(・・)取ったら認めてあげます」

 

「二つ!? 最優秀賞をですか!?」

 

 そんな事が可能なのだろうか!?

 

「朝日。貴方は母親が居た時代のフィリア・クリスマス・コレクションを考えているんでしょうけど、今のフィリア・クリスマス・コレクションは服飾関係以外の他の科も参加するんです」

 

「あっ」

 

「他の科にも衣装を必要とする科はあります」

 

「演劇部門もそうだし、ピアノ科も衣装を着るわね。せっかくの晴れ舞台なんだから、誰もが最高の衣装を着たいと思う」

 

「他にも総合部門がありますね。尤も一年目でこの部門に参加するには、総学院長や他の教員数名の推薦が必要ですけど。その条件を甘ったれが満たせるかどうか。とにかく、その気になれば一年目で最優秀賞を二つ取る事は可能なんです」

 

 そういう事だったのか。

 うっかりしていた。僕が居た頃と今のフィリア学院は大きく違うんだ。確かにこれなら、最優秀賞を二つ、いや、その気になれば複数取ることだって可能だ。

 

「これはあの甘ったれも知らない事ですが、あの甘ったれの母親は、一年目のフィリア・クリスマス・コレクションで三着の衣装を発表しようとしていました。しかも同レベルの衣装を」

 

「大胆な人! そういうの結構好き。勝利を必ず勝ち取るって意思が感じられるから」

 

「あの甘ったれが其処まで考えているとは思えませんね。どうせファッション部門で最優秀賞を三年取れば、母親を超えられると思っているでしょう」

 

 普通は考えないやり方だものね。流石はルナ様です!

 しかも、よくよく考えてみると湊はともかく、ユルシュール様や瑞穂様のデザインに勝っての三着の意見だ。

 僕はデザインを見せ合う事も出来なかったけど、きっとあの衣装以外の三着も素晴らしい衣装だったに違いない。お父様が自分の作品として発表するほどだったんだから。

 ……後でりそなに頼めば、見せて貰えるかな? いや、お父様を怒らせそうだから止めておこう。

 

「でも、間に合うのかしら? 確か服飾部門のデザイナー科は文化祭で他の科の衣装を作製する事が課題だった筈だけど」

 

「詳しいですね」

 

「もしも才華さんが頼んで来たら、少し考えてみようかなって思ってたから」

 

「それは初恋を成就させる為ですか?」

 

「いいえ。言い忘れていたけど、私。別に初恋が叶わなくても構わないと思っているから」

 

「えっ?」

 

「才華さんは確かに私の初恋の相手。出来れば結ばれたいとは思ってる。でも、それは才華さんから気がついて欲しい。もし気がついてくれなかったら、才華さんが此処を去る時に私から話すつもり。だから、此処での話は貴女達だけの内緒にしておいて」

 

「……分かりました」

 

 八日堂さんの気持ちは理解した。なら、僕に出来るのはその意思を尊重する事だけだ。

 ……この人の気持ちは、当事者ではない僕らが口にしてはいけない。

 

「私も話す気はありません。個人的には貴女の事が少し気に入りました」

 

「ありがとう」

 

 その後、僕とりそなはカリンさんを伴って部屋から出て行った。

 八日堂さんは今後も才華様の事は秘密にしてくれるらしい。序でにそれとなく女装のチェックもしてくれるようだ。

 

「意外なところにあの甘ったれの味方がいましたね」

 

「そうですね。才華様にも良いご縁があって良かったです」

 

「変態の縁ですけど」

 

 それは言わないで欲しい。その基準で言ったら、僕も間違いなく変態だ。

 しかも学院を卒業したら女装を止められる才華様と違って、お爺様が亡くなるまで僕は女装を止められない。

 ……どっちが酷い変態かと言われたら……きっと僕の方だ。

 思わず壁に手を突いて、顔を下に俯けてしまう。

 

「ど、どうしました?」

 

「……自分を顧みました」

 

「ああ」

 

 りそなは僕が落ち込んでいる理由に納得した。納得出来てしまうんだよね。

 やっぱり……僕は変態だ。

 

「小倉様。お電話です」

 

 何時も変わらないペースのカリンさんが羨ましい。

 差し出された携帯を受け取った僕は、耳に当てて相手と会話をする。

 

「はい。小倉です」

 

『あっ、小倉さん』

 

「エストさん! もう病院から戻って来たんですか?」

 

『うん。心配をかけてごめんね。さっきまで朝陽さんと話していたんだけど』

 

 言われて気がついた。

 どうやら外はもう夕方になっていたようだ。八日堂さんと結構長い間、話をしていたんだ。

 

『それで今からお礼を言いたいから会いたいんだけど、今何処にいるの?』

 

「いえ、私の方から其方に向かいます」

 

『えっ、迷惑をかけたんだからこっちから向かうよ?』

 

「いいえ。今エストさんは病み上がりです。それでしたら私の方から向かった方が安心出来ます」

 

 溺れかけたんだから、大事はとって貰いたい。

 りそなに視線を向けると、先ず自分に指を向けて、そのまま上に向けて動かすジェスチャーをした。

 どうやらまたアトレ様の部屋に行くつもりらしい。その証拠に僕が頷くと、りそなはエレベーターの方に向かって歩いて行った。

 カリンさんもりそなについて行った。どうやら僕一人でエストさんに会いに行って良いらしい。

 

『……うん。分かった。それじゃ部屋に来て。待ってるから』

 

 通話が終わると携帯を切って、僕はエレベーターに乗り、エストさんの部屋がある65階に向かった。

 

「改めてお礼を言わせて貰うわね、小倉さん。助けてくれてありがとう」

 

 部屋に入った直後に、エストさんは僕へのお礼を述べながら頭を下げた。

 どうやら本当に後遺症とかはなさそうだ。本当に無事で良かった。

 

「ご無事でなによりです。もしも何かあったらと心配していました」

 

「お医者さんの話だと後遺症とかの心配はないそうなの。ただ大事をとって、明日また病院に行かないといけないんだけど」

 

「それが良いと思います」

 

 後から異常が見つかる事だってあるんだから。

 

「そう言えば小倉さん。服を着てプールに飛び込んだそうだけど、大丈夫だったの?」

 

「はい。まあ、制服はびしょ濡れになってしまいましたけど。それ以外に問題はありません」

 

「慣れた人ではないと、服を着て泳ぐことも難しいのに、小倉さんは私を助けてもくれたんだから凄いね」

 

「それほどでもありません。昔訓練した事があっただけですから」

 

「大蔵家って、そんな事もしてるんだ。じゃあ、ルミネさんも出来るのかな?」

 

「ど、どうでしょうかね」

 

 無理です。服を着たまま泳ぐ練習なんて、過保護だというお爺様が許すとはとても思えないから。

 失敗したら、溺れてしまう危険な訓練だ。僕がやらされた時も、教えてくれる先生が付きっきりで側にいてくれた。

 そんな危険な行為をルミネ様はした事もないだろう。

 

「それで話は戻すけど、後で小倉さんの制服を弁償させて貰いたいの」

 

「別に制服の一着ぐらいは構いません。予備の制服は家にありますから、明日の登校には問題はないです」

 

「これは私の誠意の問題なの。迷惑をかけて、何もしないままではいられない」

 

「……分かりました。では、後ほど私の付き人がサイズをお伝えしますので」

 

「良かった」

 

 エストさんは安堵の息を吐いた。

 確かに相手が誠意を示してるのに、それを受け取らないのは失礼だ。此処は彼女の好意を受け取らせて貰おう。

 部屋の中に案内された僕は、用意された椅子に座った。

 

「小倉さんに尋ねたい事があるんだけど」

 

「何でしょうか?」

 

「……プ、プールで私を助けてくれた、男性の方をし、知らない?」

 

 ドクンと心臓が跳ねた。

 プールでエストさんを助けた男性。その相手は一人しかいない。いや、僕もだけど。制服を着たままだったから僕の事は気がついていない筈だ。

 八十島さんの話では才華様の正体に気がついていない筈だけど……もしかしてエストさんは気がついているのだろうか?

 

「な、何故その質問を私に? 私が来る前に、朝陽さんがいらっしゃったんですから其方で確認は為されなかったのですか?」

 

「確認はしたんだけど、朝陽が言うには」

 

 おや? さん付けで呼ばなくなっている。

 どうやらエストさんと才華様の関係は進展したようだ。怪我の功名なんだろうけど、あくまで小倉朝陽としての方でなんだろうけど。

 

「コンシェルジュの八十島さんを私が、男性と勘違いしてしまったと言われたの」

 

 八十島さんか。確かにあの人は一見すれば、男性と勘違いしてしまうけど、ちゃんとした女性だ。

 

「言われた時は、勘違いして恥ずかしい気持ちになったのだけど……冷静になって思い出してみると、体格が違う気がしたの。私を支えてくれた男性は、もっと華奢な体格をしていた。だから、もう一人あの場には誰かがいたのは間違いない」

 

 ……これは不味いかも知れない。

 男性の正体が才華様だとは気がついていないようだけど、エストさんは確かにあの場にもう一人男性がいた事を認識している。

 女装自体がバレていないのは幸いだ。でも、此処で僕が迂闊な事を言う訳にはいかない。

 恐らく今、その対応を才華様が考えているに違いない。なら。

 

「確かにあの場には男性の方がいました」

 

「なら!」

 

「ですが、申し訳ありません。私はその方の事を知らなくて。プールでの事が終わった後は、更衣室の中で替えの服が来るまで待っていましたから、その間にいなくなられてしまって」

 

 エストさんは僕が、桜屋敷で使用人として働いていた事を知らない。

 騙すようで申し訳ないけど、此処は知らない相手だという事にするしかない。

 僕の発言にエストさんは残念そうに息を吐いた。

 

「出来れば事前に相手の事を知っておきたかったの。男性の方に水着を着ていたとはいえ、裸に近い身体を見られたのは恥ずかしくて」

 

 それだと僕もアウトですよね。申し訳ありません、エストさん。

 いずれ正体が明かせるようになったら、エストさんにも謝罪をしないといけない。どんどん謝罪をしないといけない人が増えていく。

 遊星に戻れるようになった時は、一体何人の人に僕は謝らないといけなくなるんだろう?

 ……取り敢えず、この考えは今は置いておこう。考えれば考えるほどに暗くなりそうだから、エストさんに怪しまれてしまう。

 

「そう言えば、エストさん?」

 

「なに?」

 

「どうして桜小路才華様を嫌っておられるのですか? りそなさんが言うには、お二人はアメリカではライバルだったと聞いています。何かあったのですか?」

 

 僕の質問にエストさんは悩むような顔をして黙った。

 これはやはり何かあった。一体才華様は何を為されたのだろうか?

 

「……ねえ、小倉さん。もし、もしもだけど誰かの作品を自分の作品だと公表して名声を得ている。それを両者が同意の上でしているとしたら貴女はどう思う?」

 

 一般で言えば盗作という事だろうか? 或いはゴースト。

 そうか。才華様は朝陽としての自分を、桜小路才華のゴーストだとエストさんに説明したんだ。

 互いにライバルと認識していたなら、相手の作品が気になって調べる。僕だってジャンやお父様の作品が雑誌で掲載された時は、夢中になって見た。

 その中でライバル視していた相手の作品が別の人物が描いた作品だと知らされたエストさんのショックは、かなりのものだったに違いない。これは確かに嫌われても仕方がないかも知れない。

 

「……正直言って誉められた事ではないと思います」

 

「や、やっぱりそうだよね」

 

「デザイナーとして、いえ、服飾の世界で成功を収められるのは本当に一握りです。私もデザイナーを目指して、幾つかの賞に応募した事があります」

 

「その結果は?」

 

「一回も賞を取れませんでした。才能ないから止めろとまで言われてしまいました」

 

「……そうなんだ。ごめんなさい」

 

「謝らなくて良いです。自分でも分かっている事ですから。でも、それでも私は服飾を続けてます」

 

「どうして?」

 

「大好きだからです。服飾に関われることが。この道をまた歩けることが」

 

 僕は服飾が好きだ。才能がないとお兄様に言われて、服飾の授業を全て取り上げられても……好きだという気持ちだけは失わなかった。

 それは落ち込んで、服飾を捨てようとしていても、心の底で好きだという気持ちだけは残っていた。りそなの気持ちを聞いて、もう一度やりたいという熱意が戻った。

 

「エストさんが言ったような事をしていく方もいるでしょうけど、それだと何時か限界を迎える事になると思います」

 

「限界?」

 

「本格的なプロの世界は、共同作業が必要になっていきます。共に作業をしていく方々は、デザインを見てこの衣装を作りたいと思って作業をします。ですけど、デザインを描いた方に喜んで欲しいと思っているのに、実は別の方が描いた作品だと知った時は、きっとその方々は落ち込んでしまうと思います」

 

 エストさんはハッとしたような顔をして、何かを考え込み出した。どうしたんだろうか?

 

「勿論それで納得されている方々なら問題はありません。サブデザイナーという職種もあるんですから。ですが、最初から知らずにいて、後から事実を知った時はやっぱりショックは受けると思います。この服飾の道を歩んでいる方々は、特に目が秀でた方も多いです。そんな方々を騙していくのは並大抵の事ではありません」

 

 お父様などがそうだ。あの人は今でこそ趣味でしか描かないけど、その目は衰えていない。

 他にもルナ様なら見抜くだろうし、メリルさんも気がついてしまうと思う。実際にエストさんも小倉朝陽としての作品を、桜小路才華の作品として見抜いているんだから。

 実際に僕は一人。デザインに関して悩んでいる方を知っている。今のフィリア学院の総学院長であるラフォーレさんだ。あの人はデザインを見抜く目を持つ方々によって、悩み苦しんでしまった。

 エストさんは目を伏せて考え込み、やがて答えが出たのか目を開けた。

 

「ありがとう、小倉さん。少し悩んでいた事の答えが出た」

 

「何か悩んでいたんですか?」

 

「うん。デザインに関して。日本ではちょっと今までと形を変えて描こうと考えていたの。二つのデザインを描けるようになればって」

 

「それは……」

 

 難しいと思う。デザインはその人の本質がどんな形にせよ出てしまう。

 似たようなデザインが出てしまえば、その中で良い方を間違いなく人は選ぶ。

 

「難しい事は分かってるよ。でも、ちょっとだけ挑戦したいの……デザインに関して悩んだ小倉さんには良い気分じゃないと思うけど」

 

「いえ……何事もやってみた方が良いと思います。もしも本当にそれが出来たら、素晴らしい事ですから。二つのデザインを描くデザイナーとして有名になれますよ、エストさん。頑張って下さい!」

 

「……うん。頑張ってみる…」

 

 うん? 何だろう、微かにエストさんの顔に陰りが出たような?

 

「お嬢様。ルミネお嬢様と八十島さんをお連れしました」

 

「あっ、朝陽だ! 小倉さん、ちょっと待っていて」

 

 エストさんは笑顔を浮かべて、玄関の方に走って行った。

 ……気のせいだったんだろうか?




原作だとほぼ間違いなく、ルミネって、自分のルート以外でピアノを明らかに辞めていそうなんですよね。八日堂アフターで暇って言っていますし。
エスト〆のルートで思うのは、寧ろエストか才華の作品を見て、アレが奮起するとかの方が良かったと思う。少なくともプロとしてやって行くなら、エストのやり方は苦難しか待ってなさそうですからね。この作品ではどんな答えを出すのか。

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