月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
内容は……恐らく気になっている彼女に関してです。
秋ウサギ様、ちよ祖父様、獅子満月様、dist様、烏瑠様、笹ノ葉様、誤字報告ありがとうございました!
side才華
二日目にして、一人で登校する事になるとは思わなかった。
仕方がない事だと思いながら僕は学院に辿り着き……重大な事実を思い出して頭を抱えたくなった。
忘れていた重大な事実。僕はまだ……。
小倉さんに女装姿を見られる事の恥ずかしさを克服していなかった!?
主人であるエストが隣に居れば、今の僕なら恥ずかしくて顔が赤くなるだけで済んだかもしれない。
だけど、そのエストは今日は居ない。つまり、僕は一人で小倉さんに会わないとならない。
……無理だ。恥ずかしさに耐え切れず、また気絶しかねない。
となれば、小倉さんが来る前に教室に行くしかない。他に同級生がいれば、多少は恥ずかしさに気を取られずに済む筈だ。
エストの評価にも繋がるから走ったりはしないけど、少し早足で教室に向かおう。
「此処で君を待っていたよ、白い子猫ちゃん! グッドモーニングおはよう、美容師科一年、大蔵アンソニーJrだ!」
「おはようございます。本日の天気のように素敵な陽気さですね」
朝から血縁者に会うとはツイていない。しかも急いでる時に。
「ん? 今日は昨日のご主人様とは一緒じゃないんだ。てっきり、何時も二人で行動しているのかと思ってたよ。まあ風呂やトイレはご主人様と一緒でも、恋人との時間だけは別々に行動すべきだ。キスの一つも出来やしないからなHAHAHA!
「お嬢様は体調を崩してしまいまして、本日は授業を休んで静養されています」
詳しい事まで話す必要は無い。というよりも、早々と話を切り上げないと。
「それは大変だ。堂々としているように見えたけど、まだ日本の空気に馴染めていないのかもしれないな。彼女は外国籍なんだろ?」
ん、エストの心配をしてくれた。良い人じゃないか。ちょっと評価が上がったよ。
……僕の前から退いてくれたら、更に評価が上がるんだけど。
「俺もステイツから引っ越して来たばかりで、少し緊張しているんだ。本調子の50%ってところかな。ま、それでも、君を見たらテンションは最高にまで引き上げられた。はっきり言う! 俺は君の髪の毛に惚れた!」
……一瞬意識が飛びかけた。
まさか、登校二日目で男性から告白されるなんて! しかも、血縁者から!?
この髪を誉めてくれるのは大変嬉しいけれど。
「俺がそもそも日本にやって来たのは、日本人の黒髪を切りたくてこの国にやって来た。だが、君の白い髪に惹かれてしまった。その後で見た最高の黒髪にも心が惹かれたが」
恐らくそれは小倉さんの事だろう。あの人の髪は確かに綺麗だ。
僕やお母様の髪ほどではないけどね。
「一晩俺は悩んだ。元々求めていた最高の黒髪。一目見て心が奪われた君の美しい白髪。どちらを選ぶべきなのかとずっと悩み続け、俺は君の白い髪を選んだ! その理由は手入れだ。白い髪はその美しさを保つ為に、手入れは確りしなければすぐに痛んでしまう。だからこそ、その美しい髪を整えられるのなら、代わりとして大抵の要求に応えるつもりなんだ。勿論料金はいらない!」
ふうん?
「俺はまだ学生だけど、美容師としての腕はそれなりに自信がある。名前だけの美容師に好き勝手されるくらいなら、俺にその髪を預けてくれないか!」
頭を下げられた。僕の見る限り、目と声は真剣だ。
事情を知らない血縁者には関わらないのが上策だけれど、この髪に惚れたとまで言われてしまうと、心が動かされてしまうのが僕の悪い部分だ。
資料に依れば、ジュニア氏は美容師の免許を持っていないが、それでもアメリカの有名人達が予約を申し込むほどの腕があるらしい。髪を扱うプロフェッショナル。その人間から自慢の髪を美しいと言われれば、大変気分が良い。
それと、長さを変えるつもりはないけれど、毛先を整えたり、ヘアケアの相談を出来る相手は欲しかった。
その為なら幾らでも金額は積むつもりでいたけれど、思い入れを持ってくれる相手は金銭に代えられるものじゃない。
「それにあの最高の黒髪の子猫ちゃんは大蔵家の関係者らしいからね。俺なんかじゃなくて、別の腕の良い美容師が付くだろうし」
アトレの調査通り、ジュニア氏は大蔵家とは繋がりが薄いようだ。
「ご親戚ではないのですか?」
「いや、昨日初めて会ったよ。あっちもその筈さ。何せ年始まで……おっとこれ以上は流石に話す訳にはいかないな。彼女のプライベートに関わる事だからね」
ふむ、軽薄そうに見えるけれど、他人の事情を勝手に話す事はないようだ。
まだ、測り切れていないが彼本人の性格は問題は無さそうだ。実力に関しても資料を見る限り問題はなさそう。
今後の付き合い方も含めて、もう少し彼と話をすべきだろうか?
だけど話を口にするよりも早く、彼との会話は断ち切られた。
「私達のもう一人のお姉様に、軽い気持ちで男子が近づかないで!」
「そうそう! 白いお姉様をナンパだなんて身の程を弁えて! というか男子そのものが近づかないで!」
「お、お姉様あ?」
僕とジュニア氏の間に、高速で駆け込んで来た女生徒達が立ちはだかった。昨日会ったばかりの、デザイナー科の同級生だ。
彼女達はメイドではなく、特別編成クラスの生徒だ。その格式はともかく、僕から見ればエストと同格に当たる。それなのにメイドの僕をお姉様なんて呼んで良いのかな。
思わず彼女達が来た方を振り返って……僕は固まった。
彼女達の付き人であるメイドの二人と共に、小倉さんとカリンが立っていたのだ。
顔が赤くなっていくのを自覚して、俯いて顔を隠してしまう。
「朝から二人のお姉様とお逢いできて良かった……駐車場に着いた時に丁度黒髪のお姉様と会えた時は、夢のような気持ちになりました」
「本当。さ、白のお姉様。鞄をお持ちいたします、私達に預けて下さい」
「と、とんでもありません、わ、私は使用人の立場です。ご、ご容赦下さい、
「きゃあああああこっちのお姉様にも名前を覚えていただけてるうううううぅぅぅぅ!」
「それに恥ずかしがるそのお姿が凛々しさとは別に愛らしさを感じられて……私達はもう……一生、二人のお姉様についていきます!」
「ハハッ」
「難儀ですね」
小倉さんの乾いた笑い声と、カリンの平坦な声が聞こえて来た。
恐らく、小倉さんは駐車場で彼女達と会ってから、目の前にいる女生徒達と似たようなやり取りをされたんだろう。あの人は元使用人だから、大変だったに違いない。
だけど、小倉さんを連れて来たのは大変に困る。恥ずかしくて顔が赤くなって、顔が上げられないよ。
とにかく、急いでこの場から離れようと足を踏み出す。
「ストップ待ってくれ! まだ俺は返事を貰っていない!」
それどころじゃないんだよ! 追い縋って来た彼に、内心で思わず叫んでしまった。
その返事を後日にするかと口を開こうとした。でも、僕が返事をする以前に、周りがそれを許さなかった。
「何ですか? 男子は近寄らないで下さいってお願いしたじゃないですか!」
「そうです! お姉様達に声を掛けるなら、私達の許可を取ってからにして下さい!」
「何でこんな事に……」
「難儀ですね」
小倉さんが頭を抱えている。
僕もちょっと驚いている。これがお嬢様方のパワーと言うものなのだろうか?
「なんだよ、それじゃまるで親衛隊みたいじゃないか」
「親衛隊! 素敵、私はお姉様達の親衛隊1号になりたい!」
「それはずるいよ飯川さん! 私だってお姉様達の親衛隊2号が良い!」
「大体、お姉様ってなんだ。君達はレズビアンなのか? そいつはいけない、何故なら世界の男女比はおおよそ1対1だ。女性同士でくっつかれては、俺達男の相手がいなくなっちまうHAHAHA……」
其処まで言いかけた時、二人の女生徒はレーザーでも射ちだしそうな目でジュニア氏を睨みつけた。
「女性同士の恋愛の何たるかも知らない人が、単語一つで私達の想いを定義づけないで下さい!」
「はいGL小説! これ読んで出直して来て下さい!」
そのまま僕は小倉さんとカリンを含めた四人の少女達に連行された。どうやら彼女達のメイドも同様の考えらしい。
肉体的に女性ではないのが申し訳ないけれど、喜んで貰えてるのだから良いか。要は気持ちの問題だ。
「マイガッ! ……まだまだ俺は……諦めないぜ!」
信頼出来る美容師は必要だから、ジュニア氏は取り敢えず候補に入れておこう。
……今は、それよりも隣に歩いている相手の方だ。
「お、おはようございます」
「……お、おはようございます」
困ったように挨拶をして来た小倉さんに、恥ずかしがりながらも僕も挨拶した。
本当に恥ずかしさがどんどん湧いて来る。これが一定以上になったら開き直れるのかも知れないが、その前に顔が赤くなり過ぎて気絶してしまいそうだ。
「ああ、二人のお姉様と一緒に教室に向かえるなんて」
「夢みたい」
飯川さんと長さんはそれぞれ僕と小倉さんの脇に立って歩いている。
自然と僕と小倉さんの距離が近づいてしまう。止めてくれ。心臓がドキドキして苦しくなって来る。
誰か、この状況を変えてくれと願いながら僕らは教室に辿り着いた。
其処で……。
「ねえ、貴女達の名前って、コクラアサヒで良いんだよね」
小さな暴君であるジャスティーヌ嬢が待ち構えていた。
side遊星
教室に入ると共に質問して来たジャスティーヌさんの質問に、僕も才華様も思わず驚いて足が止まってしまった。
そう言えばジャスティーヌさんは、昨日のHRの時の自己紹介に参加していなかった。僕の方は教室へ案内する時に名前を名乗ったけど、その時には何の反応もしていなかった。なのに、何で今更?
「はい、昨日も名乗りましたが、私の名前は小倉朝日です」
「私も小倉朝陽と言います。小倉様と同じ名前なのは大変恐縮なのですが」
「ふうん。そうなんだ。じゃあ次に聞くけれど、貴女達二人のどっちかのお母さんが、パリのフィリア学院に通っていた事がある?」
お母様? いや、この場合はきっと僕の母親となっている『小倉朝日』の事だろうか?
でも、パリのフィリア学院?
いや、通った覚えは……あっ、そう言えば確か数ヵ月だけ桜小路遊星様が『小倉朝日』として、パリのフィリア女学院に留学したという話を聞いた気がする。
ジャスティーヌさんが確かめたい事は、その事かな?
「いえ、私の母がパリのフィリア学院に通ったという話は聞いた事がありません」
「じゃあ、貴女じゃないか。そっちは?」
「私は確かに聞いた事があります」
「ふぅん。じゃあ、貴女の方か」
ジャスティーヌさんは、才華様ではなく僕を興味深そうに見て来た。
「何故そのような質問をされたのでしょうか?」
「私の伯母様が言っていたの。もし大蔵家の関係者でコクラアサヒを名乗っている人物が居るなら、その相手を見れば、私がプロとして足りないものを見つけられるかも知れないって」
「プロとして足りないものですか?」
「そっ。私はその為に日本に来たの。後、コレ、ありがとうね」
ジャスティーヌさんは僕や才華様に見えるように一枚の紙を取り出した。
紙にはフランス語が書かれている。見覚えがありすぎる。
昨日、カトリーヌさんに僕が書いて渡した一年の予定表だ。
「コレのおかげで良く分かったよ。カトリーヌは日本語は全然駄目だったから、貴女が書いてくれたって言ってたんだけど」
「はい、確かに書きました。余計な事をしてしまったでしょうか?」
「寧ろ逆だから安心して。カトリーヌも感謝していたよ。ありがとう」
良かった。樅山先生の話が分かっていなかったようだから、フランス語に訳して書いてカトリーヌさんに渡しておいたんだ。
余計なことかもしれないと不安だったけど、感謝されているようだから本当に嬉しい。
「小倉お姉様って、フランス語も堪能であらせられるのね」
「しかも字も綺麗。話を聞きながら、あんなに綺麗に書けるなんて、本当に素敵だわ」
……お姉様。そう呼ばれる度に心が痛い。
違うんです。僕は本当は男なんです。だから、お姉様って呼ぶのは出来れば止めて欲しい。
無理なんだけど。
「アレ? そう言えば、白い子はいるのに、あのアーノッツの子は何でいないの?」
「お嬢様は本日は体調を崩されたので、お休みになられます」
やっぱり、エストさんは無理だったか。仕方がないか。流石に無理はさせられないし。
「え、昨日は元気だったのに? かわいそー」
やっぱりジャスティーヌさんは良い人だ。行動や言動で勘違いされそうだけど、昨日喧嘩になりそうだったエストさんを心配しているんだから。
ただ、昨日の行動で教室内では警戒心が持たれてしまっているようだ。飯川さんと長さんは僕と才華様が近くにいるから、ジャスティーヌさんから離れていないけれど、ジャスティーヌさんの側にはカトリーヌさんしかいない。
他のクラスメイトの方々は距離を取って、僕らのやり取りを見ている。これが残念ながら、今のジャスティーヌさんとクラスメイトの方々との距離だ。一年間一緒のクラスにいるのだから、楽しく過ごして貰いたいが、ジャスティーヌさんが今のところそれを望んでいない。
彼女自身が望まなければ、不満ばかり溜まってしまう。だから、少しずつ……って、アレ?
「じゃあ、私、用が終わったから帰るね」
「あのジャスティーヌさん。何をしているんですか?」
「何って、眠いから帰るの。授業の方は興味がないし、貴女を見るのも作品を見れば良い事だから」
「……ジャスティーヌさん。せめてHRぐらいは出た方が良いのではないでしょうか?」
「いやだ。眠いから。何かあったら、また貴女が紙に書いてカトリーヌに渡してくれれば良いし」
余り頼りにされるのも困る。
確かに僕はカトリーヌさんが困っていたら、助けてしまうだろう。でも、そう何時も助けて上げられるとは思えない。
何せ僕には一か月ごとにお父様からの課題がある。必ず乗り越えてフィリア学院に通い続けるつもりだけれど、お父様の課題を相手に絶対というのは難しい。だから、ジャスティーヌさんにも出来るだけ教室に居て貰いたい。
だけど、彼女は授業には興味が無さそうだ。そんな彼女が興味を覚える事は何か無いだろうか?
……そうだ。個人的には使いたくない手段だが、せめてHRまで居て貰う為に使おう。
僕はジャスティーヌさんの側に近寄り、耳元で話しかける。
「ジャスティーヌさん。今日は実はHRで重大な発表がされるそうです」
「重大な発表? なにそれ?」
「聞けば、ジャスティーヌさんも大変興味が惹かれると思います」
「ふぅん……本当に?」
「本当です」
「……じゃあ、分かった。HRまでは居て上げる」
手に持った鞄を机に置き、椅子に座った。
どうやら少し興味を覚えてくれたようだ。
「嘘だったら承知しないからね」
「その時は好きに文字を書いても構いません」
言われた言葉に僕は頷いた。
それぐらいは別に構わない。ジャスティーヌさんに教室に少しでもいて貰えるなら。
……ただ、何故だろうか? 教室のクラスメイトの方々が僕に尊敬の視線を向けて来るのは?
普通にジャスティーヌさんを教室に残って貰う様に説得しただけなのに。
「皆さん、おはようございます!」
疑問に思っていると、樅山先生がやって来た。
教室にいた女生徒達は自分の机へと戻って行く。才華様も自分の席へと着いた。
樅山先生は教室内を見回し、ジャスティーヌさんが居る事を喜んだ。昨日の件があったから、教室にいるか不安だったのかも知れない。
「今日は皆さんに凄い報告があります!」
「先生。凄い報告とは何でしょうか?」
「梅宮さん。気になるでしょうが、少し待っていて下さい。その報告は総学院長が全クラスに校内放送で知らせるので……そろそろ時間かな」
樅山先生が教室内の時計を確認すると、校内放送を知らせる音声が教室内に響いた。
『おはよう。フィリア学院の全生徒諸君! 今日は君達に喜ばしき報告を伝えよう。生徒諸君は知っているだろうが、この学院は年末に芸術祭が開催される。その名はフィリア・クリスマス・コレクション。諸君らの中には、このフィリア・クリスマス・コレクションを目的にこの学院に入学した者も居るだろう』
聞こえて来る声は冷静に聞こえるけど、その中には隠し切れない興奮があった。
間違いなくラフォーレ総学院長は、これから伝える事を喜んでいる。正確に言えば……ジャンが来る事を。
『フィリア・クリスマス・コレクションは学生レベルの枠を超えたイベントだと言われている。私もまたその認識を持っているが、それはあくまで国内レベルの話。海外から留学して来た学生の中には、そう思っている生徒もいるだろう。だが、そんな君達もきっと今年のフィリア・クリスマス・コレクションに関しては認識を変えるだろう。何故ならば……彼が来る。私が勤めている会社の社長にして、私の最高の友である彼! 世界的デザイナーの最高峰に立ち、フィリア学院の創設者であるジャン・ピエール・スタンレーが、フィリア・クリスマス・コレクションの審査員としてやって来るのだよ!!』
興奮を抑え切れなくなったのか、ラフォーレ総学院長は誇るように叫んだ。
教室内のクラスメイト達が動揺するように身体を震わせた。隣に座っているジャスティーヌさんも、流石にジャンの名前が出た事に驚いたのか目を見開いている。
ジャンは最初は欧州方面で活躍していた。だから、ジャンの名前は欧州方面で知らない人はいないだろう。
『ジャンには劣るが、他にも有名なデザイナーが二名呼ばれている。もう君達も理解しているだろうが、今年のフィリア・クリスマス・コレクションは国内レベルでは済まない。世界中が注目する事だろう。既にこの噂を聞きつけて、フィリア・クリスマス・コレクションに招待してくれと著名人が連絡して来ている。今年学院に通っている君達は幸福だ。彼を直接目にする機会を得られるばかりか、君達の作品を審査してもらえるのだから。これを幸福と言わずに、何と言うべきか』
確かにジャンの立場を考えれば、会う機会どころか直接顔を見る機会を得る事さえ難しい。
僕だって、ジャンの顔を見たいからフィリア女学院に入ったのもあるし。
……其処でジャンの顔を見られた喜びを、吹き飛ばしてしまう目にあったけど。
『重大な報告は終わりだが、どうか君達が彼を喜ばせる作品を魅せてくれる事を願う。彼の喜びは、私の喜びでもあるのだから。期待している。我が学院の生徒諸君』
校内放送が終わった。
……ユルシュール様や瑞穂様、そして湊の紹介がなかった。
やっぱりお父様の言う通りラフォーレ総学院長にとっては、何よりもジャンが重要なようだ。湊は立場上仕方がないけど、ユルシュール様や瑞穂様だって有名な方なのに。
ラフォーレ総学院長もその事は知っているんだろうけど、ジャンが来る事が彼にとっては何よりも喜ばしいに違いない。
「へえ、黒い子の言った通りだ。芸術祭なんて全然興味がなかったけれど、ジャン・ピエール・スタンレーが来るなら、やる気が出たかも」
どうやらジャスティーヌさんもやる気に……って!?
気がついた時には、ジャスティーヌさんは鞄を持って入り口の方に歩いて行った。
「ジャ、ジャスティーヌさん!? 何処に行くんですか!?」
「部屋に帰ってデザインを描くの」
「駄目です! ちゃんと授業を受けて下さい!」
「いや、そっちには興味が無いから。つまんない授業を受けるよりも、部屋に戻ってデザインを描いている方が良い。気が向いたらまた来るよ。じゃーねー!」
やる気に満ち溢れ、機嫌が良さげに教室から出て行った。
……確かにジャスティーヌさんはやる気になった。だけど、帰るのは違うよね。
止めようとした樅山先生を置き去りにし、カトリーヌさんが謝っている。才華様にとって強力なライバルが出来てしまったようだ。
申し訳ありません、才華様。
「ええ、皆さん。今聞いた通り、今年のフィリア・クリスマス・コレクションには著名人の方々が集まります。彼の職業から考えてファッションショーは注目されるでしょう。グループ参加。個人参加。どちらでも参加できますので、頑張って!」
教室内のやる気が上がったのを感じる。
何せ表彰されれば、ジャンのすぐ傍に行けるのだから。世界最高峰のデザイナーであるジャンに表彰される栄誉は、凄いものだ。良家の子女なら、ジャンの事は知っているだろう。服飾に興味が薄かった人もクラスの中にはいただろうけれど、今は違う。
最高の栄誉を得るチャンスを手に入れる為に、皆がやる気に満ちている。恐らくそれは学院中の生徒がだ。
才華様が最優秀賞を二つ取るのは難しくなった。
……協力出来ることがあったら、力を貸そう。とは言っても才華様は、僕をりそな側だと認識しているだろうから、協力してくれと言ってはくれないと思うけど……。
「それでは皆さん。昨日話した通り、今日は採寸から始めます」
……えっ、採寸?
「今からメジャーと採寸表を配ります。バスト、ウェスト、ヒップだけではなく、袖丈や首回り、肩幅なども測ります。採寸表の空欄を全て埋めて、各自大切に保管しておいて下さい」
わ、忘れてたあああーーーーあ!
そうだよ! 最初に採寸からやるんだったよね!
以前の時は入学式の後にやったけれど、昨日は道具の説明だけで終わったから勘違いした。
今もやっぱり採寸はやるんですね。昨日やらなかったのは、樅山先生が僕に気を利かせてくれたのかも知れない。どうしよう!?
……現実逃避している場合じゃない。何とかこの場を乗り切らないと。
「メイドの皆さんにメジャーと採寸表を渡している間に、生徒の皆さんは下着になって下さい。あ、メイドの皆さんは脱がなくてもいいですから」
そうだ。前の時と同じだ。生徒の方しか脱がなくて良いんだから、僕が脱ぐ事は……
僕が生徒の方だった!?
メイドがカリンさんで僕は生徒だよ!
ど、どうしよう!? このままじゃ正体がバレてしまう!?
「お姉様の身体。見てみたい」
「早く測って! 黒髪のお姉様の肌をじっくり見たいんだから!?」
しかもクラスのお嬢様方の大半が僕に興味津々な目を向けている!
困った。これじゃ部屋の隅の方に移動して隠れて採寸するのも無理だ。というよりも、カリンさんと僕の背の高さだと、僕の方がカリンさんよりも背が高いから壁になって貰う事も出来ない。
二日目にして正体がバレるなんて、最悪だ!
……こうなったらわざと足を滑らせて転んで、出血覚悟で机に額をぶつけよう。そして保健室に逃げるんだ。
それしかないと思って、僕はカリンさんに顔を向ける。
すると、カリンさんは採寸表を僕に渡して来た。
「へっ、カリンさん?」
「小倉様。早く記入して下さい。ご自分でアトリエで測りましたよね」
「えっ、あ、はい」
確かに自分のサイズは測った。
りそなが自分用のボディが欲しいなら、測ってサイズを出せと言われたので測った覚えがある。
取り敢えずその時のサイズを採寸表に記入していく。書き終わると共にカリンさんが受け取り、樅山先生の下へ歩いて行った。
「採寸表です。後此方の診断書も」
「診断書? ……ああ、そういう事ですか。分かりました。確かにこういう事情でしたら、人前では脱げませんね。はい、大丈夫ですよ」
何だろう? カリンさんが差し出した診断書を見た樅山先生は安堵しながら納得したように頷き、カリンさんが差し出した採寸表を受け取った。えっ? 一体どういう事?
採寸表を渡し終えたカリンさんが戻って来る。下着姿になって採寸を受けていた他の生徒達も、エストさんがいないから座って待っていた才華様もカリンさんを見ていた。
戻って来たカリンさんは席に着くと共に、僕に樅山さんに見せた診断書を机に見えるように置いてくれた。
その診断書には、僕の背には大きな傷跡がある事が記されていた。
……こんな診断書、何時の間に用意していたの?
というよりも、最初から教えてくれれば、あんなに慌てる事もなかったのに。
恨みがましい視線を思わずカリンさんに向けてしまうが、すぐに別の紙が差し出された。
『総裁殿と衣遠様の指示です』
あの二人は!?
やっぱり、あの二人が原因だった!? 事前に用意していたのに、僕に隠していたのは僕が慌てる姿を見るた……アレ? 見られる筈がないよね。教室になんて来れる筈が無いんだから。可笑しい。あの二人が自分が見れない悪戯をするだろうか?
……あり得ない。あの二人の僕への悪戯は困っている僕の姿を見て自分達が楽しむ為だ。つまり、本当に言い忘れただけという事だろうか?
どうにも気になって考え込んでいると、突然才華様が椅子から立ち上がった。
「申し訳ありません、急にお腹が痛くなって」
「あ、大丈夫ですか」
樅山先生が才華様に近寄った。
そうだ。才華様は男性だ。その事情を知っている樅山先生なら、多分。
「保健室に行った方が良いですね」
事情を知っている人が、教室にいるのは本当に助かるな。
僕の時は誰も……そう言えばサーシャさんが陰ながら助けてくれていたらしい。気付かなかったけれど。
「それじゃ小倉さんとカリンさん。朝陽さんを保健室に連れていってくれませんか」
「え゛っ!?」
ん? 何だか才華様が驚いているようだけど、何故だろうか?
というよりも助かった。今この教室には下着姿の同級生達が……何にも男として感じない。
スタイルが良いなとか。あの人に衣装を着せる時の型紙はどう引くべきかなとしか考えていなかった。
本当に男としてどうなんだろう、僕は?
……考えるのを止めよう。せっかく僕の事情を知っている樅山先生が、それよりもチャンスだ。誰にも見られずにりそなからの手紙を渡す事が出来る。
「分かりました。カリンさん、行きましょう」
席から立ち上がり、才華様の側に近寄る。
「さあ、行きましょう」
「は、はい」
顔が随分と赤い。そう言えば、朝も顔が赤くなっていた。
もしかして本当に風邪でも引いているのだろうか? だったら、急いで行かないと不味いかも知れない。
僕は体調が悪い才華様に肩を貸して、カリンさんと共に教室から出た。
「も、紅葉……少しだけ恨むよ」
紅葉は才華の事情を知りません。
だから、朝日に頼んでしまいました。序でに朝日も男性ですから、女性の下着姿を見ても表情を全く変えていませんけど、それでも思うところはあるので才華の保健室への付き添い頼みました。