月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
エーテルはりねずみ様、三角関数様、笹ノ葉様、烏瑠様、秋ウサギ様、獅子満月様、誤字報告ありがとうございました!
side才華
今僕はピアノ科の2人の先輩方に連れられて音楽部門棟に向かっていた。
個人的には音楽部門棟に行ってみたかった。ルミねえに会えるかもしれないからだ。
ただ呼び出しという形では不味いかも知れない。もしもこのような形で僕が音楽部門棟に行けば、目撃したルミねえは何事かと驚くに違いない。
……エストがいない日の呼び出しで良かった。
教室で目の前を歩いている2人の先輩方は、僕の身体の事情を聞いて『気持ち悪い』と口にした。
僕が貶められて誰よりも怒るのは、間違いなく彼女だ。あの純粋な人をどろどろした世界に巻き込みたくない。
後、小倉さんも教室に居なくて良かった。昼休みになったら、すぐに教室を飛び出して何処かに行ってしまった。もしかしたら離れたカリンから、何か連絡が来たのかも知れない。
ただその事でも気になる事があった。
僕を呼び出す時に、彼女達は親衛隊を名乗っていた飯川さんと長さんに小倉さんが居ないかを恐る恐る質問していた。
他の生徒、梅宮伊瀬也が僕を庇った時は強気だったのに、小倉さんに対しては怯えている様子を見せている。
小倉さんは彼女達に何かしたのだろうか?
あの人の性格だと、脅すような事をするとは思えないんだけど。何よりも彼女達はピアノ科の生徒だ。
デザイナー科の新入生である小倉さんと接点があるとは思えない。
……今は小倉さんよりも、僕の方を何とかしよう。
個人的にはどろどろした世界に興味があるけれど、それで問題が発生したら不味い。
「私は何故音楽部門棟へ呼び出されるのでしょう?」
「超えちゃいけない一線ってのがあるでしょ」
「超えてはいけない? 心当たりがありません」
本当にないよ。だって、僕昨日入学したばかりだよ?
入学式で目立ってしまったけれど……気絶して運ばれるなんて不名誉な始まりだったんだから。
「アンタにはなくても、アンタがその気になれば私達の王子が危ないでしょ。だから調子に乗るなって警告」
王子? 男性? ああ……恋愛関係なんだ。
僅かにあった僕の喜びは途端に冷めかけた。いや、恋愛は芸術のモチーフとしてポピュラーなものだけれど。
僕が彼女達に興味を覚えていたのは嫉妬、妬み、怒りなどの今まで触れて来なかった感情だ。
……いや、嫉妬関連は覚えていたような気がするが。とにかく負の類の感情に、僕は興味があったんだ。
なのに彼女達が僕に関わってきたのは、恋愛という感情。異性ならばともかく、同性なので恋愛感情を持たれるのは本当に困るよ。
ジュニア氏にも同じ事を言われて、意識が遠退きかけたのに、他にも僕に恋愛感情を男性が向けているとか……本当に困る。
男性から恋愛としての好意を持たれるのも、普通に生活をする上ではまず起こらないのだから、その機会を楽しむべきではある。
でも、その結果に待っているのは悲しみだけだ。これは早期に解決を試みよう。自分の作品の幅を広げる機会はまた今度。今回は生活面での問題の解決を優先しよう。
この『呼び出し』が早い段階で、しかもエストが居ない時に起こったのはありがたい。それも条件が良い。
目の前を歩く彼女達は言葉が通じる。それに、理性と知識と恐怖がある。一も二もなく暴力に訴える類の野蛮な人種じゃない。
それとこの先輩方は、学院内、少なくとも僕の身近なデザイナー科に交友があるみたいだ。
梅宮伊瀬也や飯川さん、長さんに言っていたから間違いない。その交友関係を通じて、小倉朝陽はアンタッチャブルな存在だという認識を各方面に広めてもらうのにも期待したい。
つまりはジャスティーヌ嬢と同じく、巨大権力の庇護下にあるという警告を行なう。彼女と違う点は、手を出さない限り、此方からは干渉しない。
信頼出来る後ろ盾として最も強力なのは大蔵家。ルミねえなら事態の経緯を打ち明けやすい。
だけど、目の前の先輩方は、音楽部門の生徒。それが今回の件における唯一の問題点だ。ルミねえはまだ一年生なのだし、一般クラスに在籍している。僕に関わる事で、人間関係に諍いを持って欲しくない。
小倉さんは論外。本人には問題ないが、背後に居る総裁殿と僕は絶賛喧嘩中なので、小倉さんに迷惑をかけたら最後のチャンスも失ってアメリカに強制送還されて、僕とアトレとは二度と元の関係に戻る事が出来なくなる。
となれば残っているのは……衣遠伯父様だ。
あの人なら問題はないと思いたい。以前に僕に対して怒りの感情を示したのは総裁殿の指示があったからだと……思いたい。
余り頼り過ぎるのはいけない事だが、此処はこれ以上問題を大きくさせない為に、名前を使わせて貰います伯父様。
そんな風に方針を固めたところだったけれど……。
「やあ、三人で食事かな?」
……まるで予測していなかった出来事が起きた。
「総学院長先生!?」
「こ、こんにちは! あっ、いえ……ごきげんよう?」
「ハハ、丁寧な挨拶をありがとう。ごきげんよう、私の愛しい生徒達。ところで君達は一人を除いて服飾部門の生徒ではないね? 私は入学式に見た生徒の顔は記憶しているつもりなのだけど、君と君には見覚えが無いんだ」
「はい、その、私達はピアノ科です。彼女に用事があって……」
「ピアノ科の生徒がデザイナー科の新入生に何の用事だろう。施設の案内なら同じ服飾部門の上級生に任せた方が良い。それとも才能を見込んでの青田買いかな? 演奏会のドレスの製作でも頼むのかな? 年末のショーの準備だとすれば、クリスマスツリーの飾りも用意した方が良さそうだ。彼が年末に来る事が決まったとは言え、気の早い話だ、ハハ」
この時点で、二人のピアノ科の先輩はバツが悪そうに黙り込んでしまった。咄嗟に良い言い訳が思いつかなかったらしい。
身に付けるのはとても大変だけれど、即興のアドリブは演奏にも役立つよ。
「ところで私は今、共に食事をしてくれる生徒を探していたんだよ。明日には日本を発つ予定でね。少しでも君達との触れ合いをしておきたいんだ。新入生がいるなら丁度いい。四人で一緒にどうかな?」
「ええっと……私達、話が済んだら、次の試験の為の練習をするつもりで」
「そう、でも、総学院長先生と彼女がお食事をするなら、私達は別の機会に話します。せっかくのお誘いですが、今日はご遠慮いたします」
「昼休みにまで練習をするなんて良い心掛けだ。君達の事は記憶しておこう。私は一度覚えた生徒の顔は忘れないんだ。だから君達も忘れてはいけないよ。私は、直接の管轄である服飾部門の生徒を一般、特別、そして付き人に至るまで深く愛しているんだ。特に彼女のような、か弱き女性は守ってあげたい。未来ある新入生が困難に遭えば、パリからでもすぐに戻り障害を排除したい。特に今年は彼が年末に来るのだから、問題なんて起きたら困るのだよ。分かるね?」
今まで服飾部門の生徒の中で、上、下級生間の軋轢がなかったとは考えにくい。
そもそも伯父様の話だと、学年を跨がなくても、特別編成クラスと一般生徒の対立を煽ったのは、この男だと聞いている。
それに加えて彼の言動は服飾部門の生徒全体と言うよりも、僕個人への手出しは許さないと言外に告げている。
……どうやらカリンが言っていたように、昨日の入学式で僕は目を付けられてしまったようだ。
だけど、悪い事ばかりではない。全てが予想外だったけれど、何時の間にか僕の安全は確保された。
「では音楽部門棟へ戻り、練習に励むと良い。サリュ!」
親指とその隣の指を立てて、総学院長は気障に先輩方を見送った。
そして先輩方が見えなくなったのを確認すると、総学院長は通路の角に視線を向けた。
「……これで良かったかね?」
「ありがとうございました、総学院長先生」
「小倉さん!?」
通路の角から出て来た小倉さんに、僕は驚いた。
小倉さんは僕に顔を向けると安堵の息を吐き、改めて総学院長に顔を向けて頭を下げた。
「お手間をかけさせてしまい申し訳ありませんでした」
「構わないさ。寧ろ話を聞かせて貰って良かったと思っている。君だけじゃなくて、彼女にも興味があったので。彼女との話は後日にと思っていたが、こうして興味を覚えていた二人と会えた。寧ろ先ほどの彼女達には少々感謝もしているよ」
「そ、そうですか……」
「しかし君も難儀なものだ。親戚がやらかしてしまったせいで、ピアノ科の生徒達は君を……」
「総学院長先生」
「おっと。失敬。これは部外者が居るところで話せる話ではなかったね」
……今のは何だろうか?
小倉さんの親戚がやらかした? ピアノ科での親戚と言えばルミねえと山県先輩の事だろう。
でも、ルミねえが何かをやらかすとは思えない。今日の朝、嬉しそうにピアノ科の授業を受ける事が出来る事を喜んでいたんだから。
となると山県先輩の方の事だろうか?
「さて、では用件は終わったので先ほど言ったように食堂で食事をしようじゃないか」
「は、はい。そ、そうでしたね」
ん? 今聞き捨てならない事を総学院長は言わなかっただろうか?
小倉さんと食事? 誰が? 男性の総学院長が?
……うん。分かるよ。小倉さんは美人だから、お近づきになりたい気持ちはとても良く分かる。
だけど、小倉さんはフィリア学院の生徒だよ。それでラフォーレ氏は、フィリア学院の総学院長。
……イライラする。小倉さんが困った様子で、総学院長と会話をしている様子を見ていると、恥ずかしさが治まり、代わりに胸がムカムカして来る。
「君もどうかね?」
「ご同行させて頂きます」
迷う事無く僕は答えた。
視界の端で小倉さんが戸惑っているけれど、僕も同行させて貰います。
僕ら三人は食堂へと向かい、其処で食事をしていた生徒達から注目を集める事になった。
もう良い。どの道入学式でこれ以上に無いほどに目立ってしまった。此処まで来たら開き直って堂々と歩こう。楚々としたメイドらしさを忘れないように、小倉さんの背後に立ちながら。
特別編成クラスの食堂は中々に豪華だ。話には聞いていたけれど、見た目にも派手で量も充分。好きな物を好きなだけという、女性には食事後の体型が心配になる話。
お代は無料。当然、施設費や教育充実費の中に含まれていて、明らかな無駄遣いだよねこれと思わない事もない。だけどこの食堂に来るのは皆お嬢様だから気にしていない。あら素敵と浪費してこそ富豪だ。
今日は新入生にとって初日という事もあり、その豪華さに感激している同級生が殆どだ。食堂に居る上級生達は、その様子を微笑ましげに見守っていた。
かくいう僕もそれなりに驚いている。隣の席に座っている小倉さんも食堂の規模に驚いているようだ。
そうだ。今の僕の立場はメイドだから、此処はお嬢様の小倉さんを立てて、食事を持って来てあげよう。
「あっ、小倉お嬢様。私が食事と飲み物をお持ちしましょうか?」
「そ、そうですね……お願いします」
「では、失礼いたします」
「私達は奥の席に行くとするよ」
奥の席? つまり、聞かれたくない話でもするつもりなのだろうか?
これは拙い。てっきり、他の生徒達が見える場所で会話をすると思っていたから、小倉さんから離れたのに。
急いで食事と飲み物を用意しないと!
そう思っていたのに……。
「朝陽さん! 無事で良かった! でも、小倉さんはともかくどうして学院長まで? どういう事なの?」
「朝陽お姉様! ご無事で良かったです! 私、心配していました!」
「食堂に向かうお姉様達の話を聞いて、急いで来たんですけど……あああ小倉お姉様が学院長と一緒に食事を!? どうか男性なんかに靡かないで下さい!」
「どうか私達のお姉様達でいて下さい!」
梅宮伊瀬也を中心としたクラスメイト達が集まって来た。
心配してくれるのは嬉しいけれど、小倉さんが総学院長と二人っきりになってしまうから。
でも、純粋に心配してくれる彼女達を邪険に扱う訳にもいかない。
ごめんなさい、小倉さん。少し戻るのが遅くなりそうです。
side遊星
「ハハハッ、君達は随分と人気者のようだね。生徒の注目を集めているみたいだ。二人とも美人だから当然か」
「きょ、恐縮です、総学院長先生」
僕とラフォーレさんは、一番奥の席に座り、才華様が戻って来るのを待っていた。
食事を持って来て貰うのは大変心苦しいけれど、学院内での立場を考えれば仕方がない。そう思う事で自分を納得させた。
でも、ラフォーレさんと会った時は驚いた。ピアノ科の先輩方に連れて行かれた才華様を追っている途中で、ラフォーレさんに会った。どうやら元々僕に会いに来るつもりだったらしい。
用件は何だろうか? この人は調査員が学院内に居る事は知っている筈だけど、その調査員が僕とカリンさんである事は知らされていない筈だ。元々調査員を派遣する事になってしまう事になった理由の一つである『特別編成クラスと一般クラスの対立の激化』に関する事は、ラフォーレさんが煽ったのも原因の一つだ。
だから、調査員が誰なのかまでは知らされていないはず。
「それでご用件は何でしょうか?」
「そう警戒しないでくれたまえ。何、学生時代共に過ごした大蔵君の義娘が学院に通っていると聞いたので、どのような人物なのか気になって会いに来たのだよ。彼は……君も知っている通り、我の強い傲慢な人物だからね。そんな彼が養子にまでするほどの人物はどのような子なのか気になってね」
「そ、そうですか。お父様の学生時代の友人だったんですね、総学院長先生は」
「……」
うわっ! 一目見るだけで分かるほどに、ラフォーレさんの顔が嫌そうに歪んだ。
「……友人という言葉は、俺と彼との関係を表すに不適切ですね。あくまで同じ学院に同時期に通っただけの関係ですよ、彼とは」
……一人称が私から俺に変わっている。
余程お父様と友人と呼ばれるのが嫌だったようだ。
「さて、話は戻しますが、正直言って私は最初に君の話を聞いて警戒していました」
「警戒ですか?」
「ええ。義理とは言えあの大蔵君の娘ですからね。現に君の親戚はやってくれましたから」
ルミネさんの件は既に彼も知っているようだ。
教員が一人依願退職するのだから、総学院長であるラフォーレさんが知っていて当然の事だけど。
「君も親戚のように気に入らない事があれば、理事長に泣きつくのではないかと警戒していたが……見たところは君は問題がなさそうだ。クラスメイト達からも慕われている様子だし、担任の樅山先生からも授業態度は真面目だと報告を聞いている」
「授業を真面目に受けるのは当然の事ですから。寧ろ樅山先生の授業は分かり易くて、助かりました」
「それは嬉しい話だ。彼女は長年この学院に勤めているのだが……あの容姿のせいで生徒達から甘く見られがちなのでね」
やっぱり、樅山さんの問題は容姿か。
授業は凄く分かり易くて助かったけど、やっぱりあの容姿は担任としては問題なのかも知れない。
現に授業中に質問していたクラスメイトは、樅山さんの対応に戸惑っていたし。
「出来るだけ、今年は問題を起こさないで欲しいものだよ。十数年ぶりに彼がこの学院を訪ねるというのに、問題が起きて彼の参加が無くなるなどあっては困るからね。先ほどのピアノ科の生徒もその類だろう」
「と、仰いますと?」
「彼女達はピアノ科のある生徒のファンでね。非公式ではあるがファンクラブもある生徒だ。白い美しい彼女にでも、その生徒が惹かれてしまったので警告を言おうとしたのだろう。あの二人だけではなく、他の女生徒達も加えてね」
才華様がピアノ科に行かなくて良かった。
行った先には、他のピアノ科の生徒も居たのかも知れない。そうなっていたらと思うと、心配になってしまう。
もう少し警戒心を持って欲しいな、才華様には。
……あっ! そうだ。せっかくラフォーレさんと会えたんだから、一つ意見してみよう。
「あ、あの?」
「何かね?」
「今日あった放送の事なんですが、年末のフィリア・クリスマス・コレクションにジャン・ピエール・スタンレー氏が来るという話は、本当なのでしょうか?」
「本当だとも。私も彼が来ると知った時は、興奮を覚えずにはいられなかった。今も実は興奮している。何せ彼は私がこの日本校の総学院長になってからは、仕事が忙しくてフィリア・クリスマス・コレクションには参加していなくてね……あの男が学院長だった時は、毎年欠かさずに来ていたと言うのに」
「あの男?」
「……君なら知っているでしょうが、私の前のフィリア学院の学院長は大蔵君だったのですよ。非常に私はその事が不満だった! アイツの時には欠かさず来てくれていたというのに、俺が学院長になったら来てくれなくなったのですから!」
ラフォーレさんの顔がまた怖くなった! それと共に僕の脳裏に勝ち誇ったお父様の顔が浮かぶ。
……今回のフィリア・クリスマス・コレクションの審査をジャンが引き受けた裏に、お父様が関わっている事は内緒にしておこう。喧嘩になってしまいそうだ。
「だからこそ、今年のフィリア・クリスマス・コレクションは必ず成功させたい。彼には是非とも私が愛する生徒達の作品を見て、喜んで欲しい」
「……その事ですが、他の有名なデザイナーの方達の名前は発表しないんですか?」
「彼が来る以上、他のデザイナーの名は発表する必要は無いでしょう。確かに有名ではありますが、彼と比べるに値しないと私は思っていますから」
「……私はそうは思いません」
「どういう事かね?」
厳しい視線をラフォーレさんは向けて来た。
『狂信者』と呼ばれる彼にとって、ジャンを軽く見るような発言は許せないのだろう。だけど、僕はジャンだけじゃなくてユルシュール様、瑞穂様、そして湊を軽く見られるのも嫌だ。
「ジャン・ピエール・スタンレー氏のみを強調するように言ったら、この学院の生徒達は彼だけに注目すると思います」
「それの何がいけないと言うのかね? 彼は創立者なのだ。彼が来て、彼を中心に物事を考えるのに何の問題はないと俺は思うが?」
「確かにそうです。でも、それだと年末のフィリア・クリスマス・コレクションに出て来る作品は彼の好みを中心とした作品になってしまいます。彼だけに評価されればいいと思って、彼を喜ばせる作品だけが出てしまうと私は思うんです」
「だから、それの何が問題だと俺は聞いて……」
「彼は驚いてくれません」
「ッ!?」
「自分の好みだけの作品が出て来るフィリア・クリスマス・コレクションでは、きっと最初は喜んでくれるとは思います。でも、時間が経てば慣れて来て、次の作品は何なのかというワクワクした気持ちが無くなってしまう。私は、もし彼が来るなら、彼に喜んでくれて、そして驚くような作品を魅せたいです」
「……なるほど。確かに興味深い」
考え込むようにラフォーレさんは目を閉じた。僕の案が一考に値する事だと、分かったようだ。
出来れば受け入れて欲しい。ユルシュール様や瑞穂様、そして湊だって服飾の世界で活躍している。
年月の差でジャンには及ばないかも知れない。でも、彼女達だって厳しい服飾業界の中で活躍しているんだ。
ジャンのおまけ扱いのような立場なんて、僕は嫌だ。個人的な気持ちかも知れないけれど、ユルシュール様、瑞穂様、そして湊にもフィリア・クリスマス・コレクションの当日には輝いて欲しい。
やがて、結論が出たのかラフォーレさんは目を開けた。
「君の意見は確かに良い。特にジャンを驚かせるというのは、興味を惹かれる。彼が一番なのにかわりはないが、他の審査員達の名も学生達に伝えるとしよう」
「本当ですか!」
「本当だとも。残念ながら食事の後にはパリに戻らねばならないので、私自身は伝えられないが、代わりにクラス担当の担任に伝えておくように指示を出しておく」
「ありがとうございます」
「寧ろ此方も礼を言いたい。君の意見を聞かなければ、私は危うく彼に単調なショーを観せかねなかった。最初は喜んでくれるかも知れないが、何れは飽きてしまう。せっかく来てくれるのだ。彼には喜び、そして驚いて貰おう」
良かった! 『狂信者』なんて呼ばれているけれど、ラフォーレさんは話せば分かってくれるような人みたいだ。
「しかし、君は随分と彼の事を理解しているように見えるが、もしや会った事があるのかね?」
「……子供の頃に一度だけ会った事があります。彼に出会えたおかげで、私は夢を持つ事が出来るようになりました」
「やはりそうだったか。君も最初は彼に驚かされたのではないのかね?」
「ははっ、確かに会った時は驚かされました」
本当にボーヌの地下のワイン蔵でのジャンとの出会いは驚かされた。
何せ、彼と出会ったおかげで僕は生まれ変わる事が出来たんだから。
……生まれ変わる事が出来たのに、結局僕は何一つ彼に誇れるような結果を出せなかったんだよね。
女装までして彼が設立した学院に通ったのに……僕は……駄目だ! 今は流石に暗くなる訳にはいかない!
明るい事を考えよう! 何か話題を逸らせるような事は……。
「お食事とお飲み物をお持ちいたしました!」
丁度才華様が戻って来てくれた!
良かった。これで何とか暗くならずに……アレ?
何だか、才華様の様子が不機嫌なような? 僕の隣に座って、ラフォーレさんを睨むように見ている気がする。
気のせいじゃないよね? 何で才華様は不機嫌になっているんだろう?
「やあ、君が戻って来るのも待っていたよ。彼女との会話は興味深かったが、私は君の方にも興味があってね」
「そうですか。それで何か私にご用があるのでしょうか?」
「まだ、君自身のデザインを見ていないので決めかねているのだが、もしも君のデザインが私の目に適うものだったら特待生として引き取りたいと考えている」
「何故デザインを見ない内から、そのような提案を私にするのでしょうか?」
確かにそうだ。
今日のデザインの授業の課題は、自由にデザインを描いていい自由課題ではなかった。
有名なデザイナーの描いたデザインを見て描く練習だ。才華様自身のデザインはまだラフォーレさんは見ていない筈だ。
なのに何故才華様を勧誘しようとする。お父様はラフォーレさんは才能を求めていると言っていたけれど、デザインを目にしていないのに、入学式で目にしただけで才華様に興味を覚えるのは不自然だ。何か目を付けるだけのものを才華様は見せてしまったのだろうか?
「尤もな疑問だ。本来ならば、今日の授業の課題に自由課題を入れるように指示を出したかった。だが、今は事情があって迂闊な指示を出せなくてね」
調査員の存在は、やはりラフォーレさんも危険視している。
迂闊な事をして、理事長のりそなに報告されるのは不味いと考えているんだろう。せっかくジャンが来るんだから、彼を迎える為の準備は直接指示を出したいに違いない。
理事長側の調査員である自分に不利な報告をされるのは不味いと考えてるに違いない。
「しかし、デザインを見なくても君には興味を覚えざるを得なかった。入学式の壇上で『良い目をした』と思える生徒だったからね。君のような目をした者は良いデザインを描く。私の長年の人生経験から裏打ちされた事実だ。実際にその目をしたデザイナーは成功した側の人間だったからね」
背中にぶわりと冷や汗が出た。多分才華様も同じようになっていると思う。
この人……ラフォーレさんはもしかしてルナ様の事を知っているのだろうか? いや、知っていても可笑しくはない。
ルナ様は世界的なデザイナーで、十数年前にジャンから評価も貰っている方だ。
面識があっても可笑しくはない。あっ、でもそう言えばアメリカに居た時にラフォーレさんの事はルナ様は知っていたけれど、会ったという話は聞いた事がない。
という事はラフォーレさんが言っている相手は、別の人?
「ただ目は良く似ているのだが、性格はまるで違ったな。そのデザイナーは、見ていて笑いが込み上げるほど傲慢な男だった」
……良かった。才華様の正体がバレた訳じゃないみたいだ。
でも、ラフォーレさんの知っている成功したデザイナーで、傲慢な性格の人物?
それとさっきの才華様の居ない時の会話から推測すると……もしかしてお父様の事かな?
……凄く複雑だ。いや、才華様は僕の子じゃないけれど、桜小路遊星様よりもお父様の方に似ていると言われるのは、何かとても複雑だ。
取り敢えず才華様の正体がバレていない事は助かった。
「来月には一度学院に戻って来るつもりです。その時に君が描くデザインを見る事が出来るでしょう。本日休んだ君の主人やパリで賞を取ったラグランジェ家のご息女の作品も見られる。本当にその時が楽しみです」
……やっぱりラフォーレさんはお父様の言う通り、才能を求めている。
今のところはデザインを見ていないから、判断は保留というところ。
このまま何事もなく、会話が一先ず終わって欲しい。正体がバレていないとは言え、会話を続けるのは危険だ。
食事も終わったし、ラフォーレさんとはそろそろ離れたい。
「では、またね。次に会える日を楽しみにしている」
「今日はありがとうございました」
「此方こそ有意義な会話が出来ました。そうだ。次に会った時は、君が憧れているジャンの昔話でもしてあげましょう」
「本当ですか!?」
ジャンの昔話! 聞きたい! 凄く気になって仕方がない!
うわー! まさか、ジャンの昔話が聞けるなんて夢みたいだ! 早く来月が来ないかな!
お父様は昔話なんてしてくれないから、凄く楽しみだ!
「ハハハッ、そんなに目を輝かせてくれるとは。私も彼の事を語るのは好きなので、君には語り甲斐がありそうだ。時間さえあれば、この場で語りたい所なのですが、もうすぐ予約した飛行機の時間なので本日は此処までです。非常に私も残念だ」
「私もです」
ううっ、ジャンの昔話。
凄く聞きたかった。来月に聞けるんだから我慢しよう。
「では失礼しま……」
「パリにあるジャン・ピエール・スタンレー氏の会社に戻るのですね」
アレ? 才華様どうしたんだろう?
何だか凄く不機嫌さが増しているようだけど。何で?
才華sideで選択肢が発生しました。
【ラフォーレを挑発する】(ラフォーレの関心がUP。朝日の好感度ダウン)
【ラフォーレを挑発しない】(変化なし)
因みにアンケートではありません。
後朝日が才華を助けていた場合、やっぱり大蔵はとピアノ科の先輩達は思うので、ピアノ科の方で活動し難くなってしまいます。ラフォーレが来たのは複雑ですが、今後の事を考えると助かっていました。
『食堂に潜む二人』
「ううぅ、お姉様。あの女と一緒に居るなんて……しかもあんなにすぐ傍に」
「アトレお嬢様。離れましょう。会話を盗み聞きするなんてはしたないです」
「嫌です。九千代の言う通りはしたないかも知れませんが、あの女とお姉様が一緒にいるなんて許せません。もしもお姉様に何かが起きたらと思うと、私は心配で心配で」
「小倉お嬢様は、心配に為される方とは思えませんが」
「九千代は甘いのです。現に総学園長が警戒して会いに来ているじゃないですか。お姉様を惑わす存在。何としてもお姉様の為に、あの女の本性を暴いて見せます!」
「本性って……」