月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

58 / 234
今回の話でラフォーレの言葉で、『は』が『あ』になっていたり、『へ』が『え』になったりしていますが、これは原作の仕様なので誤字ではありません。
彼は動揺するとハヒヘホをアイエオを言ってしまうので。

烏瑠様、秋ウサギ様、笹ノ葉様、dist様、誤字報告ありがとうございました!

選択肢
【ラフォーレを挑発する】←決定!
【ラフォーレを挑発しない】


四月上旬15

side才華

 

 イライラが治まらない。

 僕が見た事も無いような顔で目を輝かせて総学院長と会話をする小倉さんを思い出すと、今すぐ割って入りたい衝動に何度も襲われた。

 でも、本当に楽しそうに会話をしている小倉さんを見ると邪魔をする事が出来なかった。

 だけど、終わった今なら僕も総学院長と会話をする事が出来る。この男の素顔を晒したい。

 と言うか、小倉さん。貴女は調査員の一人でしょう。伯父様や総裁殿から、この総学院長に警戒するように言われているだろうに、綺麗な仮面を被って本性を隠しているこの男と仲良くなってどうするんだろうか?

 だから、僕がその仮面を剥がす。

 この手の、外面を綺麗にコーティングしているタイプの人間は、真っ向から挑発しても意味がない。綺麗な怒り方をしてみせるだけだ。自信に溢れていた頃の僕もそうだったから分かる。

 だからこそ、何をされれば一番怒るのかを考えれば良い。

 僕の場合は両親を侮辱されること。だけど面と向かって罵倒だなんて、品のない真似は小倉さんが居なくても出来ない。

 表面を取り繕いつつ、僕自身は侮辱する事無く、その気持ちも抱かず、目の前の彼だけが侮辱だと捉える発言。

 

「そう言えば! 三月に行なわれたパリ・コレクションの記事を雑誌で見ました!」

 

「ああ、コレクション。今年の会場は、一段と盛り上がっていたよ」

 

「はい、とても素敵でした。小倉お嬢様も雑誌を見ましたか?」

 

「え、ええ……とても素敵な衣装の数々でしたね……何をするつもりなんですか? このまま帰って貰った方が良いですよ」

 

 小声で小倉さんが僕に忠告して来た。

 いえ、このまま帰って貰う訳にはいきません。彼の素顔を晒す為に。

 だから、僕は小倉さんの忠告を無視して総学院長に顔を向ける。

 

「『森と少女』をテーマにした一連のドレスは、一見素朴なのに、高貴すぎず安っぽくもなく、氏の天才的なバランス感覚を垣間見ました。シンプルな白のドレスは、パフをふんだんに用いてロマンチックでありながら、はだけた胸元に少女の儚さを感じ取る事が出来ました。その隣に並ぶ黒のドレスが一段と残酷さを引き立てていましたね」

 

「ふうん」

 

 この手の識者が最も嫌う事。それは『素人の知ったかぶり』。

 僕も幼少時に、お母様のコレクションで経験した。憧れの人の衣装を対象に、パンフレットも開かず、延々と講釈している見知らぬ奥様には、自分の未熟さもあって辟易としたものだ。

 勿論僕はジャン・ピエール・スタンレーの衣装の真剣な感想を述べる。自分に出来る範囲で感動を訴える。

 だけどファッション業界の最前線を走り、世界の流行の一角を担う総学院長と比べれば、僕の実力がまだ幼いレベルであることは明白だ。

 視界の端で小倉さんの顔色が悪くなっていくのに気がつく。どうやら僕がやろうとしている事に気がついたようだ。

 でも、止める事は出来ない。既に総学院長の視線は僕に釘付け。崇拝する人物の創造物を未熟な僕が真剣に語る。ほら悔しい。この悔しさを抱いている総学院長に横から割って入るのは難しい。

 だから僕は恥知らず、ぺらぺらとジャン・ピエール・スタンレーを語った。『狂信者』とあだ名を付けられるほどの崇拝者である彼は、既に目が笑っていなかった。

 後小倉さんも、ハイライトが消えた目で顔を俯かせている。

 

「ハハよく研究してくれたんだね、ありがとう」

 

「ダークカラーのベルベットの使い方がお見事でした。ゴシックさを交えたセンシュアルなデザインは、今年の秋冬のトレンドになりそうです。スカートに大量のフリルをあしらったドレスは、膨らませ方を間違えればもっさりと重くなりそうなのに、ダークパープルの色合いもあって、今にも花が開くかのような軽さに見えました。でも雷のような切り替えが入った、全体のファーで飾った濃紺のドレスだけは読み解けませんでした。なんでしょうかアレは? イケないキノコを食べてしまった少女の象徴でしょうか」

 

「ハハ面白い解釈をするね。ハハ、ジャン……いや、デザイナーに会ったら伝えておくよ。ハハ」

 

 表情を前髪で隠す為なのか、彼は顔を俯かせた。

 軽くムッとさせる程度のつもりだったが、もうすぐ完全に仮面が剥がれそうだ。久々に悪戯心に火が点いてしまった。小倉朝陽、やる気マンハッタンです。

 

「ではハハハそろそろ行くよ。ハハ飛行機のチケットを取ってあるんですねハハ」

 

「そうですね! 急がないとチケットが無駄になってしまいますから! 総学院長先生! 本当に今日は助かりました!」

 

 小倉さんは早く総学院長に去って貰いたいようだ。そうはさせない。

 漸く此処まで仮面が外れているんだから。

 

「お気をつけて、では最後に、もう一つだけコレクションの感想を言わせて下さい」

 

「何だい?」

 

「ジャン・ピエール・スタンレー氏って年齢の割りに俳優みたいな見た目でカッコ良いですね。ハンサムゥゥゥーン」

 

 ビキッと小倉さんと総学院長が固まった。

 今、我ながらそうとう腹立つ事を言った。デザイナーの容姿なんてデザインにまるで関係ない。流石僕、ハンサムゥゥーン。

 

「何時か私も彼と肩を並べられるデザイナーになります。まあ近々」

 

 止めの追加攻撃。本音も一部混じってはいるけれど、彼からすれば身の程知らずの極みだろう。

 だけどやり過ぎた。次の瞬間には、総学院長の手が僕の両肩を掴んでいた。

 

「ごめんなさい!」

 

 と言うか近い。近い近い! 鼻の頭がぶつかるほどの至近距離。

 その位置で総学院長の口が『ウ』の字に尖った瞬間、僕の脳裏に『奪われる』と言う謎の単語が浮かんだ。

 エストへの救命行為だけれど、やっぱりファーストキスだったって事にして良いかな?

 

「君の解釈は大変に非常に良かった! あのダークブルーの衣装に関しては私もジャンの意図を測りかねた! しかし、デザイナー本人にイメージの原型を尋ねるなど、副社長の私が恥知らずの真似を出来る筈もない! 私の知らない世界を見たのではないかと心配した!」

 

「落ち着いて下さい! 近いです! 凄く顔と顔との距離が近いです! このままだと問題になってしまいます!」

 

 小倉さんが背後から総学院長の身体に手を回し、僕から引き離した。

 た、助かった。後数センチで口と口が接触してしまうところだった。

 ……でも、小倉さん凄い力だ。大の大人を、しかも明らかに暴走している男性を引き離すなんて。でも、凄い貴女も総学院長との距離が近い! 胸が明らかに背中に当たっている! 貴女の行為も問題になりますよ!

 だけど、羽交い絞めにされている総学院長は気がついていないのか、フランス語で呂律が回ってない発音を続ける。

 

「だが! ジャンはそんな真似をする男じゃない! 恐らくは奥へ入り過ぎて森から出られなくなり、食べてはいけないキノコを口にしたに違いない! そして幻覚を見たんだ!」

 

「ラフォーレさん! きっとソレです! ジャンがイメージしたのは、きっと今貴方が言ったイメージです! 彼は悪戯好きでしたから、イケないキノコを食べるんじゃなくて食べさせるイメージからあの衣装は生まれたんです! 彼のイメージをちゃんと貴方は理解しているんです! だから、落ち着いて下さい!」

 

「……ハハハッ、素敵な。服を! 作りましょうッ」

 

「はい」

 

 頷いたら納得してくれたのか、彼の瞳孔にハッキリと僕の姿が映った。

 同時に彼の身体から力が抜けたのか、小倉さんが安堵の息を吐きながら離れた。

 

「失敬。少々取り乱してしまった」

 

 シャツの胸元を整えながら、軽く息を吐きながら彼は綺麗に笑った。

 

「時に対面する理不尽も、後から振り返ってみれば全てが自分の糧になる。君は一体誰と戦っているんだい?」

 

 貴方だ。

 と言うより、何故その言葉を口にした? それを言うのに、全く相応しくない場面じゃないか。

 明らかに決め台詞を言いたかっただけで、しかもそれ、恐らく貴方の言葉じゃないだろう。

 

「意思だよ意思。自分の意思で世界の見え方なんてどうとだって変わる。世界が変わればなんだってできる。そうだろ?」

 

「……こんな形で、その台詞を聞きたくなかった」

 

 良く分かった。入学式だけかと思っていたけれど、総学院長の言葉は、日常生活に至るまで、全てジャン・ピエール・スタンレー氏の借りものなんだ。

 漸く貴方の本心に少しだけ触れる事が出来たよ。

 ……ところで小倉さん。貴女は何故顔を両手で覆って、膝を床に突いているのでしょうか?

 そっちは全く分かりません。

 

「……失礼。取り乱してしまった事を詫びよう。何せジャンは、上司でもあるけど親友だからね。彼の生みだす作品えの思い入れが、私あ他人よりも少しだけ強いんだ。彼のデザインの話題になると、熱く語り過ぎてしまうからいけない、生徒の前で見せて良い顔じゃなかった」

 

「いいえ、とても素敵でした。もっと素顔の総学院長と話していたいほどです」

 

「ああそうか。それが目的で、君あジャンのデザインについて語ったのだね。イケナイ子だ、ク、ク、ク」

 

「……」

 

 自分から明かしたようなものだけど、色々とバレた。

 だけどその見返りとして、総学院長が素の自分を見せてくれた。彼がハヒヘホの音を出す時は、全て意識して作った声なのだと理解した。当初の目的はこれで果たした。

 ……だから、小倉さん。お願いですから、その厳しい視線を向けるのを止めて下さい。そう言えば、貴女もスタンレーのファンでしたね。

 で、僕はそんな貴女の前で、選りにも選ってスタンレーの作品に対する感想を利用して総学院長の本性を暴いた。

 ……一気に背中に冷や汗がブワリと流れるのを感じる。怒ってる。絶対に小倉さんは今怒っている。

 胸の奥で感じていた苛立ちが消え去り、逆に焦りが募っていくのを感じる。もしかしなくても僕……またやってしまった?

 

「君の事は一段と気に入りました」

 

 僕の焦りになど気がつかず、総学院長は敬語で話して来た。敬語?

 

「デザイン次第ではありますが、何れプライベートな友人として接したいですね。その時は、夜景の見えるスカイラウンジで食事をしましょう。二人っきりが良いですね」

 

「幾ら学院外でも、生徒と二人っきりの姿を見られたら、大変な事になってしまいますよ?」

 

「見つからなければ良いじゃないですか? 学院外ならば目障りな目もありません。ビルを貸し切りにしてしまえば邪魔者なんて居ません。君が望むなら招待しますよ。豪華客船でも、南海の孤島でも、俺の会社でも。お互いの望むデザインについて、心行くまで語り合いたいですね」

 

 敬語は他人行儀じゃないかと思ったら、そうでもなかった。この人が対等な相手と話す時は、敬語を使うんだ。

 明らかに目つきが変わった。大人しく従う相手じゃないと判断して、力づくでものにしてやるぞと言う気配が伝わって来る。今口にした言葉も、僕のデザインの才能が望むものだったら、『君が逃げられない場所で話そう』と滅茶苦茶な事を言っている。

 

「とてもね。感激しているんだよ。嬉しいんですよ」

 

「感激ですか?」

 

「才能ある人間が『ジャンになりたい』と言ってくれたのですからね」

 

 言ってない。『肩を並べたい』とは言った気がするけれど、ジャン・ピエール・スタンレーになりたいなんて一言も言っていない。

 

「理想あ抱くのであなく造るものです。例えば優秀な建築家でも、完成図が頭になければ、何から手をつければ良いのか分かりません。ですから完成図を決めてしまいましょう。完璧な理想の形があるのだから、それを真似するのが一番です。ただし高い理想を実現させるにあ良い才能が求められます。良い建築物が良い材質から生まれるように。私あ、運よく建築家を支える材質を選定する者を見つけられました」

 

 えっ?

 急に総学院長は僕ではなく、床に膝を突いたままの小倉さんに目を向けた。

 

「あの大蔵君が義理とは言え、自らの子供に迎えるほどの人物。なるほど。君は『支える者』ですか」

 

「……」

 

「先ほど君あジャンのイメージを言い当てた。私が悩んだあのイメージをね。全く以て幸運です。探し求めていた才能を支える事が出来る才能を見つけるなんて」

 

「……総学院長。一言だけ言わせて頂きます」

 

「何かね?」

 

「私は……たとえ自分の完成図があっても、その完成図にはなりません。私は……私に成りたい。誰でもない。私になりたいです」

 

 ……小倉さん?

 何だろうか? 雰囲気が違う。暗い小倉さんでも、明るい小倉さんでもない。

 今の小倉さんは……どちらでもない。まるで……何かから足掻いているような。そんな印象を受ける。

 総学院長はジッと小倉さんを見つめ、小倉さんも総学院長を見つめ返す。

 やがて総学院長は落ち着いたのか、息を吐き出した。

 

「……残念ですね。君とはもっと有意義な会話をしたかったのですが」

 

 口調が戻っている。どうやら完全に彼は立ち直ったようだ。

 

「今日は本当にもう時間が無い。ですが、私は確信している。君こそが私の見出した才能を支えられる者になると。この出会いに感謝しましょう、オ・ルヴォワール(只今、戻りました)!」

 

 あっ、カリンだ。

 華麗に去ろうとした総学院長の言葉に、午前中に何処かに調査に行ったはずのカリンの声が重なった。

 決め台詞を邪魔された総学院長はカリンを睨むが、当人は気にした様子も見せずに小倉さんに近寄る。

 

「……君達の憧れの二人を独り占めして悪かったね。午後の授業も頑張って」

 

 僕らの前から去ると、すぐに対外用の彼に戻っていた。気安い学院長として雑に振る舞っている。

 ……目を逸らしていられないよね。小倉さんとカリンに目を向けると。

 

「朝陽さん」

 

 優しい小倉さんの姿はなく、厳しい顔をしている小倉さんが立っていた。

 

「……は、はい」

 

「少々お話があります」

 

「わ、分かりました」

 

 僕は小倉さんとカリンに連れられて食堂から出た。

 そのままエントランスの方にまで連れて行かれて、誰も見ていない事を小倉さんとカリンは確認する。

 そして誰も見ていない事を確認し終えると、僕に変わらずに厳しい視線を向けて来た。

 

「……色々と言いたい事はありますが、先ず最初に言っておきます」

 

「な、何でしょうか?」

 

「この学院内で、特にピアノ科の生徒達には大蔵家関係者である事を知られてはいけません」

 

「えっ? あ、あのそれはどういう意味でしょうか?」

 

「どういう意味もありません。貴女の立場はあくまで一介の付き人です」

 

 小倉さんの代わりに、カリンが呆れたように言葉を告げた。

 

「表立って言えば、貴方は小倉様と違い、大蔵家とはルミネお嬢様と知り合いと言うだけです。だというのに、大蔵家の威光を使われるのは非常に迷惑です。総裁殿から絶対に学院内で大蔵家の関係者だと知られるなと、貴方に言うように言われてきました。この件は衣遠様もご納得されています」

 

 えっ、それってつまり伯父様が僕の後ろ盾になってくれないという事?

 

「言っておきますが、これは貴方の為でもあります。今現在この学院内では大蔵家の関係者は小倉様も含めて、非常にデリケートな状態になっています」

 

「あ、あの何があったんですか?」

 

「後でルミネお嬢様にお尋ね下さい。正直言って難儀させられました」

 

 本気で疲れているのか、カリンの顔色は余り良くなかった。

 僕らと別れた後に一体何があったんだろう? それにルミねえに聞け?

 そう言えば、総学院長もそんな事を小倉さんに言っていたような。

 

「今度は私ですけど……朝陽さん。お願いですから、もう少し気を付けて下さい。完全に総学院長に目を付けられていますよ」

 

「総学院長は貴方の正体を知りません。知ればその件を使って、自らの手元に置こうとするでしょう。正体がバレる前なら貴方を追い出せば済む話ですが」

 

 ……分かっていたけれど。小倉さんはともかくカリンは全く僕に優しくない。

 年齢は近い筈なのに、何となく年上の人に怒られている気分だよ。

 

「言い忘れましたが、私の年齢は四十代です」

 

 ……嘘だ。えっ? 四十代って事は紅葉より歳が上ってこと?

 ……どう見ても見えない。背の低さもあって、十代後半から二十代前半ぐらいにしか見えない。

 まさか、紅葉以外にも医学の領域に踏み込んだ問題になっている人物がいたなんて。

 紅葉が知ったら喜ぶだろうか? それとも悲しむだろうか?

 

「とにかくもうあんな事は止めて下さい! 総学院長に迫られた時なんて、本当に慌てましたよ! もしもあそこで身体を強く揺さぶられでもしたり……キスまでしてしまっていたら」

 

「良家のお嬢様方が目撃者なのもあって言い訳が効きません……理事長に報告したら宣戦布告だと判断されるでしょう」

 

「本当にすみませんでした!」

 

 深く頭を下げたよ! 学院内でなかったら、目の前の2人に土下座をしていたと思う。

 小倉さんとカリンは漸く分かってくれたのかと思ったのか、深々と安堵の息を吐いている。

 

「……朝陽さん。本当に気を付けて下さい。あの総学院長は、アメリカにいる山吹メイド長が関わりたくないと思うほどの人物なんですよ」

 

「え゛っ!?」

 

「えっ? ……あ、あのもしかして知らなかったんですか?」

 

「は、はい……全く知りませんでした」

 

 本当に知りませんでした。

 えっ? あのラフォーレ総学院長。アメリカにいる八千代の知り合いだったの?

 嘘。全然そんな話を聞いた事は無かったんだけれど。

 僕の様子から嘘を言ってないと分かったのか、小倉さんは近くの壁に手をついて項垂れた。

 

「本当にどうしたら良いのか……あそこまで目をつけられたら、絶対に何かして来そうなのに」

 

「先ずは調査員の方を捜索すると思われます。今は私達が居ますから、迂闊な事をして年末のフィリア・クリスマス・コレクションの準備を他の者に回されたくはないでしょう。幸いにも来月まではあの総学院長は戻って来ません。その間に、少しでも調査を進めて学院内の問題を調べましょう」

 

「今の状況で出来ますか、カリンさん?」

 

「やるしかありません。本当に難儀させられます。小倉様も服飾部門の方を少しでもお願いします」

 

 小倉さんとカリンは、小声で相談し合っている。

 本当にどうやら僕は不味い事をしてしまったようだ。イライラしていたからって、あんな事をやるんじゃなかった。

 ……後悔しても遅い。

 やがて相談が終わったのか、小倉さんは僕に近寄って肩に手を置いた。

 

「とにかく、朝陽さん。絶対にこの学院内で大蔵家の関係者だと知られないで下さい。さもないと……危ないです」

 

「ええと……あの方が後ろ盾になってくれれば大丈夫なのではないでしょうか?」

 

「……裏で何をされるのか分かりませんから、本当に止めて下さい」

 

「はっ? 裏?」

 

 

 

 

side遊星

 

 何もわかってない様子の才華様に、内心で頭を抱えたくなった。

 多分、才華様はこれまで通ってきた学院で、悪意と言うものに本格的に触れた事が無いのだろう。僕自身通っていた服飾の学院を途中で辞めさせられたり、フィリア女学院ではルナ様のおかげで悪意を向けられた事はなかった。

 だけど、僕本人じゃ無くて別の相手。りそなや湊が悪意を向けられた事は良く知っている。

 りそなは学院での悪意に耐え切れずに引き篭もってしまったし、湊も家が成り上がりという事でフィリア女学院では、笑われていたところを目にしている。幸いにも仲が良かったユルシュール様や瑞穂様、そしてルナ様が居たから直接的な被害はなかったけれど……本格的に悪意を向けられていたらどうなっていたか分からない。

 悪意を向けて来る相手が、もしも特別編成クラスに居るお嬢様だった場合、最悪、親が動くかも知れない。

 

「良いですか、朝陽さん。確かにあの人の力を借りれば、学院内での安全は得られるでしょう。ですが、忘れてはいけません。あの人はこの学院内では何の力も今は持っていないんです。それでも相手側に問題があったなら、脅せば事は済むでしょう。この学院から去らせる事ぐらい、あの人の力なら簡単に出来ます……ですが、ソレをやってしまったら、この学院内での評価は信用されなくなってしまいます。あの人が裏で手を回しているんじゃないかと疑われるんです」

 

「ッ!?」

 

「一度でもそれをしてしまったら最後。周りの学生達は、貴方から距離を取ってしまう。私も同じです。今はクラスの皆さんから感謝されていますが、私がジャスティーヌさんのような事をしたら……私は距離を取られるでしょう」

 

「そんな事は……」

 

「あるんです!」

 

 力強い声で僕が告げると、才華様の肩がビクッと震えた。

 ……叱るのは二度目だ。本当に皮肉だと思う。桜小路遊星様は優しく諭そうとするだろうが、僕には其処まで出来ない。

 ……今僕は少し才華様に怒っている。さっきの食堂での才華様の行動は、ラフォーレさんの本性を暴こうとする為だったに違いない。でも、その為に……ジャンのデザインの話を利用したのは認められない。それを認めてしまったら、僕はジャンに顔向けが出来なくなる。

 

「朝陽さん。貴方はあくまで今学院内ではエストさんの付き人なんです。なのに、エストさんも知らずにいるあの人との繋がりを、他の誰かが口にしていたら、偶然聞いたエストさんは訝しむでしょう。この学院内では貴方は『小倉朝陽』。桜小路家との繋がりはあっても、それはあくまで一使用人。ルミネさんとは桜小路家繋がりで知り合っただけ。どうか、その関係でいて下さい!」

 

 頭を下げた。

 使用人の立場にいる才華様に、令嬢の立場に居る僕が頭を下げているのを見られたりしたら本当は不味い。

 カリンさんが周囲を見回して警戒しているけれど、何処に人の目があるか分からない。それでも才華様に納得して貰う為に頭を下げ続ける。

 

「こ、小倉さ……お嬢様!? 頭を上げて下さい! 誰かに見られでもしたら!」

 

「いいえ。大蔵家の関係者だと、学院内で言わないと言うまで下げさせて貰います」

 

「わ、分かりました! 決して大蔵家との繋がりは誰にも言いません! だから、頭を上げて下さい!」

 

「……ありがとうございます」

 

 ゆっくりと僕は頭を上げた。

 才華様が安堵の息を吐いている。だけど、これはどうしても必要な事だ。

 フィリア・クリスマス・コレクションで、本当に誰もが認める最優秀賞を取るなら絶対に大蔵家の力をひけらかせてはいけない。

 僕はどうなるか分からない。少なくとも大蔵家の人間というだけで、裏の事情を知っているフィリア学院の生徒の方々には厳しい視線を向けられるだろう。でも、それは元々覚悟していた事だ。

 だからその覚悟を胸に考えよう。どうすれば大蔵家でありながらも、フィリア学院で認められるようになれるのかを。

 

「そろそろ教室に戻りましょう」

 

「はい……その小倉さん。すみませんでした」

 

「余り相手を挑発しないで下さい。それと……今後は二度とジャン・ピエール・スタンレー氏の作品を利用するような事はしないで下さい。私だけじゃなくて、お父様も、そして……桜小路遊星様も怒りますよ」

 

「お……衣遠様はともかく、桜小路様の方は大丈夫なのではないでしょうか?」

 

「いえ。流石に彼の事となれば、桜小路遊星様も怒ります」

 

「そうなのでしょうか?」

 

「はい。間違いなく」

 

 流石にジャンの事となれば、才華様に対して過保護な桜小路遊星様も怒ると……思いたい。

 何だかやっぱりちょっと自信が無いな。いや、ジャンの事だから怒るとは思うんだけれど、これまで聞いたり見た桜小路遊星様だと、絶対に怒るとは言い切れない。

 いや、きっとジャンの事だから怒るとは思うけれど……叱るとまで言えない自分の自信の無さに嘆く。

 ……事が明るみに成ったら、この事だけは伝えてみよう。僕は信じています、桜小路遊星様。

 貴方が確りと才華様を叱ってくれる事を。

 そんな風に願いながら教室に向かう為に三人でエントランスを歩いていると。

 

「お客さんへのお届け予定日が一週間後」

 

 聞き覚えのある声が聞こえて来た。

 今の声は……一丸さん? 才華様も聞こえたのか、僕と一緒に立ち止まって辺りを見回している。

 

「発送に掛かる日数は一日。万が一、縫製に不良があった場合を考えると、発送に往復二日、直しは一日と見て、お届け日はギリ待って三日前。はい今の復唱」

 

「お客さんへのお届け日が一週間後……発送でマイナスいちにち……直しの可能性を考えるとマイナスみっか……復唱しました」

 

「良く出来た」

 

 居た。一丸さんだけじゃなくて銀条様も一緒に居る。でも、何だろう?

 雰囲気が暗いというか重い。一丸さんはかなり厳しい目で銀条さんを睨んでいるし、銀条さんは元気が無さそうで申し訳ないという顔で俯いている。

 一体、二人に何があったんだろう?




次回は遊星sideで選択肢が発生。話の途中で発生しているので、此処で出しておきます。
【銀条さんに協力を持ちかける】(パル子と一丸の好感度アップ。一般クラスへの移動率アップ)
【お父様の課題を優先する】(変化なし)

『続・潜む二人』

「アトレお嬢様! やっぱり小倉お嬢様は味方ですよ! ほら、あんなに若が素直に聞いていますよ」

「……」

「あ、あのアトレお嬢様?」

「……いいえ、きっとその内本性を見せる筈です。何時あの人の不誠実さがお姉様に襲い掛かるか分かりません」

「お嬢様……私は小倉お嬢様信用できる方だと思います」

「……九千代の言いたい事は分かりますけど、私はどうしてもあの人を信用できません。何より私達はあの人の本名さえ知らないのです」

「そ、それは……」

「警戒は必要なのです。必ずあの女の本性を暴いて見せます、お姉様の為に!」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。