月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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漸くピアノ先輩が登場しました。
四月終了までもう少しです。

烏瑠様、秋ウサギ様、アンディ様、誤字報告ありがとうございました!


四月下旬23

side才華

 

「さあ昼食にしましょう」

 

「あれ? 今日は食堂じゃないんだ?」

 

 食堂に向かう為に側を通りがかった梅宮伊瀬也達が、僕の用意した弁当箱を覗きこみながら尋ねて来た。

 三週間近くも経つとお昼の過ごし方も決まって来て、大体の生徒は特別編成クラス用の食堂へ向かうようになっていた。高級レストラン並みの食事が無料で好きなだけ食べられるのだから、その方が良いに決まってる。

 初めてエストが特別編成クラスの食堂に行った時は感動していた。ビュッフェだからと言って必要以上に何でもよそおうとしていたので、当然の如く僕がしっぺを食らわせた。人前で意地汚い真似をさせる訳にはいかない。

 エストが気に入ったので、僕達の主従も食堂で食事を取っていた。今日までは。

 

「珍しいね。小倉さんがお弁当を持って来ているのは見た事があるけど、エストさん達もお弁当なんて」

 

 このクラスで弁当持ちは、今日までは小倉さんとカリンだけだった。その二人は今は教室にはいない。

 恐らくはサロン辺りで、調査に関して話し合っているんだろう。

 

「今朝は、私が朝陽の作ったお弁当を食べたいと言ったんです。以前から小倉さんのお弁当を見ていて、私達もしてみたいなと思っていたので」

 

「そうなんだ。綺麗なお弁当だもんね」

 

 特別に気合いを入れたおせちの如き重箱を見て、梅宮伊瀬也はほうと溜め息を吐いた。大変気分が良い。

 

「本当、すこぶる美味しそう。食堂のものより豪華に見えるかも。一度小倉さんに見せて貰ったお弁当に負けないかもね」

 

「本当。でも、あのお弁当はきっと家のシェフとかが作っているとかじゃないかしら?」

 

「あっ、それは違いますよ。私も気になって聞いて見たんですけど、あのお弁当は小倉さんが趣味で作っているそうです」

 

「嘘っ! あの美味しそうなお弁当、小倉さんが作っていたの!?」

 

「朝陽さんのお弁当も調理部門の子達に引けをとらなさそうだけど、小倉さんのお弁当も負けない程に美味しそうだったのに! ……どっちがこの教室で一番の料理上手なのかしら?」

 

 エストの話に、僕らの周りに集まっていたクラスメイト達が驚いていた。

 まあ、驚くのも仕方がない。一般的なお嬢様からすれば、趣味や料理好きでもない限り、料理を作ったりする事は殆どないに違いない。

 そして僕と小倉さん。どっちの料理が美味しいかと聞かれれば……悔しい気持ちはあるけれど小倉さんだ。一緒に桜屋敷に暮らしていた壱与に味見をして貰ったんだから間違いない。

 でも、今はそれよりも。

 

「ありがとうございます、お優しい皆様。ですが調理部門はおろか、教室内で一番を争うほどでは私はありません。例えばこの昆布巻きは、三木さんからレシピを教わったものです。私の作り方よりも、この方がエストお嬢様の口には合っていました」

 

「えっ、うちの綱子が朝陽さんにレシピを?」

 

「は、はい」

 

「三木さんは話を聞いているだけで、料理が上手なのだと伝わってきました。私だけではなく、小倉さんの付き人であるクロンメリンさんもレシピを貰っておりました。機会があれば勉強会などしたいものです」

 

「ふーん、綱子が……そうなんだ。へへへ、やるじゃん」

 

「ありがとうございます」

 

「あ。そろそろ食堂へ向かわないと、お昼休みがなくなってしまいますね。皆さん、いってらっしゃい」

 

 梅宮伊瀬也を中心に彼女達が連れ立って教室を出ていく間際、昆布巻きの作り方を教えてくれた三木さんが、僕にぺこりと頭を下げて行った。

 

「あれで良かったのかな?」

 

「上出来ではないでしょうか。お付き合いいただき、ありがとうございます」

 

「ううん。小倉さんのお弁当を見て、朝陽のお弁当を食べたかったのは本当なんだよ」

 

 エストは待ちきれないとばかりに件の昆布巻きを口へ放り込み『美味しい』と顔をほころばせた。

 

「モグモグ、そう言えば、この昆布巻きのレシピ、クロンメリンさんも貰ったんだよね?」

 

「貰っただけだったかも知れません。それを小倉さんに見せたかどうかまでは、分かりません」

 

「でも、ちょっと意外だった。クロンメリンさんって、あんまりクラスの付き人さん達と話している様子がなかったから」

 

 本来の役目もあるだろうから、カリンは必要以上に付き人達と話したりしない。

 唯一カトリーヌさんとは、他の付き人達よりも話したりするが、それだってほんの少しの差だ。

 まあ、実年齢を考えれば仕方がないだろう。

 ……美味しそうにお弁当を食べているエストを見て、ちょっと悪戯心が湧いた。朝のお礼をするなら今だ。

 

「カリ……クロンメリンさんに関しては仕方がない部分もあるんです、お嬢様」

 

「へっ? 仕方がない部分?」

 

「はい。だってあの人、ああ見えて四十代ですから。若い私達と話が合わない部分があるのです」

 

 次の瞬間、エストの手から箸が落ちて机の上に転がり、絶対にありえない事を聞いたような驚愕の表情で固まり、やがて。

 

「オーマイガアアアアッ! イッツァ! ミラクルウウウッ!」

 

 教室内にエストの叫びが上がった。

 その様子を笑みを浮かべて耳を塞ぎながら見ていた僕は、先ほどのやり取りを行なった経緯を思い出す。

 事の発端は今週の始めだった。

 

「外食ばかり続けている?」

 

「はい」

 

 新しい教材を受け取りに、メイド組だけで倉庫へ移動した授業中。メイド仲間の一人が、ぽつりと僕に相談をこぼした。

 

「私も良く相談されるんですけど、解決の方法が浮かばなくて。朝陽さんなら良い知恵もあるかなと思ったんです」

 

「私の家のお嬢様は、お昼は食堂だからともかく、朝も夜も外食ばかりで……一度に使う金額も大きいので、監督不行き届きとして、来月にはご実家から叱られてしまいそうなんです。何度か私の料理を食べて下さいとお願いしたのですが、まるで興味を持って貰えず……どうすれば良いか困ってるんです。それに、好きなものばかりを食べる、お嬢様の健康も心配で……」

 

「何故私に相談を?」

 

「私と、彼女の雇用主のお嬢様も、朝陽さんと小倉お嬢様に憧れを持っているんです。ですが、何分家の事情も絡む話ですので、小倉お嬢様に相談など出来る筈がありませんから、それで……」

 

 付き人の立場にいる僕の方に相談に来た訳か。

 なるほど。確かに僕から言えば効果があるかも知れないけど。

 

「ですが私も別の方にお仕えしている使用人の立場なので、他家のお嬢様に生活面のアドバイスをする事は出来ません」

 

「やっぱりそうですよね。ごめんなさい」

 

 まだ、話は終わっていない。直接的には無理だが、間接的にならば。

 

「ですから、こんな方法はどうでしょう。三木さんの料理に興味を持って貰えれば良いのですよね?」

 

「え?」

 

「此処までするのは差し出がましい気もするので、お二人に賛同していただけるのであれば……」

 

 その提案が、小倉さんのお弁当をヒントにした今回のお弁当だった。相談を持ち掛けた二人から是非と依頼され、エストにも協力を頼み……そして小倉さんとカリンにも協力を頼んだ。

 作戦としては何時もサロンで食事をしているお弁当を何度か、教室で小倉さんとカリンに食べて貰い、教室のクラスメイト達に興味を持って貰う。その後タイミングを図り、僕とエストもお弁当で食事をして更に興味を持って貰う。事前に三木さんからレシピを貰ったのも本当の事で、カリンも受け取っていた。

 小倉さんはともかく、カリンは協力してくれないかと思ったが、教室内のメイド達とある程度親しくしておくのも悪くないと考えたのか、僕の提案に乗ってくれた。

 昼食の時間ならデザインの邪魔にはならないし、このくらいなら力になりたい。

 主人の健康を心配する気持ちも、以前はともかく今なら共感できる。自分のことだけを考えている相手なら、此処までしたかは分からない。けれど、三木さんは僕の思う良き人だ。

 だから、小倉さんも今の自分の立場で出来る事をしてくれたのだろう。

 

「も、問題が解決すると良いね」

 

 余程カリンの実年齢がショックだったのか、エストは身体を震わせている。僕も聞いた時はショックだったから凄く気持ちが分かるよ。

 

「今回で駄目なら、また別の方法を考えましょう。可能性は幾つもあります」

 

「あ、朝陽は、し、親切だし、りょ、料理も上手だし、さ、最高のメイドだよ」

 

「ありがとうございます、誇り高きエスト。ところでいい加減に落ち着いてください。さ、お茶をどうぞ」

 

 受け取ったお茶をエストは一気飲みした。

 注意すべきなんだろうけど、流石にショックの内容が僕でもショックを受けた事だから此処は見逃して上げよう。

 ついでに机に置かれたコップにお茶を注ぎ直してあげるね。

 

「ふぅ~、ちょっとショックが強過ぎてお弁当の味を忘れちゃった。だから、口直しにもうちょっと食べたい」

 

 危うくお茶を注ぎ過ぎて溢すところだった。重箱食べた後で君は何を?

 

「お嬢様、本気ですか?」

 

「いや、此処のところ、お昼は食べ放題だったせいで、今日の量でも足りなくてね?」

 

「エスト・ポチャット・アーノッツ……」

 

「軽食だけで良いから食堂へ行かない?」

 

「お嬢様、お控えになったほうが。今日はわりと真面目に心配しています」

 

「でもね、我慢出来ない段階なの。授業中にお腹を鳴らす貴族とどっちが良いと思う?」

 

「くっ、生理現象を盾にされては、連れて行かざるを得ない……ですが、特別食堂は止めましょう。さっき重箱を見ている皆様におったまげられます」

 

 何しろ僕がいまおったまげている。カリンや紅葉の実年齢と並ぶ不可思議な現象だ。

 本当に大丈夫なのだろうか、このデブリン生まれの貴族。間違えた。ダブリン生まれの貴族。

 悔しさと情けなさを感じながら、エストと共に一般食堂に向かう為に席から立ち上がる。

 

「と、その前に」

 

「ん?」

 

「カトリーヌさん、私達は今から一般の食堂へ行きますが、ご一緒にいかがですか?」

 

「えっ」

 

 彼女はいつも一人で持参のサンドイッチを食べていた。

 小倉さんが心配そうにしているのを覚えている。本当なら何とかしたい気持ちはあるのだろうけど、今のあの人の立場で付き人のカトリーヌさんに干渉する事は出来ない。

 ジャスティーヌ嬢に関わる事なら手助けも出来るのだろうが、昼食に誘う事まで出来ない。

 苦手な日本語の勉強をしていたのか、カトリーヌさんは目を丸くしながら顔を向けた。

 

「あ、え、大丈夫ます。日本語、勉強したいます」

 

「分かりました。勉強、頑張って下さい」

 

 手助けしたくても無理強いはできない。カトリーヌさんには彼女の過ごし方があるだろうから、エストのもとへ戻った。

 

「やっぱり私は、最高のメイドを得たと思うよ」

 

「いいえ、そのように自分を誇るつもりはありません」

 

 本当の僕は最高のメイドを装った最低のメイドだからね。

 

「命令、嘘は駄目」

 

「その命令には従えません。本当の最高のメイドとは、小倉さんの母親だと私は思っていますから」

 

「残念」

 

 流石に勝てないと分かったのか、エストは悔しそうにしていた。

 そのまま僕らは教室にカトリーヌさんを残して一般食堂がある2階へ向かった。また今度機会があれば誘ってみよう。

 

「こっちの食堂へ来るのは二度目だね」

 

「はい。入学式の日以来になりますね」

 

 あの日は混雑していて、食券の買い方さえ分からずに断念した。

 だけどあれから僕も色々と学んだ。先にメニューを選んで販売機で買えばいいだけだ。普通だ。

 少し時間が遅いのもあって、混雑も緩和し始めていた。二人分の席は確保出来るだろう。

 

「私は食券を買い、受けとって来ます。お嬢様は先に座っていて下さい」

 

「ありがとう。それじゃあえっとね。このA定食というのをお願い」

 

「えっ。軽食?」

 

「とんかつだって。食べた事がないけれど、とても美味しそうウフフ」

 

「お肉……そして揚げ物? 軽食? えっ? 私が可笑しいのでしょうか?」

 

「大盛りでね!」

 

 あのプロポーションはどのようにして保っているのだろう。

 疑問が浮かんだけれど、そう言えば、僕が居ない時に泳いだりしていたなと思い出した。適度に運動はしていると思いたい。

 主人が豚さんにならない事を祈りつつ、A定食を手にエストを探した。因みに僕は何も頼んでいない。

 今回のはストレスに依る食欲の減退が原因ではない。エストが異常なだけだと思う。うん、そうに違いない。

 さて、エストはと。目立つ筈のブロンドの髪を探す。

 ところが予想に反して、食堂内で見かける髪は金、赤、派手なものはピンクと色とりどりだ。

 どうやら美容部門の生徒が自分達でカラーリングの練習をしているらしい。デザイナー科でも、一般生徒の中には派手な頭の生徒もいると聞いた。こうして見てみると、多種多様な趣味が見られて面白い。

 もちろんその中でも、僕の髪は一際目立つけどね。視線が心地いい。

 

「朝陽、ここ、此処。お腹空いてきちゃった」

 

 そしてエストも視線を集めていた。僕達主従は教室以外でも存在感抜群だ。

 と、あれ? エストの傍に見覚えのある二人の姿が。

 

「お待たせいたしましたお嬢様。それにパル子さん、マルキューさんと一緒だったのですね」

 

「うん、声を掛けて貰ったの。いただきます」

 

「いやあエストギャラッハさん目立つので」

 

「こんにちは。それと、お嬢様のお名前は『エスト』ですよ、パル子さん」

 

「でもギャラッハって言いやすいですよね。ギャラッハっはっは。ギャラッハっはっは」

 

「おまえほんと失礼だな。何だったら、あの人にまた注意して貰おうか?」

 

「それだけは勘弁してくだせえ!」

 

 本気で泣きが入っている。どうやらパル子さんにとって、小倉さんの注意はマルキューさんの一撃よりも遥かに効くようだ。

 

「此処でギャラッハさんとメイドさん見るの初めてですね」

 

「結局ギャラッハさんにしたのか。てかさ、特別編成クラスの子達は、別に学食あるって聞いてるし」

 

「あー聞いたことある。無料でタダのご馳走食べられるとこだ。まあでも逆にゆったら、此処にある250円のうどんはあっちにないわけだ。ふははははは」

 

「うどんはありますよ」

 

「あるんかー」

 

 勝ち誇っていたパル子さんは、一瞬にして敗れて落ち込んだ。

 

「その代わり、向こうにはとんかつがないです。美味しいです」

 

「ギャラッハさん、意外と俗っぽいですね」

 

 ギャラッハさん呼びはさておき、エストの正体が見破られかかっている事に僕は恐怖を覚えた。

 くっ、まさか此処に来てこんな形で本性がバレてしまうなんて。

 

「このソースの味がとても好みです、たっぷりかけて、と。むほほほ美味しそう。あ、お茶をとって頂いても良いでしょうか。さっき一度に全部飲んでしまって」

 

 この主人は、もう喋らないでくれ。ほっぺたにお米を付けたブロンド美人を、パル子さんとマルキューさんがぽかんとした顔で見つめていた。

 食べ方に関しては、マルキューさんの方がよほど綺麗だ。彼女は人と食事をする機会が多いのかも知れない。

 でも、今はそれよりも。

 

「申し訳ありません、お嬢様はまだ日本の食事に慣れていなくて。さ、頬を拭くので此方を向いて下さい」

 

「むー!」

 

「あ、ああ、そうだよね。海外の方だから、まだ日本食に馴染んでませんよね」

 

「そうだ、私の揚げ玉あげますね」

 

「きゃあ、やった!」

 

 もう黙ってくれこの主人。流石に二人の目の前で注意する訳にはいかず、僕は一人頭を抱えた。

 

「ごはんは美味しく食べないとね!」

 

 だけどパル子さんやマルキューさんと話すエストは、特別編成クラスで見た事がないぐらい楽しそうだ。

 ロンドンやニューヨークの学校では、貴族の振る舞いなんてほぼしなかったという話だし。もしかしたら、エストは一般クラスの方が性格に合ってるのかな。

 

「あ、そう言えば。朝陽が来るまで、お二人がお店を開いているという話をしていたの」

 

「あ、お嬢様には、お店の事を勝手に話してしまいました。申し訳ありません」

 

「え、良いですよ別に。隠してることではありませんし」

 

「結局、あの服の完成は間に合ったのですか?」

 

 これは気になっていた。あの時は小倉さんから伯父様から電話があると聞いて、身を引いたけどパル子さんの衣装の事はずっと気になっていたのだ。果たして衣装は間に合ったのだろうか?

 

「間に合いました!」

 

「間に合ったってか、も、ほんとギリギリでした。二人して徹夜して、当日の朝配送に出して、その日の午後に届けて貰って、その足でガッコ来て」

 

 間に合ったのか。それは良かった。

 

「あのときはすまなかった。きゅうたろうには本物の迷惑をかけた。もうあんな事はしません」

 

「うん。まあ、今回はちょっと信じる。今のところ遅れてないし。今週末の締め切りには間に合いそう」

 

「いやよかったあ。きゅうたろうが遅れたら、またあの人に注意して貰うって言うから、遅れるわけにはいかないと思って」

 

「今もその気持ちあるから。あの時は拒否したけど、今度同じ事があって、あの人が同じ提案をして来たら、今度は受けるつもり」

 

「うひぃ」

 

「ねえ、朝陽? あの人って誰の事?」

 

「小倉さんの事です。どうやらパル子さんは小倉さんの注意が苦手のようでして」

 

 実際、小倉さんの注意はかなり効く。僕も叱られているから、パル子さんの気持ちが良く分かる。

 あの人の叱りは、一方的に怒鳴るという叱りではなく、本当に相手の事を思っての叱りだからに違いない。現にあの人に叱られてなかったら、僕は一体どうなっていた事か。

 考えるだけで怖いよ。

 

「ま、でも、今回の奴もサイズの直しやほつれもなかったし、お客さんから感謝のメールも来たしで良かったよ。何時になく長文だったし」

 

「あ、そんなメールがあったんですね」

 

「中には写真まで送ってくれる子もいるし。それがないとやってられませんって。特にパル子は。ね!」

 

「はい! 銀条、嬉しいです! 銀条、やる気頂きました! その時は!」

 

 僕は『商品』と呼ばれるものは作った事がないから貰った事がない。

 自分の服しか作ってこなかった。雑誌に応募する時は、お金で雇ったモデルに着てもらった。思えば、小倉さんに作る予定の衣装が初めてなのかも知れない。誰かに渡す衣装は。

 これまでは名誉を目的にする以外の理由で、服を作るという経験がなかった。両親が商売しているのは見てきたけれど、あの二人も、一個人から送られてきた感謝のメールなんて見ないだろう。

 想像してみる。小倉さんに衣装を送った時に、笑顔を浮かべて感謝の言葉が貰える瞬間。

 

『ありがとうございます、才華様! この衣装! 大切にさせて貰います!』

 

「あ、朝陽? 急にどうしたの?」

 

「なんか顔が赤くなっているんですけど、メイドさんどした? 風邪か?」

 

「目もグルグルになっているような。大丈夫ですか?」

 

 こ、これ以上想像するのは止めよう!

 また、恥ずかしさと嬉しさで気絶してしまいそうだ!

 何とか僕が落ち着くと、エストがパル子さんに声を掛ける。

 

「もし機会があれば、デザインや型紙を見せて頂けませんか? 私が描いたものもお見せします」

 

「あ、良いですよ! 丁度小倉さんに渡す予定だったデザインと型紙がありますから!」

 

「あっ、そう言えばまだ私もちゃんとお礼としてのデザインを渡していなかった。何だったら、一緒に渡して上げましょうか?」

 

「助かります。放課後にデザイン画と型紙を持って来ますんで」

 

 ……エストとパル子さんの会話に入りたいのに僕は入れない。良いんだ。僕は小倉さんに衣装を渡して、感謝の言葉を貰うから。

 それに思わぬ形で新入生代表の実力を見せて貰える。以前カリンが携帯の画面を使って見せてくれたパル子さんの衣装の完成度はかなりのものだった。でも完成前のデザインと型紙も見てみなければ、本当の実力が分からない……日本の学生、それと、一般クラスの実力が見られるのは嬉しい。

 その後はパル子さんのスナップ写真が載った雑誌を見せて貰った。

 本当に載ってる。それもなかなかに大きい扱いだった。パル子さんは慣れているみたいで、それほど得意げな顔をする訳でも無く『写りいいな今回』と嬉しそうだった。

 

 

 

 

side遊星

 

「今日の午後は他の部門の見学に行きます」

 

 ……個人的にはちょっと残念だ。これがフィリア女学院の時のように、デザインの為に衣装の流行を調べる為とかだったら今の僕には大歓迎だったんだけど、本当に他の部門の見学では流行を調べる事なんて無理だ。

 でも、僕の心情と違って、周囲からは期待の囁き声が聞こえた。

 

「美容部門にイケメンがすこぶる多いらしいよ」

 

「演劇部門も中々だって聞いてる。おそらく俳優科」

 

 やっぱり女性は男性に興味があるようだ。ただ服飾部門は今年からは男子が上級生にしか居ない。僕と才華様は除いてだけど。

 後、聞いた話では元々の男子の数の少なさもあるから全員彼女が居るらしい。個人的には良かった。

 ただでさえ外に出るとナンパされて困っているのに、学院でもナンパされたりしたら耐えられそうにない。

 

「因みに見学するだけなので、他の科の生徒と話したりは出来ません」

 

 そこかしこから残念そうな溜め息が聞こえた。男子と話したい人は思ったよりも多そうだ。

 だからと言って、それがそのまま共学化に繋がるとは限らない。話したい気持ちはあっても、一緒のクラスで学びたいというのとは違うんだから。現に残念そうな溜め息以外にも、明らかに安堵しているクラスメイトも何人か居る。

 それに、上級生や他の科の生徒に人気の男子と関わりを持ったら、この前の才華様のように睨まれて呼び出されてしまうかも知れない。

 あの時から呼び出しの気配がないところを見ると、ラフォーレさんの警告が効いているようだ。この点は本当に感謝だけど、今度はそのラフォーレさんに関心を向けられてしまっているんだから、頭がちょっと痛い。

 

「皆が男子に興味ある年頃なのは分かるよ」

 

 いえ、全く興味はありません。

 

「私は皆の期待を潰したいわけじゃない。偶然の出会いを夢見てちゃ駄目って言いたいの。仮に受け身に徹して、そこにやって来る男の子は、皆が子供の頃に思い描いた理想通りの人だと思う?」

 

 ……何で恋愛談義が始まっているんだろうか?

 樅山さん。止めた方が良いですよ。ほら、カリンさんが隣で何か評価らしきものを書いていますから。

 

「そんな幸運の下に生まれるのは、世界でほんの一握りだけ。本当に欲しいものは、自分から取りにいかなくちゃ」

 

 ……すみません、樅山さん。

 僕、男なのにある御方から取りに来られて、危うく大変な事態になりかけたのですが、この場合はどうすれば良いんでしょう?

 因みにその御方はまだ諦めていないようで、周囲から警戒されています。

 

「授業の時間の無駄ですね。減点です」

 

 ああ、カリンさんが厳しい評価を付けたようだ。

 一部の生徒からはキラキラと尊敬するような目で見られているけど、それとこれとは別だという事ですね。

 すいません、樅山さん。流石にフォローは無理なので、この件は諦めて下さい。

 

「じゃあ騒がないように私の後からついてきてね。先ずは音楽部門棟からだよ」

 

 樅山さんが告げた行く先をクラスメイトが聞いた瞬間、僅かに気配が変わったのを感じた。

 ほんの僅かだったけど、確かに気配が変わったのを僕は感じ、カリンさんに同意を求めるように視線を向ける。カリンさんも感じたのか頷いた。

 それが意味する事を考えて、僅かに暗い気持ちになりながらクラスメイト達と共に樅山さんの後をついていく。

 

「あれ?」

 

 ところが、いざ案内された音楽部門棟の教室へ入ってみると、中には誰も居なかった。

 僕の隣に付き従っていたカリンさんは、僅かに呆れを含んだ視線を樅山さんに向けている。どういう事だろうか?

 

「おかしいなあ? 今日は講義の授業だって聞いてたのに。皆、暫く此処で待っててね。職員室へ行って来る」

 

 何か予想外の事が起こったようだ。樅山さんは僕達を置いて、一人で教室を出ていってしまった。

 見知らぬ教室でできる事もなく、僕達はこの場に立っている事しか出来ない。一体どういう事かと考えていると。

 

「場所を間違えています。講義の場所は第1スタジオではなく、第2スタジオです」

 

 カリンさんが理由を教えてくれた。

 調査員であるカリンさんは、他の部門の授業時間を把握している。

 今日の予定も把握済みのようだ。だったら、樅山さんに教えて上げてもと思うけれど、調査員の正体は秘密だ。

 樅山さんに教えるという事は、調査員である事を明かすに等しい。

 これも減点対象になるなと、遠い目を思わずしていると、才華様とエストさんの会話が聞こえて来た。

 

「ピアノがあるね」

 

「はい」

 

「私、ピアノならちょっとだけ弾けるの。お遊び程度だけどね」

 

「お嬢様もですか? 私もです。幼い頃に教わり、今でも時々弾きます。お嬢様と同じく、お遊び程度ですが」

 

「私はメヌエットやシューベルトの子守歌なら演奏できるよ。朝陽はどんな曲が弾ける?」

 

「私ですか……」

 

 才華様もエストさんもピアノが弾けるんだ。

 因みに僕は弾けない。幼い頃にやらされたのは、大蔵家の為になる勉強だけだし、お兄様と日本に来てからは服飾に打ち込んでいたから、音楽関係は演奏したりする事に関しては素人だ。

 ファッションショーなどで音楽をBGMに使う為に、どんな曲が合うのか調べたりはしたけれども、本当に演奏に関しては素人だ。

 

「あれ?」

 

 やる事がないので考え込んでいると、見覚えのある人がやって来た。

 駿我さんの弟である山県大瑛さんだ。チャンスがあれば挨拶はしたいと思っていたけど、まさか、こんな場所で会うなんて。

 今の僕の関係だと『従叔父』に当たる人だ。本来の僕と言うか、大蔵遊星の立場だと『従兄弟』にあたる。

 何故彼一人がこの教室に来たのだろうか?

 

「音楽部門の生徒ではないみたいだけど、君達は?」

 

「服飾部門、デザイナー科の一年生です。他の部門の見学をすると言われて此処へ来ました。先生は今、職員室へ向かっています」

 

「そうなんだ、ようこそ音楽部門棟へ。僕はピアノ科二年の山県です」

 

 梅宮さんが山県さんに事情を説明し、彼は納得したように頷いて自己紹介をした。

 と言うよりも、才華様やエストさん、僕とカリンさんを除いた同級生達は、山県さんを見て動けなくなっていた。

 

「イケメン……すこぶるイケメン……あわわわわわ確か入学式に見た……美容部門とか俳優部門と違って全然チャラくないし、素敵過ぎる!」

 

「二年で一番人気だからね、山県大瑛先輩……でもまさかこんなところで会えるなんて! 樅山先生も言ってたし、自分から攻めた方が! でも上級生が怖い!」

 

「彼には非公式のファンクラブがついています。大蔵関係はピアノ科にとって影響が強いので、接触にはお気を付けを」

 

「分かっています。ありがとうございます、カリンさん」

 

「私は貴方の付き人ですので」

 

 小声だけど注意してくれるカリンさんの優しさが感じられて、嬉しさで胸がジィンと来た。

 でも、やっぱり共学化は難しいと感じられた。山県さんが現れてから、一部を除いてクラスメイトの殆どが動けずにいる。

 この状態を見た事がある。瑞穂様がフッと偶然男性と出会ってしまった時に起きた事に似ている。

 やはり基本的に彼女達はお嬢様なので見知らぬ相手、特に男性には怖がってしまうようだ。

 

「せっかくだし、先生が戻って来るまでの間だけ、ピアノ科の説明をさせて貰おうかな。皆が居るここは第1スタジオ、通称イチスタ」

 

 怖がられているのを感じたのか、安心して貰う為か、山県さんは笑みを浮かべながら説明した。

 

「此処にはピアノがあるけど、普段、僕達はあまり使う機会がないかな。講義や普通学科は教室でやるんだ」

 

「ピアノ科なのに演奏する機会があまりないんですか?」

 

 委員長という事もあるのか代表として梅宮さんが相槌を打ってくれるようだ。

 感謝します、梅宮さん。

 

「人前ではね。此処へ来る途中で廊下に幾つかドアがあったと思うけど、あそこが『練習室』って呼ばれてる個室になってる。だから普段の練習は個別。生徒の前で生徒が演奏する事は稀だよ」

 

「一人につき一台のピアノがあるんですか?」

 

「ううん、一つの練習室に付き二台。一台だと、どうしても手や肩が触れる場面が多いんだ。先生とは言え、性別が違うとこっちも気を使うから」

 

「カリンさん。どうなんですか?」

 

「確かにその通りです。ですが、覗いていた限り件の教師は、その時には邪な気配はありませんでした。見た限り、他の生徒でやってしまっていた事を思わずしてしまったという様子でしたので。まあ、それも問題と言えば問題なのですが、あの件の時は少なくとも事故の類に近いかも知れません」

 

 教えられた事に僕は考え込む。

 やはり、ルミネさんは件の教師と話し合うべきだったと僕は思った。本当に故意だったならば、もっと違った形で何とかすべきだった。

 ルミネさんはやり方を間違えてしまった。山県さんの話を聞いて、僕はそう思うしかない。

 それにしても……山県さんは随分とすらすらと喋れる人のようだ。

 

「他の学校では、個室に使えるレッスンなんて週に一度くらいだけど、この学院は毎日個別レッスンを受けながらピアノが弾ける。その目的でフィリアを選ぶ人が多いくらいだね」

 

 話を聞いていた皆がほう、と感心の声を上げた。僕も興味深い話なので、真剣に聞く。個人としても……調査員としても。

 

「それで、どうして山県君は授業中にこんな場所へ来たの?」

 

 樅山さんが何時の間にか、戻って来ていた。

 

「わあ。ごめんなさい、個別レッスンの途中だったんですけど、お手洗いに行こうと思ったらイチスタに人が集まってるんで、なんだろうと思って。すぐに戻ります。ああいや、お手洗いに寄ってから戻ります」

 

 山県さんの言葉に、思わずと言うようにクラスメイト達の間から笑いが零れた。

 上手い人だ。今ので皆の緊張が解れた。

 

「あ、それと! GW中の4日に、このイチスタで、弦楽科の二人とミニリサイタルやります! 男三人で色気はないけど、良かったら来て下さい! 無料です!」

 

 良い話を聞けた。上手くすれば彼に挨拶が出来るかも知れない。

 と言うよりも、寧ろ彼はこの為に。

 

「先生ごめんなさい、実はこの宣伝がしたかっただけです。それじゃ……」

 

 おや? 急に山県さんの動きが止まった。

 一体何だろうと彼の視線の先を追ってみると、エストさんの背後に隠れるように立っていた才華様がいた。

 そう言えば……入学式の時に山県さんは気絶した才華様を運ぶのに力を貸してくれようとした。正体がバレるのを恐れて拒否させて貰ったのを思い出す。

 才華様の髪はルナ様譲りで目立つから。

 

「こんにちは」

 

 才華様も山県さんが気がついた事に気づいたようで、挨拶をした。

 

「あ、天使の……」

 

 えっ? 天使?

 

「はい、天使です」

 

 ……久々にショックを軽く受けた。

 才華様。何故わざわざスカートを摘んで山県さんに笑いかけるんですか?

 女性だと思われるためだろうか? でも、山県先輩はぽかんとした顔で見ているから、通じているように思えない。

 

「よかったらリサイタルに来て下さい」

 

「はい、時間がとれれば」

 

「それじゃ……あっ」

 

 去ろうとした山県さんは、今度は僕に気がついた。

 此処は取り敢えず御辞儀だけはしておこう。

 あれ? 何だか困惑したような顔をされた。何でだろうか?

 疑問に思うけれど、山県さんも軽く御辞儀を返して、教室から去って行った。

 

「またひとりの男性に恋をされてしまったの?」

 

「『また』の一人目に心当たりがありません」

 

 エストさんと才華様が、先ほどの山県さんとのやり取りに関して話しているようだ。

 他に数名の女性達も溜め息を吐いている。

 ……ちょっと泣きそう。男性に恋されるとか本気で想像したくもない。いや、まだ山県さんが才華様に恋しているとは限らない! エストさん達の勘違いだと思いたいな。

 

「ところで先生はあの方と知り合いだったんですか?」

 

「彼はピアノ科でも有名な生徒だよ。去年のフィリコレの動画作品にピアノのBGMで参加して、総合優勝のメンバーの一人になっているから」

 

 凄いな、山県さん。りそなの話では、お爺様の妨害がある筈なのに、どんな形にしても最優秀賞を得られたんだから。

 やっぱり僕もリサイタルに行ってみよう。其処でなら挨拶もできると思うし。

 

「ところでこのスタジオに誰も居なかったのはどうしてですか?」

 

「ごめんなさい。ピアノ科の三年生が集まっているのは第2スタジオでした」




次回は才華sideで話の途中で選択肢が発生します。

【前回と同じように朔莉に聞いてみる】(朔莉の好感度UP)
【エストも何か気がついているようだ。聞いて見よう】(エストの好感度UP)

今回山県先輩が朝陽を見て反応したのは、大蔵家の気配が全く見えないからです。比較対象がこの時点では大蔵家を着て歩いている、ルミネなので尚更に。
後、ルナ様は分からないけど、遊星は感謝のメールの類は必ず見て喜んでいるでしょうね。

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