月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
残るは遊星sideのみ!
笹ノ葉様、烏瑠様、秋ウサギ様、誤字報告ありがとうございました!
選択肢
【前回と同じように朔莉に聞いてみる】
【エストも何か気がついているようだ。聞いて見よう】←決定!
side才華
「フウゥ……オゥ……オゥイエス! オゥイエス! マイガー!」
「ワッツ!? リアリー!? ザッツソゥ……クゥゥゥール!」
桜の園の屋上で僕とエストは、テーブルに広げている物を前にして興奮を抑える事が出来ず、英語で叫んでいた。
「こんばんは……うわなにこの二人、子作りの練習? それなら実地で教えるけど」
「ビュテホー! ワンダホー! AHAHAHA!」
興奮が治まらず、僕は笑いながら声を掛けてくれた八日堂朔莉に、一緒に居たルミねえ、アトレ、九千代に身体を向けた。
「なんだかとても腹立たしい。判決、流罪。十月革命島へ遠島」
「お姉様、どうされてしまったのですか? 盛者必衰の理を儚んで、俗世を諦めてしまわれたのですか?」
「あ、申し訳ありません。あまりに素敵な型紙を見ていたもので、気持ちが高揚してしまいました」
「一般クラスの子なのですけど、とても個性的なデザイン画を描ける上に、良く出来た型紙を引ける子がいるんです」
僕とエストが、テーブルに広げていたパル子さんのデザイン画を手に取ると、それぞれの反応が顔に表れた。
八日堂朔莉は興味深そうに。アトレは顔を輝かせて。そしてルミねえは分かりやすく渋面を作っていた。
まあルミねえに前衛的なデザインは受け入れられないか。ただ、その表情は総裁殿には見せない方が良いかも知れない。あの人の作品も前衛的な部類に入るからね。
「ごめん。私、服飾の知識はさっぱりで。このデザインは、良いものなの?」
「はい、素敵です。もし服になれば私が欲しいくらいです」
「私も可愛い服だと思う」
「そ、そうなんだ。赤だったり青だったり靴が黄色だったりカラフルな……どうして頭にクエスチョンマークを付けているの? デザインなの? なにこれ?」
「キュートでポップなお伽話みたいな服じゃないですか。不思議の国のアリスに出て来そうです。ルミねえ様もこれを着ればたちまちお姫様になれますよ」
「ならなくて良い」
「ルミネお嬢様にとって原宿系の服を理解するのは難しい事なのかも知れません」
「可愛いのに。此方のガーリーポップな路線ならルミねえ様にも分かるのでは?」
アトレはパル子さんの衣装を大絶賛だ。よっぽど琴線に触れたらしい。此処まで上機嫌なのはここ最近見た事がない。
……だけど、忘れてはいけない。今日の朝に考え込むように小倉さんを見ていたアトレを。
ただ今は本当に上機嫌なようだ。対してルミねえは本当にアトレが言う良さが分からないのか、困惑しながらアトレが差し出したデザイン画を見ている。
「無理。頭に苺が2つ付いている時点で理解出来ない」
「小さい頃に、こんな格好した人形で遊んだりはしませんでしたか?」
「ああまあ……でもそれは人形だからであって、自分がそうなろうとは思わない」
「お人形さんになりたい女の子は沢山いるんです」
とても分かりやすい説明だったと思うのだけれど、ルミねえはそれでも理解出来ないみたいだ。
……思えば、帰国してから会うルミねえはシンプルな服ばかり着ている気がする。ピアノの演奏会とかなら着飾ったりするんだろうけど、せっかくの美人なのに勿体ないな。
だからこそ、フィリア・クリスマス・コレクションの時には最高の衣装を製作してあげよう。
「ファッションは数年を周期にトレンドが再燃します。私達の両親の世代でも、この手のデザインが流行った時期があるみたいです」
「でもこれほど優れた才能が、同じデザイナー科に存在するのだとすれば、危機感を覚えたりはしない?」
……痛い所をつかれた。エストはともかく、僕は危機感を覚えている。
もしもパル子さんがフィリア・クリスマス・コレクションの服飾部門に参加するとすれば、強力なライバルだ。
八日堂朔莉の言葉にルミねえとアトレ、九千代もハッとした顔をして、続いて心配そうに僕を見て来る。止めて。
正直言って僕も結構危機感を抱いているから。
でも、僕の事情を知らないエストは八日堂朔莉の疑問に自然と答える。
「私の目指す方向性とはあまりに違うので、新鮮な目で見られます」
「……お嬢様も私も、コレクションラインとして並べられるような服のデザインを目標としている為、こういったストリート……いわゆるガラパゴスファッションとでも呼ぶべきものは比較対象になりません。ただ良いものは良いので、お互いにない刺激と影響を交換し、高め合っていければと思うだけです」
「そうなんだ。でも、今の意見を聞くと、年末に来る有名なデザイナーの方々も良いものは良いものとして見るという事よね。それに対してはどうなのかしら?」
うぐっ! 痛い所をつかれた。
エストはどうか分からないけれど、僕にとって今の八日堂朔莉の質問はかなり痛い。
彼女の言う通り、パル子さんのデザインや型紙は、僕とエストが興奮を抑え切れない程に素晴らしいものだ。系統が違うからと安心出来ない程に、パル子さんの作品に僕は危機感を抱いている。
「私個人としては良いライバルになれると思っています」
「わ、私もですね。年末のフィリア・クリスマス・コレクションでこの方と競えるのが楽しみで仕方ありません」
ルミねえとアトレが本当に大丈夫なのかと、視線で僕に言ってきている。
だ、大丈夫だと思う。うん、もっと勉強を頑張ろう。だって。
「あの、朝陽さん。気になったのですがこの方、型紙もご自分で引かれているのですか?」
「それはね」
九千代の指摘に、にこやかだったエストも流石に落ち込んで、僕と一緒に顔を伏せた。
「ねえ朝陽。彼女は幼い頃から型紙の勉強をしていたの?」
「そう信じます。そうでなければ、この完成度の高さは理解出来ません」
服飾の知識が必要な話になると、流石に八日堂朔莉とルミねえは何も言わなくなった。
アトレと九千代は、自分の専門分野でなくても、プロであるお父様やお母様と接していた為にある程度は理解出来る。
『型紙は実践と研究あるのみ』。これは僕が日頃から心掛けている事で『長い時間の中で作業を繰り返す他に上達する道はない』とエストにも語った。
天才型の人間にはこれが難しい。何故なら、天才は努力しなくても素晴らしいものを生みだせるから天才であり、地道な単純作業を苦手とする人が多い。何より、その努力の方法すら知らない。
たとえばお母様はプロのデザイナーでありながら、型紙が殆ど引けない。その道で世界有数の実力を持つお父様と比べようものなら、正直に言えばゴミ。まあ、逆にお父様はデザインが平凡だけれど。
もしもの話だが、学生時代に『小倉朝日』さんではなく、お母様が型紙を引いた作品をフィリア・クリスマス・コレクションで出していたら、最優秀賞は取れなかったかも知れない。
もっともお母様の場合は、その分の時間をデザインに費やしているという事情がある。それを見ているからこそ、両立を目指した僕は怠けず、弛まぬ努力をして来たつもりだ。
そして問題のパル子さんの型紙は……。
「朝陽さんの型紙の実力も素晴らしいものがあると思いますが、少なくとも、同じ年齢の中で、比肩できるほどの生徒はそうそう居ないですよね?」
うん。僕もそう思っていた。
唯一小倉さんに対してだけはお母様の話を聞いて興味を覚えていたけれど、本当に実力が落ちているのか、授業の様子を見る限り、今のところ僕の方が上だと思う。
「ですからこの方が型紙専門ならば、納得出来たのですが」
パル子さんの本業は型紙ではなくデザイン。
もしパル子さんが僕と同じだけの努力をしていないのだとすれば、これまで自分のやって来た事はなんだったのだろうという落胆がある。
勿論入試を首席で合格したことから考えて。パル子さんが努力をしていないはずはないのだけれど、僕は自分が思うより努力の面で天狗になっていたのかも知れない。だから、本気で落ち込んでいる。
「はあ」
「エストさんは? 型紙の実力はどの程度なのですか?」
「そこそこものは引けると自負していますが、朝陽やこの方と比べるとゴミです」
「そ、そうですか」
「はあ」
僕達は主従揃って落ち込んだ。それを見て流石に哀れだと思ったのか、ルミねえが違う話題に切り替えてくれた。
「そう言えば、今日の午後に音楽部門棟へ来た?」
「あ、お邪魔しました。大蔵さんと会えなくて残念でした」
「一年生はその時間は個人レッスンの時間だったから。教室で他の生徒が噂しているのを耳にしなければ、ずっと気がつかないままだったかも」
……直接聞いた訳じゃなくて、他人の会話で知ったか。ルミねえらしいかも知れないけれど、八日堂朔莉の意見を聞いた後だと不安が強い。やはり彼女の言う通り、ルミねえは距離を取られてしまったのだろうか?
「朝陽はピアノ科の男性から気に入られていたねウフフ」
「うぞっ!?」
「だれっ!?」
八日堂朔莉が目を見開き、アトレが持っていないエア包丁を構えたので、首を横に振った。
止めてくれ、エスト。最近のアトレは本気で何をするか分からなくて怖いんだから。
「気に入られた訳ではありません。少し、会話をしただけです」
「でも天使って言われてたよね?」
「え、それは私の知っている人なのか気になる。なんて言う生徒?」
「なんだっけ? ヤマガタ……センパイ?」
アトレと九千代とルミねえは沈鬱な表情で顔を俯かせた。なぜ関係者と繋がりを持ったと言いたげだった。
寧ろ、僕の方が聞きたいよ! 何で積極的に僕に会いに来ていたジュニア氏だけじゃなくて、他の部門棟の山県先輩とまで会う事になったのか? 偶然が重なったと言われたら其処までだけど。
「今度ある五月の連休中にリサイタルをやるみたいだね。確か4日って言っていたっけ? 誘われたけど、朝陽は行くの?」
「私にはお嬢様のお世話がありますので。それに3日にお休みを貰っているのですから、流石に連続で休む訳にはいきません」
「あ、私ね、その日は用事があるの」
「ご同行いたします」
「外を移動するから、朝陽は休み。だから自由に行動して良いよ」
これは面白がられてる。さてどうしよう。リサイタルに行きたいと言えば行きたいし。でも、行ったらエストにからかわれそうだ。
楽しい事が大好きな僕も、男性と恋愛絡みの目で見られるのは嫌だ。それだったらリサイタルに行かずに、小倉さんに贈る衣装の製作をしておくのも良いかも知れない。
「山県先輩のリサイタルなんてあるんだ。私、見に行こうかな」
意外な人物が手を上げた。ルミねえも山県先輩に興味があるのだろうか?
「ルミねえ様が見に行くほどの方なのですか?」
「去年のフィリア・クリスマス・コレクションの優勝グループの一人だって聞いてる」
「凄い!」
「周りの噂を聞いても、二年生では一番だって聞くね」
……また噂か。八日堂朔莉に視線を向けてみるが、彼女は冷静な顔でルミねえを見ていた。
だけど、僕が視線を向けているのに気がつくと、微かに首を下に動かした。やはり、僕の考えている不安は当たっているのかも知れない。
その事を知らないルミねえは、話を続ける。
「だけど先生方の評価はあまり高くないみたい」
「そうなのですか?」
「今の先生に尋ねてみたら、海外で勉強した事を生徒達が大げさに誉めているだけで、演奏自体は大したことないって言われた」
ん? 何か違和感を感じた。一体何だろう?
「実際、去年は日本に居ても実績を残せてないしね。家庭教師の先生に聞いても知らなかった。でもあまりに教室で皆が誉めるから、一度演奏を聴いてみたいと思って」
今の話を聞いてますます興味が増した。生徒達が誉めているのに、先生の評価は高くない。
一体どういう事なのか。山県先輩の本当の実力に、僕は大変興味を覚えている。
……ん?
「……」
ルミねえの話を聞いていたエストが、何か考え込むような表情をしている。
もしかしたらエストも何か気がついたのだろうか? 後で聞いて見るのも良いかも知れない。
「ま、実績がないってことは、先生側の話を信じるけどね。4日だっけ? 行ってくる」
「それじゃルミネさんは3日の日、空いているかしら?」
「は?」
いきなり話しかけてきた八日堂朔莉に、ルミねえは目が点になった。
「実はね。3日に映画の撮影があるの。もし良ければルミネさん、付きあって貰えないかしら? 私、今月から始まった映画の撮影に参加していて」
「そう言えば喋り方が素のものになっていますね。時代劇はもう終わったのですか?」
「そう。私の出番は終わり。それで今は次の仕事」
「映画は出ないんじゃなかったの? だって舞台をやるためにフィリア学院へ入ったんでしょ?」
「別に映画に出るのを止めた訳じゃなくて、日本へ来たからアメリカの映画に出られないだけ。お芝居の練習と両立は出来るから。それでね。私、現場の共演者から嫌われているみたいなの。スタッフとは仲良く出来ているのだけど」
「何をしたの?」
「何をしたって言うか、お誘いを全てお断りしただけ。そうしたら露骨に他の共演者だけで固まるようになり始めて。しまいには、私は私生活でも友達が一人も居ない、なんて陰口まで聞こえてきたの。当たっているだけに、悔しいじゃない。この気持ち、ルミネさんなら分かるでしょう」
「は? どうして私なら分かると思ったの?」
「え、だってルミネさんに友達なんていないじゃない。桜小路さんと小倉さんは親戚でしょ?」
……これは。もしかして八日堂朔莉は、自分の話を使ってルミねえに危機を伝えようとしているのだろうか?
だとしたら、彼女の評価は僕の中で大きく上がる。直接言ったら間違いなくルミねえは反発するから、間接的に伝えようとしてくれているのかも知れない!
ありがとうございます、朔莉お嬢様! このお礼は必ずして差し上げます!
変態行為を除いてだけど。
「いや、一人くらいは……居るけど」
……ルミねえ。見栄を張るのは止めよう。
「嘘、本当に? 見栄を張らなくていいの。空想上の人物以外で、居るの? 友達?」
「い、居るから!」
ルミねえは一瞬戸惑ったあとにエストを見た。
……ああ、そう言えばエストが居たね。
考え込んでいた彼女はなんの話をしているか分からなかったみたいだけど、ルミねえの迫力に感じるものがあったのか、こくんと一度だけ頷いた。
そしてその直後に、こんなことでムキになってしまった自分を恥じたのか、ルミねえはどんよりと落ち込んでしまった。その姿に八日堂朔莉は残念そうな顔を一瞬だけ浮かべて、僕に向かって微かに首を横に振った。
……失敗か。今ので気がついて欲しかったけれど、これ以上やるのは不審に思われてしまう。
八日堂朔莉もそう思っているのか気持ちを切り替えるかのように話を再開した。
「まあそんなわけで、私の数少ない友人のルミネさんを現場へ連れて行って、共演者に見せてやろうと思って」
ルミねえは顔を真っ赤にしながらぶんぶんと首を横に振った。八日堂朔莉から友達と言われた事が嬉しくて仕方がない反面、そんな理由で喜んでいるのを認めたら負けだと思っているんだね。
「ルミネさんは美人だし、着ている服のセンスも良いし、自分の友人として自慢できる人だしね。だから一日だけお付き合いして欲しかったの。リサイタルがある4日じゃなくて3日だから来れない?」
「……う、うん。ま、まあ3日なら空いているから、い、行ってもいいかな」
「映画の撮影があるなら私も行きたいです!」
「私もその日ならば空いているので、見に行かせて貰います」
「ありがとう。みんな優しくて素敵。お婆ちゃんになって、髪が白くなったら、舐めて上げる。あ、もちろん朝陽さんも来るでしょう?」
「時間にも依りますね。実は3日は髪を整える為にある方に切って貰う予定がありますので」
「マジでえええっ!? 朝陽さん、映画の撮影の日に髪の毛を切るの! 何処で!?」
髪を切ると言ったら、欲望に満ちた目を僕に向けて叫んだ。
上手くいけば、望んでいる僕の髪の毛を手に入れられると思っているのだろう。だけど。
「映画の撮影の準備があるでしょうから、朔莉お嬢様は来る事は無理ですね」
「そんなあああっ!?」
この世の終わりを聞いたかのように変態は、手と膝を地面に突いた。
「ただ時間帯によっては行く事も出来ると思います。私の予定は午前中ですが、朔莉お嬢様が出演される映画の撮影は何時からなのでしょうか?」
「場所はこのマンションの地下。時間は正午から一時間ほど」
僕が来れるかも知れないと分かったからか。八日堂朔莉はあっさり立ち上がって復活した。
変態は打たれ強いと聞くけれど、どうやら本当の事らしい。
ただ、八日堂朔莉が指定した時間が気になったのか、ルミねえが口を挟んで来た。
「こんな人通りの多い場所で正午? そういう撮影は早朝にやるものじゃないの?」
「警察に届けを出したら、地下の施設側がその時間を指定して来たらしいから」
撮影の場所は地下か。僕でも行ける場所だし、皆も見に行くつもりらしいから、見学に行くのも良いかも知れない。
その後は何時もの軽い雑談をして僕らは別れた。
……でも、やはり気になる。先ほどの話で僕が感じた違和感の答えは出なかった。
どうにもルミねえが関わる事だから、僕は客観的に物事を見られない。
昼間に山県先輩の話を聞いた時も、やっぱり教師側に問題があったのではないかと思った。
でも、この件で必要なのは客観的な意見だ。前回の時のように誰かから意見を聞けば、気がつけない事も気がつく事が出来るに違いない。
誰に聞くべきだろうか? 前回と同じように八日堂朔莉に聞くべきか?
それとも誰か他の人に聞いてみるのも良いかも知れない。
エストに聞いてみよう。
八日堂朔莉以外にも話を聞いてみれば、もっと多くのものが見えるようになれるかも知れない。
それにエストもルミねえの話を聞いて、何かを考え込んでいるようだった。彼女から話を聞こう。
エストの部屋に戻り、僕とエストは日課のデザイン画を描いていた。そろそろ就寝の時間が近い。聞くならばいまだ。
「お嬢様?」
「ん? なに、朝陽?」
「……先ほど屋上でルミネお嬢様の話を聞いていた時、何か考え込んでいるようでしたが、いかがなされましたか?」
「ああ、あれね……別に気にしなくて良いよ」
「あの時のお嬢様の様子を見てはそうは思えません。もしも何か気になる事があるなら仰って下さって構いません」
「う~ん……でも、朝陽。ルミネさんと親しいでしょう? 私の話を聞いて気分が悪くなるかも知れないから」
……やはりエストもルミねえに関わる事に、何か気がついているのか。
普段の僕なら確かにエストが言うようにルミねえの事を悪く言うような話を聞けば、不機嫌になる。ルミねえの事が大好きだから。
だけど、八日堂朔莉の話を聞いてルミねえ側だけで物事を見るのはいけない事が分かった。
「確かに私はルミネお嬢様と親しいです。桜小路家で使用人として働いていた時からの知り合いですし、お嬢様を紹介してくださった恩がある御方ですから。ですが、それとこれとは別です。私も先ほどの屋上でのやり取りには、何か違和感のようなものを感じていたのです」
「朝陽も?」
「はい。ですが、その違和感の正体が分からずに困っています。お嬢様のご様子を見て、もしかしたら私と同じように違和感を感じていたのではないかと思い、話をしてみました。ですから、この件で不愉快になる事はないと約束させて頂きます。質問したのは、私なのですから」
「……うん。分かった。じゃあ話すけれど、私が気になっていたのは……さっき屋上で話したヤマガタセンパイの事なの」
「山県先輩ですか?」
「そう……あの人の話をルミネさんがしていた時に、アレって思った。朝陽は覚えているよね? 入学式の次の日にルミネさんが屋上で話した事」
「はい、良く覚えています」
その事でもかなり悩んでいるから忘れる筈が無い。
「あの時も思ったんだけど、私、あの時にルミネさんに質問したよね? 『では学院側に抗議するの?』って」
「……確かに仰っていましたね。そしてルミネお嬢様は学院側には抗議しなかった筈ですが」
「朝陽の言う通りルミネさんは抗議はしなかったようだけど……理事長の大蔵りそなさんに連絡するのって、抗議よりも凄い事だよね?」
「……はい。その通りです」
うん。エストが言うように、学院に抗議するよりも総裁殿に抗議すれば効果はある。
だけど、普通はそんな事は出来ない。過程を飛ばして、一番上のトップに抗議するなんてかなり無理だ。
ルミねえはそれが出来る人だったけれど、周りがそれを見て恐れない訳が無い。身内だから仕方がないで通すのは、周りの人達には納得できない。
と言うか、僕もやられたらかなり嫌だ。
「その事も気にはなったけれど、日本はそういうものなのかなってあの時は思ったの」
ルミねえ! エストが日本という国を勘違いしているよ!
「お嬢様。それは違いますのでご安心下さい」
「そうなの?」
「はい。そうです。あの時は特殊な例だったと思って下さい。普通は理事長に直接連絡が出来る訳ではありません」
「うん。分かった。それで話は戻すけれど、今のルミネさんの先生って、新しく来た先生なんだよね?」
「確か、そうだった筈です」
エストには話せないが、アトレに調査をして貰ったところ、総裁殿が依願退職した講師の代わりに連れて来たから間違いない。
女性のピアノ教師で、依願退職した講師の代わりにルミねえの担当になったようだ。まあ、依願退職した講師以外にもピアノ科には講師の方々はいるが、今日山県先輩が教えてくれたピアノ科の授業の内容だと、一人講師が居なくなるだけで大変なのは間違いない。
他の生徒に宛がっていた講師を、依願退職させたルミねえにあてるのは幾ら何でも無理だ。
だから、今のルミねえの講師は新しく総裁殿が連れて来た講師。
「なのに、何で山県先輩の事を知ってるの?」
……アレ? 何でだろうか?
新しく連れて来た講師の筈なのに、フィリア学院に在学している山県先輩の事を知っているのだろうか?
去年からフィリア学院に勤めていたなら、山県先輩の事を知っていても可笑しくないけれど、その講師は急にフィリア学院の講師として雇われた人物だ。
コンクールなどで山県先輩のピアノを聴いた事があるのだろうか? いや、それにしてはルミねえに聞いた話では良く知っているような口ぶりに聞こえたけれど。
ただ、僕の感じていた違和感の正体は分かった。今エストが指摘した事に、僕も違和感を感じていたんだ。
一体何故件の新しい教師は、山県先輩の事を知っていたのだろう?
疑問に思って僕が考え込んでいると、エストが更に話を続ける。
「それに山県先輩って、去年のフィリア・クリスマス・コレクションの総合部門で優勝したグループの一人なんだよね?」
「ええ、樅山先生がそう言っていました」
「一年目で総合部門に参加して優勝出来るなんて、私は凄いと思う」
うん、凄い事だ。小倉さんに叱られる前の僕も、総合部門の優勝を狙っていた。
だけど、それは三年目でだ。一年目で総合部門の優勝を狙うのは、かなり難しい。
総合と言うのは色々な作品が出される。音楽や演技やファッション、その他にも様々な要素を合わせた演目が総合部門。綺麗な衣装を着ているだけでは駄目。音楽が優れているだけでは駄目。演技が優れているだけでは駄目と、全ての要素を兼ね備えたショーを開く事が総合部門では評価される。
其処で評価される事は、一部門で評価されるよりも上の評価が貰える。なのに。
「山県先輩は一年目にして総合部門に参加していながら、先生方からの評価は余り高くないと、ルミネお嬢様は言っていましたね」
「うん。そうなの。フィリア・クリスマス・コレクションって、先生達の中では、そんなに重要なイベントじゃないのかな?」
そんな事がある筈が無い!
フィリア・クリスマス・コレクションは学生レベルの枠組みを超えて、最優秀賞を得れば将来の成功が約束されるとまで言われている一大イベントだ!
僕はそのフィリア・クリスマス・コレクションに参加する為に、日本に帰国して女装までしてフィリア学院に通っている。
なのに、ピアノ科の講師達がそのイベントの結果を重要視しないなんて可笑しい。
「何だか変な感じを受けるよね?」
「はい。私も同じ気持ちです」
アトレに頼んで調べて貰うべきだろうか?
いや、件の渦中には山県先輩がいる。ジュニア氏とは違い、あの人の保護者は駿我さんだ。調べたりしたら、気がつかれる恐れがある。
或いは紅葉に聞けば何か分かるかも知れない。他の部門だけど、フィリア学院という枠組みでは同じ講師だ。
何か知っているかも知れない。
……でも、ルミねえは大丈夫なのだろうか? 何だかピアノ科には不審なものが見えてきた。
この件を恐らく小倉さんとカリンは知っているに違いない。でも、あの二人が教えてくれるとは思えないから、地道に情報を集めていこう。
デザインを描く時間が終わり、僕は自分の部屋に戻った。
そのまま部屋のソファーに座り、力なく項垂れてしまう。もうすぐ四月も終わると言うのに、問題は解決できそうにない。
ルミねえの事は信じているけれど、不安になるような事ばかりが多くて心配だ。
「……薬を飲もう」
医者から処方された薬を飲む。
それと小倉さんに贈る衣装の製作を進めないと。
「その為に……」
僕は部屋の電話を取って、番号を押して電話をする。
この時間ならば彼方側は朝頃の筈だから、出てくれると思う。
『はい、此方桜小路家です』
「あっ、八千代。僕だけど」
『才華様!?』
「うん。久しぶり。それで悪いんだけど、お父様は今居るかな?」
『居りますが、才華様。一体其方で何があったのですか? つい先日もアトレ様から連絡があって、此方は大変な事に』
えっ?
「アトレが連絡した? それ本当?」
『はっ? ……もしかしてご存知なかったのですか?』
「うん。今、初めて知った。それでアトレは何の話をしたの?」
『それがですね……あっ、少々待って下さい。奥様。実は才華様からお電話が』
お母様が傍に居るのか。でも、アトレがアメリカの実家に連絡していたなんて初めて知ったよ。
一体何のために?
嫌な予感を僕が感じたと同時に、電話の先で八千代とお母様が会話をしている声が聞こえてくる。何か口論しているような会話が聞こえたと思うと、お母様の声が電話から聞こえてきた。
『才華か?』
「は、はい、お母様! お久しぶりです!」
凄く不機嫌さに満ちた声が聞こえてきた。
此処まで不機嫌そうなお母様の声を聞くのは久しぶりだ。一体何が?
『私はここ数日の間、非常に不機嫌だ。何故だか分かるか?』
「い、いえ、何故でしょうか?」
『……その様子では本当にお前はアトレからの電話を知らないようだな?』
アトレ! 一体何をしたの!?
こんなにお母様を怒らせるなんて……いや、まさか、アトレ。
『私は今、腸が煮えくり返るほどに怒りを覚えている。お前やアトレにではない。お前達を甘やかし過ぎた自分に対して怒りでどうにかなりそうだ』
「あ、あの……お母様。もしかしてアトレが電話した件の内容は……」
『朝日を不誠実だと思っているそうだな、アトレは……心に深い傷を負っているあの朝日に対して、私の娘は随分と不愉快な考えを抱いているじゃないか、才華』
圧倒的な絶望感に僕は包まれた。
心から思うのは一つだけ……終わった。
今回の話の内容は五月に出ます。
次回は遊星sideで一回目の課題の合格の成否と家族のやり取りです。