月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
五月編から徐々に問題が解決していきます。
ただルミネだけは後半です。
秋ウサギ様、笹ノ葉様、烏瑠様、誤字報告ありがとうございました!
side遊星
「こ、これは……」
興奮から身体の震えが抑え切れない。それほどの衝撃を覚えた。
今、僕が見ているのはエストさんから渡されたパル子さんのデザインと型紙。放課後にちょっと残っていて欲しいと言われたので、何だろうと思っていると、エストさんがパル子さんのデザインと型紙を持って来てくれた。
後、エストさん自身のデザインも渡して貰えた。どうやら以前桜の園で助けた事のお礼の為に、わざわざ桜の園に一度戻って持って来てくれたみたいだ。
ただ、学院では見せないように、とは言われた。実力を隠しているのではなく、僕に教えてくれた二つ目のデザインの為に、今は内緒にしておきたいそうだ。
エストさんの優しさに感謝したい。そして家に帰って見たアトリエで、先ずはエストさんのデザインを見た。
前に見た時と同じで素晴らしいデザインだった。繊細で流麗な線で描かれているデザインは綺麗だ。アメリカで賞を取る実力が良く分かる。
次にパル子さんのデザインと型紙を見てみた。
……素晴らしいという言葉では表現出来ない程に、パル子さんの服飾の才能は優れていた。
デザイナーとパタンナーでは必要な才能がそれぞれ違う。
以前桜屋敷に居た時にユルシュール様が言っていた事を思い出す。
『パタンナーに必要なのは、平面である生地が人体に着られて立体になる想像ができる、現実的な空間把握能力ですわ。現実とはかけ離れた想像力を必要とされるデザイナーとは、寧ろ逆の才能が求められますの』
だから型紙の成績が良くても、デザインが良いとは限らない、とも言われた。
でも、僕はその才能を両立させている人を知っている。憧れの人であるジャンとお父様だ。他にもラフォーレさんも型紙が出来るらしい。デザインと型紙の両方の才能を持つ人は間違いなく居るんだ。
現に才華様も両立させている。
そして新たに僕の中にパル子さんの名前が刻まれた。間違いなく彼女は……服飾の天才だ。
方向性の違いはあるけれど、デザインという枠組みで言えば、ルナ様に匹敵する才能がパル子さんにはあるかも知れない。型紙に関しては……申し訳ありません、ルナ様。
……どう考えてもパル子さんの方が上です。
それに今の僕と比べてもパル子さんの型紙は……。
「……やっぱり、私なんて」
ズゥンと重たい現実が圧し掛かり、僕はアトリエの端の方で暗くなって座り込んだ。
どう考えてもパル子さんに型紙で劣っている。以前の僕なら型紙で負けない自信はあるけれど、今の本当に実力が落ち切った僕ではどう頑張っても勝てない。
ああ、前に協力を申し出た時にマルキューさんに拒否して貰えて良かったかも。もしもあの時に受けて貰っていたら、パル子さんの実力を目にして手が止まっていたかも知れない。と言うよりも、絶対に止まっていた。
「ハア~」
落ち込んだ溜め息しか出す事が出来ない。
日中でデザインが古いと指摘され、流行についていけてない事も理解させられた。
……実力を取り戻したい。年末のフィリア・クリスマス・コレクションで、最優秀賞は無理でも、ジャンや皆を感心させる事が出来る衣装だけは作りたい。
その為には実力を取り戻さなければならない。
「……でも急いだら駄目だ」
一つだけ早期に実力を取り戻す方法がある。でも、その方法だけは使えない。
いや、してはならないのだ。その方法を使うのは、服飾を捨てさるのと同じ。
桜小路遊星様のコピーにだけは、絶対になりたくない。例え衰えた実力を取り戻せるとしても、その手段だけは絶対に使わないと誓っている。
「落ち込んでばかりはいられない」
もうすぐりそなとお父様がやって来る。
こんな落ち込んでいる姿を見られたら、心配をかけてしまうし、お父様からは怒られる。
立ち上がって、机の上に載っているパル子さんのデザインと型紙を改めて見てみる。
……うん。改めて見ても凄い。お伽話に出て来るような衣装を思い描いた事も、それを現実の形にした型紙も。
パル子さんは間違いなく天才だ。その人の作品を見るだけで勉強になる。
なるほど。こういう型紙の引き方もあるんだ。勉強になる。
デザインと型紙を見比べて、僕は少しでも理解出来るように頑張る。
でも……これだけの才能が一般クラスにある事を特別編成クラスの上級生に知られたら、危ないかも知れない。
上流階級の出の人は、一般の人を低く見る者が多い。ルナ様、ユルシュール様、瑞穂様はそんな事をしなかったけど、フィリア女学院の時に家が成り上がりという立場だった為に湊を笑う人達は居た。
開校されたばかりのフィリア女学院でもあったんだ。今のラフォーレさんのやり方の影響で、一般クラスと特別編成クラスの争いが激化している状況では何が起こるか分からない。もしかしたら学院外でも何か起きるかもしれない。
そんな不安を感じながら、僕はりそなとお父様が帰って来るまで服飾の勉強に打ち込む。
緊張で喉が渇くのを感じる。
パル子さんのデザインと型紙を見ながら服飾の勉強をしている内に、1時間が経過し、お父様とりそなが帰ってきた。
お父様は部屋に入ると共に、課題を見せろと言われたのでアトリエに案内して、僕が渡されてからずっとやっていた課題の型紙を1枚1枚、慎重に見ている。
こうなると思っていたので、課題は1日ごとにやった分で分けておいた。
部屋の壁際においた椅子に座って、真剣に一つ一つ見ているお父様を待つ。
りそなは僕の隣に座っていて、緊張で握り締めていた手を握ってくれている。そのおかげか、以前のようにお父様に自分の型紙を見られても不安で押し潰されるような事は無い。
やがて最後の一枚を見終えたお父様は、テーブルの上に型紙を置いた。
け、結果はどうだったのだろうか?
「……合格だ」
「えっ?」
「合格だと言ったのだ、遊星」
「……あ、ありがとうございます! お父様!」
「良かったですね! 下の兄!」
「うん!」
嬉しくて仕方がない! 合格できたこともそうだけど、お父様に僕の型紙を認めて貰えた事が何よりも嬉しかった。
「今回の課題は、基本のシャツの型紙だった。同じものの型紙を引き続ければ、必ず飽きて来るものだ。だが、遊星。お前は飽きることなく型紙を引き続け、更に学院で学んだ事も活かしていた。これならば合格を与える事に問題はない。もしも途中で一枚でも型紙の質が落ちていたのならば、合格を与えるつもりはなかったがな」
「うわ~、相変わらず厳しいですね、上の兄。その条件だったら妹、絶対に不合格になっていましたよ」
「ククッ、この程度を熟せずしてアメリカに居る我が弟を超える事など出来る筈があるまい」
その通りだと思うので、僕は何も言わなかった。
でも、やっぱりお父様の課題には言われた事以外にも隠された意味がある。多分、これも課題の一つだ。
パタンナーはデザインからイメージを読み取って理解する事も必要な職業だ。だから、言われた課題以外にも何か隠された課題が今後も出されるに違いない。
……読み間違えたら終わりだ。今後もお父様の課題には注意していこう。
「それで次の課題だが」
「えっ、もう言うんですか?」
「言うに決まっている。俺は明日にはロンドンに戻らねばならんのだからな」
忙しい中、日本に戻って来てくれたんですね、お父様。
本当にありがとうございます。
「次の課題を告げる前に、遊星」
「はい。何でしょうか?」
「授業で自由課題のデザインは描いただろう。それを見せろ」
ビキッと僕は固まった。
デ、デザインをお父様に見せる? 僕が描いたものを? な、何で!?
言われた事の意味を理解出来ずに僕が固まっていると、同じ疑問を思ったのかりそなが質問してくれる。
「ハァ? 下の兄のデザインが何で必要なんですか? 上の兄も充分に知っている筈ですよね……下の兄にデザインの才能が無いのを?」
グサッと胸にりそなの言葉が突き刺さった。
「そんな事は、貴様が言うまでもなく理解している。遊星にデザインの才能は皆無だという事などな」
グホッ! 心の中で僕は血を吐いた。
「だったら、何で下の兄のデザインを見るんですか? 上の兄が見ても不愉快になるだけだと思います。これから食事に行くんですから、雰囲気が悪くなるのは困ります」
「安心しろ。遊星のデザインに関しては、もう諦めがついている。今更デザインを見て不愉快になる事は無い。型紙が不出来だったのならば話は別だが」
……泣きたい。
デザインに関しては諦めはもうついているけれど、こうして二人から才能がないと言われるのはショックだ。
出来ればもう聞きたくない。怒られないなら、もう見せてしまおうと思って急いで自室にデザインを取りに行った。
取って来た僕のデザインをお父様に渡し、りそなも横から覗く。
「……やはりか」
「これは……古いですね」
厳しい顔でお父様は僕のデザインを見つめ、りそなも判断に困ると言うように渋い顔をした。
「上の兄は気がついていたんですか?」
「八十島の話では、遊星は桜屋敷に居た頃は徹底して服飾から離れていた。ならば、此方に来てから雑誌などにも目を通してはいないはずだ」
「……はい……りそなに頼んでパリの本屋に行った時が、初めてです」
「という事は、技術だけではなく流行への理解も遅れている訳ですか。失敗しましたね。パリに居た時に色々な服飾店も見回っておくべきでした」
「その件に関しては責めるつもりはない。落ち切った技術も、早急に取り戻さなければならなかったのは事実だ。更に言えば、流行を理解している時間も少なかった。だから、この件に関しては不満を漏らすつもりはないが、放置しておくわけにもいくまい。故に次の課題だ」
どんな課題なのだろうか?
僕の流行の遅れを解消する意味も込めた課題のようだから、かなり難しそうだ。
一体どんな課題が……。
「遊星。お前の次の課題だが、流行の服を着てそのレポートを書け。最低でも百枚だ」
……はっ?
「えっ、上の兄。それって、男性物限定ですか?」
「それだけで遅れた流行への理解を深められる筈があるまい。何よりも遊星の今の立場は、この俺の娘だ。当然女性物も含めてだ」
……えっ? つまり、女性物の服のレポートも書かないといけないの? 服を着て?
「えええええええっ!?」
「喚くな」
「騒ぎますよ、お父様!」
「流石に同感ですね。いや、確かに着れば理解出来るでしょうけど、下の兄が今どきの流行の服を着ても……似合い過ぎて怖いですね。と言うかウィッグじゃないので、その気になれば髪型も変えられる訳ですから。服に合わせて髪型も整えられますし」
「納得しないでよ、りそな!」
「いやだって……本当に似合うとしか思えませんよ。最早キモイとさえ思えないほどに、貴方には女性物の服が似合いますから」
困ったようにりそなは目を僕から逸らした。
似合うとしても女性物の服は余り着たく……今、桜小路家のメイド服を着ていた。
アレ? お父様が来るのを知っていたのに、何で僕はメイド服を普通に着ているんだろうか? いや、男性物の服を着ていたら叱られていたかも知れないけど、メイド服なら大丈夫って何で普通に思っていたの僕?
しかも……全然恥ずかしいとも思ってない。
「もしかして今頃気がついたんですか、下の兄? いや、妹も、アトリエでその姿を見るのが普通になっていましたけど」
着ているメイド服を見回していた僕に、りそなが呆れ顔で指摘してきた。
……ああ、もしかして本気で手遅れになって来ているようだ。
このままではいけない。なら……涙を呑んで覚悟を決めよう。
「ううぅ、わ、分かりました。レ、レポートを書かせて貰います」
「レポートの内容は、服を着ただけの感想だけではなく、フィリア女学院時代のように店に行って現在の流行のラインや色も書いておくようにしておけ」
つまり、一つの店舗ではなく、幾つもの店舗を回ってレポートを書かないといけない。
となると、放課後や休日には必ず店にいかないといけない。他にも縫製や型紙の勉強もしないといけないから、その分の時間も作らないと。
それに男性物の服も着れるんだから、その事だけは喜ぼう。
「あっ、そうだ。お父様」
「何だ?」
「見て貰いたいデザインと型紙があるんです。服飾の世界で生きる人なら、一目で素晴らしい才能があると分かるものです。私の知る限り、方向性は違いますがルナ様と同じで天才だと思います」
「ほう。桜小路の才能を知るお前が、其処まで言うほどの才能か。良いだろう。見せてみるが良い」
僕は仕舞っておいたパル子さんのデザインと型紙を、お父様に渡した。
真剣な眼差しでお父様は、パル子さんのデザインと型紙を見ていく。りそなも見たそうにしているけれど、お父様が見ているから待つようだ。
パル子さんのデザインはりそなも気に入ると思う。ゴスロリ系も兼ね備えている衣装だから、パル子さんの作る衣装は。
「……遊星。このデザインと型紙は誰の物だ?」
「デザイナー科一般クラスに所属している銀条春心さんのものです。入学式で新入生代表を務めた人です」
「あの急に歌い出した小娘か」
お父様は僅かに不機嫌そうに顔を歪めた。
やっぱり、入学式でのパル子さんの新入生代表の挨拶はお父様には良い印象はなかったようだ。
僕もいきなり歌い出した時は、驚いたから仕方がないと思う。ただ、個人的には、あの公開処刑染みた入学式よりはずっとマシだった。
あの入学式は本当に怖かった。今でもあの時慰めてくれたルナ様の優しさは覚えている。
そんなルナ様を僕は……今は止めよう。忘れたらいけない事だけど、今はそれよりもお父様とりそなに聞きたい事があるんだ。
「お父様は、パル……じゃなくて春心さんの衣装をどう思いますか?」
「……間違いなく才能がある。これほどの才能が一般クラスに紛れていたとは」
「本当に良い作品ですね。私も気に入りましたよ」
ゴスロリ系が好きなりそなも、パル子さんの衣装を気に入ったようだ。
目を輝かせてパル子さんのデザインを見ている。
「お父様。実はこの春心さんは、同級生の一丸弓さんと言う方と一緒に、小規模ながらブランドを開いているんです。雑誌などでも紹介されるほどだそうです」
「ほう。学生の身でありながらブランドを開いているとは。興味深い話だ」
「なんてブランド名ですか?」
「『ぱるぱるしるばー』って名前だよ。ネット上で依頼されて、衣装を製作して発送するらしいんだ。ホームページは一丸さんが作って、交渉とかは全部一丸さんがやっているみたい」
「つまり実質二人だけの会社か。一般クラスの生徒としては破格の活動だが」
「思いっきり特別編成クラスのお嬢様方には睨まれますね」
それが心配だ。今のフィリア学院では何が起きるか分からない。
「フィリア女学院の学院長をしていたお父様に聞きたいのですが、学院外でも嫌がらせの類はあるのでしょうか?」
「……残念ながらありえる。この俺が学院長を務めていた時期に、不愉快にもそのような出来事があった。標的にされかけたのは、お前も知っている柳ヶ瀬だ」
「ええっ!? 湊がですか!?」
「そうだ。アレは桜小路達が二年生になったばかりの頃だ。新たに男子部が設立された事によって、我が弟もフィリア学院に入学していた。学院内では男子と女子という事で接触を控えていた部分もあったが、偶然にも一部の女生徒が我が弟と柳ヶ瀬が話している場を見てしまった」
「妹もその頃はまだパリ校に入学していなくて、日本校に通っていましたから良く覚えていますよ。その女生徒達はミナトンの事を元々良く思っていない生徒達でした。下の兄にも覚えがありませんか?」
「……うん。確かに湊の事だけじゃなくて、ルナ様の事も悪く言っていた人達がいたのを覚えているよ」
確か名前は『龍造寺』さんと『円城寺』さんだった筈だ。
その二人がルナ様と湊の事を悪く言っていたのを、偶然聞いた事があった。あの時に悔しさと寂しさとは違う感情に襲われたので、良く覚えている。
もしかして二人が言っている件には、龍造寺さんと円城寺さんが関わっているのだろうか?
「柳ヶ瀬と我が弟が仲良くしている事を見た連中は、柳ヶ瀬に嫌がらせを開始した。それは学院内ではなく、奴の実家、柳ヶ瀬運輸にまで手が及んだ」
「そんな……」
湊本人だけじゃなくて、実家の方にまでなんて。酷過ぎて言葉が出せなかった。
「だが、幸いにもその時点でアメリカの我が弟と俺はある程度和解していた。話を聞いた俺はすぐさま動いた。もしも学院内の問題で、実家が潰れる事になったなどという事になれば、学院側にも責任が発生し、フィリア学院の名は地に落ちかねないほどの事態になっていただろう。何よりも俺はそんな連中が許せん」
心の底から嫌悪を感じる顔をお父様は浮かべた。
『才能至上主義』を掲げているお父様にとって、湊がされた事は許せない事だったのかも知れない。
僕も久々に自分以外に怒りを感じていた。もしかしたら、僕が知っている湊も同じ目に遭っているんじゃないかと思うと心配な気持ちを抱く。
……ああ、でもそれはないかも知れない。何故ならあっちにはもう……僕は居ない。
湊が酷い虐めに遭った切っ掛けは、桜小路遊星様と仲良くしているところを見られたから。
僕が居なければ、湊に襲い掛かったかも知れない最悪の事態は発生しない。その事だけは少し嬉しかった。
もう……僕が居る事で誰かに迷惑をかけずに済んだんだから。
「……話を続けるが、柳ヶ瀬のような事があったのだから、今のフィリア学院で同様の事が起きないとは限らん。いや、寧ろ、現状の方が危険だ」
「あの総学院長のやり方のせいで、特別編成クラスと一般クラスの対立は激化しています。そんな中で既にブランドを小規模ながらも経営している一般クラスの生徒なんて目障りじゃ済まないでしょう。間違いなく嫌がらせをされます。学院外でも」
やっぱりそうなんだ。
それを僕は恐れていた。実際に他の科のピアノ科の生徒が脅して来たのだから、デザイナー科の上級生が同様の事をしないとは限らない。
余り人は疑いたくはないけれど、調査員として学院を調査しているから不安を抱かずにはいられない。
学院内ならば調査員の力を使ってパル子さんとマルキューさんを守る事もできるけれど、学院外ではどうする事も出来ない。だから。
「フフッ、遊星。つまり、お前は俺にその二人のスポンサーに成れと言いたいのか?」
「其処までは僕には言えません。ですが、『才能至上主義』であるお父様から見て、春心さんの才能が潰れるのを見逃せますか?」
「クハハッ! 確かにその通りだ! これほどの才能が下らぬ嫉妬の類で潰されるなど、『才能至上主義』を掲げるこの俺の沽券に関わる。良いだろう。スポンサーの話は考えておこう」
良かった。これでパル子さんとマルキューさんが、学院外で嫌がらせを受ける事がなくなるかも知れない。
「だが、遊星。忠告しておくが、学院内までは、この俺には手が及ばん。フィリア学院は完全にこの俺の手を離れた学院だ。下手に介入しようとすれば、ラフォーレが動くだろうからな」
「あの総学院長。上の兄を嫌っていますからね。介入しようと判断されたら、何をして来るか分かりませんから」
「フン、下らん嫉妬だ。この俺が学院長をしていた頃は、毎年必ずジャンが見に来ていた事を妬んでいるだけだ」
同じような事をラフォーレさんも言っていたなあ。
案外、お父様とラフォーレさんは仲が良いのだろうか? 勿論、そんな事を言うつもりはない。
ラフォーレさんに聞いた時、凄く嫌そうな顔をしていたから。お父様も同じ顔をするだろうし。
「さて、これで用は終わった。食事に行くとしよう」
「今日はりそなに頼んで、以前お父様と一緒に行ったとんかつ屋を予約してあります」
「あの店か。確かにあの店のとんかつは美味かった」
「本当なら、僕がお父様とりそなに料理を作りたかったのですが、まだ、お父様の好みが把握出来ていませんので、今回は外食という事にしました」
「……」
アレ? 何だか残念そうな顔をお父様がしたような?
気のせいかな?
「まあ、良い。それでは行くぞ」
お父様は外に出ていった。
同時に僕の隣にいたりそなが意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ムフフッ、上の兄。残念でしたね」
「やっぱり僕が作った方が良かったかな?」
「いや、まだ上の兄の好みを把握していないのは事実なんですから。ただ、次は必ず作って上げた方が良いでしょう」
「うん。頑張って作るよ」
「じゃあ、行きましょうか……ただメイド服で行くのは止めましょうね」
「……すぐに着替えて来る」
楽しい食事が終わり、お父様が運転する車の後部座席に僕とりそなは乗っていた。
りそなはお酒を飲んだ事もあって、眠っている。
……お酒を飲んだりそながしな垂れかかって来た時は、少し慌てた。お父様はその様子を楽し気に見ているだけで、助けてくれなかったし。
「美味しかったですね、お父様」
「この歳になれば脂っこいものがきつくなる時があるが、あの店はそれを配慮した出来た店だ。今後も贔屓にするとしよう」
「……スゥ~……下の兄……大好きです」
「ハハッ……ありがとう、りそな」
眠っているりそなに僕は笑いかけた。
「ククッ、家族の仲が良きことは良い事だ。我が妹も姪のお前の事を大切にしてくれているのだからな」
「妹です。後せめて娘じゃなくて息子にして下さい」
さっきまでは遊星って呼んでくれていたのに。
「さて、遊星。真面目な話だ。先日、アメリカの我が弟からお前に伝言を預かった」
「えっ? 桜小路遊星様が僕に伝言をですか? それは一体?」
何で直接電話しなくて、お父様に伝言を頼んだんだろう?
僕の携帯の番号は知っている筈なんだから、直接電話してくれれば良いのに。
「内容はアトレの件だ」
ドクンと心臓の鼓動が聞こえた気がした。
「どうやらアトレは、お前の事を知る為に桜小路とアメリカの我が弟に電話したらしい。アメリカでのお前の桜小路家での生活はどうだったのかと他愛のない質問だったので、桜小路も我が弟も答えていったが」
「……もしかして伝言と言うのは?」
「謝罪だ。『アトレが君を傷つけてごめん』だそうだ。本当なら直接言いたかったのだろうが、お前に言うのは逆に辛い事になるだろうから、俺から言ってくれと頼まれた」
「……才華様の事は?」
「その事は知られてはいない。あくまでアトレがお前を『不誠実』だと言った事だけは知られたようだ。余りにもお前を誉める桜小路にアトレが苛立ち、思わず言ってしまったという事だろう」
「……」
「電話はするな」
携帯を取り出そうとした僕を、お父様が鋭い声で止めた。
「ですが、お父様。僕のせいで」
「桜小路も我が弟も、この件でお前を責めるつもりもない。寧ろアトレの件では、あちらの方が申し訳なさそうにしていた」
「……アトレ様と話すべきなのでしょうか?」
「桜小路が叱ったそうだから、多少は以前よりも話を聞くかも知れんが、それでもお前の事を嫌っているのは変わるまい」
……嫌われているか。覚悟はしていたけれど、やはりショックを受けた。
「……アトレはアメリカの我が弟の在り方を受け継いでいると俺は思っていた。だが、やはり環境の違いは大きかったようだ。我が弟ならば、何があろうと誰かを傷つけるやり方はしなかっただろう。アトレはそれをした……忠告を受けていながら、お前の傷を抉った。桜小路が言っていたぞ。『甘やかし過ぎた』とな」
「……桜小路遊星様はそうかも知れませんが、僕の事は買いかぶりです。僕は、あの方を傷つけかけた」
「そうかも知れん。だが、アトレの場合はお前とは話は別だ。あの娘は、才華の為ならば桜小路と我が弟さえ傷つけることをしかねん」
「……ああ、やりそうですね。今のアトレだと」
「りそな。起きてたの?」
「こんな会話をされてたら、おちおち眠れませんよ……私もアトレには勘違いしていた部分がありますからね。妹はマジで下の兄の事が恋愛で好きですけれど、アトレはそんな感情を甘ったれには向けていないんですよね」
「まだ、酔ってない?」
「酔ってますよ。下の兄への愛に妹は」
……うん。酔ってるよね。ただしお酒に。
もう少し控えさせた方が良かったかな。
「これまでは助けて来ましたけれど、今回ばかりはアトレ達を助けるつもりはありません。と言うよりも、いい加減アトレも本気で何かに打ち込んだ方が良いんですよ」
「それって、どういう意味?」
「そのままの意味だ。りそなが言うように、アトレは本気で何かに打ち込んだ事がない。菓子作りにしても、料理は才華の役に立つという考えだけでやっているに過ぎない」
「本人は才能が無いただの凡人だとか言ってますが、そんなのは甘えですよ。妹、ミナトンやモデルの人を知っていますから」
湊は分かるけれど、モデルの人って誰だろう?
僕が会った事がない人なのは間違いないけれど。
「これまでは何かあれば俺やりそなが助けて来た。だが、今回は俺もりそなも助けるつもりはない」
それは僕が関わっているからだ。
もしも僕が関わっていなければ、お父様もりそなもアトレ様を助けていたと思う。
……話し合うべきなんじゃないだろうか。これ以上、悪化する前にアトレ様と。
でも……きっとその時に、僕はアトレ様に言葉をぶつけられると思う。今の僕に……それを耐える事が出来るのだろうか? 弱り切っている、今の僕の……心で。
この作品では湊ルートで起こりかけた悲劇が、起こる直前で防がれた事になっています。
次回から五月編です。
一歩間違うとアンチでないかと心配しながら書いています。でも、原作を見ていると、アトレならやりそうなのでどうしてもこんな形になってしまいました。
原作イベントを進める中、アトレと朝日の関係を修復していく予定です。