月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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前話を修正しました。
少しアトレを悪く書きすぎたと反省しています。
ご不快に思った皆様、申し訳ありませんでした。

秋ウサギ様、笹ノ葉様、烏瑠様、獅子満月様、ゼロ(レプリロイド)様、誤字報告ありがとうございました!


五月上旬(遊星side)4

side遊星

 

 五月にある大型連休GW。懐かしいな。

 湊、瑞穂様、ユルシュール様と廻った東京見物。ユルシュール様の恋愛話には湊と一緒に驚いた。

 4歳の時にプロサッカー選手に情熱的な求愛を申し込まれたり、7歳の時には俳優から情熱的な交際を申し込まれたと聞かされた時は、無事で良かったと心から思わされた。

 瑞穂様が急に居なくなった時は慌てたよ。北斗さんに頼まれていたから、尚更に。今思えば、アイドルの生写真を買いに行っていたんですね。その後で複数の男性方々にナンパされているところを目撃した時は更に慌てさせられた。まあ、僕が囮になって瑞穂様達が居ないところで、胸を見せて、ナンパして来た方々には丁重にお帰り願ったけど。

 その後に皆と楽しくクレープを食べたのは良い思い出だ。

 ……湊がちょっと心にダメージを受けていたけれど。

 別の日ではルナ様特性のオムレツを頂かせて貰った。

 今でもアボカドとトマトで作られた、あの味は忘れておりませんルナ様。

 ああ、こうして学生として二度目となるGWを過ごすと、あの幸せだった日々の桜屋敷を……。

 

「あの、そろそろ現実逃避を止めたらどうですか」

 

 ……もう少しだけ思い出に浸っていたかった。

 現実を思い出すと、もう泣くしかないから。

 

「うぅ……うぅ……」

 

「いや、気持ちは分かりますけど、更衣室の中で泣いていたら店に迷惑ですから、早く着替えて下さい」

 

 泣かずにはいられないよ、りそな。

 平日は学院に通わなければならないから、このGW中にお父様から新しく言い渡された課題に僕は取り組んでいた。

 現在の流行の服を全部で百着着て、その服を買った店のレポートを書く。流行に遅れている僕が、今の流行を一番理解できる方法。しかも、男性服を着る事が出来る! これは何よりも嬉しかった!

 女性物の服も着なければならないが、それでも今の立場では着難い男性物の服を着る事が出来る!

 そう思って、今日は久々に晴れやかな気持ちで外に出た。りそなも休みだったので、一緒に来てくれた。

 二人で街を歩けることに喜び、一番最初の服飾店に入って、取り敢えず店員さんに教えて貰った流行の服を着ようとした。此処までは問題はなかった。

 だけど、更衣室に入る直前にりそなが取り出した物を見て……僕は絶望した。

 

「んくっ……しゃ、写真を撮るなんて……聞いていませんよ」

 

「上の兄が言うには、ちゃんと着たかレポート用紙だけじゃ分からないから、写真を撮っておけだそうです」

 

 お父様!? いや、言い分は凄く良く分かります!

 レポート用紙だけでは、本当に着たのかどうかは分からない。ただ流行の服を聞いただけかも知れないと判断されても可笑しくない。

 服を着たという証拠の為に、写真はこれ以上に無いほどの証になる。

 お父様の言い分は正しい。だけど。

 

「残したくないです。ただでさえルナ様が写真を沢山持っているのに」

 

 女装姿の写真なんて本当に残したくない!

 瑞穂様の衣装以外で写真は絶対にこれ以上残さないと誓っていたのに……その決意はお父様の手によってあっさりと破られた。

 泣きたい。と言うかもう泣いている。

 

「後言い忘れましたが、ただ着るだけじゃなくて着る服にあった髪型も考えておけだそうですよ」

 

 ……この日、僕は知った。

 人は自棄を起こしていても、絶対に越えてはならない一線があるのだという事を。

 ……髪なんて伸ばさなければ良かった。

 せめてもの救いは最初に選んだのが、男性物だった事だ。

 女性の店員さんに何故と訝し気な視線を向けられた事は……気にしないでおこう。

 とにかく、りそなが言うように何時までも更衣室の中にいるのは店側に迷惑だから試着してしまおう。

 髪型は……うん、これで良いかな。

 

「着替え終わりました」

 

 カーテンを開けて更衣室の外に出た。

 

「はい、髪型チェンジ」

 

 いきなり、りそなが不機嫌そうな声を上げた。

 

「何で選りにも選って、あの甘ったれと同じ髪型にしたんですか? 今すぐ変えて下さい」

 

「と言われても、長い髪だと才華様と同じように一つに纏めるしかありません。ポニーテールやツインテールなんて、この服には合いませんから」

 

 女性物の服ならともかく、髪が長いと男性物の服に合う髪型は才華様の髪型が一番似合う。

 りそなには悪いと思うけれど、今着ている男性物の服で合うのは才華様の髪型しかない。女性物だったら、色々と髪型を変えられ……嫌な予感を感じた。

 その予感が当たっているというように、りそなは意地悪そうな笑みを浮かべて、近くに居た店員さんに声を掛けた。

 

「其処の店員。この子に合う今の流行の服を選んで貰って良いですか?」

 

「……こ、この方の服をですか?」

 

 何だか店員の人が僕を見て、恐縮しているような。

 

「嫌ですか?」

 

「い、いえ! 実は私、コーディネーターを目指していたんです! これほどの逸材をコーディネートできると思うと緊張してしまって……ですが、何故男性物の服を着ているのですか?」

 

「この子、ちょっと男装趣味がありまして」

 

 違うからね! 男装趣味じゃなくて、男物の服を着るのが正しいんだからね、僕は!

 

「そうですか。せっかくの最高の素材なのに」

 

 しかも店員の人に納得された。え? 本当に男装趣味だと思われたの僕?

 男ですよ、僕は。

 

「分かりました。私がこの方に合う最高の流行ファッションを選んで見せます!」

 

 店員は意気揚々と歩いて行った。

 ……凄い複雑だけど、一体どんな服が来るのだろうか。恐れと緊張で身体が震えて仕方がない。

 

「取り敢えず、その服を着たという証拠の写真を撮ります。はい、チーズ」

 

 カシャンというカメラの音が、虚しく僕の耳に届いた。

 ……拝啓。ニューヨークにお住いの桜小路遊星様。

 申し訳ありません。どうやら僕の黒歴史も記録に残ってしまいそうです。この事実を貴方が知る事が無い事を切に願います。

 

 

 

 

 昼時の時間帯。

 午前中に多大に精神が疲弊した僕は、丁度昼食の時間帯という事もあって、今はカフェで休んでいる。本当ならば、僕が注文を取りに行きたいんだけど、今は本当に無理だ。なので代わりにりそなが取りに行ってくれている。

 僅か数時間で僕の精神は疲弊し切ってしまった。写真を撮られるのは本当に辛い。

 大蔵遊星としての写真ならともかく、女装姿の小倉朝日の写真を撮られるのは泣かずにはいられない程に精神的に追い込まれる。

 本当に疲れた。取り敢えず一番最初に行った店で5着の流行だという服を着させて貰い、次のお店では3着の服を購入した。

 ただ流行の服を着れば良い訳では無い。同じ服ばかりを着ていても、流行を理解し切れる訳が無い。様々な沢山の服を着ていく事で理解出来る。

 何とか起き上がり、お父様が用意した用紙にレポートを書いていく。

 

「朝日。持って来ましたよ。ハンバーガーにアイスティーです」

 

「ありがとうございます、りそなさん」

 

 昔だったら考えられない光景だな。

 と言うよりも、今でも考えられない光景なのかも知れない。今のりそなは大蔵家の当主だ。

 そんな凄い人物にハンバーガーやアイスティーを運んで来て貰うなんて、光栄を通り越して恐ろしい事を僕はさせてるな。

 でも、当人であるりそなは……。

 

「ムフフッ、下の兄とデートしている気分です」

 

 僕と一緒に買い物を出来ることを心から喜んでいた。

 結構一緒に買い物に行ったりはしているんだけど、りそなが飽きる様子は無い。僕の知っているりそなだと、外に出ようと言っても、オンゲの方で忙しいと嫌がっていたから、本当に成長したんだと実感する。

 

「それにしても、朝日は色んな服が似合いますね。男性物にしても女性物にしても、今日着た服は全部似合っていましたよ。アメリカの下の兄も、学生時代はモデルをやっていますし、何だったらモデルをやったらどうですか?」

 

「嫌です」

 

 男性服ならともかく、女性服のモデルなんて絶対に嫌だ。

 でも、桜小路遊星様はフィリア学院に通っている時はモデルを務めていたんだ。男性物だろうけど。

 

「今の話で気になったけど、桜小路遊星様は学生時代はモデルをやっていたんだね」

 

「ええ、あの当時は上の兄が学院長を務めていましたからね。上の兄は身内だからって甘い審査をする人ではありませんけど、それでも意地の悪い人だったので、モデルの方を頑張っていました。まあ、それ以外にもアメリカの下の兄が他の人の型紙を引くのをルナちょむが嫌がったのもありますよ。口では構わないと言っていましたが、露骨に不機嫌そうにしていましたからね」

 

「そ、そうなんですか」

 

 少し羨ましいな。

 其処までルナ様に想って貰える桜小路遊星様が。

 

「ただその話が本当なら、ルミネさんの事はどうなるのでしょうか? りそなさんが理事長を務めているのは、学院中が知っている事でしょうし」

 

「私はルミネさんがフィリア学院に通っている間は全部の審査関係には出ない事になっています。去年までは参加していた文化祭で行われる演奏やコンクール、それとフィリア・クリスマス・コレクションでの審査も辞退しています。その代わりに例の四人を加えましたから。とは言っても、やっぱり身内がやっている事は知れ渡っていますからね。大瑛の方は、身内だとは認識されていないので。まあ、彼の方は彼の方で露骨に邪魔されているんですが、私がそれを指摘したら今度は身内だからでなりそうなので」

 

「難しいところですよね。私はまだ山県さんと直接話していませんし、ピアノの方も聞いていませんから、何とも言えないのですが……りそなさんはルミネさんと山県さんのピアノを聴いた事があるのですか?」

 

「ルミネさんの方は、本家で良く聴いていましたよ。毎日練習していましたから。大瑛の方は一度だけ聴きに行った事があります。彼は個人的にリサイタルを開いたり、学院には内緒にしてレストランで演奏したりしていますから。パリなら学院外での活動も推奨されますけど、日本じゃ駄目ですからね」

 

 結構フリーダムな人なんだね、山県さんって。

 でも、確かに国の違いはある。フランスは職人を重要視する国だから学院外での活動も推奨されるどころかサポートを受けられるけれど、日本では怒られるから。

 そういうところが残念ながら教師に受け入れられないのかも知れない、山県さんは。

 

「貴方も知っているメリルさんなんて、学生時代は休みとかになったらフリーマーケットに行って自作の服を売っていましたよ」

 

「わあ~、それは是非行ってみたかったかも知れません!」

 

 メリルさんの衣装なら、学生時代でも素晴らしい服を作っていたに違いない。

 後で教えて貰ったけれど、実はメリルさんも一時はブランドを開いていたらしい。ただブランドの方向性と、自分の服飾のやり方が合わなかったのか、今は世界的デザイナーながらもあの仕立て屋を営んでいるとのことだ。パリに居た時に教えて貰えなかったのは、僕に気を遣ってくれたからだ。

 りそなが言うには、もしもメリルさんがブランドを開いていたのを知ったら、落ち込んでいる僕の事だから、恐縮してメリルさんのアトリエで服飾の勉強をするのを控えてしまいそうだから隠していたという事らしい。

 実際にそうなっていたと思うので、何も言えなかった。自分の仕事もあるのに、僕にアトリエで服飾を教えてくれたメリルさんには感謝しかない。次に会えた時は、必ずお礼をしよう。

 因みに服の仕立て屋も事実だ。プロに服を仕立て直して貰えると評判の店らしい。良い人だな、メリルさん。

 ……そう言えば。

 

「りそなさんはルミネさんと山県さん。どっちの方がピアノは上手いと思いますか?」

 

 りそなは二人のピアノを直接聞いた事がある。

 それに僕と違ってピアノの教養もあるから、何か意見を聞く事が出来るかも知れない。

 

「二人のピアノですか……技術的で言えばルミネさんの方が上ですけど……演出では大瑛の方が上ですね」

 

「演出?」

 

「はい。ルミネさんはピアノの技術は、多分学院で一番でしょう。ただ、これまで本人がコンクールや通っていた学校以外でピアノを弾いた事が無いので、その点で言えばピアノを弾けるなら何処でも構わない大瑛の方が演出においては勝っているでしょう。ルミネさんのピアノは先ず第一に、『ミスをしない』ピアノなんです」

 

「『ミスをしない』ピアノ?」

 

「貴方はピアノなんて弾いた事がないので分からないでしょうけど、ミスをしないで弾くなら頑張れば結構出来ます。ルミネさんの場合は、これを凄いレベルで熟しているので技術的には本当に凄いんですけど……人に興味を惹かれる演出の部分を全然やった事がないんです。お爺様が人を集めたりしますし、会社関係の人も聴きに来ますから」

 

「何となく分かって来たよ」

 

 つまり、ルミネさんがピアノを弾けば勝手に人が集まって来る。

 対して山県さんは自分で積極的にピアノを聞いてくれる人を集めて、頑張ろうとしている。

 後者の山県さんは、少しでも大勢の人に来て貰おうと、ピアノを弾いている最中に演出を入れたり弾く曲の順番を考えたりと、演出に気を使っている。

 服飾で言えば、ファッションショーだ。ただ衣装を着て歩くだけよりも、パフォーマンスに気を使えばそれだけ大勢の人達が魅了される。

 だとすると以前、駿我さんに聞いた通り、ルミネさんのピアノに足りないものがあるとすれば、演出なのではないのだろうか?

 

「りそなさん。もしかしてですけど」

 

「気がつきました? ルミネさんはこれまでショーに関係する事にピアノを弾いた事がありません。つまり、フィリア・クリスマス・コレクションがルミネさんにとって初めてのショーでのピアノになります」

 

 ……やっぱり。

 だとすると、本当に観客投票がルミネさんの足枷になってしまう。

 この事をりそなは知っていたから、ルミネさんが提案した時に意地悪そうに笑っていたんだ。何とか気がついて貰わないと、才華様達が目的にしている最優秀賞を二つ取るのは無理かも知れない。

 どうしたら良いんだろうと考えていると、今度はりそなが質問して来た。

 

「ああ、そう言えば……朝日」

 

「はい。何でしょうか?」

 

「貴方のクラスメイトのラグランジェ家の娘は、どうしていますか?」

 

「ジャスティーヌさんですか?」

 

「ええ、そうです。実はその子の伯母から連絡がありまして、学院ではどんな様子なのか教えて欲しいと頼まれまして。ちゃんと授業に出ているのか? クラスメイトの方々に迷惑をかけていないかと、かなり不安そうにしているので教えて欲しいですね」

 

「そのジャスティーヌさんの伯母という方と、りそなさんはどういうご関係なのでしょうか?」

 

 ちょっと気になる。もしかしたらりそなの友達かな?

 あのオンゲ上でしか友達がいなかったりそなが、現実で友達が出来ている。

 どんな人なんだろう!? 兄としては凄い気になってしょうがない!

 

「学生時代に下の兄から送られてきたマフラーを、台無しにしてくれた真心の人です」

 

 ……えっ? 友達じゃないの?

 と言うよりも真心の人? マフラーを台無しにしたのに?

 

「まあ、もう十数年前の話ですし、色々あって最後には謝って来たので今は許して時々会ったりしています。彼女は自分もデザイナー科の教師をしていますから、日本に居る姪が心配だそうです」

 

「そ、そうなんですか?」

 

 友達なんだよね?

 

「それでどうなんですか、教室に居るラグランジェ家の娘は?」

 

 ……これって告げ口にならないかな?

 でも、四月にジャスティーヌさんが教室に来たのは、本当に両手で数えられるぐらいだ。

 このまま行くと出席日数や成績の面で問題が出て、留年してしまうかも知れない。だったら、此処でりそなを経由して、そのジャスティーヌさんを心配している伯母だというお方から注意して貰うのも良いかも知れない。

 ああ、でも告げ口みたいで少し嫌だな。だけど、態々りそなに頼んでいるんだから、伯母だという人もジャスティーヌさんが心配なんだろう。だったら、話そう。

 

「え~と、ジャスティーヌさんは……」

 

 僕は教室でのと言うか、学院に殆ど来ていない事を話した。

 付き人のカトリーヌさんが頑張っている事を伝えると、何故か其方でもりそなは安堵していた。

 何故かと思って聞いてみると。

 

「いや、彼女も彼女でメリルさんが心配していたんですよ」

 

 聞けば、カトリーヌさんとメリルさんは同じフランスのサヴォワの出身で、しかも同じ修道院で育った家族だと教えられた。

 一時はメリルさんがやっていたブランドで、カトリーヌさんは働いていた事もあるそうだ。

 ……世間って、案外狭いな。まさか、あのカトリーヌさんがメリルさんと同じ修道院で過ごしていて、しかも一緒に働いて、今は僕の隣の席で一緒に服飾を学んでいるんだから。

 

「取り敢えず、今聞いた話はそのまま伝えておきます。休み明けには注意しておいて下さい」

 

「ハハッ、それは別に構わないよ」

 

 怒られるかな? でも、このままじゃいけないと思っていたのは事実だし、丁度良い機会だったのかも知れない。樅山さんもかなり苦労しているから、少しは助けになると良いな。

 

「さて、結構長話してしまいましたね。次に行きましょう。このGW中に最低でも40着は終わらせておかないと、学院が再開したら忙しくなりますからね、朝日」

 

 ……出来れば、もう少し休んでいたかった。主に僕の精神の為に。

 

 

 

 

「お、終わった」

 

 家に着くと同時に僕は力尽きて玄関に座り込んでしまった。

 体力的にではなく、精神的に疲弊した。結局午後からも服飾店を回り、流行の服を探し続けた。

 様々な服に触れるのは楽しいんだけど、それを着るとなると話は変わる。今日の成果は合計15着だ。後85着も着ないといけないと思うと、気が滅入って来る。

 

「フフッ、ルナちょむが羨ましがりそうですね」

 

「絶対にルナ様に見せないで!」

 

「いや、冗談ですよ。こんな朝日写真集なんて見たら、ルナちょむがどうなるかなんて、下の兄よりも妹の方が分かっていますから」

 

 写真集じゃないからね、レポートだからね。

 

「あっ、電話ですね。ちょっと出て来ます」

 

 携帯の音を聞いたりそなは部屋から出て行った。

 仕事関係かなと思いながら、僕は今日買って来た服を綺麗にハンガーにかけていく。

 ……今更ながらに気がついた。服を買ったという事は、今後は着なければならない。せっかくの服なんだから、着ないでタンスの肥やしにしておくなんて僕には出来ない。試着だけと言うのにも、店の人に申し訳ないし。

 でも……。

 

「女性物が多いんだよね」

 

 涙が零れそうになる。

 男性物の服を重点に着ようと思っていたのに、店の人が持って来るのは全部女性物だった。

 最初の店なんて店員の前で男性物の服を着ていたのに、りそなが言う事を信じたのか、女性物を持って来られた。男性ですと言いたいのに言う事が出来ず、泣く泣く女性物を着たよ。

 他の店でもそうだったし、何よりも男性物の服に似合う髪型が才華様の髪型ぐらいだから、やるとりそなが不機嫌になる。結局、女性物を着て髪を三つ編みにしたり、ポニーテールにしたり、ツインテールにしたりした。

 後は、アクセサリーなどの小物関係も調べたりした。

 やっぱり、十数年も経過していると小物関係も色々と変わっていたので驚いた。

 服飾の勉強としては、今日やった事は成功だったと思う。

 ……僕の精神の疲弊を除いてだけど。

 服を片付け終えたので、次はレポートの見直しをしよう。これが一番大事な事だ。

 今回のお父様の課題に隠された意味は、何となく見えて来た。それを踏まえてレポートを書かないと。

 さあ、やろうと思ったところで、今度は僕の携帯が震えた。

 

「あっ、電話だ」

 

 誰だろうと思って画面を見てみる。

 エストさんの名前が表示されていた。こんな時間になんだろうと思って電話に出てみる。

 

「はい、小倉です」

 

『あっ、小倉さん。今良いかな?』

 

「大丈夫ですよ、エストさん。それで今日はどんなご用でしょうか?」

 

『うん……明日って、小倉さん、暇かなと思って』

 

「明日ですか?」

 

 明日は山県さんのリサイタルに行く予定がある。

 

「申し訳ありません、明日は用があるので」

 

『そう……じゃあ、今ちょっと相談に乗って貰って良いかな?』

 

「はい、構いませんけど、何かあったのでしょうか?」

 

 もしかして才華様の事で何かあったのだろうか?

 或いはアトレ様の事かも知れない。緊張しながらエストさんの言葉を待つ。

 

『実は私、明日フランスの大使館に行こうと思っているの』

 

「えっ? フランスの大使館ですか?」

 

 何故そんな場所に行こうとしているのだろうか?

 エストさんはアイルランド人の筈だから、フランスの大使館に行く必要性は無いと思うけど。

 

『ジャス子さんの事を相談に行こうと思って』

 

「そ、そう言う事ですか」

 

 昼間にりそなに聞かれた事を思い出した。

 そうか、エストさんもジャスティーヌさんの事を心配していたんだ。

 優しい人だな、エストさんは。才華様は良い主人に出会えたと心から思う。

 ……だけど、大丈夫なのだろうか? 聞けばラグランジェ家は、国粋主義者らしい。

 エストさんが会いに行くラグランジェ書記官も、恐らくは国粋主義者の可能性が高い。アイルランド人のエストさんなら、話を聞いてくれるかも知れないが、エストさんの実家はラグランジェ家よりも下だ。

 

「その事を朝陽さんは知っているのですか?」

 

『朝陽には内緒にしているの。昼間の内に行くつもりだから、あの子は辛いだろうし』

 

 確かに才華様のお身体では、外出も辛いけれど、大使館で待たされたりするかも知れない。

 だとするとエストさん一人で行くしかないのは分かるけれど、穏便に事が済むだろうか?

 出来るなら一緒に行って上げたいが……。

 

「あれ? 朝日にも電話ですか?」

 

 丁度良い時にりそなが戻って来てくれた。

 エストさんにちょっと待って貰うように言って、りそなに事情を説明する。

 

「貴方が行くのは止めた方が良いですよ。私と知り合いの真心の人ならともかく、ラグランジェ家は昔、大蔵家と諍いがあったので、印象が悪いですから」

 

 との事らしい。

 

「ただ一つ気になったんですが、ちゃんと担任の教師やクラスの委員長には、アイルランドの人は話を通しているんですか?」

 

 確認してみた。すると。

 

『えっ? 確認した方が良いの?』

 

 していなかったらしい。危なかった。

 

「はい。事前に話を通しておかないと、担任の樅山先生の面目を潰す事になりますから」

 

 樅山さんが何度かラグランジェ書記官に会ったという話は聞いている。

 だけど、今日までジャスティーヌさんが学院に来ていない事で、成果が出ていない事は明らかだ。

 カリンさんはこの件に関しては、調査対象外で良いという事らしい。問題は相手側にあるし、立場が立場なので樅山さんが困るのも仕方ないと思ってくれているようだ。

 寧ろ諦めずに何度も行っている事で、樅山さんの評価は上がっていた。

 でも、もしもエストさんが事前連絡なしでフランスの大使館に行ったりして、成果を上げてしまったら樅山さんの面目が完全に潰れてしまう。本人は気にしなくても、些細な傷になりかねない。

 

『教えてくれてありがとう。もしも知らなかったら、先生の立場を悪くしていたかも』

 

「お力になれて良かったです。それでやっぱり行くんですか?」

 

『……うん。行く。せっかく同じ教室で学ぶ仲なのだから、授業を受けて欲しいの』

 

「……分かりました。私が行くと逆に話が拗れそうなので一緒には行けませんが、応援はしています」

 

『ありがとう、小倉さん……それで何だけど、担任の先生の電話番号って知っているかな?』

 

 すぐに携帯を操作して、何かあった時の為にと教えて貰っていた樅山さんの携帯の番号をエストさんに教えた。

 エストさんは教え子だし、樅山さんもクラスメイトなら教えても構わないと言ってくれていたので、番号を教える事に問題はない。

 寧ろ、教えても誰も勉強に関して聞きに来てくれる事が無くて落ち込んでいたからね、樅山さんは。

 

『小倉さんに相談して良かった。梅宮さんの方には、これから会いに行って伝えてくるよ』

 

「これからって、もう外が暗くなっていますけど、大丈夫ですか?」

 

『あっ、大丈夫なの。梅宮さんも桜の園に住んでいるから』

 

 梅宮さんは桜の園に住んでいるんだ。初めて知った。

 ……えっ? 桜の園に梅宮さんが?

 大丈夫なのかな、才華様。教室で見る限り、梅宮さんには容姿に関する偏見は無さそうだけど、梅宮さんのお母様はルナ様の容姿を知っている。もし何かの拍子で才華様の事が知られたら、そのまま桜小路家本家にバレてしまわないだろうか?

 いや、教室で見る梅宮さんは良い人だから、すぐに桜小路家本家に連絡が行くとは思えないけど、注意は必要かも知れない。

 

『相談に乗ってくれてありがとう」

 

「いえ、此方こそこれぐらいしか力に成れず申し訳ないです。何も出来ませんが、応援だけはさせて貰います、頑張って下さい、エストさん」

 

『うん。やっぱり小倉さんは良い人だね。じゃあ、また学校で』

 

 通話が切れた。

 本当に応援する事ぐらいしか出来なくて、すいません、エストさん。

 話を横で聞いていたりそなも感心したように頷いていた。

 

「あの甘ったれの主人は良い人のようですね」

 

「うん。本当に優しくして良い人だと僕も思うよ」

 

「そんな相手を危険に追いやっている訳ですか……まあ、取り敢えずこれまでの調査員の功績のおかげで、お爺様も静観するようですから、彼女の家は無事で済むでしょう。最近は真っ当な方向に進み出したという噂も流れていますから」

 

 それが出来たのはりそな達が裏で頑張っているからだよね。

 本当にありがとう、りそな。

 

「それじゃあ夕食にしようか」

 

「ですね。下の兄との食事は、私の最近の楽しみですから、絶対に逃せません」

 

「嬉しいけれど、今日はお父様好みの料理を頑張ろうかなって思っているんだ。今月来てくれる時は、三人でこの部屋で食事をしたいからさ」

 

「……まあ、仕方ありませんね。今日は我慢してあげます」




この作品では『月に寄りそう乙女の作法』の五月に発生した選択肢イベントを、それぞれ別々の日で起きた事にしました。
前話は本当に申し訳ありませんでした。

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