月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
久々にあの人が登場します!
笹ノ葉様、秋ウサギ様、烏瑠様、lukoa様、誤字報告ありがとうございました!
side遊星
「久々に大瑛のピアノを聴きましたけど、やっぱり楽しいですね」
「あっ、りそなもそう思った?」
「はい。直接聴けなかったのが残念です」
僕とりそなは部屋で、今日カリンさんが撮った山県さんのリサイタルを見ていた。
録画だからその場でよりは質が落ちてしまっているけど、それでもやはり山県さんのリサイタルは楽しかった。
りそなも本当に山県さんのピアノを聴くのは久しぶりなのか、上機嫌で映像を見て笑みを浮かべている。その姿が嬉しくて、僕も笑顔を浮かべてしまう。
だから、思わず言ってしまった。
「でも、残念だね。これだけ楽しい気持ちになれるのに、学院で評価されないなんて」
「外国からすると、日本のピアノは固いそうですよ。本当ならこういった演出にも、力を入れて欲しいところですね」
そういうものなのだろうか?
ピアノには詳しくないから分からないけれど、ショーとかには絶対に必要な演出だと思うのに。
「まあ、大瑛の場合はそれ以外にも問題がありますから」
お爺様の事だよね。
正直その事に関しては残念だという気持ちしかない。山県さんのピアノは、本当に心を温かくしてくれる。
それなのに、お爺様は彼を嫌っている。まあ、僕も嫌われていたから、何となくそれは仕方がないと思う。
マンチェスターの屋根裏部屋に居た頃、お爺様が奥様と同じように僕を認知する事に強く反対していたと噂話をする使用人たちの声が何度も聞こえた。
母には確かめなかったけど、それは恐らく事実なんだろうなと特に疑いもしなかった。
何せその頃には幸い、もう自分の存在が家族に望まれていないと知っていた時期だった。おかげで、それほどショックを受けずに済んだ。特に会いたいとも顔も見たいとも思わなかった。
だから、家族の一員になれた桜小路遊星様は、本当に凄いと思う。
……僕にはそんな事は出来なかったから。山県さんのように、自分で大蔵家と距離を取る選択も出来なかった。
「下の兄。大丈夫です、妹は此処に居ますよ」
表情に出ていたのか、りそなが強く手を握ってくれた。
……ありがとう、りそな。でも、兄としては情けない。
何時かりそなを支えられるようになりたいよ。
……取り敢えず話を変えよう。
「……そうだ、りそな。ルミネさんの演奏の記録とかはないかな? 過保護だっていうお爺様なら録画してそうだけど」
「ありますよ。その内、見たいと言うと思っていたので用意してあります」
「じゃあ、今ちょっと見て良いかな?」
「構いませんけど、あんまり期待しない方が良いと思いますよ。特に大瑛のピアノを聴いた後だと」
「それでも見てみたいんだ。今日のリサイタルで、ルミネさんは機嫌が悪そうだったから」
「マジですか?」
「うん。マジ」
目を見開いて驚くりそなに、僕は頷いた。
深い溜め息を吐いて、りそなは困ったように顔を歪めた。
あの誰もが期待している雰囲気の中で、ルミネさんだけは残念ながらずっと不機嫌だった。一緒に来た才華様は、純粋に喜んでいたのに。
あれでは誰もが声を掛け辛い。現にルミネさんには、僕とカリンさん以外の誰も声を掛けなかった。
その事をりそなに伝えると、頭を抱えてしまった。
「完全に孤立の兆候じゃないですか。ああ、学生時代のトラウマを思い出してしまう。もうこのまま行くと本人の前で陰口を言われるのも、すぐに始まる」
「ルミネさんが居なくなった後に、陰口は始まったよ。僕とカリンさんが居たから、すぐに止めてくれたけど」
「……もうどうしろと。流石に妹も身内だからと言って庇えませんよ。既に一度大きくやっているんですから。貴方も本当に気を付けて下さい。弱みを見せたら、すぐにでも貴方にも陰口が始まりますから」
「うん。分かってる」
頷くと少し安心してくれたから、ソファーから立ち上がり、ルミネさんの演奏が記録されている映像ディスクを持って来てくれた。
普段ルミネさんはどんな雰囲気で演奏しているんだろう? 今日の山県さんのリサイタルの雰囲気は、お気に召さなかったようだ。
ピアノのコンサートやコンクールなんて行った事が無いから、気になってしょうがない。
テレビの画面に映像が映った。果たしてルミネさんの演奏は、どんなものなのだろうか?
「……」
聞き終えた僕は、今とても難しい表情をしていると思う。
ピアノに関しては素人なので、良し悪しが本当に分からない。だから、演出で判断するしかないんだけど……本当にルミネさんは演出を一切入れなかった。
壇上に上がってピアノの前に置かれている椅子に座る前に一礼し、その後はピアノに座って一心にピアノを弾く指先を見ているだけ。
所々演出を入れていた山県さんと比べると……ルミネさんは本当に演出を入れていなかった。
「まあ、こんな感じですね、ルミネさんのピアノは」
「……これで入賞したの?」
思わず失礼な事を聞いてしまった。
「はい、入賞しました。お爺様がその時は大喜びして、来ていた大蔵家の全員でパーティーをやりましたよ。因みにアメリカの下の兄もその場に居ました」
「……ごめん。本当に何が良かったのか、僕には全然分からない」
服飾なら分かる。雑誌などに載っているコンクールの受賞者の作品は、受賞して当然だと思えるほどに分かる。
でも、ピアノに関しては素人だから演出の方で判断するしかないんだけど……ルミネさんのピアノはその演出が無いから素人の僕だと良し悪しが分からない。
「映像を見ると、お爺様は手を挙げて喜んでいるね」
ご高齢なのにあんなに手を振り上げて大丈夫なのかと心配してしまう。
「お爺様もピアノの良し悪しは分かりませんよ。ただルミネさんが大きな舞台で活躍して表彰されているのを喜んでいるだけです」
「そう……なんだ……でも、ルミネさん。楽しそうじゃないよね」
ピアノを演奏している時のルミネさんは、黙々とピアノを弾く指を見ているだけだ。
山県さんのように表情を変えたりは一切していない。表彰される時には流石に喜びが滲んでいるが、それだって感動しているという様子が無い。
貰えて嬉しかったという軽い感じを僕は受けた。
「子供の頃は違ったんですけどね。最初に入賞した時は、本当に嬉しそうに涙も流していました。でも、何時の頃からか、ルミネさんは入賞するのが当たり前みたいになってしまって……ライバルが居なかったのが悪かったのかも知れません。でも、立場的に言えばライバルなんて出来ないのもありますし。何よりお爺様が……」
「もしかしてその一番最初の入賞にも?」
「いえ、それにはお爺様は関わっていない筈です」
つまり、他の時には関わっているという事か。
以前、りそなはお爺様の中では、ルミネさんの人生は輝きに満ち溢れたものに決まっていると言っていた。
この事に関しては絶対に同意する事が出来ない。やっぱり、服飾にしても音楽にしても賞を取るなら自分の力で取りたい。
もしもこの事実をルミネさんが知ったら、きっと苦しみ、そして悲しむ。あの方は規則を大切にしている人だ。そんな人が、自分の父親が不正を行なっていたと知ったら、どれほどの衝撃を感じるのかは分かりきっている。でも、りそなやお父様、そして駿我さんもお爺様の行動は止められない。
止めたら大蔵家だけではなく、フィリア学院の教師達やピアノ界の人達にまで影響が出てしまう。
……そう言えば。
「ねえ、りそな。思ったんだけど、どうしてフィリア学院の音楽部門の人達は山県さんが大蔵家の血縁だって知っているの? 山県さんは自分の事を話すような人には思えなかったけど」
彼が大蔵家と距離を取っているのなら、わざわざ学院で大蔵家の関係者と名乗る必要は無い。
今日会った彼も、自分から生い立ちを名乗って同情を誘うような人物には思えない。なのに、何故彼の事が音楽部門では知られているのだろうか?
「ああ、その件ですか。確かに貴方の言う通り、大瑛は話していませんよ」
「だったら、誰が話したの?」
「そもそも大瑛の件が知られたのは、去年のフィリア・クリスマス・コレクションでソロ部門に選ばれた女生徒が自分の代わりに、彼を推薦した事が発端です。その女生徒は大瑛のピアノの大ファンでしてね。彼女は自分よりも大瑛を教師に勧めたんです。絶対にフィリア・クリスマス・コレクションが盛り上がるからって」
「その人は凄いね。自分のチャンスを譲るなんて」
「ええ……ですが、本人は良かれと思った事が大瑛の正体を明らかにする事になってしまいました。お爺様の手が伸びていた教師たちは、当然その女生徒の要求を却下しましたが、それでもその女生徒は諦めず、多くの大瑛のピアノを聴いた生徒達と協力して署名運動まで始めてしまったんです」
凄い事になって来た。
「大瑛をフィリア・クリスマス・コレクションに出したいピアノ科の生徒達と、お爺様から言われて彼を活躍させない教師達とで争いになってしまい、遂に一人の教師が漏らしてしまったんです。『山県大瑛は大蔵家の非嫡出子の子で、大蔵家のご隠居から嫌われている。だから、目立たせる事は出来ない』と」
「つまり、その事が原因でピアノ科の生徒達は」
「ええ、大蔵家を嫌いになった訳です。まあ、当たり前ですよね。悪いのは明らかに大蔵家の方なのに、大瑛の邪魔ばかりしているんですから。しかも事がバレてからは、教師達も大蔵家が悪いと吹聴し始めて、自分達は脅されて仕方がなくですよ。妹がどれだけ役員から嫌味を言われた事か」
「大変だったね。ごめん、その頃の僕は」
「下の兄は気にしなくて良いです。寧ろ下の兄の方だって大変だったじゃないですか。訳の分からない出来事で、こっちに来てしまい、更にはアメリカの下の兄の事もあるんです。貴方がどれだけ辛い気持ちでいたのかは、妹は良く分かっていますから」
それでも……少しでも早くりそなの力になりたかったと思ってしまう。
落ち込んでいた頃の僕に何が出来たかは分からないけれど。
「りそな。今、僕はりそなの力になれてる?」
「なれてますよ。ちゃんと学院内での問題も報告してくれていますから。今年は残念ながら解決できない問題も多いですけど、来年には何とか解決出来そうです。まあ、残念ながら共学化は無理そうですが」
それはちょっと残念だな。
少しだけ共学化には期待していた面もあるんだけど、調査している僕自身が無理なのは一番に分かっているから何も言う事は出来ない。
でも、少しでもりそなの力になれていることは本当に嬉しい。
「あっ、そうだ。りそな」
「何ですか、まだ何か話があるんですか?」
「ううん。もう難しい話は終わり。実は約束したりそなに贈る予定の服の型紙が出来たんだ」
「うおぉっ! 本当ですか!?」
「本当だよ。まだ型紙だけなんだけど、今月中にはりそなに渡せるように頑張るから」
「楽しみですね! どのデザインを選んだんでしょうか。フフッ、下の兄から渡される時が楽しみです」
僕も楽しみで仕方がないよ!
ああ、早く完成させてりそなが喜ぶ顔がみたいなあ!
「ただ上の兄の課題も頑張らないといけませんよ」
「……それは言わないで欲しかった」
余り考えないようにしていたけど、お父様の課題も忘れる訳にはいかない。
今日も帰り際に5着ほど買って帰って来た。後80着。考えるだけで、気が滅入りそうになる。
一応男性物も買って来たが、買う時に店員に訝し気な視線を向けられたのは辛かった。本当に今の僕は女性にしか見られないのだろうか?
「連休も後二日ありますから頑張らないといけませんね。この連休中で半分近く終わらせておかないと、後は学院が休みの時や放課後ぐらいしか行けませんから」
「うん……分かってる」
「とは言っても、私も仕事がありますので、カリンさんに写真撮りを頼むしかないですね」
……他人とは言えないけど、身内じゃない人に写真を撮られるのは……辛くて仕方がない。
いや、身内でも辛いんだけど! 何だか感覚がマヒしてきているような気がする。
これは危険だ。でも、お父様の課題だから止める事は出来ないし。
どうしたら良いんだろうと悩んでいると、電話の鳴る音が聞こえて来た。
「あ、電話ですよ、下の兄」
「本当だ。誰かな?」
お父様かなと思いながら携帯を見てみると……瑞穂様?
何だろうと疑問に思いながら、僕は電話に出てみた。
「はい……朝日です」
『あっ! 朝日! 久しぶりね!』
「お久しぶりです、瑞穂さ……ん」
うう、まだ慣れないな。何時までも様付けは不味いのは分かっているんだけど……罪悪感から思わず様呼びしてしまう。意識すれば大丈夫なんだけど。
『まだ慣れないのね』
「申し訳ありません、瑞穂さん」
『ううん、良いの。朝日が頑張ってくれているのは分かっているから。それで朝日。明日京都に来れるかしら?』
「京都にですか?」
『ええ、夏に着て貰う予定の衣装の仮縫いをしてみたいの。急な事でごめんなさい。予定があるんだったら、別に良いのだけど」
京都か。確かに近場でばかり服を買うよりも、遠出して衣装を見てみるのも良いかも知れない。
でも、遠出をするとなると、りそなに食事を作ってあげられなくなる。瑞穂さんには悪いけれど此処は……。
「行って来て良いですよ」
断ろうと思っていたら、りそなが許可を出した。
「えっ? 良いの?」
「いや、良いですよ。京都の人のところでしょう。あの人が貴方の衣装を作っているのは妹も知っていますし、近場でばかり服を買っているのも上の兄から何か言われそうなんですから、京都ぐらいは構いません」
「でも、京都に行くなら日帰りは無理だよ。一泊する事になるけれど」
「一泊ぐらいなら何とも思いませんよ。まあ、電話は欲しいですが」
「でも……」
「ああ、もう! 貴方が私を気にかけてくれるのは嬉しいですけど! 私は貴方を縛るつもりはありません。行く先も分かっている。その先に居る相手も信頼出来る人です。だから、行って来て構いません」
怒られてしまった。
ああ、でもりそなの言う通りかも知れない。少しでもりそなの役に立ちたい気持ちばかりが焦っていて、逆に迷惑をかけてしまいそうだ。
気持ちを落ち着ける為にも、瑞穂さんの居る京都に行くのも良いかも知れない。
「分かった。それじゃあ京都に行って来るね。あ、でも、カリンさんはどうしようか?」
急に京都に行くなんて言ったら、カリンさんに迷惑をかける。
今回は休んで貰ってカリンさんも英気を養って貰うのも良いかも。その旨をりそなに伝えると、カリンさんに電話してくれた。
その間に僕は瑞穂さんと話を進める。
「それではお邪魔させて貰います」
『本当! 嬉しい! 急だったから断られると思っていたから、朝日が来てくれるなんて本当に楽しみだわ! 例の衣装だけじゃなくて、私が個展に出している衣装も見せて上げるね』
「それは本当に楽しみです!」
雑誌とかで瑞穂さんの衣装も見ているけど、やっぱり直で見てみたい気持ちがあった。
急だったけど、この京都行きは楽しくなりそう。
「カリンさんは休ませて貰えるのなら構わないそうです。まあ、あの人の事を説明するのは難しいから助かりますが」
確かにカリンさんの事を説明するのは難しい。お父様の会社の人と説明するのはちょっと無理があるし。一緒に調査員としてフィリア学院に居るなんて言う事はもっと無理だ。
何よりもまた女装してフィリア学院に通っている事だけは、絶対に知られたくない。
と言うよりも、瑞穂さんも僕の状態を知っているから、フィリア学院に通っている事が知られたら、何かあったんじゃないかと疑うに違いない。
そうなったら芋づる式に才華様の事が知られてしまう恐れがある。そして瑞穂さんはルナ様と仲が良い。
最悪の事態を考えると、今回はカリンさんが居ない方が助かる。
『駅への迎えは北斗を向かわせるから、到着時間はメールしてね』
「はい。では、失礼し……」
「あっ、待って下さい。少し妹に代わって下さい」
何だろうと疑問に思いながらも、携帯をりそなに渡した。受け取ったりそなは、意地悪そうな笑みを一瞬浮かべた。
「もしもし、大蔵りそなです。実は朝日の事で頼みたい事が」
凄く嫌な予感を感じた。
「りそな。ちょっと待って……」
「京都に行くんだったら、そっちで流行の衣装を朝日に着させて欲しいんです。えっ? 本当に良いのかですか? 構いませんよ。実は上の兄から課題が出されていましてね」
無情にも止まらずに告げられた言葉に、僕は床に膝と手を突いて四つん這いになってしまった。
だって、そんな話をしたら瑞穂さんの事だから。
「フフッ、京都の人は大騒ぎで喜んでいます」
ほらね。
いや、分かっているよ。お父様の課題も大事だって事は。
でも、選りにも選って瑞穂さんに頼むなんて。どんな服を着させられるのか。流行物には違いないだろうけど、控えていたフリフリの衣装とかを着させられそうで……怖い。
「……このタイミングで京都の人から連絡ですか……まさかとは思いますが、此方に引き込んでおいた方が良いですね。こっちには彼女を篭絡できるものがありますし」
「何か言った?」
急に小声で呟いたりそなに訝し気な視線を向けた。
りそなは答えずに、携帯を返して来た。……出たくないな。でも出ないといけないと思い、立ち上がって耳に携帯を当てる。
『朝日! 本当に貴方を着せ替えして良いの!? しかも写真まで撮らせてくれるなんて!』
「あ、あの着せ替えではなく、流行を理解する為の一環です」
『ああ、そういう事なのね。確かに朝日の事情を考えると、必要な事ね。分かったわ、朝日。私が全力で力になって上げる』
流石は瑞穂さん。すぐに僕の事情を理解してくれたようだ、
ただ力になってくれるのは嬉しいんだけれど……瑞穂さんだとちょっと心配になってしまう。
どんな服を着させられるのか。そして瑞穂さんだと、りそなの時には一着に付き一枚で済んでいた写真が、何度も撮られそうで本当に怖い。
本当に恥ずかしくて苦手なんだけどなあ、女装姿を撮られるのは。
『それじゃあ、朝日。明日来るのを楽しみにしているから。また、明日ね』
電話が切れた。本当に楽しみにしているのが、弾んだ声で良く分かった。
いや、僕も京都に行けるのは嬉しいし、瑞穂さんの作品が見られるのは楽しみだ。でも……やっぱり女装を写真に撮られるのは本当に嫌だ。
しかも、相手はあの瑞穂さんだ。一体どれだけ撮られてしまうのか、考えるだけで頭が痛くなりそう。
「ハァ~」
「フフッ、頑張って来て下さいね、下の兄」
頷いたらいけないと分かっていても、僕は頷くしかなかった。
翌日の早朝。
僕は渋谷駅に居た。りそなも仕事に行く前に見送りに来てくれていた。
カリンさんは休みなので、今日は来ていない。GW明けにはあの人が学院に戻って来るそうだから、その前に英気を養っておくのは必要だ。
……僕も休みたいなあ。絶対に精神的に疲弊して帰って来る事になりそうだから。
「それでは行って来ます、りそなさん」
「気を付けて行って来て下さい。まあ、行先は京都の花乃宮家ですから問題は無いと思いますが……別の意味では大変でしょうけど」
「その事は考えないようにしているので、どうか言わないで下さい」
本当に言わないで欲しいよ。
昨日寝た後に、瑞穂さんに着せ替え人形にされる夢を見て、実はかなり怖くなっているんだから。
ああ、でも瑞穂さんの今の作品は絶対に見たいし。近場ばかりで服を選ぶのも問題なのは事実だから、今回の一泊二日の旅行は急だったけれど、助かるのは事実だ。
問題は……女装姿を写真に撮られてしまう事だ。克服したらしいとは言え、瑞穂さんの前で男物服を着るのは不味いような気が。
「いっそのこと、男装だって事にしてしまえば良いんじゃないですか?」
「凄く複雑なのですが」
男なのに男装として男物の服を着るとか……複雑以外の何ものでも無いよ。
「あれ?」
「どうされました?」
「いや……気のせいですね。こんなに朝早くに駅に一人で居る訳がないでしょうから」
誰か知り合いでも居たのかな?
疑問に思いながらりそなが見ていた方に目を向けるが、其処には電車を待つ人達しか居なくて、僕が知っている顔は誰も居なかった。
りそなは誰を見たんだろうか? 気にはなるけど、そろそろ電車が出る時間だ。
京都への到着予定時間は、既に瑞穂さんにメールしてある。きっと北斗さんが待っていてくれている。
だから、遅れる訳には行かないからそろそろ乗らないと。
「じゃあ、行って来ます、りそなさん」
「気をつけて行って来て下さいね。何かあったら電話を下さい」
「はい。りそなさんも仕事を頑張って下さいね」
僕はりそなと別れると電車に乗り込んだ。
電車が発進すると共に、僕は窓から手を振り、りそなも振り返してくれた。
京都か。瑞穂さんはどんな衣装を用意しているんだろうか。
その衣装を見るのは、少しワクワクするな。期待と不安に包まれながら、僕は瑞穂さんと北斗さんが待つ京都に向かった。
「……どうして、あの女がこの電車に」
山県先輩が自分から大蔵家の関係者と名乗るのは可笑しいなと思って、このような形にしました。実際、原作でもルミネが入学するまでは教師達が言っていたそうなので。
『瑞穂とルナの会話』
「ルナ。頼まれた通り、朝日に京都に来て貰うように言ってみたわ。そしたら来てくれるって」
『急な頼みで済まない、瑞穂』
「それは良いわ。仮縫いしたいのも朝日に会いたいのも事実だから。でも、どうして?」
『いや、りそなが傍にいれば邪魔をされるかも知れないからな。何よりも朝日にはGW中は東京から離れて欲しいと思った』
「……その本当にアトレちゃんは」
『ああ、朝日の事を嫌っているようだ』
「それは……悲しいわね。ルナにとっても遊星さんにとっても、何よりも朝日にとっても。特に今の朝日には」
『その事に関しては本当に朝日に申し訳ないと思っている。大蔵家の『晩餐会』で大蔵衣遠からある程度の真実を混ぜた事情は話したから、私も油断していた。だが、今回瑞穂にそれとなく朝日に聞いて貰いたいのは、今朝日が何処の学院で服飾を学んでいるかだ』
「あっ、それは私も知らないわ。パリで聞いた時も、今思えば何となくはぐらかされていたように思える」
『……やはりそうなのか』
「ルナ?」
『いや、何でもない』
「そう……それよりも聞いてルナ! 何と私、朝日を着せ替え出来るの!」
『何? どう言う事だそれは?』
「りそなさんが言うにはね。大蔵衣遠さんの課題で、流行を理解する為に朝日は色々な服を着て貰うんだって」
『クッ! 色々な衣装を着る朝日。なんて夢のような出来事だ!』
「しかも写真まで撮って良いって言ってくれて!」
『……瑞穂。取引をしたい』
「フフッ、どんな取引、ルナ」
『取引の内容は……』