月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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京都編開幕です。
長くはならないと思いますが、後二、三話はやると思います。

烏瑠様、秋ウサギ様、笹ノ葉様、誤字報告ありがとうございました!


五月上旬(遊星side)9

side遊星。

 

 新幹線に乗って京都駅に着いた僕は、北斗さんを探して駅内を歩いていた。

 その気になれば自家用ヘリなんかも用意できる大蔵家だけど、あんまり目立ちたくないので普通に新幹線を選んだ。ただ帰りだけはすぐに戻れるようにと、りそながヘリをチャーターしておくらしい。

 それはそれでどうなのかなと思うが、明後日には学院があるから仕方がないと自分を納得させた。でも、そのおかげでギリギリまで京都に居る事が出来る。お父様の課題もこなさないといけないからなあ。

 瑞穂さんに写真を撮って貰うのは、やっぱり色々と複雑だけど。

 今はそれよりも北斗さんは何処かな? 事前に到着予定時間は瑞穂さんにメールしておいたから、もう来ていると思うんだけど。

 

「朝日!」

 

「北斗さん! お久しぶりです!」

 

 聞こえて来た声に振り向いて見ると、特徴的な緑色の髪を纏めて女性物の服を着た北斗さんが手を振っていた。

 ……どうにも違和感を感じる。パリで北斗さんが女性服を着ているのは見ているんだけれど、僕の知っている北斗さんは執事服を着て男装していたからかな?

 でも、似合っている。やっぱり、北斗さんは女性なんだなあとしみじみと思った。

 

「元気そうで何よりだ。おっと、此処は大蔵家の令嬢として扱った方が良かっただろうか?」

 

「いえ、その必要はありません。と言うよりも、北斗さんに他人行儀にされるのはちょっと辛いので、このままでお願いします」

 

「分かったそうさせて貰うよ」

 

 立場は分かっているけれど、今回はプライベートだ。

 余り堅苦しいのは、ちょっとと思うので、このまま気安い雰囲気でお願いしたい。

 

「今回は急な事で済まない。でも、やはり一度は仮縫いをしておいた方が良いという事になったんだ。例の衣装は瑞穂様個人の目的だけじゃなくて、大蔵家の依頼という形になったから」

 

「その件は、此方こそ急に頼んでしまって申し訳ありませんでした」

 

「いや、大蔵家からの正式な依頼となれば瑞穂様にも箔がつくのは事実だ。それが大蔵家で毎年行われる『晩餐会』で着られるとなれば、尚更にね」

 

 結構、大蔵家で行なわれている『晩餐会』は他家でも有名な行事のようだ。

 僕はお父様が話してくれるまで、そんな行事が大蔵家にある事さえも知らなかった。まあ、大蔵の名を名乗る事は許されていても、一族としては認められていなかったから仕方がないけど。

 

「ん?」

 

「どうされました?」

 

「いや……何か敵意のような気配を感じたのだが……私の気のせいだったようだ」

 

 敵意? 北斗さんに言われて周囲を見回すが、京都駅だけあって人が多い。

 知っている人が居ても、これでは分からない。

 

「其処まで気にする事は無い。私の気のせいだったのだろう。やれやれ、私も歳をとったという事かな」

 

「いえ、そんな。北斗さんはまだお若いですよ」

 

「君にそう言われるのは、少々複雑ではあるけれどね。さて、先ずは荷物を置きに花乃宮家御用達の旅館『鳳翔』に案内しよう。露天風呂もあるから、君にとってはかなり良い宿の筈だ」

 

「うわー! それは本当に楽しみです!」

 

 露天風呂がある旅館なんて本当に楽しみだ!

 お風呂好きの僕としては、絶対に入りたい!

 

「この喜ぶ姿……どう見ても……いや、何も言わないでおこう」

 

 何だか北斗さんが僕を心配そうに見ている。

 

「さて、それでは旅館に向かおう。そして荷物を預けたら、瑞穂様が待つ個展の方に向かわないといけない」

 

「仮縫いの方は其方でやるんですか?」

 

「そうなるね。その他にも瑞穂様の衣装の数々が展示されている」

 

「是非、拝見したいです!」

 

「そう言うと思ったから、瑞穂様が張り切って待っているよ。さあ、車は此方だ」

 

 僕は北斗さんの後を追って行く。早く瑞穂さんの衣装を見たいなあ。

 

「……やはり、誰か後をついて来ている……狙いは朝日か」

 

 

 

 

 北斗さんに最初に案内された旅館『鳳翔』は、流石は花乃宮家御用達だというだけに歴史を感じさせる旅館だった。

 一部屋に付き露天風呂がついているという贅沢な部屋だ。一日しか泊まる事が出来ないのは、少し残念に思った。だから、今日は戻ったら堪能させて貰おう。

 旅館の人に荷物を預けて、そのまま僕らは乗って来た車に乗って瑞穂さんが待つ個展へと向かった。

 流石は学生時代の頃から文部科学大臣賞を受賞した瑞穂様が開いている個展なだけあって、大きな場所だった。

 湊と同様に、瑞穂さんも成功を収めたのだと実感させられる。ユルシュール様もヨーロッパ方面では有名なデザイナーとして活躍しているので、桜屋敷にいた全員が成功を収めていると思うと何故か安心感を感じた。

 展示されている着物の数々は、目を引き付けて仕方がない。思わず立ち止まって魅入ってしまわないように気を付けながら、北斗さんに案内されて奥の部屋に辿り着く。

 

「朝日! 待っていたわ!」

 

「み、瑞穂さん!?」

 

 いきなり抱き着かれた!

 いや、瑞穂さんのスキンシップが過激なのは分かっているんだけど……少し恥ずかしい。

 

「あっ、いきなり抱き着いてしまってごめんなさい」

 

「い、いえ、驚きましたけど、大丈夫です」

 

「今日は来てくれてありがとう。いきなりの事だったから断られるかも知れないと思っていた」

 

「此方こそ、例の衣装を『晩餐会』で着させて貰える許可を頂けて助かりました」

 

 お父様だと本当にどんな衣装を用意するか分かったもんじゃないから。

 因みにお父様には瑞穂さんの衣装の件は説明してある。ルナ様と八千代さんが絶賛するほどの衣装だと話したら、それならば許可をすると言ってくれた。

 

「そう言えば、この前衣遠さんが此方に来て、衣装のデザインを見て行ったのよ。それでこれならば問題ないって言ってくれて嬉しかったわ」

 

 どうやら、お父様もお父様で動いていたようだ。

 もしも認めて貰えなかったら、どうなっていた事か。瑞穂さんには感謝しかない。

 

「でも、少し悪い事をしたかなって思ってしまったわ。衣遠さん、『晩餐会』での朝日の衣装は自分がデザインしたそうだったから」

 

「えっ!? それは本当ですか?」

 

「多分だけど。私のデザインを見て、少し残念そうな様子だったから」

 

 ……驚いた。今のお父様は趣味でしかデザインを描かない。

 なのに、僕の為にデザインを描いて貰えるなんて。とても光栄で嬉しくなってしまう。

 でも、絶対に女装になってしまうから、やっぱり凄く複雑だ。男性物だったら、心おきなく喜ぶ事が出来るのに。

 

「さあ、朝日。急いで仮縫いを終わらせてしまいましょう。その後は……」

 

「瑞穂様。その前にご報告があります」

 

「何、北斗」

 

「実は……」

 

 北斗さんは瑞穂さんに耳打ちした。

 僕に聞かせたくない話なのかなと思いながら見ていると、やがて瑞穂さんが目を見開いて驚いた。

 

「それは本当なの、北斗?」

 

「はい、間違いなく。恐らくは今も」

 

「分かったわ。北斗は裏口から出て……朝日の方は私が」

 

「分かりました」

 

 小声のせいで良く会話の内容が聞こえない。

 何かあったのかなと思っていると、北斗さんが部屋を出て行った。

 

「それじゃあ、朝日。衣装を置いてある部屋に行きましょう」

 

「あ、あの瑞穂さん。北斗さんはどちらに?」

 

「北斗はちょっと気になる事があるって言うから。それよりも早く仮縫いを終わらせましょう」

 

 少し気になる。でも、瑞穂さんの言う通り余り時間がないのも事実なので、僕は瑞穂さんに案内されて更に奥の部屋に連れて行かれた。

 其処には仮縫い用の衣装が置かれていた。

 

「さ、朝日、服を脱いで」

 

「あ、あの瑞穂さんも居るんですよね」

 

「勿論よ」

 

 今更ながらに仮縫いをするなら、服を脱がないといけない事に気がついた。

 でも……今、僕はパット付きのブラを付けて、下も女性物を下着を着ている。そんな恰好を瑞穂さんに見せてしまうことに恥ずかしさと申し訳なさを抱く。

 

「そ、その……私、今着ている下着が」

 

「朝日の事情は分かっているから、大丈夫よ」

 

 大丈夫ではないと思うんですけど。

 女性物の服を着ているならともかく、下着姿だけではどう考えても……変態だ。

 凄く恥ずかしい。でも、この衣装の仮縫いの為には……仕方がない。

 僕は意を決して服を脱いでいく。何故か服を脱ぐ度に、瑞穂さんの目が輝いているような気がした。

 やがて服を脱ぎ終えた僕は、恥ずかしそうにしながらパット付きのブラにも手を伸ばす。

 

「あっ、朝日駄目よ! そのブラも付けておかないとちゃんとした仮縫いが出来ないわ!」

 

 ……覚悟を決めよう。ブラに伸ばしていた手を離す。

 恥ずかしさで顔が赤くなってしまう。

 

「こんな失礼な姿を見せてしまい、申し訳ありません」

 

「失礼だなんて、そんな事ないわ。後ろ姿だけで見たら、本当に女性にしか見えないもの。ウェストも充分に女性として通用する細さ。何よりも体型が女性にしかみえないわ」

 

 男性なのに女性みたいな骨格の人が居るという話は聞いた事があるけど、それが自分だとは自覚してなかった。

 りそなにお尻が大きいとか言われたけど、ちょっと大きいだけだと思ってた。でも、どうやら違ったらしい。

 

「さあ、始めるわね」

 

 瑞穂さんは用意していた衣装を僕に着せていく。

 着物に近い服だ。フリルとかあまりついていなくて良かった。

 ただ、振袖のある服とか着るのは初めてだから、床に先が着かないように注意しないといけないなあ。

 

「着方が少し独特ですね。振袖も長いようですし、こうして教えて貰えなかったら、変な着方をしていたかも知れません」

 

「和装をイメージしたデザインだったから。でも、やっぱり朝日に良く似合うわ」

 

「あ、あの! 肩が明らかに露出しているんですけど!?」

 

「朝日は肌も綺麗だから、大丈夫」

 

「凄く複雑です」

 

 丁寧に瑞穂さんは衣装を着せながら、仮縫いをして行く。

 うう、やっぱり肩が露出しているのが恥ずかしく感じる。あんまり肌を見せないようにしていたから、こうして見せると尚更に恥ずかしい。

 

「ああ、こうして朝日を私が着飾れる日が来るなんて。まるで夢のようだわ。このままメイクも……」

 

「瑞穂様。お願いですから、メイクだけはどうか勘弁して下さい」

 

 思わず様付けで呼んでしまうぐらいに、本当にメイクだけは嫌だ。いや、フィリア学院に通う時は毎日メイクして貰っているけど、瑞穂さんにメイクされるのは別の恥ずかしさを感じる。

 

「残念。でも、夏の時にはメイクもするからね?」

 

「……はい」

 

 その時までには覚悟を決めよう。

 

「そう言えば、朝日。通っている服飾学校の方はどう?」

 

 不味い質問が来た。服飾学校に通うのは、パリで伝えていたから何気ない質問なんだろうけれど、此処は怪しまれないように無難に答えないと。

 

「学び直さないといけない事が多くて、毎日が大変です」

 

「朝日からすると十数年後の未来の事だから、それは仕方がないわ。パリで教えていた時に、私も過ぎた年月の長さを実感させられたもの」

 

「でも、その後アメリカで桜小路遊星様と八千代さんにも教えて貰いましたから。今は何とか授業についていけています」

 

「それは良かったわね。でも、朝日……その遊星さんに教えて貰って大丈夫だったの?」

 

「短期間でしたから。ただ、これ以上はあの方から服飾を教えて貰うのは控えるつもりです……一歩間違えば、あの方のコピーになってしまいそうで」

 

「……そう。仕方がないわよね。朝日の目標は遊星さんを超える事だから。それはとても大変な事だけど、応援しているから頑張ってね」

 

「ありがとうございます、瑞穂さん」

 

「それで朝日。貴方が通っている服飾学校は何処?」

 

 一番聞かれたくない質問が来た!

 

「りそなさんの紹介してくれた学校ですよ」

 

「だから、其処は何処なのかなと思って。もしかしたらもう知っているかもしれないけれど、私、今年のフィリア・クリスマス・コレクションに審査員として出る事になっているの」

 

「そ、その話はりそなさんから教えて貰いましたので、知っています」

 

「あっ、やっぱり! じゃあ私以外にもユーシェや湊も参加する事も知っているのね」

 

 知っています。

 それを知らされた時はどんなに驚いた事か。事前に教えて欲しかったと心から思いました。

 僕が無言で頷くと、瑞穂さんは目を輝かせながら話を続ける。

 

「それでルナも湊からこの話を聞いて何だったら、フィリア・クリスマス・コレクションが開催されている時は昔のように桜屋敷に滞在しないかって話になっているの」

 

「さ、桜屋敷にですか!?」

 

「ええ、ルナから聞いた話だと才華君やアトレちゃんは衣遠さんが用意した高層マンションで過ごしているそうだから。昔に立ち返って年末は桜屋敷で皆で過ごさないかって話が出ているの」

 

 そんな話になっていたんだ。

 駿我さんがルナ様は年末は日本で過ごすつもりだと聞いていたけれど……もう本決まりに近い事になっているなんて!

 

「それで朝日もどうかなって思って?」

 

「えっ!?」

 

「通っている服飾学校にもよるけれど、フィリア・クリスマス・コレクションに来れないかなって思ったの。朝日にとってフィリア学院は複雑な気持ちがある学院だっていうのは分かっているわ。それでもフィリア・クリスマス・コレクションだけは見に来れないかなと思って。私、審査員の立場もあるから朝日を招待するぐらいはできるし、りそなさんも反対しないと思うの」

 

 い、言えない。実はフィリア学院に女装して通っているなんて絶対に言えない!

 瑞穂さんの気持ちは本当に嬉しいが、まさかフィリア学院に通っているなんて絶対に言えないよ。

 僕の事情は瑞穂さんも知っているし、その僕がフィリア学院に通っている事が分かったら、何かあるんじゃないかと気がつかれるだろうし。

 

「せ、せっかくのお誘いですけど、わ、私が通っている学院はバーベナ服飾学院ですので!」

 

「バーベナ服飾学院……そう、良いところに通っているのね、朝日は。沢山の科が出来たフィリア学院と違って、バーベナ服飾学院は専門校で共学だから」

 

「は、はい」

 

 嘘をついてすみません、瑞穂さん!

 このお詫びは何時か必ずしますので! どうかお許しを。

 ……でも、もしも通っている学院の事を聞かれた時の為にと思って、事前に東京にある他の服飾学院を調べておいて良かったあ。知らなかったら怪しまれていたかも知れないから。

 

「でも、バーベナ服飾学院も確か年末にはショーをやっていたわね。それじゃ朝日は来れないわね」

 

「本当にすみません」

 

 な、何とか誤魔化せた。申し訳ない気持ちで一杯だが、一先ず安堵しておこう。

 そのまま仮縫いは着々と進み、最後に衣装と同じ柄の大きなリボンを後頭部に付けた。

 

「す、素晴らしいわ、朝日! もう絶対に叶わないと思っていたこの衣装をこうして着て貰える日が来るなんて! まだ仮縫いだけれど、とても嬉しい!」

 

「わ、私も嬉しいです」

 

 鏡に映る自分の姿を見て、確かに素晴らしい衣装を着れた事に喜びを感じる。

 ……だけど、女性物だと考えるとどうしても恥ずかしさが拭えない。でも、本当に素晴らしい衣装だ。

 仮縫いだから生地はそれほどではないけれど、それでも衣装の素晴らしさを感じる。この衣装は間違いなく、ルナ様に匹敵するデザインから生み出されたのだと実感させられた。

 

「本当に良い衣装ですね。複雑なところはありますが、それでもこの衣装を着させて貰えた事を光栄に思います」

 

「そう言って貰えて私も嬉しい! この衣装は朝日が着てこそ、最大の魅力が発揮出来るんだから」

 

「いえ、私よりも瑞穂さんなら似合うと思いますけど」

 

「若い頃ならね……流石にこの歳だと似合わないと思う」

 

 そうは言うけれど、瑞穂さんは充分に若く見える。

 と言うよりも、僕が知っている人達は全員実年齢よりも若く見える。女性だけじゃなくてお父様も桜小路遊星様もだ。駿我さんは会った事が無いから分からない。

 女性について歳の事を言うのは不味いから、瑞穂さんの前では言わないけれど。

 

「瑞穂様」

 

 北斗さんが戻って来た。難しい表情をしている。何かあったんだろうか?

 瑞穂さんも北斗さんが戻って来たのを確認すると、先ほどまで嬉しそうに浮かべていた笑みを消して、険しい顔をしている。

 

「北斗。捕まえられたの?」

 

 捕まえる?

 

「はい。ですが、その……」

 

 北斗さんは困ったように僕に視線を向けて来た。

 本当に何だろうか? 何かがあった事は分かるんだけど、それが何か分からない。

 悩むような表情をしながら北斗さんは瑞穂さんに耳打ちし、やがて瑞穂さんも困ったような顔をした。

 

「……ねえ、朝日?」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「これを聞くのは朝日には辛い事かも知れないけれど……アトレちゃんに嫌われているって本当なの?」

 

 心臓が跳ねたような気がした。

 ……瑞穂さんの言う通り、僕はアトレ様に嫌われている。でも、その事をどうして瑞穂さんが知っているのだろうか?

 

「その顔は本当の事なのね。ルナから聞いてはいたんだけど、今の朝日の表情を見て本当だと分かったわ。外れていて欲しかったんだけど」

 

「……瑞穂さん。どうしてその話を今されるのでしょうか?」

 

 まさかと言う思いを抱きながら質問すると、北斗さんが真剣な顔をして答える。

 

「京都駅で朝日と会った時から、人ごみに紛れて敵意を感じていたんだ。その後にも車に乗ってから付けて来るタクシーを確認していた。それは旅館から此処に着くまで続いていた」

 

 驚いて言葉を失うしかなかった。

 まさか、誰かに付けられていたなんて思っても見なかった。そして今までの会話で、僕を付けていたのが誰なのかも分かった。

 

「君には辛い報告になるが、後を付けていたのは桜小路家のご令嬢。桜小路アトレお嬢様だ」

 

「……何故アトレ様が」

 

 家の場所は、桜小路家の力を使えば調べる事は出来るが、今回の京都行きは急に決まった事だ。アトレ様が知る筈が無い。

 

「それに関しては運が悪かったとしか言えない。待合室で話を聞いてみたところ、どうやらアトレお嬢様は昨日、全日本和菓子選手権を見に行ったそうなんだ。ただ何か事情があったのか、昨日は住んでいるマンションには戻らず、現地で泊まり、今日の朝に電車を使って戻って来た。それで駅のホームで休んでいる時に、偶然君と大蔵りそな様を目撃したらしい。付き人と離れて君を追い、この京都まで来たという事だ」

 

 確かに運が悪かったとしか言えない。渋谷駅でりそなが見たのは、アトレ様の事だったんだ。

 でも、すぐに人混みに紛れてしまったせいで、ちゃんと確認する事が出来なかったから、りそなも見間違いだと思ったのだろう。

 

「朝日。どうしてアトレさんは貴方を嫌っているの? ルナから大体の話は聞いているけど、朝日は間違った事はしていないと思う」

 

「あの大蔵家の前当主を怒らせてしまえば、幾ら遊星様が婿入りした桜小路家とは言えただでは済まない。間違いなく争いになる。それを未然に防いだ君の行動は英断だ」

 

「……私は桜小路遊星様と違い、ルナ様の人生に傷を残しかねない大罪を犯しました。アトレ様が私を不誠実だと思うのは当然の事です」

 

「それだけでは無いだろう? 少し話をしてみたが、今彼女は混乱している。まるでどうすれば良いのか分からない幼子のように」

 

「朝日。本当の事を話して……内容次第ではルナや遊星さんにも話さないと約束するわ」

 

 どうするべきかと考え込む。

 瑞穂さんと北斗さんの事は信頼出来る。この二人は『小倉朝日』の正体を隠してくれている。

 それに、大蔵家の事情もある程度知っているようだ。りそなに相談せずに話す事に申し訳ない気持ちはあるが、アトレ様も来ているとなれば隠す事は無理かも知れない。

 

「……分かりました。ですが、この話は絶対にルナ様や桜小路遊星様にはしないで下さい。事は既に一歩間違えば、大事になってしまうほどの事態になっているんです」

 

 僕は二人に話した。

 桜小路家で才華様を叱った本当の内容。今、僕が本当に通っている学院がフィリア学院である事。

 そして才華様が女装してフィリア学院に通った事によって発生してしまった事態の全てを。

 聞き終えた瑞穂さんと北斗さんは、言葉が出ないと言うように顔を蒼褪めさせていた。

 

「……まさか、そんな事態になってしまっていただなんて。それに朝日が通っている学院が、フィリア学院だったなんて」

 

「先ほどは、嘘をついて申し訳ありませんでした」

 

「ううん。それは良いの。事情が事情だから、通う学院の事を話せなかったのは良く分かるわ」

 

 瑞穂さんは考え込むように目を閉じた。

 北斗さんは……僕に険しい視線を向けていた。

 

「……一つ尋ねたい」

 

「……なんでしょうか?」

 

「君は今、調査員として学生に扮してフィリア学院に通っているようだが、その事に罪悪感は感じているかね?」

 

「北斗! それは!」

 

「いいえ、瑞穂さん。北斗さんの質問は尤もなものです……言い訳にしかなりませんが……感じています」

 

 罪悪感を感じない日はない。

 幾ら理事長であるりそなの許可と指示があるとは言え、男性である僕が女性しかいないフィリア学院の服飾部門に通って良い筈が無い。何を言っても、僕は結局同じ事をしている。だから、何を言っても言い訳にしかならないんだ。

 だけど、北斗さんは僕の答えに満足したのか、安心したような表情を浮かべた。

 

「ならば、私が言う事は何もない。フィリア学院が君にとってどのような場所なのかは私も良く知っているからね」

 

「ありがとうございます……北斗さん」

 

「ただ桜小路家のご子息には思うところが出来てしまった。仕えるべき主人を軽んじる発言は、流石に容認できない」

 

「あ、あの才華様は今はちゃんと主人であるエストさんを大切に思っています」

 

「だと良いのだがね」

 

 北斗さんは憤懣やるかたない顔をしていた。余り僕の言葉は信用されていないみたいだ。

 桜小路遊星様が才華様を過保護に扱っているのを知っているから、僕もそう思われているのかな?

 

「私はね。寧ろルナから教えて貰った朝日が叱ったって説明した大蔵ルミネさんとの結婚話を聞いた時……正直言って最低って思ったの。だって、そんな女性を軽んじるような発言を親しいからっていう理由だけで、提案して良いものじゃないと思ったから」

 

 うぐっ。瑞穂さんは今は治っているようだが、男性恐怖症だったから、才華様の発言には怒りを覚えていたらしい。

 

「……朝日には隠しておくつもりだったんだけど、実は急に京都に来て貰ったのは、ルナからの頼みもあったの」

 

「ルナ様からの頼み?」

 

「ええ、勿論仮縫いが必要だったのも事実だけど、アトレちゃんの事で心を痛めている朝日を東京から離れさせて心を休めて欲しかったみたい」

 

「そうだったんですか」

 

 ルナ様。ご心配をおかけてしてすみません。

 

「それとルナは朝日の通っている学院の事を知りたがっているわ」

 

 ……もしかしてルナ様は気づきかけている?

 いや、怪しんでいるだけなのかも知れない。でも、今はまだルナ様に知られる訳には行かない。

 何れは話さないといけない事だが、それでもまだ時間は必要だ。

 

「瑞穂さん。このような事を頼むのは、本当に心苦しいのですが、どうか」

 

「言わなくて良いわ、朝日。事情は充分に理解したから。ルナには朝日はバーベナ服飾学院に通っていると伝えておくわね」

 

 心から感謝します、瑞穂さん。

 僕は無言で頭を下げた。

 

「それでね、朝日。ルナから教えて貰ったんだけど、才華君はね。遊星さんに相談したんだって」

 

「えっ!? それはつまり、ルナ様と桜小路遊星様も、もう知っているという事ですか!?」

 

「ううん。今話してくれた事は説明していないみたいだけど、これまでずっと才華君は遊星さんに対して反抗期で距離を取っていた。その才華君が遊星さんに歩み寄った。そうルナは言っていたわ。そしてこれは朝日のおかげだとも、言っていたわ」

 

「……私のおかげ?」

 

「そう。だから、朝日は迷惑をかけてない」

 

「私も瑞穂様と同意見だ。そもそも君が真実を大蔵りそな様に話していなければ、今頃は全てが取り返しのつかない事になっていた。君は君で最善と思う行動をしていた。その事で確かにアトレお嬢様とは仲違いしてしまったようだが、君のおかげで助かった事も間違いなくあるんだ」

 

 ……涙が零れた。

 心の何処かで、ずっと僕は居るだけで誰かに迷惑をかけてしまうんじゃないかと考えていた。

 それがりそな以外に違うと言われて、心から嬉しかった。零れた涙を隠そうと顔を下に俯けて手で覆ってしまう。

 

「ご、ごめんなさい、瑞穂さん……せっかくの衣装を」

 

「良いのよ。それは仮縫いの衣装だし、何よりも朝日の不安を晴らせて力になれて嬉しいから」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 色々と思う事はあるが……京都に来て瑞穂さんと北斗さんに会えて良かった。それだけはきっと変わらないと思った。

 泣き終えた僕は、瑞穂さんと北斗さんに真剣な眼差しを向けた。

 

「アトレ様と話をしようと思います」

 

「良いの、朝日?」

 

「今のアトレお嬢様は君を嫌っている事に加えて、これまで一度も経験した事が無い状況に混乱している。相当辛辣な言葉を言われる事になるかも知れない。それで万が一にも君の心が折れたりしたら」

 

「大丈夫です。確かにそれを恐れてアトレ様との接触は控えていましたが、今なら耐えられる気がします。お二人から勇気を貰えましたので」

 

「……分かったわ。でも、私と北斗も同席させて貰うわね」

 

「君にもしもの事があったりしたら、信じて此方に送ってくれたりそな様に申し訳が立たない」

 

「場合に依っては口も挟ませて貰うわ。勿論朝日の事情は隠すけれど」

 

「瑞穂さん、北斗さん。本当にありがとうございます」

 

 このお二人と出会えたのも、僕にとっては幸せな事だ。

 その事を改めて実感しながら、僕は着ている衣装を脱ぐ為に手を掛ける。

 

「……あ、あの~、そんなにジッと見られたら脱ぎ辛いんですが」

 

「こ、これは失礼を」

 

「ご、ごめんなさい。だってその……朝日の脱ぎ方が綺麗に見えて」

 

 顔を赤らめて言わないで下さい、瑞穂さん。この衣装を脱いだら、立っているのは女性物の下着を上下で着ている変態なんですから。

 

「出来れば外に出て貰いたいのですが。先ほどと違ってもう脱ぎ方は分かっているので」

 

「そ、そうね。北斗、行きましょう」

 

「はい。瑞穂様」

 

 二人は部屋を出て行ってくれた。

 これで安心して着替えが出来る。やっぱり、女性物の下着姿を見られるのは恥ずかしいから。

 僕は瑞穂さんが仮縫いしてくれた衣装を脱いで、元々着て来た服に着替えた。




と言う訳で瑞穂と北斗も現状を知ってしまいました。
因みにアトレが来ないで穏便に話が進むと、朝日が通っている学院に関してやっぱり不審に思われてルナに報告されて何かあると確信されていました。後、言うまでもなくりそなは怪しんでいるので、瑞穂を取り込む準備を既にしています。

『アトレが居なくなった後の九千代』

「八十島メイド長! ア、アトレお嬢様がいなくなりました!」

『えっ!? そ、それは本当なの!?』

「はい! 駅で待たせている間に、何時の間にか居なくなっていて! 本当に申し訳ありません!」

『何処に行ったか分からないの!?』

「駅員の人やホームで待っている人に聞き込みしたところ、京都行きの新幹線に乗り込むの見たらしいんです!」

『分かったわ! 私もすぐにそっちに行くから、九千代さんは次の電車の予約をお願い!』

「わ、分かりました。あ、あのこの事は若には?」

『若は今、エストさんの部屋で、仕事中だろうから連絡は出来ないわ。それにまだ日も高いし、今の若にこれ以上の負担はかけられない。後でお伝えしましょう! とにかく今はアトレお嬢様の捜索を急ぎましょう!』

「は、はい。お嬢様どうかご無事で」

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