月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
結末がどうなったのかは本編で。
秋ウサギ様、笹ノ葉様、獅子満月様、烏瑠様、百面相様、誤字報告ありがとうございました!
side遊星
北斗さんと瑞穂さんに案内されて、僕はアトレ様が居る待合室に向かって歩いていた。
こうしてまさかアトレ様と京都で話し合う事になるとは、本当に思ってもみなかった。だけど、ある意味ではこの状況は助かる。
もしもアトレ様に会いに行くなんてりそなに言ったら、大反対されるのは目に見えているから。離れている今だからこそ、アトレ様と話し合う事が出来る。
りそなもアトレ様を大切に思っている。でも、今は才華様とアトレ様とは喧嘩中だ。特にアトレ様には、僕の件もあって本気で怒っている。だから、接触は控えていたが何時かは話し合わないといけないとも考えていた。
……その最大の障害は、僕自身の心の弱さだ。
アトレ様の言葉は正しい。僕はルナ様に許されない事をした。
その事実を忘れる事は、これからの生涯できっとないだろう。なのに、今も僕は女装してフィリア学院に通っている。事情があるにしても、本来は許されない事だ。
何よりも僕自身が自分が居なければと、どうしても考えてしまうからだ。
だけど、瑞穂さんと北斗さんのおかげで、ほんの少しだけ勇気が持てた。辛い言葉が待っているかも知れないけれど、このまま逃げ続ける事も出来ない。アトレ様と向きあおう。
固く心に誓っていると、待合室と思われる部屋の扉の前に辿り着いた。
「この中にアトレお嬢様は居る。事前に重要な話をする事になるだろうと思って、人払いは済ませてあるので、多少の大声が出ても大丈夫だ」
「色々とありがとうございます、北斗さん」
「先ほども言ったが私と瑞穂様も万が一の事を考えて同席させて貰うよ。口は挟まないつもりだが、最悪の事態を考えて動かさせて貰う」
北斗さんはそう言って、ふわりと気配を消す。本当に、空気に溶けてしまったかのように、目の前に北斗さんが居る筈なのに存在感が感じられなかった。
「す、凄い……まるで、そこに居ないみたいですね」
「朝日は知らなかったのね。杉村家は、代々日舞において重要な後見を輩出している家なの」
「後見ですか? あのそれはどのような役割なのでしょうか?」
「後見とは、分かりやすく言うと黒子の事だね。瑞穂様が日舞で舞っている時に後ろで飾りをきらめかせたりするんだ。このように」
声が聞こえると共に、瑞穂さんの後ろが光っているように見えた。
何時の間にかドアの前から瑞穂さんの後ろに北斗さんは移動したようだ。本当に気付かなかった。
なるほど、日舞ではこうやって舞台を彩るんだ。これが日本の伝統芸能。凄い。
「本来の扱い方とは違うが、私は気配を消して部屋に入るよ。そしてアトレお嬢様の背後で待機させて貰う」
つまり、アトレ様が僕に手を挙げようとしたら止めてくれるということか。
複雑ではあるけれど、その可能性も最悪の場合は考えられる。北斗さん曰く、今のアトレ様は混乱しているらしい。付き人の九千代さんに説明しないで、一人で僕を追って来た事から考えても当たっているだろう。
最悪の事態を起こさない為に行動してくれる北斗さんには感謝だ。
……ふと思った。もしかしたら今頃、アトレ様が居ない事に気がついた九千代さんが慌てているのではないだろうか。
「あの入る前に電話をして良いですか?」
「何処にかな?」
「八十島さんにです」
「ああ、壱与さんね。うん、アトレちゃんの事を心配しているだろうから、連絡は入れておいた方が良いかも。でも、朝日? 電話番号は分かるの?」
「何かあった時の為に教えて貰っていましたから」
僕はすぐに八十島さんに連絡を入れてみた。
……電話に出ない。移動中なのかも知れない。取り敢えずメールでアトレ様を保護した事と、瑞穂さんの個展の住所を送っておく。
「朝日。私は出来るだけ口を挟まないつもりだけど、もしも言い過ぎだと判断したらアトレちゃんを止めるわね」
「ありがとうございます、瑞穂さん」
「では、行きましょう」
北斗さんはまた気配を消して、存在感が感じなくなった。……本当に凄い。
僕が目を向けると、瑞穂さんは手でドアを示した。どうやら僕が先に入って良いらしい。
頷くと共に扉をノックする。
「失礼します、朝日です」
「……どうぞ」
険しい声が扉越しに聞こえた。
最後に深呼吸をして、僕は扉を開けて待合室に足を踏み入れた。
「……」
入った直後に、桜屋敷で見た和装ゴスロリを着たアトレ様に険しい目で睨まれた。
だけど……その瞳の奥には北斗さんが言うように、迷いのようなものを感じた。
瑞穂さんもそれを感じたのか、僕の前に出てアトレ様に微笑む。
「久しぶりね、アトレちゃん。こうして直接会うのは何年ぶりかしら?」
「お久しぶりです、花乃宮瑞穂さん……貴女も其処に居る人と知り合いだったなんて」
「『小倉朝日』は私の大切な親友なの。学生時代桜屋敷では、とても仲が良かったから。勿論朝日も大切なお友達よ」
「……本当に良いお母様を持ちましたね、小倉さん」
「はい。私とは比べる事も出来ない程に、『小倉朝日』は成し遂げたと思います」
真剣な眼差しを僕はアトレ様に向けた。
動揺したように瞳が揺らめいた。皮肉を言われて僕が動揺すると思っていたみたいだ。
「こうして直接アトレ様と話すのは、桜屋敷でお部屋をご案内した時以来ですね」
「そうですね。私は後悔しています。あの時に貴女の言葉など聞かずに、お母様に連絡しておけばよかったと。そうすれば、貴女は今頃アメリカに居たでしょうから」
確かに……ルナ様の僕と言うか朝日への執着を考えると、アトレ様の報告を受けたら、即日で日本にやって来そうだ。
でも、そうなっていたら、才華様はフィリア学院に通うどころの騒ぎじゃなくなっていたと思う。お兄様は僕をアメリカに行かせないように邪魔をしていただろうし、りそなも僕に気がついてしまい、最悪の場合争いになっていた。
いや、僕自身が一番、何でそうなるのか本当に分からないんだけど、これまで知った事を考察するとそうなりそうだから。
「私は貴女が嫌いです。いきなり私達の前に現れておきながら、貴女は私の大切な人達に慕われている。お母様も、伯父様も、叔母である総裁殿も、そしてお兄様もです。でも、私にはそれが納得出来ません。貴女は以前仕えていた主人に謝罪も告げず、ただその方の人生に傷をつけかねない事をしたにもかかわらずに、何故そんなに慕われているのですか? 誰も貴女のした事を責めない。貴女のお母様だと言う『小倉朝日』さんの生き写しだからですか?」
「……仰る通り、私はお父様にもりそなさんにも、そして……貴女のお母様である桜小路ルナ様にも、何もしていません。『小倉朝日』の頑張りのおかげだと言われたら……何一つ言い返す事は出来ません」
「朝日! それは……」
「瑞穂さん。アトレお嬢様の言う事は紛れもない事実です。本来ならば、私は皆さんから施しを受けられるような立場ではないんです……ですが、何時までも『小倉朝日』の成し遂げた結果に縋って行くつもりは、私にはありません。今は何が出来るのかは分かりませんが、受けた恩を何時か必ず返せるようになるつもりでいます」
これは僕の本心だ。
皆は僕を助けてくれている。それが『小倉朝日』。いや、桜小路遊星様が成し遂げたことのおかげだという事は分かっている。
だからこそ、何時か必ず僕自身の力で皆に恩を返せるようになるつもりだ。
「アトレ様。今度は私から質問です。りそなさんからある程度事情は聞かせて頂きました。貴女が才華様にどのような気持ちを抱いているのかも。ですが、それはあくまでりそなさんから聞いた話です。貴女自身の口から教えて貰いたいのです」
「貴女に話す事など」
「アトレちゃん。私も聞きたいわ。ルナから貴女が朝日を嫌っていると聞いたけれど、私には朝日は正しい事をしたとしか思えない。貴女や才華君は衣遠さんに慕われているから詳しくは知らないと思うけど、大蔵家は本当に恐ろしい家よ。それに、私は才華君の事には怒りを覚えているわ」
瑞穂さんは厳しい視線をアトレ様に向けた。
大蔵家の恐ろしさは瑞穂さんも知っている。学生時代に、その力をお父様の手によって振るわれたとりそなから聞かされた。
「本人からすれば冗談のつもりだったのかも知れない。でも、時と場合に依っては冗談が冗談では済まない時があるわ。それを才華君はしてしまった。でも、私は才華君とアトレちゃんを大切に想っているルナと遊星さんの気持ちを良く知っているから、心から貴女達を嫌いにもなれない。だから、教えて? アトレちゃんがどんな気持ちを抱いているのかを」
「……私とお兄様は身体が違います。陽の光に当たる事が出来ないお兄様と違い、私は陽の光に当たれます。お兄様は何度も、それこそ子供の頃から今に至るまで『押し付けた』なんて考え方をしなくてもいいと仰いました。私自身もそのような考えは、お兄様にも、お父様やお母様に失礼だと、何度も言い聞かせてきました」
この辺りは、りそなから教えられている。でも、初めて聞く話に、瑞穂さんは驚いている。
「でも、駄目でした。理屈では意識は変えられないものですね、その意識を抱いたのは3歳くらいの頃でした。『お兄様は何故外へ出られないのですか』。『私は何故お兄様と違って外へ出られるのですか』。この二つの問いが、今の私を作り上げてしまいました。その一度の衝撃が、今も夢で見るほどに忘れられません。何をしていても、どれだけ楽しんでいても、それらはお兄様から奪ってしまったものだと受け止めてしまうんです。まるで、全てが借り物のように」
……ルナ様と才華様の身体の事情は、僕も瑞穂様も分かっている。
理屈からすればアトレ様の考えは間違っている。恐らくアトレ様に意識を向けられている才華様も何度も、その事を指摘したと思う。
「お兄様は何度も違うと言ってくれましたが、私は常にこう答えました。『お兄様が私のように動ければ』と」
……才華様はその答えの前では、何も言えないだろう。
「この悩みの答えが出ず、何時しか私は何も楽しむ事が出来なくなり、お兄様の顔を見て話す事も出来なくなりました。ですが、私が口を閉ざし始めてから、お兄様は悲しい顔をされるようになりました」
当然だと思う。身体の悩みでは、才華様も悩んでいた筈だ。
その悩みがアトレ様を悲しませていると分かったら、才華様は苦しんだに違いない。ルナ様も桜小路遊星様も、どうすれば良いのか悩んだに違いない。
「私はその方が辛くて、何とかお兄様に喜んで貰おうとしました。私のしたことで……その時のお兄様は私との会話を望んでおられましたから、笑顔を作って会話して見せた事で、大変喜んで下さいました。その時に、私が、私の人生を楽しむには、私の助けによるお兄様の喜びが必要だと定まりました。お兄様の人生が喜びに溢れていなければ、私の楽しみは全て借り物で、どうあっても毎日が満たされない為です」
……ああ、何となく分かって来た。
「……子供の頃、私は生まれて来なければ良かったと思っていました」
「朝日!?」
瑞穂さんが僕の発言に悲鳴のような声を上げた。
大丈夫だと言うように、僕は瑞穂さんに顔を向けて頷いた。悲しそうな顔をさせてしまった。
申し訳ない気持ちを抱くけど、僕はアトレ様に顔を向ける。
何故そんな話をするのかと、僕を睨んでいた。同情を誘うつもりではないかと疑われているようだが、そんなつもりはない。
「先に申しておきますが、不幸の自慢話をするつもりはありません」
「だったら、何故そんな話をするんですか?」
「貴女が昔の私だからです。桜小路アトレお嬢様」
今のアトレ様は、ジャンと出会う前の僕だ。
「話を続けます。その頃の私にとって、唯一の生き甲斐は母でした。私を大切に想ってくれているお母様。お母様の笑顔を見る事が、当時の私の唯一の安らぎでした」
アトレ様は何かに気がついたように、動揺して視線を彷徨わせた。
気がついたようだ。僕にとっての当時のお母様が、アトレ様にとっては才華様になるという事を。
「だから、朧気ながらもアトレ様の気持ちは分かります、才華様の為になりたい。それは立派な事ではあります。ですが、アトレ様。貴女は何時までそれを続けるつもりなのですか?」
「お兄様の人生が祝福に彩られれば。幼き頃からの夢の舞台で夢を叶え、友人と出会い、願わくばその先で生涯のパートナーを見つけていただければ。お兄様が常に喜びに満たされれば……」
「それらが全て叶った時、本当にアトレ様は才華様から離れられるのですか?」
「離れられます」
「いいえ、きっと離れる事は出来ません。何故ならアトレ様。貴女が才華様を気にかけている一番の理由は、才華様のお身体の問題だからです。表面上は離れる事が出来るでしょう。でも、ふとすれば不安がぶり返し才華様が気になって仕方が無くなってしまう」
「そんな事は!?」
「3つの頃から抱えている問題だと言いましたね? そんな幼い頃から抱えている問題を解決出来るとは思えません。私にはそう思い込もうとしているようにしか見えません。それにアトレ様? 先ほど、貴女は才華様の夢の舞台と言いましたが……貴女は知らなかった筈です。才華様がフィリア学院にどんな想いを抱いていたのかを」
アトレ様は目を見開いて僕を見つめた。
「フィリア学院に通う事は知っていたかも知れません。ですが、桜屋敷で才華様がフィリア学院の事を話していた時、貴女はただ才華様の言葉を肯定するだけでした。最初から才華様がフィリア学院に抱いている想いを知っていたら、あの場に居る皆を説得しようとしていた筈です」
だけど、アトレ様はしなかった。
ただ才華様の行動を肯定するだけ。二人に甘いお父様も、そしてルミネ様も最終的には協力すると思っていたに違いない。九千代さんの事も良く知っているから説得出来ただろうし、八十島さんは『小倉朝日』の事を知っているから肯定的な意見が出てしまう。
『小倉朝日』の事はアトレ様も知らないだろうけれど、大蔵家で才華様に甘いお父様とルミネさんが協力してくれれば大抵のことは叶ってしまう。
でも、アトレ様にとって予想外の存在がいた。僕だ。
まさか、アトレ様もお父様が才華様よりも、僕を優先するとは思ってもいなかったのだろう。その綻びが巡りに巡って現状を作り上げた。
僕が居たからと言われれば、確かに言い返す事は出来ない。だけど。
「アトレ様。これだけは言っておきます。私はもしもあの時の桜屋敷の出来事をやり直せるとしても、必ず才華様を叱ります。それで才華様が苦しまれるとしても……これだけは絶対に譲るつもりはありません」
それを譲ってしまえば、僕はルナ様や桜屋敷に居た方々に申し訳が立たない。
だから、たとえアトレ様に嫌われる事が分かっていても、僕は才華様を叱る。何度でもだ。
「……お兄様は……お兄様は貴女に感謝していると言っていました」
「えっ?」
僕は驚いてアトレ様に目を向けた。
「これまでに無いほどに、今、お兄様は苦しんでいます。私はそのお力になりたいのに、何をどうすれば力になれるのかもう分かりません。貴女を否定しても伯父様や総裁殿の不興を買うだけという事はもう分かっています。お母様も、お怒りになられてしまいました。それに……私はお兄様が四月からの一か月間。何を悩んでいるのかさえも分かりませんでした。貴女は知っていますか?」
「……ルミネさんの事でしょうか?」
その言葉にアトレ様は力が抜けたように床に膝を突いた。
思わず助け起こそうと手を伸ばしかけるが、一瞬だけアトレ様の背後に立つ北斗さんの気配が強まり立ち止まった。
まだ、油断したらいけないという事だろうか?
「……そうです。ルミねえ様の事でお兄様は悩んでいました。私はその事さえも気づけなかった……ひいお祖父様の件もそうです。ルミねえ様なら問題が無い。何かあったら最悪の場合は、総裁殿に縋れば良いと思っていました」
アトレ様の目から涙が零れた。
「お兄様やルミねえ様は伯父様と総裁殿に言われたそうです。『今の大蔵家しか知らない』と。貴女の話を『晩餐会』で聞いた時も、その矛先がお父様が婿入りした桜小路家に向く事は無いと思っていました。でも……違ったのですね?」
……僕は頷いた。
残念ながら、お爺様の怒りは桜小路家に間違いなく向く。りそなもそう言っていたし、お父様も駿我さんも、桜小路遊星様とルナ様もだ。
それだけの人がお爺様の怒りが向くと言うのだから、確実に起こると考えて間違いない。
「私は……これからどうすれば良いんでしょうか? お兄様はもう私の協力は必要ないと言いました。私も……これ以上何かをしてもお兄様の迷惑にしかならないと思っています。でも、お兄様の為に何かしたい。それは間違っているのでしょうか?」
「間違いではありません、アトレ様」
僕はアトレ様と視線を合わせる為に、床に膝を突いた。
誰かの為になりたい。その気持ちは間違いじゃないんだから。
「アトレ様。一人で抱え込まなくて良いのです。私達には言葉があります。それが伝わらない時も確かにありますが、その時はどうすれば伝わるのか考えましょう」
「……お父様」
「えっ!?」
不味い! もしかして気がつかれた!?
でも、すぐにアトレ様は慌てたように顔を僕から逸らした。
「も、申し訳ありません……貴女の顔が一瞬、お父様と重なって……お父様も貴女と同じような事を言っていました。私はお父様と同じようにしていると思って……本当は違う事をしていた……貴女は先ほど、私は昔の貴女だと言いました。だったら、教えて下さい。貴女はどうやって鎖から解放されたのですか?」
「ある人に出会えたから……正直に言えば、その人の言葉には最初はかちんと来ました。何故見ず知らずの人にそれまでの私の人生を否定されるのかと思いました。でも、その人の言葉で私は一度生まれ変わる事が出来たんです」
「生まれ変わる?」
「ああ、比喩ですよ。あくまで比喩的表現の話です。でも、その出会いがあったから私は変わる事が出来たんです」
僕はゆっくりとアトレ様の両肩に手をのせた。
アトレ様の身体が震えているのを感じる。才華様にとっても、アトレ様にとっても初めての出来事で不安で一杯なのだろう。
「私は……アトレ様と出会えて嬉しかったです」
「えっ?」
「嫌われているのは良く理解しています。それでも貴女と才華様に出会えて、私は嬉しいと思いました。『小倉朝日』が……母が心から仕えられた事を幸いだと思ったお方の子供達。私はそのお姿を見られた事を嬉しく思います。今は確かに大変な時です。先がどうなるかは分かりません……だけど、私も私が出来る事でお力添えをします。だから、一緒に頑張りましょう。小倉朝日、やる気マンゴスチンです!」
「……ファッ……」
「ああ、アトレ様!?」
大粒の涙を流して慌てて顔を隠したアトレ様に、僕は慌てた。
ど、どうしよう!? 何か失礼な事を言ってしまったのだろうか!? それともやっぱり嫌っている僕の言葉なんて聞きたくなかったのだろうか!?
「……な、何で……あ、貴女は……傷つけた私を……な、慰めるんですか……わ、私も……貴女を傷つけたのに……お母様や……叔母様が……し、心配するほどに傷ついているのに……何で、私を責めないんですか!?」
「……貴女の言っている事は、正しいからです。私はいまだにあの方に謝罪を伝える事が出来ずにいます。不誠実な事を間違いなくしているのですから……何時か……本当に、もう一度あの方に会える日が来た時に、謝罪させて頂きます」
……その日が来る事は、きっと無いという事は分かっている。
それでも……何時の日か、もう一度だけあの方と……そして皆に会いたい。
アトレ様は涙を流しながらジッと僕を見つめ、やがて勢いよく僕に抱き着いて来た。
いきなりの事で戸惑ったけれど、僕の胸に身体を押し付けて泣き続けるアトレ様に気がつき、優しく抱き締めながら頭を撫でた。
「……ごめん……なさい……ごめんなさい……酷い言葉を言って……ごめんなさい」
「良いんです、アトレ様。力が必要な時には言って下さい。何処まで力になれるかは分かりませんが、お力になれるように頑張ります」
立場もあるけれど、それでもアトレ様や才華様のお力になりたいのは事実だ。
ルミネ様のお力にもなりたいんだけど……別の科で、しかも大蔵家が嫌われているから迂闊に音楽部門には近づけない。本当にその件はどうしたら良いんだろう?
いやいや、弱気になったらいけない。アトレ様のお力になりたいと言ったばかりじゃないか。
そう思っていると、胸の中で寝息が聞こえて来た。
「アトレ様?」
「……眠っちゃったみたいね、アトレちゃん」
横から瑞穂さんが覗いてきた。
同時に気配を消していた北斗さんが姿を現した。
「どうやら張り詰めていた気が途切れたようです。今は休ませてあげた方が良いでしょう」
「そうね。それじゃ、アトレちゃんを連れて『鳳翔』に行きましょう」
「あ、あの宜しいのですか!?」
「花乃宮御用達の旅館だから大丈夫よ。部屋の準備が終わるまでは、朝日の部屋に寝かせていても構わないわよね?」
「は、はい。それは勿論です」
アトレ様を安全な場所で寝かせたいのは事実だ。瑞穂さんの提案には感謝しかない。
「それに旅館で見られる風景で、朝日の写真を撮るのも良いと思うの」
……目を輝かせる瑞穂さんに……一瞬にして血の気が引いた。
「あ、あの瑞穂さん。私が着る服は流行物で買ったお店でレポートを取らないといけないのですが」
「大丈夫よ、朝日! 北斗!」
「ハッ! 既に準備は終わっています。瑞穂様が手掛けた今季の流行の着物など十数点ご用意しております」
「あ、あわわわっ……」
何故僕はこんな重要な事を忘れていたんだろう。
瑞穂さんの仕事は……服飾。しかも日本で活躍中の着物デザイナーだ。当然流行物の衣装を手掛けている。
そしてそれを準備する事ぐらいは簡単だ。レポートの問題にしても、手がけた本人から意見を聞けるのだから、お父様もご納得されるに違いない。
「さあ、行きましょう。アトレちゃんも早く休ませてあげたいし」
「……はい」
意見を言う事が出来なかった僕は、涙を流しながら眠るアトレ様を抱えた。
ああ、本格的に写真集みたいになって来た。何でこんな事に。
「はー……」
僕の一日の締め。入浴タイム。今日は更に露天風呂。しかも僕一人だけの貸し切りだ。
その上、流石は花乃宮家御用達の旅館の露天風呂。見える風景も綺麗だ。こういうのを風流と言うのだろう。
温かいお湯と夜空の星、そして風流な風景が魂と心を癒してくれる。露天風呂最高。
……本当にあの後も大変だった。僕の連絡を受けた八十島さんと九千代さんがやって来て、アトレ様の無事な姿に心から安堵していた。九千代さんなんて、大泣きしていた。
ただ、その後北斗さんが八十島さんと九千代さんと話し合う事になった。嘘が嫌いな北斗さんからすれば、才華様の件はやはり思うところがあったようで厳しい声で二人を叱責した。
フォローしたかったけれど、僕自身も才華様のしている事に対しては全面的に認めてはいないので、フォロー出来なかった。八十島さんは仕方ない事だと頷き、九千代さんも落ち込みながらも北斗さんについて行った。
……その後に僕は更なる重大な事に気がついた。北斗さんが居なくなるという事は、瑞穂さんの暴走を止めてくれる人が居なくなるという事を意味する。
そして……。
「……何十枚も撮られてしまった」
百枚は……いってないと思いたい。
瑞穂さんが用意してくれた流行の着物や衣装は素晴らしいものだったけれど、男性物は一着も無かった。
全て女性物。しかも、ウィッグと違って今の僕の髪は自前だから、もう瑞穂さんが目を輝かせて髪型を様々に変えた。リボンなども色々な種類を用意されていた。
後、何故か昔のと言うか、フィリア女学院だった頃の制服も着させられた。もうその時には、精神的に疲れ切っていって、迷う事無く渡された衣装を着るようになっていたので何の疑問も持てなかった。
「いや、持たないと駄目だよね!」
僕は男だよ! 精神的に疲れていようが疲弊していようが、女性物の服を着る事に喜びを覚えたり迷いを覚えなくなったりしたら終わりだ。
……メイド服を迷う事無く着るようになっている事は除外しよう。うん、主に僕の精神の為に。
「はあ~、でも本当に気持ち良くて癒される」
もうかなり長い時間、湯に浸かっているけれど、まだ入っていたい。
僕は自覚症状があるくらい長風呂なので、こうしてゆっくりできる時間が愛しい。
しかも、この露天風呂はこの旅館に一部屋ずつ用意されているので、誰かが来る事も無いから気兼ねなく入り続ける事が出来る。
瑞穂さんも僕の正体を知っているから、桜屋敷の頃のように来る事はないだろうから、本当に安心して浸かっていられる。
このままもう暫く……。
「あ、あの」
……入口の方から声が聞こえた気がした。
ゆっくりと、僕は岩陰から顔を出して覗いてみる。其処には。
「ご、ご一緒に入っても宜しいでしょうか?」
アトレ様が立っていた。
えっ、えええええっ!?
「ア、アトレ様!? 何故私の部屋に!?」
確かアトレ様には九千代さんと八十島さんと一緒に泊まれるように、大部屋を瑞穂さんが用意してくれたはずだよね!?
と言うよりも、この状況は不味い! 今は岩陰に身体を隠しているから気付かれていないけれど、今の僕は一人で入れる安心感からタオルを巻いていない! このままだと僕の正体が!
「その……夜分に失礼だとは思ったのですが、どうしても相談に乗って貰いたい事があったので……何度か時間をおいて来たのですが、返事がありませんでしたので。旅館の方にも内線を入れて貰ったのですが、やはり返事がなく」
そう言えば、僕はもう一時間以上露天風呂に入っている。
しかも、露天風呂から部屋の入口までは距離があるから、アトレ様が来ている事にも、内線があった事にも全然気が付けなかった。
「何かあったのではと心配になってしまい、旅館の方にお願いして部屋の鍵を開けて貰いました」
「そ、そうだったんですか。申し訳ありません。私長風呂をしてしまう方なので、アトレ様が来ている事にも内線にも気が付けませんでした」
「そうでしたか。それで……その先ほども言いましたが、私もお風呂に入って宜しいでしょうか?」
「な、何故でしょうか?」
「日本では裸の付き合いと言うものがあると聞きます。まだ、少しだけ貴女と話したいのです」
ど……ど、どうしよう!? あああ本当にどうしたら良いんだろう!?
アトレ様の提案を受けるのは簡単だ。と言うよりも、この状況だと受けるしかない! 露天風呂の入り口にアトレ様がいるし、僕の着替えはその先だ。
露天風呂から出れば、アトレ様に身体を見られてしまう。それだけは絶対に駄目だ。僕の正体だけは知られる訳には、いかない。となれば。
「ア、アトレ様? 申し訳ありませんが、タオルを取って貰って宜しいでしょうか? わ、私はその……他人に肌を見られるのが苦手なものでして」
「分かりました」
アトレ様は素直に僕の言葉に頷いてくれて、タオルを露天風呂に設置されている岩に置いてくれた。
そのまま部屋の方に戻って行く。どうやら服を脱ぎに行ったようだ。でも、今の僕にはそんな事を気にしていられる余裕はない。すぐさまタオルを身体に巻いて、お風呂の中に入った。
とにかく、このまま身を縮めてアトレ様との話が終わったら、即座に身体を見られないようにしながら部屋に戻る。今の僕が男だとバレる絶対条件は、ぺったんこな身体だけだ。
桜屋敷で瑞穂さんと湊と一緒に入った時よりも難易度は低い! 後、出来るだけアトレ様の裸を見ないようにしないと。ルナ様、桜小路遊星様、そしてアトレ様!
出来るだけ見ないように頑張りますから、どうかお許しください!
と言う訳で一応和解しました。
ただ一難去ってまた一難な状況です。果たして朝日はこの難局を乗り切れるのか。
因みにやっぱり慌てているだけで性欲は一切感じていません。