月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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アンケートにお答えしてくれた皆様、本当にありがとうございました。
予告通りエイプリルフールなので投稿します!

百面相様、烏瑠様、姫奈月華様、えりのる様、誤字報告ありがとうございました!


小倉りそなとの対談 6時 前編

side才華

 

「……うぅん……朝か……」

 

 目覚ましのアラーム音で目が覚めた。

 朝が弱い僕にしては珍しい事に一回目のアラーム音で目が覚めた。時刻を確認すると6時だった。

 ……此処まで寝起きなのに意識がハッキリしている目覚めは、年に一度あるかないかだ。だからと言って……全然嬉しくない。

 寧ろ全て夢であって欲しかった。

 目が覚めたら、階段から落ちた僕と心配そうにする伯父様とアトレの顔があってほしかったよ。

 

「……部屋はそのままか」

 

 重い溜め息が零れた。

 いっそ全て夢だったら良かったのに。少なからず起きたら元の僕がいた桜屋敷に戻っている事を期待していたが……どうやらそう簡単には行かないようだ。いや、あの人の事を考えるともしかしたら僕も……。

 

「……止めよう。気が滅入りそうだ」

 

 こうして此方側の世界にいる時点で、今日は間違いなく修羅場になる。

 気力は出来るだけ確保しておかないと、吐いてしまうかも知れないんだから。

 横になっていた大きめのベットから起き上がり、着ていたメイド服を見回してみる。

 

「うわっ、皺だらけだ」

 

 桜の園での僕の仕事着であるメイド服に、こんなに沢山皺がついてしまうなんて。

 服飾の道を歩む者としてショックだ。仕方がないのは分かっているけど、この服のままでルナさん達の前に立つのは嫌だなあ。

 少しでも皺が減らないかと思って、服を伸ばしていると。

 

「起きていらっしゃいますか?」

 

 ノックの音と共に、扉の向こう側から小声だけど壱与の声が聞こえて来た。

 ベットから立ち上がって、扉に近づき僕も小声で声を掛ける。

 

「起きてるよ……今、鍵を開けるね」

 

 何故自分の生家でこんなに警戒しているんだろうと思わなくもないけど、今僕がいる場所は敵地と言っても可笑しくない場所だ。最大限の警戒を胸に行動しよう。

 

「おはようございます、才華様」

 

「おはよう、壱与」

 

「ルナ様と同じように朝が弱いと思っていましたが、起きていらっしゃってくれて良かったです。取り敢えず此方をどうぞ。淹れ立てのコーヒーです」

 

「ありがとう」

 

 コーヒーを受け取って一口飲む。

 うん、僕が良く知っている壱与の味だ。美味しい。

 

「壱与には感謝するよ。こうして気にかけてくれる人が一人でも此方に居てくれて本当に助かってるよ。本当なら壱与だって、僕に怒って良いぐらいなんだから」

 

 彼方の壱与は、『小倉朝日』だった頃からお父様の事を慕っていた。

 あの人に関しては、自分も傷つけてしまったから僕がしてしまった事に対して何も言わずにいてくれたけど、此方では別だ。

 僕に対して強い悪感情を持っても可笑しくない。

 そう思っていたが、壱与は僕が予想もしていなかった返答をして来た。

 

「その事ですが、実は私は小倉先輩にお会いした事がないのです」

 

「えっ? そうなの?」

 

「はい。私ともみもみは小倉先輩がいなくなった後に入って来たメイドなので。ですから、他の方々と違って才華様に対する個人の悪感情はありません」

 

 ……なるほど。それでルナさんや八千代と違って、会った時から壱与からは僕に対する悪感情を感じられなかったんだ。

 思えば、僕は壱与が何時頃から桜屋敷に勤めていたのか詳しく知らなかった。生まれた時からずっと一緒に桜屋敷で過ごしていた事もあって、そんなに昔の事は余り気にしてなかったから。

 

「ですが、才華様には申し訳なく思いますが、私の主人はルナ様です。ルナ様のご命令があれば、それに従うしかありません。お力には余りなれないと思って頂けると助かります」

 

「うん。それは分かっているから良いよ」

 

 寧ろこうして良くして貰えるだけで、本当に感謝だよ、壱与。

 

「それにしても、着ている服が皺だらけになってしまいましたね」

 

「このまま寝たから仕方ないよ」

 

 部屋の中は暖かいが、今は1月だ。下着姿で寝る訳にも行かない。

 何よりも今着ている下着は……女性物だ。そんな姿を間違ってもルナさんや八千代には見られたくない。

 

「流石に皺だらけの服装のままで、ルナ様や他のお嬢様方に会われるのは失礼に思われてしまいます。メイド長に相談して参りますね」

 

 壱与は部屋を出て行った。

 僕としても皺だらけの服装で他の誰かに会うのは恥ずかしいので、壱与を頼りにするしかない。アイロンを貸してくれるだけで大助かりだ。

 コーヒーを味わいながら待っていると、壱与が手に服を持って来た。

 ……ちょっと待って欲しい。その服って……まさか……まさか!?

 

「お待たせしました。メイド長に尋ねに行ったら、ルナ様も一緒に居られて、此方を渡せと仰せつかりました」

 

「い、一応聞くけど……その服って」

 

「桜屋敷のメイド服になります」

 

 や、やっぱりいぃぃぃ!?

 僕の性の始まりの原点になってしまった服。桜屋敷のメイド服。

 し、知らないから仕方がないけど、ルナさんは何て服を僕に渡すんだ!? 色々あったが、その服を自分が着ると考えるだけで顔や胸が熱くなってくるよ!

 

「あの大丈夫ですか? 何か急にお顔が赤くなっていますよ」

 

「うぅん。だ、大丈夫だよ」

 

 こういう時に自分の体質が恨めしくなる。

 この体質のせいで八日堂朔莉には散々からかわれたし、恥ずかしくなってしまっているのがすぐに他の人にバレてしまうから。

 平常心だ。桜小路才華。今更桜屋敷のメイド服を着るぐらいで慌てるな。

 これは仕方がない事。仕方がない事なんだから。でも……出来るならやっぱり他の服が良かったかも。

 

「す、すぐに着替えるから部屋を出てくれるかな?」

 

「はい。着替えが終わったらお呼び下さい。ルナ様が待つ応接室にご案内します」

 

「うん。分かったよ」

 

 部屋から壱与が出て行くのを確認し、改めて渡された桜屋敷のメイド服を広げてみる。

 やはり色々と複雑だ。既に恋人もいて、男性としての経験を得ている身だが、それとこれとは別だ。

 この桜屋敷のメイド服を着たお父様とお母様の情事を見てしまったのが、僕の性の始まりでトラウマになった出来事だ。

 因みにこの事実をお父様とあの人が揃って知った時は、2人とも『富士の樹海に行って来る』と言って走り出し、逃走劇にまで発展し掛けた。と言うか発展した。

 事前に調べていたのか、あの人はバレにくく、それでいて最短のルートを使ってお父様と逃げた。

 ……はたから見たら、親子で逃避行しているようにしか見えなかったよ。

 逃げ出された時は全員、余りの事実に言葉を失って固まっていたから、止めるのが間に合わなかった。お母様も流石に呆然としていたからね。

 でも、結局、事前にカリンがあの人が使おうとしている、ルートと行き先が分かっていたから、あえなく2人は保護された。

 最もその後で、伯父様と総裁殿は本気でお父様とお母様を叱っていた。八千代は……余りの事実に気絶して倒れて九千代と壱与に介抱されていた。

 そしてあの人は……自分の部屋に引き篭もってまる一日出て来なかった。部屋の内側から聞こえる啜り泣きの声に、僕らはどうする事も出来ず、あの人が自分から出て来るまで待つしかなかったなあ。

 ……現実逃避は止めよう。ルナさんが待っているんだから、急いで着替えないと。

 

「……あっ。そうだ」

 

 着ていたメイド服のポケットに手を入れる。

 ポケットの中には桜の園のルームキーが入っている。これをメイド服に入れたままにはしておけない。

 えーと、確か此処に……うん? 何か他にも入っている。何だろう?

 

「あっ! これは!?」

 

 内ポケットの中には、ルームキー以外に一枚の写真が入っていた。

 写真に写っているのは、僕とアトレが左右に立ち、真ん中に着物に似た衣装を着て着飾っているあの人が笑顔で立っている姿。

 

「そうだ。エストが『晩餐会』に参加した時にあの人が着た衣装を見たいって言うから、写真を持っていたんだっけ」

 

 その帰りの途中で伯父様に呼ばれたから、そのままポケットに入れっぱなしになっていた。

 しかし、偶然とはいえ助かった。この写真をルナさんに見せれば、あの人が元気でいる事が分かって貰える。

 序でに僕に対する印象も少しは良くなるかもしれない。

 ……だけど……。

 

「うーん」

 

 写真に写っているあの人を改めて見る。

 ……冗談抜きで男性に見えない。瑞穂さんが製作した衣装はとても素晴らしい。

 その衣装をあの人が着ると、素晴らしさが何倍にも膨れ上がって、感動しか感じられない。実際、『晩餐会』に参加した大蔵家の方々は、あの人の美しさに感嘆の息しか出せなかったほどだ。

 僕の隣で、アトレとお母様が目をキラキラさせていた事は……忘れよう。序でにお父様がテーブルに顔をぶつけて涙を流していた事も。うん、そんな事実は僕の記憶にはない。

 手早く着替えて、写真を今着たメイド服の内ポケットに仕舞う。

 ドキドキしてしまう心臓の鼓動を何とか落ち着かせて、扉の向こう側にいる壱与に声を掛ける。

 

「準備が出来たよ」

 

「分かりました……今の内に外に出て下さい」

 

 壱与からの了解を得た僕は、丁寧に畳んだ自分のメイド服を手に持って部屋から出た。

 すぐに周囲を見回して誰にも見られていない事を確認する。

 

「このまま応接室に急ぎましょう。ルナ様とメイド長が其処でお待ちしています」

 

 僕と同じでお母様も朝が弱い。

 当然ルナさんも朝が弱い筈なんだけど、どうやらもう起きているようだ。それだけあの人の事が気になっているんだろう。

 胸に痛みを感じながら、僕は壱与の後を急いで追いかけた。

 

「あれ? 今、巨人のメイドの後ろを見覚えのないメイドが追いかけていた気が? 気のせいですかね…今は、それよりもルナちょむに夢を見たかどうか確認しないと」

 

 

 

 

「来たか」

 

 応接室に辿り着くと、壱与の言う通りルナさんと八千代が待っていた。

 ルナさんは相変わらず不機嫌そうだ。何せあのスポンジ銃が手元にあるからね。八千代の方は……嘆いていた。

 

「これが桜小路家の跡取り……メイド服を着て毎日を過ごしている……やはりあの人をルナ様の相手候補に加えるのは止めましょう……将来、心労で私が耐えられません」

 

 うわー! これじゃあ奇跡的にあの人がこっちに戻って来れても、ルナさんとの恋愛は無理じゃないか!

 まあ、あの人に一応お母様と言うか桜小路ルナさんに恋愛感情はあるのか尋ねてみたけど、きっぱりと『恋愛感情は一切ありません』と断言されたからなあ。

 因みにそれを聞いたお母様は泣きながら部屋を飛び出して行った。

 ……お母様の隠れた一面を知った瞬間だった。

 ……正直あんな形で知りたくなかったなあ。

 八千代の発言にルナさんは僅かに不機嫌そうに眉を顰めたが、すぐに僕に視線を向けた。

 僕は即座にルナさんの前で正座した。もう、この体勢がこっちでは自然になりそう。

 

「案内ご苦労だった、壱与。何時ものように朝食の準備に入ってくれて構わない。くれぐれも悟られないように注意しろ。ああ、それとそれのメイド服は洗濯しておいてやれ」

 

「かしこまりました、ルナ様。では失礼します」

 

 この屋敷で僕に対する悪感情が少ない壱与が応接室の扉に向かって歩いて行く。

 出来ればこの場に残って貰いたかったけど、先ほど壱与が言った通り、ルナさんの指示に従って壱与は応接室から出て行った。

 残されたのは不機嫌なルナさんと困り顔の八千代に、正座をする僕だけだった。

 

「さて……一応尋ねておくことがある」

 

「はい……何でしょうか?」

 

 何でも答えるつもりです。家族に秘密を全てばらした今の僕なら、何でも話せます。……恋人との生活以外は。

 

「既に壱与から聞いたと思うが、この桜屋敷では貴様が寝た部屋では不思議な夢を見る現象が起きていた」

 

 あっ! そう言えば寝る前に壱与が言っていたっけ。でも……。

 

「それが何時から起き始めたのか正確なところは分からない。もしかしたら朝日がいなくなった直後から起きていたのかも知れないが、私達があの部屋で起きる現象に気づいたのは朝日がいなくなってから数ヶ月後の事だった。そして……もうその現象も起きなくなってしまっている。だが、こうして私達の目の前に本来ならいない筈の人間が現れた。此処まで言えば分かるだろう?」

 

「……夢は見ませんでした」

 

 もしかしたら夢を見たかも知れないが、壱与が言うような起きた後もハッキリと覚えているような夢は見ていない。

 可能性としては分かっていたのか、余り落胆した様子はルナさんには見えなかった……内心ではどうかは分からないが。

 

「そうか……やはり無理だったか」

 

「あ、あの……失礼かもしれませんが、本当にそんな事が起きていたんですか?」

 

「尤もな疑問だ。実際私達に起きた現象は怪奇現象の類だからな。だが、証拠ならある。八千代、アレを見せろ」

 

「此方が、ルナ様が夢で見た相手を描いたデッサンになります」

 

 八千代が差し出して来たスケッチブックを見てみる。

 世界は違ってもルナさんのスケッチを見られる事にドキドキしながら、中を捲って行くと。

 

「これは!?」

 

 スケッチブックの中には僕の似顔絵と……アトレの似顔絵が描かれていた。

 

「それが証拠だ……非常に腹立たしく思うが、あの夢での内容は時間が経っても忘れる事が出来ない。だから似顔絵を描くのに問題は無い……私を非常に不愉快にしたお前達の顔を忘れられない事には嘆きを覚えるがな」

 

 確かにこれは、証拠として十分だ。

 僕の似顔絵だけなら証拠として不十分だが、アトレの似顔絵まであるとすれば信じるしかない。想像して描いたにしては余りにもソックリだ。

 ……一部を除いて。

 

「……あの……何故僕とアトレの顔にちょび髭があるのでしょうか?」

 

 僕とアトレの両親譲りの美しい顔に無粋なものが描かれてるよ!

 

「気にするな。余りの怒りに思わず描いてしまっただけだ。例えば……自分達のミスを棚に上げて傷ついている朝日に怒りをぶつけたお前の妹とかな」

 

 一瞬にして背中が冷や汗でびっしょりになった。

 よ、よりにもよって……お母様も激怒したあの出来事をルナさんも知ってるなんてええええ!?

 

「あ、あの……その件に関しましては……」

 

「瑞穂から聞いている。朝日とお前の妹の間で和解は遂げられたそうだな」

 

「そ、其処までご存じなのですね」

 

 どうやら此方でもあの手この手であの人の現状を知ろうとしていたようだ。

 それだけあの人がこの桜屋敷で大切に思われていたという事だろうが、今の僕にとっては最悪な事実だ。あの人を大切に思う気持ちが裏返って、僕に襲い掛かって来る訳なんだから!?

 こうなったら、今すぐに渡そう!

 

「あ、あの……渡したいものがあります」

 

「渡したいものだと? それは何だ? まさか、さっきの皺だらけのお前が着ていたメイド服じゃないだろうな? そんなものを貰っても……」

 

「あの人が写っている写真です」

 

「あ、朝日の写真だと!? すぐに寄越せ!」

 

 差し出した写真を奪い取るようにルナさんは手に取った。

 

「朝日……何て綺麗な姿に」

 

「……あの一応尋ねますけど、まさか自棄を起こして手術してませんよね?」

 

 食い入るような顔をするルナさんの隣で、写真を覗いていた八千代が心から心配そうにしていた。

 僕も……正直言って信じられない事だが……手術はしていないらしい。男性ホルモンが出ているのかと信じられないぐらいに、あの人は女性にしか見えない。

 本人は男性に見られるようになりたいそうだけど……正直無理だろうなあ。だって……あの人の将来の姿であるお父様も、アメリカで雇っているナイチンゲールを始めとしたメイド達からも影で女性にしか見えないって言われているし。世界的女優の八日堂朔莉でさえ、あの人が男性だと知った時は、女優としての自信を失いかけたそうだ。ある意味、紅葉やカリンに匹敵する人体の神秘だ。

 取り敢えず八千代の質問には頷いておく。

 心から安堵したというように息を吐いた。追い出した張本人なだけあって、まさか自棄を起こしたのではと心配したんだろう。気持ちは凄く分かるよ、こっちの八千代。

 

「しかし、朝日はともかく左右にいる2人はハッキリ言って邪魔だ。後でパソコンに画像を取り込んで、朝日だけが写っている写真を部屋に飾ろう。ああ、朝日のおかげで良いデザインが頭の中に浮かんできた」

 

 邪魔って……あの人の左右にいるのは、一応血の繋がっている僕とアトレだけど……お母様が桜小路本家の血の繋がった親類の写真を見て喜ぶ筈が無いから、辛辣な言葉も納得出来てしまう。

 後……出来れば思い浮かんだデザインを見せて貰いたい。学生時代のお母様のデザイン力を知りたいので。

 隣で話を聞いていた八千代は、深々と溜め息を吐いているけどね。

 

「……はあ、これであっちのルナ様よりも軽症なのですよね……小倉病……何て恐ろしい病なのかしら……彼方の私が心労で倒れてないと良いんですが」

 

 もう心労で倒れてるよ、あっちの八千代。

 だけど、ルナさんは頭を抱えそうになっている八千代を気に掛ける事もなく、小倉さんが写っている写真を見続けていた。

 

「大変気分が良い。この写真に免じて、取り敢えずはお前の滞在を認めるとしよう」

 

 よ、良かったあ。応接室に来る途中で壱与に聞いたけど……今日は東京では珍しい事に雪が降るそうだ。

 そんな寒空の下に放り出されたりしたら、凍死してしまう。いや、そもそも僕は日傘を差さないと外に出る事も出来ないんだけどさ。

 でも……別世界に来てもあの人に助けて貰った。本当に感謝します!

 ルナさんは写真を服のポケットに大切そうに仕舞い、僕に顔を向けた。

 

「……それで改めて確認するが、お前は本当にバナナの皮に滑って階段から落ちたら此方に来たのだな?」

 

「……はい……正直言って自分でも信じられないような話ですが……僕はそうやって此方に来ました」

 

 正直言って、僕自身も信じたくないような出来事だ。

 あの人のように、当てもなく彷徨っていて気が付いたらあっちの桜屋敷の庭で倒れていた、の方が遥かに良い。だって、バナナの皮に滑ってだよ? まるでコントみたいな内容じゃないか。

 自分で起きた出来事だから信じるしかないけど、これが他の誰かが言ったとしたら笑うか相手を心配するかのどちらかしていたと思う。

 

「正直言って信じられないような話だ。と言うよりも、そんなふざけた方法で世界が渡れるとしたら、私達のこれまでの苦悩は一体なんだったと。大変気分が悪い」

 

 心から同意します。本当に何であんな方法で……。

 

「率直に言えば、お前が朝日の写真を渡す前までは、確かめる意味もあって、お前を階段の手前でバナナの皮で滑らせるつもりだった……八千代に止められたがな」

 

「大怪我をされたら困ります! この方はルナ様と同じように肌が弱いのですから! それに此方に保険証もありません。病院に行くことが出来ないので、絶対にそのような行為は認めません!」

 

 ありがとうおぉぉぉーこっちの八千代!

 もう貴女が女神にしか見えません! ヴィーナス・八千代!

 

「分かっている。朝日の写真を渡した事で見逃すことにした……だが、最悪の場合はその手段を使う事も考慮して置け。私は何時までもお前をこの屋敷に置いて置く気はないからな」

 

「はい……あの、それで何ですが……」

 

 僕は寝る前に思いついた方法を話した。

 即ち、此方側の現状を知るという事だ。

 

「なるほど……直前に考えていた事を実行するか。あり得そうな話ではあるが……非常に危険だとしか言うしかないぞ。昨日も言ったが、私はお前に対しては好意を一切持っていない。それは大小があるにしても、この屋敷にいる全員が同じ想いの筈だ。例外がいるとすれば、朝日がいなくなった後に雇った紅葉と壱与ぐらいだろう」

 

「特に一番危険なのは、瑞穂様と北斗さんですね。お二人とも本気で貴方の事を嫌っています」

 

 うぅっ! や、やっぱり……。

 あっちの瑞穂さんと北斗さんからも同じことを言われたけど、こうして改めて言われるとショックだ。

 いや、女性を軽んじるような発言をした僕が一番悪いんだけどね。

 

「幸いと言うべきか、今瑞穂と北斗はこの屋敷にはいない。年始にある花乃宮家の集まりに呼ばれて実家に戻っているからだ。だが、お前からすれば間の悪い事に今日の昼過ぎにはこの屋敷に戻って来る。それまでに何とかする方法を考えなければ」

 

「この屋敷が殺人現場になってしまうかも知れません。北斗さんのトマホークによって」

 

 こ、怖い。怖すぎる!

 冗談みたいな話に聞こえるけど、北斗さんは瑞穂さんの護衛役も兼ねているから武器所持の許可書を持っているので冗談ではない。

 

「言っておくが、私でも止められるか分からないぞ。主人の瑞穂にしても、お前のせいで男性嫌いが更に悪化してしまったからな」

 

「あ、あの確認しますが……あの人に関してはどうなんでしょうか?」

 

 女装に関してはあの人も含まれている筈だ。

 

「朝日か……瑞穂に朝日の真実を話すのは、私達もかなり気を使った。事前に湊やユーシェを味方に引き込み、ユーシェの従者であるサーシャを北斗にけしかけて、庭に追いやった。夕食は彼女の好物でもてなし、明るい話題で場を盛り上げ、私と湊とユーシェの三人で挑んだ」

 

 す、凄い気の使いようだ。ルナさんが其処まで気を使わなければならない程の瑞穂さんの男性恐怖症。

 これは……もしかしたら瑞穂さんと北斗さんだけはあの人を嫌ってしまったんじゃ。

 

「その上で打ち明けた。最初は頭が追いつけなかったようだ。何の冗談かと笑われたぞ。まあ、その気持ちは凄い分かる」

 

 僕も分かります。あの人が男性だと知った時は、『え? ギャグかな?』って思いましたので。

 

「そんな私本人も冗談としか思えないような事実だが、三人で何度も説得した結果、ようやく事実だと理解したみたいで、その瞬間に昇天した」

 

 うわっ……凄いその時の瑞穂さんの気持ちが分かる。僕も信じられなかった派の方だから。

 いや、だって……あそこまで女性的な体格をしていて、女子力が僕の知っている女性の誰よりも高いんだもん。

 エスト。八日堂朔莉。ルミねえ。パル子さんの4人を始めとした僕の周りにいたどの女性と比べても、あの人の方が女子力は上だと心から言える程だ。

 だけど……これはやっぱり……。

 

「そして起きた瑞穂を私と湊が懸命に説得した結果、取り敢えず怒りは収めてくれた。と言うよりも怒ってはいなかった。『大蔵遊星』に対して嫌悪感を示しただけだ」

 

 ああ……やっぱりそうなんだ。元の世界に戻っても、この事実だけはあの人には……。

 

「深く傷ついた瑞穂は、この苦しみを親友である『朝日』に聞いて欲しい、早く『朝日』に会いたいと言いはじめた」

 

 ……あれぇっ!?

 

「え、あ、あの、嫌悪感はどこに行ったんですか?」

 

「どうやら此方側の瑞穂の中では、『大蔵遊星』と『小倉朝日』は完全なる別人と認識されたようだ。と言うよりも、屋敷にいる全員の夢から集めた情報を総合すると、其方側の大半の者が『桜小路遊星』と『小倉朝日』を別人として扱っていたようだ」

 

「そ、そうなんですか?」

 

 知らない事実だ。同一人物なのに別人と扱われるって……どんな感じなんだろう?

 僕の場合、問題が解決する前のアトレがそれに近かった気もするけど、あっちの場合は心の奥の方ではちゃんと兄である桜小路才華と認識していたし。

 お父様も変な扱いをされていたんだ。

 

「本当に大丈夫なのか確認したところ『要は朝日の心が男性の肉体と言う器の中に閉じ込められてしまったのでしょう? 可愛そうな朝日』と、どこまで本気なのか分からない事を言っていた。因みにこの考えに瑞穂が至るまでの主要時間は気絶して目覚めるまでの5分間だ」

 

「短いっ!?」

 

 えっ? そんなあっさり解決出来る問題なの?

 

「朝日の性別に関しても質問したが、『朝日の性別は『朝日』よ』と。訳の分からない事を言っていた」

 

 はい、僕も意味が分かりません。性別『朝日』って一体?

 

「とにかく最終的に瑞穂は『大蔵遊星』が『小倉朝日』になっていれば問題は無いという事だ。言っておくが、これはあくまで朝日だからこそだ。同じように女装をしているからと言って、お前に対しては同じ対応をすると思うな」

 

「は、はい」

 

「そういう訳だから、先ずは……話をするならユーシェとサーシャ辺りが良いだろう。湊と七愛でも構わないかも知れないが、2人とも『大蔵遊星』に関しては複雑な想いがある。ユーシェとサーシャは、この屋敷の中では比較的にお前に対して嫌悪感は少ない」

 

「そうですね。やはり最初に話をするなら、その御二方が良いでしょう。それに湊様のお部屋にはあの方もいますし」

 

 あの方? はて? 一体誰の事だろうか?

 こっちの世界のルナさんが学生をしているという事は、この屋敷で一緒に過ごしているお嬢様達はユルシュールさんと湊さんと瑞穂さんの3人の筈だ。

 八千代が『あの方』なんて呼ぶぐらいだから、相手はそれなりの相手だと思うけど、誰だろうか?

 壱与に聞いたところ、ルナさんは3年生。

 あっ! もしかして学院の他のお嬢様が湊さんの部屋に泊まりに来ているのかも!

 

「ああ、そうか。確かに湊の部屋に行くのは不味い。瑞穂や北斗ほどじゃないにしても、これの事は嫌っているからな。やはり、此処はユーシェとサーシャを呼んで説得してから……」

 

「こんなところにいた」

 

 ルナさんの言葉を遮るように、ガチャッと応接室の扉が開いた。

 それと共に聞こえて来た声に僕は固まった。えっ? い、今の声って、若いけど、あ、あの人の声だよね。

 な、何で桜屋敷にいるの? ルナさんが3年生なら、あ、あの人はこの時期はパリに留学している筈じゃ!?

 

「り、りそな。随分早起きだな」

 

「それを言ったら、ルナちょむの方ですよ。この屋敷で一番朝が弱いのに。あれ? 何だか、見覚えのない相手がいますね。さっき巨人の人と見覚えのない相手が一緒に歩いていたのは見間違いじゃなかったんですね」

 

「ええ、そうです、りそな様。実は今日新しいメイドの面接がありまして」

 

 八千代が僕を庇うように背後に移動してくれた。

 感謝したいけど、そ、それどころじゃない。い、今、八千代は背後にいる相手を『りそな様』と呼んだ。

 つ、つまり、この屋敷にいるもう一人のお嬢様って……こっちの総裁殿!?

 

「メイドの面接? こんな時間に?」

 

 現在の時刻は午前6時過ぎ。普通に考えて、こんな時間に面接なんてやる筈が無い。

 冷や汗で背中がびっしょり。でも、僕にはどうする事も出来ない。

 応接室の出口は、僕の背後。つまり、こっちの総裁殿……いや、りそなさんがいる方だ。

 出来るだけ、身体を縮めてりそなさんに姿を見られないようにする。

 

「……何で面接なのに、相手は既に桜屋敷のメイド服を着てるんですか?」

 

「り、りそな様が来る前にルナ様から合格を言い渡されましたので。ですよね、ルナ様?」

 

「……八千代の言う通りだ。後で紹介するから少し待っていてくれ、りそな」

 

「……何だかそのメイドの髪。ルナちょむとソックリですね」

 

「ええ、それもあってルナ様は御認めになられたのです」

 

「……何でか知りませんが、貴女の背後に隠れている相手の後ろ姿を見ていると、ひじょーに腹立たしくなって来ます」

 

 もう心臓がバクバクいってうるさいよ!

 ま、不味い。ルナさんの言う通り、りそなさんは非常に不味い相手だ。元々僕は総裁殿が苦手だ。

 だけど、総裁殿が僕に対して愛憎を抱いていても、シャレにならない嫌がらせをして来ても、本当に危険な事はして来ない相手だと分かっている。でも……りそなさんは違う。

 恐らくりそなさんはルナさん以上に知っている筈だ。僕があっちでやらかした事の数々を。

 総裁殿とあの人は一緒に暮らしている。其処から推測すれば、主な夢での情報源の相手は間違いなくりそなさんだ。

 脳裏に7月中旬までに僕がやらかした事の数々が過ぎる。うん……好意的な感情を持たれるとは思えない。

 いや! 諦めたら駄目だよ! ほら、あの人が僕の良いところを家で話してくれていたかも知れないじゃないか!

 

「顔だけでも見せて貰えませんか?」

 

「そ、それは……」

 

「やっぱり怪しい。やけにこの部屋にいる全員が挙動不審ですよね。私が部屋に入って来た時に、明らかに動揺していましたし」

 

 さ、流石はあの総裁殿と同一人物だ。若い頃から、人を見る目はあったんですね。

 

「で、いい加減説明してくれますか、ルナちょむ? 其処で身体を小さく隠れるようにしている相手……あっちのルナちょむと下の兄の息子である甘ったれについて」

 

 ドキンッと心臓が跳ねた気がした。

 はは……バ、バレてたんですね、僕の事。

 ルナさんも隠すのは無理だと判断したのか、溜め息を一つ吐いた。

 

「なんだ。気付いていたか」

 

「当たり前です。私が巨人のメイドと其処の甘ったれを目撃してから、何分経っていると思っているんですか?」

 

 言われて気がついた。

 そうだ。広い桜屋敷だけど、ルナさんの部屋と僕が寝泊まりした部屋を往復するのに、数分と掛からない。

 そして、ルナさんの部屋からこの応接室に来るのだって数分も必要ない。つまり、りそなさんは。

 

「部屋の外で話を聞いていた訳か。かなり早い時間帯だから、まだ湊と寝ていると思っていたが、まさか湊もいるのか?」

 

「ミナトンなら寝ていますよ。私が起きたのは、偶然と言うか、ミナトンの手が顔に当たって思わず起きてしまったからです。それで起きたついでに様子はどうか気になって行ってみれば、朝が弱い筈のルナちょむが、あの部屋にいませんでしたし、自室の方にもいなかった。この時点で何か起きてると考えるのが自然でしょう」

 

「尤もだ。取り敢えず紹介しておこう。昨晩、この屋敷に現れた」

 

「桜小路才華です! この度は貴女のお兄様に対して大変申し訳ない事を……」

 

「この甘ったれええーー!」

 

「もぶっ!」

 

 顔にクッションを投げつけられた。軽くて柔らかい大きめのクッションだったけど、勢いが付いていたから思いっきり顔が埋まってしまった。

 

「ハァ、ハァ、取り敢えず今の一撃で我慢して上げます。せっかくの下の兄の現状を知るチャンスなんですから」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「言っておきますが、我慢するだけですよ。本当なら積もりに積もった恨みの感情を発散したい気持ちで一杯なんですから。しかし改めてこの顔を直接見ると、イライラしますね。なるほど。彼方の私が嫌う訳です」

 

 うぅっ……分かり切っている事だけど、此方でも僕はこの人に嫌われているようだ。

 投げつけられたクッションを横に置きながら、一応質問してみる。

 

「う、恨みって……そんなに僕の事が嫌いなのですか、総裁……じゃなくて大蔵里想奈(・・・・・)さん」

 

「はっ? 誰ですか、大蔵って?」

 

 えっ?

 

「誰も何も貴女の事じゃないですか、大蔵里想奈さん。大蔵家真星一家の長女。僕の世界では大蔵家当主になられている御方ではありませんか」

 

「違います。って言うか、大蔵の名字で私を呼ばないで下さい。それは捨てた名字なので」

 

「名字を捨てた!?」

 

「改めて彼女を紹介するとしよう。朝日の妹で、私の屋敷に居候しているフィリア女学院日本校1年生の『小倉里想奈(・・・・・)』だ。今後2度と彼女の事を大蔵の名字で呼ばないようにしろ。本人がそう呼ばれるのを嫌っているからな」

 

「どうも。小倉里想奈です。2度と私の事は大蔵と呼ばないように。呼んだら次は、本気で堅い物を投げつけますからね」

 

 ……はっ? 大蔵里想奈じゃなくて『小倉里想奈』?

 えっ? えっ? ええっ!?

 

「ええええええええーーーーーーっ!?」




次の話は12時に投稿します。

因みにクッション投げつけられるだけで済んだのは、才華があっちの遊星とルナの子供だからです。
りそなからすれば世界は違っても、下の兄が悲しくなる事は出来ませんから。
では、何故『危険度大』という表示だったのかと言うと、りそなの保有している情報がどれもこれもキツイ情報だからです。

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