月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
その前に一幕入れておいた方が良いと思いましたので。
烏瑠様、秋ウサギ様、笹ノ葉様、dist様、獅子満月様、誤字報告ありがとうございました!
side遊星
「はあ~、やっぱり最高」
早朝。僕は今度こそ露天風呂を堪能する為に、朝風呂に入っていた。
昨日はアトレさんが途中から入って来たので、緊張と正体がバレるかも知れないという恐怖を感じてしまい、充分に堪能出来なかった。だから、こうして朝から入って英気を養っておく。
何せ……旅館を出た後には、京都で有名な服飾店を巡らないといけないんだから。
「……何枚撮られるんだろう?」
昨日だけで何十枚と撮られている。りそなやカリンさんなら一着に付き一枚で済んでいたんだけど、瑞穂さんだと目を輝かせて一着に付き4、5枚は撮るから、本当に辛い。
専属モデルになってくれないかと頼まれた時は、流石に全力で拒否した。僕が成りたいのはパタンナーだ。
何よりも女装姿を写真に撮られるのは本当に苦手だ。こればかりは克服できないと思う。
……克服した瞬間に、何かが僕の中で終わるような危機感も感じている。
後半は男性物を多く着るようにしよう。うん。
でも、何だろう? 何かとても大切な事を忘れているような気がする。忘れたらいけない何かを……。
「あっ! そう言えば、お父様にアトレ様と仲直りした事を連絡するのを忘れてた」
不味い。お父様も僕とアトレ様の仲の事は気に掛けていたのに、仲直りした事を報告するのを忘れてたなんてバレたら、また大変な事になる。
以前アメリカに行く事の報告を忘れたら、本格的なメイクをされる羽目になった。今度もまた報告を忘れたなんて知られたらどんな目に遭わされるか。考えただけで怖い。
「急いでメールを送ろう」
お湯から立ち上がり、岩の上に置いておいたタオルを身体に巻く。また急に誰かが来たりしたら大変だ。見られないようにしっかり巻いておかないと。
昨日は本当に何とかなったけれど、やっぱりどうしても八千代さんにお風呂場で目撃された時のトラウマを思い出してしまう。
多分、このトラウマは一生消えないと思う。あの……。
『付いてんじゃん』
うう……思い出すだけで涙が流れてしまう。
慈悲を一切廃した八千代さんの言葉は、本当に胸に突き刺さった。
アメリカで会った八千代さんは優しさと厳しさを与えてくれたけど……僕の方の八千代さんはどうなんだろうか?
……いや、それよりも皆はどうしているんだろう? 元気にしているのか? フィリア・クリスマス・コレクションでは最優秀賞を取れたのだろうか? りそなはどうしてるかな? 僕が居なくなって泣いてないかな?
それに……お兄様も元気にしているだろうか? 分からない。
そもそもどうして僕は、此方の世界に来てしまったのかさえも分からない。ただ……帰れないという事だけは漠然と確信していた。それは……もう僕には彼方の世界には居場所が無いという事を示しているんじゃないのだろうか?
「……止めよう」
幾ら考えても出ない答えだ。ただ……。
「ルナ様……りそな……湊……瑞穂様……ユルシュール様……桜屋敷に住む皆様……どうか皆様の幸せを願う事だけは赦して下さい」
これだけは願わせて貰いたい。
そんな資格は僕には無いかも知れないが、それでも願いたい。皆の幸せを。
「……行こう」
手を合わせて願い終えた後、僕は露天風呂から出て部屋に戻った。
その後、時間を考えてお父様にメールを送った。仕事で忙しいだろうから、これは僕の気遣いですという意思をメールに込めて。……どうかりそなから連絡が行っていませんように。
「あっ、おはよう、朝日」
「おはようございます、瑞穂さん」
着替えを終えて旅館の大部屋に移動した僕は、其処に居た瑞穂さんに挨拶をした。
「北斗はアトレちゃん達を呼びに行っているわ」
「すみません。急な事だったのにアトレさん達の分の部屋や料理もご用意していただいて」
「良いのよ。私も嬉しいし。何よりも食事は皆で取る方が楽しいもの。桜屋敷でもそうだったでしょう」
「はい。そうでしたね」
あの日々は本当に幸せだったと今でも思う。勿論、今のりそなと暮らせたり、瑞穂さんと食事が出来るのも幸せを感じている。どちらの方が幸せを感じられるのかと聞かれたら……今の僕はどっちもと答えられる。
もう優劣を決める事が出来ない程に、今僕は幸せだ。
「それにしてもアトレちゃんをさん付けだなんて、すっかり仲良くなれたのね」
「ええ、本当にアトレさんと仲直り出来て嬉しいです……ただりそなさんの方は」
「……其方は仕方がないと思うわ。りそなさんにも立場があるし、何より今回の事は朝日の時と違って簡単に許したりしたら駄目な事だと思うから」
僕の事だって本来は赦されない事です。
この違いはやはり、才華様が瑞穂さんにとって許し難い発言をしてしまったからだろうか?
北斗さんも才華様の事は残念ながら余り良く思っていないようだ。僕が叱った時ならともかく、今の才華様はちゃんとエストさんの事を大切に想っているんだけど。
こればかりは直接見て貰わないと納得出来ない事だ。特に北斗さんは嘘が嫌いな人だから、自分の目で見極めたいという気持ちは強いと思う。
「食事の方はもう直ぐ来るから座って待っていて」
「そうさせて貰います」
う~ん。何だかやっぱり違和感を感じるなあ。
いや、慣れないといけない事なんだけど。うっかり給仕の手伝いを申し出そうで怖い。
家だと外で出来ない分、りそなの為に色々としているから大丈夫だけれど……やっぱり欲求が溜まっているのかなあ?
そんな事を考えていると大部屋の襖が開き、北斗さんが姿を現した。
「失礼します、瑞穂様。小倉お嬢様。桜小路アトレお嬢様とその付き人の方々をお連れしました」
「おはようございます、瑞穂さん、小倉お姉様」
「まあっ!」
うう、瑞穂さんの前でその呼び方は止めて欲しかった。
……アレ? でもなんだかアトレさんの様子が……。
「おはよう、アトレちゃん。朝日をお姉様って呼ぶなんて、もうすっかり仲良しね……でも、何だかソワソワしているけれど、何かあったの?」
「あっ、そ、それは……うっかり考えてしまって」
考える?
何だろうと思っていると、アトレさんの後に入って来た私服姿の九千代さんが説明する。
「おはようございます、花乃宮瑞穂様。小倉お嬢様。そのアトレお嬢様は……若の事を考えてしまいまして」
「気になり出してしまったようです。今、八十島が急いで桜小路のご子息様が暮らしている桜の園という高層マンションに居る部下の方に連絡を取っています」
才華様の事が気になってしまったのか。
やっぱり、そう簡単にはアトレさんが抱えている問題は解決出来ないようだ。それは仕方がない。
何せ三つの頃から抱えていた問題だ。昨日の件で少しは解消出来たかも知れないけれど、完全に振り切れたという訳ではないみたいだ。
瑞穂さんも難しい顔をしてアトレさんを見つめている。そして向けられたアトレさんは申し訳なさそうに顔を伏せてしまう。
「本当に申し訳ありません。せっかくのお招き頂いた朝食の席だと言うのに」
「それは良いわ。アトレちゃんの悩みは昨日充分に聞かせて貰えたんだから」
「瑞穂さんの言う通りです。元々この問題は長期的に解決していかないといけない問題なんですから、気にする事はありません。私も瑞穂さんも、アトレさんが落ち着くまで待てますから」
「ええ、朝日の言う通りよ」
「……ありがとうございます、瑞穂さん、小倉お姉様」
安心したようにアトレ様は微笑みながら席に座った。
でも、やっぱりまだ身体をソワソワと動かしている。早く八十島さんに戻って来て欲しいと思っていると、その八十島さんが襖を開けて部屋に入って来た。
「失礼いたします。アトレお嬢様。桜の園に居る部下に確認したところ、昨日は何事もなかったと報告が聞けました」
「そうですか……フゥ~、何とか落ち着いて来ました」
「本当に才華君の事が心配なのね?」
「はい。一度考えてしまうと、どうしてもお兄様の現状を聞かずにはいられないのです。今はソワソワで済みましたが、昨日小倉お姉様と話をする前はハラハラして仕方がありませんでした。このハラハラというのが意外と厄介でして、一度気になり始めると、寝る前であっても、何か別の事に集中しようとしても、中々消えてくれません」
「GWが本格的に始まる前からアトレお嬢様は、桜の園から離れて桜屋敷の方に住んでいたのですが、その時にも何度もハラハラが始まってしまいまして」
「九千代さんから連絡が届き、私が若の現状を報告する事でアトレお嬢様には落ち着いて頂いておりました」
……僕と瑞穂さん、そして北斗さんは難しい顔をしながら顔を見合わせた。
話でしか聞いてなかったが、こうして具体的にアトレさんの異常を目にすると、本当に根が深い事が改めて分かった。
「その、一度気になり始める切っ掛けも、自分の健康を自覚した途端やお兄様は大丈夫なのかと考えると、ふと起こるので、時と場所を選んでくれません」
「時と場所を選ばないですか……なるほど、それで分かりました。何故アトレお嬢様が中々物事に集中出来ずにいるのかが」
北斗さんは何かに気がついたようにアトレさんを見つめ、自然と全員の視線が集まった。
「アトレお嬢様の心の問題は、何かに集中する事に対して大きな妨げになっています。あのご両親のご息女なのですから、当然服飾を目指しませんでしたか?」
「はい。北斗さんの言う通り、お兄様も服飾を目指していましたので、私も当然お役に立つ為に幼き頃に服飾を学んだのですが……途中で挫折してしまい、それ以来はやっておりません」
「やはり」
「北斗? どういう事なの?」
「はい、瑞穂様。ご説明しますと、アトレお嬢様は才華様に対する負い目のような気持ちを抱いています。その負い目を晴らす為に、これまでアトレお嬢様は自分の時間を才華様に向けていました。そして服飾はデザインにしても型紙にしても大きく時間を割く職業です」
北斗さんの言う通りだ。
服飾は時間を必要とする。デザインにしても、自分の脳裏に思い浮かんだ事を絵として描く為に時間が必要。特に型紙において難しいものほど大きく時間が必要だから、かなり融通がきかない。
「幼くても無意識の内に時間が掛かるものだと分かったアトレお嬢様は、自分が服飾を学ぶ時間よりも少しでも才華様のお役に立ちたいという気持ちが先行してしまい、服飾への熱意を抱けなかったのかも知れません。他の物事においても、才華様が気になっていて集中して物事に当たる事が出来ずにいたというところでしょう」
「あ、あの杉村様。気になったのですが、それではアトレ様は若よりも上に成りたくないと心の奥底で考えているように聞こえます。ですが、アトレお嬢様のお菓子作りの腕は若よりも上です」
「本気で才華様が菓子職人、君達で言うパティシエを目指しているなら、アトレお嬢様は無意識に腕を落としていたと私は考える。だが、才華様が目指しているのはルナ様と同じ世界的なデザイナーだ。目指していないものなら腕が多少は上でも問題ないと無意識に思っているのだとすれば納得できる。しかし、やはり本気で集中している訳ではないのだから、当然腕は磨かれない」
「……うぅ……こうして指摘されると身に覚えがあるような気がいたします。だから、お母様は私にただのアトレとして結果を残せと言ったのかも知れません」
どうやらルナ様もアトレ様の問題を指摘していたようだ。
アメリカに居た時に、これからは甘やかさずに叱るとも言っていた。どうやら今回の件ではそれを実践しているようだ。
「そのルナの事だけど、どうにも日本での事を怪しんでいるみたいよ」
『えっ!?』
「元々今回の朝日を京都に呼んだのは、ルナからそれとなく朝日の通っている学院の事を聞いてくれって頼まれたのもあったの」
「み、瑞穂さん。それは本当ですか?」
本格的に不味い。もしも僕がフィリア学院に通っている事をルナ様が知ったら、間違いなく気がつかれる。
本来なら僕もフィリア学院に通える立場じゃないし……何よりも僕の事情を知っていて精神状態も把握している、ルナ様なら絶対に気がついてしまう。
幸いと言うべきか、瑞穂さんは僕がフィリア学院に通っている事は秘密にしてくれるらしいから、一先ずは一安心だ。でも、油断したらいけない。何せ相手はあのルナ様なんだから。
「ええ、流石に才華君がフィリア学院に通っている事はバレてはいないようだけれど、確実に不審は感じているとは思うの。そもそもアレだけ反抗期だった才華君が、浪人している筈なのに急に遊星さんに相談を持ち掛けて来たんだから」
その事を知っているルナ様からすれば確かに不審を抱いても可笑しくない。
聞いた話では才華様の桜小路遊星様への反抗期は、本当に長いらしい。だと言うのに、日本で浪人している才華様が急に桜小路遊星様に相談を持ち掛けて来たら、確かにアメリカに居るルナ様達からすれば青天の霹靂に近い衝撃を覚えても仕方がない。
現にアメリカで共に暮らしていたアトレさんと九千代さんは、目を見開いて驚いている。
「お兄様がお父様に相談を!? 本当なんですか、瑞穂さん!?」
「ええ、その事を朝日に伝えてってルナに言われたから間違いないわ」
「し、信じられません……アメリカに居た頃の若を知っている身としては、旦那様に相談を持ち掛けるなんて……ですが、本当の事なんですよね、花乃宮様?」
「間違いないわ」
「……改めて自分の未熟さを思い知らされます」
「……私もです」
アトレ様と九千代さんは深く落ち込みながら項垂れた。
「お父様とお兄様の関係の事は知っていましたが……私はお父様よりもお兄様を気にかけているばかりで、お二人の関係修復には乗り出せませんでした。お兄様のご不興を買いたくないばかりに、私は意見を出さずにいました」
「私もです……うぅ、幼い頃からお二人に仕えていたのに従者としての未熟さを痛感します。それなのに小倉お嬢様は……会って間もなかったというのに若に大切な事を教えられて……従者としての差も実感させられました」
「い、いえ。そうお二人とも落ち込まないで下さい。私が才華様に指摘出来たのは、経験からです……それにその経験だって誉められたものではないのですから」
本当に誉められた経験ではないので、二人の尊敬の眼差しが実は結構辛い。
そんな僕を気遣ったのか北斗さんが口を開く。
「話を戻させて頂きますが、これはあくまで私個人の意見として聞いて頂きたい。アトレお嬢様はやはり暫く才華様から離れた方が宜しいでしょう。下手に彼の口から悩みを聞いたりすれば、またぶり返しかねない。急だったかも知れないが、才華様がアトレ様から離れると宣言したのは良い機会になっていると私は思う」
「……そうですね。今の私では本当にお兄様の為に何が出来るのか分かりません。九千代に壱与」
「はい、アトレお嬢様」
「何でしょうか?」
「今の私ではお兄様の悩みを聞く事は出来ません。迂闊に聞いて、お兄様の為になると考えてしまったら私はそれを叶えて差し上げたくなってしまいます。ですから、代わりにお兄様が二人に相談して来た時には私の分まで力になってあげて」
「アトレお嬢様……分かりました。この山吹九千代。全身全霊で若の力になります」
「私もです、アトレお嬢様。それとハラハラした時はすぐにご連絡を下さい。若の状況はご報告して安心出来るようにいたしますので」
八十島さんの言葉に、アトレ様は嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。
確かに才華様の事も重要だけど、アトレさんもアトレさんでまだ心の問題が解消し切れていない。生まれ変わる決意はしているけれど、生まれ変わり切れていない状態にアトレさんはいる。
この問題はやはり少しずつ解消していくしかない。僕も出来るだけ力になるつもりだ。
「何かあったら私にも言って下さい。時々ではありますが、これからは桜の園に行くんですから」
「小倉お姉様……貴女にも本当に感謝を……貴女こそ私の心の師です」
……アトレ様。出来ればその尊敬の眼差しは止めて下さい。何だかちょっと怖いです。
「九千代さん。貴女も内に秘めた想いは、早めに解決した方が良いと私は思う」
「そ、それは!?」
うん? 何だか北斗さんに耳打ちされた九千代さんの顔が真っ赤に染まった。
何の話をしたんだろうか。少し気になるけれど、耳打ちして話しているんだから他人には聞かれたくない話なのかも知れない。
北斗さんは昨日、九千代さんと直接話をしたようだし、その時に何か気がついたのかなあ。
現に一緒に話をした八十島さんは何かを察しているのか、微笑ましそうに九千代さんを見つめている。
「さあ、難しい話は此処までにして朝食を取りましょう。それが終わったら皆で京都の有名な服飾店巡りをしないといけないんだから」
「服飾店をですか? それは何故でしょうか?」
「そう言えばアトレさんには話していませんでしたね。実は私が京都に来たのは、瑞穂さんに依頼している衣装の仮縫いの為と、此方の地方の服飾の流行を知る為だったんです」
「流行ですか?」
「はい……恥ずかしい話なのですが、服飾から離れてしまっていたので、今の流行を私は理解し切れていないのです。それが分かったお父様からの課題で私は、流行を理解する為に色々な服飾店を巡ってレポートを書いたり……し、試着したりしているんです」
「伯父様からそのような課題を、小倉お姉様は受けていたのですか。学業に加え、調査員の仕事。それに伯父様からの課題……滅法大変そうです」
「いえ、大丈夫ですから安心して下さい」
以前の時は桜屋敷でメイド業務をやっていたから、それが無い分、今は比較的に楽だ。
だからと言って気を緩めたりは絶対にしないけど。気を緩めて油断したら、お父様に退学させられてしまうから、適度な緊張感で挑む事が出来ている。
ああ、そう言えばアトレさん達に僕が帰る予定のヘリの便の話をしておかないと。
その説明を聞き終えたアトレさんは悩むような表情をしながら質問して来た。
「ご一緒して宜しいのですか? 有り難い申し出だとは思いますが、その……小倉お姉様の迎えには総裁殿が来るでしょうから」
「昨日の内にアトレさんと仲直りした事は連絡はしておきました。それに同乗しても良いと提案されたのはりそなさんの方からです。それに……良い機会だと私は思います。」
「……分かりました。小倉お姉様の仰る通り、総裁殿に謝罪する良い機会でもありますから、ご一緒させて貰います」
「わ、私もご一緒させて貰います!」
アトレ様と九千代さんは一緒に京都巡りをしてくれるようだ。
それで最後の八十島さんは……。
「私は朝食を食べたら、新幹線で東京に帰らせて頂きます。桜の園に戻り次第、改めて若の事をご報告させて頂きます。その方がアトレお嬢様も安心出来ると思いますので」
「壱与……本当にありがとう。私もお兄様同様に壱与が桜小路家に仕えてくれていた事を心から感謝します。南無南無」
「どうか今日一日を楽しんで、そして健やかにお過ごし下さい、アトレお嬢様」
八十島さんは優し気な眼差しをアトレ様に向けていた。
良かった。これでアトレ様も少しは安心出来るに違いない。僕も八十島さんに感謝の念を送る。
そして朝食が始まった。昨日の夕食でも思ったけど、流石は花乃宮家御用達の旅館だけあって食事も一級品だ。
こんな美味しい京都料理を堪能出来た事に、招いてくれた瑞穂さんには感謝しかない。
「朝日が満足してくれて嬉しいわ」
「此方こそ、こんなに良い旅館に泊まらせてくれた事には感謝しかありません」
「此処の料理は私も気に入っているから……ただ次に来た時は、朝日の料理が私は食べたいわ」
「ご、ご期待に添えるか分かりませんが、頑張ってみます」
「フフッ、それじゃあ夏に期待してるわね?」
其処まで言われたら全力で頑張らせて頂きます。瑞穂さんの味の好みが変わっていないのは、パリで確認済みだ。
「先ほどから気になっていたのですが、小倉お姉様は瑞穂さんに衣装の依頼をしているのですか?」
「はい。瑞穂さんには衣装の依頼をしています」
「最初は違ったのだけど、私としてはあの衣装を着た朝日を沢山の人に見て貰いたかったから、話を聞いた時は嬉しかったわ」
「花乃宮家としてもあの依頼は箔が付くので、朝日から話が来た時は私も喜びました」
「……一体何処で小倉お姉様は瑞穂さんの衣装を着るのですか?」
余り答えたくないけど……アトレさんも来年の『晩餐会』には参加する。なら、此処で話しておこう。
「……『晩餐会』です」
「『晩餐会』? ……もしかして大蔵家の『晩餐会』で!?」
「はい。そうです」
「それは私も楽しみです。瑞穂さんのご高名は私も聞いていましたから、きっと小倉お姉様にピッタリの衣装なんでしょうね」
「ええ、本当に朝日に良く似合うの! アトレちゃんも日本に居るから『晩餐会』で衣装を着た朝日を楽しみに……あっ」
楽しそうに話していた瑞穂さんだったけれど、現状を思い出したのかちょっと顔色が暗くなった。
アトレさんも九千代さん、そして八十島さんも暗くなっている。
やがて瑞穂さんが決意したようにアトレさんに顔を向ける。
「大体のアトレさん達の事情は分かったけれど……これだけは先に言っておくわね。私は才華君がフィリア・クリスマス・コレクションに参加するからと言って、審査には手を抜くつもりはないわ」
……今、瑞穂さんは確かに。
「……瑞穂さん。それはつまり」
「ええ。審査の時に才華君が衣装を着てショーに出ても、審査対象外には私はしないわ」
「あ、ありがとうございます、瑞穂さん!」
事実上の了承の言葉に、僕は思わず笑顔を浮かべてお礼を言った。
良かったあ! もしも才華様の事を知って審査対象外にされたらどうしようかと思っていたけど、瑞穂さんは才華様の事もちゃんと審査してくれる!
これは本当に嬉しい! アトレ様達も嬉しそうに顔を見合わせていた。
「ただ知り合いだからとか事情があるからと言っても、私は審査には手を抜かない。寧ろ厳しい目で見るつもり」
「それでもお兄様の事を審査対象に入れてくれるだけで充分です!」
アトレさんも我が事のように喜んでいた。やっぱり、フィリア・クリスマス・コレクションの審査員に知り合いがいて、しかも才華様の正体を知っている相手だという事は心配事だったようだ。
「さあ、早く朝食を食べてしまいましょう。少しでも多くの服を着た朝日を見たいし、撮りたいもの!」
「うぅ……どうかお手柔らかにお願いします」
「安心して朝日! 最高の写真を撮ってみせるから」
そっちじゃありません、瑞穂さん。
「小倉お姉様の写真……興味が湧いてきます」
湧かないで下さい、アトレ様。本当に恥ずかしいんですから。
ああ、本当に今日はどれだけ撮られてしまうんだろうか? 怖くて仕方がないよお。
シリアスの話は今回で本当に終わりです。
次回こそは朝日写真集編です。
因みにアトレの鎖は多少緩んではいますが、やはり幼初期からの問題なのでふとすれば戻ってしまう状態にあります。