月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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予告通り京都編終わりです!
次回からは久々の学院に戻ります

三角関数様、秋ウサギ様、Laurent様、烏瑠様、dist様、笹ノ葉様、のえる様、誤字報告ありがとうございました!


五月上旬(遊星side)13

side遊星

 

 今、僕は地方の違いを実感させられている。東京でも色々な服飾店を回って流行物の服を20着ほど着たけど、瑞穂さんに案内された店にも沢山の服が並んでいた。

 着物デザイナーで活躍している瑞穂様が選んだお店だけに品揃えは豊富だった。西日本の方で流行物の衣装も数多く揃っている。

 つまり、何が言いたいのかと言うと。

 

「朝日! 次はこの服をお願い!」

 

「小倉お姉様! このゴスロリ服も似合うと私は思います!」

 

 僕は今、瑞穂さんとアトレさんの着せ替え人形になっていた!

 うぅ……本当に辛いよ。本来ならそんなに店の中で騒いだり、沢山の衣装を試着したらいけないんだけど、ちゃんと買う事が決まっていて、しかも瑞穂さんの紹介だからお店の人は文句は言わなかった。

 寧ろ……何故か外で呼び込みをかけてお客さんを1人でも多く入れようとしている。そして……何故か入って来たお客さんは男性も女性も関係なく僕を見て顔を赤らめている。

 ……皆さん。僕は男ですと大声で叫びたい気持ちになった。絶対に出来ないけど。

 

「大変だね、朝日」

 

 閉じた更衣室の外から北斗さんの優しさに満ちた声が聞こえた。

 

「あぁ……な、何とかならないでしょうか?」

 

「気持ちは分かるが、瑞穂様が喜ばれているので我慢して貰いたい」

 

 そうですよね。北斗さんは瑞穂さんの従者だから、其方を優先するのは当然だ。

 ……ただそれでもやっぱり恥ずかしい事には、変わりがない。

 

「しかし、本当に君は着る服全てが似合っていて驚きだ」

 

「ハハッ……かなり複雑です」

 

 全部女性物だから。

 ああ、何でこんなに僕は女性物が似合ってしまうんだろう。本気で嬉しくないよ。

 

「朝日。準備は終わった?」

 

 現実逃避も許されない現状には、もう嘆くしかない。

 着替えを終えた僕は更衣室のカーテンを開けて、外に出た。

 

『オオオッ!』

 

 何で店の中に居たお客さん全員の目が僕に向いているの!? しかも感嘆の声まで出しているし!

 

「す、素敵だわ、朝日」

 

 目を輝かせて見つめないで下さい、瑞穂さん。僕の性別の事は知っていますよね?

 

「本当に良くお似合いです、小倉お姉様。九千代もそう思いませんか?」

 

「は、はい。小倉お嬢様ならモデルとしてもやっていけると思います」

 

 男性モデルなら良いですけど、女性モデルは嫌です。

 

「今思いましたが、お兄様に二枚のデザインを描いて貰い、一着を小倉お姉様に着て貰ってフィリア・クリスマス・コレクションに参加する事は出来ないでしょうか? お兄様とお姉様が一緒の舞台に立てば、最優秀賞を取る事も夢ではないと思います」

 

 ……出来なくはない。個人参加ではなくグループ参加という事なら、学院側も許可する。

 フィリア・クリスマス・コレクションは、ショーでの出番の時に与えられる限られた時間の中で行なう演出も評価対象だから、テーマに合った衣装を二着出してモデルも二人居ても問題はない

 でも……フィリア・クリスマス・コレクションの舞台にモデルとして立つのは僕には無理! と言うよりも女装した僕が出たら、見ているに違いない桜小路遊星様がその場で勢いよく倒れるよ! ルナ様も流石に固まると思う!

 他の事情を知っている人達も言葉を失うに違いない! ……ジャンだけは大笑いしそうだなあ。笑われるのは本当に嫌だ!

 

「いっその事、お兄様に提案してみましょうか」

 

「アトレさん。お願いしますから止めて下さい。私、本当に舞台で人前に出るのは辛いので……どうかモデルにする提案だけは才華様には」

 

「ですが、お姉様と小倉お姉様が一緒の舞台に立てば必ず最優秀賞を取れると私は確信しています。その証拠に」

 

 アトレ様は周りを見回し、僕も周りを見てみた。

 

「あの子、綺麗ね。何処かの芸能人さんかしら?」

 

「見た事が無いけど、もしかして雑誌のモデルじゃない? ほら、カメラ持っている人が一緒にいるし」

 

「一緒に居るお方に見覚えがあるな。個展を開いている花乃宮瑞穂さんじゃないか。もしかして彼女の専用のモデルさんなんじゃ」

 

「今着ている服良いわね。ちょっと私も見てみよう」

 

 興味津々と店に来ているお客さん達は、僕らを見ていた。

 その殆どがモデルだと思われている僕に対する高評価で……思わず顔を両手で覆って背を向けてしまった。

 

「まあ、恥ずかしがって可愛い」

 

「演技に見えない。という事は、本気で恥ずかしがっているという事か。今どきあんな純粋な子がいるなんて」

 

「北斗」

 

「はい。常に周囲を警戒していますので、ご安心下さい、瑞穂様」

 

 明らかに男の人の視線が僕に向いているのを確認した瑞穂さんは険しい顔をしていた。

 東京、イギリスで男性にナンパされ続けたトラウマで心が痛い。

 

「お兄様も外に出た時には何度かナンパされておりましたが、小倉お姉様はそれ以上に男性の方々に熱い視線を向けられています」

 

「若もお綺麗でしたが、やはり女性である小倉お嬢様には勝てませんね」

 

 ……僕も男性なんですって言えないなあ。

 何だかもう遊星に戻れないような気さえして来た。いや、何時かは絶対に戻るけどね。

 

「朝日。こっち向いて」

 

「はい、何でしょうか?」

 

 言われて向いた瞬間に、カシャッと言う音が鳴った。

 瑞穂さんの手に持っていたカメラが鳴った音だと気がついたのは、撮り終わった後だった。

 

「やっぱり朝日は写真映りも良いわ。本当に私の専属モデルになって欲しいぐらい」

 

「朝日ほど日本の女性、大和撫子を体現している人物は居ませんからね……少々複雑なところはありますが」

 

 少々ではなく、凄く複雑です、北斗さん。

 

「小倉お姉様。次はこのアトレが選んだゴスロリ服をお願いします。一応流行物なので伯父様の課題には問題はありません」

 

「まあ、これを着た朝日とアトレさんが並んだら姉妹みたいね」

 

「姉妹! それは嬉しいです、瑞穂さん!」

 

「姉妹……ですか……お二人は確かに似ていますから、下手をしたら若よりも姉妹に思われかねませんね」

 

 血縁で言えばアトレさんとは親子に当たるんだけどなあ、僕。

 その事は瑞穂さんも分かっている筈なんだけど、どうやら興奮して忘れているみたいだ。

 ……忘れないでいて貰いたい。大切な事だから。

 取り敢えずアトレさんが差し出して来たゴスロリ服を受け取って、試着室のカーテンを閉める。

 あっ、この白いゴスロリ服、良いな。りそなは黒系のゴスロリ服を好んで着ていたけど、白も良い。汚れとかは目立っちゃうだろうけれど、それでも似合いそうだ。

 ……でも、今着るのは僕なんだよね。しかも更衣室内の鏡で見てみると、本当に似合っているから……悲しくなってしまう。

 桜屋敷に行く前の僕だったら、きっと自殺していたと思う。自前の線引きなんて完全に無意味だ。

 踏み越えてはいけない一線を僕は踏み越えてしまった。潜在意識の奥底までは染まっていないと思う。其処まで染まっていたら、桜小路遊星様になんて申し開きをしたら良いのか。

 彼は僕と違って一線を踏み越えずにルナ様と結ばれたんだ。改めて彼には尊敬の念と対抗心を抱いてしまう。

 そうだ。この行為は彼を超える一歩なんだ。色々と踏み越えたらいけない事には変わらないが、それでも今の僕には必要な事だ。だから我慢、我慢!

 着替え終えた僕は再びカーテンを開ける。

 

「ああ、朝日の清楚さが出て、もう言葉も無いほどに素敵!」

 

「小倉お姉様! 一緒に写真を撮りましょう! いえ、撮らせて下さい! お母様にも送って仲直りした事をお教えしましょう!」

 

 ルナ様に写真を送るのだけは止めてえええええっ!

 仲直りしたことは是非伝えて貰いたいけど、どういう経緯で写真を撮ったのか知られたら……考えたくもない。

 『小倉朝日』の写真を大切にしていたルナ様の事だ。僕の写真が大量にある事を知ったら……。

 

「あっ、そう言えば朝日。言い忘れていたのだけど、朝日の写真を撮っている事はルナも知っているわよ」

 

「……既に手遅れ!」

 

 ああっ、申し訳ありません、桜小路遊星様!

 黒歴史を増やしてしまい、本当に申し訳ありません! 今度会った時は本当に土下座をさせて頂きます!

 

「今のお話はどういう意味なのでしょうか?」

 

「あっ、い、いえ……じ、実は桜小路家のご当主様は学生時代の母の写真を持っているんです」

 

「小倉お姉様のお母様の写真をお母様が!? そのような物があるとは知りませんでした。お兄様同様に私も『小倉朝日』さんの話は『伝説のメイド』と言うお話を今年の『晩餐会』で、お母様がお話しして下さるまで知りませんでしたから。写真があるなんて夢にも思っていませんでした」

 

 僕と桜小路遊星様も夢にも思っていませんでした。

 まさか、知らない間に写真を撮られていたなんて。ただお二人が付き合い始めた頃から撮り始めたようだから、僕の方は写真を撮られていない筈だ。それだけは本当に救いだ。

 ……あっ、でもりそなに撮られた写真が残っていた。

 

「今度アメリカに帰国した時に見せて貰えるように頼んでみましょうか」

 

「私もちょっと興味があります。伝説とまで言われて、それに相応しい功績を遺した『小倉朝日』さんの姿は気になります」

 

 ん? 今九千代さんはなんて言っただろうか?

 伝説と呼ばれるに相応しい功績? はて? フィリア・クリスマス・コレクションでの最優秀賞の事かな?

 

「さ、さあ! 朝日! そろそろ次のお店に行きましょう!」

 

「瑞穂様の言う通り。このお店では充分に着た筈だから、朝日も早く着替えて」

 

「は、はい」

 

 何だろう? 瑞穂さんも北斗さんも急に慌てだしたように見える?

 気にはなるが、確かに早く着替えたい気持ちはあるので言われた通り、僕は着替えた。

 ……伝説と呼ぶに相応しい『小倉朝日』の功績。桜小路遊星様は、ルナ様の衣装以外にも衣装を製作していたのだろうか? でも……フィリア学院では、モデルしかしていないっていう話だったのに……一体何処で製作したのかな?

 

 

 

 

 服を買う事に夢中になっていた僕達は、時刻が何時の間にかお昼過ぎになっていた事に気がつかなかったので、少し遅い昼食を取っていた。

 その中で学院の話が出て、瑞穂さんと北斗さんは懐かしさを感じながらもやはり何処か複雑そうに聞いていた。

 

「やっぱり変わってしまって少し残念ね」

 

「ええ、我々が通っていた時は服飾だけだったというのに、今では多くの科が存在しているのですね。少々複雑ではありますが、年月の経過を感じます」

 

「服飾だけのフィリア学院ですか」

 

「ええ、当時は女学院だったのだけど、二年目からは設立者であるジャン・ピエール・スタンレーさんが男子部門も設立しようって言ったのよ。あの頃は男の人が一緒に学ぶ事に複雑な気持ちはあったわね」

 

「複雑な気持ちですか?」

 

「ええ、アトレちゃんは知らないでしょうけど、当時の私は男性が本当に苦手で近づかれると委縮してしまうほどに怖かったの」

 

 それでも僕がナンパされていた時に毅然と立ち向かってくれたんだから、瑞穂さんは勇気がある人だ。

 

「そう言えばお父様は学生の頃から既に桜屋敷で過ごしていたとお聞きしましたが、瑞穂さんはお父様の事は大丈夫だったのですか?」

 

「え、ええ……遊星さんは良い人だったし、何より……」

 

 学生の間は桜屋敷では『小倉朝日』として過ごしていたそうだから。

 でも、正体が分かっても男性としてフィリア学院に通えることになっても、女装して過ごさないといけないというのは複雑だ。

 ……髪を伸ばして家でもメイド服をナチュラルに着るようになっている僕には、何も言う事が出来ないので何も言わないけど。

 

「実際に遊星殿は良い人物だった。あの方なら瑞穂様の婿になっても、問題はなかったと今でも思う」

 

「でも、ルナとも本当にお似合いだったから、私はそれでよかったと思っているの」

 

「そうですか。お父様もお母様も昔の事は余り話されないので、こうして少しでも聞かせて貰って感謝です」

 

「本当はもっと話してあげたいのだけれど、これ以上話したらルナに怒られちゃうから。『私と夫の昔の話を勝手にするな』ってね」

 

「フフッ、お母様なら言いそうですね」

 

 うん、ルナ様なら本当に言いそうだ。

 瑞穂さんとアトレさんが仲良く話しているのを見ると、僕も嬉しい。いや、親心では決してないんだけどね。

 そう思っていると、アトレさんが僕に話しかけて来た。

 

「そう言えば、小倉お姉様? 先ほど衣装を着ている時に気になったのですが、短いスカートの類は着ないのですか?」

 

「えっ? あ、はい……昨日も言いましたが、私は人前で肌を晒すのが苦手でして……そ、それに……スカートの類にはトラウマがあるんです」

 

「どのようなトラウマでしょうか?」

 

「……い、犬に後ろからスカートを咥えられてめくられた事があって」

 

 全員が同情の視線を向けてくれた。

 アレは今でもトラウマだ。街中で後ろから犬の吠え声が聞こえると、全力でスカートを押さえてしまう。

 あの件はどうやら桜小路遊星様にとっても忘れられないトラウマになっているようで、アメリカに居た時に八千代さんから桜小路遊星様が才華様に、徹底的に女の子のスカートをめくっちゃいけないと厳しく躾けたという話を聞かせて貰った。

 将来男に戻れて僕にも息子が出来たら、何があっても、女の子のスカートをめくっちゃいけないと徹底的に教えよう。

 

「話は変わるけど、朝日。お土産を買いに行った方が良いかしら?」

 

「お土産……ですか? それはりそなさんにでしょうか?」

 

 それは勿論買うつもりでいる。

 

「勿論、りそなさんにもだけど、クラスメイトの方々にも買った方が良いと思うの」

 

「私達の時には表面的な付き合いしかなかったので必要なかったが、クラスメイトとはそれなりに仲良く付き合っているのだろう?」

 

「ええ、そうです」

 

 確かにルナ様と通っていた時よりも、言ってはなんだがクラスメイトの方々は良い人が多い。

 以前の時はあからさまなおべっかを使ってくる人達が居たけど、今のクラスではそんな事は余り無い。才華様も僕も本当に良いクラスメイトの方々と学べている。

 

「それだったらお土産を持って行った方が良いと思う」

 

「遠出をしていないのならともかく、京都まで行ったのに仲良くしている大蔵家の令嬢から何も無かった事が親の方に明らかになれば、侮られる可能性があるからね」

 

「私も買っていった方が良いと思います、小倉お姉様。お兄様からもクラスメイトの方々は良き方々だとお伺いたしていますので」

 

「……分かりました。ですが、何が良いでしょうか? 私はこういった事には不慣れなので教えて頂けると助かります」

 

「お香なんてどうかしら? 桜屋敷に居た時にユーシェも気に入ってくれたから。ほら、朝日のクラスには留学生が居るんでしょう?」

 

「はい、お二人ほど」

 

 うち一人は才華様の主人です。もう一人は全然教室に来てくれませんが。

 

「日本を知って貰えるものだから、きっと喜んでくれるわ」

 

「瑞穂様がお勧めする代物なので、他のクラスメイトの方々にも喜んで頂けると思う」

 

「……分かりました。それでは其方をお土産にさせて頂きます」

 

 皆喜んでくれるかな?

 喜んで貰えたら嬉しい。それとりそなには別のお土産を買わないと。

 此方こそは僕自身が決めて買わないと。りそなは何が一番喜ぶかな? アメリカで買って来たお土産のお酒やお菓子は不評だったから、ちゃんと考えないと。

 

「お香ですか……それは私も気になります。アメリカに居るお父様やお母様にも、日本を懐かしんで貰いたいと思いますし、瑞穂さん。私にもご紹介をお願いいたします」

 

「うん。良いわよ、アトレちゃん」

 

 これからの方針が決まった僕達は食事を終えて、瑞穂さんの案内に従ってお土産を買いに行った。

 ……その後に待っている服飾店巡りを思うと……凄く気が重い。でも、今日で当初の予想を超えて50着以上は着れそうだ。そうなれば、精神を回復させながらゆっくり残りの数を終わらせられそうだ。

 この苦難さえ乗り越える事が出来れば少しは楽になる。だから、頑張ろう!

 

 

 

 

「あ、あの小倉お嬢様? だ、大丈夫ですか?」

 

「……す、少し……や、休ませて下さい」

 

 九千代さんが心配して声を掛けて来てくれるが、今の僕には答える気力が無かった。

 今、僕らはりそなが手配してくれた大蔵家の自家用ヘリで、東京に向かう道中。

 遂に精神的に限界を迎えた僕は、椅子に座って真っ白になっていた。フフッ、もう男としての自尊心なんて僕には無いよ。

 瑞穂さんとアトレさんに着せ替え人形にされ、それでも何とかレポートだけは必死になって書いた。書けなかったら、その分が無駄になってしまう。だけど写真の枚数は……昨日の分も合わせると確実に百枚を超えてしまった。

 お父様から出された課題で着る予定の枚数よりも、多く撮られてしまったが。

 

「後……43着……後43着で終わる……カリンさんやりそなさんなら……一枚ずつで済む……それで課題は終わり」

 

「じ、自己暗示……重症ですね」

 

 すみません。今は自己暗示を掛けないと遊星としての自分が死んでしまうほどに追い込まれているんです。

 大丈夫。大丈夫。この後は男性物を着れば良いんだ。そうすれば、遊星としての自分は無くならない。

 いや、絶対に無くさないけどね。僕は大蔵遊星。

 

「……も、もう大丈夫です」

 

 顔を上げて心配そうに僕を見ていた九千代さんに声を掛けた。

 九千代さんは安心したように笑みを浮かべてくれた。

 それを確認した僕は、席に座ったまま窓の外を眺めているアトレさんに顔を向ける。緊張しているのか、アトレさんの表情は硬かった。

 その理由は考えるまでもない。これから向かう先には、りそなが待っている。

 才華様の方は、先に桜の園に戻った八十島さんの方から連絡があったので落ち着いたが、りそなと喧嘩中のアトレさんにとっては会うのには思うところがあるだろう。

 かと言って、この件に関しては僕の事が関わっているので口を出す事が出来ない。本当に才華様に頑張って貰うしかない。

 

「……見えてきました」

 

 アトレ様に言われて僕も窓から外を覗いてみる。

 ヘリの発着場に確かに近づいていた。りそながあそこで待っている。

 そう思うと、僕もアトレさんや九千代さんと同じように緊張して来た。どうか穏便に事が終わって欲しい。

 発着場に降り立ったヘリから僕達は降り立ち歩いて行く。

 そのまま出入り口に辿り着き、その先に一台の黒塗りの高級車が止まっていた。

 運転手の人が扉を開けて、出て来た人を見たアトレさんは息を呑んだ。出て来たのはりそなだった。

 

「……朝日。帰りますよ」

 

「あ、あのりそなさん。ア、アトレさんと九千代さんは?」

 

「そっちはあの巨人のメイドが迎えに来ます」

 

 一緒に帰るつもりはないようだ。

 

「あ、あの叔母様!」

 

「……何ですか?」

 

 不機嫌そうにしながらも、りそなはアトレさんに顔を向けた。

 話を聞く気はあるようだ。

 

「……お兄様と同様に……わ、私も謝って済まされない事をしてしまいました……そ、それでも言わせて下さい。ごめんなさい、叔母様!」

 

「……ルナちょむから結果を出せと言われたそうですね?」

 

「は、はい……桜小路アトレとしてではなく、アトレとして結果を残せと確かに言われました」

 

「私は今年のフィリア学院で開催されるコンクール関係の審査員から外れています……まあ、それでも文化祭でパティシエ科が出すお菓子は食べれます」

 

「叔母様!」

 

「……甘ったれを卒業した甥のように、貴女も頑張りなさい」

 

 不機嫌そうな声で素っ気ない態度だ。

 だけど、りそなはやっぱりアトレさんを嫌っている訳じゃない。その事が分かった僕は嬉しくなって笑顔が浮かんでしまう。

 

「朝日! 何してるんですか!! 早く帰りますよ!」

 

「はい! りそなさん! それではアトレさん、九千代さん。また、明日」

 

「はい。小倉お嬢様」

 

「また明日お会い出来るのを楽しみにしています、小倉お姉様」

 

「こ、小倉……お、お姉様」

 

 あっ、先に車に乗ったりそなが身体を震わせている。

 怪しまれる前に車に僕は乗り込み、アトレさんと九千代さんに最後に窓越しに頭を下げると車が発進した。

 ……これから言われる事を考えると……凄く気が重い。

 

「……なんて呼び方をされているんですか。全く」

 

「うぅ、その事に関しては弁解したい気持ちはあるんだけど……出来ないよね」

 

「まあ、貴方の今の立場では仕方がないのは分かりますが……血の繋がりで言えば娘に当たる相手に、お姉様と呼ばれ、その正体が実はですからね……流石に妹も笑えなくなってきました」

 

「僕はもっと笑えないよ」

 

 アトレさんと一緒に露天風呂に入った事は内緒にしておこう。

 

「そうだ、りそな。伝えておかないといけない事があるんだよ」

 

「何ですか? これ以上頭が痛い報告は聞きたくないのですが、聞かないと不味い話なのでしょう?」

 

「うん。どうにもルナ様が怪しんでいるみたいなんだ。瑞穂さんを通して僕が通っている学院を調べようとしていたよ」

 

「ああ、やはりそうなっていましたか。まあ、これだけ日本で色々と起きていたら怪しみますよね。あの甘ったれも、長い間の反抗期を終えてアメリカの下の兄に相談したりしていますから」

 

「どうしようか?」

 

「まあ、京都の人も事情を知って誤魔化してくれるそうですし。そろそろ夏も近くなって来ましたから、ルナちょむはコレクションの準備で忙しくなります。アメリカに居る、ルナちょむが真実を知る為には、あの巨人のメイドや京都の人に頼むぐらいしか方法はありません。最悪の場合は、今貴方が撮っている写真をあげて気を逸らせば良いですし」

 

「それだけは本当に止めて。桜小路遊星様には、写真を撮っている事は知られたくないよ」

 

「秘密にしないと渡さないと言えば、絶対に秘密にすると思いますよ。アメリカの下の兄の写真を隠していたルナちょむなら」

 

 うん。隠してくれるだろうけれど、それでも女装写真が残るのは事実だから嫌だなあ。

 

「とにかくルナちょむの方は、上の兄と妹に任せて下さい。貴方とルナちょむが会話する方がバレかねません」

 

「うん。分かってる」

 

 ルナ様は僕の考えを読み取るのが得意だったからなあ。

 それでも男性だとはバレずに済んでいたんだけど、他の事では大抵読まれていたから。

 りそなの言う通り、暫くはルナ様と話すのは止めておこう。幸いと言うべきか、アトレさんの事で僕の心情を心配してくれたのか、直接電話を掛けて来る事はなさそうだ。電話が掛かって来られたら、僕の方が申し訳ない気持ちで一杯になってしまうし。

 流石はルナ様。

 

「ルナちょむの方は取り敢えずその方針で。問題は他にもあります。明日はやっぱり戻って来ますよ。あの総学院長が」

 

「う~ん。個人的には会いたいなあ」

 

 だって、約束を覚えてくれていたらジャンの話をしてくれる。本当に楽しみ。

 りそなは僕の様子に深い溜め息を吐いた。

 

「会いたい理由は分かっていますが、油断だけはしないで下さいよ? 本当なら重要なイベントでも無い限り、フィリア学院に戻って来ないあの総学院長が、明日戻って来るんですから。これだけで妹からすれば油断ならない」

 

「狙いとしてはやっぱり才華様かな?」

 

「あと、貴方ですね。あの総学院長は貴方を『支える者』と呼んだんでしょう? 上の兄の娘という立場に居ますから強引な手は使って来る事はありませんが、それでも何とか手元に置こうとはあの総学院長なら考えそうです。実際、妹の目から見ても貴方の実力は一か月前よりも上がっていますし」

 

 自分でも上がっている実感はあったが、こうしてりそなに言われると嬉しくて仕方がない。

 

「言っておきますが、妹は貴方を渡すつもりはありません」

 

「うん。僕もラフォーレさんの言う通りになるつもりはないよ」

 

 あの人が言うデザイナーとしての完成形はジャン。

 ジャンを本気で作ろうとしているのは一か月前の会話で分かった。だけど、僕はどうあってもあの人の考えを受け入れる事は出来ない。

 僕にとっての完成形。それは……超える事を誓っている桜小路遊星様なんだから。




『瑞穂とルナの会話』

『そうか。朝日が通っている学院は、バーベナ服飾学院か』

「ええ、そうよ、ルナ。お友達の写真も見せて貰ったから間違いないわ」

『全く朝日は魔性の女だな。あっさり友達を作ったり、アトレとも仲直りしてしまい……心配したこっちの方が馬鹿みたいじゃないか』

「フフッ、そうね。本当にアトレちゃんと朝日は仲良くなっていたわ。お姉様なんて呼ばれていたのよ」

『お、お姉様か……それはまた仲良くなり過ぎかも知れないが……まあ、娘でも朝日を渡すつもりは私にはないぞ』

「ずるいわ、ルナ。ルナには遊星さんって言う素敵な旦那さんがいるじゃない。この上、朝日まで狙うなんて」

『朝日は私の恋人だ。今は弱っているから無理強いは出来ないが、回復したら誰にも渡すつもりはない。特に大蔵衣遠とりそなにはな』

「もう……でも、今は良いわ。今はそれよりも頼まれていた朝日の写真の方ね」

『おぉっ、瑞穂に依頼して良かった』

「約束通りルナが持っている写真もコピーさせてね」

『……分かってる。私の写真は大蔵駿我にコピーされてしまった。その事を悔しく思っていたところで、新しい朝日の写真を得られるのなら、断腸の思いで取引を行なおう』

「良かったあ。でも、朝日には内緒よ。こうして写真をルナに渡している事がバレたら、嫌われちゃうかも知れないから」

『言われるまでもない。朝日が恥ずかしがりやなのは、私が一番知っているからな。まあ、朝日が事実を知っても瑞穂を嫌う事はないから安心しろ。何だったら私が頼んだ事をバラしても構わない』

「逆にそんな事をしたら朝日に嫌われそうだから、バレた時には謝るわ。ルナから指定された衣装の写真もあるから楽しみにしていてね」

『フフッ、それは確かに楽しみだ。では、そろそろ失礼する』

「ええ、年末に会えるのを楽しみにしているから」

 電話を切った瑞穂は携帯を置く。

「ごめんなさい、ルナ。本当の事を言えなくて」

 真実を今はまだ告げる事は出来ない。その事が分かっている瑞穂は、朝日に言ったようにルナに真実を告げるつもりはなかった。何よりも。

「りそなさんから送られてきたこの写真の事は、ルナにも知られたくないの!」

 目を輝かせてパソコンに映っている写真の数々を瑞穂は眺める。その頬はポオっと赤らんでいた。

「才華君も綺麗ね。でも、これが夢にまで見た本格的なメイクをした朝日。この朝日に似合う最高の衣装を必ず私が仕上げて見せる。待っていてね、朝日!」

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