月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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連続投稿です。
漸く学院編に戻りました。

笹ノ葉様、烏瑠様、秋ウサギ様、つり乙の会様、障子から見ているメアリー様、誤字報告ありがとうございました!


五月上旬14

side才華

 

「……出来た」

 

 GWが明けた日の早朝。描き上げた一枚のデザイン画を前に、僕はこれまで一度も感じた事が無いほど充実感を感じていた。

 ハッキリと言える。このデザイン画は僕がこれまで描いて来た中で最高の出来だ。

 これなら小倉さんにも喜んで貰えると思う。ルミねえの衣装のデザインは、まだ完成していない。此方は着て貰う予定の文化祭までにはまだ時間がある。何よりもルミねえがどんな種類のデザインに関心を持って貰えるのか調べないといけない。

 これまでは僕のデザインから製作した衣装なら、それだけで喜んでルミねえは着てくれただろう。だが、今回はそれでは駄目なんだ。

 お父様が言う、ピアノを弾く時にルミねえが思わず心を昂らせてしまうほどの衣装を製作しなければならない。そうでなければ、今のルミねえは子供の頃のように楽しんでピアノを弾いてくれない。

 思えば、僕は今のルミねえはどんな好みを持っているのか深くは知らなかった。それを知ってからルミねえに着てもらう衣装を創造するべきだ。

 

「取り敢えず、このデザインの画像をお父様とお母様に送らないと」

 

 今までで最高のデザインだ。きっと二人とも驚くに違いない。

 お父様はともかく、お母様にデザインを見られるのは緊張する。

 あの人は小倉さんをとても気にかけているから、デザインが気に入らなかったら駄目出しを確実に貰いそうだ。

 でも、僕はこの服を小倉さんに着て貰いたい!

 お母様が反対しても、僕はこのデザインから製作した服を小倉さんに贈る!

 そう固く誓って、パソコンを起動させた。

 

「……」

 

 パソコンの画面を見たと同時に思わず唸り声を上げてしまった。

 先ほどまでの充実感が消えて、どうして僕は疲れてしまったのだろう。

 それはエストから届いたメールの件名を見てしまったから。燦々と輝く『日本にいるならはよ会いに来いやこの最低野郎!(意訳)』の文字列。無茶を言わないでくれ。

 溺れた彼女を僕が助けた事になって以来、同じ内容のメールが一週間に一度は送られて来る。正確には微妙に内容が違う。より過激に、口が悪くなっていく。

 しかも今回はアトレの件や、隠していた小倉さんの事まで知られているから……きっと内容はこれまでよりも過激になっているのが容易に想像できる。

 小倉朝陽として『才華様から相談されました』、なんて注意するのは駄目だ。

 そんな事をすれば『言いたい事すら私に言えず、あまつさえ女に相談するとは何事じゃいこの腰抜け(チキン)』と言う返信が容易に想像できる。

 ……腰抜けと言われても仕方がないけれど、今は朝の準備で時間がないから、メールは夜に確かめよう。うん、何も朝から傷つく理由はない。うん。だって怖いし……何よりもストレスになってしまいそうだ。

 せっかくお父様との会話でストレスが下がって調子が良いのに、また戻ってしまうのは本当に不味い。今日から学校なんだから尚更に。

 

「ひゃほほほほほほ! 学院の始まりだぜえええええ!」

 

「おはようございます、朔莉お嬢様。また、変なキャラですね。ところでGW中にお話ししていたホワイトタイガーの件ですが、お喜び下さい。ホワイトタイガーの値段は200万程度だそうです。日々の食事代も3000円程度とありました。屋上庭園に檻を設けましょう」

 

 当然のように八日堂朔莉は待ち構えていた。テンションがかなり高めだ。今度はどんな役をやるつもりなのだろうか?

 気にはなるけど、今はそれよりもと僕は周りを見回した。

 

「アトレさんと九千代さんなら居ないわよ」

 

 相変わらず鋭い人だ。変態なのに。

 でも、頼りになるんだよね、この人。本当に。

 

「そうですか」

 

 アトレが来ていないか。てっきりGW中のように僕に会いに来ると思っていた。

 まさかと思うけど、先に学院に行って小倉さんに会うつもりじゃないよね? 九千代からメールが来ていないから、今のところは大丈夫だと思うんだけど、どうにも心配だ。

 これ以上、アトレが小倉さん関係で何かを引き起こすのは本当に危ない。事前の報告で伯父様も動いている筈だ。その事は九千代も知っている。だから、大丈夫だと……思いたい。

 

「何か良い顔になっているけど、問題解決の糸口でも見つけられた?」

 

「ほんの僅かばかりですが、何とか」

 

「そう。頑張ってね。相談があったら乗るから」

 

 それは助かるなあ。

 お父様は何時でも相談に乗ると言ってくれていたけど、一人だけに相談し続けるのは、また甘えに繋がりかねない。

 演劇の件もあるし、時々は彼女と二人で話してみよう。変態行為には要注意だが。

 

「ありがとうございます、朔莉お嬢様。ところで例の映像ディスクは返した方が宜しいですか?」

 

「ああ、アレね。別に良いわよ、返さなくても。元々コピーしたものだから」

 

 それは助かる。あの映像ディスクに映っている、ルミねえの演奏も一応デザインの参考にはなる。

 特にメリルさんが用意した衣装は、勉強にもなるからなあ。流石はお母様と同じ世界的なデザイナーだ。

 

「ところでエストさんもルミネさんの演奏を見たんでしょう? どんな感想だった?」

 

「……途中で寝ていました」

 

 代り映えしない曲は、本当に人を眠りに誘ってしまうのだと知った瞬間だった。

 

 

 

 

「美味しい。朝陽の作ってくれたフィッシュ&チップスは、ロンドンで過ごしていた頃に食べていたものよりも美味しい」

 

「お嬢様の故郷の料理で認められるとは光栄です。ありがとうございます、我が主人」

 

「朝が気持ちいいと、一日を明るく過ごせるよね。今日もデザイン頑張ろうっと」

 

 八日堂朔莉と別れた後、主人の下へと辿り着いた。

 怒りのメールを送ったのにも関わらず、エストは爽やかなまでにご機嫌だった。

 と言うか、甘えたり拗ねたりはあっても、この主人は朝の機嫌が基本的に良い。桜小路才華に憤怒のメールを送った翌日でも、小倉朝陽に対してはにこやかで朗らかなのが常だ。

 それが意味する事は、彼女にとって桜小路才華は悪い意味で特別という事ではないだろうか?

 本気で不味いんだけど。このままではフィリア・クリスマス・コレクション後には、僕は自分の血で沈みかねない。僕自身よりも、エストが犯罪を犯してしまうのは本当に申し訳ないから。

 

「あ、朝陽。何だか、顔色が悪いけど、もしかしてまた調子悪いの?」

 

「いえ、大丈夫です。何とかストレスは下がったので。体調はかなり回復しています。これはその証拠です」

 

 僕はエストに渾身の力作であるデザインを差し出した。

 

「ん? 何かな?」

 

「小倉お嬢様に贈る予定の衣装の新しく描いたデザインです」

 

「あれ? 完成していたんじゃなかったの?」

 

「気分が変わる出来事がありましたので、新しいデザインを描いてみました。自分で言うのもなんですが、これまでのデザインの中で最高の出来だと自負しています」

 

「へえ~、朝陽が其処まで言うぐらいか。フフッ、主人として採点してあげる。どれどれ……」

 

 エストは受け取ったデザインを見た瞬間、固まった。

 フフッ、どうかな、エスト? 僕のデザインは?

 

「えっ? えっ? こ、これ? 朝陽が描いたの?」

 

「はい、私が描きました、いかがなされましたか、お嬢様?」

 

 分かっているけど、少し意地悪をしてみた。

 さて、彼女はこの後、どう反応するだろうか?

 ワクワクしながら見ていると、ガクリとエストは項垂れた。

 

「……ま、負けた」

 

「お嬢様が敗北を宣言してくれました! 小倉朝陽! 完全勝利です!」

 

 アメリカ時代から続いていた勝負は遂に、僕の勝利で終わった。

 

「うぅ、朝陽の意地悪」

 

「今は大変気分が良いので、何でしたら優しい私になって差し上げましょうか?」

 

「それだけはノーオォォォッ!」

 

 そんなに怖いか、優しい僕は?

 

「でも、本当に良いデザインだと思う。どうやってこんなに良いデザインを描けたの?」

 

「人間、追い込まれたら限界を超えられるものなのだとシミジミと思いました」

 

「うん。ごめん。もう言わなくて良いよ。辛かったよね、朝陽」

 

 本当に辛かったから思わず遠い目をして語ってしまった。

 何とかGW中に調子が戻って良かった。もしも戻ってなかったらGW明けに、僕は自室で寝込んでいたかも知れないから。

 本当にありがとうございます、お父様。

 

「それでお嬢様。そろそろ時間ですので、食事を終わらせてしまいましょう」

 

「えっ、もうそんな時間? あっ、本当だ」

 

 少々長話をしてしまったようだ。食事を急いで終わらせないと。

 因みに僕の食事だけは胃に優しいものにした。エストには悪いけれど、暫くは同じ食事は控えさせて貰おう。

 だからと言って、食事中に大あくびをするのは見過ごせない。漸く成果が出て来ているのだから、また原始人に戻られるのは困る。

 なので大きく開いている口へハバネロを投げ込んだ。

 

「エスニック!」

 

 

 

 

おふぁほうらいは(おはようございます)ふひははん(梅宮さん)ほふぁほひひふえんひへふね(今日も良い日ですね)

 

「え、アイルランドの言葉? 何を言っているのか分からないけど」

 

「梅宮様。エストお嬢様は、『おはようございます、梅宮さん。今日も良い日ですね』と仰っています」

 

「グゥゥーー!」

 

 エストが親指を立てて突き出した。

 本来ならはしたないと窘めるところなのだが、流石にハバネロはやり過ぎた。来る前に水で冷やしたけれど、エストは教室へ着いても唇が腫れていて、言葉を上手く喋れずにいた。

 

「そうなの? じゃあ、おはようエストさん。あ、そうだ。エストさんと朝陽さんにもこれ上げる。この連休はシンガポールで過ごして来たから、お土産のマーライオン」

 

「泊まったホテルのデザイン最高だった……」

 

「ふぁー!」

 

「言葉を口に出来ないお嬢様の通訳をいたします。お土産ありがとうございます。海外旅行だなんて、素敵な休日の過ごし方をされたのですね」

 

「海外だもんね、すこぶる凄い! 私達なんて、二人で買い物へ出かけただけ」

 

「でも楽しかったよね! いっぱい洋服を買っちゃった。恐らくこの連休だけで、30万近く使ったんじゃない?」

 

「新しい洋服ですか? もし画像があれば拝見しても宜しいでしょうか? 二人の普段着る服を是非見てみたいです」

 

「あ、だったら私が買った服も見て! シンガポールだけじゃなくて、香港や上海にも寄り道したんだけどね、素敵な服がいっぱいあったの。チャイナドレスなんかも買ったよ!」

 

 チャイナドレスか、梅宮伊瀬也に似合いそうだ。それに僕も着てみたい。本場の人間でも魅了する自信がある。

 健康の問題と正体がバレる事の恐れがあるから現実的ではないけれど、一度くらいはエストや同級生の皆と旅行してみたいものだ。勿論小倉さんも入れて。

 

「服を買うと言えば、私達すこぶる見ちゃったの」

 

「あの時の事を思い出すだけで、胸が高鳴ってしまう」

 

「何を見たのですか?」

 

「小倉さんが色々な服を着ているところ!」

 

 えっ!?

 

「偶然入ったお店の中で、小倉さんが店員さんに服を選んで貰って着ていたの! もうその時のことがすこぶる凄くて!」

 

「おそらく私達を含めた店に居た誰もが、小倉さんに見惚れていた。そのぐらい色々な服を着ている小倉さんは素敵だったの!」

 

 それは是非とも見てみたかった!

 制服姿やメイド服姿の小倉さんも素敵だけど、やっぱり他の衣装も着た小倉さんを見てみたい!

 是非とも話を聞こうと思い、教室内を見回すが……まだ来ていなかった。

 

「小倉お姉様。今日は何時も来る時間帯に来なくて」

 

「てっきりもう教室に来ていると、私達も思っていました」

 

 僕と小倉さんの親衛隊を自称している飯川さんと長さんも、まだ小倉さんを見ていないようだ。

 朝礼までまだ少し時間があるけど、あの人が遅いのは珍しい。

 そう思っていると、梅宮伊瀬也が僕らに話しかけて来た。

 

「あ、それで二人は? どんな休日の過ごし方をしたの?」

 

「私とお嬢様は三日は、地下であった映画の撮影を見に行ったり、次の日は出掛けましたが、残りの二日はデザインしていました」

 

「映画の撮影なんてあったんだ! 凄いね。私達は三日にはもう日本には居なかったから……あっ、そう言えばエストさん」

 

「何でしょうか、梅宮さん?」

 

 あ、エストの唇が回復した。

 

「例の電話で言っていた件は、どうなったの?」

 

 例の電話? エストは休日中に梅宮伊瀬也に電話を掛けていたのか。

 

「旅行中だったのに急に電話して、すみません。梅宮さんも頑張っていましたから、話だけは通しておいた方が良いと言われたので」

 

「ううん。それは良いの。それでどうだった?」

 

「彼方の方はちゃんと話を聞いてくれたのですが」

 

 エストは教室内を誰かを探すように見回した。

 梅宮伊瀬也も教室を見回すが、やがて残念そうに溜息を吐いた。

 

「来てないって事は駄目だったのかな? せっかくエストさんが頑張ってくれたのに」

 

「まだ、朝礼までは時間があります。諦めたら駄目ですよ?」

 

 ……何だろう? 完全に僕は蚊帳の外に置かれている。

 梅宮伊瀬也とエストの間に何があったのだろうか? 気になる。

 でも、従者として立場を考えると、此処で割り込むのは不味いので黙っている。

 

「でも、他の日はデザインしていた……って、外へ一歩も出なかった訳じゃないでしょ?」

 

「いえ、出ませんでした。渋谷まで出れば人も多いのですし、流行を見聞する意味でもお嬢様には買い物を勧めたのですが、ついつい二人で朝から晩まで夢中になってしまいました」

 

「食事の時間以外はずっとデザインしていたね。とても楽しかった。付き合ってくれてありがとう、朝陽」

 

「いいえ、私にとっても至上の時間でした」

 

 本当にあの時間は助かった。デザインしていれば、ストレスも低下するし。エストには感謝しかない。

 ただ……どうしてエストは、僕と二人の時だけしか、あの素晴らしいデザインを描かないのだろう。

 あのデザインを授業でも披露すれば、この教室の中心人物になれるほどの実力を秘めているのに。今の僕のデザインとまではいかないが、エスト本来のデザインも大変素晴らしいものだ。

 だと言うのに、エストは教室では絶対に本来のデザインを描かない。一体何故なのだろうか?

 

「朝陽は、私の唇を見てどうしたの?」

 

 その主人は、妙な勘違いをしてる。腫れが引いたから見ていただけだ。教室で色気を出さないで欲しい。

 まさか、僕まで顔が赤くなっていないか心配していると、梅宮伊瀬也を始め、同級生達がぽかんとしている事に気がついた。

 

「二人とも、本当にデザインが好きなんだねー」

 

「はい、大好きです、成功したい夢もあります」

 

 エストは真っ直ぐだ。その真っ直ぐさを利用している自分に罪悪感を覚える。

 

「そ、そっかあ。成功するには、遊んでたら駄目かな。そうかもね。そうかも知れない。私、もっと真面目にやらなくちゃね」

 

「世界の服を見てきたのですよね? ファッションの勉強には何よりも大切なものです。買い物も同じです。普通の服を選び、購入する時は、誰もが真剣になります。自分が着るものだから当然です。それがあるからこそ、良いデザインは生まれます」

 

 流石にこの意見は一使用人が言うには言い過ぎなので。

 

「という事を以前に仕えていたプロのデザイナーから教えられました」

 

 これなら僕の言葉ではないから、嫌味もないし説得力も出る筈だ。梅宮伊瀬也の手前『桜小路家の人間の言葉』と言えないのは辛いところだけど。

 

「お嬢様にも、部屋へ閉じこもるのではなく、買い物も積極的にしていただきたいのです。私が夜しか出かけられない為に、足止めしてしまっているのですが」

 

「ないよ、そんなことないよ。部屋に居た方が自由な格好で居られて楽だというだけ」

 

 まさか僕の居ないところでは、相変わらず全裸でデザインしているのか。衣服を完全否定するデザイナーだ、エストは。

 

「と言う訳で、皆様も、私とお嬢様も、デザイナーとして価値ある休日を過ごせたという事です。勿論、この場に居ない小倉お嬢様も買い物をしていたのなら価値ある日を過ごせていたと思います」

 

「そう言って貰えると嬉しい。ありがとう。今日もデザイン頑張ってみる」

 

 どうやら梅宮伊瀬也は元気が出たようだ。良かった。

 ……ところで大津賀かぐやが、僕を今にも涎が垂れそうな目で見ている。彼女は無視した方が喜ぶので、このまま放置しておこう。切なさに満たされてくれ。

 

「……おはよう、ございます」

 

 教室の扉が開く音と共に、小倉さんの声が聞こえて来た。

 今日は遅かったなと思って教室内に居る全員が、小倉さんに目を向け……固まった。

 

「み、皆さん、どうされました?」

 

 ……それは寧ろ、僕らが聞きたいです。

 何でGW明けの貴女は……そんなに疲れ切った顔をしているんですか、小倉さん?

 

 

 

 

side遊星

 

 GWが終わって久々の学院への登校。

 僕の精神は……疲弊し切っていた。本来なら元気に僕も登校したかったよ。

 でも、今は無理。今日は絶対に休む訳にはいかないから、気力を振り絞って学院に来た。

 だけど……もう限界。自分の席に座ったと同時に、僕は机に倒れ伏した。一緒に来たカリンさんも隣に座る。

 

「……難儀ですね」

 

「……はい。嫌になってしまうほどに難儀です」

 

 お嬢様らしくないかも知れないけれど、今はその事さえ気にしていられないほどに僕は疲弊している。

 カリンさんも察してくれているのか、何も言わないでくれている。寧ろ車に乗っている間は、優しく慰めてくれていた。優しさが骨身に染みました、ありがとうございます、カリンさん。

 でもやっぱり回復し切れていないので、机に倒れ伏して顔を上げる事が出来ない。

 すると、僕の周りに同級生達が集まって、代表して梅宮さんが声を掛けてくる。

 

「こ、小倉さん。大丈夫?」

 

「は、はい。大丈夫ですよ、梅宮さん。す、少し疲れが残っているだけです」

 

「少しとは思えないけど」

 

 そんなに今の僕は疲れ切った顔をしているのだろうか?

 いや、こうして教室内のクラスメイト達やエストさんや才華様までも心配して集まって来ているのだから、自覚している以上に僕は疲弊しているようだ。

 こんな事になった原因は分かりきっている。朝にあったお父様からの電話が全ての元凶だ。

 たった一本の電話が、朝だというのに此処まで僕を疲弊させる事になった。

 

『おはよう、我が娘』

 

「お、おはようございます、お父様」

 

 電話から聞こえて来た声に、僕はアトリエの中で身体を震わせた。

 嬉しさからではない。恐怖からだ。アメリカから帰国した当日のホテルであった出来事を思い出してしまう。

 こ、これは……も、もしかして……。い、いや……だ、大丈夫……だと思いたい。

 

「ほ、本日はど、どのようなご用件なのでしょうか? わ、私はこ、これから学院がありますので、あ、余り長いお話はで、出来ませんが」

 

『ククッ、何を脅えている? 俺はお前のメールを見てアトレと仲直りした事を誉める為に電話をしたに過ぎん。何処に脅える必要がある?』

 

「そ、そうですよね! 申し訳ありませんでした、お父様!」

 

 よ、良かったあ! お父様はどうやら怒っていないみたい!

 ほ、本当に良かったよお。思わず涙が浮かぶぐらい嬉しい。だって、前の時は怒って本格的なメイクをさせられることになった。

 今度もまさかという気持ちがあった。だが、どうやら違ったようだ。疑ってごめんなさい、お父様。

 

『才華からも連絡が来て、万が一を考えていたが全ては杞憂だったようだな。この点については流石と言おう我が娘』

 

「いえ、元々は私が悪いのですから。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

 

『アトレの問題は放置をしていた我々の問題でもある。その問題に少なからず良い影響を及ぼしたのは間違いなくお前の功績だ。この点に関しては褒めるしかあるまい』

 

 ああ、嬉しい気持ちに包まれます、お父様。

 

『そして例の課題も予想よりも遥かに進んでいるようだな。お前のやる気には感心するぞ。まさか、五月も始まったばかりで既に半分以上を終えたのだからな』

 

「それは瑞穂さんのおかげです」

 

 複雑ではあるが、瑞穂さんが沢山の衣装を用意してくれたり、服飾店の方に頼んでくれていたから予想を超える数の服を着る事が出来た。

 ……その全てが女性物で、撮られた写真の枚数が百枚を超えた事は今は考えないようにしよう。考えたらまた落ち込んでしまう。

 後、43着。43着で終わる。自己暗示を掛けて耐えよう。それに残りは男性物を少しでも多く着れば心も回復する。

 

『それでだ。どうやら貴様には百着程度の数は、簡単にこなせる課題にすらならないものだったようだ』

 

 えっ?

 

『俺とした事が貴様が弱っている事で、知らず知らずの内に甘くなっていたようだ』

 

「お、お父様……な、何を仰っておられるのでしょうか?」

 

『ククッ、聞きたいか?』

 

「……出来れば聞きたくありませ……ハッ!?」

 

 気がついた。これではまるで三月の時と同じではないか!?

 

『では、教えよう。俺は才華からアトレの件に関する連絡を貰ってから、日本に居る部下にアトレとその付き人の動向を監視させていた』

 

 あっ、この時点で分かった。僕……終わった。

 

『才華がアトレから距離を取った事を、俺は称賛していた。付き人である山吹の姪も説得し、八十島も説得していた。更には最悪の事態を考え、俺にも連絡していた。間違いなく才華は成長している……だと言うのに貴様は一度行なったミスを二度も繰り返した』

 

「ご、ご連絡はいたしました! お父様の忙しさを考えてメールという形にはしてしまいましたが!」

 

『そのメールが来たのは翌日だったな。貴様が京都に着いたのは昼頃。それからあの花乃宮の女の下に向かってから、半日間も貴様はこの俺に動揺を与えていた』

 

 うぅ、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 お父様はアトレさんが京都に向かった事を、僕を陰ながら護衛していた人から報告を受けていたようだ。

 才華様がアトレさんから距離を取った事を僕は知らなかったけれど、知っていたお父様からすればかなり慌てた筈だ。実際に僕に敵意を向けていて、才華様から距離を取られていたアトレさんなら、最悪の事態も考えられる。

 その事が分かっていたお父様からすれば、さぞ報告を受けた時は気を揉んだに違いない。

 

『無論、あの花乃宮の女と供には学生時代に護衛をしていた女が今も付き従っている事は報告を受けていたので、最悪の事態は万が一にも起こらないと確信していたがな。だが、それとこれとは別だ。今、重要なのは重大な出来事が起きたというのにお前が報告を怠ったという事だ』

 

「……な、何をすれば宜しいのでしょうか?」

 

 言い訳はしない。心配させてしまった事を反省しよう。

 

『そう脅えるな。アトレの件が解決した後は、花乃宮の女が協力した事で課題が忙しかったのだろう? だからこそ、予想外の早さで半分以上を終わらせる事が出来た。その点は俺も理解している。故に課題の追加だ』

 

 此処にきて課題の追加!

 いや、5月が終わるまで後20日以上はあるから頑張れば出来なくはないが、残り43着分のレポートもあるし……お父様は知らないだろうけれど、りそなに作っている服もある。

 今だって学院に行く前の少ない時間を利用して製作にあたっていた。かと言って無理だなんて絶対に言えない。

 なら必ずやり遂げよう。

 

『どうやら覚悟は決まったようだな。では、課題を告げるぞ。先月貴様の課題に使ったドレスシャツのデザインは残っているか?』

 

「あっ、はい。残っています」

 

 趣味でしかデザインを描かなくなったお父様のデザインだ。

 簡単なドレスシャツのデザインだが、それでもお父様が態々僕の為に描いてくれたんだから、宝物にして大切に保管してある。

 

『そのドレスシャツの製作と今月の課題を10着分増やすのが新たな追加の課題だ』

 

 ……アレ!?

 

「あ、あのお父様。ドレスシャツの製作は分かりましたが……そ、その後の今月の課題10着分増やすと言うのは?」

 

『此方で花乃宮の女に確認したところ、流行物と言えあの女の作品だけで20着以上着たのは減点だ。今回の課題の意図は、お前の流行遅れの解消が主立っている。だからこそ、一人の人物が製作した衣装に偏るのは見過ごせん』

 

 正論だ。お父様の言っている事は正論なので、何も言い返せない。

 寧ろ言い返したりして機嫌を損ねる方が危険だ。10着で済んだ事を今は安堵しよう。

 ……結構辛いけど我慢だ。我慢。

 

「……分かりました」

 

 ……数が増えてしまった。

 後、43着だと自己暗示を掛けて耐えていたのに。自己暗示を掛け直そう。

 残り53着。53着なんだから……無理。

 床に膝を突いてしまった。せ、せめて数日時間をおいて欲しかった。自己暗示が通じなくなった僕は、気力がどんどん抜けていくのを感じる。

 

『では期待しているぞ。それと三度目は無いと思え』

 

「……はい、色々とご心配をお掛けして申し訳ありませんでした、お父様」

 

 そう言って僕はお父様との通話を切った。

 

「……ドレスシャツの製作に、53着の分のレポートと写真……それとりそなのデザインからの衣装制作……」

 

 早朝だと言うのに、もう僕は満身創痍で、精神が削りきられた。

 お父様……ご心配をお掛けしてしまった事は本当に申し訳ありませんでした。ですが……ですが、せめて数日時間をおいて欲しかったです。

 この後、僕は朝食の時間になっても来ないりそなが心配してやって来るまで、ひたすらアトリエの中で自己暗示を掛け続けた。




と言う訳でGW中に頑張り過ぎて朝日の課題が増えてしまいました。
果たしてりそなの衣装が先に作られるのか。衣遠が課題として出したシャツを作るのか。まあ、朝日なら決まっていますが。

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