月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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久々に本格的な学院編の開幕です。
果たして朝日は復活出来るのか!?

秋ウサギ様、笹ノ葉様、烏瑠様、ライム酒様、誤字報告ありがとうございました!


五月上旬(才華side)15

side才華

 

 席に座る小倉さんを中心に集まるクラスメイト達の後ろで、僕とエストは顔を青くしていた。

 此処まで精神的に疲弊している小倉さんを見るのは、初めてだ。暗い小倉さんは良く知っているが、今の小倉さんは暗いと言うよりも疲れ切っている。

 4月中は何時も明るく学院に通って来て、大和撫子を体現していた小倉さんだったのに、今はその面影を感じさせないほどに疲れた表情をして机に倒れ伏している。代わる代わるクラスメイト達が声を掛けているが、顔を上げる元気も無いのか倒れたまま返答していた。

 

「……ねえ、朝陽……まさかと思うけれど、小倉さんの元気がない理由って」

 

「……そ、そんな筈がある訳ないじゃないですか」

 

「だ、だよね。ごめん。思わず考えちゃった」

 

 うん。僕も考えたよ。きっとエストも同じ事を考えた筈だ。

 小倉さんが元気が無い理由に、アトレが関わっているんじゃないかって。

 ……い、いや、それはない筈だ。アトレと一緒に居る九千代からは何の連絡も無かったし、伯父様も動いているんだ。それに本当に何かがあったんだったら、小倉さんは今日学院を休んでいたに違いない。

 一緒に登校して来たカリンも、小倉さんを労わっているけれど、焦った様子は見せていない事から考えて、アトレは関わっていない……と心から思いたい。

 詳しく話を聞きたいが、学院での僕はエストの従者だ。お嬢様の立場に居る小倉さんに何があったのかなんて聞ける訳が無い。

 

「そ、その何があったか分からないけれど、元気を出してね。これシンガポールでのお土産のマーライオン。受け取って」

 

「わあー! ありがとうございます、梅宮さん!」

 

 漸く小倉さんは顔を上げて、喜びながら梅宮伊瀬也が差し出したマーライオンを受け取った。

 それと共に何かを思い出したのか、カリンに顔を向ける。

 カリンは頷くと共に机の下から大きな紙袋を机の上に載せた。

 

「お嬢様方。此方は小倉お嬢様が京都に行ったお土産になります」

 

 京都のお土産? 小倉さんはGW中に京都に行っていたのか。

 でも、4日に山県先輩のリサイタルに参加していたから、次の日に京都に向かったとすると一泊二日の短い旅行をしたようだ。

 そう考えている間に、小倉さんは席から立ち上がり紙袋の中に入っていた箱を最初に梅宮伊瀬也に手渡した。

 

「つまらないものですが、どうぞ受け取って下さい」

 

「ありがとう、小倉さん。え~と、これはお香?」

 

「はい。京都で一番有名なお香だそうです」

 

「そうなの。え~と、箱に書かれているお店の名前は……嘘!? このお店のお香! 最高品質で買うなら紹介が必要なお店だよ!」

 

 箱に書かれている店の名前に梅宮伊瀬也は驚き、他の小倉さんからお土産を渡されたクラスメイト達も驚いて箱を見つめた。

 

「ああ、そ、それは京都でお世話になった人が紹介して下さったので」

 

「その紹介してくれる人だって、凄い人じゃないと受け付けないお店だよ」

 

「そ、そうだったんですか……普通に対応してくれたから気がつかなかった」

 

 どうやら小倉さんにとっても予想外の事だったようだ。

 しかし、京都か。一体小倉さんにお土産を買った店を紹介したのは誰なんだろう?

 

「朝陽、朝陽」

 

 考え込んでいると、小倉さんから箱を受け取ったエストが僕の肩を叩いて来た。

 

「いかがなさいましたか、エストお嬢様?」

 

「うん。お香ってなに?」

 

 アイルランド人のエストには、確かにお香は分からないか。

 いや、幼い頃からアメリカ暮らしの僕も詳しくは知らないんだけど、時々アメリカの実家に訪ねに来た瑞穂さんがお香をお土産に持って来たりしてくれたりしたから少しは知っている。

 

「お香と言うのは外国で言えばアロマになります。元々はインドや中国から日本に伝わって来た物なのですが、日本では好まれているそうです。アイルランド人のお嬢様が知らないのは無理ありません」

 

「アロマか……うん。部屋に戻ったら使ってみるね」

 

「それが良いと思います。私も以前嗅いだ事があるお香は大変気に入りましたので」

 

「此方が貴方のお土産です。どうぞ」

 

 カリンが僕にお香が入った箱を手渡して来た。

 ……出来れば小倉さんに渡して貰いたかったなあ。せっかくあの人を見ても恥ずかしくなって顔が赤くなったりしなくなったのに。

 どうやら僕は漸く克服出来たようだ。とは言え、油断は出来ない。今は追い込まれているから恥ずかしさを感じなくなっているだけかも知れないんだから。

 

「みんなおはよう、連休はどうだった? 先生は女友達と116時間耐久・恋愛ドラマ一気見大会を開催したよ」

 

 壱与はGWはアトレの件もあって桜の園に勤めていたから、付き合わされたのは誰だろうか?

 紅葉はその気になれば、求める男性が山ほど居ると思うのだけど、どうしていつも残念な休日の過ごし方をしてしまうのだろう。

 生徒達からの温かい視線を受けつつ、教壇に立った紅葉はノートを広げた。そう言えば連休中はデザインばかりして、パターンの勉強を余りしていなかった。反省しよう。

 せっかく良いデザインが描けるようになったのに、そのデザインを現実にする為の型紙の方の腕が追い付いていなければ良い衣装は製作出来ない。

 

「それじゃあ出席も終わったので、今日は、パフスリーブの型紙の引き方から……」

 

「おはよう」

 

 そんな連休明けの和気藹々とした空気の中、むっつりとした表情でやって来たのは、クラス一の問題児(女装している僕を除く)ことジャスティーヌ嬢だった。

 後ろには困った顔のカトリーヌさんがくっついている。そう言えば、小倉さんだけじゃなくて何時も誰よりも早く教室に来ている彼女も居なかったと今更気がついた。

 フランス貴族の主従二人は、自分達の席へ向かわずに、何故か紅葉の立つ教壇へ上がった。

 僕とエスト、小倉さんとカリン、そして紅葉を除いた全員が不安そうな表情を浮かべている。この少女が時間通り(数分遅刻だけど)に登校して来ること自体が珍しい。しかも全員から見える教壇の位置に立っているのだから、これから、何か起こるのだと考えるのが自然だ。

 

「カトリーヌ。全員の顔が見えないから肩車して」

 

「わ、わかりました」

 

「私が登校してないって叔父さんに密告したの誰!?」

 

 子供の癇癪のような声が飛んで来た。いや『ような』ではなく、そのまま子供の癇癪だ。

 でも、普通の子供は『密告』って言葉を使わなそうだ。と言うか凄い言葉だね『密告』。恐怖政治みたいだ。

 

「フランス大使館にまで連絡したでしょ! 私の伯母様にまで連絡がいって、すんごい怒られたんだから! 私の伯母様、怒るととんでもなく怖いんだよ! 私の叔父さん、偉い人だって言ったよね!? そんな人まで巻き込んで、絶対許さないから! 誰? あなた!?」

 

「ジャスティーヌさん、止めなさい!」

 

「うるさい! カトリーヌバリアー!」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 カトリーヌさんが腕を伸ばして近づけないようにすると、同程度の身長の紅葉の手はジャスティーヌ嬢まで届かなかった。

 紅葉145㎝。カトリーヌさんも同程度。ジャスティーヌ嬢は更に小さい。小人達の争い。

 

「貴女? それとも貴女!?」

 

 ジャスティーヌ嬢に睨まれて、遊佐さんや温井さんは高速で首を横に振った。睨み返せているのは梅宮伊瀬也だけだ。その彼女も、言い返す事は出来ずにいる。

 こんな時に頼りになる小倉さんは!?

 

「小倉様、小倉様」

 

「……す、すみません、もうちょっとだけ……後一分だけ……後53着……後53着……」

 

 また倒れてるううううっ!!

 本当に僕とルミねえと会ってからの残りの二日間のGW中に、貴女に何が起きたんですか!?

 しかし、不味い。ジャスティーヌ嬢相手に最も頼りになる小倉さんが、まさかのダウンだなんて。完全に予想外だ。

 

「名乗る事も出来ないの? 卑怯者!」

 

「私は卑怯者じゃない!」

 

 ジャスティーヌ嬢の罵りを聞いて立ち上がったのは、僕の隣の席の生徒だった。

 これには周りの生徒だけではなく、何も聞いていなかった僕も驚いた。いや、良く見てみると梅宮伊瀬也と紅葉は驚いていない。小倉さんとカリンは……。

 

「……うぅ……お父様……せめて数日の間が……欲しかったです」

 

「難儀ですね」

 

 まだ無理なようだ。いや、此処まで疲弊しているなんて、一体本当に何があったんですか!?

 アトレが関わっていない事を心から願いたい。

 立ち上がったエストはゴクリと喉を鳴らした。流石に緊張しているのか。

 

「すぐに名乗らなかったのは、口の中に入れた紫芋まんじゅうが喉に詰まってしまったからです」

 

「エストさん。授業の開始が近づいたら、飲食物はしまいなさい」

 

 喉を鳴らしたのは、緊張ではなく、ものを飲み込んだためだった。紅葉が来たから慌てて、喉に詰まったのか。何しているんだ君は。と言うよりも何時の間にまんじゅうを取り出して食べていたんだ。

 すぐそばに居たのに、全く僕は気が付けなかったよ。

 

「またアーノッツの子? 私を怒らせようとするなんてどういうつもり? 伯母様まで巻き込んだからには、ほんとに許さないよ」

 

「せっかく同じ教室で学ぶ仲なのだから、授業を受けて欲しかったの。貴女の叔父様からも、遅刻、欠席があれば教えて下さいと言ってもらえた」

 

「えっ、叔父さんが……」

 

 保護者を味方につけられ、ジャスティーヌ嬢は言葉を失くした。多少の我儘でも聞いて貰える自信があったのだろう。

 

「これからは一緒にデザインを描こうね、ジャス子さん」

 

「ジャス子ってなに」

 

「え? 皆さんがあなたをそう呼んでいたから」

 

 半ば蔑称のつもりであだ名を付けた同級生達は、本人から目を逸らした。その事をジャスティーヌ嬢が理解出来なかったのは幸運だ。

 

「……私が大好きな伯母様から叱られた事は忘れな……」

 

「ま、待って下さい」

 

 か細いながらもエスト以外の声が上がった。

 僕を含めた全員の視線がその声の主に向いた。ゆっくりと倒れ伏していた小倉さんが立ち上がった。

 ……回復したのだろうか? 顔はまだ蒼褪めたままなんだけど?

 いや、今はそれよりも何故小倉さんが声を掛けたのかだ。

 

「ジャスティーヌさんの伯母様の方はエストさんじゃありません。其方は私の方です」

 

「黒い子!? どういう事!?」

 

「私の保護者にジャスティーヌさんの伯母様から連絡があったそうです。ちゃんとジャスティーヌさんが学院に通っているのかと。そして私は保護者に教室でのジャスティーヌさんの様子を話しました」

 

「嘘ッ!? 伯母様の方から調べていたの!?」

 

「はい。わざわざ私の保護者に尋ねたのですから、ジャスティーヌさんの事を心配しての事でしょう。怒られた事を気にされているようですが、寧ろそれはそれだけジャスティーヌさんの事を想っているという証拠だと私は思います」

 

 小倉さんの日本での保護者は総裁殿。前にジャスティーヌ嬢が桜の園で語った話から推測すると、やはりジャスティーヌ嬢があの時に語った相手は総裁殿で間違いないようだ。

 その繋がりから考えれば、姪で、しかもカトリーヌさんと二人だけで日本に向かったジャスティーヌ嬢の事が心配で総裁殿に近況を尋ねても可笑しくはない。

 これでは流石のジャスティーヌ嬢も何も言えない。まさか、彼女が慕っている伯母様に文句を言える訳が無いんだから。

 悔しそうに顔を歪めながらジャスティーヌ嬢はカトリーヌさんの肩から飛び降りると、口を尖らせて自分の席へ向かった。

 カトリーヌさんは周りにぺこぺこと何度も頭を下げながら主人の後を追った。見ていて気の毒だ。

 でも、今はそれよりも。

 

「連休中に一度だけ出かけたのは、ラグランジェ書記官と会う為だったのですか?」

 

「うん。時間を頂けたから」

 

 エストは、やはり自分の故郷に近い出身の人間が恋しかったのか。それともこの人のことだから、単なる親切かもしれない。

 確かにこのまま欠席が続けば、幾ら特待生とは言えど、退学だってあり得たかもしれない。エストの親切さは僕の好むところだし、それでこそ貴族という思いがある。

 

「エストさんがジャス子を登校させた……」

 

 だけど、右へ倣えのこの国には、話を通さなければいけない相手が……。

 

「やったね、エストさん!」

 

 ……アレ?

 僕の予想に反して梅宮伊瀬也は嬉しそうに笑っていた。良く見ると紅葉も誇らしげな顔でエストを見ている。

 これが意味する事はもしかして。

 

「事前にお二人には話を通していたのですか?」

 

「うん。小倉さんからアドバイスを貰ってね」

 

「私にも教えて貰えれば良かったのに」

 

「その時の朝陽は……ね?」

 

 それを言われると、僕は何も言う事が出来ない。

 相談をして貰える立場どころか、相談をする立場だったからね、僕は。

 しかし、良くジャスティーヌ嬢の叔父であるラグランジェ書記官を説得出来たと思う。壱与を経由して聞くところによれば、彼の人物はジャスティーヌ嬢に輪をかけた国粋主義者らしく、日本に居ながら日本人を見下す類の人だったらしい。紅葉の話は、殆どまともに取り合って貰えなかったと壱与から聞かされた。

 かなり紅葉も苦労させられた事だろう。

 それにしても小倉さんには感謝だ。エストに的確なアドバイスをしてくれた。もしもアドバイスが無かったら、教室内でのエストの立場が悪くなっていたかも知れない。

 話も通さずに今回の事を行なっていたら、紅葉の面目を潰す形になっていたし、委員長の役割を誇りにしている梅宮伊瀬也も同様だ。

 ただ一つだけ気になる。フランス国粋主義者のラグランジェ書記官から見れば、アイルランド人のエストも、決して対等な相手ではなかっただろう。それも旧階級では、エストの家が下になる。

 それなりの侮蔑があったのかも知れない。エストが辞を低くして、それでも耐えなければいけない場面があったのかも知れない。しかも怒らせると分かっているジャスティーヌ嬢の為に頭を下げた。

 誇り高きエスト。僕は改めて、この立場の弱い主人を守らなければいけないと誓った。

 ……そうなりたいなあ。

 

 

 

 

「え、どヘタクソじゃない」

 

 教室内に心底呆れた声が響いた。

 

「なにこれ。ゴミ? この出来はたまたま? それともいつもこうなの?」

 

 デザインの授業が始まると、ジャスティーヌ嬢は自分の席を離れて、エストのデザインが仕上がるまで執念深そうな目でジッと見ていた。

 型紙の授業中の時には隣に座っている小倉さんを執念深そうにジッと見つめ、やがて感心したような声を僅かに上げていた。だが、デザインの時はエストの方に来たようだ。そしてその小倉さんはと言うと。

 

「小倉さん! 凄いですよ! 休み前よりもずっとデザインが良くなっています!」

 

「うぅ……ありがとうございます……ありがとうございます」

 

「えっ? もしかして……本気で泣いている? あ、あの一体何が貴方に?」

 

「……聞かないで……下さい……後53着……後53着……」

 

「こ、小倉さん! 目が虚ろになっていますよ! ほ、本当に何があったんですか!?」

 

 慌てる紅葉に教壇の前で介抱されていた。

 ……此処まで来ると、もう保健室で休んだ方が良いんじゃないだろうか? いや、寧ろ帰って休んだ方が良いかも知れない。ストレスでボロボロな僕が言えた事ではないけれど。

 しかし、小倉さんのデザインが良くなっているのか。以前チラッとあの人のデザインを見たが、評価以前に今の流行からすると古い印象を感じた。デザイン自体も平凡に感じたが、流行に合わないというのはそれだけで評価を下げる。

 評価が上がっているという事は、流行を捉える事が出来たのかも知れない。そう言えば小倉さんはGW中は、服飾店で試着をしていたそうだから、きっと僕やエストとは違った形で勉強を頑張っていたのかも知れない。

 ……それにしては疲弊し過ぎているような気がするんだけど。

 

「私に喧嘩を吹っ掛けるようなことするから、デザインでも対抗できる自信があるかなーと思ったのに……パリの赤ん坊でも、も少しまともなデザインを描くよ」

 

「赤ん坊はペンを握らないからデザインを描けない」

 

「負け惜しみ……もういいや。黒い子の方は型紙は中々だったのに、これじゃつまんない」

 

 むむっ! 主人の言われ放題に少し悔しい。

 エスト本来のデザインなら確実にジャスティーヌ嬢も実力を認める筈だ。だけど、教室で描くエストのデザインはジャスティーヌ嬢が言うように、本当にゴミだ。それに関しては僕も認めている事なので言い返す事が出来ない。

 もしかしたらジャスティーヌ嬢が煽る事で、エストが本気を見せてくれるのではないかと期待していたが、流石は僕の主人。ジャスティーヌ嬢の煽りに対して何の反応も見せない。少なからず悔しさを覚えれば、彼女が今の描き方を止め、僕と居る時のデザインに戻してくれるのではないかと期待していたんだけどなあ。

 でも、このままでは悔しいのは事実なので取り敢えず。

 

「お待ち下さい、ジャスティーヌ様。我が主のデザインはゴミではありません。ほら、ほんの少しぐらいは見るべきところもありますよ。ほんの少しぐらいはですが」

 

「朝陽」

 

 擁護する僕にエストは温かい視線を向けて来た。僕に言われて改めてジャスティーヌ嬢はエストのデザインを見つめる。

 

「んー……確かに人体の構造は把握できてるし、基礎は出来てる感じ。見せ方とか発想は悪くないよ。でも絵と線が致命的過ぎて紛れもなくゴミ」

 

 思ったよりもジャスティーヌ嬢は真っ当な評価を下した。

 そしてそれは僕も思っていた評価なので……うん。言い返せない。

 

「お嬢様。ジャスティーヌ様は正当な評価を為さっています」

 

「だよね。やっぱりこれはゴミだよ」

 

「今は耐えられているけれど、二人とも、私が涙目になっているのを気付いているのかな? そろそろ本気で傷ついてしまうよウフフ」

 

「アーノッツの子はもういいや。他の子の見よっと」

 

 その声を聞いて、同級生達は慌てて作業の手を止めて、しまったり隠したりしだした。

 明らかにジャスティーヌ嬢に批評される事を恐れている。

 

「ジャスティーヌさんは自分のデザインを描きなさい」

 

「日本人のデザインを見て、お国柄の感性と、この国のファッションの傾向を勉強しようと思ってるだけだよ。問題ある?」

 

 デザインの授業中は、教室内を歩くのも自由だし、過度でなければ会話も許されている。それは他人のデザインを見る事も、他人から見られる事がデザインの成長となるためだ。

 その上で留学生なりの理由を付けられては、誰も彼女の行動を止められない。唯一彼女に対抗出来る小倉さんでも、ちゃんとした理由があってはどうする事も出来ない。

 ……と言うよりも、今日の小倉さんは頼りに出来ない。明らかに精神的に疲弊し切っている。

 流石にそんな状態の小倉さんに頼れないのか、クラスメイト達も縋る視線を向けていなかった。

 

「なにこれつまんない。そんな誰でも思いつきそうなデザインどうやったら描く気になるの?」

 

「くうっ」

 

「ねえねえこのデザインに描かれている身体おかしいよ。腰がこの位置なのに、どうして膝の位置と足の角度がこんなことになるの。腿が長すぎておかしな事になってる」

 

「ぐすっ」

 

「うわなにこの絵、気色悪っ。こんなグロい顔してたら、誰も評価してくれないよ」

 

「そんな攻撃的ではなく、もっと丁寧に罵って……」

 

「ん?」

 

 大津賀かぐやのデザインの次にジャスティーヌ嬢が覗いたのは、梅宮伊瀬也のデザインだった。

 彼女は自分の描いたものを隠しもせず、堂々と公開している。言いたい事があるなら言えば良いとばかりに、強気な目を彼女は小さな留学生に突きつけた。

 

「あははははははははははっ!」

 

 だけどジャスティーヌ嬢は梅宮伊瀬也に言葉すら掛けなかった。指を刺されてデザインを笑われた梅宮伊瀬也は、顔を真っ赤にしながら自分のデザインを見つめていた。

 そして一頻り笑った彼女の次の標的は……不味い。机に倒れ伏している小倉さんだ!

 

「……平凡。黒い子。貴女才能が無いよ」

 

 机の上に置かれていた小倉さんのデザインを見て、ジャスティーヌ嬢は辛辣な評価を告げた。

 流石に弱っている相手に辛辣な評価を下した事を見過ごせなかった僕とエストは、椅子から立ち上がる。だけど。

 

「型紙の方を頑張った方が良いよ。そっちは間違いなく才能があるから」

 

 ジャスティーヌ嬢は見るべきところは見ていたようだ。

 実際、小倉さんの型紙の腕はこのクラスでは僕に次ぐ実力者だ。エストよりも型紙の腕は上だ。

 型紙に関しては僕同様にA評価。本当に一年以上服飾から離れていたとは思えない程だ。

 尤も僕と比べると僕の方がずっと腕は上だが、メキメキと実力を上げている小倉さんなら下手したら夏までに追いつかれかねない。お母様も小倉さんが本格的にお父様に教わっていたら、夏には僕を超えていたと言うし。

 教室において型紙の僕のライバルは小倉さんなのは間違いない。

 授業への真剣さから小倉さんに型紙の事を聞く人は少ないが、それでも聞いた人は皆クラス内での型紙の評価は高い。教える事に関しては、もしかしたら僕よりもあの人は上手いのかも知れない。

 そんな事を考えている内にタイミングを逃してしまった。遂に我慢出来なくなった同級生達が、ジャスティーヌ嬢に向かって声を上げ始めた。

 

「じ、自分のデザインも描かないで、人のことばっかり!」

 

「そうだよ! ジャス子はどれだけのもの描けるっていうの!?」

 

「私?」

 

 実力を問われたジャスティーヌ嬢は、きょとんとした顔で抗議の声の出所を見た。

 

「つまんないデザインばっかり見てやる気なくなっちゃった。ぜんぜん描く気しない。貴女達のせいだよ」

 

 他人の作品の批判はするけれど自分の作品は見せない。そして作品を描かないことすら他人のせい。

 初日の暴君の復活だ。余りの理不尽さに、抗議した同級生達は言葉も出ないようだ。

 

「あ、朝陽お姉様のデザインは、このクラスで唯一のA評価なんですよ!」

 

「そ、そうです! つまらないと言うなら、お姉様のデザインを見てからにして下さい!」

 

 席へ座ろうとしていたジャスティーヌ嬢に、このままでは悔しいと言うように新たな訴えが投げかけられた。

 僕と小倉さんのファンである飯川さんと長さんだ。ジャスティーヌ嬢に抗議だなんて怖くて仕方がないだろうに。

 人任せではあるけれど、慕ってくれる子達から頼りにされたのなら、全力で力にならせて貰おう。それに良い機会だ。

 今の僕のデザインが、フランスで鍛えられた彼女の目にどう映るのか。気になってしまう。

 

「あさひおねーさま?」

 

 ジャスティーヌ嬢は何のことか分からないようだ。教室内では周知の事だが、4月に殆ど授業に出て来なかった彼女では分からないのは仕方がない。

 彼女達の視線を追った先に僕が居る事に気がついて、誰の事なのか理解したみたいだ。

 

「白い子。貴女デザインが得意なの?」

 

「成功させたい目標があります。その為に……必要な努力をして来ました」

 

 自信……はまだ回復し切れていない。

 

「ふぅん。見せて」

 

 ジャスティーヌ嬢は僕のデザインを手に取った。さて、彼女は僕のデザインにどんな評価を下すだろうか?

 感性は人それぞれだから、どんな評価になるかは予想出来ない。

 

「……すごいね」

 

 気づいた時にはつまらなそうでだるそうな目が無くなっていた。口端を緩めつつ、目を輝かせてジャスティーヌ嬢は僅かに頬を紅くさせた。

 

「このまま貴女プロに……ううん。今からでも通用するほどに良いデザインだよ」

 

 大変に気分が良い!! これまでデザインに関して酷評しかしてなかったジャスティーヌ嬢が、初めて高評価を告げたんだから。

 

「これから同じ教室で過ごすのが楽しみ。黒い子の型紙も結構良かったし、デザインに関しては白い子がこの教室に居てくれてよかった。私もデザイン描こーっと」

 

 今までと違った反応に、僕に同級生達の視線が集まった。彼女達の今の気持ちが良く分かる。賛美と称賛の視線がとても気持ちいい!

 これも全てお父様の教えのおかげだ。本当にありがとうございます、お父様。

 だからと言って浮かれたらいけない。ジャスティーヌ嬢から評価を貰ったとは言え、それがルミねえの衣装やフィリア・クリスマス・コレクションの最優秀賞に繋がるとは限らないんだ。更なる精進の為に、デザインをバリバリ描こう。

 

「朝陽さんすこぶるすごいね……あの、私に描き方を教えて貰える?」

 

「私も教えて貰おうかなあ……」

 

「またしても人気を上げて、このメイドは……今に見てなさい、私だって」

 

 妙な対抗心を燃え上がらせるぐらいなら、普通に描こうよ。

 そして同級生達の次の興味は、ジャスティーヌ嬢のデザインに移っていた。今までの仕返しとばかりに、散々に扱き下ろされた被害者達が留学生の机に集まった。

 

「はい。出来た」

 

 けれど彼女には他人を批評するだけの実力があった。

 個人差はあれど、デザインを学ぶ人間であれば有無を言わせない程に、彼女のデザインは優れていた。

 彼女のデザインは個性的過ぎず芸術的過ぎず前衛的過ぎず。歴史を識り、流行を組みこみ、コレクションへ出しても引けを取らない独創性を持ちながら、普段着としても違和感のない『衣服』が生み出されていく。

 素人を感動させ、玄人を唸らせる絶妙な按配だ。その個性に反して、ジャスティーヌ嬢のデザインは『日常』を重要視した非常に洗練されたものだった。

 しかも、手が速い。それでいて乱れない。からかうつもりでいた同級生達は、一人、また一人と自分達の席へ戻っていった。

 ……間違いなく彼女はパル子さんに次ぐ強力なライバルだ。今の僕のデザインなら負ける気はしないが、前のデザインでは正直勝てたかどうか分からない。ワクワクしたいところだが、彼女は間違いなくパル子さんと同じライバルなので警戒しておこう。

 以前のようにライバルが現れても胸がときめくようになりたいなあ。

 

「ところで完成したら小倉さんのように見せに来てね」

 

 ……忘れてた。僕も見せに行こうと思って立ち上がる。

 だけれど、その前に大量の紙を持ったエストが歩いて行った。

 

「いっぱい描きました!」

 

 紙の無駄を大量に見せられて、紅葉が笑顔を浮かべていた。エストも素晴らしいライバルの一人なんだけどなあ。

 ……尤も小倉朝陽としてならともかく、桜小路才華はライバルだとは絶対に思ってくれていないだろうなあ。

 

「ねえ、黒い子。貴女ならこのデザインの型紙はどう引く?」

 

「あ、あのジャスティーヌさん。今はデザインの授業中ですよ? デザインを見せて貰えるのは嬉しいのですが」

 

「描いたんだから別に良いじゃん。それよりも黒い子ならこのデザインからどう型紙を引くのか気になるの。だから、引いて」

 

 ……明らかにジャスティーヌ嬢が小倉さんをパタンナーとして狙っている。

 そう言えば、彼女の伯母は『小倉朝日』さんを知っている人だった。その話はジャスティーヌ嬢自身から聞いたので間違いない。

 そして先ほどの型紙の授業で、彼女は間違いなく小倉さんの才能を見抜いた。

 ……少しイライラして来た。ストレスでじゃないイライラだ。

 いや、彼女がしている事は間違っていない。優れたデザイナーには優れたパタンナーは必ず必要な事なんだから。でもイライラするのは変わりがない。

 

「ジャスティーヌさん! 今はデザインの授業中ですよ!」

 

 紅葉ナイス!

 ふぅ~、これで小倉さんが狙われる事は無さそうだ。油断は出来ないが。

 そんな風にデザインの授業が終わり、昼になって食堂に向かう僕とエストの前に。

 

「やあ、一か月ぶりですね。君に会える日を楽しみにしていましたよ。少し待ってくれたまえ。君も知っているようにもう一人約束した相手が居るのでね」

 

 何故小倉さんが無理して学院に来たのか分かった。

 ……一か月前の僕の馬鹿。




最後に出て来たのは当然あの人です。
デザインの腕が上がってしまった才華は、当然狙われます。

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