月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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今回はちょっと原作とは違うところがあります。
寧ろ、何故原作であの人は気がついていなかったのか疑問だったので。

笹ノ葉様、秋ウサギ様、烏瑠様、成珍金子様、誤字報告ありがとうございました!


五月上旬16

side遊星

 

「この一か月。君達にまた会えるのをとても楽しみにしていました」

 

「そ、そうですか」

 

「こ、光栄です」

 

 特別編成クラス用の食堂の隅の方で、僕と才華様、それとエストさんとカリンさんは、フィリア学院の総学院長であるラフォーレさんと共にテーブルに座っていた。場所的に他の生徒達には会話は聞かれないと思う。

 でも、興味津々という様子で僕達は見られている。先月の事を知っている生徒達も居るから、尚更にだ。

 こうなってしまう事は分かっていた。だから、精神が疲弊しきっていても学院に頑張ってやって来た。

 家を出る時、りそなは休んだ方が良いと言ってくれたが、先月の才華様の行動を考えると心配で仕方がなくて頑張って来たが……午前中の僕の状態は今は取り敢えず置いておこう。お父様に知られたら怒られてしまいそうだから。でも、本当にあの課題はキツイよお。泣きたい。

 

「顔色が悪そうですが、どうしました?」

 

「い、いえ……ちょっと体調が悪くて」

 

「それはいけない。食事が終わったら保健室で休んではどうだろうか? なに我が学院の保険医は優秀だ。安心して見て貰うと良い」

 

 知っています。でも、僕の問題は精神的な問題なので見て貰っても治らないと思います。

 

「其方の子も先月よりも痩せた印象を感じる。困った事があるのなら是非とも言ってくれたまえ。必ず力にならせて貰うよ」

 

「お、お気遣いありがとうございます。ですが、だ、大丈夫です」

 

 僕も才華様も緊張で堅くなってしまっている。

 

「此処の食事は何時食べても美味しい」

 

 ラフォーレさんの前だというのに、楽しく食事をしているエストさんが羨ましい。

 

「喜んで貰えて嬉しいよ。エスト・ギャラッハ・アーノッツ君」

 

「んぐっ……私の事もご存知だったのですか?」

 

「知っているとも。何せ先月から興味を覚えている生徒の主だからね」

 

 ラフォーレさんの言葉に、才華様はお腹を押さえた。

 先月の挑発はとても効果を及ぼしてしまったようだ。カリンさんなんてジト目で才華様を睨んでいる。

 自分にも興味を覚えられている事を感じたのか、エストさんは食事の手を止めてラフォーレさんに顔を向けた。

 

「気になるのだが、何故君は本来のデザインを描かないのかね?」

 

 エストさんの表情が明らかに変わった。

 この分ではクラスメイト達が知らないエストさんのアメリカ時代の功績も、既にラフォーレさんは知っていると見て間違いない。

 

「私も外国から才能ある者を招く為に、それぞれの国で開催されているコンクールの結果には目を通している。アメリカで行なわれたコンクールの入賞者の名前に君の名前があった。だと言うのに、授業で君が提出しているデザインは、正直に言って見れたものではない。何か不満があるのかね?」

 

「……不満なんてありません……今は……その新しい事への挑戦をしているところなんです」

 

「なるほど。挑戦ですか。若い内に挑戦するのは悪い事ではない。ですが、時間というものも減っていくものです。新しい事に挑戦するのは良い事ですが、以前のデザインを磨くべきだと私は思うのだが」

 

「……」

 

「今の忠告をどう受けるとかは君次第です。私としては以前のデザインの方で頑張って貰いたいところですね。今年は彼が来ますから、君の作品も楽しみにさせて貰いますよ」

 

 この場合、どう判断すべきか。

 才能を求めているラフォーレさんからすれば、エストさんも気になる対象なのは間違いない。だけど、今は才華様の方が気になっているから目を向けるつもりが無いのか。それともこの場で勧誘するのは無理だと判断したのか。

 判断に困る。カリンさんも油断なくラフォーレさんを見ているようだから、警戒だけはしておいた方が良さそうだ。

 そう思っていると、ラフォーレさんの目が今度は僕に向いた。

 

「君には先ず……そう、お礼を言わせて貰います」

 

「お礼ですか?」

 

「ええ、実は先月パリに帰国した後、彼、ジャンから忠告を受けましてね。『俺が日本に行くからって、俺だけが楽しめるショーは止めてくれよ』とね」

 

 ジャンもやっぱり心配していたようだ。ラフォーレさんには絶対に言えないが、もしかしたらお父様がフィリア学院の学院長を辞めた後に、フィリア・クリスマス・コレクションに参加しなくなったのは、自分だけが楽しめるショーになってしまう事を恐れたからなのかも知れない。

 お父様もラフォーレさんの件は、ジャンも悩んでいるような事を言っていたし。

 

「君の意見を聞かせて貰っておいて良かった。ありがとう」

 

「お力になれて良かったです」

 

「それに授業で提出された君の型紙も良かった」

 

 ……やっぱり僕も完全に興味を覚えられている。

 

「あ、朝陽。大丈夫?」

 

「お、お嬢様。今は少しだけ休ませて下さい」

 

 才華様は申し訳なさそうにお腹を押さえながら僕を見ていた。

 責めるつもりはないので安心して下さい。こうなる事も分かって今日は学院に来たので。

 

「あの型紙を見て先月の確信は間違っていないと改めて感じさせられました。間違いなく君は『支える者』だ。これからもその才能を伸ばして欲しいと願っていますよ」

 

 ああ、お父様が認めている人に才能があると言われるのは、とても嬉しい事だが、ラフォーレさんだと素直に喜べないのがちょっと残念だ。

 

「しかし、そんな君が何故デザイナー科に通っているのかが分からない。君の父親であるあの男は、『才能至上主義』だ。其方に居る彼女のようにデザインも型紙も熟せているのならばともかく、授業で提出された君のデザインは……言っては何ですが平凡でした」

 

 ……これは怪しまれている?

 僕とカリンさんが調査員だとラフォーレさんは気がついているのか?

 いや、まだ疑っている段階かも知れない。だから、此処は。

 

「仰る通り私には父からもデザインに関しては才能が無いと言われています。ですが、どうしてもデザイナーの道を諦めきれないので、こうして最後のチャンスを頂きました。勿論お父様は代わりに私に課題を出しています」

 

「学院の授業以外に、彼からの課題ですか……なるほど。彼らしいと言えば彼らしい。差し支えなければ、その課題に関して聞かせて貰えますか? 教育者として少々気になりますので」

 

 ……凄く、本当に凄く答え難い質問だ。今月のは絶対に話したくない。自分の口から言ったら、また倒れる。

 

「先月は一枚のドレスシャツのデザインから型紙を引く事でした」

 

「ほう……なるほど。それは中々に大変な課題でしたね」

 

「あの……どういう事でしょうか?」

 

 才華様が訳が分からないというようにラフォーレさんと僕を見ていた。

 エストさんもキョトンとした顔をしている。二人にとっては、ドレスシャツのデザインから型紙を引くのは簡単な課題としか思えないのだろう。確かに課題に隠された意味が分からなければ、簡単な課題としか思えないので仕方がない。

 だけど、二人と違って課題に隠された意味が分かったラフォーレさんは不敵な笑みを浮かべた。

 

「一見すれば簡単な課題と思えますが、この課題に関してはそうとは言えませんね。ドレスシャツの型紙は確かに簡単なもので、服飾の基本と言えるものですが、それでも引けば数え切れないほどの型紙が引けます。彼女に出された課題は最高の型紙を引けというものではなく、パタンナーにとって何よりも必要な根気を見るためのものだったのでしょう。其処の二人も知っての通りパタンナーの作業は地味と言うしかない。それを続けるのには何よりも根気とやる気が必要。今回、彼女に与えられた課題はそれを見る為のものではないかと私は思うのだが」

 

「……正解です。お父様はそう言っていました」

 

 流石は学生時代にお父様と学んだラフォーレさん。

 二人が聞いたら絶対に嫌そうにするだろうが、お互いの考えをある程度理解しているようだ。

 ……死んでもこの事は二人の前では言わないようにしよう。

 

「フフッ、彼も中々に難しく難易度の高い課題を出すものですね。課題に隠された真意を告げず、自分でその真意を見抜かなければならない。ですが、それはパタンナーという職業に就く者には必須の力。デザイナーが描いたデザインのイメージを読み取らなければ、折角の素晴らしいデザインも駄目にしてしまう。その点においても君には才能があると私は確信しています。あのジャンの衣装からイメージを読み取ったのですから……是非とも欲しい逸材だ」

 

 ……目を完全に付けられている。

 だけど、残念ながら僕はラフォーレさんの期待に応えるつもりはない。

 

「お誘いの話でしたら、断らせて頂きます」

 

「そう結論を急がなくてもいいでしょう。時間はまだ十分にありますからね」

 

 つまり、今後も勧誘を止める気はないという事か。

 

「さて、次に」

 

 ラフォーレさんの視線が才華様に向いた。

 視線を向けられた才華様の肩がビクッと震えた。

 

「先月にも話しましたが、君のデザインが私の目に適うものだったなら特待生として引き取りたいという話を覚えていますか?」

 

「はい……覚えています」

 

「今日学院にやって来て即座に、私は君のデザインを見ました。やはり、此方も間違っていなかった。是非とも君を特待生として引き取りたいと思いましたよ」

 

 ……ラフォーレさんの目が爛々と輝いている。探し求めていた者を見つけて、絶対に逃がさないと言うような目だ。

 

「もし君にその気があるのなら、教育の為の投資をフィリア学院総学院長という立場だけではなく個人的にもしても良いと思ったんだ。それだけのデザインだった。特に今日の提出されたデザインを見た時は、震えが抑え切れないほどの感動を覚えた」

 

「そ、そうですか」

 

 ラフォーレさんの発する雰囲気に、才華様は素直に喜べないと言う顔をした。

 彼が『狂信者』とあだ名が付くほどの人だという事は、才華様も知っている。加えて言えば、あの八千代さんが心の底から関わりたくないと思っている人物だ。

 この人に対しては油断をしたら絶対にいけない。

 

「特待生として私が引き取り、今よりも良い環境を提供しよう。一日の内、付き人として使う時間をデザインに当てた方が良い。私が自ら付き添って、広い世界と一流の技術を見せてあげよう。私なら君の才能を最大限に引き出せる。どうかな?」

 

 駄目ですと……叫びたい。

 そんな事になったら、僕とカリンさんは才華様をフィリア学院から追放するしかなくなってしまう。ずっと付き添われたりしたら、才華様の正体がバレてしまうし、その後の才華様の人生はラフォーレさんのものになりかねない。

 どうすれば良いのかと悩んでいると、才華様は真剣な目でラフォーレさんを見つめた。

 

「そのような過分なお言葉を頂けたのは大変嬉しく思います。ですが私は、この学院で学ぶ事を夢見て来ました。環境に不満もありません。同級生も良き人達です。それに」

 

 才華様の視線が僅かに心配そうに様子を見ていたエストさんに向いた。

 

「側に居て、掛け替えのない自分でありたいと思える人がいます。少なくとも今は、与えられたものをお返しするまで、その人の側に居たいと思います」

 

 ……僕は嬉しい気持ちで一杯だった。

 あの、仕える人を自分の目的の為に利用すると言っていた才華様が、今は本気で主人であるエストさんを大切に想っている。調査員の立場からすれば喜んだりしたらいけない事だが、それでも僕は嬉しかった。

 僅かながらもカリンさんも感心したように才華様を見ている。もしかしたら少しは、カリンさんも才華様を認めてくれたのかも知れない。

 

「それに私は、デザインに関しては最高の勉強が出来る環境に居ます。その証拠が今日のデザインです」

 

「……なるほど。確かにそうかも知れませんね……分かりました。何も今すぐでなくてもいい。私は可能性がある限り、ドレスでも作りながらのんびりと気長に待っている。その気になれば、いつでも声を掛けてくれ」

 

「? ……分かりました。その機会があるのかは分かりませんけど、覚えておきます」

 

 一瞬、訝し気にラフォーレさんを才華様は見たが、すぐに頭を下げた。

 僕も疑問に思った。やけにあっさりとラフォーレさんは退いた。お父様が警戒するほどの人物の筈で、しかも才華様のデザインの方向性はラフォーレさんが求めているものにピッタリだ。

 だというのに、あっさりと退いた。調査員を警戒しての事だろうか? どうにも気になる。

 何か……不穏な気配を感じる。

 

「あの、そろそろ良いでしょうか?」

 

 話が終わったのを察したのか、エストさんが声を上げた。

 何時の間にかエストさんの食事が終わっている。才華様の方は元々少ない量しか食事を取っていなかったから、此方も終わっていた。

 

「ああ、構わないよ。これから話す事は君達にした話とは関係ない話なのでね」

 

「そうですか。それじゃあ、朝陽。行こう」

 

「はい、エストお嬢様」

 

 エストさんは席から立ち上がると、才華様を伴って席から離れて行った。

 離れる時に二人に頭を下げられたので、僕とカリンさんも頭を下げた。そのまま二人は離れて行く。

 これでこの場に残ったのは、僕とカリンさんに、ラフォーレさんだけだ。

 

「どうやら私は彼女に余り好かれていないようだ」

 

「それは……エストさんの事でしょうか?」

 

「流石に察しが良い。私としては彼女にアメリカ時代のデザインにも興味を覚えずにはいられなかった。勿論本命としては一緒にいる付き人の彼女の方だが、主人である彼女も素晴らしい才能を秘めていると作品を見て確信した。尤も……何故かこの学院ではその才能を発揮していないようだが」

 

 エストさんから事情を聞いている僕と違って、ラフォーレさんは本当に訳が分からないようだ。

 プライベートな事で話すつもりはないけれど。

 

「事情は分からないが、本来のデザインを隠す何らかの理由があると私は見ている。その理由さえ分かれば……」

 

 これは……もしかしてラフォーレさんは才華様を手元に置く為に、先ずはエストさんを狙うつもりなのだろうか?

 先ほどの会話で才華様の意思の強さを感じて、主人であるエストさんの方に狙いを定めたとしたら……危ないかも知れない。

 フィリア学院にいない時のラフォーレさんの活動拠点は、フランスのパリだ。エストさんの故郷は日本よりもずっと近い。やはり、この人は油断したらいけない。

 

「ああ、先に言っておきますが、特待生にしたとしてもこの学院から離す事はありません。今年は彼がフィリア・クリスマス・コレクションに来るのですから、ショーを盛り上げる為にも是非ともあの二人には参加して貰いたいと思っていますから。君の意見は本当に助かったと思っていますよ」

 

「お力になれて本当に良かったです」

 

 どうやら積極的に勧誘しなかったのは、ジャンがフィリア・クリスマス・コレクションに来るからのようだ。お父様とりそなが打った手は、ラフォーレさんの動きを抑えるのに成功した。

 ……でも、出来れば事前に僕も教えて貰いたかったよ。そうしたら、驚かずに済んだのに。

 

「これからは一か月ごとに必ず一度は日本に戻って来る予定だ。今年は色々と忙しいのでね。さて、それでは先月の約束を果たそう。君もずっと気になっていたと思うのだが?」

 

「はい! ジャン・ピエール・スタンレーの話ですね!」

 

 この一か月、ずっと楽しみにしていました!

 課題の事で落ち込んでいたので、この話を聞いて元気を出そう。

 

「ハハッ、そんなに目を輝かせて。やはり、君には語り甲斐がありそうだ。それでは何から話そうか。残りの昼休みの時間を考えると……そうだ。あの話をしよう」

 

「拝聴させて頂きます!」

 

「……ハア~……難儀です」

 

 

 

 

side才華

 

 お、お腹が痛い。一か月前の自分を殴りたいと思ったのは、生まれて初めてだ。

 お父様とお母様譲りの顔を殴るのは無理なので、お腹だけど。

 何で僕は総学院長の事を忘れていたんだろう? 来月に来るって言っていたじゃないか! 僕の馬鹿!

 

「あ、朝陽? 大丈夫」

 

「だ、大丈夫です。寧ろお嬢様。私の方こそご迷惑をおかけしてすいませんでした」

 

 総学院長がエストのアメリカ時代の功績を知っていたのは、間違いなく一か月前に僕が挑発した事が影響しているに違いない。

 申し訳ない気持ちで一杯だよ。エストは自分の功績を秘密にしていたのに。

 

「それは良いよ。同級生に知られた訳じゃないし。あの総学院長は有名な人だから、調べられたら分かる事だからさあ」

 

 エストの優しさが今は辛い。

 どういう訳か、今回はあっさり退いてくれたが、今後は注意しないといけない。僕の正体があの総学院長にバレたら、終わりだ。あの手この手を使われて、僕は総学院長の言いなりになるしかない。

 調査員の小倉さんとカリンでも、そうなったら何も出来ない。尤もそうなる前に、あの二人なら僕を学院から追放してくれると思う。その時は素直に従うつもりだ。

 ただあの様子だと今後は毎月帰って来そうだ。警戒はしておこう。

 

「ところで総学院長と一緒に食事をしていたら、緊張して味が全然分からなかったの。また、食べても良い?」

 

「……お嬢様のお皿には確か山盛りの食事が載っていましたよね?」

 

 普段なら注意しているところだが、今日は流石に注意している余裕がなかった。

 と言うよりも、アレだけ食べてまだ食べたりないとか。本当に君の身体はどうなっているんだ。

 幾ら食べても太らないとか、他の女性達からすれば羨ましがられるよ、本当に。

 ……仕方がない。今日は迷惑をかけたから許そう。

 

「……分かりました……ですが、此処にはまだ総学院長が居ますから……この前のように一般食堂に行きましょう」

 

「うん。分かった」

 

 流石のエストも総学院長が居る食堂では、食事を取りたくないのか素直に頷いてくれた。

 さて、それじゃあ急がないと……。

 

「ジャスティーヌさん、今日の授業でカヌレを作りました。此方が私の作った物。此方が私の従者が作った物です、お一ついかがです?」

 

 ……明るい知っている声が聞こえた。

 エストもその声に反応して顔を向けてみると、ジャスティーヌ嬢とカトリーヌさんの席に一緒に座っているアトレと九千代がいた。

 

「良いの? 美味しーい!」

 

 ジャスティーヌ嬢は、二つのカヌレを食べて喜んでいた。

 アトレは真剣な表情でジャスティーヌ嬢を見つめる。

 

「どちらの方が美味しかったですか?」

 

「う~ん? 貴女の方も良かったけれど、そっちの付き人の方かな」

 

「……そうですか」

 

「貴女良い職人になれるよ。私、お菓子にうるさいから自信持って良いよ」

 

「そ、それはどうもです。嬉しいです」

 

「そっちの子の方も付き人の方の子よりは劣るけど、良かったよ。貴女達二人ともパリへ来なよ、お菓子の本場だよ」

 

 『カヌレ』の単語を耳にして、歩いて行こうとするエストの裾を握りながら、僕はアトレ達の会話を聞いていた。

 お菓子の本場であるパリで学ぶ。それはお菓子作りが好きな者からすれば、夢にみる事だろう。でも、アトレだときっと答えは……。

 

「パリですか? ……確かにそれも良いかも知れませんね」

 

 ……アレ?

 予想外過ぎる返答に、思わず握っていた裾を手放してしまった。その隙にエストがカヌレに惹かれて、アトレ達の下に歩いて行く。

 

「こんにちはアトレさん、九千代さん」

 

「こ、こんにちはエストお嬢様」

 

「こんにちはエストさん。宜しければエストさんもいかがですか?」

 

「頂きます!」

 

 アトレから渡された二つのカヌレを、即座にエストは食べだした。

 

「あれ? アーノッツの子が居るという事は、白い子も?」

 

「いまふぅ~」

 

「お嬢様! 食べながら喋るなんてはしたないですよ!」

 

 慌てて僕はエストの傍に寄って注意した。

 あっ、予想外だがアトレと九千代と顔を合わせる事になった。恐る恐るアトレに顔を向けてみると。

 

「お久しぶりです、お姉様」

 

 ニコニコとアトレは笑みを浮かべている。

 

「そ、そうですね。さ、桜小路のお嬢様」

 

 戸惑いながらも僕は挨拶を返した。そんな僕にアトレは二つのカヌレを差し出す。

 

「お姉様もいかがですか? 今、色々な方々に味見をして貰っているところなんです」

 

「い、頂かせて貰います」

 

 渡されたカヌレの味見をしてみる。

 ……アトレの方も美味しいけれど、九千代の方がやっぱり美味しいかな。九千代のお菓子の腕は、僕やアトレよりも上なのは知っていたが、フィリア学院に通ってからその腕を更に上げたようだ。

 対してアトレの方は変わらない。いや、若干だが味が変わったように感じる。

 何時もアトレのお菓子を食べていた僕だから分かる些細な変化だけど。

 

「どうでした?」

 

「……山吹さんの方が美味しいと感じました」

 

「やはりですか……これで全敗。九千代は以前よりも腕を上げているというのに、私は変わっていない。こうして色々な方に味見をして頂くと実感させられます」

 

 ……何だ? 凄く今のアトレには違和感しか感じない。

 GW中に最後に会った時は、僕が他人行儀で呼んだりしたら悲しそうな反応をしたのに、今は変わらずニコニコ笑みを僕に向けていた。

 ……まさか。小倉さんが落ち込んでいたのは、やっぱりアトレのせいなんじゃ!?

 うぅ……凄くお腹が痛くなって来た。

 

「あの、どうされましたお姉様?」

 

「……い、いえ、何でもありません」

 

 き、聞く勇気が持てないよ。もしも当たっていたら……またストレスが溜まりそうだ。

 どうか僕の考えが外れて欲しいと願っていると、カヌレを食べ終えたジャスティーヌ嬢が話しかけて来た。

 

「二人とも来てたんだね。てゆーかいっつも此処?」

 

「……いいえ、お弁当の時もあります。今日は久々の登校なのもありましたが、総学院長に誘われましたので」

 

 アトレと九千代の顔色が変わった。

 慌てて僕とエストが来た方に顔を向け、総学院長を目撃した。

 ……良かった。この位置からだと総学院長の姿しか見えない。もしもアトレが小倉さんを目撃して、怒りに満ちた顔や険しい顔をしたら、今の僕には耐えられないかも知れない。

 

「ふぅ~ん。あの総学院長も来てたんだ」

 

「お知り合いなのですか?」

 

「パリに居た頃に一度だけ、自分のところで学ばないかって誘われた事があってね。まあ、興味が湧かなかったから断ったけどね」

 

 やっぱりジャスティーヌ嬢にも総学院長は、声を掛けていたのか。

 彼女の才能は教室でも見たから、僕のように誘われても可笑しくない。ただジャスティーヌ嬢はゴーイングマイウェイを地で行く人だ。総学院長の望みどおりに動く事はない。

 それに彼女は旧伯爵家の家柄の出だ。下手な事をすれば、フランスで活躍しているジャン・ピエール・スタンレーにも影響が出かねない。ジャン・ピエール・スタンレーの『狂信者』である彼にとってその事実は見過ごせない筈だ。

 対して僕はと言えば、やっている事がバレたらその時点で終わりだ。いや、最悪の場合は伯父様と総裁殿から貰っている切り札を使えば良いかも知れないが、その前に小倉さんとカリンに追放されるかも知れない。

 胃が痛いけれど、今後も正体がバレないように注意しないと。

 

「此処は料理もお菓子も美味しいね。私、これなら毎日来ても良いかなー」

 

 どうやらジャスティーヌ嬢は授業は面倒なものの、食堂は気に入った様子。彼女を無理に登校させたエストも、少し安心顔だった。

 

「ふふっ、次はプリンにフレジエ。そして最後にザッハトルテを」

 

 ……何時の間にかエストの前には、食堂にあるお菓子が置いてあった。余りの早業に感心させられた。

 だけど、人前で卑しさを見せてはいけません。テーブルの下の見えない位置で、軽く爪の先を使ってつねった。

 

「この食堂を使うのは初めてでしたか?」

 

 カトリーヌさんが今日以外は毎日教室で食事を取っていた事から、答えは分かりきっているけど。

 

「うんそう。と言うより、今まであんまり学院内のこと知らなかったからね。購買部とか図書室とかも色々見て来たよ。購買部は品揃え良かったし、図書室にはフランスのファッション誌もあったから良かったよ。あ、そだ。それと日本の雑誌もちょっと見て見たんだけど、その時にね」

 

 ジャスティーヌ嬢が持ち出したのは、大衆的なティーンズ詩の街角スナップのコーナーだった。

 其処で紹介されている人物は、僕とエストが良く知っている人だ。

 

「この子、うちの学院通っているみたいだけど、日本人にしてはセンスいいね」

 

「ハルコさんだ」

 

「パル子さんですね」

 

「え、知り合い?」

 

「うん、一般クラスの友達。とても明るく個性的で楽しい人」

 

「アクセサリーも含めて、この服は自作なんです。流石に靴までは作れなかったようですが」

 

「この子の自作」

 

 スナップ写真の脇に、アイテムごとのブランド名が書いてある。

 ジャスティーヌ嬢が示した箇所には『ぱるぱるしるばー』と書かれていた。間違いなくパル子さんの手作りだ。

 

「ふーん。面白い服作るんだね」

 

「そう! 才能があって、性格も良くて、とても素敵な人なの! 顔も可愛らしいしね!」

 

「彼女だけてはなく、ご友人も丁寧で礼儀正しくて良い人でした! 一般クラスの生徒さんには明るい方が多いですよ!」

 

 僕とエストは、時々ではあるが教室内でもこうした一般クラスのポジティブキャンペーンを展開している。

 尤も現在まで、あまり効果が見られない。入学式二日目に小倉さんが教室で説明した時の方がずっと効果は出ている。と言うか、そもそもこの席の位置は周りに声が届きにくい場所だ。

 だけど元から『日本人』全体に偏見を持っているジャスティーヌ嬢には、効果があったみたいだ。

 

「これが本当に自分で作ったものなら、この子、才能あると思う。パリでもそこそこウケるんじゃないかな。今日見た学院内で私の次の白い子の次ぐらいだから三番目だね」

 

 くっ! 非常に言い返したいが此処は我慢!

 パル子さんのデザインよりも評価が上だという事で、納得しておこう。

 取り敢えず怪しまれないように微笑んでおこう。

 

「あ。じゃあ会いに行ってみる? 人と話す事が好きな人だから喜んで貰えると思う」

 

「うん、良いよ。すぐに行こう」

 

「あ、それはまだ。お菓子を一つも食べていないので……ぁいた!」

 

 強めに爪の先でつねった。お菓子を食べてからなんて、まるで子供じゃないか。

 動こうとする僕達に、静かに話を聞いていたアトレが話しかけて来た。

 

「皆さん。お気をつけて。あっ、そうだ、エストさん!」

 

「なに、アトレさん?」

 

「もしも宜しければ、本日の19時頃に屋上に来て貰えますでしょうか?」

 

「良いけど。何でかな?」

 

「ちょっとしたお菓子パーティーを開くつもりなんです」

 

「絶対に行かせて貰います」

 

「私も良い?」

 

 エストだけじゃなくてジャスティーヌ嬢も釣られた。

 

「はい、人数は多くなっても構いません……あの人を迎えるパーティーなんですから」

 

 うん? 今、アトレは最後になんて言ったのだろうか? 小声で良く聞こえなかった。

 

「それでは皆さん。お先に失礼します」

 

「失礼いたします」

 

 アトレと九千代は席から立ち上がり、去って行った。

 ……どうにも違和感が拭えない。明らかにアトレの顔色はGWで会った時よりも良くなっている。

 それに会ったら積極的に僕に接触して来ると思っていたのに、そんな様子も見せない。気になる。

 

「朝陽、行こう」

 

「はい、お嬢様」

 

 気になるが、今はパル子さんに会いに行こう。一般食堂にいると良いな。

 

「なっ!? ……お、お姉様があんなに楽しそうに!? 駄目です、……お姉様!」

 

「お嬢様! お、落ち着いて下さい!」

 

 ……何だか、食堂の方でアトレが騒いだような気がした。気のせいかな?




普通に海外から生徒も招いているという話だったのに、何故ラフォーレは原作でエストに気がついていなかったのでしょうね?
と言う訳で今作では、エストの存在にも気がついています。ただ授業でのデザインが酷い出来なので、積極的には勧誘せず、才華のついでと言う感じです。今のところは。

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