月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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五月編もかなり長くなって来ています。
このまま行くと四月よりも長くなってしまいそうで怖い。

秋ウサギ様、烏瑠様、禍霊夢様、笹ノ葉様、獅子満月様、誤字報告ありがとうございました!


五月上旬17

side才華

 

「この前は此処に居たけれど……」

 

 昼休みに入ってから大分時間が経っている事もあって、一般食堂内の生徒は少なくなっていた。

 特別食堂との違いがジャスティーヌ嬢には面白かったらしく、割烹着を着た料理人達を見て笑っていた。うどんやラーメンは見た事がないらしく、興味を示している。

 

「興味があるなら食べてみればいいのに。一口どう?」

 

 ……そして君はいつの間に注文していたんだ。

 特別食堂の時と言い、余りの早業に驚くしかない。一般食堂の食券の買い方もマスターしてるし。

 しかし、幾らかけうどんとは言え、本当に良く入るものだ。エストぽちゃっとアーノッツの名が相応しい体型にならない事を願うしかない。いや、させないけどね、僕が。

 幾ら罪悪感があるからと言って、ぽっちゃり体型の主人に仕えるのは凄く複雑だから。

 

「今度来た時に自分で頼むから良いよ」

 

「そう。とても美味しいのに。もう一杯いけそう」

 

 くぅっ! 駄目と言いたいけれど、今日は僕のせいで迷惑をかけたから言う事が出来ない!

 

「ノーマルうどんも良いけど、つけそばもなかなかだぜ」

 

「美味しそう。なにその素敵なお料理……って、ハルコさん。こんにちは、食堂にいらしたのですね」

 

「あはい。ギャラッハさん達が見えたので。今日は大勢ですね」

 

「また外国人の偉い人の知り合いが増えそう」

 

 尋ね人はあっさりと見つかった。と言うよりも見つけられた。セットでマルキューさんも居た。

 

「あ、こちらジャス子さん」

 

「あどうも、銀条です」

 

「日本語でいいのか。あどうも、一丸です」

 

「フランスの旧貴族で、私なんかより遥かにお偉い人です」

 

「ジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェ、パリの貴族だよ。私の叔父さん外交官だから超偉いよ」

 

「分かってたけどマジすか。なんでそんな偉い人を紹介されるんですか私ら」

 

 確かにその通りだ。一般クラスの生徒がジャスティーヌ嬢に会う事なんて、本来は無い事だろうから、マルキューさんの驚きは当然だ。

 

「どのくらい偉いですか? 私、普通に喋っても大丈夫ですか?」

 

「いいよ。だけど私を怒らせたら、その時は大変な事になるよ」

 

「マジすか。私ら普通に生きてただけなんですけど、何時からこんな秩序のない現代に巻き込まれてるんですか」

 

 僕らと知り合ってからかな。ただ僕もその秩序のない現代を絶賛味わっている最中なので、此処はフォローを入れておこう。

 

「ジャスティーヌ様。此方のお二人は、小倉お嬢様も良く知っている方々です。多少の事は大目に見て頂きたいのですが」

 

「黒い子の……うん、分かった」

 

 よし! 流石に小倉さんの知り合いには暴君ぶりを発揮しないようだ。

 教室で小倉さんが頑張って、自分とジャスティーヌ嬢の伯母との関係を話してくれたから下手な事したら彼女の伯母に伝わる。

 頑張って事実を話してくれた小倉さんには感謝しかない。でも……本当に何であの人はあんなに弱っていたんだろうか?

 

「やっぱさ、私達が知らないだけで、世の中にはリアルお姫様とかいるんだよ」

 

「つうかじゃあですけど、もしかして隣の人って、またリアルで職業メイドさんなんですか?」

 

「カトリーヌ? うん、うちのメイドだよ。もしかして、ってなんで?」

 

「普通に聞き返された……いや、なんでって言うか、日本にはメイドとか居ないんで」

 

「居るじゃないですか。画像でも沢山見ましたよ」

 

 パル子さんとマルキューさんは知らないが、小倉さんも少し前は桜屋敷で壱与と一緒にメイドとして働いていたよ。

 

「私も見ました。ご主人様をお出迎えして、お茶を入れたりしている動画も見ました」

 

「おっけー言い方を変える。日本の一般家庭にはメイドとか居ないんですよ。そう、これだ」

 

 ああ、それなら分かる。

 

「フランスだって一般家庭にはメイドは居ないよ。うちは特別な家だから雇ってるだけだよ」

 

「はあ、それは分かりました。でもあの、此処って一般生徒の来る食堂じゃないですか。皆さん、最上階の食堂が使えるんですよね? え、どうして此処へ?」

 

「このジャス子さんが、雑誌に載っていたハルコさんの作った服のセンスが良いと言うんです。それならハルコさんは私の友人ですし、一度会って話してみてはいかがでしょうという話になったんです。後、少しまだお腹が空いていたので食べにも来ました……ぁいた!」

 

 後半は言わなくて良い話題だ。恥ずかしいので、見えない位置で強めにつねった。

 

「おお本当ですか。嬉しいですな。何処で見たんですか」

 

「この雑誌のこのページ。良い服だと思うよ。貴女がデザインしたの?」

 

「ですです。縫ったのもあちきでげす。そんなに気に入っていただけましたか」

 

「これ、カーディガンだけ安っちく見えない? あと帽子の色だけ浮いてる。全体はパステルカラーなのに、どうして此処だけビビットにしたの? 悪い意味で浮いてる。あと、はみ出てる髪の毛ボリュームがありすぎ」

 

「うひぃ」

 

 容赦の無い駄目出しにパル子さんは縮こまってつるつるとお蕎麦をすすった。喜んでいた顔が、一瞬で残念なものに変わった。

 とは言え、僕もジャスティーヌ嬢と同じ感想を持っているのでフォローは出来ない。

 

「でもそれ以外は良いんじゃない? 水玉ワンピもふりふりスカートも可愛いよ。私もこういうの好き」

 

「おお!」

 

 教室でもそうだったが、ジャスティーヌ嬢は容赦のない感想を言うけど、見るべきところはちゃんと好意的な意見を言うようだ。

 

「私、日本人が嫌いだから、この国来ても無駄だったかなーって思ってたけど。やっと少し学べることが出来たと思えた」

 

 いや、学ぶ以前に君は殆ど学院に来てなかったじゃないか。

 

「ぬははははよくわかんねいけど嬉しいです。私も精進したいと思います。あと私、フランスとか好きです。なんかこう、パリってる感じが」

 

「ジャス子さんはフランスで幾つもの賞に入賞していて、実力を認められて招かれた特待生なんです」

 

「マジすかすごいですね。はいこれ自作の名刺です。良かったらHPのアドレスも載っているので遊びに来て下さい」

 

「ふぅん?」

 

 ジャスティーヌ嬢は受け取った名刺を表裏でひらひらと翻し、カトリーヌさんに渡した。

 即座に名刺を捨てないところを見ると、どうやら僅かながらかもしれないがパル子さんを認めたのかも知れない。

 

「HPに服も載ってるので、気に入ったら連絡下さい。友人特価で、お安く作りますよ」

 

「あ、コラ。営業しなくていい。何時もより余裕があるからと言って、今は駄目。するなら後一ヵ月以上は待って」

 

「一ヵ月? もしかして、それまで注文が埋まっているのですか? 凄いですね」

 

「凄いというかなんて言うか……ああいやその、まだ埋まってないんです。まだ埋まってはいないんですけど」

 

 『まだ』とはどういう事だろう? 歯切れの悪いマルキューさんではなく、隠し事などを考えてなさそうなパル子さんに視線を向ける。

 

「あーいや、今まで個人レベルでしか注文を受けてなかったんですけどね。今回初めて企業さんから依頼が来まして」

 

「ブランドとしての大きな大きな一歩ではありませんか。素晴らしい事です」

 

「ね。何だか映画作ってるところの衣装担当の方が、私の服を気に入ってくれたみたいで。これから撮る映画の、ある女の子の服を私のデザインの服で統一したいそうです」

 

 それは偉大なる成功のチャンスだ。以前、八日堂朔莉から提案されて、エストにも似たような話があったが、僕の主人はその話を断ってしまった。

 

「先ほどスケジュールが埋まっていると仰られていました。という事は、依頼を受けるつもりでいるのですよね?」

 

「まあ、そうです。パル子が今のところやる気を出しているので余裕があるけれど、それでも遅れたらシビアになりそうなんで。依頼を受けた衣装が来月末までに20着」

 

 おっと、それは確かにシビアだ。来月末って事は、今から二か月弱の製作期間か。

 最初に会った時のようにパル子さんは製作が遅れないようになったらしいが、それでも不測の事態が起きたら大変な事になる。

 

「それ以外にも色々と打ち合わせの話があって」

 

「打ち合わせですか?」

 

「ええ……実はうちのブランドのスポンサーになりたいって人が出てくれて」

 

「へえー凄いじゃん」

 

「本当ですね。スポンサーの話まで出て来るなんて」

 

「凄いと……思います」

 

 確かに凄い話だ。パル子さんとマルキューさんのブランドである『ぱるぱるしるばー』は二人だけのブランドなので、資金とかはかなりギリギリでやっている筈。

 でも、スポンサーが付くようになればかなり楽になる。

 

「いやほんとに驚いたわ。いきなりGW中に連絡が来たと思ったら、スポンサーになりたいって話だもんな」

 

「うん。ほんとに驚いた。まあ、詳しい話は今月末になるんだけどね」

 

「すぐには受けなかったんですか?」

 

「ええ、まあ」

 

 何だかマルキューさんの歯切れが悪い。

 同じ事を疑問に思ったのかジャスティーヌ嬢が口を開く。

 

「何でスポンサーの話受けないの? 受けたらかなり楽になると思うよ。それともそのスポンサーになりたいって言って来た相手に、何か悪い噂でもあるの?」

 

「いや……調べたらこっちの世界だとかなり有名な相手なんで問題はないと思いますが……それでもスポンサーとか付いたら相手の要求を聞かないといけない時がありますよね」

 

「そうですね」

 

 スポンサーが付けば仕方がない事だ。

 

「きゅうたろう……あ、この子の事なんですけど、きゅうたろうが悩んでいるのは、私の身体を気遣っての事なんです。いや、スポンサーの話はほんとうにありがたい話なのですが」

 

「無理な要求をされてパル子に負担が掛からないか心配で」

 

「デザインをするのも服を縫うのも私がメインとなるため、この子は製作で力になれない自分が『やれ』と言って良いか悩んでいるだけなのです」

 

 身体への負担か。何かパル子さんの身体には事情があるのだろうか?

 

「この子はアパレル経営科へ通うほどなので、企業の依頼をやり取りするノウハウを学びたいと思っている筈なのです。ただ私はわりとのんきなので、服が作れれば対人でも対企業でもどちらでも良い派です。嬉しいとは思うのですが、スポンサーの件も映画の件もいまいちピンと来ないんです。でも、両方とも受ければ夢に近づけるなら、多少無理してでもやってみても良いかなと思う訳です」

 

 なるほど、友情だ。本格的な企業としてならともかく、まだ学生である彼女達には美しい発想だ。

 

「そこに貴女の意思はないわけ? 欲のないデザイナーなんて価値無いよ」

 

「その『欲』の部分をキュウさんが受け持っているのですよね。ハルコさんの意思は『服を作りたい』で一貫しているのだと思います。その意思を大きな成功へ結びつけるか、個人相手にやっていくのかをキュウさんがコントロールしているように見えます」

 

「スポーツ選手にも、ミュージシャンにも、必ず『欲』をコントロールして『商売』に結びつけるマネージャーがいます。それがお互いの友情を立てられる仲なら、美しく、強固であると思います」

 

「ふぅん? 私、マネジメントは自分で出来るから良く分かんない。服を作るのに他人の都合を考えなくちゃいけないなんて、日本人って不思議だね」

 

 でもそれがパル子さんのモチベーションに繋がるなら、正しい関係だと思うのですがいかがでしょう。

 とは思うものの、今の僕が言えることではない。こっちもこっちで深刻な悩みを抱えているんだから。

 ただパル子さんとマルキューさんの関係はこれまでの僕にはないものだから、見ていて楽しくなってくる。この人達と友人になれて良かった。

 

「よし決めた」

 

 それまで話題の中心でありつつも黙っていたマルキューさんが、誰に向けるわけでもなく声を発した。

 

「うん。パル子もジャス子さんもギャラッハさんもメイドさんも此処まで言ってくれてるんだし。スポンサーの話は前向きに考えて、映画の方も頑張ってみよう。ぶっちゃけ私もやりたかった。そんでやるからには良いもの作ろう。まあやるっつってもデザインするのも実際縫うのもパル子だけど。私も出来るだけサポートするから頑張ろうな」

 

「おう! やりましょう!」

 

 拳をごっつんこする二人を見ていると、青春と言うものの一端に触れた気になれた。

 

「ただやるからには容赦しないからな。今週中に最低でも10枚はデザイン描いてよ。向こうに提出するんだから。また前のように遅れたらあの人に頼むから」

 

「うぎゃあ!」

 

「デザイン無いと生地も買えないんだから速攻な。遅れたりしたらマジ怒るから。その代わり、暫らくはデザイン以外の事を考えなくても良いように私が準備しておくから」

 

「うひぃ。ありがす」

 

 僕も従者の立場がなくエストと対等な友情を結べれば、この二人のように、自分のやりたい事を押し付けても感謝し合える仲に……なれる訳が無い。

 その自分のやりたい事を押し付けた結果、取り返しがつくかつかないかの瀬戸際に追い込まれているんだから。もう二度と僕はエストには自分のやりたい事を押し付けられないだろう。

 ただエストはもう少し欲を持って貰いたい。八日堂朔莉の提案を受けていれば、パル子さんとマルキューさんの前に衣装を使って貰えたかもしれないのに。

 その本人は、なんだか眩しそうな目でパル子さんとマルキューさんを眺めていた。いや、君もこの二人のように自分から攻めて良いんだよ。僕が認める才能があるんだから。

 そしてもう一人の才能ある少女は、とても冷たい目で二人を眺めていた。

 

「なんか日本人って考え方がめんどくさいね」

 

「ジャス子さんもありがとう! ぬはははは!」

 

「あーうん。ところで一つ聞きたい事があったんだけど、貴女の靴下が半分だけずり下がってるのってなんで?」

 

「これですか? なんでというか糊です」

 

「ノリ? まあ別に良いけど」

 

 恐らく『何を使って』の意味と『どうしてそんなことしてるのか』の意味で『なんで』という言葉の解釈がすれ違ってる。

 でも面倒だから橋渡しはしなかった。異文化交流は難しい。

 ……そう言えば、パル子さんとマルキューのスポンサーになろうとしている相手は誰なのだろうか?

 先ほどの話では服飾世界で有名な相手らしいから、僕が知っている人かな?

 

「マルキューさん。質問ですが、お二人のスポンサーになりたいと言った相手は誰でしょうか?」

 

「ああ、そう言えば言ってませんでしたね……え~と、会いに来たのは本人じゃなくて部下の人だったんですけど、今月末には会えるそうなんで確か名刺を貰って」

 

 マルキューさんは財布を取り出し、名刺を探した。

 

「あったあった。え~と、名前は『大蔵衣遠』」

 

 ……伯父様じゃん!?

 ええええええっ! 何で伯父様がパル子さんとマルキューさんのブランドのスポンサーになろうとしているの!?

 驚いたのは僕だけじゃなく、エストも目を見開いて驚いてる。

 

「嘘っ! あの大蔵衣遠さんが!?」

 

「アレ? ギャラッハさんは知り合いなんですか?」

 

「入学式の時に会いました……と言うよりもお二人も知ってる小倉さんの義理のお父様ですよ、その人」

 

「マジ!?」

 

「マジかー。いや本当に驚いた」

 

 こっちも驚かされた。何で伯父様がパル子さんの事を知っているんだろうか。

 入学式で新入生代表を務めたから気になったのかな?

 ……いや。そう言えば、先月エストを経由して小倉さんもパル子さんのデザインと型紙を貰っていた。それを伯父様が見れば、パル子さんに興味を覚えても可笑しくない。

 パル子さんの才能は僕も認めざるを得ない。僕よりも長い間服飾の世界に居て、才能至上主義の伯父様なら尚更にパル子さんの才能を見逃さないだろう。

 

「……もしかして今回のスポンサーの件って、あの小倉さんが気を利かせてくれたとかじゃ」

 

「いえ、マルキューさん。それは違うと思います。聞いた話ですが、小倉お嬢様のお父様である大蔵衣遠様は身内には厳しいお方だそうです。義理ではありますが娘である小倉お嬢様とは言え、そう簡単にはスポンサーの話までは頼む事は出来ないと思います」

 

「朝陽の言う通りだと思います。入学式であった大蔵衣遠さんはかなり厳しそうな人でしたから」

 

「でも、実際に……」

 

「それは先日小倉お嬢様に渡したパル子さんのデザインと型紙が理由だと思われます」

 

「えっ? アレがですか? でも、あれは何時も私がやっているものですから。理由になんてなるとは思えません」

 

「いいえ。充分過ぎるほどに素晴らしいものだったと私は思います。私もお嬢様も正直申しまして、桜の園に戻って見た時は興奮を抑える事が出来ませんでした」

 

 エストも同意するように何度も頷いてくれた。

 

「詳しい事は今月末に会うという大蔵衣遠様に聞くか。小倉お嬢様に尋ねるしかありませんが」

 

「今日は黒い子に聞かない方が良いよ。なんだか午前中全然元気がなかったから」

 

「はあ~、分かりました……なあ、パル子」

 

「なに、きゅうたろう?」

 

「……あの人、何だか普通に接せられていたけれど、やっぱりお嬢様なんだなあ。まさか、あの時にお礼で渡したお前のデザインと型紙が、こんな形で返ってくるなんて思ってもみなかったわ」

 

「うん。もう庶民な私らとマジで世界が違うわーって思うなあ」

 

 

 

 

side遊星

 

 授業が終わった放課後。他のクラスメイト達が帰って行く中、僕とカリンさんはサロンの方に移動して迎えが来るのを待っていた。

 ……何とか精神は回復する事が出来た。これもラフォーレさんが話してくれたジャンの昔話を聞いたおかげだ。

 学生時代の頃からジャンはやっぱり破天荒だったようだ。でも、付き合わせてしまったカリンさんには悪いとは思うけれど、それでも本当に楽しい時間だった。

 後……ラフォーレさんが学生時代のお父様の話も少ししてくれたが……其方は胸の奥にしまっておこう。りそなにも絶対に話さない。もしも僕が学生時代のお父様の事の話を聞いた事が知られたら……考えるだけで本当に怖い。

 ただでさえ今月は本当に忙しい。残り……53着の課題にドレスシャツの製作。後はりそなと約束している衣装だ。

 お父様には悪いけれど、此方を僕は優先して製作するつもりだ。衣装を楽しみにしているりそなを絶対に喜ばせたい。かなりキツイスケジュールになるが出されてしまった今となってはもうやるしかない。

 ……でも、残り53着は本当に辛いよお。

 

「失礼します」

 

「し、失礼いたします」

 

 サロンの扉が開き、アトレさんと九千代さんが入って来た。

 扉が閉まると同時にアトレさんは目を輝かせて僕を見つめてくる。

 

「お待たせしてすみませんでした、小倉お姉様!」

 

 うぅ……本当に慣れない。と言うよりもアトレ様にお姉様と呼ばれるのは……辛い。

 

「ハア~……本当に難儀ですね」

 

 はい、難儀です。カリンさんは僕の事情を知っている人だから、現状を理解してくれているからなあ。でも、相談なんて出来ない事だし……本当に難儀過ぎて困る。

 

「それでは桜の園にご案内したいのですが……その前に、ご質問があります、小倉お姉様」

 

「はい、何でしょうか?」

 

 と質問したけれど、質問されることは分かっている。

 

「今日のお昼の時に特別食堂で楽しそうに小倉お姉様は総学院長と話していました。差し支えなければ、その内容を教えて貰えますでしょうか」

 

 やっぱりそれか。さて、話しても良い事だろうか。

 いや、ジャンの話をラフォーレさんから聞いた事は問題はないのだけれど、才華様が関係するまでの話を今のアトレさんにして良いものか。せっかく才華様と距離を取って心の問題を解決しようとしているのに、心配事を教えてしまったらまた戻ってしまわないか心配だ。

 

「お姉様。いえ、この場ではあえてお兄様と呼ばせて貰いますが、お兄様が一緒に居た時の話は九千代か壱与にして下されば結構です。私が聞きたいのは、その後の小倉お姉様と総学院長の話です。見ていたところ小倉お姉様は本当に楽しそうに聞かれておられましたので」

 

「其方でしたら、ジャン・ピエール・スタンレーの話を聞いていたんです。私は彼に憧れていまして」

 

「スタンレー氏に憧れですか……もしかして京都で言っていた小倉お姉様の人生を変えたというお方は」

 

「はい。彼です……子供の頃に私は一度だけ彼と出会い、その後に彼が服飾の世界で活躍している事を知って……じ、時間が空いた時に母に服飾を教わっていました」

 

 あ、危ない。詳しく話したりしたら怪しまれるかも知れない。

 桜小路遊星様がジャンの事を才華様やアトレさんに語っているのか分からない。下手に詳しく話をして、桜小路遊星様と似た話をしてしまったら、僕の正体が怪しまれる。

 アトレさんには悪いが、此処はルミネさんにした話で誤魔化させて貰おう。

 

「お父様だけじゃなくて、小倉お姉様までに憧れられているだなんて……もしかして小倉お姉様はスタンレー氏の事が好きなんですか?」

 

「友人としては大好きではありますが、恋愛感情はありません」

 

 幾らジャンが大好きだからと言ったって、恋愛感情まではない。あくまで僕は友人としてジャンが好きだ。

 

「それは良かった」

 

 何故かアトレさんは安堵の息を吐いた。本当になんで?

 

「では、小倉お姉様。先ずは桜の園の私の部屋に参りましょう。もう既に壱与も準備をしているでしょうから」

 

「準備ですか?」

 

「はい。小倉お姉様を桜の園に正式に招くお祝いのお菓子パーティーを開くつもりなんです。壱与にはその準備を行なって貰っています」

 

「それは楽しそうですね」

 

 今日はりそなも遠出の仕事で帰って来れないから、遅くまで桜の園に居る事が出来る。

 

「今の私の技術を全て込めて作るつもりなので、楽しみにしていて下さい」

 

「はい、楽しみにさせて頂きます」

 

 アトレさんの作るお菓子か。楽しみだなあ。

 どんなお菓子が出て来るのか。

 

「さあ、参りましょう」

 

「ええ」

 

 僕とカリンさんはアトレさんと九千代さんに付いて行き、地下通路を通って桜の園の最上階にあるアトレさんの部屋にやって来た。

 

「お待ちしていました」

 

 部屋に入ってみると八十島さんが既にパーティーに出すお菓子作りの準備をしていた。

 

「フフッ、こうして小倉さんが桜の園にやって来るのは何だか感慨深いものがありますね」

 

「そうですね」

 

 一ヵ月前はもう二度と来れないと思っていたから、確かに八十島さんが言うように感慨深いものを感じる。

 アトレさんは八十島さんの指摘に、恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 

「壱与。余りその事は言わないで下さい」

 

「あら、ごめんなさい、アトレお嬢様」

 

「もう……では、私も作り始めますので、小倉お姉様は部屋で寛いでいて貰って構いません」

 

「あの……見学していて良いですか? 私も料理は好きなので」

 

「はい! 構いません! 何か指摘する事があったら是非お願いします!」

 

 とは言われても、僕が指摘出来る事はあまりないと思う。

 料理を作るのは確かに好きで頑張っているが、パティシエ科に通っているアトレさんや九千代さんに教えられる事は無いと思う。

 そう思っていると、カリンさんが八十島さんに話しかけていた。

 

「私は手伝った方が良いでしょうか?」

 

「クロンメリンさんは、なにか作れますか?」

 

「カリンさんはワッフル作りが得意なんです。休みの日とか私やりそなさんに差し入れで持って来てくれたりして貰っています」

 

「そう言えば、叔母様が桜の園に訪ねに来た時も、この部屋の調理場で作っていましたね。宜しければ教えて貰っても良いでしょうか?」

 

「……構いません」

 

 カリンさんのワッフルは本当に美味しい。

 やはり、ワッフルの本場であるベルギー出身なのもあるのかも知れない。しかし、パーティーか。

 アトレさんの事だから才華様達も呼んでいるだろうから、僕とアトレさんが仲直りした事を教えないと。

 きっと驚くだろうなあ。




次回、才華達に驚愕の出来事が襲い掛かります。

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