月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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遂に桜の園でのパーティー開幕です。

秋ウサギ様、エーテルはりねずみ様、烏瑠様、三角関数様、誤字報告ありがとうございました!


五月上旬(才華side)18

side才華

 

「そろそろ時間ね!」

 

「ええ、そうですね、お嬢様」

 

 先ほどから何度も部屋にある時計を見て時間を確認していたからね。そんなにアトレが言っていたお菓子パーティーが楽しみで仕方がないか。

 ……食べ過ぎには注意しよう。お菓子パーティーと言うからには、アトレの事だ。沢山用意していると見て間違いない。本当ならパーティーが始まる前に少し軽めでも良いから夕食を食べさせたかったんだけれど、この主人は。

 

「フフッ、このために朝陽が夕食の準備をするのを邪魔したんだから沢山食べようっと!」

 

 くっ! 本気で悔しい!

 部屋でエストがデザインに集中している隙に夕食を作ろうとしたのに、エストは即座に反応して台所に移動しようとした僕を身体を張って止めた。無理やり押し通る事も出来たかも知れないが、何時になく真剣な顔をして、それこそいっそ鬼気迫るという様子で僕は妨害されてしまった。

 ……何でこんな事であそこまでの気迫を見せるのだろうか、僕の主人は?

 嘆きを覚えながら僕はウキウキとしながら歩くエストの後をついて行く。まあ、走らないだけマシだと今は思おう。

 エレベーターに乗って屋上に着くと入り口のところに壱与が立っていた。

 

「お待ちしていました、エストお嬢様に朝陽さん」

 

「こんばんは八十島さん。アトレさんにお菓子パーティーに誘われたのですが」

 

「お話はお伺いしております。パーティーの場所は、あちらの方の席になります」

 

 壱与が示した方を見てみると、庭園の一角に大きなテーブルが置かれていて、その上にプリン、フレジエ、ザッハトルテ、エクレア、パフェにケーキなど、その他にも様々なお菓子が並んでいた。

 

「おおおおっ、おおお!!」

 

「はしたない真似は駄目です!」

 

 お菓子の山に走り出そうとしたエストの襟首を掴んで引き止めた。

 

「ハハハッ、随分とお喜びのようですね」

 

「主人が失礼をいたしました……ところで桜小路のお嬢様はどちらに?」

 

 今日のパーティーに誘ったアトレの姿が無い。まだお菓子を作っているのだろうか?

 

「アトレお嬢様はまだ部屋でお菓子を作っています」

 

「アレだけの量を作って! アトレさんは女神なの!?」

 

 沢山の美味しそうなお菓子が食べられるからって、人の妹を勝手に女神扱いしないで欲しい。

 

「あのお菓子の数々はアトレお嬢様お一人で作られた訳ではありません。私も九千代さんもお手伝いさせて頂きました。それでなのですが」

 

 壱与は僕とエストに一枚の紙を差し出して来た。

 受け取り、紙を見てみる。これは……アンケート用紙だろうか?

 

「これは何でしょうか?」

 

「アトレお嬢様が食べたお菓子の感想を貰いたいそうなのです。今後の参考にさせて貰いたいとの事でした」

 

 どうやらアトレは、お母様からの課題に本気で打ち込もうとしているようだ。

 良い事ではあるんだけど……どうにも違和感が拭えない。昼間のジャスティーヌ嬢からのパリへの誘いに対する肯定的な返答と言い、どうしてもアトレらしくないなと思ってしまう。

 いや、良い事には違いない。僕自身が望んでいた事なんだけど……前触れもなくこうなるとどうしても違和感が拭えない。

 微笑んでいる壱与の様子から見て悪い事があった訳ではないと思うが。

 

「朝陽。早く行こう!」

 

「……分かりました」

 

 気にはなるが今の僕はエストの従者である小倉朝陽だ。

 主人であるエストに従って、用意されているテーブルへと向かった。

 

「フフッ、私達が一番乗りみたいね」

 

「いえ、そうでもないようですよ」

 

「えっ?」

 

 どうやら僕らが一番最初に来た訳では無いようだ。

 だって、ほら。何時になく目を輝かせてテーブルに並べられているスイーツを見ている、ルミねえがいた。

 

「あっ、本当だ。ルミネさん!」

 

「ッ! エストさんに、朝陽さん。こんばんは」

 

「こんばんはルミネお嬢様。ルミネお嬢様も桜小路のお嬢様に呼ばれていたのですね」

 

「うん。今日の学院に居る時にわざわざピアノ科に訪ねて来てくれて。それでお菓子パーティーをやるから来てくれないかって頼まれたの」

 

 ルミねえもスイーツは大好きだからね。しかし、僕らは時間丁度に来たけれど、何時からルミねえは居たんだろうか? 少し気にはなるが、此処は聞かないでおこう。

 本当に嬉しそうにしているからね、今のルミねえは。

 

「まだ食べてはいけないのでしょうか?」

 

「主催者のアトレさんがまだ来てないし。取り敢えず席に着いて待っていよう」

 

「だったら、私も相席して良いかしら」

 

 振り向いて見ると八日堂朔莉が立っていた。

 

「こんばんは。八日堂さん。此処に居るという事は」

 

「うん。私もアトレさんに誘われた」

 

 ふむ。どうやらアトレは本気でパーティーをするつもりのようだ。

 一体どんな心境の変化があったのか。どうか小倉さんに対する敵意が薄れていると良いな。

 もしかしたらと思って周囲を見回すが、小倉さんらしき姿は見えない。やはりアトレはまだ小倉さんを嫌っているようだ。

 僕らが席に着くと、壱与がやって来て紅茶を入れてくれた。本来なら従者の立場の僕がやるべきなんだけど。

 

「本日は朝陽さんも招かれている立場になりますので、用がありましたら私にお申し付け下さい」

 

「それで八十島さん。アトレさんはまだ来ないの?」

 

「お待たせして申し訳ありません、ルミネお嬢様。今最後のケーキを作っているところでして」

 

「アトレさんと九千代さんが?」

 

「いえ、そのケーキはお二人も手伝っていますが、他の方がメインで作っています」

 

 他の方? アトレと九千代以外にも誰か居るのだろうか?

 誘った学院のパティシエ科の友達かなと思いながら、僕らは雑談に興じていた。

 興じている時にフランスの主従であるジャスティーヌ嬢とカトリーヌさんもやって来て、僕らと相席になった。

 ジャスティーヌ嬢は早く食べたそうにしていたが、流石にルミねえの前で傍若無人な行動をするのは不味いと思ったのか大人しくしている。

 気を利かせてくれたのか、それともまだ時間が掛かるのか、壱与がワッフルを持って来てくれた。

 

「このワッフル美味しい!」

 

「本当ね。何だか本場のワッフルって感じ」

 

「これ本場の作り方がされてるよ。私、ベルギーで食べた事があるから分かる」

 

 なるほど。これが本場のワッフルか。

 ……あれ? 本場のワッフル作りまでパティシエ科では教えてくれるのかな?

 取り敢えず僕もワッフルを食べてみよう。うん。本当に美味しい。でも、何だかアトレや九千代の作った物と味が違うような気がする。

 疑問に思ったが、皆が喜んで食べているのに水を差すのは嫌なので雑談を続けた。

 

「映画の衣装を?」

 

「はい。そのような話が今日の昼間にありました」

 

 雑談の内容は、今日の昼間のパル子さんとマルキューさんの話題になった。

 

「同じ教室でもない場所に出向いてまで友人を増やすなんて、アクティブに行動してるんだね」

 

 積極的に誉めてくれているように見せかけて『性別隠しているんだから自重しなさい』とルミねえは言っている。ありがとう、気を付けるよ。

 ……ただ本当は僕だって、ルミねえに忠告を言いたい。

 余程の事情が無い限り、ルミねえはピアノの練習の時間が必要なのにも関わらず、必ず夕食後に屋上の庭園に訪れている。八日堂朔莉もそうだが、彼女は前からコミュ障だと言っていた。

 もしかしたらだが、二人とも僕が相談に行くか、この屋上の庭園に来なければ、人と話す機会が一日の中に一度も無いのかも知れない。教室でもプライベートでも、友達少なさそうだからね、この二人。

 特にルミねえは学院内での交友関係は、残念ながら八日堂朔莉よりも絶望的だし。

 会社関係以外では外出も殆どしていない。

 ……改めて思う。大丈夫なのだろうか、僕の親愛なる姉は。

 思わず心配の眼差しをルミねえに向けていると、何かを考え込んでいた八日堂朔莉が口を開く。

 

「もしかしたらだけど朝陽さんが言っている映画の衣装って……私、その作品に関わってるかも」

 

「衣装が使われる映画に出演されるのですか?」

 

「打診を受けてる段階。スケジュール的に厳しいんだけど、スタッフが畠山さんの知り合いだから出ても良いかなと思っていたところ」

 

「へえー、凄いじゃんパル子。上手く言ったら一気に有名になれるよ」

 

 ジャスティーヌ嬢の言う通りだ。

 映画に衣装を使って貰えるだけでも凄いのに、その衣装を着るのが世界的女優である八日堂朔莉となれば、パル子さんとマルキューさんのブランドである『ぱるぱるしるばー』は一躍日本中で有名になる。今でも雑誌に載るほどに有名だが、本当に映画で使って貰えたら、忙しさは今まで以上になる。

 そうなると伯父様がスポンサーになるという話は良いかも知れない。

 同じ服飾の道を歩む者として悔しい気持ちはあるが、友人としては喜ぶべきだ。

 

「朝陽さんが言っている子って、もしかして先月エストさんと一緒に興奮して見ていたデザインを描いた子かしら?」

 

「はい、そうです」

 

「それはちょっと気になって来たかも。私もあのデザインは気に入っていたから」

 

「……あのデザインか。私にはやっぱり何が良いのか分からない」

 

 喜ぶ八日堂朔莉と対称的に、ルミねえは何故受け入れられるのか分からないという様子だ。

 やはり、ルミねえには感性という点で問題があるのかも知れない。でも、これでパル子さんのようなストリート系の衣装のデザインは駄目だと分かった。今後の参考にさせて貰おう。

 

「う~ん。ちょっと会ってみたいわね。その子に。こういう感じの繋がりってとても素敵だから」

 

「でしたら、桜小路のお嬢様にパル子さんとマルキューさんをこの場に呼んで良いか尋ねてみましょうか。確かパル子さんは学院まで徒歩で通える場所に部屋を借りていると言っていたので、このマンションにも近い筈です。コンシェルジュの八十島さんに確認して貰って……」

 

「あっ、パル子さんも呼ぶんですか? 賑やかで楽しそうですね」

 

 ……アレ? 今、絶対にこの場にいない人の声が背後から聞こえた気がする。幻聴かな?

 あの人の幻聴が聞こえるなんて、もしかしてまたストレスが溜まってる? 

 

「パル子さんと言うと先月お姉様とエストさんが興奮して見ていたデザインを描いた方ですね。私も一度会いたいと思っていましたから、私は来て貰っても構いませんよ、お姉様」

 

 どうやら本当に幻聴だったようだ。今、背後から聞こえて来た声はアトレだ。

 そうだよ。あの人が此処に居る訳が無いよ。だって、あの人を嫌っているアトレが今、僕の背後に居るんだから。

 ……ところで、何故僕の対面に座っている、ルミねえは唖然としたように口を大きく開いているんだろうか?

 凄いレアな光景ではあるけれど。

 

「待たせてしまってすみません。これが最後のケーキです」                           

 

 僕の横を通り過ぎてケーキがテーブルに載せられた。

 ……また幻聴? 何だか身体が震えて来る。横を振り向くのが何でか怖いよ。

 何故かエストと八日堂朔莉も、目を見開いて驚いて固まっている。止めて。

 まるであの人が此処に居るかのような反応は。

 

「わあー! 美味しそう! 黒い子! これって貴女が作ったの!?」

 

「私はお手伝いしただけです」

 

「いえ、このケーキに関しては小倉お姉様と私の共同作業で作らせて頂きました。何時もよりも楽しく作れた自信作です」

 

「……えっ? ……小倉お姉様?」

 

 ルミねえが身体を震わせている。

 美味しそうなケーキが、テーブルに載せられたからじゃないのは分かってる。

 ……うん。もう現実逃避をするのは止めよう。

 ゆっくりと振り向いて見ると、微笑んでいる私服姿のアトレと制服姿の小倉さんが立っていた。その背後にはカリンと九千代も立っているが、其方を気にしている余裕が今の僕にはなかった。

 

「皆様、お待たせして申し訳ありませんでした。本日は私の招待にお応え下さって本当に感謝いたします。本日のお菓子パーティーは、私と小倉お姉様の仲直りした事をご報告する為でもありました」

 

 えっ? 仲直り? 誰と誰が? 小倉さんとアトレが?

 うそおおおおおおっ!! 余りの事実に僕は口を大きく開けながら驚愕し、ルミねえも目を見開いて驚いている。もしもこの場にエストと八日堂朔莉が居なかったら、小倉朝陽としての演技を忘れていたかも知れないぐらい驚いたよ!

 僕から事情を聞いていたエストと八日堂朔莉は、『えっ? どういう事』と混乱している。

 

「アレ? 黒い子とそっちの子、喧嘩してたの?」

 

 唯一事情を知らないジャスティーヌ嬢が、純粋な疑問を口にした。

 

「はい。ですが、今は本当に仲良しです。ですよね、小倉お姉様?」

 

「勿論です、アトレさん」

 

 アトレ……さん!?

 小倉さんはこれまで桜小路の人間を様付けで呼んでいた。だというのに今、間違いなくアトレはさん付けで呼ばれた。

 ……僕はまだ才華様でしか呼ばれた事が無いのに。

 えっ? 本当に仲直りしたの?

 

「まあ、私には関係ない話だから。それよりも、もう食べて良い?」

 

「はい、構いません。出来ればアンケートにお答えしてくれると、私の今後に繋がります」

 

「それぐらいなら良いよ。じゃあ、カトリーヌ行こうか」

 

「わ、分かりました。ジャスティーヌ様」

 

 ジャスティーヌ嬢とカトリーヌさんは席から立ち上がり、沢山のスイーツが載っているテーブルに向かって行った。

 

「あはははは本当に美味しい! ほら、カトリーヌも食べなよ! 学院の食堂に負けないぐらいどれも凄く甘くて美味しいよ!」

 

「い、いただきます。お、ふおお……! 本当ます。物凄く美味しいます。甘います」

 

 フランス主従は、早くもあのスイーツの数々を堪能しているようだ。

 でも、僕もルミねえもエストも八日堂朔莉も席に座ったまま固まっていた。余りの出来事に、これが本当に現実なのか分からない。

 だって、そうだ。僕のストレスの一つになっていた小倉さんとアトレの関係。下手に手を出したら悪化するかも知れないと思っていたその問題が……今、目の前で知らない間に解決された事を示していた。

 

「皆様、どうされました? さあ、早くお菓子を取りに行って下さい」

 

「いや、その前に……そのアトレさん?」

 

「何でしょうか、ルミねえ様?」

 

「……正直言ってかなり混乱してるんだけど……小倉さんがなんで桜の園に居るの?」

 

「えっ!? あ、あの私が来たら不味いのでしょうか?」

 

「いや、不味くはないんだけど、小倉さんが来るなんて聞いてなかったし……その……最近の小倉さんとアトレさんの事を知っていたから」

 

「アトレさん。私が来る事を話していなかったんですか?」

 

 はい、全く聞いていませんでした。ただお菓子パーティーをやるとしか聞かされてません。

 

「皆様に驚いて貰おうと思いまして、小倉お姉様が来る事は内緒にさせて頂いておりました。サプライズです」

 

 うん。これ以上に無いほどに驚かされたよ。

 ところでアトレ。随分と小倉さんの近くに居るね?

 肩までくっつけて。しかも小倉さんも嫌そうにしていないし。更に言えば、『小倉お姉様』?

 僕の事もアトレはお姉様と呼ぶけれど、何だか僕以上に親しげじゃないか。

 

「とにかく、経緯を話して欲しい。じゃないと訳が分からなくて、せっかく用意してくれたお菓子にも手が出せない」

 

「分かりました。事の始まりは、私がルミネさんと朝陽さんに会った山県さんのピアノの演奏会の次の日に京都に行く事になりまして、その当日の朝に……」

 

「全日本和菓子選手権から帰って来た私が目撃して、九千代を置いて後を付けました」

 

 うぅっ! 何でアトレが小倉さんを追いかけたのかを考えると凄くお腹が痛くなった。

 

「朝陽。大丈夫?」

 

「だ、大丈夫です、エストお嬢様」

 

「そう良かった。じゃあ、私はケーキを食べてと……ふおぉぉっ!! このケーキ凄く美味しい!」

 

「気に入って頂けて本当に嬉しいです」

 

 ……真面目な話をしているのに、僕の主人は。

 しかも選りにも選って小倉さんの目の前で。今度は恥ずかしさで顔を伏せてしまった。

 

「その後、京都で会った私とアトレさんは自分達の気持ちを話し合って仲直りしました」

 

「皆様には本当に私事でご迷惑をお掛けしてしまい、心から申し訳ないと思っております。ささやかですが謝罪したいと思い、このパーティーを考えました。勿論小倉お姉様を歓迎するパーティーも兼ねましたが」

 

「その……桜小路のお嬢様。先ほどから小倉お嬢様をお姉様と呼んでおりますが……ず、随分とな、仲良くなられたのですね」

 

 さん呼びまでされているし。僕なんて才華様としか呼ばれた事が無いのに。或いは、『桜小路のご子息様』だ。

 ……その呼び方だけは今後は絶対にされたくないな。それだったらまだ才華様と呼ばれる方が良いけれど……僕も小倉さんに『才華さん』と呼ばれたい。

 小さな嫉妬を僕が抱いていると、アトレは僕に向かって微笑んで来た。

 

「はい、私と小倉お姉様は仲良しです、お姉様。だって小倉お姉様とは裸のお付き合いをした仲なのですから!」

 

『ブホッ!』

 

 嬉しそうに語るアトレに対して、小倉さんを含めた僕達は息を吐き出した。

 えっ? 裸の付き合いって、まさか小倉さんとアトレがそんな関係に!?

 

「ち、違いますからね! 一緒に露天風呂に入っただけですから!」

 

「そ、そう。良かった」

 

 ルミねえは心の底から安堵したように息を吐いた。

 うん、気持ちは僕も良く分かる。実の妹が百合に目覚めるとか複雑どころの騒ぎじゃない。ましてやその相手が小倉さんだとか、複雑を通り越す事態だよ。

 

「まあ、とにかく仲直り出来たんでしょう。なら良かったじゃない」

 

「あれ? 朔莉さん。アトレさんが小倉さんの事嫌っていたのを知っていたの?」

 

 そう言えばルミねえにエストと八日堂朔莉にも、アトレの事を相談していた事を話していなかった。

 いや、下手に言っていたら、ルミねえ自身が気がついていないピアノ科の問題を話していた事まで知られかねなかったから話さなかったんだけど。

 

「だって、明らかに先月のアトレさんは小倉朝日さんに敵意を向けていたじゃない? 桜の園に来たら追い出すなんて、アトレさんらしくない事も言っていたしね」

 

「うぅ……その節は本当に申し訳ありませんでした。ですが、今は本当に仲良しになりましたから、一緒に写真を撮ったりもしたんですよ」

 

「ア、アトレさん! その事はどうか!?」

 

「あっ! ご、ごめんなさい、小倉お姉様!」

 

 くぅっ! 写真まで一緒に撮るほどに仲が良くなっているなんて! 妹に嫉妬を抱くなんていけない事だが、小さな嫉妬が大きな嫉妬に変わってしまいそうだよ!

 

「仲が良い事は素敵なんだから良いじゃない。それじゃ私もお菓子を取りに行こうっと」

 

「あっ、私も行きます。ケーキを食べ終えちゃったんで」

 

 い、何時の間に!?

 小倉さんが持って来てくれた大きな丸皿に載せられていたケーキが、本当に無くなっている!

 

「確保しておいて良かった」

 

 しかもルミねえは自然と自分の分のケーキを確保していた! まさかと思って八日堂朔莉の方を見て見ると。

 

「フッ」

 

 不敵な笑みと共に、自分の皿に載っているケーキを見せた。

 ……僕だけ出遅れたようだ。先ほどのアトレの話では、あのケーキは小倉さんがメインで作ったらしい!

 驚いて出遅れた僕が悪いんだけれど……エスト、この怒りは忘れないよ。取り敢えず……。

 

「あ、あの小倉お嬢様?」

 

「何でしょうか、朝陽さん?」

 

「……ほ、他に小倉お嬢様が作ったスイーツはあるのでしょうか?」

 

 あれだけあるんだから、あの中に一つか二つぐらいは。

 

「お姉様。残念ながら小倉お姉様が手を出したのは、先ほどのケーキだけです。元々今回のパーティーで出す予定のスイーツを手掛けるのは私と九千代、そして壱与の三人だけのつもりでしたが、小倉お姉様とクロンメリンさんが善意でご協力して下さった訳です。クロンメリンさんには本場の仕込みのワッフルを作って頂きました」

 

「アトレさん達が作っているのを見ていたら我慢出来なくなって、私もケーキを作らせて貰ったんです」

 

 一番最初に僕らが食べたワッフルを作ったのはカリンだったんだ。確かに美味しかったよ。

 そして……残念ながらあの大きなテーブルの上に置かれているスイーツの数々の中に、小倉さんが作った物はない。

 

「流石は本場ですね。アトレお嬢様も私も学ぶ事がありました」

 

「それほどでもありません」

 

 不愛想ながらも誉められて少し嬉しそうな顔をカリンはしていた。

 実年齢を知らなければ、可愛いと思ってしまいそうだ。でも、今はそんな事よりも沢山のスイーツを持って来て凄まじい勢いで食べている僕の主人だ。

 微笑ましそうに小倉さんは見ていてくれているけれど、恥ずかしいのは変わりない。という事で見えない様にしながらソッと手を伸ばして。

 

「メランコリック!」

 

 思いっきり抓った。

 

「あ、あのどうされました、エストさん?」

 

「な、何でもありません」

 

 流石に少しは悪いと思っているのだろうか?

 

「ところでお姉様? 先ほどお話ししていた方をお呼びにならないのですか? まだまだお菓子はありますが、早めにお呼びしていただいた方が良いと思います」

 

 忘れていた。時間はまだ19時半ばぐらいだけど、エストを始めとしてジャスティーヌ嬢という強敵も今日は居る。急いでパル子さんを呼ぼう。

 駄目だったら明日でも良いかなと思いながらメールを送ってみると、『行ってみたいです』と返事が来た。

 すぐさまメールで『桜の園の玄関に着いたらエントランスに居る受付の方に話して下さい。お話は通しておきます』と返信したら、『分かりました』と返事が返ってきた。

 席から立ち上がって空っぽになったお皿を片付けている壱与にパル子さんの件を頼み、僕も幾つかのお菓子をお皿に載せて席に戻った。

 ……口元を小倉さんに拭いて貰っているアトレなんて見ていない。見ていないったら見ていない。

 

「そう言えば、皆さん。覚えていますか? 入学式前にこの屋上に戻って、それぞれフィリア学院に対する目標を語った事を」

 

「ええ、覚えているわ。私は演劇で」

 

「私はフィリア・クリスマス・コレクションでソロとして参加する事を話したね」

 

 ……一瞬、小倉さんと八日堂朔莉の顔が険しくなったのを見過ごさなかった。

 二人とも、今のルミねえの目標がどれだけ困難なのか、やっぱり知っているようだ。以前の僕ならルミねえなら問題ないと言えたが……今はそれがどれだけ困難な事か分かっている。

 ルミねえの目標を叶えるのは、本当に大変だ。

 

「あの時、私は皆さんの応援をさせて貰うと言いましたが……申し訳ありません。応援をする事は出来なくなりました」

 

「……それは……何か目標が出来たという事でしょうか、桜小路のお嬢様」

 

「はい。お姉様。私、アトレは……フィリア学院の文化祭で開催されるスイーツ部門のコンテストでトップを目指す事にしました」

 

 ……不思議と安堵感を覚えた。

 アトレも僕と同じように前に進む事を選んだんだと、何故か分かった。心に抱えている問題は完全には解決していないだろうが、それでも前に進もうとしているアトレを祝福したい。

 その切っ掛けを作ってくれたに違いない小倉さんには感謝だ。

 ……兄妹揃ってこの人には助けられているなあ。

 

「小倉お姉様も食べて下さい。このパーティーは小倉お姉様の歓迎会でもあるんですから」

 

「は、はい。頂きます」

 

 ただアトレ……仲良くなってくれたのは本当に嬉しいけれど、幾ら何でも距離が近過ぎない?

 ほら、小倉さんも少し困った顔をしてるよ。

 

「……まあ、仲良くしていた方が良いんだけれど……この光景を見ると、ちょっとまだ混乱する」

 

 うん、気持ちはよく分かるよ、ルミねえ。

 

「あ、それとですね、小倉お姉様。それにお姉様。今まで事情があって避けていたのもありましたが、本日は本格的にパティシエ科の二人のお姉様のファンの方々とお話しして参りまして、とても、とても皆様と盛り上がりました」

 

「ファ、ファンですか? えっ? あの……そんな方々が他の科にも居るんですか?」

 

「はい、おりますよ、小倉お姉様。黒と銀のお姉様としてお二人は他の科でも有名です」

 

「そ、そうですか……本当に何で私なんて」

 

 いや、貴女は充分にファンが付いても可笑しくないぐらい綺麗ですよ、小倉さん。

 現に入学してから一ヵ月経った今でも、毎朝貴女を見に行く生徒が増える一方じゃないですか。

 

「つきましては、短い時間でお姉様二人を語り尽くせないと思い、私の発案で、二人のお姉様に憧れる者の集い『コクラアサヒ倶楽部』を創部しました」

 

「……えっ?」

 

 言われた意味が分からなかったのか、小倉さんは唖然とした表情でアトレを見つめた。

 『コクラアサヒ倶楽部』。僕だけじゃなくて小倉さんも入っているという事だよね。……素敵な倶楽部じゃないか。僕も入りたい。

 

「『コクラアサヒ倶楽部』という事は朝陽さんも入っているという事よね。素敵な倶楽部。私も入りたい」

 

「あ、それでしたら明日にでも入部届けをお渡しします。主な活動は週に一度の定例会『水曜会』にて、お見掛けしたお姉様のお姿、耳にしたお言葉などの情報を共有し、全員で楽しみを分かちあいます。月に一度は、県外にある桜小路の別邸や有名な観光地に行って『懇話会』を開き、部員の交友を深めます。この時には主に私と九千代が参加してくれた方々にスイーツを作る予定です」

 

 親睦を深めながらも、同時にアトレは自分の実力アップを図るつもりのようだ。流石は僕の妹。抜け目がない。

 

「参加出来なかった方々には部報『黒白桜』を作成することとし、懇話会へ参加出来なかった部員の皆様にお配りします。僭越ながら、初代部長は私が務める事となりました。既に30人以上もの方がこの部に入ろうとしていますから、並大抵の苦労ではないと心得ていますが、全員一致で選ばれた以上は滞りのない運営を心掛けます」

 

「……3、30人以上」

 

 なるほど、僕や小倉さんの事が好きな女生徒は、ともすれば愛情が溢れて極端な行動に出るかも知れない。実際小倉さんが休みの時にナンパされているのを目撃した事がある。

 僕自身も女装の練習をしている時に、ナンパされた事があるので怖さは良く知ってる。いや、男性と女性では差があるだろうが、ナンパされる怖さは本当に分かる。

 

「ああ倶楽部活動が心から滅法楽しみ……これから毎日が楽しくなりそう」

 

「あ、ああ……今から入部しても会員番号は30番以下だなんて」

 

「いえ、そうとは決まっていません。発足してから三日以内に入部した方々で、会員番号を決めるくじ引きを行なう予定なんです。これは初代部長を務めている私も例外ではないので、運が良ければ最後の方に入部届けを提出しても一桁の会員番号を得られるかも知れません」

 

「マジで! でも、三日で百人ぐらい軽く超えそうだから失敗すると三桁になってしまいそうね……でも良いの。稽古と両立してみるつもりだし、今日のお菓子をまた食べられるなら我慢しましょう」

 

「私も入部して良いですか?」

 

 エストめ。お菓子に惹かれたな。

 

「エストさんは残念ながらお姉様の主人なので入部出来ません。エストさんはお姉様とワンセットで愛されていますから。ただエストさんという主人が居てこそお姉様が輝くと言うか、エストさんと楽し気に会話するお姉様を見守るのが良いと申しますか」

 

「レディースコミック!」

 

 漬け物扱いされたエストはしくしくと嘆いてしまった。少しスッキリした。

 

「集団ストーキングの計画により組織的な犯罪の共謀罪適用。判決、即時解散」

 

「私も解散して貰いたいです」

 

 ルミねえの提案に小倉さんが涙を浮かべながら同意している。

 目立つのが苦手なようだからね、小倉さんは。でも、もう結構話が進んでいるようだから止まらないと思うなあ。




漸くあの部活。『コクラアサヒ倶楽部』が発足されました。
原作と違って発足が遅れていますが、朝日が居る事で部員数は増えています。

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