月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~ 作:ヘソカン
後は中旬と下旬で終わり。先は長いですね。それと後書きに話があります。
笹ノ葉様、烏瑠様、秋ウサギ様、誤字報告ありがとうございました!
side才華
「今日は賑やかだったね。騒がしい空気は苦手だけど、ちょっと楽しかった」
「それは僕に対する当てつけなの? ルミねえ」
恨みがましい視線で、僕は親愛なる姉を睨みつけた。
パル子さん達も迎えたアトレが主催したお菓子パーティーが終わった後、僕らはそれぞれ高階層にある部屋に戻った。
沢山のお菓子を食べた事でエストは余程満足したのか、心から嬉しそうにしながら僕と別れた。
……小倉さんの作ったケーキを殆ど独り占めにして食べた事は忘れない。明日からは甘い物を控えさせよう。
その後は一度一階まで下りて、すぐさまルミねえの部屋がある64階に向かった。
屋上庭園から直接移動するのは、エストや八日堂朔莉の前では理由が必要だ。
面倒な手順だが、これからルミねえと話すのは小倉朝陽ではなく桜小路才華だ。
「フフッ、ごめん。それで話って言うのは……やっぱり小倉さんとアトレさんの事だよね」
「うん。と言うよりも、今はそれぐらいしかないよ」
他にもあるにはあるけれど、そっちは今言っても聞いてくれないだろうから、取り敢えずおいておこう。
「気持ちは良く分かる。私も最初に見た時は本当に驚いたから。アトレさんは本気で小倉さんを嫌っていた。でも、今日の様子を見る限り、本当に仲直りできたみたいで良かった」
「仲直りし過ぎかなとは思ったけどね。小倉さんの事を本気でお姉様だなんて呼んでいたし」
「でも、小倉さんとアトレさんって一緒に並んだら、本当の姉妹に見えるよね」
「止めて、ルミねえ。いじめないで」
妹離れをする気だけど、アトレの兄まで止めるつもりはないよ。
でも、本当に良かったあ。これで少なくともアトレの件で小倉さんに何かが起きる事はないんだから。
……ただお母様が怒っている件は別だ。アトレもその事が分かっているから、今日のパーティーではアンケートを取って意見を聞こうとしていた。
良い事には違いないんだけれど……残念な事に今日は余り良い結果を出せなかったようだ。長い間アトレと九千代のお菓子を食べさせて貰っていたから、僕には誰がどのお菓子を作ったのか食べただけで分かる。
パル子さんとマルキューさんが来る前に幾つかのお菓子が無くなっていた。そのお菓子を作ったのは九千代と壱与だ。それとなくアトレも確認して落ち込んでいる事にも気がついた。
あの場では僕には慰める事が出来なかったが、小倉さんがそれとなく慰めてくれていた。本当にあの人には感謝するしかない。
「それで才華さん……アトレさんとは改めて話をするの?」
ルミねえは僕もアトレも大切に想ってくれている。この提案が来るのは分かっていた。だけど。
「いや、まだ話はしないよ。少なくとも年末までは、今の距離で居るつもり」
「……そう」
残念そうな顔をされた。でも、ルミねえには悪いけれど、今アトレと改めて話したら、せっかく僕から離れようとしているアトレの気持ちを無駄にしてしまう。
小倉さんとは確かにアトレは仲良くなった。だけど、根本的な問題であるアトレの心の問題は完全には解消されていないに違いない。
その事はルミねえも分かっている。それでも以前のように仲の良い兄妹の僕らを見たくて、提案してくれたんだろう。
「本当に変わったね、才華さん」
「変わらないといけなかったからね。お父様とも仲直りしたんだよ」
「えっ? 遊星さんと?」
「うん。ルミねえも知っている通り、僕は長い反抗期でお父様に辛く当たっていた。その事も謝罪した。今はお父様の息子として生まれた事を、心から誇りに思える。その切っ掛けを作ってくれた小倉さんには、本当に感謝しているんだ。だから、思うところはあるんだけど、小倉さんとアトレが仲良くなれた事は嬉しいよ」
軽い嫉妬は覚えているけどね。次に桜小路才華として小倉さんに会った時は、僕もさん付けで呼んでも良いと言わないと。
「……こうして才華さんの成長を目にすると、お父様にもそろそろ娘離れして欲しいって心から思う」
「ひいお祖父様は過保護過ぎるからね」
「うん。さっきのお茶会での話なんだけど、お父様はお母様を経由したり、時には自分で二日に一度は確認してくるから」
少し前の僕だったら、ルミねえに仲の良い男子が僕以外に居たら心から嫉妬していたと思う。
でも、今は無理だ。お茶会の時に、その話が出た時は本当にお腹が痛くなった。
ルミねえに近寄ったせいで、その相手の人生が終了とか本当に勘弁して欲しい。まあ、ルミねえに見合う資産を持つ家になればなるほど、ひいお祖父様の怖さが伝わっているだろうから、下手な事はされないと思う。恐るべき親馬鹿。
その事を理解していなかった自分には、心から腹が立つけどね。
「才華さんは……私に恋人が出来るのは嫌?」
「……まあ、嫌な気持ちは今もあるよ。ルミねえは僕の大好きな人だから、他人に手を出されたくないという気持ちはある。でも、ルミねえの人生だから、ルミねえ自身で決めて欲しいと今は思ってる……ちょっと複雑だけどね」
「少し言ってる事が矛盾してるね?」
「お父様が、自分は嫉妬深いかもしれないって冗談で言ってた。でもそれは事実だったのかも知れない。息子である僕は独占欲が強いからね」
「そんなに私の事が大切なの?」
「大切だね。小さい頃からずっと」
だから、僕の手で昔のピアノを楽しそうに弾くルミねえを取り戻したい。いや、取り戻すんだ、あの頃のルミねえを。それが僕に出来るルミねえへの恩返しだ。
「私のこと好き?」
「大好きだよ。恋愛としてではなく、姉としてだけど」
「おいで」
ルミねえが座ったまま両手を広げた。若干ニコニコと嬉しそうにしてるところを見ると、あそこへ行ったら暫らく頭撫で責めに逢うんだと思う。どうしたものかと悩む。
「頭撫でてあげる」
自分で言ってる。
「ルミねえ。僕は成長してるって自分でも言ったよね。なのに、まだそんな幼い弟みたいな扱いなの?」
恋愛的な意味は無くても、一人の男として見て欲しいよ。
「う~ん……実は私もちょっと小倉さんに嫉妬してるんだ」
「えっ? ルミねえが小倉さんに?」
まさか、アトレみたいなことになるんじゃ!? 本当にそれだけは止めてルミねえ!
「勘違いしないでね。私が小倉さんに嫉妬してるのは、大好きな弟をちょっと会っただけなのに随分と成長させてしまったから。本当だったら、私が才華君と遊星さんの親子問題の解決に手を貸したり、才華君がフィリア学院に女装して入学しようとするのを止めなくちゃいけなかった」
「お父様への反抗期は、日本から遠く離れたアメリカでも続いていた事だし、フィリア学院への入学は僕自身が無理やり『お願い』した事だから、ルミねえには責任は無いよ」
「だとしても悔しいっていう気持ちは、どうしても感じてしまう。才華君が私に理屈に合わない嫉妬を向けているようにね」
それを言われたら、僕は何も言い返せない。
仕方ないなと思って立ち上がり、僕はルミねえに抱き締められた。
「素直な才華君は可愛くて良いね。大好きとまで言われたら、大抵の事はしてあげたくなる。申し訳ないけど、お父様の愛情は、そろそろ一般家庭並みのものに落ちついて欲しいと思っている」
いや、それはかなり難しいと思うよ、ルミねえ。
ルミねえに抱き締められながら、僕はほんの僅かだけこの大好きな姉は甘いと思った。
言っては何だが、ひいお祖父様のルミねえに対して向けている愛情は恐ろしいものだ。それこそ僕がルミねえに向けている愛情なんて及ばない程に。
実際、ルミねえと違って嫌われている山県先輩に対する態度は、凡そ常識では考えられない程に酷い。血の繋がりで言えば山県先輩の従兄弟のお父様や、実の兄であるアンソニーさんも、会わない方が山県先輩の為だと思うぐらいだ。
それだって元を正せばひいお祖父様が原因だ。
そしてピアノ科の生徒達と言うか、音楽部門全体の大蔵家に対する過剰な反応。此処まで来れば僕でも分かる。
去年、何かが音楽部門であったんだ。この件に関してはそれとなく壱与に頼んで、紅葉に聞いて貰おうと思う。
フィリア学院の講師を長年務めている紅葉なら、きっと別部門だとしても何か知っているに違いないから。
「小さかった頃を思い出しちゃうな。今も美人だけど、あの頃の才華君は、美少年そのものだった。どうして写真を残しておかなかったんだろう。私の弟が、世界で一番の美少年だったと今でも思ってる」
嬉しいけれど……やっぱり色々と複雑だよ。
弟としてではなく……一人の男として見てくれてさえいれば、ルミねえに強く意見をする事が出来たのに。
……そうだ。今なら頼めるかもしれない。
「聞いて、ルミねえ。実は今日エストが僕のデザインを見て負けを認めてくれたんだ」
「そうなんだ。才華君やアトレさんの話だと、エストさんも負けず嫌いだって聞いていたけど」
「うん。それでルミねえ……フィリア・クリスマス・コレクションの前にある文化祭で行なわれる音楽部門のコンクールに、僕が作った衣装を着て貰いたいんだよ」
「……う~ん。文化祭だったら、お父様も学校の行事の一環だという事で、フィリア・クリスマス・コレクションよりは説得はし易いけれど、まだ私がコンクールの出場者に選ばれるとは決まっていないから、何とも言えないかなあ」
「ルミねえなら選ばれるよ。なんていったって、音楽部門の新入生代表に選ばれたんだから」
技術的には問題は無いそうだから、教師達はルミねえを必ず選ぶに違いない。
……感性や演出の方を重要視されたら危ないけど。
「……分かった。選ばれた時には才華君に衣装を依頼する。ただその場合、才華君が個人で作るの? それともグループで? それに今の才華君の学院での立場はエストさんの付き人だから、デザインを使って貰えるか分からないよ?」
その事は、僕も何とかしてクリアしなければならない事だと分かっている。
こう言っては何だが、特別編成クラスのお嬢様方と一緒に居る付き人は、道具という側面が強い。自分達が主役になりたいと考えているお嬢様方にとっては、道具である付き人の方が目立つのを嫌がる人も居るだろう。
だけど、本来ならば大きな問題な筈のこの問題は、僕のクラスでは起きない可能性が高い。今日の授業でも、僕のデザインはクラス内で好意的な評価を受けていた。
正体さえバレなければ、文化祭などの学院でのイベントで使って貰える可能性は高い。
だからこそ、正体がバレる事だけは絶対に避けなければならない。僕が小倉朝陽という女性ではなく、桜小路才華という男性だと明らかになれば、その時点で終わりだ。
ルミねえの衣装の為にも、今後も注意は怠らないようにしなければ。
「そっちの方は安心してよ、ルミねえ。何とか僕のデザインは使って貰えそうだから」
「……うん。頑張ってね。才華君の衣装を楽しみにしているから」
必ず、昔のピアノを楽しく弾いていた頃のルミねえの気持ちを取り戻せるような衣装を作ってみせるよ。
「友達が沢山出来て、良かったね。皆から慕われてるみたいで、安心した。それにアトレさんの問題も解決出来て良かった」
背中に巻き付いていた腕の力が強くなった。少し苦しい。
「ルミねえ……本当にこんな事に協力してくれてありがとう。何か戒めの為に罰をくれないかな。ルミねえの判決、僕好きだよ」
「判決。大好き」
ありがとう、ルミねえ。
……思わず抱き締めたくなっちゃうよ。ただ今の僕には其処までの勇気は無いので無理。
ただ……こうしてくっついたりした時は何時も思うけど。素に戻った時は、本気で恥ずかしいんだよね。
2階にある自分の部屋に戻った僕は、パソコンを起動させてメールを確認する。
三通メールが届いていた。お母様にお父様、そして……エストだ。うん。エストからのメールは最後にしよう。
先ずはお母様から。さて、僕の送った小倉さんに贈る衣装のデザインの評価はどうだっただろうか?
『今までお前が私に見せてきたデザインの中でも最高と言って良いデザインだ。このデザインから作られた服を着た朝日を、早く見たいと思った』
おおっ! メールではあるけれど、お母様から僕のデザインに対して此処まで高評価を貰えるなんて!
アメリカに居た頃は見せても、『良いんじゃないか』と少し感心はしてくれても、心からの感心はお母様から頂く事が出来なかった。
僕の目的の一つは、今叶った! 大変気分が良い!
マウスを動かして、早く続きを読もう!
『だが、お前、浪人しているのに何故こんな良いデザインが描けた? いや、夫からの教えを確りと受け入れたのなら納得出来るが、それでもと思わず考えてしまうほどだ』
……一気にテンションが下がった。
そうだよ。お母様とお父様は、僕が浪人して桜の園で暮らしていると思っている。
なのに、明らかにアメリカに居た頃と比べる事が出来ない程の良いデザインを描いてしまったんだから不審に思われても仕方がない。
まさか、こんな形で怪しまれる事になってしまうなんて。と、取り敢えず。
『懐かしき桜屋敷で過ごしている内に、自分を見つめ直しました。お父様は本当に大切な事を教えてくれていたのだと知り、その偉大さには尊敬の念を募らせています。それも小倉さんが僕を叱ってくれたからです。あの人への謝罪の意思もありますが、僕が作った服を着て欲しいと願っていたら自然と今のデザインを描けました』
これだ。お父様と小倉さんを大切に想っているお母様なら、この内容で納得してくれると思う。
……してくれるよね? 自分で書いて不安な気持ちが隠し切れないが、お母様へ返信のメールを送った。
次はお父様だ。どうか怪しまれていませんようにと願いながら、メールを開く。
『デザインは見せて貰ったよ。今まで才華が描いて来たデザインの中でも、最高だと思う。僕もこのデザインから型紙を引きたい、と見た時に思ったよ』
グスッ……お父様。本当にありがとうございます。
貴方に誉めて貰えるのは、本当に嬉しいです。何よりもお母様専属のパタンナーであるお父様が、僕のデザインから型紙を引いてみたいと言ってくれた。
これほど名誉で嬉しい事は無い。この気持ちのままエストのメールを読みたいが、どうやらお父様のメールにも続きがある。
『それと才華。りそなに山県さんの事を聞いてみたんだ』
重要な話だ。マウスを持つ手に自然と力がこもりながら動かす。
『予想通り、山県さんはお爺様の妨害を受けているみたい。りそなが言うには、今のままだと山県さんは日本では結果を残すのは無理だって教えてくれた』
……酷い話だと改めて思う。
何故ひいお祖父様は山県先輩を嫌うんだ。それに嫌うだけじゃなくて妨害までするなんて。
でも、一歩間違えば僕もそうなっていたかも知れない。ひいお祖父様に僕も好かれていないから。
『フィリア学院の方でも何かあったそうだよ。詳しい話は部外者だから教えて貰えなかったけれど、去年音楽部門で大変な騒ぎが起きたそうなんだ』
音楽部門で大変な騒ぎ。もしかしたら、それこそが音楽部門の生徒達が大蔵家に対して警戒心を抱く原因なのかも知れない。
詳しい内容を知りたいが、お父様の事を大切に想っている総裁殿が話せないと言うぐらいだ。余程の大事があったに違いない。
やっぱり壱与を経由して紅葉に確認してみよう。紅葉も山県先輩の事は知っているようだったから、確実に何かを知っているに違いない。わざわざ調べてくれたお父様には、本当に感謝だ。という訳で感謝のメールを送らないと。
『ありがとうございます、お父様。世界で活躍するパタンナーであるお父様が型紙を引きたいと言ってくれるなんて、夢のようで本当に嬉しかったです。それとわざわざ山県さんの事を聞いてくれた事は感謝します。何時か、お父様とお母様にも服を作ってみようと思います。その日を楽しみに待っていて下さい』
返信完了。お父様は喜んでくれるかな?
さて……いよいよエストのメールだ。内容は……まあ、分かってるけど見ないとね。
『日本に居るならはよ会いに来いやこの最低野郎!(意訳)』
意訳しないと過激なサブジェクトだが、内容は意外とまともだった。
『以前と違い、私は冷静になったつもりですが、まだお会いしては頂けませんか?』
冷静? 果たして本当だろうか?
先日桜小路才華の更なる所業を話してしまった手前、どうにも本当だとは思えない。
でも、このままエストから逃げ続けるのも無理かも知れない。そろそろ此方も何らかのアプローチをしないと、桜小路才華の好感度はマイナスを振り切ったままになってしまう。
そうなったら結局、年末で僕は終わりだ。殴られるだけでは済まないに違いない。
……うん。
小倉朝陽として好感度を上げるのは、もう無理だ。ならいっそのこと、直接姿を見せるのでなければ才華として接するのも良いじゃないか。
気持ちで言えばエストに会いたい。だけど事情があって会えない。その事情も口に出来ない(出来る訳が無い)。
これなら嘘は何一つ言ってない。それでいてエストの誠意にも応えられる。
少しだけ気持ちが楽になった僕は、慎重にエストへのメールを作った。
『僕も君に会いたいと思ってる。だけど今は会えない事情がある。その事情は残念ながら話す事は出来ない。家に関わる事だから迂闊には話せないんだ』
嘘は言っていない。何せ事がバレたら、桜小路家だけじゃなくてエストの実家のアーノッツ家にまで類が及ぶほどの大事だ。
……会える時期ぐらいは、話しても大丈夫かな?
『今年の年末には解決出来ると思う。フィリア・クリスマス・コレクションには僕も行くつもりだ。その時に君と対面したいし、待たせてしまったお詫びもしたいと思ってる』
これぐらいなら大丈夫な筈だ。
エストも正確に会える時期が分かりさえすれば、あの過激なメールも落ち着くだろう。
さて送信……と、その前に気になっていた事を思い出した。
フィリア学院でのエストのデザインだ。何故アメリカ時代の実力を発揮しないのか。ずっとその事は気になっている。
単に作風を変えようとしているだけなのならばと考えたが、それにしては不自然だ。何せ今年のフィリア・クリスマス・コレクションには、あの服飾界で最高峰のジャン・ピエール・スタンレーを始めとして、他にも有名デザイナーのユルシュールさんや瑞穂さん、それに湊さんが来る事は話した。
今年のフィリア・クリスマス・コレクションで認められる事は、これからの将来に大きな影響を及ぼす。だと言うのに、エストは。
本来なら朝陽として尋ねるべきことだけれど、それとなく聞いても『新しい自分を探そうと思って』としか答えてくれない。今日の授業でジャスティーヌ嬢がハッキリ駄目だと言ったり、総学院長が忠告しても、ニューヨーク時代に戻す気配は一向に見せない。
かと言って従者の朝陽の立場だと、強引に止めさせる訳にもいかない。幾ら対等な立場でとエストが許可してくれているとは言え、朝陽はエストの教師ではない。ある程度駄目出しは許可されていても、友人として対等にアドバイスできる立場ではない。
でも……才華ならどうだろう? 何か教えられるかも知れない。
まだ、才華がした事も知られていない今ならエストに意見を言う事が出来る。
よし、そうとなれば、朝陽としての情報を一切持っていない事を前提として、僕が同じクラスにいなければ、彼女についてどう思うか想像してと。
『君のデザインなら、学外に居る僕の耳にもその活躍の声が入ってくると期待しているけれど、調子はどう?』
この程度なら才華でも聞きそうな範囲だ。
……直接言うのは絶対に無理だなと思いながら、今度こそ送信ボタンを押して一息をついた。
これでエストの問題も解決出来れば、学院での問題は取り敢えずルミねえだけだ。
「とは思っても……ルミねえの方も難関だよ」
八日堂朔莉は実力を示せば好意的な意見も出るかもと言っていたが、その実力も問題があって、しかも音楽部門全体がルミねえに距離を取っている。
あれ? ……これ詰んでいないだろうか?
いやいや、まだ大丈夫な筈だ。うん、大丈夫だと思いたい。
「さて、小倉さんに贈る服の型紙を引かないと」
製図用紙を取り出して、型紙を引き始める。今月中には贈れるよう頑張らないと。
そして小倉さんに笑顔を浮かべて貰って、僕の事もさん付けで呼んで貰えるように頼もう!
『その日の深夜のチャット会話3』
蝶『幾らなんでも課題がキツ過ぎませんか? 今日其方からの連絡が終わった後、殆ど真っ白になっていましたよ。いや、マジで休んだ方が良いって思わず言ってしまうぐらいに辛そうでした』
蜘蛛『俺は服飾に関しては詳しくは分からないが、今の彼女の実力で今月中までに間に合うのかが心配だ』
蛇『ククッ、この程度の課題を超えられずしてアメリカの我が弟を超えられる筈があるまい……それに下手に奴に余裕を与えるのは危険だ』
蜘蛛『どう言う意味だ?』
蛇『これまで奴は他の事など考えられない程に追い込まれていた。だが、アトレの問題も解決し、ルミネ殿の問題もすぐに解決は出来ない事も理解している。つまり、余裕が生まれてしまう。そうなれば、奴に隠しているあの事実に気がつく恐れがある』
蝶『……パリでの私の最優秀賞』
蛇『そうだ。この事実だけは、まだ奴に絶対に気がつかれる訳にはいかない。この事実を奴が知ってしまえば、今度こそ立ち上がれなくなってしまう』
蜘蛛『……確かにそうかも知れない。あのパリでの出来事は、大蔵家を変える出来事だった。俺自身もあの出来事のおかげで色々と変われたからな。だが、彼女には桜小路さんの件以上に絶望を抱く出来事だ』
蛇『加えて言えば、奴がいなくなったことで、恐らく彼方の桜小路はフィリア・クリスマス・コレクションでの最優秀賞を逃した筈だ。当時の奴はデザインはともかく、型紙においてはお粗末なレベルだった。急いで樅山を雇ったとしても間に合わんだろう』
蝶『……それを下の兄に知られるのは絶対に駄目です』
蛇『当然だ。今後も奴の周囲には注意して置け』
偏屈『了解しました』
蜘蛛『……ところで蛇』
蛇『なんだ、蜘蛛?』
蜘蛛『此方の桜小路さんの方はどうする? 聞けば彼女は日本に意識を向け始めたそうじゃないか』
蛇『問題は無い。そろそろ奴はコレクションの時期で忙しくなる。暫らくは日本に目を向ける余裕はない筈だ』
蝶『ルナちょむが頼んだ京都の人の方には、下の兄の写真を送って上げましたからね。快く納得してくれました』
蜘蛛『なら、俺の方でもそれとなく桜小路さんの動きを見張るとするよ……そう言えば蛇。お前が今回の彼女への課題で得られる写真だが、コピーでも良いから寄越せ』
蛇『ふん。ならば貴様は桜小路が所持していた写真のコピーを渡すんだな。これが取引の条件だ』
蜘蛛『……良いだろう』
蝶『うわ~……やっぱ気持ち悪いですね、うちの家は。いや、本気で』
偏屈『難儀ですね』