月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

9 / 234
後編になります。
果たしてりそなが語る朝日がいなくなった後の世界とは。
どう考えても原作とは比較にならないバッドな世界です。


小倉りそなとの対談 6時 後編

side才華

 

 ぼ、僕の耳は可笑しくなってしまったのだろうか?

 目の前にいる相手は、本来僕がいるべき世界では世界に名だたる大財閥の大蔵家の総裁で、僕の叔母の筈の人なのに此方では名字が変わっていて『小倉里想奈』。

 しかも、パリ校に通っていなくて、フィリア女学院日本校の1年生。

 ど、どうなっているんだ!?

 

「あ、あの冗談とかじゃなくて……本当に名字を変えられたのですか!?」

 

「ええ、そうですよ。戸籍の方も私の名字は『小倉』になっています」

 

「大蔵家の次期当主の座は!?」

 

「ああ、それならもう正式に上の従兄弟……貴方も知っている次男家の大蔵駿我が祖父である大蔵日懃から正式に次期当主を指名されたそうです。なので、其方と違って私が大蔵家の総裁になることはありません。頼まれたってなる気はありませんでしたけどね」

 

 嘘おぉぉぉぉっ!?

 ……こ、これまでに集めた情報で、僕の世界と違う部分があるのは感じていたけど、これは決定的な乖離だ。

 一体何がどうなって!? いや、それよりも何よりも……こっちの伯父様はどうなっているのか気掛かりだ。

 フィリア学院の学園長をしていないのは、昨日のルナさんとの会話で分かっている。

 そしてこの時期の伯父様は……何よりも大蔵家当主の座を狙っていた筈だ。僕の方では何れ総裁殿から後を継ぐ事が決まっているから問題はないけど、こっちでは駿我さんが次期当主に指名されたとなると……先ず間違いなく此方の伯父様が大蔵家当主になる事は無い。

 何せ此処に来る前に教えて貰った伯父様の話では、今はともかく、昔はかなり2人とも仲が悪かったそうだから。本人は今もだって言ってたけど、お父様達の世代は仲が良いからね。

 ……いいや、今は何よりも此方の話だ。

 

「……詳しく話を聞いても良いですか?」

 

「……まあ、構いませんよ。代わりに下の兄の話を聞かせて貰いますが……先ず下の兄がいなくなってから、私に何があったのか教えてあげますよ。下の兄が其方に行ってから、私は11月頃にあの狂った大蔵家から飛び出しました」

 

「狂ったって大蔵家がですか?」

 

「貴方からすればまともになった大蔵家しか知らないでしょうが、冗談抜きであの家は狂っています。大蔵家の誰もが権力の座に固執ばかり。お爺様の前では表面上は仲が良いフリをしていますが、その内では次期当主の座を誰もが自分のものにしようとしています。おかげで私は、下の兄以外の肉親を誰も信じられなくなりましたよ」

 

「実際、りそなはこの屋敷に匿ってから去年フィリア女学院に入学する前までは、一歩も外に出られない危うい状況にあった」

 

「下手に外に出たら、大蔵君の配下か次男家の駿我様の配下に捕まって、何処かに軟禁されていたでしょう。りそな様は大蔵の名を捨てて漸く外に出る自由を得られたのですよ、才華様」

 

 ……と、とんでもない事態に此方はなっていた。

 伯父様からお父様が大蔵家を纏めた話は聞かされていたが、まさか、あの人がいなくなった事で此方がそんな事態になっているなんて。

 下手に外に出たら軟禁されていたって……怖過ぎるよ。3人とも冗談を言っている雰囲気じゃないから、本当にあった事なんだろうし。

 

「何せサーシャ達がりそなを保護した時点で、既に追われていたそうだからな」

 

「その件は本当に感謝してますよ、ルナちょむ。あそこで助けて貰えなかったら、今頃私はどうなっていた事か」

 

「少なくとも愉快な事にはなっていなかっただろう。私自身も複雑な家庭環境に身を置いていたが、命の危険と言う点ではなかった」

 

「い、命の危険って……本当なんですか?」

 

「と言うか、貴方は一体何処まで彼方の下の兄の過去を知ってるんですか?」

 

「伯父様からお父様が大蔵家を纏めた経緯の話は聞きました。それ以外だと……昨日ルナさんから教えて貰った……こ、『公開処刑入学式』の話ぐらいです」

 

 後は女装して『小倉朝日』と過ごしていたぐらいだ。

 大体、僕がお父様の過去で知っているのは同年代ぐらいまで。それよりも昔の話は伯父様からも教えて貰っていない。

 僕の話を聞いたりそなさんは、納得したというように頷いた。

 

「下の兄の性格上、自分の昔話なんて進んではしないでしょう。その隠している下の兄の過去を話しても良いものか。悩みますね」

 

「……出来れば教えて貰えませんか?」

 

 りそなさんの言う通り、お父様、そして伯父様は敢えて自分達の過去の話を僕やアトレにしないようにしている。

 あの人も、お父様が話さないんだから話してくれるとは思えない。多分、話してくれない理由は僕が未熟だからだ。実際、お父様が成し遂げた大蔵家に関する偉業を聞いた時は、お腹が痛くて仕方がなかった。

 でも……僕は知りたい。そう此方に来る直前に願ってしまったんだから、知らないといけないに違いない。

 悩むような顔をしていたりそなさんだが、やがて真剣な眼差しを僕に向けた。

 

「仕方ないですね。下の兄の過去に関しては、もうルナちょむ達にも話してしまった事でもありますし……下の兄は日本に来る前は幼少期に大蔵家内でこう呼ばれていました。『屋根裏王子』と」

 

「……っ!」

 

 息を思いっきり呑んでしまった。飛び出して来た事実は、最初から僕の予想を超えていた。

 

「あっちの下の兄の息子である貴方なら知っているでしょうが、下の兄は庶子の子供です。そして大蔵の名を名乗る事は許されても、一族の者としては認められなかった……何事もなければ、大蔵家内の使用人として《出荷》されていたでしょう」

 

 ……《出荷》。凡そ人間に対して使って良い言葉じゃない。

 ルナさんと八千代も、不愉快そうに眉を顰めている。

 

「下の兄は何れ訪れる《出荷》の日の為に、あらゆる事を学ばされた。それこそ出来なければ容赦の無い叱責や体罰を与えられていたでしょうね」

 

「……ち、父親である真星お爺様は、何もしなかったんですか?」

 

 伯父様の話では金子お婆様は今はともかく、過去ではお父様を心の底から嫌っていたそうだから、虐げる側だったのは分かる。なら、真星お爺様ならと僕は思ったが、口に出してすぐに思い出してしまった。

 あの人が、実の父親に関して何と言っていたのかを。あの人はこう言っていた。

 

『直接顔を見た事はありません。子供の頃に横顔を見ただけです』

 

 その言葉通りだとしたら。

 

「お父様は何もしませんでしたよ。当然下の兄の実のお母様も何も出来ませんでした。妾と言う立場で、元々の役割は使用人ですからね……当然そんな立場に置かれていたら下の兄の教育方針に関して、何かを言う事は出来なかった。お父様は助けようともしなかったらしいです」

 

 ……脳裏にお父様とお母様と過ごした、暖かな家族の日々が浮かんだ。

 とても幸せな日々だったと心から思えるし、言う事が出来る。でも……お父様とあの人は、そんな僕にとって当たり前の日々を過ごす事が出来なかった。

 今更ながら一つの出来事を思い出した。あの人を傷つけてしまった時に、僕は言われた。

 

『あの暖かな……私にとって唯一心から幸せだったって言える日々に帰りたい!』

 

 あれは……本当だったんだ。この桜屋敷で過ごした日々は、あの人にとって本当に幸せを感じる事が出来た日々だったんだ。

 僕が内心で葛藤している間にも、りそなさんは話を続ける。

 

「私も後から事実を知って吐き気を感じました……もう……憎くて仕方ないですね、大蔵家は」

 

 っ!? 

 一瞬見えたりそなさんの表情に、言葉が出なかった。

 総裁殿は何だかんだと言っても、家族を大切にする人だ。だから、他にも事情があるにしてもルミねえがやらかしてしまった時は、全力でフォローしてくれた。でも……今一瞬見えたりそなさんの表情からは大蔵家に対する憎しみしか感じられなかった。

 彼方の総裁殿が持っている……家族の愛情は感じられなかった。

 

「今度は私から質問ですけど……下の兄は今何をしていますか?」

 

「ルナさんにも話しましたが、あの人は今マンチェスターにある祖母のお墓に行っています」

 

「それは一人でですか?」

 

「いえ、総裁殿とルミねえが一緒に行っています」

 

 総裁殿はともかくルミねえが一緒に行ったのは、日本にいるとひいお祖父様の目があって気が休まらないからだそうだ。

 一時期……ルミねえは本当に精神的に追い込まれてしまった。自分の仕出かしていた事を自覚し、更にひいお祖父様の干渉に関しても知ってしまった。そのせいで学院の保健室で休む事も多くなった上に、ピアノを引く事も出来なくなっていた。

 今は回復に向かっているそうだけど、以前のように元気になるのはもう暫く掛かるそうだ。

 この件に関してひいお祖父様はかなり騒いだそうだが、そもそも原因がひいお祖父様で、しかも総裁殿が数々の証拠を以て黙らせたらしい。

 これ以上何かすれば本気でルミねえに嫌われるとまで言われて、ひいお祖父様はかなり消沈されたそうだ。

 同情はしなかったけどね。自業自得としか思えないから。

 

「彼方の私も一緒ですか。まあ、一人じゃないなら安心ですね。何の為に行ったかは知っていますか?」

 

「漸く誇れる事が出来たから、その報告に行くと伯父様が言っていました……って!? りそなさん!?」

 

 僕の話を聞いたりそなさんの瞳から……涙が零れた。

 

「……よ、良かった……下の兄にも漸く出来たんですね……あっちの下の兄のように……実のお母様に誇れるような事が……ほ、本当に……良かった」

 

 涙を流しながらも、嬉しそうにりそなさんは微笑んでいた。

 ……あの人の事を本当に大切に思っている事が、心から分かった。分かってしまった。

 ルナさんも八千代も壱与も涙を流すりそなさんを、静かに見ている。落ち着くまで僕らは待った。

 

「ハァ……屈辱ですね。この甘ったれに泣き顔を見られてしまうなんて。彼方の私に申し訳ありませんよ」

 

 あっ、やっぱりこの人はあの総裁殿と同一人物だ。皮肉屋なところとか。

 

「で、何でこの甘ったれは桜屋敷のメイド服を着てるんですか?」

 

「壱与の話では、元々着ていたメイド服が皺だらけになっていて、人前に出られない状態になっていたそうだ。この屋敷には男性はサーシャしかいないが、事情を話す前に服を借りたりすれば不審に思われる。なので、急遽桜屋敷のメイド服を渡した」

 

「えっ? 最初からメイド服を着ていたんですか? 下の兄の事があるから余り言いたくありませんが……正直言って気持ち悪っ」

 

 グサッと僕の胸にりそなさんの言葉が突き刺さった。

 うぅ……た、確かに世間一般の認識だと男性が女性物の服を着るのは変態的な事だから仕方ないけど……りそなさんだけには言われたくない!

 

「気持ち悪いと言いますが! そもそもあの人に女装してフィリア女学院に通うように進言したのはりそなさんじゃないですか!?」

 

「ぐっ……痛いところをついて来ましたね……ええ、そうですよ、下の兄に女装して通うように進言したのは私です。でも……貴方にまで女装して通えなんて彼方の私は言ってませんよね? って言うか、何で女装を続けているんですか? もう時期的に彼方でもフィリア・クリスマス・コレクションは終わっている筈です。確か夢の中で見聞きした話では、貴方がフィリア学院に通うのはフィリア・クリスマス・コレクションまでの筈なのに」

 

「言われてみればそうだ。彼方と此方では十数年先と言う点以外では、時間の流れは同じだった筈だ。だと言うのに、何故お前はメイドを続けている?」

 

「それは……主人のエストが、『フィリア学院を卒業するまでは私の従者を続けてね』と言ったので、僕は今後もエストの付き人を続ける事になったからです。勿論、彼方の総裁殿が出した条件も成し遂げました」

 

「つまり、フィリア・クリスマス・コレクションで最優秀賞を2つ取れた訳か」

 

「はい!」

 

 この結果を得られた時は本当に嬉しかった!

 必ず取ってみせると決めていたけど、相手になるのは強敵ばかり。努力は怠っていないし、出来る限りのこと全てをやった。それだけの努力を重ねた最優秀賞を受賞出来た時は、本当に感動するしかなかった。

 アメリカに居た時に受賞した時の感動なんて比べものにならない程の嬉しさだった。

 ……ん?

 

「さ、桜小路家の跡取りが、これから後2年以上女装して学院に通うなんて。まるで悪夢……彼方の私。強く生きて下さい」

 

 あっ。凄く落ち込んでいるよ、こっちの八千代。

 あっちの八千代もこの件は最後まで反対していたから仕方ないけど、一番迷惑を受ける立場にいたエスト本人からの要求だ。呑むしかなかった。

 個人的にはこれからもフィリア学院に通える事は、本当に嬉しい。

 但し……毎年最優秀賞を2つ受賞する事が課題として出されてしまったけどね。

 

「あの時期に……朝日さえいれば……私だって……」

 

 ……あれ? 何だか更にルナさんが不機嫌になったような?

 気になるけど、僕の質問に答えてはくれないだろうから諦めよう。それよりも……僕にとっては気になっている事があるんだから。

 りそなさんが大蔵家から離れてしまった事は分かった。だったら、此方の伯父様はどういう状況に居るんだろうか?

 僕の知ってる伯父様は将来的に大蔵家の当主の座を、総裁殿から譲られる事になってる。

 だけど、此方ではりそなさんが大蔵家を出て、次期当主には駿我さんが指名されてしまった。それをあの伯父様が素直に受け入れるとは思えない。

 

「あ、あの……伯父様じゃなくて……大蔵衣遠さんは今どうしてるんですか?」

 

「上の兄ですか? 今現在欧州方面で勢力争いの真っ最中ですよ。大蔵家と」

 

 や、やっぱりいぃぃぃぃ!?

 最悪の可能性が当たってしまった事実に、頭を抱えたくなってしまった。

 

「勝てるのですか!?」

 

「いや、もう無理でしょうね」

 

「だろうな。大蔵衣遠が取り込んでいた大蔵家傘下の企業関連40%の内、半分近くが既に失われた。たとえ此処から逆転出来たとしても、その後に待っている周囲の資産家や企業家からの攻撃に耐えられる余力は残っていないだろうさ」

 

「そ、そんな!? りそなさんは助けようとしないんですか!?」

 

「寧ろ今更私に何が出来ると? 独立を上の兄が目指していた事も再会するまで知りませんでしたし。お爺様からも関心を失われてます。更に言えば、上の兄を助けようとしたら上の従兄弟が何をしてくるか分かったもんじゃありません。私がこの屋敷にいる事を彼は知っています。監視の目も少なからずあるでしょう」

 

「あるだろうな。サーシャと北斗が言っていたが、明らかにこの屋敷を窺っている者が何人かいたそうだ。個人的には大変気分が悪いが、大蔵衣遠の協力者だと思われるよりは遥かにマシだ」

 

「学院でルナ様と大蔵君がやりあったという噂が流れていて助かりました。もし良好な関係だったなんて噂が流れていたらどうなっていた事か」

 

「あ、あのどういう事でしょうか?」

 

「簡単です。本格的に怒ったお爺様は先ず、日本から上の兄の影響力を排除する為に、上の兄と繋がりのある企業家や資産家の排除に乗り出しました。おかげで幾つかの家が潰れました」

 

「えええええええっ!?」

 

 ま、まさか……そんな事を……と言えない。

 お爺様なら確かにやりそうだ。これまで伯父様が大蔵家に及ぼして来た利益や影響力を考えずに。

 ……血の繋がっていない相手が家の当主になる事を、あの『家族主義』のお爺様が認められる筈がない。それにお爺様の家族への愛情は間違った方向に進んでいる。

 同じように大蔵の血を引いているにも関わらず、庶子の子である山県先輩への対応から考えれば明らかだ。

 それから考えれば、家を本気で乗っ取ろうとしている血の繋がっていない伯父様への対応がより苛烈になるのはある意味自然だ。

 ……そんな事にも気がつかず、一応他家になる、ルミねえの前で伯父様にすぐに大蔵家当主になってくれなんて言ったあの頃の僕の馬鹿……胃が痛くなって来たよ。

 

「幸いにもこの屋敷にいる面々はりそなから情報を聞いて対応出来たので無事だが、私のクラスの中には何人かの生徒が学院を辞めざるをえなくなった」

 

 ルナさんが通っているクラスは特別編成クラス。

 家が潰れたら確かに辞めるしかないけど……本気で大変な事態になっているようだ。

 

「つまり、上の兄を助けに欧州に行ったら、無事で済んだルナちょむ達にまで危害が及びます。上の兄とルナちょむ達。どちらを取るかと聞かれたら、私は迷う事無くルナちょむ達を選びます……第一、散々あの上の兄には才能が無いって罵られたんですよ。下の兄が頼むならともかく、進んで上の兄に協力する気なんてこれっぽっちもありません」

 

「さ、才能が無いって……夢で彼方の自分を見たんですよね? 彼方の貴女は立派に大蔵家当主の座について」

 

「それで一家の不手際を庇い続けろと? そんな目に遭うなら当主になるのなんて願い下げです」

 

 うっ……やらかした側なので、それを言われてしまったら何も言えない。

 

「そういう訳で私は上の兄に協力する気も、協力する事も出来ません。個人的にも大蔵家がどうなろうが構わないと思っていますので」

 

「そ、そんな……」

 

「それと下の兄には今の話は絶対にしないで下さいよ。知ったら最悪どころの話じゃありませんからね」

 

「りそなの話だと桜小路遊星が大蔵家を纏めたそうだからな。朝日の性格上、此方の現状を知ったら落ち込むどころの騒ぎでは済まないだろう。下手をしなくても、彼方の私が命名した『鬱日』に戻ってしまう。そうなって自殺なんてされたら困るどころじゃない。良いか? 絶対に話すなよ?」

 

 コクコクと据わった目をしている、ルナさんとりそなに何度も頷いた。

 言われなくてもこんな話を、あの人に出来る筈が無い。いや、しようものなら伯父様と総裁殿、そしてお母様の逆鱗に触れてしまう。

 此処に来る前に伯父様は、アトレの疑問にこう答えていた。

 

『考えるまでも無いことだ。それと、その疑問は決して本人の前では口にするな』

 

 伯父様の性格を考えるなら、お父様と協力しないで事をなしていた場合の事も考えた筈だ。

 その結果……大蔵家は荒れに荒れてしまった。お父様とあの人の存在が、どれだけ重要だったのか改めて理解させられたよ。ああ、また胃が痛くなって来たよ。

 取り敢えず話題を変えてみよう。ちょっと気になっている事もあるし。

 

「あ、あの質問良いですか?」

 

「何だ? 他にも大蔵家に関して疑問があるのか? 先に言っておくが、これ以上聞いても愉快な話題は何一つ出て来ないぞ?」

 

「は、はい。それは分かってます。僕が聞きたいのは、フィリア学院の事です。先ほどから皆さんは『フィリア女学院』と此方では学院の事を呼んでいます。それはつまり……」

 

「そのままの意味だ。其方ではどうやら男子部が設立されたようだが、此方では設立されていない。女学院のままだ」

 

 やっぱりそうなのか。

 薄々気がついていたけど、これはこれで少なからずショックを感じた。

 元々僕の方でもフィリア学院は最初は女学院だったとは聞いていたけど、すぐに男子部も設立された。だけど、どうやら此方では男子部の設立の話さえ出てこなかったようだ。

 今の話から推測すると、お父様がお母様に着せたあの衣装を見て伯父様か設立者のジャン・ピエール・スタンレーが男子部を設立させたに違いない。

 もう少し詳しくお父様が『小倉朝日』だった頃の話を聞いておけば良かった。

 聞こうとすると逃げるからね、お父様。

 因みにあの人から聞くつもりはない。漸く前を向いて歩けるようになったあの人だけど、また以前のように鬱状態に戻ったら怖いから。

 

「まあ、其方で男子部が設立されたのは、其方の下の兄の功績のおかげでしょう……何で此方の下の兄は、あんな目に」

 

「この屋敷から追い出されるどころか、世界から追い出されてしまった訳だからな。正直言って、私は神仏など信じないが、この件に関しては恨みたい気持ちで一杯だ」

 

「ああ、それで思い出しました。どうやってこの甘ったれはこっちに来たんですか?」

 

「信じられないような話だが……バナナの皮に滑って階段から転げ落ちたら此方にいたそうだ」

 

「はっ!? バナナの皮で!?」

 

 ああ、これはルナさんのようにりそなさんからも何か一撃が来そうだ。

 思わず昨日の事もあって身構える。だけど、りそなさんは困惑するように考え込んでいた。

 

「えっ? ……まさか……あのネットの話は事実だったんですか? 余りにもふざけている話だったので、掲示板に嫌味を書き込んでしまったんですけど」

 

「ん? どういう意味だ。りそな?」

 

「まだフィリア女学院に通う前に引き篭もっていた頃に、ネットであの部屋に似た現象は起きてなかったか調べてみたんです。その中に、『バナナの皮で滑ったら過去にいた』なんて話があったんですよ」

 

「それって!?」

 

 僕の現状と良く似ている!

 まさか、他にも実例があったかも知れないなんて思ってもみなかった! いや、それよりも何よりもその人が現在にいるという事は、帰れる可能性があるという事だ。

 『時間遡行』と『世界移動』の違いはあるけど、希望が見えて来た。

 

「詳しい内容は覚えているか?」

 

「もうかなり前の話ですから詳しい内容までは。しかも余りにもふざけた内容にしか思えませんでした」

 

「それに関しては同感だ。バナナの皮で滑って『時間遡行』だの『世界移動』など出来たら、世界は今頃異変だらけだ。番組で特集が組まれているだろう……だが、実例が他にもあるなら検証すべきだな。八千代。すぐにバナナを買って来るように他のメイドに頼んでおいてくれ」

 

「あ、あのルナ様。まさかと思いますが」

 

「安心しろ。私も自分でいきなりやるつもりはない。そんなコント染みた事は先ずユーシェで試してからだ」

 

「駄目に決まっています!」

 

 ユルシュールさんってジャンメール家の三女だよね。

 そんな御令嬢を生贄にしようとするなんて……流石は世界は違ってもルナさんだ。

 しかし、実例が他にもあったと分かって心からホッとしたよ。帰れる可能性があるのとないとじゃ気の持ちようが違うよ。

 

「何でこの甘ったれだけ帰れる可能性が。どうせなら下の兄の方にもあって欲しかったですよ……下の兄」

 

 ……喜んではいられないようだ。

 りそなさんにとってあの人は心の支えだった。その支えがなくなって、どれだけ辛い思いをしたのか僕には分からない。

 実際あの人の影響力は凄い。あの人のおかげで僕はフィリア学院に通えたし、エストの事も最初から主人として見る事が出来た。もしあの人の心の底からの言葉がなければ、僕はエストが溺れた時に正体がバレるのを恐れて助けるのを躊躇ったかも知れない。

 お父様への反抗期だって、あの人のおかげで乗り越えられた。

 ……まあ、あの人の正体を知った今だと凄い皮肉のような気がしないでもないけど、お父様と違う形で僕はあの人に親しみを持っている。

 頼りになる親戚のお姉さ……じゃなくてお兄さんかな。気持ち的には。

 アトレだってそうだし。本当にあの人には頭が上がらないよ。

 そんなあの人が此方ではいなくなってしまった。一番影響が大きいのは大蔵家には変わりないけど、他にも影響が出ているに違いない。気をしっかり持って話を聞かないと。

 

「それでルナちょむ。この甘ったれはどうするんですか? この屋敷に残すんですか?」

 

「本人が言うには、この屋敷に来る直前に考えていた事を実行すれば帰れるかも知れないらしい。因みにその考えていた事は、此方はどうなっているのかと考えていたそうだ」

 

「ああ、確かに物語とかではありそうな話ですね……えっ? つまり私達から話を聞くという事ですか?」

 

「そうなるだろうな」

 

「冗談じゃないですよ。個人的にこの甘ったれは嫌いですが、それでも彼方の下の兄とルナちょむの子供だからクッションぶつけるだけで済ませましたけど」

 

 あっ、そうだったんだ。

 お父様とお母様に感謝しないと。

 

「……京都の人とその付き人に、この甘ったれが会ったりしたら」

 

「冗談抜きで桜屋敷に血の雨が降るだろう。朝日と違ってこれには瑞穂と北斗は悪感情しかない。序でに言えば見た目は確かに女性に見えるが、中身を知っていると女性として見る事は出来ない」

 

「下の兄は、素で一般女性よりも女子力が高いですからね。提案した私も本気で驚かされました。いやだって……本気で女性にしか見えないぐらい仕草とか女性的なんですから」

 

 本人が聞いたら泣きそうだ。

 あの人、男に戻りたいと思っているそうだけど、どこをどう見ても男性には見えないんだよね。

 僕の正体に気がついていた世界的女優の八日堂朔莉だって、言われるまで気付けなかったそうだから。寧ろ更に女装に磨きがかかっていると思う。

 そんな事を考えていたら応接室の扉の方からノックする音が聞こえて来た。

 

「ルナ様、メイド長、朝食の準備が出来ましたが、此方にりそな様はいらっしゃいますか?」

 

「りそななら此処にいる。そうか。もうそんな時間になっていたか」

 

「遅れたら不審に思われますし。行きましょうかルナちょむ」

 

「ああ。壱与。これの食事は此処に運んで来てくれ。朝食の席は静かに食べたいからな」

 

 僕が行ったら間違いなく騒ぎになるから仕方がない。

 応接室から出て行く3人を見送る。

 

「……はぁー、凄く疲れた」

 

 正座していて痺れた足を解しながら、椅子に座った。

 ルナさんも八千代もりそなさんもいないから、今は良いだろう。

 

「それにしても……こっちの世界の荒れ具合は僕の想像を遥かに超えてるよ」

 

 お父様とあの人の過去だって正直驚きだ。

 もっと詳しく聞いてみたい気持ちもあったけど、あれ以上の事実は僕の精神を削り切りそうだ。

 一先ず小休止して精神を回復させよう。

 

「……『屋根裏王子』か」

 

 お父様とあの人が過去にそんな呼ばれ方をしていたなんて夢にも思ってなかった。

 だけど……同時に腑に落ちる部分もあった。それと言うのも、お父様とあの人と同じ非嫡出子の山県先輩に対するお爺様の対応や桜小路本家の対応だ。

 言っては何だが、幾ら入り婿と言え、桜小路本家のお父様に対する対応はあり得ないと言って良い。仮にもお父様は伯父様の弟で、総裁殿の兄なんだから。

 反抗期だった頃の僕ならお父様が軟弱だからで済ませていたが、お父様の偉大さを知った今では違和感を強く感じていた。

 でも、りそなさんの話で理由が見えていた。お父様は大蔵家の人間だと、桜小路本家やその繋がりがある家から思われていないに違いない。お父様の仕事はパタンナー。

 服飾関係者の間では名は知られているが、一般では余り名を知られていない。

 その上、過去に大蔵の人間として扱われてなかったとすれば……辻褄が合う。

 

「だから、総裁殿や伯父様はあの人を目立たせようとしていたんだ」

 

 お父様で失敗してしまったミスを繰り返さない為に。

 本人は凄く嘆いているみたいだけど、お父様の風当たりを考えると仕方ないように思える。

 

「それはそれとして……本当にどうしたら良いんだろうか?」

 

 りそなさんと会話出来たのは助かったけど、明らかに僕の事は嫌っている。

 他のユルシュールさんや湊さんも、間違いなく僕に対しては良い感情を抱いていないと見て間違いない。

 特に瑞穂さんと北斗さんは危険だ。ルナさんとりそなさんの言う通り、下手をしなくても命が危険だ。

 

「せめて誰か一人でも、僕の知り合いの味方が居れ……いや、居なくて良いかも」

 

 下手にアトレとか来てしまったら危険だ。

 他の事情を知っている面々が来ても、余計混乱しそうだ。

 あの人は……戻って来ない方が良いかも知れない。こっちの現状を知ったら、本当に以前の状態に戻りかねないよ。

 

「やっぱり僕自身で頑張るしかない。桜小路才華。やる気マンゴスチンだ!」

 

 僕はやるぞ! 絶対にあっちに戻って見せる!

 差し当たって先ずは壱与が運んで来てくれる朝食を食べて英気を養って……。

 

「大変です! 才華様!?」

 

「わっ! ど、どうしたの壱与?」

 

 いきなり扉が開いたと思ったら、壱与が慌てて入って来た。

 この慌てぶりは只事じゃないよ。一体何が?

 

「ユルシュール様とサーシャさんが、朝食の席に才華様の知っている御方をお連れしました!」

 

「……えええええええーーーーッ!?」




原作で真星は『兄妹全員が手を取り合って困難に立ち向かう』と言っていますが、一番大事な遊星が喪失した事に寄って、手を取り合う事は出来ませんでした。
衣遠は一人で覇道を突き進み、りそなは協力する気は全く無しです。
それに手を貸そうとした場合、駿我が何をするか分かりません。ジャンメール家や花乃宮家はともかく、ルナが興した桜小路家と柳ヶ瀬家が危ないですから。
此方のりそなは、家族(遊星を除く)よりも友人を選びます。

因みに衣遠と直近で縁を結んでしまった某旧華族の本家が……潰されました。
分家になった方は蜘蛛さんが手を回したので、無事です。運がなかったですね、本家の方は。

そして最後にやって来たのは誰なのかは?
次に書く気になった時にアンケートを取りたいと思います。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。