月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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またまた遅れて本当に申し訳ありません。
熱さと仕事の忙しさのせいで、書くことが出来ずに本当に申し訳ありません。

獅子満月様、秋ウサギ様、lukoa様、烏瑠様、ライム酒様、笹ノ葉様、誤字報告ありがとうございました!


五月下旬(遊星side)26

side遊星

 

「なんだか自信ないなあ」

 

 駐車場で合流した飯川さんと長さんを加えた四人で教室内に足を踏み入れてみると、梅宮さんの席から悩むような声が聞こえて来た。

 朝からどうしたんだろうか? 何時もの朝の光景だと、梅宮さんの席を中心に数名の人が集まり、昨日はどうすごしたかや、最近流行っている俳優やドラマの話題、よく笑ったお笑い番組の話を良くしていた。

 才華様やエストさんも今日は加わっている。本当に今日はどうしたんだろうかと気になった僕は、飯川さんと長さんに挨拶をして、そのままカリンさんを伴って梅宮さんの席に近づく。

 

「おはようございます」

 

「…おはよう、小倉さん」

 

 元気が無い。

 何時もの梅宮さんなら礼儀正しい挨拶が返って来るのに、今日の梅宮さんからは元気が感じられなかった。

 

「どうされたんですか?」

 

「……ちょっと宿題のデザインで悩んでいて」

 

「デザイン?」

 

 そう言えば昨日出された宿題は、デザイン画を一枚描く事だった。

 ちゃんと昨日の内に終わらせて来たので問題は無い。散々デザインの才能が無いって言われているけど、それでも僕はかなりの枚数を描いて来たので感覚さえ取り戻せば描くことは苦ではない。

 何よりも……せっかくお父様の課題で現在の流行を理解出来て来たのだから、それがデザインに反映されていなかったら、これまでの苦労が水の泡だ。

 ただこれは常日頃からデザイン画を描くことに慣れている人が出来ることであって、梅宮さんや他のクラスメイトの人達からすれば日に一枚でも難題だ。フィリア女学院の時に、湊が苦労していたのでその事は良く分かる。

 梅宮さんの机の上には一枚のデザイン画が置かれていた。聞いたところ、そのデザインは梅宮さんが苦悩して、夜遅くまで時間を掛けて、漸く仕上げたデザインのようだ。

 ただその出来が梅宮さんは納得がいかないらしい。

 

「私、才能ないのかなあ。自信なくしちゃうなあ」

 

 以前梅宮さんが話してくれたが、彼女はどうやら地元のコンクールで入賞したことが服飾に興味を覚える切っ掛けになったそうだ。

 ……一度でも入賞できたことは、僕個人としては凄いと思う。だって……僕は幾つものコンクールに応募したけど、一度も入賞出来なかったから。

 

「ねえこれどう思う? 正直な感想を聞きたい」

 

「すこぶる良いと思うよ。私なんかより全然」

 

「おそらく自分が思っているよりいい出来だよ。自信持っていいんじゃないかなあ」

 

「でも切り替えのラインの位置が、もっと下の方が良かったかなあ。それだけで一時間くらい悩んだんだ」

 

 僕も意見を言うべきだろうか?

 でも……僕なんかが誰かのデザインに意見を言うのは恐れ多いし。型紙なら意見が言えるんだけど。

 

「はい。そのデザインでも素敵だと思います」

 

 悩んでいたら、才華様が梅宮さんに意見を言って来た。

 

「でもそこにひらひらのディテールを加えようかも悩んだ。結局ゴテゴテするからやめたけど、その方が良かったのかなあ」

 

 従者の立場の才華様に意見を言われても不機嫌そうな様子を見せず、寧ろ積極的に意見を求めた。

 才華様のデザインの実力は、この教室内で認められている。だから、本来なら他の人に仕えている従者が意見を言ってきても、機嫌を損ねる人はいない。

 ……あくまで女性の小倉朝陽としての意見だから、油断をしたらいけないけど。

 

「はい。その発想も素敵だと思います」

 

「そっちの方が素敵なら、このデザインは失敗だってこと?」

 

 それは違います、梅宮さん。

 

「いいえ。いくつかの選択肢があり、その中から伊瀬也お嬢様自身が選んだ答えが今の形なら、それで正解なのだと思います」

 

 才華様はちゃんと分かっていたようだ。少し安堵の息を漏らしながら、静かに話を聞く。

 

「大切なのは製作者の意思が通っているか。正否よりも、自分の選択に誇りを持つ事です」

 

「でも本当にこれが正しいのかなんて分からないよね。悩むなあ。途中で考えたやつの方が良かったのかなあ。やっぱり自信ないなあ」

 

 かなり答えに困る質問がされてしまった。

 梅宮さんはデザインの良し悪しに拘っている。でも、これは結局は本人の感情によるものだから他人である僕らが判断を下すことが出来ない。その上、今描かれていないデザインの事まで可能性の選択肢に加えられたら尚更だ。

 現に周りにいた彼女の友人の方々も少し困ったように顔を見合わせていた。

 さて、どうしたものだろうか? 今の梅宮さんに言える意見が僕にはある。でも……今梅宮さんと話しているのは才華様だ。此処は才華様に任せよう。

 大丈夫。才華様は、もう以前のような相手の事を考えないような発言をすることは無い。だから此処はお任せします、才華様。

 

「私って優柔不断なのかなあ。ねえどうすれば良かったと思う?」

 

「目で見て比べてみるのが一番わかりやすいと思います」

 

「え?」

 

 ……正解だ。

 

「実際に描いて比べてみるのです。頭の中だけで比べるよりも、視覚として並べた方が分かりやすいはずです」

 

 才華様の答えに梅宮さんと周りの同級生達は目を丸くしている。才華様の考えに驚いていないのは、頷いた僕とエストさんだけ。学院に入る前からデザイナーを目指している人にとっては自然な事なのかも知れないが、このクラスにいる人達の半数以上は服飾に関しては素人。

 だから、幼少の頃からルナ様に憧れてデザイナーを目指していた才華様だからこそ言えるアドバイスがある。

 

「先ほど、どちらの方が良いのか一時間ほど悩んだと仰られていましたね。それだけの時間があれば、似たデザイン画を3、4枚は描けます。丁寧に描こうとせず、ラフでも良いのです。頭の中に浮かぶぼんやりした形よりも、全体を目で見て比べた方が長所も短所も見えやすくなります」

 

「でも使わなかったデザインは無駄になるんだよね?」

 

 それは違います、梅宮さん。無駄には決してなりません。

 

「一時間悩むのなら、10分で一枚描いてしまった方が時間の節約になります。手を動かすことで、早く描く練習にもなります。より良いものを生み出すために、出力する手間を惜しまない事です。頭に浮かんだものはすぐ形にするくらいで良いのだと思います」

 

 従者の立場にいる才華様がお嬢様である梅宮さんには言い過ぎかもしれないが、梅宮さん本人が才華様を頼っているし、梅宮さんも真剣に質問している。なら問題は無い。

 それに梅宮さんの顔からは不機嫌な様子は見えないし。

 

「朝陽さんはいつもそうしてるの?」

 

「はい。こうしたいと思った時点で、すぐ形にしてしまいます」

 

「それであんなに手が早いんだ。一日に何枚くらい描いてる?」

 

「最近は型紙や縫製の勉強にも力を入れていますので……20枚くらいですね。デザインに集中している時は、40枚くらいは描いていました」

 

「40枚!?……20枚でも凄いのに、集中している時は40枚ってすこぶる凄い数だよね。私も朝陽さんに教わり始めてから、漸く一日に5、6枚は描けるようになってきた」

 

「それでも調子が悪いと一日1枚仕上げるのがやっとだもんね。20枚や40枚なんて、とても。このクラスでは朝陽さんだけだよ」

 

 いえ、もう一人居ますよ。

 ほら、エストさんが小さく手を上げています。僕とカリンさん以外、誰も気がついていないけど。

 

「あ、あの~、エストさん、元気を出して下さい」

 

「うぅ、小倉さんだけが気がついてくれた。ありがとう」

 

 誰にも気がついて貰えなくて寂しそうにしていたエストさんを慰めた。

 

「でも、朝陽のアドバイスは的確だよね」

 

「はい。良し悪しで悩んでいた梅宮さんに、良いアドバイスでした」

 

「そう言えば、小倉さんは一日デザインを何枚描いているの?」

 

「そ、そうですね」

 

 困った。宿題はともかく、最近はお父様の課題を優先していたから殆どデザインを描いていない。

 それでも、余裕がある時は2、3枚は描いている。

 

「2、3枚ほどですね。最後のチャンスだとは分かっているのですけど、型紙や縫製の方に心が惹かれてしまって」

 

「ふ~ん」

 

 余り驚いていないところを見ると、予想はしていたようだ。

 デザイナー科に通っていながらと思うのは無くもないけど、デザインに関しては残念ながらもう諦めがついている。今は描きたいと思える相手のデザインの型紙を引いて、その製作をしていきたい。

 

「あれ? そう言えば、小倉さん。大丈夫なの?」

 

「えっ?」

 

「ほら。此処最近小倉さん。休み時間とかにドレスシャツを製作していたよね?」

 

「ああ」

 

 学院でも休憩時間とかにドレスシャツを製作していた。やっぱり、エストさんも気になっていたようだ。

 

「あのシャツは今日の朝に完成しましたので、家に置いてきました」

 

「あっ! 完成したんだ」

 

「はい」

 

「少し残念。出来れば完成したところを見てみたかったから。でも、アレって男性物だったけど……誰かに贈るの?」

 

「渡すのはお父様です」

 

「よ、良かったあああ!」

 

 えっ!?

 いきなり背後から聞こえて来た安堵に満ちた声に振り向いてみると、飯川さんと長さんを始めとしたクラスメイトの何名かが安堵したような顔をしていた。

 

「男性物のシャツを小倉お姉様が縫っていると知った時は、小倉お姉様に男が出来たんじゃないかと心配していました!」

 

「それが親への贈り物だったと分かって、心から安堵いたしました!」

 

「どうか誰にも穢されないで下さい、小倉お姉様!」

 

 け、穢されるって。

 大丈夫です。その心配は絶っ対にありませんから。僕は男なんで。

 

「何だ。完成してたんだ。今日も黒い子が製作しているところを見られると思っていたのに」

 

 聞こえて来た残念そうな声に飯川さん達は体をビクッと震わせた。

 僕はゆっくりと振り返る。その先にはやっぱり……。

 

「おはようございます、ジャスティーヌさん」

 

「おはよう、ジャス子さん」

 

「おはよう」

 

 ジャスティーヌさんがカトリーヌさんを伴って立っていた。

 

「ところで何でこんなに集まってるの? 黒い子の縫っていたシャツが完成したのかと思っていたんだけど、家に置いて来たんじゃ違うよね?」

 

 此処最近、ジャスティーヌさんは僕がドレスシャツを縫っている時は黙って見ていた。

 おかげでジャスティーヌさんの暴君ぶりが発揮される事が無かったんだけど……。

 

「もしかしてデザインを見ていたの? 見せて見せて! これ貴女のデザイン!?」

 

 集まっていた中心の梅宮さんの机に置かれているデザインを見たジャスティーヌさんは、即座に飛び出してデザインを取って見た。

 

「あはははははははは!」

 

 即座に笑い声が以前、梅宮さんのデザインを見た時と同じようにジャスティーヌさんから上がった。

 注意すべきだろうか? 流石に人のデザインを見て笑うのは失礼だ。でも、僕が動く前に梅宮さんが席から立ち上がり、ひとしきり笑って飽きたのか、自分の席に戻ろうとしていたジャスティーヌさんの背に声を掛けた。

 

「待ってよ」

 

 明らかに怒っている声音だった。不穏な空気に同級生達は固まってしまっている。

 

「なに? いせたん」

 

「いせたんってなに?」

 

「白い子と黒い子以外は私のことジャス子って呼ぶから。私も貴女達の事をあだ名で呼ぶね。貴女は『いせたん』。日本人って女の子に『たん』付けるよね」

 

 ジャスティーヌさん。それは極一部だけだと思います。とは言っても、ジャスティーヌさんが聞いてくれるとは思えない。それに……教室の皆さんも彼女の事を『ジャス子』と呼んでいる。

 それと……カトリーヌさんに不名誉なあだ名も付けている。

 此処は喧嘩両成敗という事で納得しよう。ただ……出来れば僕も『黒い子』じゃなくて、名字の『小倉』で……って!?

 何自然に自分の名字が『小倉』だって、認識してるの!? 僕の本当の名字は『大蔵』! 名前は『遊星』!

 大蔵という名字自体には、思い入れとかは少ないけど本名を忘れたら駄目だよ!

 

「ど、どうしたの? こ、小倉さん? 急に壁に手をついて」

 

「すみません、エストさん。色々と思うことがありまして」

 

 うぅ……せめて名字だけでも『大蔵』に早く戻りたいと思ってしまうよ。

 そんな風に僕が悩んでいる間にも、梅宮さんとジャスティーヌさんの会話は続いていた。

 

「で、いせたんはなんの用事?」

 

「私のデザインを見て笑ったから。そんなに可笑しい?」

 

「うん、普通! すんごく普通! それなのに大勢で集まってて面白い! こんな普通のデザインを皆で見るんだ。あはははは!」

 

「私のデザインが普通なのは分かった。じゃあ、普通より良い出来のジャス子のデザインも見せてよ」

 

「こないだ見せたよ。新しいの見せてって言われても……」

 

「ジャスティーヌ様。課題のデザインがあります」

 

 カトリーヌさん。日本語が上手くなって来ていますね。助詞とかは外国人の方には難しいのに。

 

「ああ、そういえばあったね。仕方がないから描いたやつが。じゃあ、それでいいか……はい、これ」

 

 ジャスティーヌさんは鞄の中から一枚のデザインを梅宮さんに差し出した。

 差し出されたデザインを梅宮さんは見て……悔しそうに顔を歪めた。一目見ただけで、自分のデザインとの差が分かってしまったようだ。他のクラスメイト達も興味深そうにジャスティーヌさんのデザインを見始めた。

 僕とエストさんも、梅宮さんが手に持っているジャスティーヌさんのデザインを覗いてみる。

 ……あれ? あのデザイン。

 

「あのデザイン。この前、ジャス子さんが授業で描いていたものよりも……」

 

 エストさんも気がついたようだ。あのデザインは……明らかに手を抜いて描かれている。

 前に授業で見たデザインを100点とするなら、今梅宮さんの手の中にあるデザインは30点。良くて40点ぐらいの出来だと思う。

 

「朝陽さん。このデザインと私のデザインはどのぐらいの差があると思う? 正直な感想が聞きたいの」

 

 悔しそうにしながら梅宮さんは才華様にデザインを見せた。

 評価して貰いたいんだろうけど、デザインを見せられた才華様は困ったようにジャスティーヌさんに顔を向けた。

 

「ジャスティーヌ様。このデザインは……もしや……」

 

「白い子は気がついたんだ。うん。そのデザイン。暇潰しで描いたデザインだよ」

 

「なっ!?」

 

「面倒くさかったけど、出さないとまた伯母様に叱られるかもしれないから」

 

 ジャスティーヌさんは僕の方をチラッと見た。

 どうやらまた僕を経由して叔母さんに叱られるのを警戒しているようだ。本当なら課題を出す気も無かったのかも知れない。

 ジャスティーヌさんの話を聞いた梅宮さんは顔を険しくする。

 

「真面目に課題をやる気はないの?」

 

「やったじゃない」

 

「私は真面目にって言ったの! 授業で出された課題なんだから、真面目にやって来るのは当然じゃない」

 

「真面目にやらないと私が何か困ることでもあるの?」

 

「それは……怒られたりとか」

 

「私、伯母様以外の説教なんて聞かないから、別に怒られても良いよ。それにそのデザインでも課題で問題は無いでしょう? だって、白い子とアーノッツの子、それと黒い子以外の誰も手を抜いて描いたデザインだって気がついてなかったじゃない」

 

 悔しそうに梅宮さんは顔を歪めた。言い返したいけど、事実なので言い返せないという様子だ。

 

「でも、日本人って面倒だよね。なんで時間決めて出すように指示するの?」

 

「時間を守るからこそ提出物には意味があるの」

 

「時間だけ守っても、中身がなかったら意味ないよ」

 

 あからさまな駄目出しにいよいよ梅宮さんの眉が吊り上がってきた。

 ……そろそろ介入すべきだろうか? いや、迂闊に介入したら梅宮さんの顔を潰しかねない。

 背後に立って様子を見ているカリンさんに、確認するように視線を向けた。

 ……静かに首を横に振られた。介入しない方が良いと判断しているようだ。無言で頷き、改めて梅宮さんとジャスティーヌさんに顔を向ける。

 

「だって時間守って描いたのがそれなんでしょ。時間を守ったって、普通のもの描いたら誰も認めてくれないよ」

 

 ……実感がこもっている。ジャスティーヌさんはパリで、そういう人達を見て来たのかも知れない。

 

「パリではね、ちょっとくらい時間を守れなくても、いいものを仕上げる職人が認めて貰えるの。他に幾らでも良い職人がいるから、その中でも目立つものを作らないと、誰も手に取ってくれないから」

 

 ……ジャスティーヌさんの言葉には思うところはあるけど……事実だ。

 パリは職人の街と呼ばれるだけあって、良い物を作った人は認められる。その反面、認められるまでが本当に大変だ。夢を抱いてパリに訪れた人が、挫折した数は数えきれないほどに多い。

 ジャスティーヌさんは認められた側だ。時間に厳しいお父様だって、才能があって本当に良い物だったら出すのが遅れる事を認めてくれるに違いない。とは言っても、あくまでそれはデザインの話だ。

 流石に作製する衣装が遅れるような事は認めてくれないと思う。

 尤もその場合は、周りのスタッフが間に合わせてしまうとりそなが話してくれたが。

 

「日本では、作った服に『時間を守りました』って書いておけば、みんな『良いデザインだ』って言ってくれるんだ? 日本人って不思議だね!」

 

「でも提出期限に間に合わなければ、どんな良いものでもコレクションにも出せないし、ショップの棚にも置いて貰えないよ?」

 

「だったら道路で売ればいいんじゃない? 私は普通の服を着るより、いいもの着たい。パリではみんなそう言ってるよ」

 

 く、空気がどんどん悪くなっている。一触即発の緊張感が高まっていて、カトリーヌさんや他の同級生達もどうして良いのか分からなくなって梅宮さんとジャスティーヌさんの顔を見回している。

 このままだと流石に不味い。カリンさんもこの空気は不味いと判断したのか頷いてくれた。

 介入する為に口を開こうとするが、その前に梅宮さんが、ぷいとジャスティーヌさんから顔を逸らした。

 

「もう、良い。困るの私じゃないし」

 

 梅宮さんが折れたことで、教室は緊張状態から解放された。同級生の誰もが安堵の息を吐いた。

 ただ悔しい気持ちだけは抑えきれなかったようだ。最後に、彼女は吐き捨てるように呟いた。

 

「成績がどうなっても知らないから」

 

「日本人の付ける成績なんてキョーミないよ。私の方が良いもの描けるの分かってるから」

 

 言い返すことが出来ず、悔しそうにしながら梅宮さんは黙った。

 それを周りにいた彼女の友人達が慰めている。僕も声を掛けておこう。

 

「梅宮さん」

 

「あっ……小倉さん。ごめんなさい、教室の空気を悪くしちゃって」

 

「気にしていませんから構いませんよ。それよりも元気を出して下さいね」

 

「うん……大丈夫、気にしてないから」

 

 その顔は気にしていないという顔には見えません。

 だって、顔から表情が消えていますから。下手なフォローは更に彼女のプライドを傷つけかねない。

 

「あ、そうだ。私のペットのハリネズミが体調悪いんだけど、良い病院知らない?」

 

 ……ジャスティーヌさん。流石にそれは。

 でも、普通に話しかけたりする辺り、ジャスティーヌさんには先ほどの言動には本気で悪気はなかったようだ。

 

「はい」

 

 それでも親切に、地図と電話番号までメモに書いて渡した事から梅宮さんは本当に良い人だ。

 

「ありがとう。あっ、因みにこれが私のペットのハリネズミの画像ね。お礼に見せてあげる」

 

「あっ、かわいい!」

 

 ……この二人。もしかして実は相性が良いんじゃないのかなあ?

 そんな事を考えていると、教室の扉が開き、樅山さんが入って来た。

 

「おはよう、皆! 席についてね! ホームルームを始めるよ!」

 

 言われて席に着いていなかった同級生達が席に着いて行く。

 僕とカリンさんも席に座り、ジャスティーヌさんとカトリーヌさんも席に着いた。

 ……これだけでも4月に比べれば、ジャスティーヌさんは成長している。4月は本当に教室に朝から居ること自体がなかったから。

 

「今日は素晴らしい発表があります」

 

 何時も元気な樅山さんだけど、今日は何時も以上にニコニコしていて明るい。

 良く見れば頬も紅潮している。本当に良い事があったと分かる様子に、何事かと期待する空気が充満していく。

 僕もちょっと期待が湧いている。もしかしてジャンが下見で学院にやって来るとかだったら、ちょっと複雑だけど嬉しいんだけど。

 

「ジャスティーヌさんの応募したデザインが、専門誌『クワルツ・ド・ロッシュ』上で開催されている『クワルツ賞』の一次審査を通過したと先ほど学院に連絡がありました」

 

 『クワルツ賞』にジャスティーヌさんのデザインが!?

 内心で僕は驚愕した。ルナ様も通過した『クワルツ賞』の一次審査にジャスティーヌさんも合格するなんて。

 クワルツ賞は入賞すればそれだけで功績になるし。優勝者には賞金のほか副賞としてパリ留学までついてくるというビッグイベントだ。言うなれば日本でデザイナーを目指す新人が通る登竜門。

 とは言っても、旧伯爵家の出でパリ出身のジャスティーヌさんからすれば賞金も副賞も興味が無いだろうから、ものは試しぐらいの気持ちだったのかも知れない。

 ただ……樅山さんの報告は普通なら確かに喜ばしい報告には違いない。ルナ様の時だって、一次審査通過の報告の時は教室中がお祭りムードだったし、八千代さんは涙を流して喜んでいたし……何よりもあのお兄様がわざわざルナ様を訪ねに来るぐらいだ。

 本当に凄いことなんだけど……今はタイミングが悪過ぎた。教室内に漂っていた期待感は、一切無くなってしまっている。

 

「このコンクールは100回以上の開催の歴史を持つ、国内でも有数のファッションコンクールです。当院からも数名の入賞を輩出していて、卒業後は誰もが第一線で活躍……あれ?」

 

 もっと大きな盛り上がりがあると想像していたに違いない樅山さんは、やけに静かな空気に戸惑っている。

 本当にタイミングが悪かった。称えられるべき受賞者のジャスティーヌさんが、樅山さんが来る前に梅宮さんと揉めてしまった。現に揉めた梅宮さんは、悔しそうな顔で俯いている。

 そして受賞した当人のジャスティーヌさんと言えば……僕の隣でペットのハリネズミの容態が気がかりなのか、携帯を使ってハリネズミの病気についてネットで調べていた。

 

「ジャスティーヌさん、おめでとう。当院の理事長も喜んでいて、ぜひお話をしたいそうです」

 

 あっ、りそなも知ったんだ。朝にはクワルツ賞の話題は無かったから、学院に来て知ったんだろうけど。

 

「えっ?」

 

 ただハリネズミの病気を調べることに集中していたジャスティーヌさんは、樅山さんの話を聞いていなかった。

 

「クワルツ賞の事ですよ」

 

「あ、うん。てゆーかあのコンクール、応募期間過ぎてたのに間に合ったんだ」

 

 えっ? ……応募期間を過ぎていた?

 

「応募期間過ぎてた……って、いつ応募したの? 締め切りは三月末だったよね」

 

「入学した次の次の日。あの白い子見てデザイン描こうと思ったから」

 

 ……言葉を失うしかなかった。

 クワルツ賞は国内でも有数のコンクールなだけに、応募期間を過ぎて提出されたデザインは基本的に審査対象外にされる。だというのに、ジャスティーヌさんは3月末が期日でありながら4月に出したデザインが合格した。

 恐らく主催者側の特別な働きが動いたんだろうけど……それだって十分に凄いことだ。

 間違いなくジャスティーヌさんはルナ様に匹敵する天才学生デザイナーだ。

 話を聞いていた才華様も、自分がモデルとしてデザインされた作品が評価されたという事で、チラチラと此方を見て来ている。

 

「あ、そだ。提出期限過ぎてるのに、コンクール受かったよ。ねー、締め切り過ぎても、日本の大きなコンクールに受かったよー」

 

「ジャ、ジャスティーヌさん」

 

「それだけ群を抜いて良かったって事だと思う……よ?」

 

 朝起きた事を知らない樅山さんには、なぜジャスティーヌさんが大声で呼びかけているのか。そして梅宮さんが歯を食いしばっているのか、その理由は分からないだろう。本当にタイミングが悪かった。

 

「私、天才だから。良かったね、これで学院に成績が残るよ……ただあの服、白い子が着ないと意味ないんだよね。あの子が着るのを前提に描いたから。イメージが固まっちゃっている。ねー、白い子。何とか賞で優勝する服のモデルやらない?」

 

 駄目ですと言いたい。

 全国的に知名度のある雑誌に女装した才華様が載る? そんな事になったら大変な事になってしまう。

 才華様の容姿は大蔵家の方々も知っているだろうし、アメリカで日本の雑誌を取り寄せている、ルナ様と桜小路遊星様の目にも入る。そうなったらどうなってしまうのか、考えるだけで頭が痛くなりそうだ。

 間違いなく……バレる。そしてコレクション期間が終わると共に、八千代さんと共に日本に戻って来るルナ様が自然と頭の中に浮かんだ。

 クワルツ賞に入賞した生徒が出れば、学院の評価が上がるし、樅山さんにも大きな功績になると思うけど、本当に困るのでどうか断って下さい、才華様!

 

「ジャスティーヌさん」

 

 エストさんが席から立ち上がった。

 

「朝陽にモデルの依頼をするなら、彼女よりも先に、主人である私に許可を求めるべきだと思うの。日本の仕来りは分からないけれど、貴女はフランス、欧州の貴族でしょう? それなら私と共通の価値観を持っている筈。たとえ家柄は下であっても、大切な従者の朝陽を好きに扱わせるわけにはいかない。アーノッツ家の四女として、貴女の発言に抗議する」

 

 ……エストさん。

 即答できずに困っている様子の才華様を見て、自分がこの話を預かることで、どちらの回答でも従者の立場に居る才華様が傷つかないようにしてくれた。残念ながら、今回の話は才華様とジャスティーヌさんとの間の話だったから、部外者の僕には介入することが出来ない。

 才華様を助けて頂いて、ありがとうございます、エストさん。

 一方、ジャスティーヌさんの方は、完全に不貞腐れていた。

 

「またー……アーノッツの子はめんどくさいなあ。叔父さんの件といい、私、いっつもあの子にからまれてる気がする。も、良い。イメージが固まっちゃっているし、学院には悪いけど……」

 

 あれ? ……何だかジャスティーヌさんの視線が僕に向けられているような?

 

「ねえっ! せんせー!」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「さっき、理事長が私に会いたいって言ってたよね?」

 

「えっ……はい。確かにジャスティーヌさんとお話ししたいって言っていましたが」

 

「黒い子の保護者は、その理事長なんでしょう?」

 

「……は、はい。私の保護者は、この学院の理事長ですけど……そ、それがなにか?」

 

 何故そんな質問を今更するんだろうか? 嫌な予感がする。

 

「じゃあ、理事長に会わせて。ちょっと交渉するから」

 

 交渉? ますます嫌な予感が強まって来た。

 

「交渉って? 一体何の交渉ですか?」

 

「黒い子をパタンナーとして借りたいっていう交渉」

 

「えっ!?」

 

 突然の事に僕は思わず声を上げてしまった。

 えっ? 僕がジャスティーヌさんの作品のパタンナー? 一体何でそんな話が出てくるの!?

 樅山さんもジャスティーヌさんの提案に目を見開いて驚いてるし、エストさんと才華様も驚きで固まっている。

 

「私だとあのデザインのイメージが白い子で固まってるけど、黒い子なら他のモデルの子に合わせて作製できると思うんだ。だって、黒い子。間違いなく型紙の才能があるもん」

 

 ……複雑だけど嬉しい気持ちが湧いた。

 彼女ほど才能がある人に認めて貰えるのは、確かに嬉しい。でも……僕は……。

 

「あ、あのジャスティーヌさん。ありがたい申し出なのですが、私は……」

 

「黒い子にも事情があると思うから、アーノッツの子の言う通り保護者に確認してみるよ。もし許可が貰えたら、その時はお願いね。もしも許可を貰えたら、製作するところは必ず私に見せてね! 黒い子が服を作っているところを見るのは、本当に楽しかったから。カトリーヌにも協力させるからさあ」

 

 うぅ、拒否したいんだけど、りそなもジャスティーヌさんのクワルツ賞に関しては気になっているようだから、強く否定出来ない。何よりも……彼女は僕の才能を認めてくれている。

 桜小路遊星様ではなく、僕自身の才能を。その事があるから強く否定出来ないのかも知れない。

 

「と言うわけで理事長に会わせて。学院にいるんでしょう?」

 

「わ、分かりました。ですが、今からホームルームが始まります。その後に連絡しますので終わるまで待っていてください」

 

「なるべく早くね」

 

 ……なんだかどんどん話が進んでしまっている。

 クワルツ賞に出す衣装をまた製作できるのは心が惹かれるけれど、多分りそなも認めないだろうから断る事になってしまう。

 ジャスティーヌさんには申し訳ないが、そうさせて貰おう。

 

「ただ学院は、コンクールでの活躍は望んでいても、求めてはいません。もしも理事長からの許可が貰えずに、クワルツ賞を辞退するなら、学院を言い訳にせず、辞退は自分の意思で決めて下さい。それも一つの青春だからね」

 

 どうやら樅山さんはクワルツ賞の件は、ジャスティーヌさんの意思を尊重するようだ。

 自分の教師としての成績よりも、生徒の意思を尊重する姿勢は立派な先生だと思う。

 とうのジャスティーヌさんは、投げやりに「はーい」と返事をしているんだけどね。




次回も遊星sideで選択肢が発生します。

選択肢
【特別食堂に行く】(パル子と一丸の好感度UP! 一般クラスへの移動率UP!)
【一般食堂に行く】(ルミネ好感度UP!)

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