月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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漸く五月の才華sideは終了です。
残りは遊星sideで、六月に入ります。

秋ウサギ様、dist様、烏瑠様、笹ノ葉様、誤字報告ありがとうございました!

選択肢
【いつでも連絡して欲しい】←決定!
【お互いの勉強の邪魔にならない程度なら】


五月下旬(才華side)30

side才華

 

「小倉お姉様がジャスティーヌさんのクワルツ賞の衣装制作を!? 本当なのですか!? お姉様!?」

 

「はい。桜小路のお嬢様」

 

 エストと屋上に来てみると、其処には何時もの面々が集まっていた。

 妹のアトレに、ルミねえと八日堂朔莉。日によっては会わない事もあるけど、大体お茶をする時はこの面子が揃っている。他愛無い世間話をしていて、小倉さんのクワルツ賞の件を話題にしてみたのだ。

 聞いた僕の妹は、驚きながら僕に詰め寄って来たので頷いた。

 

「クワルツ賞の衣装制作となれば、夜遅くまで掛かる。そうなれば、家に帰っている時間はないかも知れません。それだったら、私の部屋で小倉お姉様を泊まらせても問題はない……九千代! すぐに小倉お姉様が泊まれるように部屋の準備を!」

 

「アトレお嬢様、落ち着いて下さい! まだそうなるとは決まっていないのですから!」

 

「いいえ! 準備はしておいた方が良いんです! 小倉お姉様と共に過ごす一夜。ああ、楽しみで仕方ありません」

 

 ……お願いだから、百合になんて走らないでアトレ。

 幾ら距離を置くようにしているからと言ったって、妹が間違った道に進もうとしているなら、全力で僕は止めるよ。特に小倉さんが妹の相手だなんて、絶対に嫌だからね。

 

「やっぱりその話本当だったんだ」

 

 おや?

 

「ルミネお嬢様は知っていたんですか?」

 

「うん。昼食の時に一般食堂に来ていた小倉さん本人から教えて貰ったの」

 

 やっぱり小倉さんは一般食堂にいたんだ。

 ジャスティーヌ嬢やパル子さん、マルキューさんと会わなかったのは運がなかったと言うしかないか。とは言っても、もしも特別食堂に来ていたら、ますますあの場の空気が悪くなっていたかもしれないし。

 いや、パル子さんとマルキューさんの現状に小倉さんなら的確な意見を言えたかもしれないから……正直どっちが良かったのか判断がつかない。

 

「でも、朝陽さんをモデルにしたいっていう気持ちは分かるわね。私の方にだってこの前の映画の出演以来、何度か朝陽さんの事を尋ねて来るのよ。人付き合いが苦手な私に」

 

 八日堂朔莉の関係者となれば当然芸能関係者。

 そんな人達に関心を持たれるのは、大変気分が良い!

 

「関心と言えば、お姉様。つい先日私が部長をしているコクラアサヒ倶楽部の総部員数が仮入部も含めて700名を突破いたしました」

 

 ……可笑しいなあ? 僕の聞き間違いだろうか?

 まだ、コクラアサヒ倶楽部という部活が設立して一ヵ月も経っていないよね? なのに部員数が700名って……えっ? 本当?

 

「700名って……確かフィリア学院の一学年は2400人だから、ざっと計算しても全生徒の10人に3人が参加していることに。え、それは全員が小倉さんと朝陽さんのファンなの?」

 

「本来はそうあるべきなのですが、残念ながら中には『良く分からないけど人数が多くて楽しそうなサークルがある』という事で参加している生徒もいるのが現状です。小倉お姉様もお姉様も写真をお嫌いなのもあって、部報にお姿を掲載できない事情もあります。そのため、充分な布教活動を出来ずにいます。それでも過半数以上の方々は二人のお姉様を慕っています」

 

 布教しないで欲しい。個人的には小倉さんの写真は大変興味深いが、僕の写真は色々な意味で本当に困るよ。

 

「ですが幹部12名を含む創設メンバーの志は高く、二人のお姉様を慕う詩作や作曲などの芸術活動に勤しんでいます。毎週、お喋りする時間が楽しくて、その場では私が腕を全力で振るったお菓子をお出ししています」

 

「はい。私もアトレお嬢様の付き人でありながら、最近は水曜日の放課後を心待ちにしています。本当に皆さん、明るくて、雰囲気も良くて、青春というものを感じられますね、お嬢様」

 

「ふーん」

 

 おや、ちょっとルミねえが興味深そうにしている。

 もしかしてちょっと楽しそうだと思ってる? 名目上は僕と小倉さんのファンクラブなのだけれど、ルミねえ的にそれで良いの?

 それとも青春という言葉に憧れた? ……青春とか経験がなさそうだからなぁ、ルミねえ。

 アトレから渡された部報をぱらぱらとめくり、読みふけっているルミねえを見ながら内心で僕は失礼な事を考えていた。バレたら怒られるに違いない。

 

「女性限定の部活なので恋愛の諍いもありませんし、新しくできたばかりなので上下関係の煩わしさもありません。みんなで和気藹々と部活動に勤しんでいます。ルミねえ様も興味がおありでしたら、一度来てみて下さい」

 

「私も参加しているけど、倶楽部活動の時間はとても楽しくて……お友達が沢山作れた気分。仕事の関係上毎週参加出来ないのがとても残念。でもルミネさんは小倉朝日さんや朝陽さんのファンというわけではないものね! 一人で寂しい放課後を過ごせばいいんじゃない? お気の毒!」

 

「別に参加したいだなんて言ってない。ピアノの練習もあるし、社長業も忙しいから。全然羨ましくなんてない」

 

「先週行った時に出されたパティシェ科の皆さんが用意してくれた春苺を使ったフレジエは、本当に美味しかったわ。芸術品みたいに綺麗だったし。来週は苺を使ったシュークリームだっけ?」

 

「他にも私が用意したお菓子を出す予定です」

 

「羨ましい!」

 

 ルミねえが、がたりと立ち上がるほどだった。それと同時に、エストがコクラアサヒ倶楽部に異常な興味を示していたけど、アトレは笑顔で。

 

「エストさんはお姉様のご主人様なので入部出来ません」

 

「メランコリック!」

 

「あっ、でもご安心下さい。エストさんも愛されています。エストさんという主人がいてこそお姉様がより輝くというか、エストさんと会話をするお姉様も見守るのが良いと申しますか」

 

「レディースコミック!」

 

 漬け物石扱いされたエストは、アトレが用意していたお菓子を頬張りながらシクシクと嘆いていた。

 ……どんな時でもお菓子があれば手を伸ばす君には、もう嘆くのを通り越して呆れるしかないよ。

 

「因みに小倉お姉様は、誰といても、そして一人でいてもその美しさに見惚れるばかりです! 部員の皆様も小倉お姉様の隣に立つ事が出来て、その輝きを増せる方は誰なのかと議論が交わされています。その相手が私だと思ったら……キャッ! だ、駄目です! 小倉お姉様!?」

 

「……何だか朝陽さんに憧れていた時よりも、今の方がアトレさんに危機感を感じる」

 

 うん。凄く同感だよ、ルミねえ。

 本気で百合になんて目覚めていないよね、アトレ? 兄として本気で心配になって来たよ。

 でも、小倉さんが綺麗だというのは同感だ。あの人の美しさは、お父様とお母様に匹敵するから。僕も自分は美人だと思っているけど、お父様とお母様の美しさには敵わないから。

 そんな事を考えていると、九千代が皆に見えないように手信号を送って来た。あの手信号は、内緒の話がある合図だ。

 アトレに皆の視線が集まっている内に、僕は席から離れて九千代と共に皆から距離を取った。

 

「何か御用でしょうか、九千代さん」

 

 距離を取ったからといって、桜の園では桜小路才華に戻るわけには行かない。

 

「……朝陽さん。実はアトレお嬢様の話には違うところがあるんです」

 

「違うところですか?」

 

「はい……実は部員内では密かにですが、小倉お嬢様と朝陽さんの写真が出回っているんです」

 

「……どういう事でしょうか?」

 

 本当にどういう事だ? 僕と小倉さんの写真が出回っている?

 一体どういう事なのだろうか? もしかして僕と小倉さんの写真を勝手に誰かが撮っているのだろうか?

 

「覚えていますか、朝陽さん。入学式の時に……その小倉お嬢様と会ってしまい思わずその場で立ったまま気絶してしまった事を?」

 

 ……出来れば忘れたい出来事の一つだよ。

 久々に恥ずかしさで頬が赤くなっているのを感じながら、僕はゆっくりと頷いた。

 入学式の時に確かに僕は沢山の生徒達が見ている前で、綺麗すぎた小倉さんを見て気絶してしまった。あの出来事から二ヵ月以上経っているから、その話が話題になる事は少なくなって来て安堵していたんだけど、此処に来てその話が関係してくるなんて思ってもみなかった。

 

「実はその時に、携帯を使ってお二人の姿を思わず撮ってしまった方々がいたそうです。私もアトレお嬢様も拝見させて貰いましたが……気絶した、あ、朝陽さんを凛々しい表情で、お、お姫様抱きして運ぶ小倉お嬢様のお姿は……一枚の絵画のような光景に思ってしまいました」

 

 ……一瞬意識が遠退きかけた。

 僕にとっての恥部とも言える出来事が写真として残っているばかりか、コクラアサヒ倶楽部の部員達に見られている。しかもさっきのアトレの話では700名も部員がいるそうじゃないか……は、恥ずかしい!

 ますます頬が赤くなっていくのを感じながら、僕は震える唇を動かす。

 

「さ、削除の……ほ、方は……出来ませんか?」

 

「無理です。アトレお嬢様も最初は不味いと思って、やんわりと勝手に撮ったのなら削除した方が良いと勧めましたが、相手の方々は一生の宝物で部員以外には見せないからとアトレお嬢様に泣きついてしまって」

 

 それは流石に無理強いは出来ないね。

 

「その代わり、アトレお嬢様はその携帯の画像を送って貰って毎日眺めています」

 

 アトレェェェェーーー!!

 そんなに小倉さんの事が好きになったの!? 僕の気持ちよりも優先するぐらいに!?

 言ったよね! 僕が写真として記録を残すのは年末のフィリア・クリスマス・コレクションだけだって!

 

「勿論アトレお嬢様は厳重に流布しないように注意しています」

 

「……そ、そうですか……お、教えてくれてありがとうございました」

 

 とは言っても……もう諦めるしかない。

 最近の携帯の便利さと、僕と小倉さんが綺麗すぎるからいけないんだ。

 ……だけど、せめて……。

 

「あの……アトレお嬢様にお伝えして貰って良いでしょうか?」

 

「何をでしょうか?」

 

「……その画像を後で私のパソコンに送って下さいと」

 

 せめて凛々しい小倉さんの画像だけは欲しい。その画像を見て、この心の傷を癒やそう。

 

 

 

 

 屋上でのお茶会が終わり、エストとの部屋での業務時間が終了した後、僕は44階に向かった。

 昼間にメールをした相手に相談する為だ。この人の部屋には、本当に相談事で良く来る。頼りになる人だし、今回の僕の相談事には少なからず関わっている人だからだ。

 インターホンを押すと、部屋の扉が開き、寝間着姿の八日堂朔莉が出て来た。

 

「メールに書いた通り、シャワーを浴びて待っていたわ。さっ! 早く入って!」

 

「……お邪魔いたします」

 

 一抹の不安を感じながらも、僕は八日堂朔莉の部屋に足を踏み入れた。

 相変わらず白い部屋だ。案内された僕は、以前と同じように白いソファーに八日堂朔莉と共に腰掛ける。

 

「それで、今回は何の相談? もしかして相談というのは口実で、遂に私に抱かれに……」

 

「先日、屋上庭園でアトレお嬢様が主催で開かれたお菓子パーティーに参加した、パル子さんとマルキューさんを覚えていますか? 本名は銀条春心さんと一丸弓さんです」

 

「ああ、あの、私とは真逆の、友達が多そうでエストさんと朝陽さんが凄い才能を持っているって言っていた明るい子達。彼女達が何か?」

 

「今日のお昼時に朔莉お嬢様がオファーを受けている映画の、衣装の一部を担当すると話題になりました。実際に、担当者の方からは送ったデザインの内10枚ほどOKを貰ったそうです。既に製作も始めているようなのですが」

 

「あの映画。その縁があったから、お話を受けることにしたのだけど。で?」

 

「彼女達の作った衣装が本当に使われるのか、不安になる話を耳にしました。可能性としてはほんの僅かな、本当に些細なことなのですが、衣装の制作費などの支払いに関する契約の面が不十分な内から、担当者との連絡がしばらく途絶えているようです。理由としてはそれだけなのですが……」

 

「ギリギリギリ」

 

「え?」

 

「ギリギリ。ギリギリギリギリ。不愉快。とても不愉快」

 

 僕に対して珍しい事に、八日堂朔莉はそっぽを向いて不機嫌な様子を見せた。

 ギリギリって言うのは歯ぎしりの音か。……もしかしてまた僕は知らないうちに相手を不愉快にさせてしまったのだろうか?

 話し方を間違えてしまった? まさか、相談に何度も乗ってくれていた彼女までと不安感を抱く。

 

「スケジュール的に無理があるし、私、その映画の話はお断りするつもりで気持ちを固めてた。だけど、朝陽さんのお友達も製作に関わるというからお受けしたのに。この前のお菓子パーティーで会った銀条さんも一丸さんも、別に、悪い印象ではなかったし。ネット上で出ている彼女達のブランドの衣装も個人的には好みだったの。なのによ。此方は契約を交わして、今更お断り出来ないのに。彼女達が関わらないというなら、決定的に不愉快。非常にむかっ腹」

 

 しまいには『ギイイ゛ィイイ゛ィィ』と謎の唸り声を発し始めた。

 よ、良かったあ。僕の話し方で不愉快になった訳じゃなかったようだ。本当に良かったよ!

 

「話は分かったわ。もし朝陽さんの不安が真実だった場合、製作が進めば進むだけ、銀条さん達の被害が大きくなる」

 

「はい。もしも私の不安が的中した場合、彼女達は買い手がいない衣装を頑張って製作してしまっていることになります。その製作費の方はバイト代を使っているそうなので」

 

「あら? スポンサーの話はどうなったの?」

 

「其方の方は、スポンサーになられるお方が本日帰国されるそうなので、正式な契約の話は明日話すという事になっています。部下に任せずに、直接本人が契約を交わすという事は、それだけ相手のお方も今回の話を重要視してくれているという事なのですが」

 

「もしかしたら、間に合わないかも知れないという事ね?」

 

「……そうなっていない事を願いたいと思っています」

 

 伯父様が動けば、確実に問題は解決できるに違いない。

 だけど、もしも……本当にもしもの話だが、既にパル子さん達以外のところに衣装製作を依頼していて、更に契約書まで交わしてしまっていたら、パル子さん達の衣装が映画に使われるのは絶望的だ。

 尤も伯父様が非常に不愉快に思うだろうから、映画の製作会社側から見れば、とんでもない不利益を被る事になるだろうが。

 

「一応マルキューさんには、明日会う予定の大蔵衣遠様に頼んで確認して貰うように伝えておきました」

 

「なるほどね……うん。分かった。私の方でも畠山さんに相談しておく。事と次第によっては、違約金を払ってでも出演をお断りするつもり」

 

「それは流石に……とは言い切れないですね」

 

 僕の不安が的中していた場合、先ず間違いなく伯父様が動く。

 徹底的に相手の不備をついて追い込む伯父様の姿が脳裏に過ぎった。それに巻き込まれるぐらいなら、違約金を支払ってでも退避するのは、正解だと心から同意した。

 

「明日起きることが目に浮かぶわね。『ぱるぱるしるばー』からの電話口に、あの大蔵家の人間が出て来るんだもの。制作会社の人が度肝を抜かれる光景が本当に浮かぶ。まあ、私個人としてもそんな不愉快な制作会社とのお仕事はお断りだから。ああ、銀条さん達は関係ないわよ。断る自由は私にあるんだから。今の私にはそれだけの傲慢が出来る位置にいるからね」

 

「ありがとうございます、朔莉お嬢様」

 

「あ、でもね。内側から確かめたいのは分かったのだけど、何故それを銀条さん達や、エストさん、ルミネさんにも明かさないの? それに朝陽さんは遠縁でも大蔵家の親戚で、ルミネさんとあれだけ親しいのだし、大蔵衣遠さんとも知り合いじゃないの?」

 

 ……非常に答え難い質問が来てしまった。

 確かに僕が電話をすれば、伯父様は出てくれると思うんだけど……正直言って今の伯父様は怖いので、電話をしたくないのだ。小倉さんを通して僕の学院生活は知っているだろうから、何か厳しい意見を言われる可能性が高い。

 それが怖くて電話が出来ずにいる。少し前までは伯父様に会えるのが心の底から楽しみだったのに!

 とりあえず、八日堂朔莉の質問には……。

 

「仰る通り、私は大蔵衣遠様とは何度か会った事があります……ただ今は以前お話しした小倉お嬢様を傷つけてしまった件で」

 

「ああ、厳しい視線を向けられるのね」

 

「……はい」

 

 それにパル子さん達のスポンサーの件は、小倉さんがパル子さんのデザインや型紙を見せた事から始まったに違いない。正式なスポンサーの件が決まれば、もう学院でパル子さんとマルキューさんに手を出す相手はいない筈だ。

 それにパル子さんとマルキューさんも、強力な後ろ盾が付いたからと言って威張り散らすような人達じゃないから。

 

「大蔵衣遠さんの方は分かったわ。それじゃあ銀条さん達の方は?」

 

「私は別に報復や攻撃は望んでいません。あくまで自然な成り行きとして収まる範囲の中で、彼女達の力になりたいと思います。何事もなければ、今回の問題は明日には必ず解決します。朔莉お嬢様ならば動いていただいていると知らせても、彼女達に気遣いや申し訳なさを与える必要は無いかと考えました」

 

「納得。じゃあエストさんは? あなたの立場で言えば協力を仰ぐべきだし、更に言ってしまえば、独断で動くのは少し勝手が過ぎるんじゃない? 貴方の事が好きだから自分で明かすつもりはないけど、私に依頼したことをエストさんが知れば、無神経、無責任だと追求されても仕方がないと思うけど」

 

 八日堂朔莉の指摘通りだ。僕の立場はエストの従者。真っ先にこの件に関して相談すべきなのはエストだが。

 今回の件は僕の妄想的な危機感もあるので、エストには相談し難い。だけど、八日堂朔莉ならと思って、観念して僕は話す。

 

「大げさで妄想的な上に、発想が余りに人間としていやらしく、朔莉お嬢様から軽蔑されるのが嫌で言えなかったのですが」

 

「恥ずかしがる朝陽さんの顔素敵。協力するのだから、私には話して?」

 

「……デザイナー科と言うよりも、服飾部門の特別編成クラスと一般クラスの仲は険悪です。以前の事ですが、小倉お嬢様と私がパル子さんとマルキューさんと廊下で話していたところを見られて、小倉お嬢様が同級生の方々に質問された時がありました。その時は小倉お嬢様が以前からの知り合いだという事で納まりましたが、今回の件には同級生、或いは上級生が関わっているのではと疑いました」

 

 入学式からパル子さんは目立ってしまった。

 雑誌にも載っているそうだし、特別編成クラスの同級生や上級生が彼女の存在に気がついていても可笑しくない。特別編成クラスは上流階級のお嬢様達が通うクラスだから、その中に件の制作会社と関わっている生徒がいても可笑しくないと思う。

 人を疑ったらいけないとは分かっているが、ルミねえの件などもあって僕は心配になっている。

 

「ああ、朝陽さん。それはね、貴方が思っているよりも、あり得ない話ではないと思う。今の話だと確執や陰湿さもはっきりしているようだからなおさら。同級生を疑うのは恥じるべきことだけど、それよりも恥ずかしい現実が日常にあるからね。ルミネさんに相談しない理由も分かった。これ以上、学院でルミネさんに『大人げない力』を使って欲しくないから」

 

「はい。既にルミネお嬢様は大人げない力を使って、音楽部門の方々には警戒心を持たれています。服飾部門の上級生と音楽部門の方々は親しいと聞いた事があります。今回の件にもしも特別編成クラスの誰かが関わっていた場合、ルミネお嬢様の評判がますます悪くなってしまうかも知れません」

 

 この場合、悪いのがたとえ服飾部門の特別編成クラスの誰かだとしても、ルミねえが大蔵家の力を振るうこと自体が危険だ。

 以前の教師の件は、客観的に見ればルミねえが我がままで力を振るったように見える。真実はともかく、そう見えてしまったせいでルミねえの立場は悪くなった。その汚名が晴れていない状況でまた、ルミねえが大人げない力を振るったらどうなるか?

 パル子さんとマルキューさんと会ったのは桜の園で一度きり。しかもその事は学院の生徒達は知らないから、ますます危ない。それに、ルミねえは僕本人に関わる事か、僕自身のお願いならともかく、パル子さん達の為に大人の権力を使うとは思えない。基本あの人は、赤の他人に冷たい。

 

「それは正解ね。少なからず関わりがある小倉朝日さんならともかく、ルミネさんの方はこの前のお菓子パーティーで会った一度きりだしね。今回の朝陽さんの考えは正しい。実行できる人間を間近で見ていて、自分の周りにはそれが起こらない事を前提に暮らしているのはとても無防備」

 

「その通りです。ですがエストお嬢様は、無防備であっても魅力的です。人間関係に疎いわけでも、頭が鈍い訳でもなく、それでも同級生を疑いはしません」

 

「そう。私も彼女が好き。だから余計に敏感でいる朝陽さんも好き。エストさんに話したくない理由も納得出来た。あとはただ協力してあげる」

 

 こんな事を打ち明ければ、何事もなかった時に、エストから『そんな目で人を見ては駄目』と言われるに違いない。だから秘密にしたい。何事もないのが一番だけど。

 

「ところで私が協力する理由は友情のみなのだけど、その見返りは少しでもあったりするの?」

 

 来たか。予想はしていたが、やっぱり何か見返りは必要だよね。

 

「ううん、良いの。そんな、何かを要求しているわけじゃないの。恥ずかしがる朝陽さんの顔も見られたし。でもね、やはり、成功時に何かが『ある』のと『ない』のでは、人のモチベーションって違うと思うの。良いの良いの。朝陽さんが良いならそれで良いの。人にただ働きをさせて、自分は善意に浸ろうだなんて考えならそれで良いの。私は、うん、それを非難したりはしないけど、朝陽さんが良いならそれで良いの」

 

 ……このドS。僕を言葉責めして嬉しいのか?

 ……嬉しいんだろうね。今の君の顔は明らかに紅潮しているし。僕もSだから気持ちは良く分かる。

 まあ、元々彼女にはちゃんと見返りを上げるつもりだったので支払うのは問題ない。支払う事に問題は無いんだけど、一体彼女に何を差し出せば良いのかだ。

 抱き着きはルミねえの件で既にやったし、髪の毛はアトレの相談の時に渡した。手作りのハンカチも今日の朝に上げたし……不味い。本当に身体が要求されてしまいそうな状況じゃないか。

 此処は何か言われる前に無難な提案を……。

 

「では好きな時にこの部屋の家事と、お口に合うか分かりませんが、真心を込めた私の手料理を……」

 

「掃除はサービスで頼めるし、料理の方は確かに魅力的だけど、専門のお店へ行った方が美味しいじゃない?」

 

 くそぅ、とても嬉しそうだ。

 お金なんかで解決するのは、彼女との関係が汚れそうで嫌だ。それにお金の話をしたら、初対面との借りを返されて『3億英ポンド』と言いそうだ。

 

「スキンシップがいいーなあああー。抱き着くだけじゃなくてええーその先までー」

 

 とうとう舐め切った口調で八日堂朔莉が要求を口にした。

 

「抱き着くよりも先と言うのは、具体的にはなんでしょうか?」

 

「え、セックス」

 

「お断りします」

 

 いきなり法外な要求が来た。此処から何とか難度を下げなければ。

 

「んー、でも耳かきじゃ物足りないしぃー、膝枕だけなんて話にならないしぃー」

 

 くっ! 不味い! 此方が『その程度なら』と思っている範囲が予測されている。

 今更言っても、『それでは交渉にならない』と言われてしまうではないか! ただ膝枕だけは下半身の事情もあるから、避けたい。

 ルミねえの為とは言え、八日堂朔莉が満足させる為に抱き着かせてしまった事が、仇になってしまうなんて。

 

「では手を握って街を一緒に歩くのではいかがでしょう。勿論身体の事情もあるので夜ですが」

 

「そのまま深夜の公園に行くのも。勿論バイブ付きで」

 

「何も挿しません。リモコンもなしです。首輪も付けません。コートの下は全裸などではありません。歩く場所は勿論人通りが多い街中です」

 

「貴方、真面目に話をする気があるの?」

 

 非常識な要求をする非常識な相手に非常識な人間扱いされた。

 今の会話は、僕が可笑しいのだろうか?

 

「とても気分を害した。スカートをたくし上げで許してあげようかと思っていたけれど……」

 

「幼い頃に、人のスカートを捲るのだけはいけないと、お父様からきつく教わりました。それはもう不思議なほど厳しく。恐らく自分にも適用されます」

 

「胸は?」

 

「断じて駄目です」

 

 一発で僕が男だとバレるじゃないか。

 

「あれも駄目これも駄目。それなら後は一つくらいしか残ってない」

 

「と、言いますと?」

 

「きちゅ」

 

「嫌です。まだファーストキス(救命行為を除く)は済ませていません」

 

「なんて魅力的な話。それなら指で触れるだけなら?」

 

 ん、くっ、うぅ……。非常に屈辱的で悔しいが、上半身、下半身への接触の回避を考えると、この辺りで手を打つしかない。今の興奮している八日堂朔莉に長時間抱き着かれるのは危険だし、妥協するしかない。

 でもせめて。

 

「20秒で」

 

「1分で」

 

「25秒で」

 

「30秒。これ以上は譲らない」

 

「ではどうぞ」

 

「あ、やっぱり20秒で良い。その代わり目は開けて、絶対」

 

 良い度胸している。絶対に表情は変えてやらない事を誓いつつ、八日堂朔莉と目を合わせた。

 

「ではいただきます」

 

 その言い方はやめて欲しい。

 

「わ、柔らかい。こんな感じ? こんな感じでなぞればくすぐったい?」

 

 八日堂朔莉の言うように思ったよりもくすぐったい。少しだけゾクリとした。

 

「きゃっ、朝陽さんの唇に触れてる。やだこれだけで凄くドキドキする。夢みたい。いまどんな気分?」

 

 気分が良い訳が無い。それとくすぐったい。でも此処で何かを言ったら負けた気になるので、僕は口を紡ぐ。

 

「因みに私はいまとても充実してる。なんというか精神的にとても優位に立った気分。屈服させたというの? 服従させているというの?」

 

 ……早く終わってほしい。20秒と言う短い時間が、今は凄く長く感じる。気のせいだろうか?

 

「まあ。ハッキリ言うけど犯してる気分。ねえ感じてる? 少し感じてる?」

 

 実の事を言うと、身体の中央に走る線を弾かれるような感触に耐えている。だけど、そんな事をわざわざ明かしたら、調子に乗るだけなので絶対に言わない。

 

「ところで、澄ました顔をしているところに悪いんだけど、朝陽さんの肌って人並み外れて綺麗じゃない」

 

 そうだね。良く知っているよ。それで?

 

「美しいくらい白いせいで、少しでも紅潮するともうバレバレなのうぷぷぷぷ」

 

「自分の身体の事ですから、良く知っています」

 

「漸く喋ってくれた。それでね、貴方いま顔が真っ赤なの」

 

「そうですか、それは気付きませんでした。とても恥ずかしい思いです」

 

「やだ朝陽さんを感じさせちゃったうふふふふ」

 

「赤くなっただけで感じたとは言っていませんようふふふふ」

 

「首まで真っ赤にして何言ってるの? 息も荒くしてうふふふふふふ!」

 

「少し空調が悪くありませんか。部屋の気温が高いですねうふふふふふふふ!」

 

「あははははははは! あーっははははははははははは!」

 

「あははははははは! あはははははははははははははは!」

 

 

 うぅ、犯されて弄ばれた!

 立場上、飛び出すわけにもいかなかったため、最後までにこやかな態度を貫いて別れた。エレベーターに乗ると顔を思わず覆ってしまった。

 八日堂朔莉は20秒が経過した後も、『ではこれで』と部屋を出ようとする僕に無駄としか思えない用事で何度も話しかけ、10分以上も引き留められた。

 流石に調子に乗らせ過ぎた。この借りはいずれ返したいところだが、今のところ僕の方が借りが多すぎる。だけど、必ず今回の精神的な屈辱は返してみせると誓いながらエレベーターを降りて僕は自分の部屋に戻った。

 そしてパソコンに向き合う。色々あったが、今日は桜小路才華としてエストに返事を返さなければならない日だ。

 僕の答えは既に決まっている。正確に言えば、今日のエストとのやり取りで心が決まったと言って良い。

 小倉朝陽としての僕にエストはデザインに関する悩みを打ち明けてくれなかった。だったら桜小路才華ならば。

 エストの中での桜小路才華の評価が、最低になっているのは分かっている。

 それでもエストは僕と会話したいと言ってくれた。リスクを考えれば、桜小路才華として今後も交流を控えるべきだが、僕は桜小路才華としてもエストと交流したい。上手くすれば、小倉朝陽では聞けないデザインの悩みを打ち明けてくれるかもしれないんだ。

 その事を考えた僕は、すぐにエストへのメールを作ることにした。

 

『今日まで返事を待っていてくれた君に感謝をする。僕がしたことを考えれば、また君と交流を持てる事はとても嬉しい。何時でも連絡して欲しい。それと色々と偽ってしまった僕だが、一つだけ心からの本心を君に伝えたい。僕は君のデザインが大好きだ』

 

 ご機嫌取りに思われないか多少不安を抱きながら、本音を含めたメールを僕は送信ボタンを押してエストに送った。




因みにアトレも最初は写真を消そうと頑張りましたが、凛々しい朝日の姿と写真を消すことの辛さを考えて最終的には仕方がないと諦めました。

後、現在の朝日の写真の所持枚数が多い順。
1位:大蔵衣遠(ルナの朝日写真コレクションコピー。課題の写真。カリンの隠し撮り写真。朝日が桜屋敷で過ごしていた頃の隠し撮り写真所持)
2位:大蔵駿河(ルナの朝日写真コレクションコピー。課題の写真。カリンの隠し撮り写真)
3位:花乃宮瑞穂(ルナの朝日写真コレクションコピー。課題の写真。カリンの隠し撮り写真)
4位:桜小路ルナ(朝日写真コレクションオリジナル。課題の写真(一部)。衣遠から譲り受けた一枚)
と言う感じです。ルナ様は残念ながら1位から4位に落ちてしまいました。因みにりそなは5位。あくまでりそなが欲しいのは、朝日の学院生活の光景だけなので。

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