白い石畳とレンガ造りのレトロな街並み。橙色の街灯が頼りなく道標となる夜の景色。昼には奥様方の憩いの道も、夜には人通りのないゴーストタウンに早変わり。
冬の夜。この街は何よりも冷たい場所になる。身を貫く寒風に震えながら、白い息がひとつ吐き出された。ベージュのコートに、同じ色のチェック柄の探偵帽。白縹の艶やかな長髪に、中性的で垢抜けずとも端正な顔立ち。女性に見えるが、その実は男性の彼は、鼻と頬を寒さに染めながら帰路についていた。
「何て寒さだ……雪でも降るんじゃないか?」
少し恨みを込めて厚い灰色の雲に覆われた夜空を見上げる。
「薪はまだあったかな? あとで確認しないと……」
この寒さの中、暖炉の薪の貯蓄は文字通り死活問題だ。切れれば最後、その夜は寒さに震えながら、ひとり寂しく毛布にくるまる他にない。
彼、ウォーカーの記憶が正しければ、薪はまだ三日分はあったはずである。薪強盗などと奇特な人間でも居ない限り、帰宅すれば暖炉のぬくもりが待っている。
「おや?」
いよいよ自宅前。何となしに自室を見てみれば、カーテンの隙間から灯りが漏れていた。しかし、彼に同居人はいない。家を空けたのは三日前。鍵を掛けた記憶は確かにある。窓ガラスが無事な様子から、そこが侵入経路でないことはわかる。
「また彼女かな?」
しかし、彼がもっている鍵の他にもうひとつ。合鍵を持っている人物がいた。
自称・助手。主に、彼の身の回りの世話や、留守の間の部屋の掃除など。事件に同行してくることもしばしば。医学に明るく、その知識に救われたこともあった。加えて、押しかけて来た時に部屋に入れなければ雪に染まる状況などなんのその。家の前に正座をし続けて、風邪を引いてしまう頑固者。
彼は苦笑を漏らして、さっさと入り口に向かった。鍵を使って扉を開けると、彼の予想通り。靴を脱ぐスペース、マットの上に女性ものの高そうなロングブーツが置いてあった。家の中に入れば、彼も同じようにマットの上に靴を置き、すぐ横の棚に入れてあったスリッパに履き直した。
「スチュアートくん? 居るのかい?」
声を掛けながら、コートを脱ごうとボタンを外したところで、強烈な寒気が服の上から差し込んできた。思わず体をぶるりと震わせた。
「な、なんて寒さだ……。もしかして、もう寝ているのか?」
だとしても、冷え込むのが早すぎる。暖炉の火を絶えさせたのは数時間前だろう。疲れて早めに眠ったのだとしても、陽が落ちる前には就寝した計算になる。
(返事がないから、寝ているとは思うのだけれど)
薄暗い廊下。その先には明るい事務所が待っている。ふと目を向ければ、視界を通して脳裏が白く点滅した。ここ最近、助手からの強い推しもあり、アンティーク調の内装にこだわった電球は、少し贅沢なシャンデリアに替わっていた。彼としては、部屋の雰囲気を崩さないための苦肉の策だ。その分、財布の中は冬模様なわけだが。
(やっぱり、電球の方がいいと思うのだけど……)
助手曰く、暗い部屋の中で事務作業は目に毒とのこと。事実、照明を替えてからは夜の事務作業で目が疲れることはなくなった。ついでに、作業中に居眠りすることも少なくなった。
しかし、いいことづくめでもない。暗い街中を通って帰宅してすぐにこの力強い光源は目に毒だ。彼は常々、白く染まる視界の中で大真面目にそんなことを考えていた。
「スチュアートくん? もう眠ってしまったのかい?」
言いながら、彼は言葉にしようのない不安に胸中を駆られていた。早めに眠ったにしては、おかしいのだ。そもそも、陽が落ちる前に照明を点けるなど、普段なら絶対にしない筈だ。何より、眠るのであれば照明を切っていなければおかしいのだ。
(……いや、玄関の鍵はさっき開けたじゃないか。窓だってそうだ。侵入された形跡はなかった)
ホワイトアウトした視界を忌々しく思いながら、目を閉じて頭を振る。そうして視界を少しだけ回復させたところで、まずは足元を見た。
(足跡はない。スチュアートくんはここも掃除をしたらしいね)
ならば、ただの消し忘れだろうと。彼は足を進めることにした。少しずつ目を慣らしながら、眩いリビングの中に身を投じ、まだ少し点滅する視界が目の前に向いた時。
そこには、暖炉の傍で毛布にくるまって横たわるエミリー助手の姿があった。
「エミリーくん!?」
今度は別の意味で目を白黒とさせて、慌てて彼はエミリー助手に駆け寄った。そしてすぐさま顔色を見ると、少し血色が悪いことがわかる。脈をはかるために首元に手を当ててみれば、ほんのりと温もりが伝わってきた。
(……脈はある。乱れてもいない)
毛布を剥いで外傷がないか確認するが、何かをされた様子は確認されなかった。
「う、うぅ……」
「っ、エミリーくん!?」
ということは、まさか深刻な持病が?
エミリー助手の苦しそうな声が聞こえて、慌てて彼は名前を呼んだ。何度か彼女に呼びかけていると。
「ウォーカー様……?」
「っ! 気が付いたかい?」
うっすらと、彼女が目を開けた。意識が朦朧としているのか、視線は定まっていない。しかし、徐々にその瞼が開いていくと、今度は目をまんまるとさせて「Wow!?」と大きな声をあげた。
「あのっ、この状況は一体……?!」
エミリー助手からしてみれば、その状況はまさに夢のようであった。憧れの彼に抱き起されて、まっすぐ瞳を見つめられている。まるで、おとぎ話に出てくる王子様とお姫様のラブシーンのようだ。
起き抜け早々の混濁した思考も合わさり、冷静ではいられなかった。顔はみるみる色づきの良いリンゴのように染まり、今すぐに湯気でも上げてしまいそうな勢いだ。
「エミリーくん、落ち着いて。僕も状況がわかっていないんだ。ただ、帰ってきたら君が暖炉の近くで倒れていてね。……何があったんだい?」
努めて冷静に語り掛ける彼。その甲斐もあってか、エミリー助手の視線は少しずつ定まり、真っ赤だった顔はほんのりと朱に染まる、といった具合にまで落ち着いた。
「えっと、確か……あっ!」
そうして冷静になったところで、エミリー助手は気が付いたように声をあげる。口に手をあてて、その視線は火の灯っていない暖炉に向かった。
「ウォーカー様、申し訳ありません! 私、今日のお昼に尽きてしまっていた薪を補充しようとしていたのですが……お店が、閉まっていて」
彼が暖炉に目を向けてみれば、その中に炭や燃えカスは残っていなかった。
「暖炉の掃除は、君が?」
「はい」
しゅん、と落ち込んでいるエミリー助手。彼は自分の着ていたコートを脱ぐと、彼女にそれを羽織らせた。
「ありがとう。そろそろ、暖炉の掃除をしないといけないと思っていたんだ。……ところで、何時からこっちに来ていたんだい?」
「えっと、昨日の朝にこちらに着きました」
「えっ、朝? 薪はまだ三日分あったと思うのだけれど……」
「三日分? ウォーカー様、薪は昨日見た時には、既に尽きてしまっていましたよ?」
「……なんだって?」
鳩が豆鉄砲を食らったよう。そんな使い古された言葉が似合うほど間の抜けた顔で、ぽかんと彼はしばらく呆然となった。彼が出掛けた時には、確かに薪の貯蓄があった筈だと記憶していたのだが。
「あっ、それともう一つ。ウォーカー様、家の鍵を掛け忘れていましたよ? 戸締りはしっかりしなければ、泥棒に入られてしまいます!」
「鍵が? ……確かに、鍵は掛けた筈なんだけど」
エミリー助手から思わぬ指摘を二度受けて、ウォーカーは顔を引き締めて思考の海に潜った。
(鍵は確かに掛けた。僕の勘違いじゃなければ、間違いない。薪は……記憶違いだった? いや、だけど尽きてはいなかった。でも、ここでスチュアートくんが嘘の証言をする意味はない)
エミリー助手は彼の真剣な顔を、目を輝かせて見つめていた。しかし、彼はそんな様子に気付いた風もなく、彼女に質問を投げかけた。
「ここに来て、前とは変わって、なくなったものはないかい?」
「ひゃいっ?! あっ、えっと。小物の類まではわかりませんが、変わったところは特になかったと、思います。はぅ……」
寒い冬の夜だというのに、エミリー助手の胸中だけは春を通り越して真夏日が照り付ける勢いだ。顔からは今にも湯気が出てしまいそうなほど、またも真っ赤に染まっていた。それを隠そうと、彼女は頬を両の手で覆って首を小刻みに横に振って悶えていた。
(泥棒でもない……? まさか、本当に薪泥棒なんて奇特な……いやいや、そんな馬鹿なことあるものか)
単に自分の記憶違いだ、と彼は無理やり自分を納得させた。
「戸締りについては、今後、更に気を付けるよ。もう夜も遅い。スチュアートくんは、僕のベッドで寝るといい」
「っ?! そ、そんなウォーカー様! わ、私たちは、まだ、そのっ、婚約もしていないのに。同じベッドで寝るだなんて……!」
「スチュアートくん!? 誤解、誤解だ! 僕はこっちのソファで寝るから!」
話が突飛な方向に流れたことに慌てながら、彼は必死に弁明を口にした。
エミリー助手は、サンタクロースの鼻のように真っ赤に染まった顔のまま、それが誤解とわかると今度こそ両手で顔を覆い隠してしまった。
しかし、そんな平穏も数秒の出来事。顔は依然として赤いまま、エミリー助手は何かを覚悟したような顔つきで口を開いた。
「私はここで寝ます! 絶対に動きませんッ!」
「えぇ?!」
それでは彼女が風邪を引いてしまう。彼は慌てて考え直すように、あれやこれやと言葉を重ねたが、その言葉は徹底して口を閉ざして頬を膨らませた彼女に弾かれた。
彼女はこうなったら梃子でも動かぬ。この家に押しかけて来た時から身にしみてわかっていた。彼は折れざるを得なかった。
しかし、だからといって淑女をひとり雑魚寝させるのは、彼の矜持が許さない故に。
彼はその場を少し離れてシャンデリアの灯りを消すと。すぐさま彼女のもとに戻り。
「なら、僕も今日はここで横になるよ」
助手エミリーに背を向けて、布団はしっかり彼女を覆えるように。彼の方は少し隙間ができてしまったが、その程度は我慢した。
「強情です。ウォーカー様は、変なところで強情です」
「……まさか君に言われるとは思っていなかったよ」
ピタ、と背中と背中が合わさった。少しだけ、エミリー助手の方が彼の方に寄ったのだ。
「独りで寝た時は、とても寒かったです」
「……昨日はどこで?」
「今と同じ場所です」
暖炉の火もない状態で、毛布一枚。寒いに決まっていた。
彼は小さく溜息を吐いた。
「次からは、僕が居ないときは絶対に、僕のベッドで寝るように」
「まだ婚約もしていない殿方のベッドに入るのは、はしたないと思います」
「僕が許可しているから、いいんじゃないかな」
途端に、部屋がシンと静まった。綺麗な暖炉も、整頓された部屋も、音は出さない。
(……もう寝たのかな)
探偵ウォーカー。彼もそろそろ寝ようかと、瞼を閉じた時だった。
「とても、あたたかいです」
「……そうだね」
二人はその言葉を最後に、口を閉じた。
暖炉の火が灯らずとも。
背中からは確かに、ぬくもりが伝わり。
あたたかさが、その身を包み込むのであった。
TB03、『屋根裏の道化師』、「ラスト・アクトレス」はとても良いぞ。
みんなもウォーカー君の沼に呑まれよう!