というわけで、ツイッターやらにも白石紬関連のあれやこれやが呟かれていますので、ご興味あればぜひぜひ。
※ドラマCDの一部ネタバレに注意
頬が紅潮し、熱のこもった荒い息が深く吐き出された。苦しそうに身じろぎを繰り返し、弱々しく小さな声を上げ、彼の形の良い眉は八の字に歪んだ。
彼が体を時折震わせていると、ピピッ、と電子音が小さく鳴り響く。
「ウォーカー様、失礼いたします」
エミリー助手の手が布団の中へ。探偵ウォーカーの寝巻に手を滑り込ませると、そのままそっと、体温計を抜き取った。
「38.7℃……風邪、でしょうか。ウォーカー様、ごめんなさい。私が、強情だったばっかりに……!」
エミリー助手は今にも泣き出しそうなほど悲愴な面持ちになっていた。まるで、大事な家族の最期に立ち会っているような、そんな雰囲気。探偵ウォーカーはそれに精一杯の笑みで返した。
「いや、これは。僕が強情だったから、さ。だから、スチュアートくんが、気に病むことじゃ……ごほっ、ごほっ」
「今は横になってください! すぐに薪と……それから、食材を! 栄養のあるものを買ってきますね!」
「いや、そこまでしてもらうわけには……」
「くれぐれも、安静にしていてください。すぐに戻りますから!」
声をかける間もないとはこのことか。エミリー助手は疾風のごとく部屋から出て行ってしまった。あわてんぼうで、強情で、とにかく真っ直ぐなのは相変わらずの様だ。探偵ウォーカーはそのことにひとまず胸をなでおろし――
『Wow――?!』
どんがらがっしゃん、奥の階段から鳴り響く騒々しい音に、むしろ不安の方が勝った。体のだるさも相まって起き上がるのは億劫だったが、もしもがあってからではいけないと、重い体を起こそうとしたが。
『ウォーカー様、私は大丈夫なので、安静にしていてくださいね!』
またも釘を刺されて、またエミリー助手の安否も声で確認できたところで体を起こすのをやめた。しかし、やはり不安は際限なく湧いてくるもので、探偵ウォーカーはついついカーテンの隙間から外を覗き見ることにした。
「……スチュアートくんは、本当に大丈夫なのかな?」
彼女には気づかれないように、彼はその後ろ姿を見送った。急いでいるようで常に駆け足で、後ろ姿が見えなくなるまでの間に二度も転びそうになっていた様子を見ると、下手なサスペンスホラー小説よりもハラハラさせられた。
もしも体調が万全なら、絶対についていった。喉元につっかえるような違和感を覚えながら、溜息を一つ。いつもの白い天井を見つめた瞳は、静かに閉じられた。
眠りの世界は、すぐに彼の意識をさらっていくのであった。
◆◇◆
探偵をやっていると、普通ではない体験をすることは数多くある。
例えば、殺人現場に居合わせることが多くなる。これは探偵の嗅覚、第六感とも呼ぶべきものが、自然と自分の足を事件の方に向かせるのだ。窃盗から殺人まで程度は問わず、幅広く。
しかし、それは無意識に働いている力だ。職業病とも呼ぶべき恐ろしい力が、勝手に事件の入り口へと誘導してくる。そして事件は巻き起こり、培ってきた観察眼と推理力をもって、犯人を追い詰める。
そう、探偵は犯人を「追い詰める」仕事だ。それはまるで、人を断崖絶壁の足場の隅まで押しやるような、相手の生還への希望を圧し折るような。そんな仕事だ。
もちろん、事件を解決すれば遺族に感謝されることはよくある。正しいことをしたというのは間違いない。だが、探偵が一人の人間の人生をまるまる変えてしまう力を持った職業である事実は変わらない。大いなる力には、大いなる責任が伴うとは、よくいったものだ。
例えば、そう。犯人を追い詰めてしまったが故に、刑務所で自殺をはかった者もいた。証拠も、現場の状況も、人々の証言も照らし合わせて、間違いなくそれは殺人犯だった。事実、探偵ウォーカーの推理は的中していたし、悪いのは殺人という罪を犯した犯人だ。
しかし、もしも自分が犯人を言い当てなかったのであれば。
もしかすれば、その人は生き残っていたのではないだろうか?
屋根裏の道化師事件。あの時の犯人もそうだ。
支配人は自殺した。きっと、事件を闇の中に葬って、真犯人を庇いたかったに違いない。下手に答弁しては、ボロがでてしまう可能性がある。
そして真犯人のコレットは、他ならない探偵ウォーカーに追い詰められたが故に、その身を断崖絶壁に投げてしまった。警察も、世間も、他の関係者さえ誰も気付いていない真実。それを探偵ウォーカーが突きつけたために、彼女は自らの命を絶った。現実という舞台の幕を下ろした。
他ならない探偵ウォーカーが、彼女が命を絶つきっかけを作ってしまったのだ。
これは、他の誰かに出来ることではなかった。彼しか気づいてない真実を突きつけてしまったから、彼女は自らの命を絶った。
――これじゃあ、どちらが殺人犯かわかったものではないじゃないか。
コレットは殺人の理由を、舞台で演じるためだと言った。大切な人が死ぬ気持ちがわからないから、それを知るために大切な人をこの手にかけたのだと。
ならば、それを知ることができた彼女であれば。もう二度と、殺人を犯さなかったのではないだろうか。役者として、輝かしい未来を歩んでいたのではないだろうか。
人形のように虚ろないくつもの瞳が、ウォーカーを見つめていた。
「お前が、私たちを殺した」
「お前がこの中で、誰よりも多くの人間を殺した」
「お前こそが、真の殺人犯だ」
顔の無い口が、好き勝手に言葉を浴びせかけてくる。いやらしく、蔑むように、嘲るように、これ以上ない憎しみを込めて。ドロドロに混ざり合った声が、果ての見えない暗闇を歩くウォーカーを責め立てた。
「見ろ、こいつは奴に子どもを医療ミスで殺された」
「コイつは、ヤツの不注意のせいで車に轢かれて、右半身が麻痺した」
「コイツは、野郎の執拗ないじめに心を壊して、正常な判断がつかなかった」
「そうそう。確か、未来ある最高の舞台役者まで殺したそうじゃないか?」
ウォーカーの足が、その言葉を耳にして思わず止まる。それを好機と見るや、顔の無い口はいやらしく歪められて口々に囁いた。
「あの支配人、彼女の父親だったそうだな」
「父親が娘を想う気持ちさえも踏みにじって、真実を突きつけた結果がこれだ」
「あぁ、誰も救われない。今回、誰が救われたんだ?」
「殺された役者たちか? いや、ちがうな」
「子を想い自殺した支配人か? さぞ無念なことだろなぁ……!」
「未来を奪われた真犯人か? そんなことあるわけがないっ!」
「かの大女優か? そんなわけもない! むしろ失ったものしかない!」
「一番救われたのは、お前のちっぽけな自尊心じゃないのか? 探偵さんよォ」
けらけらと嘲笑が、ウォーカーの耳に突き刺さった。拳を作った手は血がでるほどの力で固く握りしめられている。額から汗が落ち、唇は自ら噛みしめて言葉を閉ざしていた。
「見ろ、あの最期を」
「これからという時。夢も、才能も、実力もある役者だった」
「お前が口を閉ざせば、真実は闇の中だ。そうすれば、未来が閉ざされることもない」
「どうだ? お前の自尊心は満たされたか?」
「探偵としての探求心とやらは、命よりも重いらしいッ!」
「そりゃあ傑作だ!」
「ほうら、ご本人の登場だ!」
その言葉に、俯いていたウォーカーは慌ててその顔をあげた。すると、先ほどまであった暗闇は、あの日の再現。先の無い断崖絶壁と、それを背にするコレット。そして、コレットから数歩の距離の位置に居る自分。
「………」
コレットの虚ろな瞳が、ウォーカーの目を射抜いた。思いがけず目が合ったことに怯み、彼は肩を跳ねさせた。いつの間にか握っていた拳もほどけ、噛みしめていた唇も、今は馬鹿みたいにポカンと開いていた。
「……………」
彼女の瞳を見ていると、中身のないプレゼント箱を見つめているような、奇妙な心の重圧を覚えた。かけるべき言葉も見つからず、挨拶をできる雰囲気でもなければ、声を発することさえ許されなさそうな、異常な沈黙。
「……さようなら、探偵さん」
視線を切り、断崖絶壁に向き直ったコレットが、確かにそう呟いた。まさか、とウォーカーが彼女に駆け寄ろうとした時には、既に彼女の体は暗闇の中に投げられていた。
「間に合え――っ!」
願望が口からこぼれおちた。しかし、断崖絶壁の隅まで駆け寄った時には、既にコレットの体は闇の海に溶けて消えている。膝をついて崖の奥に差し出した手は、むなしく宙をさまよった。
「ハハハ! みろっ、探偵の滑稽な姿を!」
「俺たちの声には耳も傾けないくせして、あの役者には随分と入れ込んでいる!」
「ただ真実を追求する姿勢はどこに消えた?」
「そうら、まだ助かるかもしれんぞ? 打ちどころが良ければ、今から手当すれば救えるかもしれん」
闇の奥を見つめていたウォーカーの瞳に、怪しい光が宿る。
「これだけ暗いんだ。下は海という可能性もあるなぁ?」
「そら、波の音が聞こえるだろう?」
「いいや、これは川のせせらぎだ」
「何を言っているのか。これは鳥のさえずりだ」
「いいや、これはあの役者の悲嘆だろう?」
「怨嗟の声かもしれんな?」
「死ぬに死にきれず、苦しみもがいている役者のものかもしれんなぁ?」
「なら、探偵さんはどうするのか!」
「実に見ものだ」
ウォーカーは、虚ろな瞳を闇の奥に向けながら立ち上がる。そして、断崖絶壁の隅に、足をかけた。
「そら、救え!」
「お前が殺した者をひとりでも救ってみせろ!」
「俺たちの気持ちを晴らしてみせろ!」
「さぁ!」
「さぁ!」
「死ね!」
コレットを助けるために。さぁ、いこうか。
自らも、その闇の中に身を投げ出そうとした、まさにその時。
不意に、ウォーカーの左手が反対側から引っ張られた。
自分以外の誰かが居ることに驚き、目を見開いて振り返ってみれば、そこにはエミリー助手が立っていた。
「ウォーカー様」
彼女はその細腕からは考えられないほど力強く、ウォーカーを崖とは反対側に引っ張っていく。
「さっ、帰りましょう」
エミリーが向かう先を見た時、ウォーカーはその輝きに目を焼かれた。
そして二人は、輝きの向こう側に、姿を消したのであった。
◆◇◆
「ん、ん……」
沈殿していた意識が、徐々に浮き上がってきた。目を開けてみれば、モザイク画のような白い天井が。ぼーっとしたまましばらく見つめていれば、それは徐々にはっきりとした形を取り戻していき、きれいな写真に切り替わった。
ふと、カーテンから漏れる光が気になってみてみれば、既にオレンジに色を変えていた。夜が近いらしい。
「あー……」
何をどうしていたのか。混濁した記憶が辿っていくと、自分が風邪を引いて寝込んだところまでは思い出した。同時に、買い出しに行ったエミリー助手のことがふと気になった。
「スチュアートくん?」
呼んでみるが、返事はなかった。お手洗いか、それとも帰ってしまったのか。まさかまだ買い物の最中というわけではないだろう。それよりも誘拐という線を追った方が現実的だ。
そこまで思考してみると、ウォーカーは自分の体調が楽になっていることに気が付いた。まだ少し肌寒いが、咳もでなければ思考が混濁することもない。少し気だるい感じはするが、動くのがつらいとはいえないほどだ。
そこまで感じると、今度は自分の服が気になった。寝巻はぐっしょりと汗に濡れて、布団の隙間から入る外気がいやに寒く感じる。これは早々に着替えてしまったほうがいいだろう。ウォーカーはベッドからゆっくりと立ち上がると、部屋の中のクローゼットを物色し始めた。
「あったあった」
撫子色の、胸の部分に日本の花が小さく刺繍されたシルクの寝巻だ。ついでに肌着も取り出して、さっさと着ていた汗で濡れてしまったパジャマと肌着を脱ぎ捨てた時。
『た、ただいま、もどりましたぁ~!』
「えっ……スチュアートくん?」
『わっ、ウォーカー様?! ごめんなさいっ、いつもお買い物をしている場所が混雑していて……! あっ、お薬を購入したので、すぐに持って行きますね!』
口早にそう言ったエミリー助手に、ウォーカーは言い知れぬ不安を覚えた。魚料理を食べるときに、骨に怯えるような、そんな小さな心のつっかかりだ。本当に大丈夫だろうか、としばらく手を止めて扉を見つめていると、ほどなくしてその扉が開いた。
「ウォーカー様! こちらが風邪薬……なのです、けど」
そして、目と目が合う瞬間好きだとわかった――という冗談とも真実ともつかないものは置いておくとして。
エミリー助手の顔色の変化は一瞬だった。ゆでたタコのように真っ赤に染まると、今度は目をくるくると回して両手で大切そうに持っていた風邪薬の箱を縦横無尽に振り回した。その豹変っぷりはすさまじく、お化け以外には動じないウォーカーが表情をこわばらせ一歩引いたほどだ。
「ウォーカーしゃまっ?! ふ、ふく、くすり、ふくを飲んでくだしゃい!」
「お、落ちついて! スチュアートくん、言っていることがわけわからないことに」
そう言いながら、宥めようとエミリー助手に近づけば、それを見たエミリー助手は。
「ぴゃあぁぁ?!」
奇声をあげて、脱兎のごとく部屋から出て行ってしまった。ばたん! と部屋全体が揺れるほどの力で締められた扉を、ウォーカーはただ見つめるしかなかった。
「……スチュアートくんは、相変わらずだなぁ」
それがおかしくて、思わず小さく笑みをこぼした。童顔がよく映える可愛らしい、白百合のような笑みを浮かべると、彼は誰にも聞こえないように小さな声で。
「ありがとう、エミリーくん」
その言葉は一体、何に対してのものだったのか。
小さな日常の足音が、エミリー助手の可愛らしい足踏みの音と共に、もどってきたのであった。