初めての宅飲み
出久は酒を飲んだことは一度も無い。精々正月に屠蘇を口にしたのが関の山だ。肉やら魚の臭みを消す必要がある料理に含まれたものもあるが、既に調理中の熱でアルコールは飛んでしまっている為、酔える筈もない。そんな中、一通のメッセージが恋人から送られて来た。
『家で一緒に飲まない?』
出久自身、興味が全く無いわけではなかったが、母は一月に一度か二度ぐらいしか飲まない。たまに飲んでいる物もノンアルコールなので純粋に酒類に接する機会が少なかったのだ。既に満二十歳になって半年は過ぎている。そして今日は久々の非番、翌日も有休を取ってある。縛る物は何も無い。
『OK、おつまみとか買って行こうか?』
『大丈夫。こっちで色々準備してるから、慌てずゆっくり来てね。くれぐれも屋根伝いで飛んでこない様に!』
『了解。』
雄英卒業から二年と少しが経過した。一年A組の面々も、国内外の各所に散って活動を始めた。華々しくデビューを飾る者、堅実な奉仕活動という下地から着実に積み上げて行く者など様々だが、皆元気でやっている。時折現場で顔を合わせる事もあるのだ。
出久はと言うと、卒業直後に武者行の為にヒーロー制度のメッカであるアメリカへ渡った。そして一年間、日本よりも遥かに過激且つ苛烈な数々の事故・事件現場に揉まれ、折れずに戦い抜き、サー・ナイトアイ事務所所属のサイドキックになる為に帰国した。サイドキックでありながらも今や時折(報告、連絡、相談してからのみ)単独行動も許されるほどで、確実にヒーローとしての頭角を現しつつある。
「フルガントレットとアイアンソール・・・・・・だけでいいか。セカンドスキンスーツもあるし。」
非番とは言え、油断はできない。アメリカで第一に学んだ事はほぼ常時戦闘態勢でいる事だ。夜の帳が下りた時は勿論、白昼も例外ではない。逗留先での古典的な爆弾トラップは勿論、変装した刺客(八割近くがトガヒミコだった)、果ては対戦車ミサイルを対角線にあるビルからぶち込まれかけた事もある。最初こそ生きた心地がしなかったが、半月と経たずに慣れてしまった。しかし事ある毎に私服を駄目にされる事に嫌気が差し、メリッサ・シールドと発目明に日常でも着用できる汎用型防護服の共同作成を依頼し、実用段階に至るまで実験台にもなった。
「色々あったなあ・・・・・・」
変装に使う出水洸汰から誕生日に貰ったお揃いの二本の角が生えた赤い帽子と瓶底の伊達メガネ、そしてアースカラーの私服に着替え、バラードを口ずさみながら歩きだした。
マリーランド州ボルチモア市警に、フィンガースナップなどの強い摩擦で火花を出せる『個性』の持ち主であるフリント・ウォンという中国系アメリカ人の若い刑事がいた。勝手が分からない異国であたふたしていた自分を見かねて、同じ東洋人のよしみだと、躊躇なく手を差し伸べてくれた。警察組織の違い、地元の地理、英語、中国語、車の運転、果ては銃の扱い方すらも非番の時に教わり、食事も週に数度は決まって彼の実家である店でご馳走になって食費節約の手助けをしてくれた。
そんな彼も、今や一介の刑事から警部補へ昇進し、職場恋愛の末に婚約した。祝いの品に金粉入りの日本酒を贈って大層喜ばれた。感謝の手紙にも式を挙げて子供が産まれたら警察から身を引き、実家の店を継ぐから是非食べに来て欲しいとあった。実際、両親と調理場に立つ姿は様になっているし、料理の腕も贔屓目無しでも上手い。自炊のコツも教えて貰ったほどなのだ。
「また行きたいなあ、アメリカ。」
公共交通機関は日本ほど発達していない上郷土料理と呼べる物も無いが、横社会の解放感と実力主義の序列はやる気を出すには最適な環境だった。そして何より土地面積が広い。様々な状況にそれこそ立て続けで出くわす数々の現場では、豊富な経験則が収穫できた。短期間でもちょくちょくヒーロー活動を兼ねて海を渡るのも悪くはないかもしれない。そのうち上海辺りに赴くのも一興だ。
過去の二年を振り返りながら歩いて行くうちに、今や見慣れた表札のある一軒家の前に着いた。インターホンを押して到着を告げると、獰猛なコブラが襲い掛かるが如きスピードでイヤホンジャックが首に巻き付き、出久を玄関に引っ張り込んだ。
「お帰り。」相変わらずラフな薄い部屋着の恋人に抱きすくめられ、自然と口元がほころんだ。首筋から香るジャスミンの匂いを肺一杯に吸い込んだ。
「ただいま。ゆっくり過ぎた?」
「ん、そんな事無いよ。てか眼鏡外して。帽子は百歩譲って良いとして、その眼鏡はウチの美的センスを激しく逆撫でしてるから。ほら早く。」
「変装の為にそうしてるんだけどなあ・・・・・・」と靴と変装を脱いで居間に向かった。テーブルの上にはビールやワインなどの酒瓶各種とソフトドリンクが並び、カシューナッツやチーズ、サラミ、更には枝豆と餃子などのつまみが用意されていた。
「彼氏が自分のイケメンレベルを損なうなんて彼女として見過ごせないから。」
「イケメンレベルって・・・・・・そこまで言う?イケメンって言ったら轟君とか通形先輩とか、身だしなみを整えた相澤先生とかでしょ。僕未だに二十歳に見えないって言われてるんだよ?」
反論する出久に、響香は「ん」と週刊誌のページを開いて差し出した。『彼氏に欲しいヒーロー特集』と銘打たれた記事だ。コスチューム
寄せられたコメントには、あの笑顔を向けられて朝を迎えたいだの、頭を撫でられて慰めて欲しいだの、是非とも甘やかしてあげたいだの、着痩せのギャップが萌える、などがあった。
「また知らない間に変な特集を・・・・・・よく飽きないな、書く方も読む方も。ま、これは置いとくとして、飲もうか。餃子とかが冷める。」
「ん。作るからちょっと待って。」
言うや否や、響香はグラスを二つ取ってラムとコーラを適量注ぐと、氷を三つとライムの切り身を投入し、軽くマドラーでステアして出久の前に置いた。
「家でも出来るお手軽カクテル、キューバリブレです。」
「おお~・・・・・・じゃ、じゃあ、久々の休日に乾杯。」
「乾杯。」
グラスを手に取り、グイッと一口飲んだ。癖の無いアルコールにコーラのシンプルな甘みとライムの酸味が絶妙に馴染んだ一杯は、驚く程スムーズに腹の中に納まった。
「飲みやすくて美味しい!」
「でしょ?この時の為に色々調べてたんだから。」
肴をつまみつつ、愚痴であったり、冗談であったり、過去の失敗談であったり、兎も角アルコールで緩んだ気持ちの赴くままに言葉を重ねては飲み、飲んでは重ねた。つまみが全てなくなった頃には瓶ビールと赤ワイン、更にラムの瓶を空にし、今はそれぞれ焼酎のロックとスクリュードライバーを飲んでいた。
顔こそ真っ赤になってはいるものの、出久は未だにほろ酔い程度にしか至ってはいなかった。酔うという感覚は妙に暖かく、浮遊感が心地いい。新発見だ。幼少期は乗り物酔いした記憶があるが、あれとは比べるべくもない。
「これは・・・・・・いいな・・・・・・」
「んー、いいね。初めて飲むのは出久とって決めてたけど、そうして良かった。そのうちバーデビューしよ、バーデビュー。」
「あ、それはしたいな。」
「どれが美味しかった?」
「このスクリュードライバーは結構好きかな?深く考えずに楽しめる。響香さんは?」
「ん~とねぇ、モヒートかなぁ。」
「あれか・・・・・・一口飲んだけど僕にはミントがきつ過ぎた。量が多すぎ。」
「え~~、そこがイイんじゃん。出久はおこちゃまだな~。」
焼酎の残りを飲み干す恋人を尻目に、なんとでも言うが良いとばかりに出久は小さく鼻を鳴らした。
「でさぁ、さっきの週刊誌の話だけどぉ。」
「うん。」
「はっきり言って無防備過ぎなんだよね、出久は!自覚が無いだけで自分が思ってるより遥かに、遥かぁ~~~にイケメンだから。顔もそうだけど、特に中身!女子力高いし、包容力あるし。要するにぃ、心がイケメンなの。轟とかあんな紅白饅頭は顔ばっか。セットで初めてイケメンは成立すんの、お分かり?」
バシバシ背中を叩いたと思いきや、シャツを掴まれて前後左右に揺さぶって絡んでくる彼女の目は据わっており、顔と同様真っ赤に染まったイヤホンジャックも奇天烈な形を描いている事から、相当出来上がっているのが伺える。
しかし無防備なのは一体どっちだろうか。赤みが差したうなじや鎖骨のラインも、ホットパンツで惜しげも無く晒すカモシカの様な健康的な美脚も、食指の動かぬ男などいない。今ですら出久は滾り始めた欲を紛らわす為に残ったカクテルをぐびりと飲んでいる。
「間違いなくエンデヴァーに殴られるよ、そんな事言ったら。」
「エンデヴァーがなんぼのもんじゃい!あんな燃える筋肉達磨なんか灰になって消し飛びゃ良い!」
とりあえず公の場で飲む時は彼女の限界はきっちり把握しておかなければ。問題発言をすっぱ抜かれたら大変なことになってしまう。
「またそう言う事を・・・・・・」
「と・に・か・く!出久はイケメンなの。逆ナンされたの知ってんだからね?三回も!」
「プレゼントマイク先生とメリッサさんに聞いたな、さては・・・・・・」本当は三回程度では済まないのだが、口に出せば何をされるか分かったものではないので慎んだ。
「自覚が足りない!ウチの彼氏としての!」酒に半ば飲まれた状態での発言とはいえ、出久も流石に聞き捨てならなかった。
高校一年からの付き合いは今や五年と少し。海外に一年間渡る事の報告と説得以外で、お互い緊急出動による待ち合わせの遅刻やドタキャンなどの恋人関係特有の地雷を踏んだ事は多少あった。至らなかったところは確かにあったし、今でもある。だが、そう言ったプロヒーロー業と私生活の両立というハードルもなんとか二人で飛び越えてここまでこぎつけたのだ。
それを否定されるのはいくら彼女であってもいただけない。残ったカクテルを一気に飲み干すと、未だに舌っ足らずに文句を並べたてる彼女を米俵のように肩に担ぎ、二階に続く階段を目指した。足をバタバタさせて抵抗されるも、尻を軽くだがピシャリと叩いて大人しくさせて若干雑に彼女の部屋のベッドマットレスの上に放り投げた。
「や~~、ケダモノ―・・・・・・!!」
機嫌を直したり、渋っていることを快諾させるのに寝技に持ち込もうと時折考える自分も我ながら度し難いほどに業が深くなってしまったな、と出久は苦笑した。