赤の女王 作:HIPのYOU
人気が出なかったら適当に切り上げてエタりたい(願望)。
事実上前後編なので二話も直ぐに投稿します。
世界というのは、どうも優しい物では無いらしい。
私が目覚めてまず思ったのはそんな他愛のない、誰もが一度は出したことのありそうな結論だった。
辺りに漂う生ゴミの臭い、分厚い雲にさえぎられて光を失った空。割れたパイプから漏れ出ている水がしたたり落ちる音。全てが目覚めたばかり私の五感を刺激し、酷く不快にさせる。
そして、自身を自覚した途端に襲い掛かる空気の冷たさ。
冷たい。寒い。痛い。
力を振り絞って右手を上げてみれば、乾いた血液がこびり付いた小さな自分の手が見える。とても小さな、赤ん坊の様な手が。
記憶が曖昧だ。私は誰だ、此処は何処だ。思考が混乱して結論が一向に出ない。いや、それ以前に情報が足りなさすぎる。
目だけを動かして辺りを見回してみれば、自分が今いる場所は路地裏だとわかる。
――――眼が、合った。
酷くみすぼらしい恰好の女性が私を見ていた。泥や血で汚れた顔を酷く歪ませながら、まるで猛獣でも見るような恐ろし気な目で私を見ている。
だが私は、人間だ。少なくともこの手は間違いなく人間の物だ。何故、そんな目で私を見るのだろう。
「……貴方、が……貴方が悪いのよ……! そんな化物として生まれてくる貴方が……!!」
一切の混じり気の無い、純粋な憎悪の視線だった。
直感的にわかる。彼女は、私の母親だ。私を産んでくれた者だ。だからこそ余計にわからない。我が子をまるで家族の仇を見るような目で見るなんて。私が何をした? 貴方は一体何を見ている?
「せいぜい、苦しまずに死ねるといいわね……。それが一番よ。私にとっても、貴方にとっても……」
母親はそう最後に告げて、素早く踵を返して路地裏から去ってしまった。
私はやっと現状を理解した。捨てられたのだ、私は。彼女がどのような事情でそんな蛮行を行ったのかはわからないが、未だ赤子の身である私にとってはそれは理不尽の極みの所業であった。
捨てられた非力な赤子が自力で生き延びる手段など存在しない。第三者の介入が無ければそのまま衰弱死が確定する食物連鎖の最底辺の存在である。
絶望――――は、不思議と感じない。
そもそも現状を未だ受け入れ切っていないのだ。目が覚めると体が赤ん坊で、路地裏で討ち捨てられていた。周りには誰もおらず、淡々と水滴の音がするだけ。現実味が無い。
……待て。そもそも私は誰だ? 少なくとも赤ん坊では無かったはずだ。なのにまるで記憶が抉り取られたかのような感覚が頭の中で離れない。
一般的な知識だけは綺麗に残っているというのに、家族や友人、何より自身についての記憶がさっぱり抜け落ちている。過去があったという自覚があるのに、いくら力を振り絞っても何も思い出せない。
(……どういうことだ)
まるで脳の一部だけを抜きとられて、別の誰かに入れられたようだと言い表せばいいのだろうか。
酷く気持ちが悪い。違和感が全身を包み込む。何もかもが自分の知っている知識と乖離しているようで、無き叫びたくとも酷く乾いた呼吸音しか出てこない。
夢だと思いたくても、身体から送られてくる感触は酷く現実味があって――――夢だと信じたい自分の気持ちと混ざり合って、これでもかというほど心がグチャグチャしている。
嫌だ、こんな、きもちがわるい。だれかたすけ――――――――
「イーヴァ、見て! 赤ん坊が捨てられてる!」
「ああ。で? そんなの外周区なら珍しくも無いだろ」
朦朧としていく意識の中、誰かが私の手を握った。
目を少しだけ開いてみると、それは子供だった。まだ10歳にも満たないであろう小さな子供二人が、私を見下ろしている。
片方はベレー帽を被ったベージュ色の髪と翡翠色の瞳が特徴的な優し気な子。もう片方は紅色の髪で、酷く疲れたようなダークレッドの瞳の子だ。どちらも、酷く擦り切れた服を着ている。浮浪児だろうか。
「『で?』 じゃないでしょ! 連れて帰らないと!」
「そんな余裕ないだろ。たださえ食料も水も不足しているんだぞ? それともなんだ、まだ私にショッピングモールで派手に暴れろとでも?」
「粉ミルクくらいあげられる余裕あるじゃない! そうケチケチしないの!」
「お前なぁ……このご時世、粉ミルクも十分高級品なんだぞ……?」
イーヴァという子と言い争いをしながらも、優しそうな目をした子が私の手を優しく握りながら、笑顔を向けてきた。
混濁していた意識が澄んでいく。安心、した証拠だろうか。
「もう大丈夫だよ! 私は”私たち”を見捨てないって決めたから! ほらイーヴァ、見て見て! この子結構可愛い~! きっと美人さんになるよ!」
「そうだな。将来高く売れそうだ」
「イーヴァ!!」
「……冗談だっての。真に受けんなアホ四歳児」
「貴方だって同い年でしょう!」
……驚いた。どうやら彼女たちは四歳らしい。それにしては言動がかなり大人びているが、何か特別な教育でも受けていたのだろうか。
「ごめんね、イーヴァはちょっとひねくれ者で……。あ、私の名前は
「赤ん坊が覚えるわけねーだろアホ」
「うるさーい! こういうのはロマンがあっていいの!」
「訳わからん……」
愉快な二人組だと、私はそんな状況に似合わないことを思ってしまう。だが、とりあえずこの場は凌げたのだろう。実に幸運だった。本当に第三者の手で救助されるとは。
それから私はボロ切れのような布で包まれる。ああ、暖かい。大切なモノは失って初めて価値に気付くとはよくいうが、成程確かにそうだ。肌寒い感覚が温もりに変わっていく感覚は、小さな快感と安堵で胸が満たされる様だ。
ふと、微睡が襲ってくる。少し頭を使いすぎたのか、どっと疲労がのしかかってきた。
――……少し、寝よう。
私はそのまま睡魔に身を委ねた。
――――目が覚めれば、全てが良くなると心の何処かで信じていた。
――――だけど、現実はそう甘くなかった。
――――世界とはとにかく残酷で、意地悪で。
――――私たちはその悪意を受け止める不格好な受け皿なのだと、理不尽な真実を、突き付けられた。
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あれから五年近く経った。あっという間だった。因みにまだ誕生日は来てないので私の年齢はまだ四歳だ。
その間の記憶はおぼろげだ。何となく、懸命に世話をされていたという記憶はあるが、必死に思いだそうとしない限り靄の様に頭の表面でプカプカ浮かんでいる。その程度のモノ。
すっかり固くなった黒パンの欠片を齧りながら、私は自分の住んでいる場所を俯瞰してみた。
一言で言えば、下水道である。
多種多様な排水が固まった汚物がそこら中にこびりついており、悪臭のしない場所が無い。この臭いは慣れていなかった頃は酷く頭痛を促す物であり、一時期あのまま餓死した方が幸せだったのではないかと思うほどだ。
唯一の救いと言えば、冷たい風が吹き荒れている外と比べれば大分暖かいということくらいか。ここで長く住んでいた子供曰く「発電所からあったかい水が流れてくるうんぬんかんぬんって、前に此処に居た大人が言ってた」とかなんとか。
……その発電所とやらが原子力発電所でないことを願うばかりである。
更に不思議なことに、私が見てきた限り病気にかかった者は過去一人としていなかった。こんな劣悪な衛生環境だというのに一体どんなマジックを使っているのか。実は子供たちの中に優れた医者がいるとか、どんな病気もすぐに治る魔法のお薬でもあるのか。
(……前に此処に居た大人、か)
今、この場所に大人は居ない。全員が、十歳以下の子供である。
詳しいことは知らないが、私が来たときにはそんな存在は見当たらなかったので、少なくとも五年以上前から彼女たちの保護者と言える存在は姿を消している。詳細を知らない故に無責任と責める気はないが、酷い大人だとは思う。
しかし彼女たちは大人がいなくても懸命に働いていた。下水を汲んで小さな手作りろ過機にかけたり、何処からともなく入ってきた鼠を捕まえて内臓の処理をしたり、千切れた服を度々針で手を刺しながらも糸で縫っている。
働いていないのは、私の様に役目を与えられていない子や、まだ自力歩行もできない赤ん坊くらいだ。
一応弁解しておくが、私も何度か仕事を手伝おうとはしたものの毎度の如く「これは私の仕事だから」の一点張りで断られているのだ。
どうやらここでのルールの一つとして「課せられた仕事以外はしてはいけない」らしい。取り決めなら、まあ仕方ない。
だが何時になったら私は仕事を任されるのだろうか。いい加減食べ物を食べて本を読んで軽い運動をする以外の作業がしたい。
これもグループ内でのルールの一つだ。基本的に早くて四歳、遅くて五歳になるまで下水道の中で安全に育てられ――流石に夏は蒸し焼きになるので外で過ごし――その最中に能力の適正を測られ、それに応じてさまざまな種類の中から仕事が割り振られる。戦闘への適正が高ければ食料の調達に。低ければ下水道の中での家事に回される。
幸か不幸か、私は戦闘の方に素質があったようで、前もって食糧調達組に編入されるという……事を盗み聞ぎした。何時になるのかはわからないが、早く何かしらの仕事はしたいものだ。
――――そんな贅沢な悩みを抱えていると、ちょんちょんと後ろから肩をつつかれた。
「ん……?」
「――――レーナちゃん! これなんて読むの?」
顔を後ろに向ければ、真璃が『サルでもわかる武器の取扱説明書』という物騒な指南書を開いて私の方に向けていた。本のタイトルを見て思わず真顔になった私は悪くないだろう。
「……
「へ~、レーナちゃん本当に色んな字が読めるんだね。特に勉強してるところは見たことがないんだけど……なんで読めるのかなぁ?」
「……わかんない」
産まれた時から知っている、と言ったら彼女はどんな反応をしてくれるのだろうか。
――――結局、私は『過去』という物を思い出せないまま流されるように四年以上を過ごした。
恐らく”前世”と言う物なのだろうという事は、何となく理解出来た。しかしそれに至った経緯が全て不明で、何故この肉体に”私”が目覚めてしまったのかもわからない。
確かに言えることは此処は私が生きていた時代より少し先の近未来で、だが世界は夢と希望など存在しない地獄の様に酷い有様になっているという事だろう。
普通の人間が未来の世界という言葉を頭の中で浮かべたら、きっと想像もできない世界が広がっているのではないだろうか。浮遊する自動車が空を飛び交い、人々は仮想世界の中で世界中と交流し合い、食糧問題やエネルギー問題も解決して争いの少ない理想の世界だ。
……だが現実はその真逆だった。
『ガストレア』という訳のわからない化け物が世界を埋め尽くし、その化け物によって人類の殆どが殺され、その生存圏は私の知っていたモノとは比べ物に無いないほど縮小していた。
それを知った時は何処かの出来の悪いB級映画みたいな設定だと一笑したが、現実だと受け入れてからは全く笑えないモノと化している。
赤子に転生したかと思いきや覚醒早々路地裏に捨てられ、九死に一生を得たかと思ったら、世界がとんでもなく『詰み』の状態だった。少なくとも打開策の様な物は無さそうなので、本当に人類絶滅まで秒読み段階なのだろう。
今は何処にいるかもわからない母親が最後に残した言葉がよみがえる。
ああ、確かに死んだ方がマシだったかもしれない。
「レーナちゃん? 急に無言になってどうしたの?」
「……なんでもない」
だが、真璃と話しているとそんな気も薄れていく。
彼女は良い意味で陽気な性格だった。太陽の様な子と言い換えてもいいだろう。
どんなに空気が暗く重い物でも、彼女は可能な限り周囲を励まし明るい話題を出そうとする。
前に食糧不足で皆がひもじい思いをしていた時も、何処からか憶えてきたのかトランプを使ったマジックを披露したり、相方のイーヴァと共に食えそうな昆虫を獲ってきたり……いや、これはあまり思い出したく無いな。生のままバッタを食うのは私が二度目の生を受けてから経験した二度としたくない経験の内の一つだ。
ムードメーカーの彼女がいるだけで場の空気が幾分か軽くなる。今までこの下水道という劣悪な環境の中、諍いらしい諍いがあまり起きていないのは彼女の存在が大きいだろうと断言できるほどだ。
因みに私の名前――――”レーナ”という名前を私に付けてくれた者でもあるらしい。つくづく彼女には世話になってばかりだ。
「――――おいガキんちょ。喜べ、ようやくお前に仕事を任せられる日が来た」
「こらイーヴァ! ちゃんと名前で呼んであげてよ! 可哀相じゃない!」
「耳元で叫ぶな、アホマリ。私が名前で呼ぶのは一人前の奴だけだって何回も言ったろうが」
私が真璃に成すがままに抱きしめられていると、もう一人が後ろから私たちに声をかけてきた。
真璃の相方、と思われる子供。イーヴァだ。
「うん? じゃあ私は一人前って事?」
「アホが前につくから半人前だ」
「なによそれー!」
彼女ら二人がこうして言い争うのは、此処で住んでいる者からすれば日常的な光景だ。だが、二人の仲が悪いものだとは誰も答え無いだろう。
イーヴァはこの下水道で住んでいる子供たちのリーダー的存在だ。今年で弱冠九歳と非常に幼くはあるものの、此処の集団の中では最年長の部類に入る。
その隣に居座っている真璃も同様、彼女も此処のサブリーダー的存在である。
当然だが、彼女らは別に何年も前から此処を牛耳っている訳では無い。単純な話、二年か三年ほど前に最年長のリーダーが行方不明になったらしいのだ。外部の環境を未だ自分の目で確かめていない私は推測しか述べられないが……恐らく何らかの要因で死亡したのだろう。
何らかの要因というのは、別にわからないわけでは無い。単純に要因になりそうなモノが多過ぎて特定することができないだけだ。
この下水道で住んでいる子供――――『呪われた子供たち』と呼ばれる存在は、かなり特殊な体質を持っている。
私はナイフ代わりに使っている鏡の欠片に映る自分の顔を見る。
腰まで届く雪のように白い髪と金色の眼。……少しだけ目に力を入れると、美しい黄金は血の色に染まっていく。
まず一番特徴的なのが”眼”。光の少ないこの下水道で仄かに光る赤い目が、鏡から目を離して周囲を見渡せば嫌というほど目に入ってくる。
それだけ言われれば先天的色素欠乏症、所謂アルビノを彷彿とさせるが別にそんなことは無い。彼女たちの中には肌が色黒な子もいる。それにアルビノは瞳の色素が不足して目が赤く見えるだけで、別に光ったりはしない。
一部の夜行性の動物は輝版と呼ばれる目の中の構造体により、夜間に光を反射して輝きを放つことがある。また、カメラのフラッシュなどを目に浴びることで一瞬ではあるが人間でも瞳が赤く光ることはある。が、どちらもこのように常時光るような現象は起こりえない。
つまり、私が生きていた時代の知識では説明がつかない現象という訳だ。故に、この原因は私の時代では存在しなかった存在に絞られる。
ガストレアだ。
詳細こそあまり知らないが、イーヴァが忌々し気に語っていたことはよく覚えている。
人類を十分の一にまで減らし、この地球における食物連鎖の頂点に立った種。それがガストレア。その発生源は極めてシンプルで、『ガストレアウィルス』と呼ばれる謎の病原体が動物に感染することで彼らは生まれる。いや、
曰く、ウィルスに感染した動物は瞬く間に異形へと成り代わり、赤く光る眼と醜悪な体を持つ化け物へと生まれ変わるらしい。――――そう、赤い目を持つ生物へと。
ここまで言えばわかるだろう。私は、私たちは体内にガストレアウィルスを保持している。だが、身体は依然として人の形を保っている。おかしいとは思うが、抑制因子という物を持っているため辛うじてだが怪物にはならなくて済んでいるらしい。
しかし当然ながら身体の構造全てが普通の人間と同じでは無く、少々……いや、かなり差異がある。
まず暗闇で光る赤い目。一応意識することで元来有していた固有の色彩に抑えつけられる故に、これ自体はほぼ誤差のレベルだ。
だがここからはそんな事は言えなくなる。次に、普通の人間ではあり得ないレベルの再生能力と運動能力だ。
意識しなければ再生能力以外は普通の人間より少し強いレベルにまで落とし込めるが、逆に意識すること、即ち『力の解放』と呼ばれる現象を引き起こすことで、私たちはウィルスによる様々な恩恵を得ることができる。前述した怪力もその一部だ。
何より一番特徴的なのが、力を解放した際に現れる固有の特殊能力。母体が感染したガストレアウィルスの持ち主のモデル――ウィルス感染源の種の総称――の影響を受け、何かしら元となった生物の特徴が現れる。
例えばウサギだったら脚力が大幅に向上したり、イルカだったら凄く頭がよくなったり等々。字面だけ並べれば地味に思えるが、その影響は凄まじく大きい。
だが決して良いことばかりでは無い。力の解放を行う度にウィルスが私たちの体を蝕んでいき、一線を超えれば私たちは晴れて怪物どものお仲間入りだ。
逆に言えば力さえ使わなければ普通に天寿を全うできるらしいが……実例が無い故に断言はできない。
そして何より――――九年前に起こった人類とガストレアに間で起こった戦争、『ガストレア大戦』と呼ばれる大規模な戦争に人類が敗北したことで、ガストレアという種は人類にとっては不倶戴天の敵と化している。
そんな奴らの要素を体内に持っている私たちが社会においてどう扱われるのかは、わざわざ言わなくても理解できるだろう。
『
勿論庇ってくれる心優しい人間がいないわけでもないが、恐らく人類の過半数以上が私たちに対して良い感情は持っていないはずだ。でなければ、私たちがこうやってコソコソと下水道暮らしをしているわけがない。
無論本気で抵抗すればそれなりに報復はできるだろうが、その大半が十歳以下の子供。まともに反撃できるような精神が構成されていない場合が割合を占める。
いくら身体が強くても、心が育っていなければ意味がないという好例か。
……長々と述べたが、つまり前のリーダーは食料か資材の奪取に失敗し、恐らくそのまま殺されたと思われる。
公の場で犯罪を犯した迫害対象の末路など考えなくても理解できる。……ここで暮らしてもう四年。自分と少し言葉を交わしたものや、甲斐甲斐しく世話をしてくれた者がいつの間にか姿を消していた理由を知った時は愕然としたものだ。
「―――い、おい。聞いてんのかガキんちょ」
「ん……?」
「さっさと支度しろ。メシ調達の時間だ」
肩を揺らされて、私は思考の波から帰還する。
イーヴァの方を振り向けば、彼女は私に古びたナップサックを押し付けて外出用の装備を見に付けようとしていた。
頭には頑丈そうなヘルメットをかぶり、手足には使い古されたプロテクターを。子供サイズに改造したらしき防弾チョッキも着こんでいる。食糧調達するだけなのに何故こんな重武装なのだろうか。
「あん……? 言っとくがお前の分は無いぞ。私は陽動役だからな、撃たれる可能性も高い。それともお前がやるか?」
「……なんで、こんなに着こむの? 外は、そんなに危ない?」
「ああ。少なくとも、これを怠った奴は頭を撃ち抜かれて死んだよ。私の目の前でな」
外の世界はやはり世紀末状態らしい。ヤバイな、仕事はしたいけど、凄く外に出たく無くなってきた。
そんな感情が表情に出ていたのか、イーヴァは顔を少しだけ顰めながら私の首根っこを掴み、引き摺りながらマンホールの外に放り出そうとする。
当然、傍に居た真璃がそのようなことを許すはずもなく、彼女はコツンとヘルメットを被ったイーヴァの頭を小突いた。
「こらイーヴァ! 乱暴に扱わないの! 大丈夫だよレーナちゃん、私が貴方を守るから安心平気楽勝だよ!」
「お前の役割は荷物詰め兼索敵だろうが。課せられた仕事以外はやらないのがルールだって何度も――――」
「だいじょーぶ! 私ならできる!」
「その御大層な自信は一体どこから出てきているのか心底謎だよ」
正直その言葉には大いに同意する。彼女の原動力は一体何なのか知りたい。
さて、食糧調達とは言ったものの、別に私たちは森に言って狩猟をしたり、川で釣りをしたりする訳では無い。近くに動物の住む森など殆どないし、川も大体の場合廃棄物に汚染されている。
ならどうやって食料を確保するか。そう小難しい話ではない。――――食料がある場所から奪って来るのだ。
さながら蛮族の様な行動だが、そうすることでしか食いつなげない。食料を自給出来ない以上、それしか道は無い。
此処に居る子供たちは赤子を含めればおおよそ二十人前後。子供とはいえこれだけの人数の飢えを凌ぐにはそこそこの量が必要だ。
しかし自力で食料を生産できる力を持たない以上、何処から奪って来るしかないのだ。
最初こそ私も頭を悩ませたが、三日三晩水だけを口にする生活を送ってからは罪悪感など塵と消えた。そもそもこうして養ってもらっている以上私は文句など言える立場じゃないし、奪ってきた物を口にしている時点で同罪だろう。罪悪感を抱く方が烏滸がましいというもの。
「準備は済んだか? ならとっとと行くぞ」
「レーナちゃん、無理はしないでね? いざとなったらすぐに逃げていいんだからね?」
「ん……」
彼女らの言葉に小さくうなずきながら、私は共に食料調達に行く者達を一瞥しながら下水道の出口に繋がる梯子に足をかけた。
いきなり訓練も無しに略奪行為など大丈夫なのか? と思うかもしれないが、一応訓練の類は偶に受けてきた。と言っても棚に並べられた荷物をナップサックに詰め込んで目的地まで一気に駆けるだけど簡素なものではあるが。
実際私の役目などそれだけだ。なるべく長持ちする物を片っ端から選んで詰め込み、リーダーの指示が出たら全力で逃走する。子供でもできることだ。小難しい訓練など必要ないだろうし、前々からイーヴァから直々に「いつかお前もやることになる」と忠告を受けていたので、現状は割とすんなり受け入れられた。
先に梯子を上がっていたイーヴァが数キロもあるマンホールの蓋を軽々と退かして地上へ上がり、私もそれに続く。
――――錆び臭い冷たい風が頬を撫でた。
去年の夏ぶりの外の世界だ。だが、変わったものなど何もない。空だけは晴れやかな様子だが、身体にのしかかる重い空気だけは、私が生まれたあの日のままだった。
「曇り空……か」
「……レーナちゃん。もしかして、覚えてる……?」
「……そうかも」
……困った。別に彼女を困らせたいわけでは無いのだが、どうもこの世界を生きている内に思考がネガティブ寄りになってしまっている。
可能な限り改善したいのだが、如何したものか。
「おい! チンタラしてると置いて行くぞお前ら!」
「あ、ごめんごめん。ほらレーナちゃん、行こう?」
「ん……」
真璃に手を引かれながら、私はさび付いた軍用らしき6人乗りの大型の四輪駆動車に乗り込んだ。
一体どこからこんな物を調達してきたのかは不明だが、運転手であるイーヴァがかなりて慣れた手つきに見える故にかなり前からあったのだろう。
この9歳児、一体どこで操縦の仕方を習ったのだろうか。
「……操縦できるの?」
「当り前だ。何年も前からやってきてるからな」
「今でもたまーに事故るくせによく言うよ~」
「うるせぇ。オジャンにしかけたお前に言われたくないわ、アホマリ」
悪態を突きながらイーヴァはエンジンを点火させ、子供でも踏めるように改造されたペダルを踏み込んで車を加速させた。
悪地走行によってガタンガタンと揺れる中、真璃はさまざまな物品を詰めていたバッグの中から地図の様な物を取り出した。その地図には無数の目印がこれでもかというほど書き込まれており、暫く見つめていた真璃がペンで何処かに丸印を付けてイーヴァに見せつける。
「前は此処を襲撃したから……次は此処だね」
「本当に大丈夫だろうな? 前襲ったスーパーと比べて少し距離が近くないか?」
「仕方ないでしょ~。これ以上遠くを襲うと他のグループに縄張りの侵害とか何とかって難癖付けられるし」
「やってることは他所からの窃盗の癖になーにが縄張りなんだか……ま、私たちも同じ穴の狢だが」
やはりというか何というか、かなり物騒なやり取りだ。
私たちが生きる上で仕方ないとはいえ、ここまで堂々と公共の場を襲撃する旨の会話が行われていると自分の常識が崩れ去っていく音が聞こえてくる。自分たちで自給自足ができる能力があるなら、こんな危険を冒さないで済むのだが……現状、難しいとしか言えない。
人も、時間も、物資も。最善案を実行するには全部不足しているのだ。更に言えば、万が一失敗した場合の影響も計り知れない。
将来的なリターンが大きくてもかなり危険な博打だ。……他所から奪う方が余程確実かつ堅実という現実には笑えばいいのか。
「――――おい、ガキんちょ。前もって言っておくが、下手な欲なんて出すなよ。私が”撤退”と言ったら即座に撤退だ。従わなかった場合は容赦なく置いて行くからな?」
「……わかった」
「リーダー! 今回は何を優先的に獲ればいいのでしょうか!」
私の隣で座っていた紺色のツインテールを揺らす少女が手を挙げながら元気よく声を出した。
確かこの子は……、
「リザ、お前前に果物を無理矢理持って帰ろうとして見事にナップサック一つを果汁でビッチョビチョにしていたよな?」
「えっ、あ、そのぉ……」
「前も言ったが、保存の利かない奴は持ってくるな。水を最優先に、缶詰やカップ麺、スナック菓子を詰めろ」
「たいちょー! 肉は!?」
「少しだけだぞ。多く盗んでも腐ったらただのゴミだ」
「りょーかい!」
そう、リザという名前だった。後から声を上げたクリーム色のボブカット子は、
更にもう一人後ろで待機している子がいるのだが……。
「…………何?」
「……なんでもない」
ガサガサの膝に届くほど長い髪を持った少女は、私の視線に気づいたのか不機嫌そうな目で見つめ返してきた。
彼女の事はよく知らない。グループ内で一緒に暮らす仲ではあるものの、人付き合いが極端に悪く名前すら知らない有様だ。このように、話しかけようとしても一蹴されてしまう。
別にそこまで無理をして交流をする気はないが、せめて名前だけでも知れないものか。
(……後でゆっくり考えよう)
面倒になった私は結局諦め、揺れる車体に身を任せた。
これが私にとっての最初の仕事だ。無駄なことは考えず、今は目先の事に集中せねば。