赤の女王 作:HIPのYOU
完成途中のものを急遽仕上げたものです。次回からはマジで不定期になります。
ほんのりと、優しい香りが鼻腔を擽り、暖かな温もりが身体を包んでいることに気付く。
生まれて初めての心地よい目覚め。下水道から発せられる臭気のある暖気でもなければ、ごわごわとしたボロ切れの様な毛布によって生まれる頼りないモノとは比べ物にならないほどの気持ちよさだ。
もし、今私が居るのが天国だというのならば信じられる。今まで味わってきた不便な生活からくる不平不満を全て根こそぎ吹き飛ばすような快感。何時までもこうしていたいという魔力に満ちている。
だがそれはあり得ない。
私の様な者には、天国など似合わないのだから。
辛うじて心地よさの魔力から抜け出し、私は普段より何倍も重々しい瞼をゆっくりと開ける。するとどうしたことか、夕焼け色の光が瞼の隙間から入ってきた。しかし決して眩しいと思うほどの光量ではない。襖一枚を隔てて部屋に入ってくる夕陽の光は、まるで母親の抱擁のように私の目覚めを優しく促進してくれた。
――――襖?
今度は目を開き切る。
まず目に入ったのは木張りの天井と、四角型のLED電灯。首を左右に動かせば、部屋一面に敷き詰められた畳と自分の居る部屋を囲んでいる障子や襖が見えた。更に目を凝らせば、所々に焼き物や刀、盆栽等々、高級そうなものが散見できた。
一体此処は、何処なのだろうか。その手のホテルの和風に仕上げた高級部屋だと言われても納得できる程のクオリティ。少なくとも一般家庭ではまずあり得ない。
この様な和風趣味全開の金に糸目を付けないと言わんばかりの飾りつけなど、それこそどこかの企業の社長でもなければまず無理だろう。
(……確か、「お嬢様」って聞こえた。と言う事は、まさか)
運よく、そこそこのお偉いさんかその娘さんに拾われた、のか? 偶然にしてはいささか出来過ぎているような気が否めないが、起こってしまったのならば信じるしか無いだろう。
これを大半の者は幸運と呼ぶだろうが――――私にとっては、酷く不幸としか思えなかった。
あそこで野垂れ死ぬつもりであったのに、何故拾ってしまったんだ。
誰にも迷惑なんてかけずに、無様をさらしながら死ぬはずだった。なのに、どうして。天は私にまだ生きろというのか。まだこの地獄を味わい続けろというのか。畜生が。
途端に胸の内に染みわたり始める自己嫌悪の感情に堪えが利かず、歯を食いしばりながら私は体を温めていた布団を頭までかぶせる。
――――私は……死ぬことすら、許されないというのか。
自嘲の笑い声が零れる。
楽になるなんて許さない。一分一秒でも長く苦しみ続けろと言われているようで、酷く泣きたくなった。いっそ舌を噛み切って死んでみようか。いや、どうせ再生して終わりか。
今までは丈夫な体が便利なものだと思っていたが、今となっては不便なものだと思えてしまう。
バラニウム製の武器があれば、いや、一発の弾丸さえあれば脳漿を撃ち抜いて、早く楽になれるのに。
「――――あ、起きたみたいやね」
未だに朦朧としている意識をの欠片をかき集めながら、私は布団の隙間から声のする方向へと目を向けた。
ウェーブのかかった長く艶やかな黒髪に、陽に照らされた黒曜石の様に美しく光る黒目。それを明るい色の和服が元来持つであろう大和撫子の如き魅力を最大限まで引き出しており、思わず見とれて被っていた布団を無意識に跳ねのけてしまう程の美少女がそこに居た。
ああ、なるほど。確かにこれは「お嬢様」だ。百人が見て全員が同じ答えを出すだろうと確信するほどの。
「よかった~。もう丸一日近く目を覚まさへんから心配したんよ~」
「あ、あの……ええと……」
気が付けばその和服少女は手を伸ばせば届いてしまうほどの距離に近付いていた。
別に美形に耐性が無いわけではない。身内ゆえに甘い判定なのかもしれないが、私の周りにいた『子供たち』もかなりの粒揃いだった。後数年もすれば、『呪われた子供たち』というレッテルさえ無ければそれはもうモテモテになると思えるくらいには。
しかし目の前に居る少女はレベルが、次元が違いすぎる。前述の『子供たち』が原石ならこの少女は磨かれ抜かれた最高級の宝石そのものだった。あまりの輝きに私が意味も無く恥ずかしがっているのがその証拠だ。
「あ、此処はウチの家や。今用意できる一番の部屋を用意したつもりなんやけど……どこが不便とか感じたなら、遠慮なく言ってくれても構へんよ?」
「だ、大丈夫、です……とっても、よく眠れました」
少なくとも、悪夢などの類を見ることなくゆっくりと眠ることはできた。布団も枕もフカフカで気持ちよかったし、いつの間にか着替えさせられている寝間着用の浴衣も肌に優しい素材で出来ている。
今までとは比べ物にならないレベルの整った環境で快眠できないなら、私はこれからどうやって寝ればいいんだって話だ。
「うふふ、そんなに緊張しなくてもええよ。別に取って食ったりはせえへんから」
「……あの、どうして、私を」
彼女の言葉に一時の安心を覚えながら、私は今一番疑問に思っていることを彼女へ質問した。
あの時保護された際の私の身なりは弾痕と裂傷、更に血や泥などで汚れ切った薄汚い服であり、明らかに浮浪児のソレだ。彼女の様な高級感溢れるお嬢様に助けられるような義理など何一つ持ち合わせていないというのに、そもそも初対面だというのに、どうして私を助けたのだろう。
ただ単に良心の呵責を生みたくないと判断したのか、それとも純粋な善意なのか。……いや、後者は、あり得ないか。今時、外周区住まいの子供にそんな感情を向ける人間などごく一握りで、それが目の前に居る少女に該当する確率はとても低いものの筈――――
「うん? 困っている子供を助けるのに理由が必要なん?」
……どうやら私はその極低確率を引き当てたらしい。自分が不運なのか豪運なのかわからなくなってきた。この場合は、悪運が強いと言うべきなのかもしれないが。
「……私は、『呪われた子供たち』ですよ?」
「それはもう知っとるよ。変な病原菌を家の中に入れても困るさかい、念のために血液検査は済ましているんよ。でも別に私は気にせえへんで?」
「どうして」
「ウチからすれば『呪われた子供たち』なんてちょーっと力が強い子供となんも変わらへん。それに、理由のあらへん恨みを抱くなんて馬鹿のやることや。ウチの言うこと、何か間違うてるか?」
ニッコリと、純粋な笑顔で彼女は私を宥めるように、頭を優しく撫でながらそう説く。
涙が溢れそうになる。まさか、蓮太郎以外にこんな人がいるなんて信じられなかった。『呪われた子供たち』以外で私の素性を知った上で頭を撫でてくれたのは、彼女で二人目だ。
やがて堪えていた涙が、嗚咽と共に流れ出てくる。嬉しいのか、悲しいのか、もう自分でもわからない。
「ひぐっ……う、ぇえっ……う、ぁぁああぁあぁぁっ……!」
「え、まっ、だっ大丈夫かいな!? 何処か痛いん!?」
「違っ……自分でもっ、よぐっ、わからなくてぇ、っ……!」
今まで押し留めていた感情が溢れ出すようで、一度決壊した以上その激流は自分ではもう止められなかった。
気が付けば彼女の胸元で鼻水を垂らしながら泣きじゃくっていた。今まで泣いたことなんて片手の指で数えられるくらいしか無かったというのに、今までのツケを清算するが如き大号泣。
泣いて、泣いて、泣き続けた。そんな私の突然の醜態を見ても、彼女は優しく背中をさすって宥めてくれる。その優しさがひび割れた心を埋めていくようで、およそ十分ほど経って私はようやく泣き止むことができた。
代わりに、彼女の着ていた着物は私の涙や鼻水、涎等々の汚物でびっしょり汚れてしまっていたが。
それを見て私が彼女に顔をハンカチで拭かれつつ心底後悔したのは、言うまでもない。
「ごっ、ごめんなさい……! その、私、どうしてこんな……」
「ええよええよ、服なんて洗えば済むことや。むしろウチとしては、自分がウチの胸で泣いてくれたことが嬉しいんやで? ウチは妹とかおらへんから、新鮮な気分味わえて楽しかったわ~」
クスクスと愉快気に笑う彼女に対して私は羞恥のあまり俯くしかない。穴があったら入りたい気分である。
「――――お嬢様、粥をお持ちいたしました」
「ん、ありがとさん。そこに置いてもろて構へんよ。後はウチがやるから」
「わかりました。ごゆっくりと……」
女中らしき、浴衣を着た女性は粥鍋を乗せたお盆を持って現れた。小さな鍋からは微かに香ばしい香りが漏れ出ており、空っぽの胃袋が突然蠕動運動を始めた。不意打ち気味なおかげで軽く胃液を吐きかけたが、全力で堪える。
流石にこれ以上醜態を晒すのは勘弁だ。
「ほら、何か口に入れんと元気にならへんよ?」
「で、でも……寝所まで用意してもらって、食事までもらうのは……」
「ええからええから! ほら、あーん……」
ふー、ふーと彼女はレンゲで掬った美味そうな卵粥を覚ましつつ、光悦とした表情で私の口へと入れようとする。何だろう、完全に弄ばれている気がする。
しかし悪い気はしない。ムサいオッサンならともかくこれをしてくれているのは絶世の美少女。もし私が男なら世の男が全員私を呪い殺しに来そうなシチュエーションである。
それに、胃が先程からさっさと何かを寄越せと蠢いているのだ。拒否したところでこの空腹感には耐えれそうにない。私は大人しく口を開いて粥を口に入れた。
「美味しい?」
「ん……はい、美味しい、です」
「よかった~。口に合わへんかったらどないしよと思うたわ。ほら、もっとお食べ」
彼女に乗せられる形で、最初こそ少し抵抗していたものの私は粥を食べ尽くしてしまう。恥ずかしくはあったが、彼女が幸せそうなら……まあ、いいか。
「あ、そういえば自己紹介がまだやったわ。ウチの名前は
「えっと……では、未織さんで」
「も~、つれないわぁ。で、自分の名前は?」
「…………レーナ、です。苗字は、ありません」
……彼女に付けられた名前を果たして名乗っていいものかと一瞬だけ戸惑ったが、流石に名乗らないのも「名無し」と名乗るのは相手に失礼だ。私は素直に自身の名を名乗ることにした。
「レーナちゃんやね。ふふっ、かわいい名前やわ」
「ありがとう、ございます」
「……それで、そろそろ本題に入りたいんやけど、ええか?」
彼女の顔が微笑からギュッと引き締まり、真面目な顔になる。
一瞬肩が震えたが、此処まで世話をしてくれたのだ。此処で逃げるわけにもいかないと思い、私は肩の震えを抑えながら無言で首を縦に振った。
「うん、まず聞きたいんやけど……どうしてあそこで倒れていたん? 服はボロボロやったし、足には弾丸まで埋まっておった。何か厄介事に巻き込まれているんなら力になんねやんけど……」
「いいえ、そういうのじゃないんです。……ただ、逃げてきただけで」
そうだ。私は逃げただけだ。
あの時、素直に家に戻るという選択肢もあった。だけどそれは選ばなかった。きっとその選択をした時の、皆から向けられるだろう侮蔑の視線に耐えられないと本能的に確信したが故に。
普通の人間からも、『呪われた子供たち』からも拒絶される。なら私は一体どこに行けばいい? いっそ、ガストレアの天国であるモノリスの外――――未踏査領域に突っ込んだ方が良かったのだろうか。
「大切な人が、自分を庇って死んでしまって……。でも、その人は私のいた所では掛け替えのない人物で……その場所を率いていたリーダーも、今までにないくらい怒ってました」
当然だ。彼女に、イーヴァにとって真璃は何年も共に生き抜いてきた相棒といえる存在だった。彼女の齎す恩恵はグループ内での不和の軽減だけでなく、リーダーであるイーヴァの精神的支柱としてでも働いていたのだ。
あの集団内で最年長組はイーヴァ、真璃、シルの三人だけ。シルについては詳細不明だが、恐らく因子が極度に戦闘に不向きなせいで殆ど外に出ていなかった。
故に、本当の意味で共に生き抜いてきたのだ、あの二人は。
それがあんな些細なミスで、あんな小物の悪党などに殺された。捕まった切っ掛けの発端こそ真璃ではあったが……私が自分の分のペンダントさえ買い忘れていなければ、彼女がショッピングモールに戻ることは無かった。
私は元凶の元凶なのだ。
故に、罰は甘んじて受け入れなければならない。今こうして、罪悪感と自己嫌悪に蝕まれながら怪物になるまで惨めに生き続けるという罰を。
「私は、もうあそこに居てはいけない。中に入る資格が無いんです。……きっとそれが、私に与えられた罰だから」
「…………子供がこんな事を考えるようになるなんて、世も末やな、ホンマ」
「……未織さん?」
未織は顔を手で覆って軽く空を仰いだ。私の口から語られた事の顛末が想像以上で処理が追いついていないのかもしれない。
数秒後、彼女はポンポンと私の頭を叩いて撫でる。手で隠されていた顔は、数分前の慈しみに満ちたモノだ。
「ま、ともかく元気になるまでここで休んでいってな。レーナちゃんが元気になるまでしっかり世話するって、ウチ決めたから」
「駄目です。これ以上未織さんに迷惑はかけられません。……何も返せないのは、本当に申し訳ないと思っています。だからこそ、もう行かないと」
「何処に?」
「……わかりません」
行き場所なんてどこにもありはしない。
人々からはこの身に流れるガストレアの血のせいで拒絶され、帰るべき家ももうありはしない。唯一あるとしたら、未踏査領域で自給自足の生活を送るくらいだが……正直その選択は自殺と変わり無い。
だからといって死ぬのは駄目だ。
死ぬのは、せめて
「レーナちゃん、せめて明日までは此処に居てくれへん?」
「……それは、何故?」
「ウチはレーナちゃんを助けるために拾ったんよ。でも、このまま放りだしたらそれは駄目になってまう。とっても不本意や。レーナちゃんみたいな子供を見殺しにするなんて、ウチにはとてもできへん」
「未織さん……でも、私は」
「ええから! 今日くらいは、ゆっくり休むとええ。此処にレーナちゃんの敵はおらへんから、な?」
背中を摩りながら、彼女は子供に言い聞かせるように――実際その通りなのだが――私を説得しようとする。
その提案に魅力が無いわけでは無い。恐らくこれ程整った環境は、此処から去れば二度と味わえないだろう。それを少しでも長く堪能するのは悪くはない。
だからこそ駄目なのだ。私は、もっと苦しまなければならない。楽な方向に進むなんて――――
「……………」
……そんな、悲し気な表情で見ないでほしい。
十秒ほど熟考し、私は深いため息を吐きながら渋々と了承の意を示す。
自分を救ってくれた人がここまで自分を心配してくれている。その良心を蔑ろにするのは、とても不本意だから。
「……わかりました。明日の朝、までですね」
「うんうん、素直な子は好きやで~。じゃあ、そろそろウチは行かんと」
「? 行くって、何処に?」
「あー、ちょっとこの後仕事が立て込んでいてな? はよ行かんと睡眠時間がなくなりそうなんよ」
未織の見た目は、高く見積もっても高校生くらいだ。にもかかわらずこんな夕方で行う「仕事」とはなんだろうか。バイト……の必要はないか。金に困ることは無いであろうお嬢様が何故バイトなんてするんだ。
まあ、私が気にしても仕方のないことか。どの道、明日の朝には別れるのだから。
「それじゃあレーナちゃん、また明日な?」
「はい。いってらっしゃい、未織さん」
彼女は微笑を浮かべて踵を返した。
途端に、私の胸が締め付けられるような苦痛を感じる。急激に心拍数が跳ね上がり、体中から汗が溢れ出す。
どうしてそんな異常が自分の身に訪れたのかはわからない。しかし今確かに言えることは、私は無意識に未織へと手を伸ばしているということだ。
何故、私はこんなことを。まさか、別れが惜しくなったのか?
駄目だ。これは駄目だ。彼女に依存してはいけない。これ以上彼女に負担をかけるわけには――――
「――――待ってっ!!」
「ふぇっ?」
――――気が付けば、私は布団の中から飛び出して彼女の背中に抱き付いていた。
ああ、畜生。私の馬鹿め。やってはいけないことを、やってしまった。孤独からの恐怖から逃げ切れなかった。
これ以上は駄目だとわかっているのに、身体は意思に反して動き続ける。
「わたしを……ひとりに、しないでっ……」
もう尽きたと思われていた涙と共に出てきた言葉は、そんな子供の我が儘だった。
それを聞いた未織は驚きこそしたが、すぐに苦笑を浮かべて「よしよし」と頭を撫でながら抱きしめてくれる。これ以上はいけないとわかっているのに、どうして私はこんな事をしたのだろう。
飢えていたのだろうか。失ったはずの、愛に。
「ええよ、そのくらい。好きなだけ一緒にいたる。だから、もう泣かなくてええんやで」
情けなく咽び泣く私を、彼女は優しく抱き上げて歩き出した。
ごめんなさい、真璃。貴方を殺した罪から逃げてごめんなさい。
でも、今だけ、少しだけこの暖かさに包まれ続けることを、許してください。
▼△▼△▼△▼△▼△▼
司馬重工。東京エリア内でその名は知らぬ者は居ないと言われる程の世界的な巨大兵器会社だ。
扱っているのはスタンガンのような防犯グッズから戦闘ヘリや戦車その他諸々。当然、対ガストレア戦闘を想定した最新兵器や
更に武器関連だけでなく、軍用のアプリケーション開発や高性能の各種センサー。最近有名なのではVRシミュレーターすら独自開発に成功しているらしい。
それで、だ。私が何故急にそんな話題を持ちだしたかというと――――
「ん~……なーんか上手く行かへんなぁ……」
すぐ傍で、空中に投影された数十枚ものホロディスプレイ相手に睨み合いをしている未織を見て、私がようやく彼女が何者なのかを理解したからである。
現在場所。司馬重工本社ビル最上階、社長令嬢専用プライベートルーム。数刻前に私が寝ていた和風屋敷とは打って変わって、まるでSF映画の様なくねくねとうねった流曲線状の前衛的デザインで設計された机や椅子、その他諸々の詳細不明の機器が並ぶさまは、さながら別世界か近未来である。
司馬という苗字を聞いてもしや、とは思ったが、まさか本当に由緒正しき司馬家の令嬢とは思わなかった。最近の私の運気パラメータは乱高下が激しすぎやしないか。
そして今、彼女は唸りながらホロディスプレイに映し出された次世代型の
故に、私は奇怪なデザインをしたコーヒーメーカーで彼女にカフェインを供給する役目を務めることにした。まあ、声がかかったら機械のボタンを一階押すだけの簡単なお仕事ではあるのだが。
「あー! 疲れたわぁ~……レーナちゃぁ~ん、抱き枕になってぇ~」
「あ、はっ、はい!」
私は呼ばれてすぐに会った時とはすっかり変わってやつれた顔をしている彼女へと駆けよった。
そっと、未織の負担を可能な限り抑えながら彼女の膝の上に座る。すると左右から彼女の白くて細い、綺麗な腕が私の体をギューっと抱きしめてきた。抱きしめられるたびに私が今着ている彼女から与えられた服からフローラルな柔軟剤の香りが漂う。
これぞ我が第二の役目、未織専用癒し抱き枕(生)である。彼女曰く効果は抜群らしい。
「うーんふふふ……レーナちゃん、やっぱりウチの家に住む気はないん? 結構悪くない提案だと思うんやけど」
「……駄目ですよ、こんな出生もわからない浮浪児を匿うなんて。未織さんは司馬家の令嬢なんですから、外聞を気にした方が良いのでは?」
「ウチに罵声なんて飛ばしてみい、司馬重工の総力を挙げて後悔させたるわ」
「えぇ……」
名家の令嬢にあるまじき物騒な発言である。まあ、典型的な高飛車お嬢様よりはずっと好感が持てやすいので構わないが。むしろ好みですらある。
(…………みんな、今頃どうしてるのかな)
未織に抱きしめられながら、私はそんな事をふと思う。
あの惨事からもうそろそろ一日経つ。イーヴァももう目を覚ましている頃だろう。まだ、怒っているだろうか。私を殺すために血眼で探しているのだろうか。
彼女にならば殺されても構わない。……しかしそう思うたびに真璃の遺言が頭を過る。
――――これからも、みんなで……仲良く………生き、て……生き続、けて…………。
彼女は、生きろと言った。自分が居なくなっても、皆団結を忘れず生き続けろと。
半分ほどもう叶わなくなっているが、もう半分はまだ叶えられる。生き続けろという願いを私は、叶え続けなければならないのだ。それが亡くなった真璃へ送れるせめてもの手向けとなるのなら。
どれだけ辛いことがあっても。
どれだけ悲しいことがあっても。
その感情を背負いながら、生き続ける義務がある。彼女の死を、無駄にしないためにも。
「レーナちゃん」
「え? は、はい、どうかしましたか?」
「やっぱり自分の家に帰りたい、って顔しとる」
「え――――」
そんな筈がない。あそこに私の居場所はもう無いのだから、帰りたいと思っても仕方ないではないか。
仕方、ないじゃないか。
帰っても、もう誰も、私の事を受けて入れてくれない。くれる筈がない。
「無理ですよ、そんな事。帰っても……もう、意味なんて」
「レーナちゃん、辛いのはわかるで。でもな……今のレーナちゃんは辛い現実から逃げてるだけや。自分の罪と向き合って無いんよ」
「それは……」
それを言われると何も言い返せない。
私は逃げた。それが私への罰――――いや、違う、違うだろう。そんなのは私が勝手に決めたモノだ。本当の罰は、彼女らから与えられるべきだ。
わかっているんだよ、ただ辛いことから逃げ続けているだけだって。目を逸らし続けているだけだって。
でも、一体どうすればいいって言うんだ。私には……わからない。
「……私は、どうしたらっ」
「ん~……まずは、お互いに腹割って話すべきや。レーナちゃんがどうしたいかを相手に話せばええ」
「受け入れられなかったら……?」
「そん時はまた別の方法を探せばええよ。でもまずは、話しをするべきやないかとウチは思うで?」
「……………」
思い返せば、あの時の私は自分の言葉でイーヴァと会話をしていただろうか。
……していなかった。ただ何がどう起こったのかをだけ機械的に話で、それで終わっていた。後は無抵抗で殺されかけただけだ。これを「イーヴァと話をした」とはとても言えないだろう。
お互いの本音をぶち撒け合うべき、か。……彼女からはきっと恨み辛みだけが出てくる。それをぶつけられて、私の心は耐えられるのだろうか。
「――――ああ、でも」
せめて、せめて真璃の遺言くらいは、伝えに行かねば。
もう二度と会わないことになろうとも、それだけはやらねばならない。きっと真璃の言葉は、私だけに対するものでは無いだろうと思うから。
だからもう、行かないと。
「すみません、未織さん。私……」
「わかっとる。行くんやろ? 大丈夫や、警備の方にはウチが連絡入れとくさかい」
「……ありがとうございます!」
謝罪では無く感謝の言葉。それを聞いて未織はにっこりと微笑んだ。
▼△▼△▼△▼△▼△▼
既に夜の帳が空を覆う午後十時過ぎ。
司馬重工を飛び出しておよそ二時間。私は可能な限りのハイペースで自身の故郷である第三十六区へと着ていた。目的地は無論、マンホールチルドレンの溜まり場。
人気の少ない通りを抜けて、ほとんど人の手入れが入らなかったせいで雑草が乱雑に生え散らかった草原の中にポツンと寂し気に佇むディーゼル発電機。四輪駆動車は、何故か見当たらず。
それに少しだけ違和感を覚えたが、今気にすることでは無い。私はぬかるんだ芝生を踏みながら周囲を散策し、泥をかぶせられて申し訳程度に隠されたマンホールを手づかみで抉じ開け、中に飛び込んだ。
「――――あ」
可能な限り音を殺しながら着地すると、目の前にはかつて真璃と共に助けた少女が居た。突然の出来事に、お互いに硬直してしまう。
「え、と……お、おかえり?」
「……イーヴァは何処?」
「へ? あ、それは、その……」
「――――おいチビっこ! お前、何時の間に……!」
少女がしどろもどろとしている間に、来客に気付いた佐奈が怒りを露わにしながらズンズンと近づいてきた。まあ、そうなるだろう。サブリーダーの死因が厚顔にもノコノコと帰ってきたのだから。
「お前、どの面下げて此処に戻って「やめろ佐奈」アクィラ!?」
力を解放しながら私を拘束しようとする佐奈であったが、いつの間にか近づいていたアクィラによってそれは制止された。彼女の浮かべている顔は変わらず仏頂面であり、感情が読めないせいで思わず冷汗を垂らす。
が、わざわざ私への危害を止めた以上、敵意は無いと判断していいだろう。
「……私は、勝手にしろとは言った。でも、別に『出ていけ』とは一言も言って無いんだけど?」
「それについては、ごめんなさい。後で幾らでも謝ります。……ところで、イーヴァは」
「此処にはいない」
「え」
折角戻ってきたのに、目的の人物がいないという事実を知らされて思わずコケそうになった。
「じゃあ、一体どこに――――」
「アクィラ! 倉庫から拳銃とバラニウムの弾丸が幾つか消えて……アレ? れーちゃんお帰り~。意外と早く戻ったね」
「え、あ、はい。ただいま帰りました」
「チッ……あの馬鹿、まさか本当に……?」
何やら切羽詰まったような様子のリザが姿を現した。そしてその言葉に対してアクィラは顔を青ざめる。
拳銃と、バラニウムの弾丸? 何故そんな物が消えて……。
「――――まさか」
「きっとその”まさか”。……死ぬ気だよ、あの馬鹿」
「そんなっ、たいちょーがなんで……!」
「あの馬鹿リーダー……」
身体の温度が数度下がったような悪寒が全身を走った。
親友の死という事実により精神的に極限まで追い詰められた末に、イーヴァの選択した道は”自決”だというのか。この世界の悪意に耐えかねて、もう楽になるために。
駄目だ、それは駄目だ。そうなってしまえば私は真璃だけでなくイーヴァをも殺してしまったことになる。
果たして私はそんな苦しみを味わいながら生き続ける事ができるのだろうか。
「アクィラさん、あの人は今どこに……!」
「知らない。一時間前もう居なくなってた……。でも、もしかしたら三十一区に行ってるかもしれない。わざわざ車まで使ってるし……何よりあそこは、最年長組にとっての……」
「ッ!!」
「あ、ちょ、れーちゃん!?」
「チビっこアンタ何処に行こうと――――!?」
第三十一区。先々代が自決を遂げた場所。成程確かにありえなくはない。
私はほぼ反射的に外へと飛び出す。最早一分一秒の猶予も無い。イーヴァがその手に持った黒鉄の凶器で頭を撃ち貫く前に止めねばならない。真璃の遺言を伝えなければ――――
「待って」
「何っ!?」
駆けだそうとした寸前に私はアクィラに呼び留められてしまう。それに対して苛立ちの隠せていない返事をしてしまうが……両手を翼に変えた彼女を見て言葉を失った。
「こっちの方が、早い」
「……ありがとう」
相変わらず頼もしい先輩だ。
未織さん大活躍やで~。ぶっちゃけ作った当初は彼女がこんな役割になるなんてマジで思っていなかった……。
なに?主人公のメンタル復帰が早すぎる?実は復帰しているようで真璃の遺言を思い出して自滅願望から自責の念からの自罰的思考にシフトしているだけなんだなこれが……。
まあ、ゆっくり寝た事と未織さんの献身のおかげである程度回復はしたでしょうけど。