赤の女王   作:HIPのYOU

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六話:星に願いを

「…………………………は?」

 

 

 なんだこれは。

 

「いやいやいやいやいやいや――――え? えぇ!?」

 

 首を動かして周囲の情報から可能な限り現状を把握しようと試みる。

 

 まず此処は送電鉄塔の中、そして一番高い所。其処に私は……太い、白い糸の様な物でグルグル巻きにされて吊られていた。幸いと言うべきか材質はかなり良い物を使っているのか、子供を一人吊っているというのに切れる様子が全く見えない。

 

 いやそれよりも何故ここで私が吊られているかだ。どうしてこうなった。こんな事をされる謂れは――――無い、とは言えないが、だとするなら私だけ此処で吊られているのがわからない。

 

 これがスーパーや人々を襲撃した私たちへの仕打ちだというなら、私一人な筈がないのだ。

 

(いや、もしかしたら他の皆は別の場所でもう……)

 

 あり得なくは、ない。だが戦闘音すら聞こえなかったという事は、その可能性は低いだろう。

 

 だとすれば私に対する拉致監禁だが、なら何でこんな場所に置いているのかさっぱりわからない。拉致監禁なら牢屋か窓の無いの部屋と相場か決まっている。違うとすれば――――

 

「私個人への恨み……?」

 

 そう考えれば辻褄は合う。周りを見ても此処には私一人しかいないし、私個人への制裁だというなら成程効果覿面だ。ここから地表まで目測ではおおよそ四十メートル。もし落ちたら、なんて考えるだけで顔色が真っ青になる。

 

 せめてもの慈悲なのか、私の拘束やぶら下げているモノの強度は中々の上質らしいが。証拠に、私が力を解放して全力で脱出を試みても、ゴムのように変形するだけで千切れる気配は全くない。どんな材料を使ったんだ。

 

 これだけ柔軟性があって強度も備えている都合のいい繊維素材なんてある訳、

 

(……いや、ある。蜘蛛、もしくは蓑虫の糸……!)

 

 蜘蛛の糸は”同じ太さ”という条件下では鋼鉄の五倍、ナイロンの二倍の伸縮率を保有している。蓑虫の糸に至ってはその二倍の強度だ。

 もしこれが安価に量産できれば世界の繊維業界で革命が起こるのは間違いないほどの夢のある素材だ。それが私を物凄い厚さで包み、吊っている糸に至っては綱引き用のロープ並に太い。これ程だとちょっとやそっとじゃ絶対に切れないだろうと確信できる。

 

 だがこんなの一体どうやって作ったんだ。少なくとも小娘一人に嫌がらせをするためだけに用意するにはコストパフォーマンスが悪すぎる。あり得るとすれば……モデル・スパイダーの因子を持つ『呪われた子供たち』が作った、とかか。

 

(……確実にそれだろうな。でなければ割に合わない)

 

 金持ちのボンボンでもなければ人間ではこんなことはできない。だが蜘蛛の因子を持つ”子供たち”なら出来る可能性が非常に高い。無論短時間でこれだけの糸を用意するのは難しいだろうが、予め何日も前から用意していたのなら難しい話じゃ無くなる。

 

 ならば、犯行を行ったのは下水道に住んでいる者なのかもしれない。音を立てずに私を外に連れ出し、糸でグルグル巻きにして送電鉄塔まで連れて行き、最上部まで登って吊るした。確かに蜘蛛の因子持ちなら不可能の二文字はなくなる。

 

 だとすれば、一体誰だ? 残念ながら私は下水道に住んでいる”子供たち”がどんな因子を持っているのか殆ど把握していないから、犯人など絞れない。

 

(いや……違うな。別の条件で絞れば犯人は自ずと見えてくる)

 

 犯人は恐らく、佐奈だ。

 

 理由はわからないが私に対して怒りを抱いていた。本当に理由が不明なのだが、もし彼女が蜘蛛の因子を持つ”子供たち”なら犯行は十分すぎる程可能である。

 

 問題は何故こんな事をしたのか、と言う事だ。

 

(本当になんでなんだ……?)

 

 自身へ向けられる理由のわからない怒り程理不尽に感じられるものは無い。

 

 少しでも原因になりそうな記憶を探ろうとするが、本気でそんな物が無いのだ。彼女との接点なんて片手の指で数える程度にしか存在しない。というか直接言葉を交わした数もそのくらいだ。

 

 にもかかわらずこんな凶行をする程に怒りを溜め込んでいたという。心底訳が分からない。

 

(…………抜け出すのは不可能。助けを待つしかない)

 

 私の全力で抜け出せないという事は、脱出手段は皆無という事だ。つまり救出を待つことが現状における最善の策。何時まで待たなければならないのかはわからないが、とにかく待つしかないだろう。

 

 ……冷たい風が顔を撫でる。

 

(寒い……)

 

 糸に包まれている身体はともかく、唯一剥き出しになっている頭部は深夜かつ高度四十メートルの夜風をモロに浴びなければならず、非常に冷える。この冷たさを何時まで耐えなければならないのか……。

 

「へっ、へくしゅっ! さ、寒いぃぃ~……!」

 

 現在五月上旬。春に入ったばかりだからか風がまだ冷たい。あの臭い下水道が恋しく感じたのは初めてだ。

 

 誰でもいいから早く助けて……。

 

 

 

「お――――い! 大丈夫か――――!!」

「へっ……?」

 

 

 

 視線を下に向ければ、そこには知った顔の持ち主が手をブンブンと振りながらこちらに声を飛ばしていた。

 

 彼女は――――リザ。意外な援軍の到着である。

 

「今から行くからな~! そこでジッとしてろよ~!」

「は、はーい!」

 

 人選はともかく助けに来てくれたことは非常にありがたい。

 

 リザは力を解放してピョンピョンと鉄塔を特に苦も無く登ってくる。私たちのグループの中で最重要と言える食糧調達要員に選ばれているのは伊達では無い様だ。

 

「よいしょ! っと、到着。んー……さっちゃんめ、どんだけ厳重に巻いたのさ」

「あ、やっぱりあの人が犯人なんですか?」

「気づいてたの? うん、モデル・スパイダーなのあの子だけだからね。こんな事できるのはあの食い意地が張ったバカしかいないんだ」

(食い意地が張っているのは貴方もじゃ……?)

 

 どうやら私の推理は当たっていたらしい。怒っている理由が不明なのは相変わらずだが。

 

「さて、どうやって助けよっか……。ハサミで切る?」

 

 チャキンチャキンと、リザは腰の後ろから裁縫用のハサミを取り出して軽く鳴らせる。確かに、刃物で地道に切っていくというのが一番現実的で良さそうだ。

 

 私が無言で頷くと、リザは鉄塔を構成する鉄筋からこちらへと飛び移り、私という名の足場を軽く揺らしながらハサミの刃をバカみたいに太い吊り糸へと突き立てた。

 

 ――――ぐにゅん。

 

「…………」

「……うーん、駄目みたいだね」

「嘘ぉ……」

 

 刃すら立たなかった。どんな強度だ。

 

「うーん、となるとこのごん太糸の付け根を直接剥がして、私たちの家まで持っていかなきゃならなさそうだね」

「いやいやいやいや。剥がしたら落ちますよ? 私死にますからね?」

 

 諦め気味のリザがとんでもないことを言い出した。なんと糸そのものが切れないなら、私と鉄塔を繋いでいる糸の付け根を剥がして、持って帰った後に本格的な処置をするらしい。

 

 無理だ。何故かって? 私が落ちて死ぬからだよ!!

 

 いくら私が『呪われた子供たち』だからと言って高度四十メートルからの落下は死ぬ。運良く糸が包んでいる場所から激突すれば助かるかもしれないが、逆に言えば糸が包んでない頭部からぶつかれば問答無用で死ぬという事だ。確率がどれくらいになるかはわからないが、低い物では無いのは確実だ。

 

 そんなギャンブルに命をチップにする程、私は悪趣味では無い。

 

「だいじょぶだいじょぶ! ちゃんと私が助けるから!」

「いや無理無理無理ぃぃいぃぃ――――!? やめてぇぇぇぇぇぇ!?」

「よいしょ、よいしょ……ふんぬぬぬおぉぉぉぉぉぉおお――――ッ!!!」

 

 駄目だ人の話を聞いちゃいねぇ! かと言って抵抗らしい抵抗もできない……!

 

 ヤバイヤバイ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ。何とか打開策を思いつかないとホントにマズ――――

 

 

 ――――ブチチッ。

 

 

 あ、死んだ。

 

 そう思考した瞬間、襲い掛かる浮遊感。母なる地球の生み出す重力が私を広大な大地へとキスさせようとした。

 

 

「ぃぃぃいいいゃぁぁぁぁぁぁあああああああ――――ッ!?!?!?」

 

 

 高速で迫る地面が見える。駄目だ頭から入るパターンだ。回避不能。死亡確て――――

 

「――――大丈夫だよ」

「え?」

 

 そこから次に目覚めるまでの記憶はない。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 身体が揺れる。泥の底に叩き込まれた不快感と妙な鈍痛が走る頭。それらを振り払うように私は酷く重たい瞼を開いた。

 

「うぇ……?」

「あ、起きた? よかった~、全然起きないから心配したよ~」

「は? え?」

 

 そうだ、私は頭から地面に落ちようとして――――なのに、どうして無事なんだ?

 

 辺りを見回す。どうやら私は今、リザに私を包んでいる蜘蛛の糸ごとおんぶで運ばれているようだった。現状剥がす手段がないので仕方ないとして、自分がどうして生きているのかさっぱりわからない。

 

 それに、リザは何故か全身血まみれだし。

 

「リ、リザ……? その血は一体……?」

「ん? これ? だいじょぶだいじょぶ。これ私の血だから」

「は?」

 

 どんな事があったら全身血まみれになっているんだ。だが不可解なことに彼女の体には傷の様な物は見当たらない。いや、『呪われた子供たち』の持つ再生力なら時間経過で自動修復されるだろうけど、この出血量は明らかに致命傷クラスの……。

 

「私の因子はちょっと特殊でね、他の子より再生力が高いんだ。だからちょっとやそっとじゃ死なないんだよ」

「……ええと、因みにどれほどの?」

「手足が捥げても調子が良ければ三十秒足らずで全快かな。まあその反面、基礎能力がからっきしなんだけどね~」

 

 冗談だろと思う。

 

 いくら『呪われた子供たち』の再生力が高いとはいえ、それは万能を意味する言葉では無い。彼女らとて指が無くなれば傷口が塞がるだけ。つまり丸ごと無くなった器官が戻ることはまず無い。そも生物で手足や内臓器官を丸ごと再生できる種なんて片手で数えられる程度だ。

 

 あり得るとしたら細かく切り刻まれても破片ごとに一固体として再生するプラナリアやヒドラ、あとは抉られた目玉や心臓すら復元できるイモリの因子等を保持した『呪われた子供たち』という事か……?

 

 いやそれよりも、何故血だらけになっているんだ。私の代わりに高所から落ちたわけでも――――いやまさか、そんな馬鹿な。

 

「あの、リザさん……? まさか私をかばって……?」

「ん~? あー、そうだよ。地面に落ちる寸前で私がクッションになったの。いやー痛かった痛かった。久々に痛烈なの味わったね~」

「なんで……?」

 

 高度四十メートルから落下して、地面と人間に挟まれる。確実に即死コースだ。なのに彼女はいとも簡単に、易々とそれを語る。自分が絶対に死なないとでも思っていたのか。

 

「なんでそんな、私たち、そこまで深い仲でもないのに」

「だって私、貴方にご飯貰ったし」

「は?」

「恩はちゃんと返さないとね~。いーちゃんもひよりっちもそう言ってた」

 

 ――――ご飯を、貰った? それだけで? それだけの理由で彼女は命をかけたというのか?

 

「あ、そういう顔見るのも久しぶりかな。だいじょぶだいじょぶ。『呪われた子供たち』の中で私程命が安い子はいないよ。ホントホント」

 

 恐ろしいと、思ってしまう。

 

 いとも簡単に自分の命を「安い」と断言できる彼女は、何処か壊れているように思えた。いや、確実に壊れている。一体どんな体験をしたらこんな思考ルーチンが構築されるというのだ。

 

 今まで出会った人の中で最も闇が深そうな彼女の深淵を覗きこんでしまったような気がして、私は戦慄する。

 

「あ、そろそろ見えてきた。おーい! ここだよ~!」

 

 何十分間寝ていたのかは知らないが、どうやら私は事前予想とは裏腹にすぐに我が家へと帰還することができたらしい。星明りの下で辺りをキョロキョロと見回していたイーヴァと真璃がリザの声に反応してこちらを向いた。

 食糧調達班全員で捜索を行うつもりだったらしく――アクィラだけ何故か姿が見当たらないが――佐奈を含めて知った顔が並んでいる。

 

 真璃は心配そうな顔を太陽のように明るくし――――イーヴァは般若の様な怒りの形相を、背後に居ただろう佐奈へと向けた。

 

 

「佐奈ァッ!! どういうつもりだお前!!!」

「ひっ……」

 

 

 初めて見る、本気で怒るイーヴァの顔だった。

 

 私の体に巻かれている蜘蛛の糸を見て即座に犯人へと行き当たったのだろう。イーヴァは容赦ない怒りの感情の籠った形相と怒号を佐奈へとぶつける。

 

「だ、だって……だって……っ!」

「だってもクソもあるか! アイツはまだ四歳だぞ!! それをっ、あんな厳重な拘束までして真夜中に独り放置とはどういう了見だ!! アイツに何かあったら責任に取れたのか!? 答えろ!!」

「ひぐっ……ひっ……!?」

 

 完全にキレている。これを止められるのは恐らく真璃しか無いだろうが、真顔で腕を組んでいる彼女に止める気があるとは思えない。流石の彼女も佐奈の自業自得と判断したのか。

 

 何はともあれ動機を聞き出さないと始まらない。二度とこういうことが起こらないようにするためにも。

 

「……何でこんな事をした」

「あの子がっ、あの子が悪いんだよ! 私の、私のっ――――」

 

 待ってくれ。ホントに私何もしてないんだよ。そもそも彼女の食べ物や所有物に触れた記憶すら無、

 

 

 

「私のたいちょーを独り占めするあの子が悪いんだァ――――ッ!!!」

 

 

 

 ……………………空気が、凍った。

 

 

 うん? は? え? ……どういうことなの?

 

 一斉にイーヴァへと視線が集まる。

 

「……おい、ちょっと待て。原因私なのか?」

「そうなんじゃない? よくわかんないけど」

「これが『痴情のもつれ』ってやつなんですねリーダー」

「その言葉は異性間だけの話だから違うと思う……」

 

 えーと、つまり、なんだ。佐奈は私がイーヴァを独り占めしているのが気に入らなくてこんな事をしでかしたというのか? 嘘――――にしては演技が迫真過ぎる。たぶんマジだ。

 

「ひぐっ……ぐすっ……わたじっ、たいちょーと一緒に居たかったのにっ……最近全然かまってくれないからっ……あの子が邪魔だって思っでっ……!」

「おい、おい待ってくれお前ら。そんな目を向けるな。仕方ないだろうが後任(レーナ)の育成に忙しかったんだから!!」

「いやぁ、行動に移す佐奈も悪いとは思うけど、これってイーヴァの監督不行き届きだよね?」

「リーダー、さっちゃんがたいちょー大好きっ子なの忘れたの?」

「……そうなの?」

「う゛ん゛!!」

 

 涙声で全力肯定されてしまった。百合、いや親愛の可能性があるからまだそう判断するのは早い。

 

 でも好きな人と一緒に居るために邪魔者を物理的に排除しようとするのはちょっと親愛にしてはドロドロしすぎたような気がする。十歳足らずでこの行動力は恐れ入った。きっと将来大物になるだろう。色々な意味で。

 

「……これ、どういう状況?」

「あ、あーちゃん戻ってきた。たぶんリーダーとれーちゃんとさっちゃんの間で起こっている『痴情のもつれ』ってやつだよ。この前内地のテレビで見たことあるから、間違いない!」

「うわ、マジか。……イーヴァ、幼女ハーレム作ろうとするとか人としてどうかと思う」

「違うからな!! ただの班員内で起こっているトラブルだからな!!」

 

 飛んで辺りを探していたのだろう、無事着地したアクィラがドン引き顔でイーヴァと佐奈を見ながらぶっ飛んだ事を言い放った。少しだけこの場を収めてくれそうな人員として期待していたが、どうやら無理そうだ。

 

「あのな佐奈、アイツはまだ未熟なんだ。ふとした拍子で死にかねない。そうならないように徹底的に鍛え上げているんだよ、わかるか?」

「わ゛か゛ん゛な゛い゛ぃ!!」

「だぁぁぁぁぁッ! 頼むからわかれッ!? ちゃんと後任の育成しないといつか私や真璃が死んだ場合壊滅するんだよ! このグループが!! それくらいわかるだろうが!?」

「死なないも゛ん゛!!」

 

 

「死ぬんだよ!! この世界じゃ『呪われた子供たち(私たち)』はいつどこで死んだっておかしくないんだ!! 一体私がどれだけ仲間の死を見てきたと思ってる!!? 頭を、心臓を、あの忌々しい鉛とバラニウムの弾丸で穿たれて死んだ奴らがどれほどいると思ってるんだ!! その可能性を少しでも低くするために私は心血注いでアイツを育ててる!! お前たちのために! 時間や神経を削って!!

 わかったなら頼むからこれ以上私のストレスの種を増やすなァッ!!!」

 

 

 …………イーヴァの、息を何度も吸って吐く音と、佐奈のすすり泣く声だけが木霊する。

 

 内に溜め込んだモノが佐奈の言葉をトリガーに暴発したんだろう。イーヴァは酷く疲れたような顔で、顔を手で覆いながら空を仰いだ。

 二十人前後の命を背負う重圧。まだ九歳の彼女にとっては特大のストレスの源泉だろう。

 

 だからこそ誰も言葉を発しなかった。彼女の苦労は、きっと自分たちよりよほど重い物だと理解しているから。

 

 ――――が、その静寂を打ち破れる人物が一人だけ居た。

 

「はーい! じゃあ皆、気晴らしにドライブにでも行きましょうか!」

「……おいアホ。今の空気でそれ言い出すか普通」

「だってこのまま帰ってもしばらくお通夜気分のままでしょ? だったら少しでも和らげた方がいいよ、将来のためにも」

「はぁ……好きにしろ」

 

 真璃はこの鉛のように重い空気を打ち破り、そんな提案を掲示してきた。どうやら皆のメンタルケアのために夜風を浴びながらドライブするらしい。

 確かに、此処で何もせず深い禍根を残すよりは、今すぐにでも少しずつ埋めた方が今後のためでもある。個人的にも、この空気のまま数日間過ごすなんて御免被りたいのだから。

 

「あ、でも糸が」

「佐奈」

「うぅっ……」

 

 イーヴァから鋭い声が佐奈へと刺さり、彼女は涙を浮かべながらその双眸を赤く変貌させる。

 

 ――――するとどうだろうか、彼女の背中から巨大な蜘蛛の足が四本ほど姿を見せた。

 

「えっ」

「動かないで」

 

 音も無く一閃。次の瞬間、私を包んでいた糸の層の一部がジュワァと音を立てながら溶ける。次第に拘束力も弱まり、少し力を入れることで私は糸の拘束から完全に抜け出すことができた。

 

「ほら皆、早く乗って乗って!」

「ひよりっちは元気だな~。あーちゃんはどうする?」

「眠い……帰りたい……」

「アクィラ、お前も乗れ。眠かったら座席で寝てていい」

「うぃ……」

 

 紆余曲折ありながらも、全員が食糧調達時に使う四輪駆動車に乗った。

 

 エンジンが点火し、イーヴァがアクセルを踏んでゆっくりと走行を始める。夜のドライブは初めての体験だが、オープンカー仕様だからか向かい風が滅茶苦茶冷たい。呻き声を上げたアクィラが顔ごと身体を持ってきた毛布に包めるくらいには。

 

「で? 目的地は何処にするんだ? この時間、都心方面に行った所で見るものなんて殆どないぞ」

「第三十一区に行って」

「――――お前、もう大丈夫なのか?」

「うん、お願い。皆に海と、星を見せてあげたいの」

「……わかったよ」

 

 第三十一区。外周区の中で数少ない、廃墟化があまり進んでいない区画だ。

 

 理由はそう小難しいものではなく、単純にそこが内地寄りなだけだ。それに廃墟化が進んでいないと言っても住民は内地と比べれはかなり少ない。何せすぐ傍に余程環境の優れた内地があるし、廃墟化が進んでないと言っても公共施設などはほとんど見当たらない。やはりあそこもも復興を後回しにされ続けている外周区の一つなのだと嫌でもわかる。

 

 それに、水棲ガストレアにより魚の類のほとんどが食いつくされ、漁業が絶滅状態にある今、魚の一匹も連れやしないのにわざわざ海沿いに住もうとするするバカは殆どいないだろう。潮風による塩害だって馬鹿にはできない。

 

 何故そんなところに行くのか、なぜイーヴァが意味深なことを言ったのかは私にはわからなかったが、そこに彼らに取っての「何か」があるのは薄々察することはできた。

 

 一時間ほど車を走らせ、複雑奇怪なシルエットとなっている廃墟を突っ切ると、やがて磯臭い匂いと潮の満ち引きの音が聞こえ出す。

 

 全員車を降りて、摘み上がった瓦礫の山をゆったりとした歩みで越えれば――――その向こうには鈍く黒く輝く巨大な建築物であるモノリスと、生まれて初めて見る海が眼下には広がっていた。

 

「うわぁ……」

「これが海……」

「……くっさ」

「海、か……」

 

 三者三様の反応を見せながら、年長組以外の子供たち――勿論私も――瓦礫の山を駆け下りて埠頭に降り立った。

 

 周囲にはかまぼこ状の工場らしき跡地がいくつもあり、此処でかつて陸揚げされた魚類を保存もしくは加工していた名残を感じる。今では、そんな面影はもう無い。

 

「どうだガキども。これが海だ。不思議だろ?」

「しょっぱい! なんか水がしょっぱいよリーダー!」

「冷たーい! なんか肌もちくちくする~!」

「なんか臭いし早く帰りたい……」

 

 正直二人が何故此処を選んだのかわからない。海を見てリラックスか? それとも星を見て――――

 

 

 星を、見て。

 

 

 

「…………星が見える」

 

 

 

 そう言えば、今日は新月だった。おかげで普段は見えづらい星々が比較的はっきりと見えている。

 

 周囲が廃墟なのもその一因だろう。光源が少ないからか、都心部に近いはずのこの場所からでも肉眼で見えるほどに星は輝きを地上まで伝えていた。

 

「うおー、すげー」

「きれ~」

「眠い……」

 

 さながら天然のイルミネーション。潮の音をBGMに眺めているだけで、不思議と心の汚れが洗い流されるようだ。

 

「ふふふ、綺麗でしょ? 心が暗い時には、海と星を見れば良いってお母さんが言ってたんだ」

「お母さん……?」

 

 『呪われた子供たち』にとって、実の親というのは大抵の場合面識はない。産まれたらほぼ確実に捨てられるからだ。私の場合は……一度しか見ていないが故に、あまり覚えていない。思い出したいとも思わない。

 

 しかし真璃は自身の母親の事を口に出しても楽し気な様子を崩さなかった。どういうことだろうか……?

 

「こいつはな、世にも珍しい実の親に育てられた『呪われた子供たち』だ。因みに私たちのグループの先々代リーダーでもあった」

 

 実の親に、育てられた? あり得るのか、そんな事が。

 

 人類の八割がガストレアに対して憎しみを抱き、更に言えばあの化け物らがもつ『赤目』に対して精神的なショックを起こして生まれたての嬰児を殺害することすら珍しくないこの世の中で、生まれた娘が『呪われた子供たち』であっても自らの手で育てることができる人間なんて一体どれほど居るだろうか。

 

 正直、今ここでその存在の実在を示されなかったら、私の出した答えは『ゼロ』だった。

 

「細かい事情は知らないがな。あの人は余程の物好きだったのか、自分の娘を含めて『呪われた子供たち』を何人か集めて外周区で暮らすことを選んだ。私と、シルもその一人だ。後二人居たが――――まあ、どうなったかは敢えて言わないさ」

「でも先々代のリーダーは失踪したって……」

「ありゃ嘘だ。……死んだよ、此処で。失踪したって言うのは詳細を探られないためのただの方便さ。個人的に、この事はあまり口にしたく無いからな」

「え――――」

 

 思わず辺りを見回す。ここで、死んだというのか。例え『赤目』を持っていても己の子を育てることを選んだ人が。何故――――?

 

「私のお母さんはね、お父さんをガストレアに食い殺されたんだ。それなのにも関わらず、ガストレアと同じ目を持つ私を、私たちを育ててくれたんだから、本当に強い人だった。自慢のお母さんだった」

「だが何れ限界はくるものだ。おばさ……先々代のリーダーは殆ど無意識にだが、突然発狂して真璃を殺しかけた。……このアホ、『自分の母親に殺されるなら構わない』って無抵抗だったんだぞ? おかげで当時苦労したよ。見つけた時には丸一日生死の境をさまよう重体だったんだからな」

 

 何がきっかけになったのかはわからないが、先々代のリーダー、真璃の母親は暴走し娘を自分の手で殺しかけた。推測ではあるが……イーヴァの言った通り”限界”が訪れたのだろう。憎しみを留める防波堤が崩れ、その大波が押し寄せた。

 

「それで、辛うじて正気に戻った先々代は真璃に謝りながら逃げて、此処で自分の頭を銃で撃ち抜いて死んだ。全力で追いかけたが……間に合わなかった。最期の言葉は『どうか生き続けて』、だったよ」

 

 どうして自害という選択肢を選んだのだろうか。

 

 夫の居ない世界に耐え切れなかったのか、このままでは娘を自分の手で殺しかねないという絶望からか。

 

 答えは、私にはわからない。

 

「――――残ったものは全部年長組に押し付けられた。拾ってきた赤ん坊や子供の世話、文字の読み書き、その他もろもろ。正直、四年も持ったのは予想外だった。私は直ぐに崩壊すると思ったからな。そういう意味では安定域まで立て直した先代は本当に凄いと思う。……ホント、私より余程……」

「……私たちはね、託されたの。お母さんや、先代のリーダーから。あの人達の死や想いを無駄にしないためにも、私たちは生き続けなければならない。後に続く者に託し続けなければならないの」

 

 ただの小規模なマンホールチルドレンの集りだと思っていた。だが、それは思い違いだった。

 

 私たちを導こうした人達は偉大だった。例え闇の下で生きなければならないような子供たちに希望を抱かせるために必死で努力を積み重ねた。例え倒れても、次に託した。

 それを小さな諍いで崩壊させてもいいのか? ここで全てを諦めて投げだしたらいいのか? ――――いいや、駄目だ。そんなことは絶対にあってはならない。そんな事をして私たちに未来を託した、今まで積み上げた犠牲はなんだったのか。

 

 いずれ来るだろう、”子供たち”が日の下を堂々と歩けるような時代が来るまで、一人でも多くの命を繋ぐためにも、私たちは共に協力し合いながら生き続けなければならない。

 

「その為にも改めて言っておく。私たちは互いを支え合って生きなければならない。どんなに相手が嫌いでも、どんなに手を取り合うことが辛くとも――――独りで生きることを許してくれるほど、今の世界は甘くない」

 

 今の『呪われた子供たち(私たち)』は弱者に他ならないのだから。

 

「海や宙の様に、広い心と視野を持て。明日を生き抜くためにもな。――――というわけで、ほら二人とも、仲直りの時間だ」

「「えっ」」

 

 流れを強引に押し変えられ、私と佐奈は手を引っ張られて対面させられる。ちょっと待て、仲直りするのに今の話題必要だったのか?

 

「言ったろ? 生き残るために支え合う必要があるって。円滑な関係と親交は大事だって言いたかったんだよ、私は」

「じゃあ先々代云々の話必要なかったじゃん!? 空気の重さの上げ下げ激しすぎるよ!?」

「いや、真璃が突然母親とか言い出すから乗りでつい……。それにどうせいつか話していたんだ、今やっても変わらんだろうが。おら、ちゃんと謝れ佐奈」

「やーだー! ぜったいやだー!」

 

 イーヴァは佐奈の手を無理矢理私の手と繋ごうとするも、佐奈はそれに対して力まで解放して全力で抵抗している。どんだけ私と仲直りするのが嫌なんだ。

 

 一分間ずっとそんな調子が続き、イーヴァも諦めたのかため息を吐きながら佐奈の手を離した。

 

 どうやら関係の修復にはかなり時間がかかりそうだ。

 

「ま、大事なこともちゃんと話せたことだし、そろそろ帰りましょうか皆!」

「ふわぁ~……眠い」

「……ぐぅ」

「フン! 明日は絶対にたいちょーと二人っきりにさせないんだから! 覚悟しろチビっこ!」

「だから仲良くしろつってんだろうがこのバカ!」

 

 騒がしい。だけど、嫌な騒がしさじゃない。例えばそう、家族のような微笑ましさを感じられる騒がしさだ。こういうのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。

 

 クスッ、と笑みが漏れる。

 

 辛くて、痛い世界だ。世界中のほとんどが私たちに対して憎しみと嫌悪を抱く嫌な世界だ。

 

 だけど、それでも。

 

 

 ――――皆と一緒なら、楽しく生きられる。そんな気がした。

 

 

 どうか、この生活が少しずつ良くなりながら、少しでも長く続きますように。

 

 私はそう小さく、星に願いを祈った。

 

 

 

 

 




星に願いを(願いが叶うとは言って無い)

我ながら最後辺りの展開がちょっと雑なような気がした(小並感)。でもこれが今の私の精一杯なんだ。(申し訳なくて涙が)で、出ますよ……。







「絶望の後には、必ず希望が待っている」と誰かが言った。

逆に言えば、「絶望しなければ希望は現れない」ということでもあるのです。
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