モモンガの目の前には青色の画面が広がっていた。随分懐かしいそれはユグドラシルにログインするたびに見ていたホーム画面だ。
しばらくは呆けたように見つめていたモモンガであったが視界の端にチカチカと点滅している赤い光を見つける。そこの赤い光の中心には数字が浮かんでいた。
(これは……保存されたメッセージ?)
そこにあったのはユーザー間でやり取りを行うメッセージボックスに保存されたメッセージだ。表示された数字はモモンガも今まで見たことがないほどたくさん貯まっている。
古いものから見るべく恐る恐るタップしてゆくと、そこに現れた送信の日付を見てモモンガは胸が締め付けられる。
(これは俺がユグドラシルに最後にログインした……)
そこにあった日付はユグドラシルのサービス終了日、それもサービス終了直後の時間に複数のメッセージが寄せられている。その宛名は見知ったものばかリだ。ヘロヘロ、たっち・みー、ぶくぶく茶釜、ペロロンチーノ、やまいこ、ウルベルト。他にも多くんギルドメンバーからのメッセージで溢れかえっている。
(もし、俺があそこでログアウトしていれば……このメッセージを読むことが出来たのか……)
思い出すのはサービス終了のその時。誰も彼もがギルドを去ってしまった誰もいない場所。それでも折角だからとモモンガは最後の日にせめて思い出を語ろうとギルドメンバーに誘いをかけた。
その結果、幾人かのメンバーはモモンガの誘いに応じてきてくれたが、それでも最後まで付き合ってくれるメンバーは一人もいなかった。
最後の瞬間を一人で迎える。その寂しさに怒り、嘆いていた。だが、そんなことはなかったのだ。モモンガが彼らを大切に思っているように、彼らもモモンガのことを覚えていてくれた。
モモンガはコンソールを操作し、メッセージを開く。
『ギルドマスター!お疲れさまでした!最後の日に行けなくてごめんなさい。でもユグドラシルでみんなでやった冒険は楽しかったって伝えておきたくて。無茶やりましたよねー。モモンガさんがギルドマスターになった時も初見ダンジョン一発攻略するんだって言ってね。いつもすごく楽しかったです。あ、そうそう。また何かゲーム始めるんでしたら連絡ください。時間見つけたらモモンガさんとぜひ一緒に遊びたいです』
『モモンガさん。おひさー。ユグドラシル終わったんですよねー。じゃあ今度俺とゲームやりませんか。今戦略ゲーにはまってましてぜひモモンガさんのギルドマスターとしての腕をですね……」
『モモンガさんすごい18禁DMMORPG見つけたんですよ!サキュバスとかエロ系モンスターを捕まえてですね……。■■■■■■■■■■■■なことができるんですよ!これはもう神ゲーですから……』
『ああああ!最後の日いけなかったー!くっそー!せっかく
『モモンガさん生きてますかー?ユグドラシル終わったからって悲しんでちゃだめですよえー』
『モモンガさん返事ください。大丈夫ですか?』
『モモンガさん……』
『モモンガさん……』
ふと気づくと頬をつたわる熱いものを感じていた。ゲームの中では決して感じることが出来なかったものだ。モモンガは溢れそうになる心を開放するように頭を覆っているデータロガーを取り外す。
(……眩しい)
感じたのは太陽の光。窓から差し込む光が眩しく手で目を覆ってしまう。するとそれに気づいたのか近くにいた男がカーテンを閉めてくれた。
「あ……あなたは……。えっとはじめまし……」
「おっと、モモンガさん。初めましてはないでしょう?」
そう言ってニヒルに笑う男。だが、その男に見覚えはない。会うのは初めてのはずだ。無精ひげを生やし、見た目の歳の割に派手な炎を模ったジャケットを羽織っている悪びれた男。だが、その声に聞き覚えがあった。
「ウルベルトさん?」
「おかえり。モモンガさん」
「ただいま……」
そこで初めてモモンガは周りの様子に気づく。その部屋の中にはモモンガの寝かされているベッドの他には椅子が数脚あるだけで、他は驚くほど質素で何もない。まるで病院のようだ。その様子に気づいたのかウルベルトが説明してくれる。
「病院ですよ、ここは。ユグドラシルの開発会社が手を回したところみたいですけどね」
「俺、現実に帰ってきた……。あっ!仕事!俺明日4時起きで仕事だったのに!無断欠勤!?」
モモンガはサービス終了日の翌日のことを思い出す。普通に平日だったはずだ。4時に起きて仕事にいかなければいけなかった。あれからどれほどの時が経ったのか。長く無断欠勤などしていたらクビに違いない。
しかし、それを見てウルベルトは腹を抱えて笑い出す。
「ははははははは!モモンガさんもワーカホリックですねっ。不治の眠りから覚めて最初に心配するのが仕事のことですか」
ウルベルトはおかしそうに笑っているが、モモンガにとってそれは笑い事ではない。
「仕事がないと生きていけないじゃないですか!」
「確かに。でも大丈夫ですよ。たっちさんがちゃんと会社に話を通してくれてますから」
「えっ」
「適当な理由をつけて会社に説明してくれてるはずです。確か交通事故の目撃者として事情聴取の必要があるとか何とか言いくるめてましたから明日から出社すれば多分大丈夫ですよ」
「いやいやいや、それはないでしょう。だって1年以上もいなかったんですよ」
どんな会社でも1年どころか1か月さえ待ってもらえるかどうか怪しい。モモンガのような底辺労働者は代わりなどいくらでもいるのだ。休みを取る労働者と休みを取らない労働者、会社が選ぶのは確実に後者だろう。
だが、ウルベルトはそれを否定する。
「一週間です」
「は?」
「モモンガさんが寝てたのは一週間ですよ」
「え、でも俺はあの世界で1年以上過ごして……」
モモンガがあの世界で体験した時間。ギルドが移転し、情報を集め、そして世界征服のため色々な国を渡り歩いたあの時間。それは優に1年を超えていたはずだ。
「あの不正プログラムがゲーム内の時間経過速度を変えていたんですよ。実際は一週間です。もしかしたらあのプログラムはモモンガさんがこうなることを予想して……というのは考えすぎですかね?」
あれだけの体験をして一週間というのは信じがたい。だが、あれは夢のようなものかと思いなおす。5分しか寝ていないレム睡眠状態で非常に濃い夢を体験することもありえるからだ。
「でもあの世界は何だったんでしょう。見たこともない国に人々……言語だって……」
「それなんですが……。モモンガさんは本当に見覚えがないんですか?もしかしてどっかで見たかも……とか思いませんか?」
「え?いや、そう言えばどこかで見たような……見ていないような……」
「これは俺の勝手な想像ですけど、あれはモモンガさんの理想のゲーム世界だったんじゃないですか?」
「俺の理想?」
「妄想とか夢って言ってもいいかもしれませんね。例えば俺も恥ずかしながら色々な妄想をします。俺が悪の大魔王になってこの腐った世界を蹂躙してやるとかね。そしてそこには国や人物、いろいろな人を妄想します。職業だとか、能力だとか。そんな中で俺は絶対の強さを持ってオレツエーをするんですよ」
「いや、分かりますけど。誰だってそんな妄想すると思いますけど、それが?」
「そんなモモンガさんが妄想した世界の一つが頭の中に残っていたというのはどうですか?」
「ああ……」
つまりモモンガがいつか妄想して記憶したデータが元になったということだろうか。
「でも悪の大魔王って。あははははは!ウルベルトさんって確かにそういうところありますよね」
「ちょっ!モモンガさんだけには笑われたくないんですけど!」
偽悪ロールをするウルベルトを思い出し笑うモモンガであったが、ウルベルトの言う通りモモンガも悪のロール(しかも今思い出すに痛々しい仕草や言動付き)を行っていたのだ。
「まぁ、俺の想像の域はでませんけどね。ところで、モモンガさん。体は大丈夫ですか?」
自分の痛々しい行動を思い出したのかウルベルトは話題を変える。
モモンガは自分の体を見てそして触って動かしてみる。少し痩せたような気もするが腕を回しても手足を動かしても問題はない。
「ええ、大丈夫みたいです」
「そうですか。よかった。じゃ、俺は帰りますので。あとはここのスタッフと話をしておいてください」
「えっ!?」
「いや、もう眠くて。俺も夜から仕事なんですよ」
突然帰ると言い出すウルベルトに驚くが仕事を押してきてくれたと言うことに申し訳なくなる。夜勤と言うことは昼間のうちに睡眠をとっておかなければなるまい。
「その……。ありがとうございました!それにみんなも……」
「そうですよ、モモンガさん。みんなにもお礼を言っておいてください。ではまた会いましょう我らがギルドマスター!」
ウルベルトはカッと足を揃えると惚れ惚れするような敬礼をして扉から出て行った。だが、その敬礼にモモンガは見覚えがある、いや、ありすぎる。
「あの敬礼は俺はかっこいいと思って昔やってたやつ……」
カッコイイと思い続けていた。ギルドのみんなもかっこいいと思っていつも見つめていたんだと思っていた。しかし、それが痛々しいものを見るような目であったことに気づいたその時の恥ずかしさは忘れられない。
だけど、恥ずかしさもあるが、それ以上にそんなことまで覚えていてくれた嬉しさが勝る。
(俺も帰るか……、仕事に戻るにしたって色々準備しないとだし……。このボタンを押せばスタッフを呼び出せるのかな?)
モモンガは病院スタッフの呼び出しスイッチを押すと、医者とともに黒服の男たちが現れる。
(これがウルベルトさんの言ってた開発会社のスタッフか……)
警戒するモモンガであったが、そこからはあっさりしたものであった。
黒服の男に事情の説明と賠償金の提示、そして口止めの書類にサインを書かされると何事もなく病院から退出させられていた。
キツネにつままれた気持ちで、空を見上げるとそこは黒いスモッグに相変わらず覆われている。有害物質を含む濃霧も発生しているようだ。モモンガはスタッフから渡された防毒マスクに隙間がないかを確かめると家路へとつくのであった。
♦
モモンガの足取りは軽かった。
ユグドラシルの末期に悩み続けていたギルドメンバーたちへの想い、それが杞憂だったと証明されたのだ。ユグドラシルというゲームは終了してしまえばギルドメンバーたちとの交流が終わってしまう、そう思っていた自分が恥ずかしい。
モモンガは先ほど見たメールを思い出し、つい顔をニヤついかせる。
(でも……あの世界はなくなっちゃったんだよな……)
ふと思い出したのはアルベドが最後に見せた泣き顔だ。見捨てないで欲しい、ナザリックをずっと支えて欲しい、一緒にいて欲しい、必死に縋りつき泣きじゃくる
(あれは……俺なんだ……。俺だったんだ……)
ユグドラシルのサービス終了日、モモンガはアルベドの設定資料を改ざんした。ビッチ設定を『モモンガを愛している』設定に変更したのだ。
それ自体は大したことではない。だが、それよりも重要なのはその時のモモンガ自身の気持ちだ。あの時の自分は悲しんでいた、そして怒っていた。
ずっと仲間たちと一緒にずっとナザリックを守っていきたいのになぜ終わってしまうのかと。仲間たちに対して、自分一人にして、見捨てられたと。
(アルベドはもう一人の俺だ……。一人ぼっちは寂しいと俺の代わりに泣いてくれた……。俺を放って出ていくなんて許せないと俺の代わりに怒ってくれた……)
そんな気持ちがアルベドに影響して俺の脳内でのプログラムとなってしまったのだろう。それ自体に嫌悪感はない。むしろ感謝と申し訳なさでいっぱいだ。
う。それ自体に嫌悪感はない。むしろ感謝と申し訳なさでいっぱいだ。
(調整役のギルドリーダーがそんな愚痴言えなかったからな……)
ふと、想像してしまう。あの時、あの世界に残ることを選択していたらどうなっていたのかと。
(加速されたあの世界であればもしあのままいたとしても人の人生を超える時間を体験できたのかもしれないな……)
脳裏に思い浮かぶのはアルベドを含めた守護者やシモベたちの顔だ。まるでかつてのギルドメンバーたちのように個性満載の顔ぶれだ。個性がありすぎと言ってもいい。ギルドメンバーたちのこだわりの賜物だろう。
(シャルティアはペロロンチーノさんに本当に似ていたな……。明るくて少し抜けてるところが可愛らしくて、泣いたり笑ったり本当に表情が豊かだった)
エロゲーをこよなく愛する男、ペロロンチーノの忘れ形見。モモンガの脳裏で銀髪のヴァンパイアが馬鹿なことを言って周りに突っ込まれながら笑っている。
(コキュートスは余り外に出してやれなかったな……。でも最初は頭の固い武人って感じだったけど、意外と成長したんだよな。リザードマンを支配するときは自分で考えて行動することを学んでくれた)
武人建御雷が理想とした武士をモチーフにした昆虫の戦士。その所作も行動もまさに武人であった。
(アウラとマーレには本当に救われたな。でもたまにぶくぶく茶釜さんのことを思い出して泣いてたのを知ってるんだよなぁ。それだけ可愛がられてたんだろうけど……)
ダークエルフの双子。特殊な性癖を持つ
(そして、デミウルゴス……。あれがウルベルトさんの求めた悪の理想なんだろうか。まぁ悪の貴公子って感じだものな……。かっこよかった。いや、ウルベルトさんもかっこよかったけど)
デミウルゴスの邪悪な笑みを思い出す。また勝手な先読みをして思ってもいない思考を読まれているのではないかといつもハラハラしていた。しかしそれも今ではいい思い出だ。
それだけではない。プレアデスやメイド達、あの世界での様々なシモベたちはいつもモモンガのために一生懸命で、そのあまりの忠誠心に戸惑いつつも悪い気はしなかった。
そんな楽しくも波乱に満ちた思い出が浮かんでは消えてゆく。
(楽しかった……楽しかったな……)
支配者として頭を悩ませる日々ではあったが、あの世界はとても楽しかった。そして、最後に思うのは自分が設定を歪ませてしまったサキュバス。
(アルベドは本当に消えてしまったのだろうか……。ウルベルトさんは目的を失ったから消えるはずだと言っていたけれど……)
モモンガをあの世界に閉じ込めた元凶。しかし、それはモモンガの心を反映したものだ。最後の時、両の目いっぱいに涙を溜めて縋りついて来たあの悲しそうな顔がモモンガは忘れられないのだった。
♦
物思いにふけりながら歩いているといつの間にか家の前についていた。ポケットの中からカギを探す。当たり前のことだがドアは自分で開けなければいけないのだ。
あの世界では魔法一つで何でもできた。ドア一つとっても自分で開けることなくメイドが開けてくれていた。それ故に、たったこれだけの行動も随分久しぶりのような懐かしさを覚える。
それもそのはず、体感時間では1年以上が経過しているのだ。
ギギッと軋むような音を立て、鉄の扉が開く。懐かしい音とともに、そして懐かしい我が家の匂い、そしてわずかなパソコンのノイズ音がする。
「だだいま~……って誰もいないんだけどな」
部屋に入ると防毒マスクを外す。フィルターを見ると真っ黒だ。相変わらずこの世界の空気は汚染されきっているらしい。マスクを置くと洗面台へと向かった。
鏡に本当に久しぶりに見る自分の顔が映っている。そこ映るのは髪もあり、目玉もあり、皮膚と肉がついた人間の顔だ。
骸骨でない顔に違和感さえ感じる。少し痩せたその顔をパチンと叩くと洗面台で顔に水を叩きつける。冷たい水が皮膚に当たる新鮮な感覚。生きている感覚だ。
(明日は朝一番で会社に行って謝らないとなぁ……)
翌日のことを心配しつつ、眼が冴えたところで部屋へと向かう。ワンルームマンションのため洗面所から目と鼻の先だ。だが入ろうとして部屋に明かりがついていることに気づく。
(……電気つけっぱなしだったのか。勿体なかったな)
たっち・みーに連れ出されたとき消してくれなかったと言うことだろう。けして多い給料をもらっているわけではないのに一週間も電気をつけっぱなしとはとんだ出費である。だが、それでたっち・みーを責めるのは本末転倒だ。
部屋から漏れ出る灯りが廊下に線を作っている。よく見るとそれは白光のLEDライトの光ではなく、青い光だ。
(青白い?ああ、パソコンもつけっぱなしだったか……)
ゆらゆらと不気味に揺れ動く青い光の筋。よく聞くとノイズ音が聞こえる。パソコンの電源がつけっぱなしでハードディスクも回りっぱなしなのだ。
(ゲームやっててそのまま連れ出されたから当然か……)
近づくにつれてノイズ音も高くなってくる。
(今日は寝る前に早速みんなにメッセージを送ろう。お礼を言わないとなぁ……。心配してくれてる人もいるし……。それから明日から仕事して……)
戸を開けると部屋の中でパソコンが青く光っているのが見える。やはりつけっぱなしだったのだ。ノイズはさらに高くなる。
(仕事から帰ったらゲームも始めるか。それから……誘われたゲームにインしてみようかな……。自分のキャラクターの名前は……やっぱりモモンガかな……)
モモンガはなんだか楽しくなってくるとともに、眠気を感じる。
そして明日への期待を胸に新しい冒険を求めて部屋へと入ったその時……聞こえていたノイズが耳にはっきりと音を作った。
───モモンガ様がお帰りになりました