デジタルワールドには神様がいる。アタシが一番よく知ってる神様、イグドラシルは、かなり過激な思想の持ち主だった。イグドラシルに意志があるのか。デジタルワールドを観測してるサーバの管理者である外部の研究者たちが冷徹なのか。詳細は不明だがろくな出来事がない。
たとえば、デジモンが自分の容量を超えたためデジタルワールドが崩壊する危機に陥り、その対処法としてプロジェクト・アークを発動。研究対象のデジモンを新しいデジタルワールドに移し、旧デジタルワールドに残したデジモンをXプログラムで虐殺。抗体を持ったデジモンが生まれ、旧デジタルワールドは無秩序に陥ったことがある。
ある時は七大魔王の一角の思想に同調して力を貸す暴挙に出たことがある。その結果、七大魔王に乗っ取られ、次世代のデジモンを生み出すことになった。
またある時はデジモンと人間との関わりがうまく行かず、憂う余りに人間世界を根絶しようとしたこともある。
デジモンを補食する未知の生命体に頭を悩ませた時なんか、勘違いで人間世界を滅ぼそうとしたことがある。情報不足と度重なる誤解を招く出来事から人間が原因だという誤った判断を下したのが原因だ。これに関しては同情の余地ありだけど、さすがにやりすぎ。
そこでアタシは考えた。さっさと引退しよう。世界の管理者なんて荷が重すぎる。神様がいなくても回る世界を作ろう。アタシは知識と情報をフル活用してデジタルワールドの根幹となるシステムを作り上げた。適材適所という言葉がある。ふさわしいデジモンを据えるのがアタシの最初の仕事だった。ひとつのシステムを作り上げようと思うと、10も100も仕事が増える。それをこなすためにさらなるシステムを作り上げる、という途方もない仕事漬けの毎日の果てに、ようやくアタシは成し遂げたのだ。ようやくアタシの手を離れ、世界は歩きだそうとしている。
ある日、アタシは、ロイヤルナイツを召集した。
『ナビゲーションシステム、独立型支援ユニット【セイバ】を起動します』
さすがに、いきなり画面から人間の女の子が登場したら、意味不明だ。なので、イグドラシルが用意したAIの体でアタシはここにいる。まあ、アタシが本体なんだけどね!
『おはようございます、ロイヤルナイツのみなさん。本日はお忙しいところ、お集まりいただきありがとうございます』
「セイバ、緊急召集とのことだが何かあったのか?」
「デジタルワールドに異変は観測されていない。にも関わらず我々を呼び出すということは、どういうことだ?」
「まさか異次元のデジタルワールド関連でなにか問題でも?」
円卓には全員揃っている。ロイヤルナイツ全員を呼び出すのは本当に限られている。きわめて異例だ。みんな、緊張感を持ってこちらを向いている。
『デジタルワールドに危機が訪れるのは事実です』
ロイヤルナイツに動揺が広がる。
『イグドラシルのキャパシティが限界を迎えつつあります。近い未来に、この世界は崩壊します。デジモンたちの誕生速度が想定を大きく上回っており、早急に対処しなければならなくなりました』
「我々を呼んだのはそのためか?」
『はい、そうです、オメガモン。人間世界と密接な関わりがあるデジタルワールドが一時的にでもアクセス不能になれば、お互いにとって好ましくない自体が想定されます。外部機関との連携、そして入念な合議の結果、デジタルワールドは5年の想定でイグドラシルから新たなサーバに移転することとなりました』
「新たなサーバ?イグドラシル以外に、新たなサーバを構築するというのか?」
『はい、そうです』
「そんな大事なことさえ人間世界と調整する時代とは...難儀なことだ」
「随分と急な話じゃねーか......嬢ちゃん。ちと早すぎるぜ」
『申し訳ありません、ガンクゥモン。現在の計画では3つのサーバにこの世界を分割し、それぞれ独立したシステムとして世界を再構成する方向で最終調整を行っています。3年後をめどにイグドラシルと新たな3つの世界を同時進行で連携させ、デジモンたちには緩やかな移住をしてもらいます』
「その世界はどんなものか聞かせてもらってもいいだろうか」
『もちろんです、デュークモン。新たな世界は、過去、現在、未来の時間軸で構成されており、過去世界をウルドターミナル、現在世界をベルサンディターミナル、未来世界をスクルドターミナルと呼びます。各世界は特定の条件かでのみ行き来が可能です。それぞれが独立したサーバで運営されることになるため、ロイヤルナイツのみなさまには3つの世界のサーバをそれぞれセキュリティシステムとして守護していただくことになります。現在決定しているのはここまでです。それぞれの勢力に調査を行い、決定していく予定です』
「セイバ、僕たちは3、4名でチームを組み、サーバを守護することになるのですか?それとも現在のように独立した空間から派遣される?」
『今回、私があなた方を召集したのは、あなた方の希望を聞くためです。デジタルワールドの再構築と大移転は、デジタルワールド史上、初めてとなる試みです。世界は大きくなりすぎました。イグドラシルの手を離れ、自ら歩き出す時が来ました。あらゆる方向性から検討を試みるため、ご協力をお願いいたします』
ロイヤルナイツの反応は様々だ。物静かに聞いている者もいれば、新たな世界に楽観的な展望を語る者も悲観的な展望を語る者もいる。人間世界との関わりが濃厚になることを危惧する意見もあれば、新たなる関係の構築に前向きな者もいる。これをきっかけにしてロイヤルナイツのあり方を模索する者もいれば、現状維持をのぞむ者もいる。
『答えを早急に求めている訳ではありません。ただ、デジタルワールドの移住計画は3年をめどに開始する予定ですので、それに向けた定期的な意見交換を行いたいと思います。具体的な施策は順次情報を開示いたしますので、しばしお待ちいただければと思います』
アタシの言葉に、緊急召集の意味を理解したらしい彼らは、緊張感をゆるませた。
「セイバ、少しよろしいですか?」
『なんでしょうか、マグナモン?』
「僕たちが新たに守護するサーバの中に、イグドラシルが入っていません。セイバ、あなたやイグドラシルはどうなるのですか?」
『新たな世界が軌道に乗り始めるまでは、バックアップします。しかし、順次、システムを移転させますので、いずれはデータバンクとなります。人間世界へのシステムセキュリティの委託を進める予定です』
「なっ!?」
ロイヤルナイツにどよめきが走る。そりゃそうか。今までロイヤルナイツの守護してきたサーバが人間に管理されると言うんだから。でも、アタシから言わせれば定年退職して、臨時や非正規職員として再雇用してもらうような感覚である。デジタルワールドのブラックボックスはすべて新しい世界に移転させ、人間世界でも管理可能なレベルのシステムしか残さない予定だから、人間に好き勝手させるつもりはみじんもない。そこは安心してほしい、と告げるのだが、動揺は収まる気配がない。
なんでまたそこまで驚いてるのよ、マグナモン。
モニタの前までやってきたマグナモンの赤い目が向けられる。怒っていた。
「それだけはいけない、セイバ。イグドラシルは僕たちが守るべきものだ、人間に任せるべきではない」
「俺もマグナモンと同意見だ、セイバ。イグドラシルに進言してくれないか、早まるなと。人間世界は我々の世界の中枢を任せるほどまだ成熟していないように見える。まだ時期尚早ではないか?」
「段階的っていってもさ、さすがに10年で完全委託はちょっと早すぎるんじゃない?」
「せめてオレたちの誰かが責任者として残るべきだろう。データバンクになるとしても、イグドラシルは我々にとって無くてはならないものだ。それを人間に任せきりというのは穏やかじゃない」
噴出する異論にちょっと面食らう。え、なんでここまでダメだしされてんの。いっつも会議が紛糾するくせに、こういうときだけ満場一致ってどういうことよ。アタシは無表情の画面を挿入する。AIのふりしてるから、ここで表情を出すわけにはいかない。まじでか。
「セイバ、イグドラシルはデジタルワールドを完全に手放したい。そう考えているのですか?もう僕たちはいらないと?」
すがるように見つめられると、罪悪感が沸いてくる。なんでそんな目をされるのか本気でわかんないんだけど。え、なんで?
『いきるとは、選び続けることです。新しいものが生まれ、古いものが淘汰されゆくこのネットワークで生まれた自我を持つ電脳世界は、あるべき姿も変わっていきます。私は、そしてイグドラシルは、その変化に耐えられないと判断しました。このままではデジモンたちが運命を共にすることになる。それだけは避けなければなりません、ただそれだけです』
「それは......。ですが、セイバ。だからといってあなたやイグドラシルがただのデータバンクに成り下がる必要はないのではありませんか?僕はもっとよく考えるべきだと思います」
「そーだよ、セイバ。イグドラシル、ちょっと疲れてない?」
「イグドラシルはサーバの譲渡が終われば、己は人間に管理されてもかまわない。無価値同然になると判断してるのでは?AFブイドラモン。融通の利かない彼らしいではありませんか」
「えーっ、それほんと?ロードナイトモン、イグドラシルってそこまで行っちゃってるの!?」
「ああ・・・・・ありそうではあるな」
「でしょう?私も困りますね、セイバ。彼がいないとまとまるものもまとまらない」
「なんか新しいこと始めるのかと思ったら、完全に手を引くとかふざけてんのか。オレたちをなんだと思ってんだ、あいつは」
アタシは二の句が告げない。マグナモンは笑った。そして振り返る。
「とりあえず、今日の議題は決まりましたね。どうやらイグドラシルは僕たちの考えている以上に、自分の価値をわかっていないようだ。どうやってわからせるか、考えた方がよさそうです」
「神と呼ばれる地位にありながら、ここまで謙虚だと我々に対する侮辱だ。ついでに新たなセキュリティシステムの構築について、口を出した方がいいかもしれん。このままだと奴は勝手に物事を進めかねない」
「今まではそれで一向に構わなかったんだけどねえ」
「まあ、デジタルワールドのことを第一に考えて思考してきたシステムだ。自分のことについて、無頓着なのは致し方ない。だが限度というものがあると思い知らせねばな」
「スレイプモン、怖いよ」
「気持ちは分かりますよ。さすがにここまで無頓着だとは思いませんでした。実体がないと言うのは困り者ですね。もしあれば今ここで思い知らせてやるのですが」
ロードナイトモンがちらとアタシをみる。
「セイバ、あなた、確かイグドラシルに感覚を共有することは可能でしたね」
『お断りします』
「おや、残念。ですが、なにをされるのかわかってるのなら、そっくりそのままイグドラシルに伝えてもらえませんか。少なくても私はそれだけ憤りを感じているとね」
『検討させていただきます』
正直、いますぐここから逃げ出したいんだけど、意見交換会は始まったばかりだ。議事録を作成してイグドラシルに提出するのが私の役目だという建前でここにいる。アタシが逃げ出したらえらいことになるのは目に見えていた。
アタシがイグドラシルの本体だとばれたら殺されるんじゃないだろうか。