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ぼくについての話をしようと思う。これはぼくについての物語だ。だけど、そこにはぼくはほとんど存在しない。ぼくは社会的廃人なので物語には出てこないつもりだ。ぼくはずっと引きこもっている。その生活は何年たっても変わる気配はなく、ゆっくりとした終焉に向かっている。いつかこの生活が破綻することもわかっている。だがしかし、ぼくが働くのは無理というものだ。もう体力がない。何より気力がない。朝起きられず、午後六時まで眠っている人物に仕事など勤まるわけがない。
そういうわけで、これはぼくの物語であるが、ぼくは出てこない。しかたないので、ぼくはきみについての話をしようと思う。ぼくが引きこもっている間に、きみに何が起きたのか、それを書き記しておきたいと思う。
きみは二十七歳、独身の彼氏のいない独り身だ。きみというものを形容するに、とてもはしたないことを書かなければならないのは本当に心苦しいが、いや、やはり、これはいうべきことではないだろう。きみにも一個の人生があり、そこでは男女の出会いもあり、波瀾万丈であり、恋あり、別れあり、惚れた腫れたの駆け引きがあり、人生の色模様があるはずだ。だから、これは語らずにおこうと思う。
きみは会社に勤めて働いている事務員である。女子高を卒業してからずっと働いてきた。きみは美しく、若さもあったが、今やもう二十七歳だ。少し焦りも出てくる。そろそろ男を作らなければならないのではないか、という考えがきみの頭をよぎる。だが、ぼくは引きこもっている。ぼくときみの出会いはありえない。きみが思い描いた空想の彼氏にぼくの姿は決して現れない。きみの世界にぼくは存在しない。ぼくは引きこもりであり、きみがどこをどう探しても、ぼくの家を発見するなどということはまずありえないし、もし仮にぼくの家を発見しても警察に呼ばれる危機を冒してぼくの家に侵入することはありえないし、まして、ここがいちばん肝心なのであるが、自室に引きこもっているぼくを発見してきみがぼくと恋に落ちることはありえない。だから、きみとぼくは出会わない。きみの人生にぼくは登場しないし、きみはぼくという存在を知らない。
しかし、ぼくはきみを知っている。ここで書いているのだから当然だ。もちろん、きみの真実の姿というものは知らない。だけど、この物語に登場してくるきみというものは、まちがいなくぼくの認識におけるきみだし、ぼくは自室に引きこもりながらきみという存在を認識している。きみはまちがいなく、ぼくの世界に存在する。
ここにおいて、きみの世界にぼくは存在しない、ぼくの世界にきみは存在する、という関係から、きみの世界はぼくの世界に内包されるという図式ができた。これはいささかぼくの傲慢すぎる見解というものだけど、ぼくが断言しておく。きみの世界はひとたびその時が来れば、ぼくの世界を覆い尽くし、ぼくの世界に内包されていたにも関わらず、ぼくの世界からはみ出して巨大化し、ぼくの世界を呑みつくしてしまうだろう。それはまちがいなくきみがもっている力だし、きみの優位性は、ぼくがぼくの世界に対して優位であるというのと同じくらいにきみはきみの世界に対して優位だ。ここで語られるきみというものが、ぼくの思い通りにならず、きみはぼくの想像力を飛び出して暴れ始めたとしても何ら不思議はない。きみはきみなのだから。
きみは髪をいつも一部をひもで縛り、強調をつけている。ちょっと垢抜けない野暮ったい服を着るのが好きで、それはとても似合ってきれいだ。かわいらしいとぼくは思う。だけど、ぼくときみは出会ったことがない。きみは気性が激しく、欲求不満からか時々、かんしゃくを起こして枕や人形を壁に投げつけているけど、でも、本当のきみはとても優しくて思いやりのある人物だ。それをぼくは知っている。
きみの人生は長かった。その中できみはきみなりに精一杯生きて来た。地球に住む現代の人類の一人だ。たいしたものだ。引きこもっているぼくとちがい、きみはちゃんと社会で生活していけるし、他人と普通に話すこともできる。立派なものだ。
ぼくはきみの人生に登場しない。ぼくは引きこもっているのできみの人生に現れない。きみはぼくに気づかない。
そこできみが出会うのが彼らだ。きみはぼくと同じかそれ以上に彼らに魅力を感じ、彼らと干渉し合う。ぼくにはとても耐えられない嫉妬の対象だ。しかし、きみは彼らと関わり、時には、夜の関わりを結んでしまうこともある。
そう。ぼくがさっき黙っていたのは、きみは実は処女なんじゃないかなってことなんだ。でもさすがにそれをいうのは失礼な気がして黙っていた。そして、無事にきみが経験を経て、二十七歳という焦りを解消したのち、きみはまた冷静になって、彼らとの関わりをあまり深くとらないように距離を置いてしまう。きみは処女性を失ったけど、それに満足して、また孤高のできる女に逆戻りするのだ。
きみの初体験の相手は彼らだ。彼らの誰だとはいわないよ。彼らだ。
ぼくはできればきみについて語っていたいのだけれど、どうしても彼らについても語らなければならなくなる。彼らは、海だ。ぼくらの陸地をとり囲む大海。きみは海と交わって快楽を得たのだ。だけど、同時に海を恐れてもいる。彼らの好きにさせてはならないと思っているのだ。
ぼくにとっては、きみが海と交わったのはとても悲しい損失だ。きみが処女性を維持し、焦りつづけたなら、ひょっとしたらぼくにも機会が巡ってくるのではないだろうかと夢想することもある。だが、引きこもっているぼくは、きみと出会うことはない。きみはぼくではなく、彼らと関わり合いつづける。きみはぼくとではなく、彼らと人生を築き上げていく。きみの人生の舞台にぼくは登場しない。きみの人生に登場するのは彼らだ。海だ。
きみはとても背が小さい。体重などは三十八キロだ。だけど、きみはとても美しい。見ているだけで気持ちいい。きみを眺めることはぼくの快楽なのだ。
それに比べて、ぼくは醜い。きみはぼくを見て笑い、とても不思議な媚びた表情をするけど、ぼくはひとこと話して通りすがるだけ。ぼくはきみの快楽にはなりえない。ぼくはきみを幸せにできない。それをいうと、女の人はみんな怒る。根性なし。そんな男は大嫌いだと。幸せにできないところを何とか二人で手をとり合ってのりこえていくのが彼氏彼女であり、夫婦であるのだ。ぼくには、甲斐性がない。
ぼくは男気がない。ぼくはきみを前にして立ちすくんでしまう。人生設計なんてできるわけがない。その混乱した中でも手を握り合うからこそ愛が生まれるのではないかと。女の人はみんなそう思っているのだ。
医者や芸能人しか相手にしないとかいうアホな女の人は知らないよ。そういう人はよっぽどかの美人で、気立てもよい大和撫子を自称する日本の美女精鋭軍団の人たちなのだから。あるいは、自分がその精鋭軍団であるかと勘ちがいしたうぬぼれ女たちである。こういううぬぼれ女たちはたいてい医者や芸能人には相手にされない。まあ、美女精鋭軍団というものが高収入会社員と結ばれるのは良いことだけど、それが社会の機能としてそれほどうまくまわっている気はぼくにはしないのだけど。この医者や芸能人と結婚する美女精鋭軍団がどのくらい美女精鋭軍団かというと、医者や芸能人なんて中学校で一人もなれる人はいないのだから、学年一位だってなれないよ。だから、学校一番の美女でも美女精鋭軍団から見ればたいしたことのない出しゃばり女だということになるのだよ。
もちろん、きみ程度では、美女精鋭軍団にはなれない。きみはもちろん、そんな高収入の彼氏を求めているわけではない。不思議なことに、きみは別に彼氏が引きこもりでもかまわない。これがぼくの人生を半分費やしてやっと気づいた一大事であった。きみは引きこもりであっても別に彼氏の対象外とはならないのである。きみにとって重要なのはそういうことではなく、きみの幻想が満たされれば、それできみは満足なのだ。
きみはまだ、ぼくに対して幻滅しておらず、ぼくがひょっとしたら、彼らよりも素敵な男かもしれないと妄想しているのだ。だから、きみにとって引きこもりは恋愛対象外ではなかったのだ。そのことをぼくは長いこと知らなかった。
でも、ぼくときみが出会うことはない。きみは日常で遭遇する彼らの方に気がいってしまい、きみは彼らに対してどきどきとときめいている。きみの日常のときめきは彼らに対して引き起こされるものであり、きみはぼくによってときめいたことがない。
きみは彼らという海と対話し、仕事の命令を受け、時に反発し、愚痴りながらも、日常の些事をこなしていくのだ。きみはまだ二十七歳だ。体に魅力もある。できればぼくの手でそれをつまみとってしまいたいものだけど、きみは彼らという海に流される。彼らというのは、一人であろうと思われる。だけど、ぼくは知っている。きみはその一人にすでに振られているのだ。もてあそばれ、体を汚され、屈辱を感じているのだ。きみは彼らの唯一の相手になれなかったし、結婚もできなかった。子供も産めないだろう。きみは彼らと交わしたひと時の思い出に対して、腹が立ち、また人形を壁に投げつけるのだ。
2
というのも、ぼくが立っている大地はオノゴロ島という島だ。きみが彼らと天沼矛で海で泥をこねて作った。このオノゴロ島というのが日本最初の島であり、後は全部、海であるから、きみは日本の創造主である。
日本列島はきみが彼らと海で泥をこねて作ったものだ。きみが共に矛を持った相手が彼らのうちの誰であるのかはわからない。彼らは海であるから、きみは海と一緒に島を作ったともいえる。彼らは海の神性が具現化して人の形を象ったものであるかもしれない。きみの恋の相手は、日本の祖先である海神であったのだ。海神というか、海そのものであったのだ。海そのものというか、海の中できみに引かれた一滴の涙だったのだ。
涙とは海であるらしい。涙とは世界でいちばん小さな海であるらしい。きみの恋の相手は、涙という名の海であり、海の具現化した海神であり、彼らの中の一人である。
きみは彼らと海で泥をこねてオノゴロ島を作った。そこにぼくはいる。きみは、ぼくのような引きこもりを泥の飛び散った破片だとしか思っておらず、ぼくが人には見えない。ぼくは引きこもり、人型をした泥として大地に生きている。
ぼくは嫉妬する。きみと矛を共に手にした男に嫉妬する。その正体不明の海神は、大きなでっかい広い海に島を作り、日本とした。いわば、きみはイザナミであり、きみの相手はイザナギだ。ぼくはきみたちの作った島に落ちたひとかけらの泥である。
神代、まだ人と神の区別のつかなかった頃、男と女が矛で海に泥をこね、オノゴロ島を作った。その泥が飛び散って日本列島となった。男と女は海神と区別がつかない。最初の人は海と区別がつかない。海と泥が区別がついた頃、オノゴロ島ははっきりとした大地となり、飛び散った泥からできた人が生活を始めた。つまり、その飛び散った泥がぼくであり、オノゴロ島を作った男と女は、海神と区別がつかない。オノゴロ島を作った男と女は海と区別がつかない。
ぼくは激しく彼らに嫉妬した。ぼくは海を憎んだ。海がきみを連れて行ってしまった。もう帰って来ないのではないかというくらいの幸せなつがいに、きみと海がなってしまった。イザナギは海だった。きみの正体はいまだわからない。
きみは、海に恋された女の人。どこから来たのかもわからず、どこから生まれたのかもわからない。その起源が虚無なのか混沌なのかもわからず、きみの起源は知られない。おそらく、きみはぼくの妄想から生まれた架空の人物であるはずだ。誰かを具現化したものであると思われるが、その正体は謎。きみは、ぼくの書く偽りの日本神話に最初に登場した女である。
ぼくは偽りの日本神話を記述する引きこもりである。この物語の最初に登場したのはぼくであるが、主人公といえるのは、きみと彼らである。ぼくはみじめな泥である。
ぼくは彼らがうらやましい。彼らはオノゴロ島に集まり、さまざまな交流を行っている。彼らは日本人の祖先であると思われる。ぼくは子供のいない引きこもりであるから、泥以外に子孫をもたない。我こそは泥の子孫であるというものは名のりでてくれればいい。栄誉ある引きこもりの子孫の名を与えるであろう。
きみの子孫は大勢いる。きみは日本が生まれる前に存在した虚無と混沌の具現化したものだ。きみは虚無と混沌の力を使い、海神と島を作った。そこにぼくらは住んでいる。きみこそ、大いなる大地の母の名を戴くにふさわしい。
きみは大いなる大地の母だ。日本最初の大地を作った母だ。この物語最初の女であり、日本で最初の女。海神と島を作った虚無であり、混沌だ。
きみは素晴らしい。きみがいずれすべての日本人に奉られ、尊崇され、数々の神社に祭られることを嬉しく思う。
この物語にぼくは登場しない。
オノゴロ島を作ったのは、きみと彼らだ。
きみと彼らが日本の祖先だ。
虚無と混沌の化身であるきみと、海神の化身である彼らが日本の祖先だ。
日本の神道には教義がないとされている。だから、これは後世作り上げるしかない。たった今、ぼくが作りあげる。今書いているのが、日本の創世神話だ。
これが日本最初の島、オノゴロ島ができたあらましである。
きみは栄光のうちに称えられることをぼくは願う。ああ、きみは何と美しいのだ。海神を恋人とし、島を作った。偉大なる我が祖先よ。
きみのことをイザナミと勘ちがいする人がいても、それはおかしなことではないし、きみはイザナミと特別に区別して見分ける必要のある存在ではない。
きみは大いなる大地の母だ。日本最初の女だ。
きみは恋をした。それをぼくは嫉妬する。イザナギにぼくは嫉妬する。彼らにぼくは嫉妬する。海神にぼくは嫉妬する。
きみはなんと美しいのだろう。本当に見とれてしまう。この偉大なる日本の祖先となったのだ。
きみの恋人の名前を憶えているかい。涙だよ。なみだ。なみだという名の海神がきみの恋人だ。
3
きみは森に行き、出て来た時には太陽があった。太陽をきみの娘という人もいるし、ちがうという人もいる。森は、社であり、やしろであり、もりである。
太陽は、誰でも、貴き人にも、卑しい人にも、強い人にも、弱い人にも、善良な人にも、悪い人にも、平等に陽を注いでくれる。太陽をみなが崇め、日本の神は、貴賤、強弱、善悪に問わず、祭られる。
きみが彼らと娘をなしたのかどうか、はっきりしたことはわからない。いえることは、ぼくは激しく嫉妬したというだけだ。
ぼくは引きこもり、家でこの物語を書いている。これはぼくの物語ではなく、きみと彼らの物語である。太陽について語るべき場所ではない。これはきみについて語るべき物語だ。だから、もういっそ、これ以上書くのはやめて物語を終えようと思う。
ぼくが書きたかったことはすべて書き終えた気がしている。早急に筆をたたんでしまうのが作家としてのぼくの欠点だけど、長いだらだらした話を書くことをぼくは好まない。きみの娘の話なんて、書くには精神が持たない。そこまで気が強くない。
ぼくはきみの子孫については書くことができない。だから、早くもこの物語は終わってしまう。ただ、きみとすれちがったぼくのことをどうかきみが嫌いにならないでくれますように、祈って物語を終わることにする。
ぼくは泥。泥の欠片。きみを愛し、彼らに嫉妬する者なり。