じっと見つめる私に気付いて、提督が口元の血を拭う。
そうして、無表情のまま言葉を出してきた。
「これは血糊だ。慌てる必要はない」
「成程――なんで!?」
わけがわからない!! 血糊を用意してある理由も分からないし、一人で吐血の真似をしていたのも意味不明!!
そんなの、誰だって勘違いするでしょう。わけが分からなくて。
「理由が必要か?」
――呼吸すら忘れる威圧。演習と遠征で鍛えていた心を、容易くへし折る凄まじい圧力だ。ごくりと、体が緊張に耐えかねて唾を呑んだ。
吐き出しそう。体が震える。あんなの人間の眼じゃない。…のに、どうして逃げたくなんないのかな? 分からないけど。
何か深い考えがあったのかもしれない。あたしに聞かれたくないんだ。
「い、いえ。その、申し訳ございません」
頭を下げた。顔を上げると、なぜか提督の方が申し訳なさそう。
うん。体調が悪くなかったのなら良かった。早く退室して、もう関わらないようにしよう。
逃げたくない心はあるけど、変に関わらない方が良い。だってそうでしょ。
提督が嫌がっているんだ。あたしから踏み込むのは、駄目だ。
そうして動こうと思ったら、ぽつりと。
「その、ちょっとしたおふざけだ」
「――バカなの!?」
反射的に叫んでいた。だって許せない。別にあたしは良いよ。勝手に勘違いして、勝手に心配して。それはあたしが悪いのかもしれない。
でもさ。他の人が見ればどう思うの?
提督はがんばってる人なんだ。皆尊敬してる。信頼してる。頼りにしてる!
仲良くなりたいって、みんな思って…ああ、バカだ。あたしは心に嘘をついた。
あたしは良いよと許したがって、嘘をついた。あたしも思いっきり怒ってる!!
時雨みたいに優しい性格じゃない。夕立みたいに柔らかな心じゃない。
一番に拘るように。そんな自分だからこそ。怒ってるのを誤魔化せない。
「い、いや」
「いやじゃない!」
そんなのってないでしょう。貴方を大切に思う人達がいるって、少しでも知ってたなら、命を粗末に扱う悪ふざけはしないでしょう!!
「なんでそんな事をするの!」
答えて、答えなさい。くっだらない理由だったら、絶対に許さないから。
「す、すまない」
真っ直ぐに頭を深く下げて、提督は謝罪した。
…何の悪意もなかったんだ。おふざけですらなくて。ああ、そうか。そうだった。
あたし達は、この人に信頼を見せてなかった。親愛を見せることもなかった。
いつか、いずれはなんて思ってても。自分たちからは触れ合おうとしなかったんだ。
だったら彼に文句は言えない。最低なお門違い。資格はない話だった。
「あっ、その」
言葉が出てこない。何を言っても嘘に聞こえる気がした。
今更、尊敬してるって言っても嘘くさい。
貴方を知りたかったと、尊敬していたから心配して、八つ当たりだ。駄目だ。
人の心を考えない押しつけなんて、いっちばん最低な行為だった。
「…調子に乗ってしまい、申し訳ございません」
結局出たのは、取り繕った謝罪の言葉だけだった。