ありがとうオルガマリー姉様 作:小指技師
マリスビリーは詳細が分からないから捏造するしか無かった。ごめんよロマニ!
楽しい時、嬉しい時、人は笑みを浮かべる。
ノエルはそんな笑顔が好きだ。自分では笑顔を浮かべる事が出来ない。なので姉たちの笑顔を見る。
オルガマリーは何時も慈しむ笑みで自分を見てくれるが、一瞬見せる屈託のない笑みが何よりノエルの心を温めてくれる。
──好き
ロマニは人懐っこい笑みで自分を見てくれるが、時折見せる達観した様な笑みがノエルの心を焦らせる。
──早く
レフは柔和で人好きする笑みで自分を見てくれるが、ふとした瞬間に見せる冷たい笑みがノエルの心を締め付ける。
──何で?
ダ・ヴィンチはよく分からない笑みで自分を見てくれるが、しばしば見せる熱のこもった笑みがノエルの心を疑問で埋める。
──よく分からない
マシュは─
☆★☆
ノエルは暇を持て余していた。
姉から義務付けられた休憩時間を消費するのにダ・ヴィンチやロマニに会いにいくのだが、今日はどうにも二人とも手が離せない事案を抱えてしまって会えない。
水槽へ還ることも出来ず、されど知り合いに会えも行けないこの状況下、ノエルは腕に抱えられたお菓子群を手に廊下にて彷徨い続けることしか出来ない。
「ん、マシュ?」
普段検診以外では殆どすれ違う事もチラリと顔を見ることもない友人が後ろ姿を晒していた。バイザーが無ければ光を吸収する深紅の瞳に光が入っていたかもしれない。
小さな両手に余るお菓子群を持ち直し小走りに駆け寄る。マシュは本の事や外の世界の事についてよく会話を交わすけれど、普段の生活については何も言ってくれなかった。聞いても面白味が無いからと話題から避けられた。
いい機会だとノエルは脚に力を込める。
「マシュ」
定期的に運動をしてこなかったノエル。運動不足のお父さんが子供の運動会のリレーで張り切りすぎた結果どうなるか分かるだろうか。答えは盛大に転ける。
つまりノエルは転ける。自分の足に引っかかって、何も無いところで盛大に転けた。持っていたお菓子群も同じく礫となって散らばってしまう。追い討ちのようにクリーム系のスイーツが顔面に炸裂した。
髪から頬へと白い生クリームが滴るのがねっとりとした感触で分かる。顔全体から香る甘い匂いからやっとクリーム塗れになったことをしっかり認識した。
「甘い」
「ノ、ノエル!? ダメですよバッチィです!」
初めての友人が振り返ったら転んでいてクリーム塗れになっていたと言う状況。マシュは両手を右往左往させながら何とか解決しようと試みた。散らばったお菓子群をテキパキ片付けたり、拾い食いを止めないノエルを窘めたり、シャワーの準備をしたりとそれはもう頑張った。
「や、やりきりました…」
そして達成感を感じた時、マシュはノエルを自室に連れ込んでいた。半ばパニックな脳でシャワーを浴びさせようと思った際に身近な場所を選択してしまった。
「友人を自室に入れた時には一体どうすれば、ミステリー以外のジャンルも読み込んでいれば良かった。全くもって次のアクションが思い付きません」
スプリングのきいたマットレスの上で自分の膝に顔を埋める事態になった。頭を抱え必死に選択肢を捻り出そうと試みるも無駄だった。唸っても、身を捩っても、かぶりを振っても状況を打破出来るアイディア浮かぶ事はない。
「ぁ、服…どうしましょう。私の服しか無いのですが!?」
収納を確認してみても女物の衣服しか存在しない。彼の着ていた服は白いクリームに犯されており洗濯に出してしまったので手元に無い。
「寒い…」
「すみませんノエル今空調…を……」
ノエルにはバスタオルとフェイスタオル以外に用意されていなかった。そして水槽の中で裸である時間が長いノエルは羞恥心が決定的に欠けていた。
「どうしたの?」
「え、あ、いえ。すみません実は男性の服はおろかノエルに合うサイズの服が無くってですね」
「別に、大丈夫」
小さな身体はバスタオル一枚ですっぽり覆われた。しかしあの布一枚挟んで彼の裸体があると考えた瞬間マシュは理由が分からない羞恥を感じ、熱で思考はショート寸前だ。
取り敢えず無いよりはマシだろうと自分のシャツを差し出して見たが、これがまた逆効果。臀部を半分程隠れるに留まり、指先さえ覗かない袖、ボタンとボタンの間はチラチラと白い肌が見える。
(これは道徳的にアウトです。いち早く解決を図らなければ!)
マシュの知識に現状況に照合するものは無かったが、少年に異性である自分のシャツ一枚だけを肌着なしで着せるのはマズいという事実はわかった。
「服は洗濯乾燥され次第取りに行きます。それまで此処で待機です」
「わかった。ありがとう」
「いいんです友達ですから、友達ですから!」
「うん、友達」
マシュはコミュニケーションが余り得手とは言えない。他人と関わる様になったのは最近で、気軽に話せる相手など殆ど皆無。その弊害からか彼女は時々不安を感じる。
自分は彼にとって本当に友人なのだろうか?
自分は彼にとって何なのだろうか?
自分は彼にとって──
けれどノエルは言葉にして、態度にして言ってくれるのだ『マシュ・キリエライトはノエルの友人』だと。胸の奥がポカポカと熱を持つ。
この熱はどんな感情であるのかマシュには分からない。彼女は胸の内にある熱に向き合ってみたが言葉にならない。
「マシュ、笑ってる」
「え?」
自分の頬へと手を伸ばしたが確かに笑っていた。手鏡に手を伸ばして顔を見た。
「本当ですね。私、笑っています…」
マシュは自分自身が驚く程晴れやかに笑っていた。
「私は、こうやって笑うんですね」
「マシュ、笑うと、嬉しい」
ノエルは口の端を指で突き上げて無理矢理笑顔を作ってみせる。彼の表情筋はオリハルコン並に硬い。結果少々不細工な笑顔になってしまった。
「どう?」
「私はノエルの笑顔が好きですよ」
胸にある炉に薪が焚べられた。
不器用な笑みを浮かべるノエルが、感想を求めてくるノエルが、心を寄せてくれるノエルが胸にある篝火に薪を放ってくれる。
(これが、友愛なんでしょうか…)
彼女はこの感情がよく分からない。けれど悪くないと笑みを浮かべるのは間違っていないと確信が持てた。
なおノエルはマシュのシャツ一枚のノーパンと言うオルガマリー姉様が見たら大魔術を問答無用で唱え始めるシチュエーションだと言う事を忘れてはいけない。誰が見ても事案です。
「取り敢えず見えそ──寒そうなのでブランケットをどうぞ。今飲み物を淹れますね、コーヒーでいいですか?」
「砂糖、七個、ミルク、欲しい」
「うぇ? 幾ら何でも糖分過多です。身体に良くありません」
「煎餅、ある。塩味で、中和」
マシュは思った。自分の友人は思った以上に阿呆だと。そして放って置いたら最後、生活習慣病になって薬の数が増えて行く所まで見えた。
死ぬ、間違いなく死ぬ。目を離したらこの子死ぬ。マシュは確信し、そして決心した。
「私の目の黒いうちは不摂生な食事は許しません」
友人の健康くらいは守ろうと。
「味方、ロマニだけ…」
「あの人仮にもドクターでしょう!?」
現在珍しくサボることなくせっせと働く医療トップにマシュの鋭いツッコミが突き刺さった。日頃の行いが悪いからしょうがない。
「でも子供の舌は有害なものを見極める為に苦いもの等が大人より強く感じられると聞きます。なのでコーヒーは止めてミネラルウォーターにしましょう」
「砂糖水?」
「えぇ…」
甘ければ何でもいいのかとマシュは困惑の声を漏らす。砂糖水は幾ら何でもない。
この後、後日ノエル用の飲み物を常備しておく事を条件に砂糖を控えさせることに成功した。けれど自室にこれからも来ると遠回しに言われた事実にマシュは乾燥仕立てほやほやポカポカの服を取りに行く道中に気付き、暫し扉の外で突っ伏すのだった。
☆★☆
オルガマリーは身の丈を知る女だ。上に立つ者に向かず、マスター適正も無い上に人柄から他から受ける評価は渋い。時計塔の
魔術師として劣っているとは思わない。彼女とてその程度の矜恃を持っている。
だが彼女は自分の弱さを知っている。
オルガマリー・アニムスフィアと言う人物のカタログには乗らない弱さ。
それは心の弱さ。
前所長マリスビリー・アニムスフィアが病床に伏す前、次代のカルデア所長となる事が決まっていたオルガマリーが父の仕事の補佐をしていた時より自覚した。
明確に言えばカルデアの、自身の弟ノエルの真実を見聞きした時より強く実感した事実だ。
オルガマリーは見た。
力無く固定された器具に吊るされた弟の姿を、その身体はまるで死に体の老木の様に弱々しく生気が伴っていない。良く撫でてやった頭は垂れたままで髪も振り乱した様に纏まりがない。
あれはなんだ。あんな存在は私の弟ではない。否定した。何度も何度も否定し続けた。オルガマリーの脳は拒否以外の選択を許さなかった。
足腰に力が入らない。嘔吐く様に意味を持たない声を漏らし、目が痛みを発するほど熱を持った。
オルガマリーは自分の状態が理解出来なかった。あれは自分の可愛がった弟ではないのに何故悲しんでいるのだと自問自答を繰り返す。私の弟は人間だ。人権を剥奪された家畜の様な扱いをされる筈がない。
違う。そう信じたかった。信じたかったのに─
「お前はアレを可愛がって居たからな無理もない。だが受け入れろ。アレは既にヒトとは呼べん」
横に平然と立つ所長であり、自身の父であり、目の前の弟の父であるマリスビリーはオルガマリーに平坦な声色で言葉を掛けた。
「これが最善。コレが居るだけで途轍も無いコストがカット出来る。維持費に金を使ってもプール出来る資金が残っているのはコレの功績と言えるな」
淡々と施設の説明を続ける父の姿に寒気を覚えた。尊敬していたはずの存在が自分とは違う化け物に見えて仕方が無かった。
「大凡の説明はこんなところだろう。質問は受け付けるよ」
「名前は…」
「ん?」
「名前は、あるのですか?」
震える声を必死に抑えて質問した。マリスビリーはその質問に目を丸くしていた。
「名前? コレのか?」
オルガマリーは名前を聞いても頑なに答えなかった弟に疑問を持っていたがここで合点がいった。
名乗る為の名前など、そもそも持ち合わせてはいなかった。つまりそういうことだったんだろう。
「私が、私がこの子に名前を付けてもいいですか?」
自然と口に出た言葉だった。
勝手にするといい。そんな言葉を置いてマリスビリーは部屋を去った。オルガマリーは伏せた顔で父の顔を見ることは無かった。
「そうね、貴方はノエル。よろしくねノエル、私の可愛い弟」
オルガマリーにはノエルが笑った様に感じられた。例えそうでなくとも構わない。いつかきっと子供のような無邪気な笑顔を見られるだろうから。
心などとうの昔に砕けた。あるのは伽藍堂の隙間にある見せかけの硝子玉だ。彼女は心が弱い。少しの揺れでも崩れ落ちるだろう硝子玉ならなおのこと。
しかし彼女は折れない。自分の弟が笑える未来を保証出来るまで、オルガマリー・アニムスフィアは頼れる姉を張り続ける。
同情かもしれない。救われない運命を背負わされたノエルを助けたいと身勝手にも思うのはエゴかもしれない。けれど─
──姉が弟を助けるのは当たり前なのだ。
──家族なんだから。
きっといつか一緒に笑おう。友達を作って、勉強をして、遊んで、時に怒ったり泣いたりして、普通の人間の様に笑おう。
それまでオルガマリーは折れない、曲げない。
身の程を知り、何度弱さを知ろうとも前へ進み続ける。ノエルの為ならばこの身が、心が砕けようと前へ進み続ける。
オルガマリーはノエルの笑顔が見たいから。
☆★☆
水槽へと還る中途、いつも姉が居る。手を繋いで、互いの顔を合わせて、何があったのか話す。ノエルのたどたどしい言葉でもオルガマリーは蕾が花開く様に笑う。ノエルも姉の多忙さに目を見開く。
「姉様、疲れてる?」
「そうね、でも大丈夫。ノエルの顔を見たら頑張ろうって気になるの」
「頑張りすぎちゃ、ダメ」
「分かってるわ身体を壊したら心配掛けちゃうから。でもありがとうね」
屈むことで目線を合わせ心配させんと笑ってみせる。安寧と平常をノエルに齎せる。
「姉様、元気出る?」
首に手を回し頬を付けて背中を摩る。勇気と活力をオルガマリーに齎せる。
「えぇ、とても元気が出たわ。本当にありがとう大好きよノエル」
「マシュ、言った通り、姉様、元気出た」
ピシリと空気が固まった。錆び付いたブリキの様に首をノエルに向けオルガマリーは飽くまで冷静で優しく質問した。
「マシュって…マシュ・キリエライト?」
「そう、友達」
声にならない悲鳴をあげた。強いて言うなら「ぴゃー」。
「友達!? 嘘ぅ! 何もされて無いわよね? 大丈夫よね、ね!」
ノエルは首を傾げて暫しブレイク中の姉を観察した。そして思った。友達を紹介するには時間が掛かりそうだ、と。
何かうちのオルガマリーに対する仕打ちって結構キツイ?
原作より心にダメージを与えてる気がするんだけど…
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